評価基準

新・ルソンの壺、人を育て 技を伝える~中小企業の生き残り戦略~を観て、評価基準について考えた。山岡製作所では「スーパー職人」という一種の認定制度があり、かつ、弟子の成長度合が師匠の評価に反映される仕組が構築されている。これと、部下のノルマ達成率の総計が上司の評価である仕組とは、似ているようで確かに何かが違う。もう一つ、等級が決まっていても、その等級が「取引」に利用されることが常態化すると、職場のモラールを崩壊させる。達成率が唯一のメトリックとなっているような企業で、それ以外の要因で給与が上昇するようなことがあると不公平感以上の悪影響が広がる。

 『新・ルソンの壺』を観てそこまで考えたのは、先週に米マイクロソフトのバルマーCEO、1年以内に退任というニュースがあったことが若干影響していると思う。バルマーCEOの退任は、マイクロソフト社内における従来型のWindowsビジネスの地位低下を明確に表していると思う。これは、PC・スマホ・タブレットにおけるマイクロソフトのOSシェアが22%に過ぎないという事実を受け止めている。これは、現在の足を引っ張る過去の功績と決別するという必要であり大切な決断だ。将来の主要事業ではないことがはっきりしている事業の現在の業績が前年度比や前四半期比で華々しかったからと言ってそれが高く評価されると、企業内での士気は下がる。有体に言うと「白ける」。過去の功績を振り回す事業部の存在や、「そうは言え、現在の収益の過半がこの事業から生み出されている」という強弁。これらを意図的に継続的に抑制するのは容易いことではないということだろう。