やっぱりアメリカ人は仕事ができる

もちろん「アメリカ人」とか「日本人」とかで一括りにするのはあまり良い発想法ではないけれど、最近、この先の働き方に思いを巡らせていて、最終的に「やっぱりアメリカ人は仕事ができるんだなあ」と唸ってしまったことがあった。それはこういう顛末。

WIRED』の「オープン・ガヴァメント」を読んだり、直近の市報の特集が「ソーシャルビジネスという解決策」を読んだりして、前々から思ってることだけど、「自分が地域社会に役立てるとしたらそれは何だろう?」と改めて考えてみると、それはやっぱりIT分野しかないなあと。IT分野の中でも、比較的新しい領域というか、もちろん、今で言うとウェアラブルとか、そういう本当にとんがった部分とかコード書くとかはできないけれど、もう少し実際的に、こういう業務処理であればこういうITを駆使することで効率化が図れるはずですよ、とか、そういう部分はできると思う。

けれど、それが有用なのは先端の領域だからであって、なぜ先端の領域の知識を幾許かでも持っていられるかと言えば、そういう企業に勤めているから。そこで見聞きした最新のITの知見は、地域社会にあっては有用だと思うし活かせるはず。だけど、例えば地域社会の行政や地域活動をITで支援するという目的のNPOを設立し、それを本業としたら、それは数年でたちまち行き詰るように思える。なぜなら、「最新のITの知見」の仕入れ先である勤務先から退職しているから。

この悪循環に陥らないやり方というのは、「人脈」を売りにすること。「現場の知見」を追いかけ続けるのは限界がある。だからプレイフィールドを変えて、「私に声をかけてもらえればええ人紹介しまっせ」的な活動に切り替える。自分は集客塔で、実務は他人。これは何もNPOなどに限らず、日本の企業の中では至って普通のことに思える。転職するにしても、その人がどれくらいのカスタマーセットを持っているか、というのが、40歳を過ぎた人間にとって重要になってくる。

と、ここまで考えて、でも自分が仕事上で知っているアメリカ人は、確かに人脈を重要視しているし、ネットワークの力も利用していはいるけれど、それなりのポジションにいてもびっくりするくらい細部の知識をキャッチアップしているなと思い至ったのだ。彼らは、どれだけロールがプロモーションしようとも、詳細な知見も必ずキャッチアップしている。日本のように、「私は部長ができます」みたいなことにはならない。日本は、管理職になると、現場の細かいことはどうでもいいみたいな雰囲気になっているところが少なからずあると思う。それを人脈というある種の「権力」で補う構造になっている。それに引き替え、アメリカ人は確かに実務が出来る。出来なければいけないと認識しているところがある。ここに思いが至って、「ああ、社会貢献できる人間になるためにはあまりにもスキルセットが少ない」と痛感したのでした。

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コンデナスト・ジャパン 2013-09-10

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