『Okay』/稲葉浩志

B003JBGALK Okay
稲葉浩志
バーミリオンレコード 2010-06-23

by G-Tools

稲葉の歌詞はB'zでもソロでも根っこのところは徹底的に「暗い」けれど(何かの音楽雑誌のレビューで、「誤解を恐れずに言えば、稲葉は「自殺する感性の持ち主だ」と書かれてて、大きく大きく頷いた)、「死」を直接的にモチーフにした歌詞はそんなになかったような気がする。死生観ですぐ思いつくのは『赤い河』とか『パルス』とかだけどこれらは「死」をどう捉えるかに主眼は置かれてない。『MAGIC』の『TINY DROPS』を聴いたとき、「とうとうB'zもこういう歌詞を歌うのか」と少し衝撃とショックを受けた。『TINY DROPS』は明確に「死」を前にした歌詞になっていた。でもそれは、「死」に遭遇したときの感情の折り合いの付け方にフォーカスが当たっていて、”今の時点で「死」を想像したとき、どんなふうに受け止めればいいのだろう?”という意味での「死生観」じゃなかった。「死」に遭遇した時の「感傷」を、とても詩的に歌い上げたものだった。

『Okay』は違う。『Okay』は"今この今日、未来にある「死」を想像"して歌われてる。それも、誰かの"死"だけじゃない。自分の"死"も。

"Okay いつかくる ボクのいない世界"
"Okay いつかくる アナタのいない世界" 
(『Okay』/稲葉浩志)

自分が死んだ後の世界を思うことは、とんでもない恐怖と寂寥感に襲われることもある。「こともある」というのは、毎回、そんなにうまく想像することができないからだ。でも、想像できたときの恐怖感というのはほんとうにとんでもない。このボクも、いつか死んでしまう。そのことを、「いつかくる ボクのいない世界」と言い表すことで、「自分が死ぬ」という事実と、「自分が死んでもその後も世界は続く」という事実、この二つの事実を思うことでやってくる途方もない恐怖と寂寥感を打ち込んでくる。

更に稲葉の歌詞が凄まじいのは、この「ボク」、つまり「一人称」の体験を、「アナタ」側でも歌っていることだ。しかも、「ボク」にとって「アナタ」の死がとてつもなく悲しいことだと歌いつつ、どうじに「アナタ」にとっての「自分のいない世界」を思う経験について歌い、そして、やさしい言葉を掛けるのだ。

"Okay いつかくる アナタのいない世界
埋められない穴をかかえさまよう
Okay 泣かないで 恐がらなくていいよ
終わりがあるから 誰もが切なく輝ける” 
(『Okay』/稲葉浩志)

もちろん、この「アナタ」は聴き手である僕たちに向けられたものでもあると思う。”恐がらなくていいよ”と、歌いかけてくれているのだと思う。単に、死に際してどんな心持ちで日々生きていけばいいかというだけなら、歌詞もここまでで終わりだろうし、それだと『TINY DROPS』とそれほど差はない。でも、B'zではなくソロとしての稲葉なので、過去のソロ作品と同様、歌詞も自分の好きなところまで突き詰めたのだと思う。『Okay』は、まさに死生観にまで踏み込んだ答えをひとつ歌ってくれている。普通は、自分の死を思い、恐怖して終わるか、その恐怖をやわらげるようなやさしい言葉を求めて終わるか、どちらかくらいしかやれることがない、けれど、『Okay』は、”いつかくる ボクのいない世界”を真正面から見据えた上で、それでもどうあるのがいいのか、という「結論」までひとつちゃんと歌っているのだ。

"Okay いつかくる ボクのいない世界
真っ暗で静かな無限の空
Okay それならば もう少しだけアナタを
長く強く抱きしめてもいいよね そうだよね”
(『Okay』稲葉浩志)

とりわけここ数年、年を取る自分の日々の思いとシンクロするような作品がリリースされて、同じ時代を同じ世代で生きてきたアーティストの作品に20年以上にも渡って触れられるありがたさを痛感してたけど、『Okay』は、僕が昔から抱えていた「死生観」をどう考えていけばいいのか、という新しい切り口をひとつ見せてもらえた感動的な作品だった。ほんとにもっともっと多くの人に聴いてほしい。