『彼女について』���よしもとばなな

彼女について
よしもと ばなな
文藝春秋  2008-11-13

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 特殊な生い立ちを持ったいとこ二人の、凄惨な過去を手繰る物語。

 「魔女」という設定がものすごく突飛だったけれど、読んでいて違和感はなかった。「魔女」なんてものを小説に持ち込んで、やたらとディティールを描かなくてもすんなり胸に落とし込んでくるところがよしもとばななの小説の凄いところ。一方で、読み終える最後までひっかかりが残ってしまったのが、主人公の由美子・昇一とも、何もしなくても生活に困らない、というようなことが、それなりの事情をくっつけて描かれるところ。ストーリー上は、確かにそういう暮らしができる人生を送れた二人なんだろうと納得できるんだけど、この事情がなんか取ってつけたようで、ずっと頭に引っかかった。別に、この説明はいらなかったと思う。どちらかというと、そういう「浮いた生活感」を持つ人物の話ではなくて、本当にシビアな生活を送っている人の苦悩にリアルを感じる。
 魔女であるがゆえに引き起こされた過去の惨劇は、こう書くと荒唐無稽だけど、ほんとうに世の中に起きていることのように感じられた。それは、魔女ではなくて、不穏な宗教とか、そういうものをすぐに連想できるからだと思う。そういった事柄で不幸な事情を背負い込まされてしまった子供たちが世の中には少なからずいるってことを思い起こさせられる。そして、どう向き合っていけばいいのか���それを考えながら読むのが僕にとってのテーマだった。

 「浮いた生活感」の他に、もうひとつ引っかかりを覚えたのは、���こっちの引っかかりは問題意識という引っかかりだけど���「私は、女性は実業にあまり向かないと思う。」という台詞。この台詞の簡単な意味はすぐわかるけど、それは、『海のふた』を読んだときに思ったことと矛盾するように思う。もう一度、『海のふた』を読んでみようと思うとともに、やはり、やれないことをなんとかしてやれるようにできるよう進んできた世の中を、その是非を含めて一度見直してみたほうがよいということなんだろうか���

p14 「私がこう思っていることだけ、決して忘れないでおぼえていて。
p18 海外出張のような扱いで今はあまり顔を出さなくてもいいようになっている。
p63 「なんでもいっしょうけんめいやりすぎちゃだめっていうことなんだね。きっと。」
p93 「一貫性はそれほど求められてないような気がする。だからこそ、底のところでは一貫性が絶対必要だけれど。
p101 やっぱりこの人が嫌い、そう私は思った。その中心にあるのはずっと、ただ生活を保つこと。なるべくリスクを負わないこと。
p115 「もう一回言って。」
p135 「人は、親にしてもらったことしか人に返してあげられないとしたら、私は���」
p140 「私は、女性は実業にあまり向かないと思う。
p163 自分はいてもいいんだと心底思いながらこの世に存在したこと。
p193 もうはっきりと、手でこねて形を作ったものみたいに、ふたりのあいだには計算ができている。
p219 自分は全然抜きに相手のことを考えられるってこと。


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『トゥルー・ストーリーズ』���Paul Auster

トゥルー・ストーリーズ (新潮文庫)
Paul Auster 柴田 元幸
新潮社  2007-12

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 読了していて感想が書けてなかった本その���。

 この本に限らず、今年読んだ海外物で得たことはすべて共通していて、「今までアメリカ的と思いこんでいたことが必ずしもそうではなく、アメリカでも成功している企業や人は、少なからず、いわゆる”日本的”な価値観や行動規範で活動している」ということ。結局、真に素晴らしい価値観や行動規範というのは、洋の東西を問わず共通ではないのか���そういったものをめんどくさいと言わんばかりに、もっともらしい理屈をつけて軽視するのはやはり間違っているのだと自信が持てたこと。

 もうひとつ、この本から得たのは記憶力の大切さ。日々の暮らしを、どうでもいいと思い、何かにつけてイヤだダメだと言い募るような生き方をしていては、何も残らないということ。

p20 パーキングメーターに金を足すよう言ったのかもしれないし、何か買い物を頼んだのかもしれないが、確かなことはわからない。
p28 中国人に英語の個人レッスンをして生計を立てる
p33 もしかすると、私が手紙をそこに置くのは、自分自身の愚かさを肝に銘じるためなのかもしれない。自分が何も知らないことを忘れないため、
p39 あくまで自分がそうしたかったからそうしたのだ。
p70 自分の子供たちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである。
p75 時代遅れのやり方に聞こえるかもしれない。たぶんそうなのだろう。
p79 苦労して学んだ経験と知識を、この人は新年の核に持っているのだという感じが伝わってくるのである。
p83 大統領はアイゼンハワーであり、国全体が巨大なテレビコマーシャルになり果てていた。
p103 多数派の横暴を抑えるのが政府の務めなんです。
p112 たとえ人生が台なしになろうと、あの戦争に加わる気はなかった。
p116 その後耳にした噂では、国連の職に就いたという。
p122 自分の不安を表に出す代わりに、冗談や皮肉の雪崩の下にそれを埋めたのだ。
p143 つきつめて考えれば、それが最大の仕事でもあった。苛ついた荒っぽい不平を適当にあしらい、侮辱をかわし、負けずにやり返すすべを身につけること。
p156 自分のバランスを崩しつづけていたかったのだろう。
p163 私としても心のバランスを保つのに一苦労だった。
p173 戦争はあまねく偏在している。戦争はすべてを汚染しているのだ。
p212 むろん、新の恩人は詩人のジェームズ・メリルである
p231 あまりに冷たい、およそ礼儀も品位も無視した態度に私は唖然とした。
p236 愚者を信じれば、結局自分を欺く愚を犯すだけだ。
p279 時速三キロ以下のペースを自分に強いて初めて、見たいものが全部見えるんだ
p285 サルマン・ラシュディは自分の生活を取り戻そうと闘っている
p290 物乞いやホームレス
p292 都市のなかのある一点を選んで、それを自分のものと考えてみること。


『おそろし 三島屋変調百物語事始』���宮部みゆき

おそろし 三島屋変調百物語事始
宮部 みゆき
角川グループパブリッシング  2008-07-30

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 読了していて感想が書けてなかった本その���。



 宮部みゆきで怪談というからかなり期待して読んだんだけど、怪談話としての怖さはそれほどでもないです。人間の性���さが���とか、そういう方面での怖さはもちろん描かれてるけど、怪談としての怖さがミックス���れているかというとそれは薄いです。あくまで、怪談の体裁を借りている小説、と言えばいいか���
 三島屋に奉公に来たおちかが、主人の意向で、様々な人の怪談話を聞くことになる、という筋立てで、最終章ではその怪談話の一つに実際に巻き込まれる。その怪現象は、昔から歴々と続いてきたことであって、どうしようもなく止めようのない呪縛であるが故に誰かがまた犠牲となり、同じことが繰り返されるのだが、その同じことが繰り返されるなかで出てくる、 「誰もあんたが憎くてしたことじゃない。許せとは言いませんよ。ただ、勘弁してやってください。堪えてやってくださいよ。」という台詞がポイントだと思う。繰り返されることは、誰かがどこかで堪えないといけない。逆に言うと、堪えれば止められる。どうしようもないことなら、誰かを責めてもしようがない。許せとは言わない。勘弁するのだ。堪えるのだ。



 これで思い出したのが、「現代用語の基礎知識2009」に書かれていた「だれでもよかった」の項(p1237���。

社会学では近年、意味不明の殺人に対して「幼稚な全能感の発露」という言葉を与えてきた。原初的な幼稚とは、自己と他者の区別がつかないこと。全能とは「神」である。怒りをだれでもいい他者に向けることは親に向かってだだをこねる幼児と同じだが、幼児は親のおかげで何でもでき、全能である。

 『おそろし』の繰り返しは、その人が被害に遭ってしまう因果関係はなくとも、「勘弁する」「堪える」というのがまだ成り立つが、「だれでもよかった」という事件は、「勘弁する」「堪える」ということさえままならない。自分と他人・社会の区別がつかないことと、何でもやめようと思えばすぐにやめてしまいやすくなった社会というのは、密接に関係してるような気がする。



p13 庭先で揺れている曼珠沙華の花が目に入った。
p51 だが相手方は、そこでかける年月が不安だ、嫌だというのだからどうしようもない。
p60 心のどこかには、それでも頼る気持ちがあったろう。許して、受け入れてもらえるのではないかという期待もあったろう。
p75 「そうだね、だからおまえは善い女だと言うんだよ」
p84 「ついでに言うなら、八十さんよ。あんた、もう少し客の人品骨柄を見る目を鍛えんと、これからもっともっと大けなお店になろうというこの三島屋の番頭は張れんよね」
p94 「昔の人は優雅だったんですねぇ。」
p196 わかっていて、知っていて、知らぬふりをすることも同時に学ぶ。
p220 こんな女に賭けて堪え忍んできた丸千での日々が無になったことが、情けなくて忍びなくてたまらなかった。
p223 だがおちかは、兄の言葉を容れれば、解けた帯がいつかは足に絡んで転んでしまうと知っている。
p302 「どうしようもなかったんでございますよ」
p383 我々の胸の痛みを。生きていたときにしでかした、愚かな過ちへの後悔を。
p392 「誰もあんたが憎くてしたことじゃない。許せとは言いませんよ。ただ、勘弁してやってください。堪えてやってくださいよ。」
p410 「繰り返されてはきたけれど、過去のこと」


『そうか、もう君はいないのか』���城山三郎

そうか、もう君はいないのか
城山三郎
新潮社  2008-01-24

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 読了していて感想が書けてなかった本その���。年末休暇を利用して一気に書いてみよう。

 城山三郎は一冊も読んだことがない。それでいて、城山三郎はなんとなく知っていた。それでこの本を手に取ってみた。タイトルに代表されるような惜別の言葉は、ありふれている言葉なのに寒くならない。なぜだろう���もちろん、寒く感じる人もいるのだろう。城山三郎と同世代の人は寒く感じないのだろう���だから売れたのだろう���。でも、たいていの人には、ちゃんと伝わる言葉な気がする。なぜだろう���心底から吐き出せている言葉というのは、言葉遣いが同じでも、ちゃんと伝わる言葉になって出てくるんだろう。そこまで自分も思い詰めたいと焦ると同時に、言葉に希望を持つことのできる一冊だった。

p35 アンブローズ・ビアスによると、「人間、頭がおかしくなると、やることが二つある。ひとつは、自殺。ひとつは結婚」
p48 死火山ではなく、いつ爆発するかもしれない休火山。
p53 相変わらず組織のほうを大事にする日本と日本人を、商社マンの実態を借りて描きたかった。
p63 小説は小説であって、社会小説とか経済小説とかレッテルが必要なのは面白くない、という思いは私にあったが、「作家も多いのだから、イメージを定着させるのが大事」という編集者の言葉も当然のことなのかも知れなかった。
p66 ともかく私にしか書けない小説を書くためには、一刻も早く、この暖かな呪縛のようなものから抜け出さなくてはならぬ。
p72 多くのマスコミが「大江・開高の時代」で塗り潰される形となって、私に限らず新人作家への目配りが薄れるというか、冷たくなった。
p76 イタリアの経済学者パレートが好んだ、「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」という箴言を、何度も口ずさみながら。
p95 「あら、そうだったの。残念ね。」
p111 この作品は、容子の死のおかげで、テーマが変わったというか、書き上げることができた。
p118 それもその筈、後になってわかったのだが、この頃すでに癌細胞が血液の中に入りこんでいての悪戯���頭脳の機能を阻害したための事故であった。
p125 他人については描写したことがあっても、私自身には、何の心用意もできて居らず、ただ緊張するばかりであった。
p131 たしかに容子ならそう言うだろうし、そう望むだろう。そして、いまばかりは私の我を通すより、容子の望むように行動してやりたい。


速攻、投資のツボ42

昔買った日経ビジネスアソシエの付録が大掃除してたら見つかったので読んでみた。
最も基本的で、かつ、なかなか身につかない知識がすごくコンパクトに纏まってた。これはいい。

p6 コストをチェック…手数料���約定時、約定金額に応じて、定額、等���
p13 ミニ株・プチ株 リアルタイムの売買ができない
p17 損失の繰り越し控除���確定申告���損失が出た年・繰越控除の適用を受ける年���

p21 財務諸表←→経営指標
p21 自己資本������純資産���の厚さ
p22 売上高・総利益率
p26 PER=株価/予想EPS 特別損失の影響度
p26 PBR=株価/一株あたり純資産
p26 予想EPS(一株あたり純利益)=予想当期純利益/発行済み株式数
p28 PBR1倍の意味
p28 流動資産���棚卸資産・有価証券
p28 固定資産=のれん代・投資有価証券・長期貸付金
p28 負債���短期・長期借入
p28 純資産���有価証券評価差額金・為替換算調整勘定
p30 経営指標
p30 ・営業利益率���営業利益/売上高*100
p31 ・ROE=当期純利益/純資産額*100
p31 ・ROA=当期経常利益/総資産額*100
p31 ・自己資本比率 ・流動比率 ・借入金依存度
p31 ・棚卸資産回転率���売上高/棚卸資産*100
p46 株式チャート・ローソク足
p66 RSI=n日間の値上幅合計/(n日間の値上幅合計+n日間の値下幅合計)*100
p90 純資産残高���元本���運用益 2006年 58兆6500億円
p97 購入タイミングの分散

『社長になる力』再確認

読書百"篇": 『社長になる力』���丸山学

融資と投資の違いは、常に意識して経済情報やニュースやビジネスを行うことが有用。

p126「国民生活金融公庫���平成20年10月に統合により日本政策金融公庫へと名称が変わります���が出している書式」���事業計画書���
事業計画書はダウンロード要。
p191「自社ならではの価値���マーケティング���ビジネスの成功」

マーケティングとは何か���

『家日和』���奥田英朗

家日和
奥田 英朗
集英社  2007-04

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 「家にいる人」が主人公の���編の短編集。

 取り扱ってるテーマが失業だったり別居だったり、結構ヘヴィだけど、読中シリアスになることはない。例えば勤め先が倒産した裕輔が主人公の『ここが青山』は、裕輔もあっけらかんとしていれば妻もあっけらかんとしたもので、主夫業に自然と滑り込んでいく様がテンポよく語られる。突然、妻から別居を言い出され家に残された夫が卒なく独り暮らしを楽しんでいく様が描かれる『家においでよ』も、妻が出て行った理由がいまいちピンと来ないという、典型的な鈍感夫が、あまり深刻になることもなく、独り暮らしを楽しむうちに事態が好転する、というような話。

 どの話も、主人公は飄々として淡々として、あまり物事に執着しない。そういうスタンスが物事をうまく運ばせる好例集、というふうにとらえることもできる。読んでて心地よいんだけど、いくらなんでもちょっと事態を軽く捉え過ぎじゃないか���と主人公に対して思うところもあって、そこが軽くて物足りない。なんでも深刻になり過ぎてもいい結果にならないよ、というのは頭では分かっていても、なかなかそうはいかないよ…というような悩みが描かれているのがやっぱり好み。『家日和』は、でてくる事件が重大事なだけに、肩透かしを食らったような気になるところが若干残念。


 

p54「自分の供した料理がおいしくないというのは、身の置き場がない。」
p122「家に自分の遊び場が欲しければ、それなりの大きな家を建てられるとか、別荘を持てるとか、そういう甲斐性が求められるわけよ。建売住宅で男の王国は作れない。マイホームは女の城だ」
p222「ロハスを俎上に載せたくて仕方がないのである。」


『論理学』���野矢茂樹

論理学
野矢 茂樹
東京大学出版会  1994-02

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p13「「命題論理」とは、���否定詞と接続詞の論理学���なのである」
p16「否定詞も接続詞も含まない命題を 原子命題 と呼び、原子命題をもとにして否定詞や接続詞を用いて構成された命題を 分子命題 と呼ぶ」
P17「原子命題の真偽x1,x2,…,xnから分子命題の真偽yへの関数を 真理関数 (truth function��� と呼ぶ。」
p49「構文論的方法」
��� 以下に規定するような仕方で構成される論理式を「定理」と呼ぶ。
��� 出発点として無前提に定理として承認される論理式をいくつか定める。ここで承認された論理式は「公理」と呼ばれる。
��� ある定理ないし諸定理からさらにどのような定理を導いてよいかを規定した規則を定める。この規則は「導出規則」、あるいは「推論規則」と呼ばれる。
��� 公理と導出規則を用いて、次々に論理式を構成していく。こうして構成された論理式は「定理」と呼ばれる。
このような構造をもった体系を「公理系」と呼ぶ。
p53「ヒルベルトというドイツの数学者」
p54「ユークリッドが図形表現に引きずられてしまったからだ」
p56「心理学者ピアジェの「発生的認識論」」
p56「記号の意味を考慮せず、記号相互の導出関係、記号変形の規則のみを考察する仕方、このようなアプローチの仕方が「構文論」(syntax)である。それに対して、前節で見たような、意味および真偽という観点から為されるアプローチが、「意味論」(semantics)にほかならない。」

述語論理
p75「ドイツの数学者・論理学者・哲学者であるフレーゲ」
p84「オルガノン」
p85「古代ギリシャ哲学にストア学派およびメガラ学派という学派があったんですが、」
p86「「���の倍数は偶数である」と「���の倍数ならば偶数である」」
p87「特定の個人ないし個物を表わす名前を「固有名」と言い、固有名によって表わされる特定の個人ないし個物を「個体」と言う」
p90「真理性は、明らかに、語のレベルで問われるのではなく、文のレベルで問われる」
p91「空欄の部分は 変項 と呼ばれ、…命題関数を構成する変項以外の要素「…は犬である」の部分は 述語 と呼ばれる」
p95
��� 命題 審議を問題にできる文
��� 命題関数 命題から個体を表わす表現を空欄にし、x,y,z,…で置き換えたもの
��� ���個体���変項
��� 述語
��� (個体���定項
��� 量化
��� 全称量化子と存在量化子
��� 量化の範囲
��� 自由変項と束縛変項
p100「述語論理において論理的心理とみなされる論理式を「妥当式」と呼ぶ。」
述語論理の意味論
p102「「トートロジー」という言葉は、そのもともとの意味合いである「同語反復」を漠然と意味する場合から、明確に「恒真関数」のみを意味する場合まで、多少の語法の揺らぎがある」
p104「妥当式」 「論理式Aが妥当である���Aはいかなる解釈のもとでも真」
p126「フレーゲの論理主義」
p126「フレーゲへの手紙 ラッセル、1902」
p127「命題関数と集合の同等性」

『まぼろしハワイ』���よしもとばなな

まぼろしハワイ
よしもと ばなな
幻冬舎  2007-09-26

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 読んでいる最中、そして読み終わった後も感じたことが���つあって、ひとつは、「このストーリーはハワイでなければ起こり得ないようでいて実はどこでも起こり得ること、とかすかに感じさせるようなところがあるけど、もっとはっきりそう伝えてほしい」ということ、もうひとつは、「これは生の喜びを描いているようで実は”いかに死ぬか”を書いているのではないか」ということだった。

 オハナもコーちゃんもコホラも、���例によって���特殊な家族事情を抱えているが、それらを解き解くのが
ハワイの自然・生命の力のように描かれている。でも確かにハワイの気候や自然は特殊かも知れないけれど、そうじゃなきゃ何かがよくならないとしたら、それほど不幸なこともない。『まぼろしハワイ』は、ハワイならではのようで、ハワイならではない何かが詰まっている。でも、あまり目立ってない気がする。そこを目立たせるのかどうかは悩みどころだったのだと思う。

 もう一つの思ったことというのは、これはあとがきを読んで更に思いを強くした。『まぼろしハワイ』の「生の喜び」というのは、「今を生きる」というような、日々の日常生活をきちんとするといったことではなくて、「先を見据えている」芯の強さが滲んでいるし、あとがきには何度も別れについてかかれている。別れというのは恋人と別れるだけじゃない。「いつか終わる」ことを想像していないと何にも感謝できないというのは恥ずかしいことだけど、今に「やらないよりはマシ」という気持ちになってるのだろう。

p23 でもきっと逃げ出しても楽しくなったわけじゃないんだ、そう思った。
p55 そういうことじゃなくって、なんか私の世代はあんまりそういうふうにぐっと人の近くに行くことができないのよ。
p55 甘えっ子同士だと寄りかかり合って自滅しちゃうもんね。
p95 あさみさんはしみじみと言ったが、そこにはもう恋心はなく、ふたりはもう終わっているのだな、と私ははじめてほんとうに思った。
p133 施設に入りたがったとしても、妻子や仕事を捨てて毎日行くし世話をするだろう。それは僕がしなくてはならないことにもう決まっているのだ。
p136 ちょっと楽をしようと思って、飲んでいるが車に乗ってしまって、もしなにかが起きたらどうしようというふうに思わず、特に責任を取る気もなく、運を天にま
かせて、自分だけは死なないし人も轢かないと思っているような人は、事故が起きると突然神妙になる。ありえないことが起きた、信じられない、まずそのこと
で、その程度のことでいっぱいになってしまう。その程度の想像力しかない奴に親のいる人生を奪われた僕のような人間はどうしたらいいのだろう、と思う
p216 彼の運転はうまく、そして人を乗せているので慎重だった。
p227 それは、ぎらぎらして待っていてもなかなか叶いそうにない夢ですね。
p227 でもあたかも願望が実現しているようでいて、実はそれって自分という名前の檻に閉じ込められているのとあまり変わらないように思うんだけど。