天満橋ビブリオバトル#07 2011/05/18 #bibliobattle

何にでも訪れる、ターニングポイント。この日参加したビブリオバトルは、僕にとってはそんなビブリオバトルでした。

2月に初めて参加して以来毎月参加し、先月は発表もやってみて、今月は前回の図書情報館と同様スタッフとして参加しましたが、誤解を恐れず有体に一言で感想を言うと、僕個人がビブリオバトルに期待しているものが、薄まっていると感じた回でした。スタッフとして参加したので、言うべきではないことももちろんあるのですが、僕はビブリオバトルは単なる「プレゼンバトル」であっていいものではない、と思っています。かと言って、「書評」にウェイトを置き過ぎてもいけないことも理解はしているのですが、やはり、「書籍」は人が集まって人に何かを説明語りするための「道具」としてたまたま選んでいるひとつ、という位置づけであっていい訳はない、と思うわけです。そこの「軸」を失うイベントというのは、往々にして求心力を失っていくと思うし、もしそこの「軸」を外してよいなら、別の看板に架け替えるのが最善と思う訳です。

そう考えていくと、この状況を変えるのは、オーディエンスの質問力かなあと思ったりもします。回を重ねるごとにレベルアップを図る、ということは、なるべく新規参加者を募っていきたい、という主催者側の意図を考えるとあまり現実的ではないので、発表者側にウェイトを置くのではなく、恐らくは常連化を期待できるオーディエンス側が、どれだけ良質な質問をすることができるか?次はここが重要になってくるのかと思いました。

参加者(発表者もオーディエンスも)は、主催者側の意図を正しく理解しようと努める義務がある。これは僕の持論です。そして、その前提があってなおかつ、主催者側は、まだ見ぬ参加者に対して、自分たちの意図を、(伝えようとしないという手法も含めて)正しく理解されるように伝える責務がある。そういう意味で、僕はビブリオバトルに期待していたことのひとつは”知的”書評合戦だったのですが(それは”インテリ”という意味ではないですよ)、今回はその部分が僕の期待通りではなかったということです。自分が質問できたら、という思い上がりはないですが(スタッフとして参加してたので質問する余裕がなかった)、"知的"の大前提は"言語化しようとすること"だと思うし、プレゼンのやり方や見せ方で点を稼ぐことではないと、思うのです。

…と思ってたら、"知的書評合戦"という看板は既に降ろしてて、"インタラクティブ・ブックレビュー"になってたのね。失礼しました。