『宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み』/西岡常一 西岡常一棟梁の遺徳を語り継ぐ会 #jbnsgt3

『鬼に訊け』を観たその足で同じイオンの中にある本屋で買って帰った一冊。
 ちゃらちゃらと「仕事ってナニ?」みたいなことを言い募らなくても、この一冊読むだけで十二分。社会人なら誰でも読んでほしいと思う本です。

いろいろな方が「西岡のお父さんの本を読ませてもろうてますよ。あの口伝ちゅうのはすばらしいですなあ」と言うてくれるんです。「ありがとうございます」と言うてるけども、そういう賛辞を言うてもらうんであれば、自分の身の周りから具体的な行動に移していただくことが、ほんとにおやじの喜びになると思います。

組織運営論などで応用していただくのは非常にありがたいと思うんですが、多くは言葉の弄びになってる気がするんです。ほんとに意味がわかって、日常の社会生活に活かしてもらえてるかどうかと言ったら決してそうは見えない。

この部分が在るのがこの本の出色なところだなあと思う。そしてこの感覚の血は、僕にもある。「ええことゆってるけど、やってることちゃうやないか」とやり込めたくなる血が。特に去年一年、能書きだけは一人前に垂れる自称「行動家」に、嫌というほど出会った。そして、現代はすべてが消費のために記号化されているので、そこに魂が入っていなくても、記号と記号、キーワードとキーワードがクロスすれば、「いいね!」と言われ、人が集まり、「ムーブメント」となって、何事かを成しているような空気が醸成され、その人となりも補完されていき、そこに加わっている人たちは、自分も何事かを成しているかのような感覚で突き進んでいく。僕は、自分自身にだけは常に、「自分の身の周りから具体的な行動に移せ」と言い続けよう。

  • 頷ける言葉ばかり出てくるのだけど、これは「棟梁」としてのスタンスであることを意識する必要がある。仕事をする上で非常に参考になる重要なことばかりではあるが、「棟梁」と「職人」は違う。違うということがはっきりと書かれている。
  • 言葉にできることとできないことがあるということを、どううまく按配していくか、そのあたりが絶妙。言葉にできないようなことを、「言葉にできないもんや」と片づけるような姿勢はひとつもない。
  • 「知識は持っとかなあかん。だけど知識人になるな」
  • 「口のうまい奴に、ロクな職人はおらん」
  • 頑として聞かないだけの、筋道を身に付ける。
  • 続かないことに意味はない、という自分の哲学に、自信を与えられた気がする。
  • 古くから在るというのは、古くから続けられているということ。古くから続けられているということは、ただ「ありのまま」にしているのではなく、都度都度手をかけているということで、ほったらかしにしていたら間違いなく滅びている。

和辻哲郎『古寺巡礼』、亀井勝一郎『大和古寺風物詩』が、西洋美学を取り入れた大正、昭和の教養主義の上に乗っかって、宗教的な建物や仏像を鑑賞するテキストの役割を果たしてきました。戦前、戦中・終戦から、戦後までずっと、日本人の心情にもマッチしたのです。そういう耽美主義的な立場で美術を見るということが主流になったおかげで、寺、仏像、特に大和の寺、仏像には「滅びゆく中にその美を見出す」という見方が定着してしまった

この部分は自分にも思い当たるところがあり猛省しなければいけない。法隆寺の来歴とか、何も知らなかった。歴史のある土地に縁を持ち、その歴史を浪費するところがあったが、もうそれではいけない。

4532194644 宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み (日経ビジネス人文庫 オレンジ に 2-1)
西岡 常一
日本経済新聞出版社 2008-09

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