『聖☆おにいさん(6)』/中村光

4063729621 聖☆おにいさん(6) (モーニングKC)
中村 光
講談社  2010-12-24

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楽しみにしてた新刊!さっそくジュンクで買ってきて読みました。
相変わらずおもしろいけど、読み終えた直後の感想は「ちょっとパワー不足かな~」。

なんでかな?ともっかいパラパラめくってみたら、全部で7話なんだけど、そのうち、「アスリート達の蹉跌」というよくわからない天部独特のスポーツ(ハリポタのアレみたいな)の話、「コミックスで大わらわ」という漫画界の話という、日常的じゃない話が2つ入ってるからかな。聖☆おにいさんのおもろいのって、立川っていうなんかふつうっぽいとこでふつうじゃない二人がふつうのことしてるってとこなんで、特殊な舞台に行かれると、特殊に追いつくのに頭がいっぱいになっちゃう。漫画界の話は漫画好きの人にとってはふつうのことなんだろうけどね。

「いたいけビーチボーイズ」の愛子ちゃんのぶっちぎりっぷりがいちばんおもしろい!

『BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号』

B004ETEOGO BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]
マガジンハウス  2010-12-15

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今、僕は完全に自分の生き方に迷っている。悩んでいる。狭くは勤めている会社でのロールについて、いったいどこまで研鑽するべきなんだろうかという問題点から、広くはこの先この職業のままでいいのだろうか?大丈夫なんだろうか?という問題点。身につけた価値観は容易に消し去ることができず、他人と比べては見劣りするとか馬鹿にされていそうだとかいう感情の周りをぐるぐる回っている。金を稼がなければならない、出世しなければならない、ステータスを身につけなければならない。そんなの大切なことじゃないという人も、少し気を緩めると、身につけている時計や乗っている車でこちらのことを判断しようとしたりする。それらの物差しを全く気にすることなく、自分が心血を注ぎたいということにピントを絞ることなんて、できるのだろうか?

直前に読んだ『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』でBRUTUSの記事をさんざん馬鹿にした文章があり、BRUTUSそのものを「底の浅い雑誌」と決めつけそうになったけど、これは買ってよかったし読んでよかった。とりあえず読んだのは「正義と個人」「お金と幸福」「現代と仏教」「マネジメント」「今読む哲学」「つながり」だけど、どの章にも現れてくるのが、「短時間で得ようとすることの否定的な面」だ。お金を儲けるにしても、どれだけ効率的かということしか考慮されない。儲ける行為自体には何の価値判断もおかれない。その状況に対して「それは当然おかしいだろう」と声を出せるようになったことが、これまでと劇的に違うところだと思う。ほんのすこし前まで、それらはすべて「本人のやる気の問題」に還元されていた。

あれほど「余計なことはしすぎるほうがいい」と思っていても、結局僕も効率化の波に巻き込まれていた。自分の今の苦境は、効率性至上主義に自分を合わせ過ぎた当然の帰結だと思う。じゃあ非効率であれやりたいと思ったことをどうやってやればいいのか?その問題を考える前に、「とにかく効率性至上主義ではダメだ」とはっきり声を出す人が増えたこと。それがいちばん大きなことだと思う。

『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』/西野佳哲

4335551428 みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
西村佳哲
弘文堂  2010-12-01

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2010/1/9-11の3日間、奈良県立図書情報館で行われた「自分の仕事を考える3日間Ⅱ」にゲストとして登場した8人の方へのインタビュー。

来月1月の「自分の仕事を考える3日間Ⅲ」に参加するので、予習と思って購入。

予想以上に凄まじい影響力を持ってる本でした。今、というかここしばらく、僕は自分の仕事やキャリアや人生に逡巡していて、ただ漫然と過ごしているだけではダメだし、だからといって何を目指して何をすればいいのか決めきれないという優柔不断の中で、何かのヒントを貰いたくて「自分の仕事を考える3日間Ⅲ」に申し込んだんだけど、この本自体も強烈なインパクトを持って自分の旨に迫ってくる。だいたい、仕事で一方ならぬ実績を上げている人のインタビューというのは、「こんな大変な苦労しました」というものか、「特別凄い能力を持ってる訳ではありません、日々こつこつ努力するのが大事です」というものかなんだけど、この本のゲスト8名はみな一様に、「自分の存在が許される理由ってなんなのか」を徹底的に考えた経験があると述べている。やっぱりそこを徹底的に考えることから逃れられないんだな、と腹を括る。それぞれのゲストの言葉も、「仕事から生きるエネルギーを貰わない」とか、一見、「働いて生きてゆく」という問いにあわないような言葉もあり、ぐいぐいひきつけられて一気に読んでしまう。

僕はどうしても仕事を経済軸で考えてしまうところがある。自分の充実感で、仕事を計れないところがある。それは、言い訳というか、経済軸でも成功を収める、一定以上の稼ぎを得ることが他人から認められることであって、それを抜きにして自分の充実感も何もないと考えているところがある。でも、この考え方からは早く脱皮しないといけない。この考え方は、長いものに巻かれて生きようとする、青二才の現実主義の考え方だ。若いうちはそれもアリかもしれないし、経済力で自分の虚栄心を満たすこともできるかもしれない。でもまず、自分の見栄を捨て去ることが必要だ。それがない限り、年齢相応の成長を遂げることもできないと思う。

友廣裕一
p16  お金ってけっこう関係性を切るんじゃないかって
→正解かどうかは問題でない 視点の問題
三島邦弘
p53 「そのままの自分でいい」なんて思わない
馬場正尊
p67 状況が必要としているものを考えて、その中で自分にできることを素直にやればいいんだ
土屋春代
p95 自分を好きでいたい。嫌いになりたくない。
→これは僕には一生無理だと思う
p96 「”いつか”はいつまでも来ないんだ」
向谷地生良
p113 困難な状況を変革してゆくのは、他でもない当事者
p118 精神障害というのは~
p121 「弱さ」を公開しあうことを、大切にしています
p128 この時に大事なのは、その仕事自体からエネルギーをもらわないこと
p132 自分が自立していく足場を持っているのは必要なことなんじゃないかな
江弘毅
p169 「しゃあない」という言葉は、あきらめとかそういうことではないです。一つの価値軸では判断しきれない時に、仲間と一緒に考え抜こうかっていう。折り合いの付け方のテクニカルタームやと思う」
p170 責任っていうのは、取るもんではなくて、全うするもんです
p175 高度情報化社会っていうのは、・・・容易に記号化したり、数値化できるものばかりを集めた社会のことだと思う
p178 結果さえ手に入れば、プロセスは要らなくなる
p181 BRUTUS特別編集2006
松木正
p200 自分の感情にあまり意識を向けていなかった
枝國栄一
p225 そこはもう、耐えましたよね
p226 一度でも妥協したらそこで気持ちが折れてしまう
p232 最悪なスタートやったけど、だから真似しかできなかっ

『傭兵代理店』/渡辺裕之

4396333595 傭兵代理店 (祥伝社文庫)
渡辺 裕之
祥伝社  2007-06

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昔から推理モノやサスペンスモノやSFモノは手を出さないので、読んでみたらと貸してくれる人がいるのはありがたいです。傭兵代理店というモノが日本に存在してるという突飛さ加減が目新しくて面白かったです。アクションものの映画を観ているよう。「傭兵」とはどういう存在なのかの知識を知れたのもよかった。
海外モノだと、こういった突飛な話の中にも、核となるテーマは国際問題だったりするけど、日本モノだと、道具立てとしては出てくるけどどっちかっていうと主人公の心情に焦点があたることが多いとはよく言われている通りかな。

p199「恐怖を克服できると思うのは、間違いだ。それができると思う奴は早死する」
p254「疑惑というものは一旦意識すると、まるで意志を持っているかのように成長し、所有者を底知れぬ苦悩の渦に埋もれさせる」
p396「おまえたちは、ベトナム、アフガニスタン、イラクと介入を続け、世界中に紛争を蔓延させた。」
p454「ここで焦って動いた方が先に死ぬ」

『クーデタ』/ジョン・アップダイク

4309709575 クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)
ジョン・アップダイク 池澤 夏樹
河出書房新社  2009-07-11

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アップダイクは初めて。村上春樹関連で名前が出てきたので読んでみようと。その名前が出てきた記事では、あんまり評価されてなかったんだけど。

まず読んでいてずっと思ったのは、エルレー大統領の親ソ加減。著されたのは1978年。その当時は、アメリカにも親ソの空気があったってことなんだろうか?日本の北朝鮮への集団移住は1959年。ヒッピーブームは1960年代~1970年代。ヒッピーと共産圏は関係ないようだけど、1972年生まれの僕にはイメージとしてどうしてもつながってしまう。「みんないっしょにしあわせに」という物事の考え方が根底にあるものは、形はなんであれ似通ってしまうんじゃないかと思うのだ。

文体がかなり慣れなかった。超絶技巧な文体で、説明は多く、ディティールも細やかで読んでて面白いのは間違いなんだけど、読み進めている途中で事態がぽつんと語られることが多くて、「え?いつのまにそうなってたの?」と巻戻って読むことが何度か。かなり集中力要します、僕のような頭の悪い人間には。

それと、解説を読んで、この『クーデター』はアップダイクの作品の中ではレアなケースというのを知ってまたびっくり。アップダイクの得意な分野は、エルレーが妻四人愛人一人との間で落ちぶれていく、ああいう様をメインに持ってきた小説らしく、もっと読んでみようと思った。

『ノルウェイの森』/村上春樹

4062748681 ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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406274869X ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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映画を観る前に再読しておこうと思っていて、本屋に入った際それを思い出したので文庫本を買った。『ノルウェイの森』は何かの折に(何か節目になるような出来事があった際や特にそういうことがなくて単に思いついた際)再読しているけど、毎回、「こんな話だったっけ?」という印象を抱いている気がする。それにしても今回は、僕の読書におけるグッドラックを、自分で思い込んでる気に入った言い方でいうとセレンディピティを、一生分とは言わないけれど数年分は注ぎ込んだようなタイミングで読めたんじゃないかと思う。なにしろ、本屋で買って読み始め、端役も端役だけど全然記憶になかったけど「奈良」が登場し、iTSでビートルズがダウンロード可能となる日が訪れ、そして読み終えた。僕個人的にはこれでもう十分。十分、『ノルウェイの森』は僕に生きる力をくれた。実際、会社の人がお土産にくれたラーメンを食べ過ぎ胃を壊した翌日から、微熱が続き何も食べられなくなりみるみるおかしくなって精神的にも完全におかしくなってしまった僕をたった10時間足らずの読書が引っ張り上げてしまったのだ。

「こんな話だったっけ?」という印象以外で、今回抱いた印象で最も大きかったのは、「こんなにわかりやすい小説だったっけ?」というもの。これは、僕が村上春樹の作品を読み続けてきて慣らされてきたからなのか、僕の読書の能力が向上したからなのか、物語を注意深く受け取る感覚が失われ、通り一遍の筋書しか頭に入らなくなったからなのか、その辺は自分自身ではわからない。けれど、自分自身としてはとてもよく理解できる小説に感じられた。例えば「全てが終ったあとで僕はどうしてキズキと寝なかったのかと訊いてみた。でもそんなことは訊くべきではなかったのだ。」の部分。そりゃもちろん聞くべきではないよ。今の僕はそう思うし、その理由もパッパッと頭の中にひらめくけれど、若い頃にこれを読んだときは全然違うこを考えていたと思う。できないことの理由を問うことから始まる問答を。「訊くべきではない」というのは、単に「どうして寝なかったのか」という原因を訊くだけが対象じゃない。「寝る」ことに関わる様々な意味が、そう簡単に説明できるようなものではそもそもないから。そんなところに考えを飛ばしていたはずだ。でも今の僕はもうちょっとクリアに「なぜ訊くべきではなかった」のか、思いを巡らすことができる。

なぜ38歳の僕がこの本を今、それも再読の再読で読んで、精神的に立ち直ることができたのかはよくわからない。普通に仕事はできるものの、仕事に行きたくないとまで思うくらい、ちょっと崖っぷちだった状況から、なんとか戻ってこれたのは、この本の力が多少はあると思ってる。確かに、この本を読んでる最中、自分を覆っている時間の殻のようなもの、どうしてもそこに留まることはできないのに少しの希望の欠片みたいのを見つけては留まれるような気になっている自分の殻のようなものが、二つに割れて自分から剥がれ落ち、残念だけれどそれは剥ぎ取って前に進むしかない、そういう感覚が現れたのだ。そうしてこの間に僕にとって現れた変化というのは、無暗に本を読む速度が上がったということだった。

『真綿荘の住人たち』/島本理生

4163289402 真綿荘の住人たち
島本 理生
文藝春秋  2010-02

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北海道の善良な少年・大和君が大学生になり上京してレトロな下宿・真綿荘に。その真綿荘に暮らす大家と下宿人の一筋縄じゃない恋愛と生活。

ラスト、読み終えて、「なぜ結婚じゃだめだったんだ?」と考え込んだ。ほんと、すぐには理解できなかった。「君には、対等じゃあ、ダメなんだろう」この晴雨の言葉が、結婚ではだめなんだということはわかるものの、なんでその代わりに、養子縁組をしないといけないのか。そんなものなくても、今まで通り内縁でいいじゃないか。まったく理解できないものを突然1ページで見せられて、ぽーんと放り投げられたような気分だった。

じっと考えてみて、ああなるほど、親子か、とようやく分かった。このラストがすぐには飲み込めなかった僕は、ほんとうに幸せで満たされた子供時代を過ごせたんだと思える。千鶴は、水商売を生業とし、男に寄りかかって生きている母親の自分への愛情が、それほど深いものではないということを、生まれたときから知っていたような人生。だから、16歳のとき、何も言わずまったくの自分の責任だけで自分を抱きにかかった晴雨に、それ以来一度も抱こうとはしない晴雨に、捉えられ続けてきたのだ。同じように高校時代に強姦された経験を持ち、直接的にはその強姦ではなく、それ以降の経験から、男と付き合えなくなった椿に、「自分を強姦した相手と何事もないように住み続けるなんて気持ちが悪い」と詰られようと、千鶴が動じない理由がそこにある。千鶴にとっては、晴雨はそういう存在だったのだ。晴雨自身も、自分のすべてを自分のものにしようとした母親の呪縛に悩まされ不能で生きてきて、その母親が病に倒れ晴雨のこともわからない状態を見て、「俺はもう誰の子供でもない」と呪縛から解かれる。この小説は、恋愛の動きそのものよりも、千鶴、晴雨、あと、同じ真綿荘の住人である鯨ちゃんと付き合うことになる同じ大学の荒野、この3人の生い立ち、親との関わりあいの過去を通じて、人が大人になるための、周りの大人の、「親」という存在の重要さを感じれるものだった。

もうひとつ、まったくもってまともな大和君が、振り回されるように恋に落ちる相手、絵麻の恋愛。彼女に言い放つまともな大和君の言葉が、使い古された言葉だけどとても気が利いている。絵麻の相手は言わば高踏だけど、そんな生き方をして「結果」がよくても仕方がないよな、と思った。

『「悪」と戦う」/高橋源一郎

4309019803 「悪」と戦う
高橋 源一郎
河出書房新社  2010-05-17

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なんて可愛くないと言い切られるミアちゃんが登場し、ミアちゃんのお母さんが”私は「悪」と戦っているのです!”と言い、そして大声で”わ!””た!””し!””は!””ミ!””ア!””を!””あ!””い!””し!””て!””る!”と叫ぶところまではわくわくしながら一気に読み進めた。そこから、ランちゃん(男の子)が「悪」と戦う夢とも現実ともつかない複数の戦いの話は、予想の範囲内というかなんというか。「何が”悪”なのか」を申し渡すことは自分以外の誰にもできない。だから自分の頭で考え抜いて生きていくしかない。そういう”説教の結論”じみたカンジは微塵もないけれど、だからと言って大人向けかと言われると違う気もするし、でも「使用済みのコンドームが」とかいう表現があるから、児童向けとはとても言えない。

僕はどうしても「言葉」「言語」に関するところで興味が膨らむので、「悪」と「言葉」がもうちょっと引っ張られてたら、頭の中をかき回されるような快感にもうちょっと長く浸れたのかな?この本を読みながら頭の中で歌っていたのはもちろんイエモンの『JAM』:

”あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
みんな昔子供だってね”
(『JAM』/THE YELLOW MONKEY)

「あ、これで十分じゃん」なんて言うほど、僕ももう子どもではありません。

p33「キイちゃんにいうみたいに、パパにもいって」
p105「下駄をはかせてもらった」
p111「ヴァルネラビリティ」
p112「じゃあ、みんな、『隙間』に落っこちたって、気づいてないんだ」
p176「シロクマが立っていた」
p199「(ランちゃん、あなたの仕事をするのよ!それが、どんな仕事だとしても。イッツ・ショー・タイム!)」
p279「わすれものって・・・いみわかんない・・・ぱぱ」

『ウェブ人間論』梅田望夫・平野啓一郎

4106101939 ウェブ人間論 (新潮新書)
梅田 望夫 平野 啓一郎
新潮社  2006-12-14

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発言からうかがえる平野啓一郎の感覚が、自分の感覚に近いものなのが何より驚きだった。もう少し、線を引いた考え方をする人という印象を持っていたので、昔気質と言っていい感覚を持ってることに驚いた。
「おわりに」に書かれている、”平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である””私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるがゆえ、変化とは不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える”というところと、「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うよ うになりました」との組み合わせが、僕にとってこの本の要諦だった。もちろん、平野啓一郎により共感している。どうしようもないからとそこから一歩退いて、楽に生きられて居心地のいい場所を見つけて、それを「いろんなやり方を身につけられた」と世界を広げたふうに言うのはクレバーではあっても成長はない。そこにある苦難を避けて通るための理由づけは、どんなに聞こえが良くっても言い訳にしかならない。ダメでもやってみるところにしか、幸せはやってこないのだ。

p24「80年代に活躍したいわゆるニューアカ世代の一部の人たちには、今でも、あらゆる情報に網羅的に通暁して、それを処理することが出来るというふうな幻想が垣間見える」
p39「ブログを書くことで、知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感」
p52「ハンナ・アレント」
p53「そういうナイーヴな、一種の功利主義的な人間観は、若い世代の、とりわけエリート層にはますます広まりつつあるんでしょう」
p77「アレントの分析(公的領域)」
p78「私的なことを公の場所に持ち込まないという日本人の古い美徳は、今や単に社会全体の効率的な経済活動から、個人の思いだとか、思想だとかを排除するための、都合の良い理由づけになってしまっている」
p86「スラヴォイ・ジジェクというスロベニアの哲学者が、『存在の耐えられない軽さ』で有名なミラン・クンデラというチェコ出身の作家を批判している」
p145「世代的な感覚でいうと、『スター・ウォーズ』に熱中してるって、ちょっと珍しい気がしますね。」
p163「言葉による自己類型化には、安堵感と窮屈さとの両方がある。」
p170「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うようになりました」
p177「確率的に存在する」
p179「フランスの哲学者のピエール・ブルデュー」

『存在の耐えられない軽さ』/ミラン・クンデラ

4087603512 存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)
ミラン・クンデラ 千野 栄一
集英社  1998-11-20

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もちろん本著の名前は知っていたし、著者が「プラハの春」以降、全著作を発禁されたというようなことも知っていた。でも本著のことは、結構なエロ小説であり、「存在の耐えられない」というのは、要は正式に付き合っていないので相手の心には存在しているのかどうかわからない、程度の意味合いに受け止め、しかも本著は傑作と呼ばれていることも予備知識としてあったので、その恋愛の心理描写が相当詳細で綿密なんだろうな、という具合な印象を持って、読んではいなかった。そこに来て、3年前に読んだ『放浪の天才数学者エルデシュ』以来の東欧への興味が重なって、文庫本で見つけたので買って読んでみた。

もう全然認識違いで情けなかったし恥ずかしかった。ただひたすらおもしろいという感想しか出てこない。恋愛の軸と社会情勢の軸、そして哲学の軸。読んでいて頭が刺激されるし、その底辺に流れる考え方みたいなものは頷けるけどひとつひとつの表現-タイトルの「存在の耐えられない軽さ」とか-を、自分なりに噛み砕いて話せない。言葉にできるところまで理解できない。これはあと2回くらい読まないとダメな小説。

そんな中、頭に浮かんだテーマをメモ:

  • 第Ⅵ部「大行進」で語られる「俗悪=キッチュなるもの」の概念と説明の言葉。自分が常日頃抱いている感情にぴったりとあてはまる。しかしそこから押し広げて気づいたのは、例えば「平和」をうたい文句にした野外フェスに、その理念に賛同したと言って参加する人々。これはイコールなのか?イコールではないと、言い切れるか?また逆に、そのうたい文句は一切無視して、単にその「呼び寄せ」をアテに参加する、この姿勢もまたイコールではないと、言い切れるか?
  • 難解で、興味深くて、思考の好材料になる様々な対立が挙げられるけど、それらはみな二項対立。二択の提示は、時代の現れか。