独走会 - 2017/12/30 加茂 55.5km

若くないから、やりたいこと、何でもできる訳じゃないから。

28日のfm802 radio crazyで稲葉さんが声が出ずに途中中断を経て4曲で終了した、という情報をネットで見たところで、「いつか必ず来る、稲葉さんのあの声が聞けなくなるときに思いが至った」というファンの声もいくつかあった、そんなことが頭にあった。年末、例によって家族に時間をもらえ、ましてやこの日はほんとに後ろの時間はほとんど気にしなくてよかったので、思い切り遠出をするという選択肢もあったのだけど、それなりに疲れているのと、この数か月、早朝は仕事だと切り替えられるけれどライドと思うと「近場でええやん」と思ってしまうメンタリティなのと(でも時間が経つにつれ”ロングにチャレンジしたい!”となるから始末に負えない)、何よりやっぱり寒さが不安で、何も考えず走り出すことに。

とりあえずJR奈良駅まで走って、スタバで体あっためて、まあとりあえず50kmは走ろう、加茂くらいまで行って引き返したらいい感じかな、と県道44号を走る。寒さはそれほど厳しくなく、天気予報通りの良い天気で、これならロングも行けたかな、といつもの後悔の念が押し寄せかけたけれど、たっぷりと時間があって何も気にしなくてよいときにしか、こんな無計画な散歩のようなライドは楽しめないじゃないか、計画を立ててするライドは時間的制約のあるときにもできるじゃないか、と思い直してそれからは無計画ライドをじっくり楽しめたように思う。


思えば今の僕にとって、何も決めていない、何も目標のない活動がいちばん難しい。精神的な持って行き方も、楽しむことそのものも。何か目指すことを立てたり、目的を決めたりしないと楽しめない、のは、達成度を楽しみの物差しに知らず知らずしているからだろう、散歩のような愉しみを体も頭も忘れてしまっていたような気がする。そして、僕にとってロードバイクは、愉しみが達成度である仕事というアクティビティ以外のアクティビティがなければ自分の人生がやせ細ってしまうと思ったから選んだホビーだったことを思い出した。

だからといってロードバイクでチャレンジすることの楽しみを忘れる訳ではないけれど、敢えて”無為”というけれど”無為”を楽しむことは忘れてはいけないことだと思ったのが今回のライドだった。

一応箇条書き:

  • 今回は40kmくらいで結構足が削れた。やっぱりちょっと食べたりなかったか。
  • 自転車専用道路であんなに速度が落ちるのは、やっぱり路面が悪いからか。
  • ほんとはディープウィンター用ビブが要るんだろうなあ。
  • スマートフォンをどう持つか。ジャージのバックポケットだとウィンドブレーカー着用時に、乗車中に取り出しにくい。ので、写真が撮れない。
  • インターバルと持久走と両方練習。やっぱり楽しむためには練習が必要。


独走会 - 2017/11/12 松阪 75.1km

独りで死ねないのなら、死なないほうがきっといい。


とにかくこの日は朝から調子が悪かった。そもそも、時間は家族からたっぷりもらっていて帰りの時間もあまり気にしなくてよかったのに行き先が数日前から例によってうだうだ悩み続けていたし、松阪に行こうと思い定めて起きることはできたものの、本当に走りきれるのか、自信がないので輪行して八木スタートにしようとか、それでも100kmあるしとか、全然テンションが上がらない。

橿原神宮前行急行に乗っているとき、急に「八木から165号でゴミゴミしたところを抜けるまでにまた時間を食うし、いっそもうちょっと東まで輪行してしまえばいいのでは」と、長谷寺も越えて、休日ダイヤで乗換なしで行き着けた榛原まで輪行。組み上げて8:30スタート。


だけどとにかくテンションがあがらない。ほんとにちょっとした下りが怖いし、ほんとに今のこの足で青山峠を越えられるのか、止めといたほうがいいんじゃないのか、色々面白くない感情が渦巻いて、オレやっぱりロードバイク向いてないんじゃないかなあとずっと落ち込みながら165号を東進。


ところが名張を越えたあたりから不意にテンションが変わるというか無心になるというか、あまり何も考えないまま走っていた記憶に。途中、165が通行止めの箇所に出くわしても、行けないならここで引き返そうか、という気も起こらず、迂回路と示された道に迂回し、程なく合流した後「これで峠回避できてたらいいな~」と甘く思ったのがすぐに打ち砕かれても黙々と回し、まだかまだか頂上はと思うけれど嫌になる訳でもなく、峠を抜けた後の下りも飛ばしたけど全然怖くない。


165号は勝手知ったる道なので、どこでリタイアすれば近鉄に乗れるかとか頭に入ってるんだけど、そんな気は全く起こらなかった。50km越えたあたりからやっぱりちょっと足が切れて空転するようになったけど、予め考えた通りのインターバルで休憩したら回復し、好天の初秋の午前中の峠跨ぎという、気温とコンディションの目まぐるしく変わる中、今までで一番気持ちよく走り切れたんじゃないかと思う。


人とのつながりはとても大事だし、人は独りでは絶対に生きていけないし、気持ちを打ち明けたくなることも時には絶対にある。だけど、やるつもりのないことを口にするとそれは必ず自分に返ってくる。もし、その気持ちを「使い捨て」で打ち明けたいのなら、それは自分の中の自分に対して打ち明けたほうがいいと思う。自分の外の誰かに打ち明けてしまったら、その「使い捨て」と同じように自分も「使い捨て」ることになってしまう。自分のその大事な気持ちに相応しい打ち明け先はきっとある。その打ち明け先を見極められるのは神ではなく仏でもなく自分しかいない。その打ち明け先がどんなに重苦しい打ち明け先だったとしても、その重苦しさからは逃げないほうがきっといい。この日のライドの前後半のコントラストは、そんなことを思い起こさせた。


いつもの箇条書き:

  • 50km足切れの原因は食べ足りないんじゃないかということで、今回は休憩ごとに必ず何か食べたし、ちょっとお腹すいたと思ったら走りながらすぐ何か食べるようにした。これは結構正しかったと思う。
  • もう一つ、足切れは有酸素運動になるからで、有酸素運動になる原因は心拍数の上昇だという基本的なことを改めて読んで、4分間インターバルトレーニングを週何度かできるときはやるようにしていた、その成果が出たのかも。
  • 凄くバイクが多かった!なんかイベントでもあったのだろうか。
  • テールライトが充電切れ。充電すること。
  • QUOC Nightは絶好調。
  • La Passioneのビブはやっぱりパッドがちょっと弱いかなーと思ったけどそれは疲れで姿勢が崩れたときの問題だった。
  • 松阪牛最高。

独走会 - 2017/09/10 明日香 70.0km

ケニーが亡くなったことを知らされたのは、僕の45回目の誕生日のあの日だった。

ケニーは僕の自転車友達のひとりで、貴重な年上の友達のひとりだった。TRANSITで出会って、ぜんぜん人との間に壁をつくらない話しぶりで、あっという間に友達にしてもらった。とは言え実際にケニーと会って話した回数は数えられるくらいだと思う。一緒にライドしたことも数えられるくらいだし、飲みに行ったことになると更に数えられるくらいだと思う。その数えられるくらいのライドのうち、たぶん一番長い距離を走ったのが明日香だった。遠い友達だった僕にできるのはケニーとのその思い出のライドの地までケニーを思いながら走ることくらいだった。

僕は人付き合いが得意なほうではないし、仕事のつながりでも出来る限りドライというか、仕事は仕事のつながり、というスタンスを取り続けて45歳になっているので、人の和に入っていくその行き方とか言葉とかがどうしても欠落していると思い知らされることが毎日ある。だけど、ケニーとは違った。ケニーはその豊富な語彙と人生経験と本当に壁をつくらないし段差もつくらないその人格で、僕がどんなふうな言葉で話しても楽しそうに話を続けてくれた。特筆すべきはそうなっても僕のほうも行き過ぎたりやり過ぎたりしてその関係性を壊してしまうようなことが遂に起きなかったことだった。

ケニーが「独走会を卒業します」というコメントを律儀にfacebookにくれた後、ライドはいいから一緒に飲みに(僕は飲めないのだけど)行きたいなあと思いながらfacebookも反応がないしどうしてるのかなとぼんやり思っていたときに届いた訃報だった。ただぼんやりとして、ああもうケニーという人に会えないんだという認識がやってきて、それは衝撃的というのではなく、あぶり出しを長い日にちをかけて、一日に二、三度、数分ろうそくに炙っては離して、を繰り返し続けているような感触で、毎日不意に襲ってきては襲ってくるごとにその事実を定着させられていくよう。昔から誰もがいつかはいなくなり、自分もいつかはいなくなり、自分の知っている人がいなくなった経験もしてきてはいるけれど、それを強制的に思い起こしていわば免疫をつくろうとしていた努力をかき消すような訃報だった。


登りを極端に嫌ったケニーが「お気に入りルート」と言っていた竜田川沿い。


飛鳥坐神社。お参りはしたけれど、「神社本庁」のポスターがどうしても気になって、御朱印はもらわなかった。もちろん、単立でなければもうお参りや御朱印はもらわないというほどラディカルではないけれど、自分の御朱印という行為の"軽さ"を顧みるとその都度その都度気を配るのがよいのではないかと思った。

R.I.P. ケニー。



独走会 - 2017/07/16 生駒 - 柳生 - 伊賀上野 - 木津 - 近鉄奈良 99.7km / 1,162m elev.gain

意地の自走。

前日娘とアンパンマンの映画を観に行って、1時間の映画で40分過ぎくらいから娘が飽き始め、残り10分でとうとう抑えが効かなくなりラストを観ずに出ることに。後で聞いたらそこまでのストーリーはしっかり把握していたので理解は出来ている訳だし、つまらないと思ったものを最後まで無理に観たり読んだりすることもないし(子どものころはそれでも最後まで鑑賞し通すということには何か意味がありそうではあるけれど)、それはそうだと思ったんだけど集中力が持たないのはよくないなと思っていて、そう言えばここ最近、俺はライドに出る度に結構途中で切り上げて帰ってしまうことが多く、この”切り上げグセ”は一度断ち切らないといけない、と、自走で100km走るプランを考えてみた。369号で柳生に出て月ヶ瀬を通り伊賀上野、帰りは163号というルート。

369号の長い長い登りを熟している間、昨日のアンパンマンの映画のシナリオが思い浮かぶ。意気地なしのブルブルが、カレーパンマンに「やってみなきゃ始まらないだろう」と励まされて自力の崖超えにトライするけれど、うまく行かずに「やってみたけれど始まらなかった」と悲嘆に暮れる。ここにアンパンマンが来て自分の顔を食べさせてあげて更に励ましてあげる、というくらいまでが観たところだったと思う。人を励ますというのは難しいことだなあ、誰かを励ますのはひとりではなくていろんなカラーを持ったできるだけ多くの人が関わったほうがいいよなあ、と考えながら、こういうのも伝承のひとつなのかなあとぼんやり思う。多くの人を導ける人というのは、それに相応しいやり方を早くから学んでいるんだろうなあと。相応しいというのは消して崇高というだけではなくて、どうやったって不満はどこかに現れるから、その不満への対処方法とかも学ぶのが帝王学なんだろうなあと。その不満への対処は、ある種「割り切っている」もので、自分が生きている間には絶対に解消されないもので、その状態が幾世代後もずっと繰り返されるものだとして成り立っているんだろうなあと。だけど、自分の子どもがこれから住む未来の世界がどんなふうであってほしいかということは考えずにはおられない。これは、子どもがいる人もいない人も、考えられる人もいれば考えられない人もいるけれど、子どもがいない人の、未来の世界を考えないスタンスの典型例というのは確かにある。僕たち奈良県人が伝統にこだわりを持つのは、過去を未来に残したいからではなく、奈良の伝統は100年200年単位の維持を考えられたものばかりで、なぜ100年200年単位で考えられているかと言えば、その時代に平和に寄与した仕組を自分が死んだ後にも維持できるようにそう考えられている。だから、伝統を守ることの中に、”無変化”が固定されている伝統は、奈良の中にはあまりないと思う。それでよくなるなら変えれば良い、ただそれが最善かどうか必要かどうかを判断するには厳しいところがある。

これが今回、僕が369号の登りながらアンパンマンの映画を思い返しながら繰り広げた思考だった。


邑地。道中、コンビニなんてありません。


名張川。柳生からここまでの間に、お猿さん親子と鳶とGT-R軍団に出くわしました。


道の駅 お茶の京都みなみやましろ村。バイクラック普及中。

以下、箇条書き:

  • 行き369号を選んだのは車が少ないからだけど、今の自分に800mの登りは辛い。かと言って帰りの163号は時間がお昼にかかったのもあってバンバン車通るしトラックには幅寄せされたし、悩みどころ。
  • 60km過ぎがヤマと分かってたけど、伊賀上野から月ヶ瀬までの10kmの登りは本当にきつかった。腰回りが痛くて回すのが不快でしょうがなかった。だけど、今日は楽しむことを第一に考えてたので、少々休みを多めにとっても走りきろうと決めていた。
  • みなみやましろ村で休憩した後は、笠置まで下り基調のこともあって綺麗に回せた。30km巡航は流石に無理だったけど、平均25kmくらいはいけた。
  • ただ、傾斜2%程度でもうダメ。
  • 伊賀上野出てからはいよいよ気温があがり、お湯の中を走っているようだった。163号は30分に一回休憩した計算だけど、いくらロードバイクが運動強度の低い運動とは言え、炎天下で30分も運動続けるのはあんまり乗っていない人間には酷なことだと割り切った。
  • ちょっと補給が少ないのかな?と思った。食べ過ぎで気持ち悪くなって走れない、と思い込んでいたけど、もうちょっと積極的に食べてもいい気がした。
  • メリノのアンダーは要らなかった。
  • 60km/40kmの比率で行程組むのはよさそう。

独走会 - 2017/05/26 京都 - 吉富 - 亀岡 50.0km

自由に追われ、のがれのがれ距離を稼ぐ。

家族にもらえた月一ライドの日、何度か延期したにも関わらず好天に恵まれ(このパターンは大体雨が降る)、かつ起床もスムーズ。絶好のコンディション。時間もたっぷりもらえたので遠出をしようと思いつつ、今一つ決めきれないまま京都駅着。なんとなく北上しよう、という感じで国道9号線・山陰道を北西へ。


 舞鶴行きっぱなし帰り輪行のルートを検討したことがあって、生駒から約130km、自分の足だと7時間欲しくて、帰宅時間リミットから逆算すると朝6時に出発になる。その時間出発で130kmだと今の体力だと全然楽しいライドになりそうに思えないので、出発地点を京都にするか、山陰道の保津峡あたりの山越えを回避して亀岡まで持っていってスタートするか。結局今日は京都まで輪行してきてその山陰道山越えをしている。


 老ノ坂隧道。ここがピーク?6年前より余裕を持って登れたような気がする。


 亀岡市街に出てしばらく走った先のファミマで休憩中、桂川の対岸の河川敷で消防訓練か何かをしている様子を眺めているうちになぜか「もういいや」という気分になり、もう少し先の吉富駅あたりで折り返してその桂川の対岸の河川敷沿いのルートで亀岡市街まで引き返すことに。ロングライドするときはルートのわかりやすさと路面の低リスクを優先して幹線を選んできたけれど、この帰りのルートを走りながら、信号が少なく車も少ない道の良さを改めて実感。


 八木駅の東、桂川に掛かる橋から南北を観る。ひろびろ。

 亀岡まで引き返してきたとき、出雲大神宮の案内表示が目に入る。そうだ、亀岡スタートでルートを練ったのは、出雲大神宮に参拝したかったからだ。出雲大神宮を知ったのは、"単立"を探したから。"単立"とは?包括宗教団体に属さない独立した宗教団体-神社の場合、主に神社本庁に属さない神社。

 行き先を神社仏閣にし、御朱印帳を持ってのライドを一昨年からしばらく楽しんでいて、そこへ日本会議と神社本庁を知ることに。知るごとに神社への想いが萎えてしまい、もちろん神社を訪れたときの締まる感じとかが好きなのは変わらないけれど、ライドの目的地にするのにはどうしても抵抗が拭えなくなってしまった。ところが程なく"単立"という存在を知り、調べてみると亀岡にある出雲大神宮が単立だとわかり、ここは行ってみよう、とルートを考えたことがあったのだ。

 今日はまったく神社仏閣に立ち寄るつもりなかったので御朱印帳も持っていなければ小銭すら持っていない。出雲大神宮に着くまでに自販機があれば水分補給ついでに小銭を作って立ち寄ろうか、などなだ悩んだ挙句、「ついで参りは(お墓じゃないけど)よくないな」と、今回は参拝を見送ることに。いつか必ず来たい、単立の出雲大神宮。御朱印帳を持って。

  •  サドルが低いかも。
  • 3/4 bibは非常によかった。真夏になるまではこれがベストかな。
  • もう行きっぱなしのロングライドにそんなに執着がなくなったかも。それも楽しいけれど、それでは行けない距離を走れる自宅発着ルートを考えるのも楽しいかも。
  • とは言え、確実にロングライドする体力は落ちている。もう少し、乗る頻度を確保しないといけない。
  • ラージサイズのRaphaキャップはよかった。翌日も頭は全然痛くならなかった。
  • カメラを背負うのはもうなしかな。走行中はほぼ撮影しない。

独走会ランナバウト - 2017/04/15 生駒駅 - 転害門 - 浮見堂 - おくた - 生駒駅

何のために生きるの走るのなんて、バカなこと聞かないでプリーズ。

この水曜から幼稚園に通い始めた娘、ずっと仲良くしていたお友達たちとひとりだけクラスが離れ、大丈夫かなあと思っていたら昨晩とうとう堪えきれないように魘され大泣き、今日土曜日は遠出していい日でもらっていたけれど、パパがいてもあんまり関係ないかも知れないけど、かわいそうになってバスの見送りお迎えにママと一緒に行くことに決めて、幼稚園に行ってる3時間半だけ走ることに。いつも走りに行くときは「おみやげ何がいい?」と聞くんだけど、今回は「シブいおだんご」とリクエストされていたので、ならまち界隈でお気に入りの「おくた」でみたらし買って帰ることに決める。バス見送りしたら今日はとうとう乗った後泣いてていよいよ気もそぞろで走る感じに。



奈良往復で3時間半だとかなり時間を持て余すけど、おくたが11時開店なので、ひさしぶりの転害門。ここ、なんで観光客がこんなにこないのかほんとにわかんない。すごく綺麗な場所なのに。

転害門観て浮見堂観てだんご買って帰っただけなので書く機会があれば書こうと思ってた自分の自転車の話。僕はRALEIGH CRRの2010年モデルに乗ってるのですが、これが本物のRALEIGHではなくてARAYAがブランド権を買って製造している商品だということはもちろん知っている訳です。と言ってももちろん買ったときはそんなこと知る由もなく、40歳も手前で「ロードバイクに乗りたい!」と思って、ぼんやりどんなロードバイクがいいかイメージして、自分の懐具合がどんなものか計算して、イメージはもちろん見た目しかイメージできないのでホリゾンタルがいいなあと思い(初めて試乗したのはDomaneで軽さにビックリしたけどやっぱりホリゾンタルの見た目がよかった)、それで調べる中でホリゾンタルはほぼ鉄しかないということを知り、自分の懐具合で買える完成車がどれかを調べ、そしてRALEIGH CRRに行き着き、これを在庫している近所のお店を調べ上げ、2件あったのでその両方に足を運んで、より自分にあった550mmサイズがあったショップで買いました。買ったときはビンディングの存在すら分かってたか分かってなかったか、くらいの意識でした。
僕は自転車に乗るのがうまくはないけれど大好きですが、そこまでお金をかけたりコンポーネントや自転車の歴史やらを見聞し覚える時間的余裕もありません。CRRが本物のRALEIGHではないくらいの知識は知らず知らず知ることになりましたが、それ以上の深い知識はこの先もつくかつかないか分からないです。いわゆる薀蓄というものですが、それを知らないからだからどうした、と最近よく思うのです。もちろん、歴史は正しく知らなければならない。歴史修正主義には立ち向かわなければならない。だけど、知っていることをひけらかして懐古趣味に走って今楽しもうとしていることを否定するようなら、その知識はいったい何のための知識なのか、知識というのは新しい何かをよりよい何かをより楽しい何かを生み出すためだけにあり得べきものではないのか、とつくづくと思い至るのです。だから僕はRALEIGHを大切にしています。何も言わずに。

だけど、何のための走るのなんて、バカなこと聞かないでプリーズ。独りで走るために、走ってるんだ。


今回、初実戦投入のQUOC NIGHT!

昨年末に届いて、近所にちょっと慣らしで履いたっきり出番がなかったのですが、それは冬なのでオーバーシューズ履くし、せっかくレースのシューズでも見えないじゃん!ということで止めてたのですが、今回は慣れたルート程よい距離だし、オーバーシューズ要らないし、ということで履いてみました。感想は、ソールの硬度は十分、レースはきちっと締まるのでホールド感もよい。インソールの感触は、今まで使ってきたRAPHA GTに比べると、土踏まずのところの盛り上がりが大きい感じがします。より押されている感じがする。レースなので着脱は不向きだけど、街乗りの気分にはめっちゃハマりそう。一目惚れでQUOCの早期オーダーに申し込んで1年待ってよかったです。

独走会ランナバウト・街のサテンで豆を買う - 2017/03/18 近鉄奈良駅 - Yanagimoto STAND - 大和川 - 道の駅大和路へぐり - 牛玉 - 生駒駅

積み重ねられた日々はきっとなんでもない。

気持ちの準備はよくよく早めにやらないといけない。これは分かっていても繰り返すもので、今回は朝7時にスタートすれば丸10時間取れるという、相当長い時間を家族にもらえたものの、10時間使ってどうするのか、というプラン決定をずるずると引き伸ばしてしまい、結局前日夜まで決めきれなかった。挙句、酷く心地よくない夢を見て睡眠不足気味、花粉症もより酷くなっているというコンディションで当日の朝を迎えてしまう。これまでの経験で、早朝起きて1時間くらい立たないと走るテンションが湧いてこないと学習しているので、前回同様輪行荷造りをしてあるのでとにかく電車に乗ってしまえと奈良行きに乗る。そのまま奈良についてしまい、逡巡の後、富雄の超絶かっこいい自転車屋さんTRANSITつながりで仲良くさせてもらっている安川さんの新店Yanagimoto STANDの場所を覗いて、その後は適当に盆地内をぐるっと回って帰ろうとやっと決まる。

起きたときは、この体調で走れるかな、と、全身を気だるさが襲うような状態だったけれど、それも多分走り始めれば大丈夫と薄っすら経験からわかってはいて、実際169号線を下っている途中で「全然走れる」と思い、約50kmを走って帰宅したときも「まだ全然走れる」という状態だったから、次回以降、プランニングの際に、決め兼ねてもそんなに追い詰めて考えなくても案外走れるよ、と気持ちの準備をすればスムーズに走ることができるだろう、とまた経験からひとつ学習することができた、けれど、一体そうやって経験して学習して年齢を重ねるごとに熟練していって、それに何の意味があるのかなあとぼんやりと思った。死ぬことは怖いので、生きることに意味があるのかないのか、という問の立て方は間違っているという説には疑問を抱かないけれど、年齢を重ねるごとに進化するというか成熟するというか、そうしなければいけないというのは本当なんだろうか、そうしたところで果たして報われるのか、報われるのかどうかなんて考えてはいけないとは言ってみても誰もそんなことを考えていない中で孤独にそれを目指し続けるのは(そんなことを考えていない誰もが実は他人に対してだけはそれを求めるというのが当然というような世の中にあっては)残酷なまでのことではないだろうか、と思ったりした。


Yanagimoto STAND。ここまでの距離、ちょっと行って帰るライドに絶好。


めっちゃ遠目で撮った、道の駅へぐり内のSUGITA COFFEE。本店舗のすぎた珈琲はバイクスタンドが目立ってて、一度行きたいと思いながらなかなか行けなかったので、道の駅へぐりに寄ってよかったです(たぶん、道の駅で店出されている時間、本店舗は開いてなかったんじゃないかと思います)。


娘とおみやげは肉と約束してたので、生駒・肉で検索して調べた『牛玉』で山形牛ステーキを買って帰りました。

独走会 2017/02/19 和歌山 76.8km

僕たちは、見たことのない風景を受け入れるために始めたはずだ。インターネットも、ロードバイクも。

思えばインターネットの黎明期、僕がいちばん好きだったサービスはamazonで、いちばん嫌いだったサービスはamazonのレコメンデーションだった。どんな書籍でも検索すれば一発で買えて送料無料で翌日入手できる、これ以上ネットを活かしきったビジネスが今後あるのだろうかと思った一方で、レコメンデーションは心底嫌いだった。購買履歴から類推できる嗜好に基づいた本なんて、そんなもの既に知ってる本ばっかりに決まってるじゃないか。改めて教えてもらうまでもない。普通に生きていたら絶対に知ることのなかったような本を、教えてほしい。だからamazonも使いつつ、本屋さんにも欠かさず足を運んでいた。

ここしばらく、そうそうロードバイクに乗れないことから、乗れる機会には”乗る”ことを、実利を重視して、迷うことないよく知った道を選ぶことで走る時間を長く取れるようにしていた。けれど、そうやって実利を求めていた昨年来、インターネットではこれまでにも指摘されてきていた、「同質化」が一気に噴出した。「いいね!」ばかりに夢中になると、当然、感覚や価値観が似た人たちとばかりコミュニケーションするようになるし、そういう情報ばかり目にするようになる。そうして似た者同士で気持ちよく過ごしているうちに、自ずと感覚は麻痺してくる。

いけない。

そうしてGoogleマップをぐるんぐるん回し、所与の条件である帰宅時間から逆算し、輪行で帰ってこれる円を仮象して、狙いを定めたのが和歌山だった。紀の川沿いのサイクリングは大いに興味を唆る。自宅出発でも100km強なので走れない距離ではないのだけれど、実際的な問題として、朝起きて1時間経ったか経ってないかくらいだと、フィジカルもメンタルも準備が整わなくて、うだうだして結局やめてしまうというパターンを何度も繰り返してきた。のと、とにかく6時台は尋常じゃなく寒い。ので、輪行で橿原神宮前まで行って、そこをスタート地点にすることに。


輪行中。こうやってむりやりスタート地点に体を持っていくと自然とテンションも高まる。


橿原神宮前。7:30に着いて、組み上げたり何なりで結局30分くらいかかる。8:00スタート。まだ尋常じゃなく寒い!30分くらい走っても全然体は暖まらないし外気温も上がらないし、これ大丈夫か?とちょっと不安になった。


一回目の休憩。奥に見えているのが金剛山あたりのはず。


和歌山線を横断。まばゆいブルー!


紀の川横断。ここから本格的に紀の川沿いライドと思うとテンションが一気にあがる。

紀の川沿いはサイクルラインになっていて、土手沿いに自転車道が整備されているところと、途切れて一般道に合流するところを繰り返しますが、分岐するところはブルーラインが現れるので走りやすかったです。しばらく走っていると、ブルーラインを意識するコツも掴めます。この日は最低気温が10℃を切るとかいう予報を覆して暖かめでよく晴れたので、サイクリストの方にもよく出会いました。和歌山に向かう人は少なかったように思いますが・・・こんな走りやすいど平坦ルートが近所にある紀の川エリアの人が羨ましいです。



和歌山駅。予定より30分弱遅かった。

娘と約束したみかんのお土産を探して、有田みかんゼリーと紀の川ブランドの不知火を買って紀州路快速へ。

GARMINのコースを頼りにしながら走るのも久しぶりで、予め作っておいたとは言え、実走時の実感と食い違ったりするとコースが信じられなくなるので止まって確認し直したりとか、今までだったらストレスにしかならなかったようなことも、「見たことのない場所を走る」ためと思うと一部始終全部楽しめる。すべてがフリーハンドで自由度持ってやれることなんてもう一生やってこない、やってこないからこそ、見たことのない景色を、知ることのなかった人を、一見相容れない考え方を求めて、そればかりを選り好んで走れ。例え、そんな走り方をするのが僕独りだけだとしても。

以下、箇条書き:

  • 富雄の超絶かっこいい自転車屋さんTRANSITでOHしてもらってBBをDuraに変えてもらった効果は絶大。ハブメンテもしてもらったんだけど、とにかく回る回る。ヌルヌル回るとはこのこと。これだけで随分楽に走れるようになったと思う。
  • やっぱり一度まとまった休憩を取った後が全然回らなくなる。20km/hになった区間があった。
  • 後半、55kmくらいのときに、左腰あたりがかなり痛くなって回しづらくなった。カメラを肩掛けしていた影響かも。もっと意識しなくていいようなポジションになるよう調整する。
  • 向かい風対応トレーニングをする。
  • 補給はもうちょっと積極的にやってもよかったかなと思う。やっぱり食べるものが難しい。76kmの間に食べたのは、おにぎり一個とシュークリーム一個とスポーツ羊羹2本。

コース:

独走会ランナバウト - 2017/01/29 TRANSIT - 奈良オーガニックマーケット - マルイチカフェ - TRANSIT

ひさしぶりのグループポタリングで体力の低下を激しく痛感。
毎度のことながらあてにならない週間予報に振り回され、行き先を決めきれないまま週末になり、「そう言えばTRANSITんとこの大将がポタリングのお誘い出してたっけな。大将誕生日だしおめでとう言えるしちょうどいいな。でもダートコースになったのかな。ダートならヤだな」と朝っぱらから迷惑メッセージを送ったところ、ロード参加でダート見送り、とのことで混ぜてもらうことに。  

行き先もルートも完全におまかせのライドは、役に立てないので申し訳ないという思いがありながらもとても楽チンでありがたい。今回いちばん思ったのは、よく道を知っていると、信号の極力ない道を選べるんだなーということ。ポタリングだとペースはそんなに大事じゃないかもしれないけど、比較的短時間だからこそ余計に停止を少なくしたほうが走れる時間が増えて楽しい。なので、地元の道はちゃんと把握に努めよう。自分で走るときはわかりやすい道しか考えないので、誰かと走るというのはこういうのがいいところです。  

奈良オーガニックマーケットでNAKAYAMA COFFEE。Organic SanPedro、香ばしさ満載でした。刺激じゃなくて広がり。 

マルイチカフェ。出発前に大将から「ホルモン定食がめっちゃうまいんだけど、ウェブサイトはもちろん電話もわからないので今日やってるかどうかもわからない」と聞かされてたんだけど幸運に恵まれ食べることができました。もう一皿全然食べられるくらいうまかったです。 

ウィルキンソン(辛口)飲んで和み十分エレルギー充填十分、12時も過ぎちゃったのでTRANSITの開店に間に合うよう急いで帰りましょう、なのですが…なぜか西大寺あたりまでで千切れてしまってました。もう全然ついていけん。マルイチカフェまで20kmくらいだし、休憩十分だし、なんであんなに心拍が持たなかったのか全然わかりません。が、なんとなく、最近の傾向で、一度まとまって休んだ後、どうにも足が回らなくなっている気がする。これはリカバリ能力が著しく低いということなのか…。何をどうやって鍛えたらいいのか、どう考えても長時間乗るしか鍛えようがない気がするしそれはもう絶対無理なことなのですが、悩ましいけどちょっと調べてみよう。

独走会 2016/12/23 津 95.6km

荒野を走れ。どこまでも。「今日しかない」と「明日もある」の狭間で。

今年の走り収め、家族に時間を貰って100km走を計画。いろいろなプランを考えたものの、シンプルに163号で津を目指すという、走りなれた旅程で。コンスタントに長距離を走らなくなって久しいし、練習もしていないし、まして先々月肺炎で入院しているし、不安要素が多々あるのでコースは不安要素のないものを。

ところが走り出してすぐ、空気圧チェックをしてなかったことを思い出し、連鎖でサドルバッグに替えチューブを入れたかどうかも不安になる。だけど、少々の不安要素でぐらついていられない、準備は怠ってはいけないけれど必ずしも100%出来る訳ではないから突発事項にも対処しないと、と開き直り、ぐいぐいと走り続ける。手抜きではなく無鉄砲でもなく、この心境に至るまでに費やした時間は嘘ではないと思う。

今回はとにかく52km地点の伊賀上野から70km地点の長野トンネル入り口までの18kmが辛かった。以前、同じルートを走った際はこの区間は快適に走れたという記憶があって油断していた。この区間、ずっと登りとは言え平均斜度3%程度の緩いものなのに、18kmを1時間かかってる。全体を30kmずつに分けるとだいたい同じペースで走れていたのだけど、この区間は数字以上に辛かった。18kmで都合2回足を止めてる。心拍が苦しいとか足が痛いとかではなく、とにかく回したくなくなる、足が。ギアは軽くしているので足に負担はほとんどないんだけど、10数回回すだけで回すことが気持ち悪くなって足が止まってしまう。走りながら、寒さが足に与える影響というものに初めて思い至った。

計画より1時間遅い、約6時間で津着。ただ100kmを走りたかっただけなので、道中の観光も、目的地でも観光も何もなし。写真もほとんど撮らず。7時過ぎに出発したときは「今日は久し振りの長距離だし、無理に新しいルートを選ぶよりも100km安心して走ることに重点を置いて、新しい長距離ルートを走る機会はまた必ずあるから」と気持ちを整理し、走っている最中は「せっかくもらった今日という時間を満喫させてもらわないと。中途半端に切り上げて早く帰ってもそれは意味のないこと、やりきろう」と気持ちを強くし、でも頭の通底では「もう十分やりたいことをさせてもらった、次はいつ走れるかなんてあんまり思わない」という心境にもなり。この二律背反にもがき苦しんだ先に、きっと本当に時間を大切にできるスタンスが待ち構えているに違いない。おみやげには、三重と言えばの赤福でもベビースターでも井村屋でもなく、津に通っていた学生時代にも食べたことのないなが餅を、津駅のファミマで。

箇条書き:

  • 伊賀上野-長野峠間はとにかく寒かった。天気も風向きも目まぐるしく変わるコンディションで、高地はやっぱり冷えるので、それだけで足が言うことを聞かなくなることがよくわかった。膝が痛むし、長野峠を抜けた後、ペダリングは回復しても何度か太ももや膝裏が痙攣した。今はタイツだけど、冬用のパンツをどうするか考え直さないといけないかも。
  • 伊賀上野に到着する数km前からやたらとお腹が空いた。笠置で白むすび半分食べたのだけど、お腹は空くし眠たくなるし、多分若干ハンガーノックだったのかも。伊賀上野でコンビニでスイーツ等々で補給したけど、その後の体調とペースを考えると遅かったのかもしれない。
  • 相変わらず平地が遅い。これはバランス感覚の無さが大きいと思う。それ向けの練習をしたい。
  • 疲れてくるとポジションが決まらないのはそういうものなのかも知れないけど、それでもちょっとポジションを見直さないといけないかも。
  • 財布の着用方法を見直す。バックポケット付きのウィンドブレーカーがほしいけどそれは贅沢。
  • リアライトの電池を入れ替えること。