『人びとのための資本主義』/ルイジ・ジンガレス

自分が生きてきた時代の中で見聞きしたアメリカの印象は強欲で堕落した金銭至上主義者なのに、アメリカ文学、ポストモダンくらいまでのアメリカ文学からの印象は勤勉で実直で礼儀を重んじる姿ばかりを感じて違和感を抱えてきたことを思い出した。

「助成志向の市場は、最も効率よく生産する企業ではなく、最も手際よく公的資源を吸いとる企業を選ぶ。どうしてこのチャンスの国は、レント・シーキングの国と化してしまったのだろう?」

ここを読んだとき、ネットで「行政機関関係者の方、私に1,000万円くらい助成しませんか?おもしろいことができると思いますよ」とアピールしていたある著名人を思い出した。日本は助成大国だ。手早く稼ぐどころか、まず稼げるポジションを得るためには助成は欠かせないようにさえ見える。助成は様々な種類があるとは思うが一般的に投資のようにシビアではない。返さなくていいのだ。ある程度の財を成す者は、どうすれば公的資源を吸いとることができるのかを熟知している。助成を得たり、補助金を得たり、税金を免除してもらったり、免除どころか踏み倒して知らん顔をしたりする。

助成を得ることにあけっぴろげであれるというのはまともなことではない。過去の実績はどうあれ、これから何を成そうとしているかに対して資金は提供され、その出来栄えによって利得を得る。先の著名人の発言は、成す前から利得を得ることに疑問を感じていない、しかもその金銭の出処が税金であるということを忘れているとしか考えられない。

本著の前半くらいまで読み進めて頭に最も浮かんでいるのは、アメリカは「勤勉が報われるべき」という価値観の国だということ。いや、「国だった」かも知れないけれど、とにかく、アメリカはヨーロッパのように家系に依存したり、ブラジルのように財をなせるかなせないかはほとんど運だ、という価値観ではなく、「勤勉であることが報われるべき」という強固な価値観を持った国なのだ。我々日本人が我々日本人の美徳だと思い込んでいる、そしてアメリカ人は持ち合わせていないと思い込んでいる「勤勉」という価値観はアメリカ人も持ち合わせている。勤勉が報われる国だからこそ、苛烈に働き圧倒的な競争力を持った国になったと考えるのが自然だと思う。けして自分たちの都合のいいようにルールを制定するために「グローバルスタンダード」という概念を振り回すだけで勝ってきた国ではない。最初に書いたように、それがいつのまに日本が勤勉で、アメリカ人は怠惰で、楽して儲けたいから勤勉の日本人に働き過ぎだとケチをつける国だという印象になっていったのか、そこに興味がある。
4757123078 人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す
ルイジ・ジンガレス 若田部 昌澄
エヌティティ出版 2013-07-26

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