共走会 220108 宝山寺 7.51km/263m elev.gain

弱くなった。

これまでライドはソロライド。それは、誰かと予定をあわせてライドするというのはなかなか難しいので、その楽しみを求めてしまうとなかなかできないことでフラストレーションが溜まるだろうという予測と、元来群れる・つるむのが苦手なので。群れるのが苦手というのは人が嫌いとか友達が要らないとかそういうことじゃない。ライドは楽しむものだから、本当はグループライドするのを「群れる」「つるむ」とは思ってない。子どもの頃から運動が苦手で嫌いで、ロードバイクもトレーニングしてもなかなか上達しないから、グループライドするにしても走れる人たちについていけない、だから走れる人たちについていけるように日々走りを積み重ねるという、「集団を楽しむためにはまず個々が自立し自律していないといけない」という自分の哲学を身体に行き渡らせる感覚で、ソロライドに拘ってきた。ライドにはパンクや転倒、ハンガーノック、その他様々なトラブルがつきまとう。それらのトラブルに自分自身で対処できないとグループで走ったときトラブル時迷惑をかけるし、トラブルに遭った同行者を手助けすることもできない。自立し、自律するために独りで走る。

その感覚が急速に変転していったのが2021年後半だった。まずライドしたいという思いが薄くなっていった。これはライドに限らず、いろんな「楽しみ」に対する湧き上がる何かが明らかに減少していた。年齢からくるものだというのは明らかだった。若い頃には何かに対する興味や好奇心や面白がる気持ちというのは、もっとちょっとしたことで湧いてきた。アドレナリンか何か知らないけれど、そういうものが減っているというはっきりとした感覚があった。ライドしようと準備していても、当日になると「なんかめんどうだな、やめようか」と、なる。

明らかに弱くなったのだと思う。弱くなった自分を認めることが成長だと考えているのではない。弱いと自覚することが強さなのだというよくある言い回しを使いたい訳でもない。自立し、自律する自分の哲学は変わらないけれど、「自立とは依存先を増やすこと」という熊谷晋一郎氏の言葉を、頭で理解するだけではなくて、腹の底からその言葉を希求するところまで来たのだと思う。安易に寄りかかることを良しとしないから独走を好んで、その自分を踏まえた上で、人から刺激をもらいたい、という意味で依存先を増やしたい、そのスタンスをとっても「甘え」にならない自信が持てるところまで来たのだと思う。

そして今回、以前ライドに誘って頂いたことのある塚本さんにお願いして、一緒に宝山寺までのクライムにお付き合い頂いた。塚本さんと走る、という予定が、朝起きた自分にライドのスイッチを入れてくれる。年末、3度も足をついてしまったので不安もあったけれど、塚本さんと声掛けながら無事完走。風のない冬晴れの八時台、宝山寺は朝日が綺麗に照らす絶好の時間帯。お勤めもこの時間帯にされていて、参拝も気持ちの良い清々しいものに。

感覚が変転していった2021年後半から、それと同時にいろんな人に出会いいろんな人を頼りいろんな人に再会しいろんな人に助けられることが本当に重なった。もちろん家族にも。幸運だ、ツイている、とも思うし、自分が人から刺激をもらいたい助けをほしいとオープンマインドになっていたからだとも思う。自分が最も大切にしているインテグリティを貫いたまま、このステップに来れたことを素直によかったと思う。塚本さんに心から感謝です。

独走会 211128 暗峠 15.11km/500m elev.gain

"流れを変えてやろう"
("THE GAMBLER"/B'z)

思えば今日は出足からおかしかった。

玄関でシューズ履いてブーティ履いてメットを被ろうとしたときに、サングラスをリビングに忘れてきたことに気がついたり。

まず宝山寺まで、と登り始めたものの、まさかの3回も足をついてしまい、確かにこの1ヶ月強ローラーも全然乗ってなかったけどそこまで衰えるか...と「観光生駒」の脇でショックを受けながら何気に見たらリアがブレーキシューに当たってたり。そう言えば、アップの軽い登りのときにフォン、フォン、って言ってたな…なんで気が付かなかったのか…

暗峠登る気なくなってたのに、気づいてしまうと「登れるんじゃないか」となってしまうのは仕方ない。足をついてしまったのは心拍がしんどいというより勾配がきつくて踏み切れなかった、という感じ。

登りきって写真撮って、むしろ登るより難儀な下りを頑張って、さあ次は下調べしておいたラーメン屋へ…と168号を南下していたら突然「バキバキ」という大きな音とともにリアが何かを踏んだ感じ。「なんだ今の?」と思って振り返ると同時にリアに違和感。

「やられた…」

チューブレス乗車3回目にしてパンク。完全に裂けてた。

いちおうチューブ持ってはいるけど、完全に裂けてるのでたぶん無駄。と判断し、幸い駅近な場所だったので、念の為輪行袋も持っていたし、早々に撤収。

参ったーと思ったものの、まあそんなこともあるだろうし、怪我もせず駅近ですんなり帰れてよかった、と帰宅し着替えと片付けを済ませ、お昼を買いに行こうとインスタ見たらお気に入りのMother Beansの本日のカレーが今までタイミングあわなかった「豚バラとセロリのキーマカレー」!!ツイてる!!と家を出たら、たけまるホールでなんとお世話になってる植田ボスに声かけられる!忘年会の話とか、立ち話させてもらって、いざMother Beansについたら、ちょうどディカフェ切らしてたところにNAKAYAMA COFFEEのディカフェが!!

パンクの投稿とご覧になった塚本さんも「レスキューしましょうか?」とメッセージくださったり、ほんとに僕は恵まれてるなあと思ったし、パンクって出来事あったけど、それによってこんなにたくさんツイてることがあったし交流もできたし、よかったよかったと思った日曜だった。

恒例の箇条書き:

  • さすがに宝山寺まで登れなくなるほど衰えてはなかったようだけど、ちゃんとトレーニングしてた期間中は成果を実感できていなかったけど、やっぱりやっていることはやっているだけのことがあるのだと実感した。無駄ではない。
  • チューブレスのパンク対応、改めて調べておこう。インフレーターは買おうと思ってたけど、あんなふうに裂けたらどうしたらいいのかわからない。あれが電車走ってないところだったらどうしたか…
  • 左がクランクに擦る。どうもクリートを交換したときに位置をミスしてる。要調整。
  • 走ってない分、確実に体が弛んでる…練習プランを考える。朝は今はちょっとできないし…体が固くなってるので前傾もうまく取れない。ウェアもちょっとキツかった気がする。
  • 要交換が来そうなアイテム:輪行袋、ブーティ


独走会 210828 石舞台 83.93km/560m elev.gain

”どれだけ先まで手帳に書いてるの"
("DIVE"/B'z)

夏の締め括りに、曖昧なプランでライド。西も東も北もどこもかしこも緊急事態宣言で、帰り輪行はおろかそこへ行くのもちょっと憚られる気がして、じゃあ県内自走でと思うものの程よい距離の目的地は思いつくのは結構最近やっちゃったので、なんとなく、前からちょっと気になってた明神山を登って、その後ケニーの追悼に石舞台に向かおうかな、というくらいで。

明神山は、自転車で登っている人のブログなんかをネットで下調べしていったものの、入り口に「自転車禁止」が掲げられていてあえなく断念。まあ問題ないんだろうけど、僕はだいたいこういうルールを無視するとよくない結果に転がる星の下に生まれているので自重。入り口に来るまでに住宅地特有のアップダウンをまずまず熟さされてたのでおとなしく撤収。

行きの石舞台まではほんとにルートをまったく決めていかなかったので、自転車道も使わず、その場その場で判断。大まかには明神山から単純に南下して166に出て東進、なんだけど存外迷わず快適に走れたり。

逆に帰りは安全策で橿原からいつもの自転車道で北進、だったつもりが思わぬところで迷ってループしたり。後半は相変わらず足は辛かったけど、そういう無駄足を食っても気持ちはフラットで、イライラもやる気を失いもしなかった。プランも大事だし、ノープランも大事。

振り返り:

  • 親しくさせて頂いていた方が既に記憶の中の人というのを思い出す度に沈むのは変えられない。あの人も、あの人も、と思い始め暫く戻れないが、この感覚に慣れることがない自分は大丈夫だと思いたい。
  • ストップ&ゴーが多かったので時間は長いけど、巡航はだいたいどんなルートでも変わらない。
  • 疲労度、はさほどでもなかったけど、帰りは風に苦しんだ。
  • 負荷が軽いルートというのとそんな距離でもないというのでちょっと安易に考えてたか、後半、水分補給が甘かった事に気づいた。麦茶がやっぱりいい。

独走会 210807 布目ダム 77.38km/1,556m elev.gain

"精神のリミッター みなのうなしてしまえよ"
("愛なき道"/稲葉浩志)

もはや恒例というか、感染拡大で県を跨いだ移動が憚られ、京都と滋賀にはまん延防止措置、おまけに風は東風5m、県の南側はさすがに直近3回行ってて飽き気味なので、久しぶりに布目ダム周回に。

前回の津行きの朝と違い体調は懸念なし、ただ最近すぐに心拍がマックスに達して苦しくなる感じで、これは暑さも関係あるだろうと、とにかく心拍が上がらないように、登りで無理をしないように、少しでも心拍がキツいようなら迷わずペースを落とす、というのを意識して柳生から布目ダムに。

布目ダムで記念撮影休憩のあと、水間トンネルに向けてまた登り。意識して抑えていたのでペースは遅いと思いつつ、走り終えてみて辛かった記憶はやっぱり全然ない。呼吸も気をつけていたし、意識して心拍が上がらないように、心臓を安定的に保つようにしていたのが効果があったのだと思う。過去の布目ダム周回と比べてみたらペースも遜色なく、むしろ若干早くなっていたので、登り方としてはこのほうがよいのだろう。

心拍を一定にするというのは思わぬ気づきだった。これはわかっていたようでわかっていなかった、日常生活にも仕事にも活きる。エモーショナルであることが現代では必要なことと思っていたが、感情的ということとエモーショナルということは違う。心拍を一定にしつつエモーショナルというのは、浅い考えだと「演技」になってしまうがそうではない。なぜ心拍が一定のほうが効果があるように思えたのか?それは自分のアクトに対するフィードバックを確実に受け取れるからということと、エモーショナルを適切に表現できるからだ。離見の見。自分に取って不快で受け入れがたく、かつ自分に理がある状況であっても、心拍は一定に対応する。これは思わぬ気付きだった。

自分は若干ナイーブで、何かに没頭すると極みに行き着いたときに破綻してしまう嫌いがあり、ずっとそれにはブレーキを掛けてきたが、リミッターを外しても破綻しない、破綻の衝動をうまく使いこなせるところにたどり着きつつある実感がある。それは目線を上げたこととも少し関係していると思う。そして呼吸を保ち心拍を一定にするというのは、イメージだけではなくフィジカルにおいても日常生活に仕事に役立つ気づきだった。

以下箇条書き:

  • 補給戦略が成功したと思う。少しずつ飲んでいると大量に飲まなくて済む。
  • 過去、完全に気持ちが切れたことのあるポイントも冷静に通過できた。
  • 昼食を食べてからはやっぱりちょっとペースが落ちた。食べてすぐ走るのはよくない。
  • 平地での速度低下課題に関しては、ケイデンス80は問題ないので、ギアに対する脚力の問題。

独走会 210722 津 110.08km/1,069m elev.gain

"ためらうことなど何もないよ今更"
("Brotherhood"/B'z)

家族が「夏休み気分を味わっておいで」と一泊ライドを計画させてくれ、一泊して早朝帰宅するプランで検討した結果、宿泊先を津に。いちばんの理由は近鉄特急で最初から最後まで帰れるという感染対策面。それから暑さを考えると慣れたルートが安全だということ。そして、やっぱり折りに触れ三重の地で感情を満たしたいこと。

津はどんなにペースが悪くても帰り輪行なら十分日帰りできる行き先だけど、今回は一泊でなかったら走らなかったかもという感じで調子が悪かった。163の大河原の先の登りで足をついてしまったし、大山田あたりからの緩い上りルートもいつもより更に全然回らなかった。そして途中、軽装のサイクリストに悠々パスされたんだけど、なぜかそこでスイッチが切り替わって、追いつくことはできなかったけれど急に楽に走れるようになった。

自分の世界観と、会社の世界観とが掛け離れていてしんどくなることはもちろん多々ある。ビジネス界における知識不足や、会社内での無言のセオリーの把握不足でやさぐれそうになることも多々ある。一言で言ってしまえば青臭いということで、青臭さを抑えることが成功の道だと長い間勘違いしていたことに気がついた。これは素質であり、自分にしかやれないこと。そして、これこそが課題だった、協力し協力を求める動きは身についてきた。正論は貫き通すためにあるし、貫ける時代になってきたことを肌で感じる。リミッターは外しても大丈夫。

行き先で一泊して、ゆっくり晩ごはん食べて寝て帰れるというのはツーリングの楽しさのひとつと心から感じた。でもこれは度々やりたいと思ってはいけない。たまに、それこそご褒美的にというのがよく似合うと思う。今回は津について、時間はたっぷりあったのに、チェックインできる15:00までの間の時間をどう潰すかにさえ手こずったくらい疲れていたので体調は若干よくなかったんだと走り終わっても思った。それでも、学生時代を過ごした津を少し流して回るだけで、自分が見ていた世界がいかに近視眼だったか、もっと高いところを上を見ようと、そして自分の思想を貫いていこうと思いを新たにできた、家族がくれた貴重な夏休みだった。

独走会 210523 龍王ヶ渕 103.38km/1,066m elev.gain

"There is no turning back"
("GO FOR IT,BABY" / B'z)

県外に出るルートというのがなんとはなしに躊躇われる日々なので、県内で走って楽しそうなルートを走るのも3回目。自転車道を使って南下してからクライムを熟して帰ってくる、というのが思いの外いい感じ。自転車道は橿原まで片道1時間前後、この1時間がもったいないと以前は思ってたけど、今はちょうどいいウォームアップ・クールダウンになるというか、帰りはもちろんしんどいんだけどほんとにちょうどいいルートだと思う。

龍王ヶ渕は奈良県人の中ではまずまず知られているんじゃないかと思う、別世界の景色が広がる場所。写真好きの人が多くネットに写真をアップしているのを観て、写真の撮り方・表現もあるんだろうなとぼんやり思っていたけど実物は写真通りの別世界でした。私がスマホでなにげに写真撮っても水面にばっちり映り込む木々。それなりに観光に訪れている人がいるのに静寂。橿原から165経由でクライムして行った甲斐ありました。

これで良かったのかなあと思うことは毎日、不安に支配されてしまうけれど、たまに湧き上がってくる挑戦心を逃さず捕まえて前に前に進んでいく。There is no turning back.

以下箇条書き:

  • 165の榛原までの登りが自分の記憶と全然違ってきつかった。
  • 橿原まで帰ってきてお昼食べるのが面倒になってそのまま走り続けたけど、あれはあんまりよくなかった。
  • 往復自走に随分慣れてきた。

独走会 210504 談山神社 83.18km/838m elev.gain

"We took the fastest lane, keep following, you're good to go"
("Pathfinder"/PUFFY)


両親の体調が優れず、仕事は何かと忙しく、挙げ句自分も若干体調を落とした上に天候にも恵まれず、一応予定はしたものの走る気になるかどうかいつも以上に怪しいと思いながら連休を過ごしてた。予定の前日両親の様子を見に実家に帰り、いつもよりは多少思うところを話し合っていつもより少し深い時間を過ごした帰りの車中でfm802が「誰の歌う”強い気持ち・強い愛”やねんこれ」と思ったら氣志團だったという目が点になる一曲の後に無造作に聴こえてきた曲紹介ーPUFFY/Pathfinder、とそのエモいイントロに連続攻撃を食らった。25周年記念のPUFFY、そのタイトルにPathfinderというセンス、そしてプロデュースが紹介されていたので納得のエモさ全開のイントロからの曲展開、その挙げ句ーフル英詞!コロンビアとのタイアップというのも含めて、何もかも狙い澄ました「様式美」でありながら、それでも感情を捉えられる。走るかどうかを逡巡している僕に"Pathfinder"はガツンときた。

そんなにきついルートを取るつもりはなかった。でも多少は目新しいルートも走りたかった。ちょうどいい距離ちょうどいい負荷を考えて、桜井側から談山神社を登る、というつもりだけ決めた。談山神社への登りルートへの右折以外は迷うことのないルート。だからGARMINにルートもコピーしておかなかった。

竜田川-大和川越えあたり、"Pathfinder"が頭の中をループする。なぜかわからないが両親の過去の苦労がフラッシュバックする。気安く過ごせばいいと語ってもその言葉は全く届かない次元に行ってしまっている両親。感謝もうまく伝えられない無力感。涙。何度も走ったコースなのにルートを間違える。けれど"Pathfinder"はループし響き続ける。Which way do we go? このルートの間違いなんて大したことじゃない。大和川の堤防はすぐそこに見えている。路地が行き止まりでもやり直せばいい。

桜井側から多武峰への登りも曲がるポイントだけ抑えていただけで、どのくらいの斜度がどれくらい続くか全く下調べしなかった。ときどき出る標識で、談山神社まであと何kmか把握する。道はわかっている。どんな斜度が来ても止める気には全くならない。本当に全く止める気にはならなかった。

準備と計画は何にも増して大事だと思っていた。それは正しいことだと思う。だから道にも拘ってきた。どんな道があるのか。誰が走った道なのか。自分が走りたい道なのか。誰かに迷惑をかけない道なのか。家族を守れる道なのか。誰かがつくってくれた道を走るのではなく、自分で道を切り開くことが上等だと思っていた。だから自分の後に道ができるという響きに最もうっとりしたりしていた。自分はそれができていないまま、なんとなく幸運のもとにここまで無事やってこれた、自分の両親はそんな幸運な下ではなく、苦しい日々の連続を乗り越えてやってきてくれた、それに負い目を感じていた。

違うのだ。目の前に道があることも、自分の後ろに道ができることも、大した問題じゃなかったのだ。その道が正しいのか間違っているのかも。今、この瞬間この瞬間、道を探し続けて生きること、Pathfinderであること、それが今を生きるということだったのだ。

箇条書き:
  • 飛鳥川沿いは、路面は悪いけれども本当に快適に走れる。信号がないということが自転車にとっては最高の条件。そして単調なはずなのにあそこを走っている間はなぜかうんざり感がない。
  • 自走ルートを続けてきて思ったのは、帰路は距離感がわかっている分、実は頭が疲れないから最後まで回しきれているんじゃないか?ということ。見知らぬ土地がゴールだと、残距離はわかっても、コースアウトしないかとか、考えないといけないことがたくさんあって頭が疲れて疲労につながっている気がする。
  • ウェアは難しかった。半袖+ウィンドブレーカーでもよかったかも。
  • 余白は絶対条件。

独走会 210418 長谷寺 86.21km/1,032m elev.gain

"どしゃ振りでも心配事があっても絶好調だと言い放つよ"
("NO EXCUSE"/B'z)

ここしばらく帰り輪行の行きっぱなしツーリングをしていないので、同じ時間走るならできるだけ遠くへ行きたいという欲が薄れてきた。輪行を組み入れないのはもちろんコロナ禍の影響。電車に乗ることが即NGではないにしてもどうしても気が引けるのは事実。それで4月上旬、吉野の桜を観に行くつもりをしていたのが都合で行けなくなり、ならばどうしても花を観たいということで選んだ目的地が牡丹が見頃を迎えつつある、と記されていた長谷寺。

長谷寺は今から8年前、TRANSITの向井さんとYANAGIMOTO STANDのヤッさんと行ったことがあり、長谷寺までは普通に走れたけどその後北上していった途中でバテて完全に足が止まった記憶があり、イヤなイメージしか湧いてこないけれど敢えてそのルートを想定。天理ダムに抜けるコース。楽勝ではなかったけれど辛いという感覚も記憶も全然ない。あんまり上達しないなと思いながら約10年、多少は進歩しているのかも。

両親とも体調が優れず、気休めに長谷寺のお守りを渡しに実家に寄り、帰ろうとしたらどしゃ降り。天気予報より1時間くらい早く降り出した感じだった。ここまで結構計算通りで来たのにな…と思いながら止む気配もないのでどしゃ降りのなか帰路へ。思いの外ブレーキが効かなくなることがわかったので、コントロールできる範囲のスピードで慎重に。そういう心配事はいくらあっても絶好調だと言い放つスタイルで全然OKだけど、家族の健康の心配事をどう扱うかはなかなかに難しい。でもそれがパフォーマンスに影響しないようにするために、公言するというのはつまり絶好調だとい言い放つということに近しいと思うので、常に全力を尽くすように心がけるというのがその精神ということだ。

以下箇条書き:

  • 左のクリートがずれている。
  • 登り累計1,000mくらいまでなら、トータルであまり疲労がたまらないかも。
  • リアのブレーキシュー交換。
  • ウェアが難しかった。特に今日は寒の戻りというか寒かった。


独走会 210307 月ヶ瀬 93.27km/1,775m elev.gain

"僅かな月日で積み上げた
 幻を後生大事に拝むのはもうやめた"
("Wonderful Opportunity"/B'z)

久しぶりのロングライド、天気もよさそうだし、行き先は見頃の月ヶ瀬梅林で早々に決定。ルートも少しでも負担の軽いルートということで復路をあまり好きではない163号に設定。在宅勤務の副産物でローラーの回数が増えて少しはよく走れるようになった気はするけれど、10年やってこれだからもう人並みに走れるようになりたいなんて思いは捨てた。巡航23km/hのままで構わない。自分のペースで、できるだけ最後まで疲れないように、気持ちよく走れるようにセーブしながらセーブしながら走ることに決めた。

僕はどちらかというと聞き手タイプの人間だ。人の話を聞くのが好きで、逆にこちらから何かを話そうとしても遮って話を続けられることが多い。勢いいろんな意見を取り込むし、その結果ポストモダニズムの相対主義の罠に落ちたような状態になることも多々あった。自分の思いを通すよりも、相手がどうしたいかを理解してそこに作用していくほうが早い。そうやっているうちにあちらとこちらの矛盾を許せないが故に身動きがとれなくなっていたことに初めて気がついた。僕はフォーマットを重要視するタイプだが、それぞれの相手に対して満点のフォーマットを心がけ続けた結果、いつも満点が取れないことに、それはあたり前のことなのに疲弊していることに気がついた。

相手が罵倒のフォーマットならこちらも罵倒すればよい。目には目をは下劣な考え方だがそういうことではない。こちらの疑問を、相手の意見を尊重するほうが「楽」だからと潰してしまうのは手抜きだということだ。そこで物を申した結果失うものがあるような気がしていたが、その幻を後生大事に拝むのはもうやめた。そもそも、僅かな時間だったのだ。

もちろんトレーニングは大事だ。上を目指すスタンスも大事だ。でもそれは一体何のためにやっているのか?それが一番大事だ。何も悪いことをせずに善良に生きていてもうまくいかないことはあって、そんなときでも考え抜いてやっていくのも、信仰を頼りにするのも、どちらもあってよいことだ。100km弱を走り終えて帰宅したのは出発から6時間後、梅林やダムやで写真を撮りながら走ったにしては悪くないタイムだったし、それほど疲れてもいなかった。

以下箇条書き:

  • シフトワイヤーの調整。
  • 今まで、「疲れたときのリカバリ」にばかり意識を置いていたが、今日は最初からエネルギー系を摂取して、かつ、序盤も抑え気味で走った。復路の木津あたりが足の付根が気持ち悪くなって回したくなくなるいつもの状態になったものの、全体のペースはよかった。
  • 言えばいい。

独走会 201228 大戸川・信楽 114.3km/1,631m elev.gain

"これは一生の何分の一なのかなんて
よくできた腕時計で計るもんじゃない"
("RUN"/B'z)

2020年は、どれだけ平静を心がけても不安の浸潤から逃れられていなかった一年だった。父母の病気、言うまでもなくコロナ禍、それに伴う家族の状況とビジネス環境、己の置かれた立場、どんなに頑張っても、どんなに頑張れているつもりでも、振り返れば四六時中ささくれだっていた一年だった。そのささくれを宥めるものがこれだと思い定めても思い定めた途端倦んでいた。あるいは思い定めようとする時点で間違っていたのだと思う。低次元なところではロードバイクもその一つに違いなかった。

そしてこのライドから帰って1日経った30日からの、不安の極みのような日々を過ごした後なので、このライドの最中の気分はほとんど忘れている。時間の関係とコロナの関係で帰り輪行プランは避け、自走で100km以上走りたいということで、いつもの大津ルートで瀬田川まで出てそこから大戸川沿いに信楽まで、信楽から木津信楽線で帰ってくる、というコース、いつもの大津ルートは快調で疲れも全然感じなかったものの、大戸川沿いの登りで辛くはなかったものの足を削ってしまったらしく、信楽から木津信楽線の下りもろくに回せなかったという不甲斐ない感想が最初にかたまりとして出てくる。あの木津信楽線はほんとに回せなくてきつかったけど、それ以外のどのシーンも、最後の163の登りとかも、回らないなりに楽しいという気分を思い出すのでいいライドだったと思う。

大戸川沿いを走っている際、「朝宮」と書かれた標識と、その標識の直ぐ側から川側に此方側に向かって降りていく鳥居の連なりが気になったのだけれど、まずまず快調に走れているのと、その15分くらい前に休憩したばかりだったのとでそのまま通過のが気になってgoogleストリートビューで調べてみたら、そこは「九頭弁財天八大龍王」というかなりの珍しさの神社だった。相当の金運をもたらす神社のよう。それを知って「参ったらよかった」と悔やむのは、ついで参りより不埒な気もするし、「参ったらよかった」と素直に思うことが健全な振る舞いのようにも思うし、「今度参りに行こう」と思うことも浅ましいようにも根源的なようにも思う。不安に攻め込まれている中で、できる限りのことを突き詰めて考えるのは摩耗、たまにはそれすらも手を抜いたほうがいいかも知れない、手を抜くためにはその「退屈」と手を取り合うことが必要。過ぎたるは猶及ばざるが如し、効率化を極めるためには退屈とも共存が必要なのだ。いつかのロングライドで、「敵は退屈だった」と悟ったように。

以下、箇条書き:

  • ビンディングが甘くなっているので直す。
  • 距離は昔より伸びてはいるものの、今は70kmくらいで一旦完全に足が枯れる。ビワイチでは枯れなかったので、やっぱり登りに弱いということだと思う。
  • 朝9:30出発、これくらいの時間だと最初からやる気テンションで出れる。
  • ディープウィンタータイツでも足が冷える。足が冷えているのか足を使いすぎているのかの判断もできなかった。
  • 補給は1時間おきにしているけど、100km走るときはやっぱりお昼はちゃんと食べないといけないのかも。