額はさておきカネを出す - 2017/01/23 change.org 横浜市の原発いじめ問題について横浜市教育委員会にいじめ認定を求めましょう!

change.orgで賛同したのをシェアするのは性にあわなかったんだけどこれはする。これをせずして何をシェアするんだと思う。

「おごる」という言葉尻を使って理屈こねてまでいじめと認めたくない事情っていったい何なんだ。じゃあオマエは150万おごれるのか。そもそも子供で150万一方的におごることなんて普通じゃないだろう。そこまでして守らなきゃいけないものって何なんだ。土台、公務員が憲法尊重擁護義務なんて無視したっていいって政治が態度で示すご時世だぞ。守らないといけないのは規則や筋じゃなくて子どもだろう。

ほんとに頭にきて、このキャンペーンがより多くの人の目に触れる助けに少しでもなればと、ここからキャンペーン広告を支援しました。SNSのシェアとかいいねとか、社会の改善のために一体なんの力になるんだと常々疑問視しているので、change.orgもクリックで賛同して一体何になるのだと、たしかにchange.orgは名簿になって提出できるので、日本会議がやってきたような陳情作戦のカウンターにはなるんだろうけど、それでも実効性はどうなんだろうと思いつつ、おカネを出すことが厚みにつながるはずと信じて。

2017/01/16-2017/01/22の振り返り

  • ペースが変わると疲れる。が、掴まなければならない。
  • ネガティブに対してどのような言葉を発するかのモデルケースは、多くはないけれども持ち合わせはあるので、思い起こしながら使いこなせるようにする。
  • 使いこなす、ということ。
  • 疲労を一旦どこでリセットするか。同じことを考え続けていると確実に疲れるが、疲れても一度取り憑かれたものを考え続けたほうが楽という惰性があり、それから一旦離れることのほうが大きなエネルギーを食う。しかし、それはできるようにならなければいけない。
  • フラットになること。

”自分勝手ならごめんなさい”(AISHI-AISARE)

明後日あたりにはCD届くだろうというのにこれだけのためにdヒッツ申し込もうとしたくらいだった(実際はdヒッツはダウンロード未対応とわかったのでそれならyoutubeでもいいやと思ってやめた)。

"BLACK COFFEE"と同じようなこの苛まれ感。この歌詞は、そこまで深刻なことを歌っている訳じゃないとくらいは読み取る力は僕にもある。出だしで

喜怒哀楽とか天井シラズ
たまにキズ 言葉が暴走して
取り返しがつかなくなる

と言ってるんだから、これは相性抜群平穏なふたりの”言い過ぎ”ケンカ程度がモチーフの歌詞だ。それを思いっきり80年代歌謡ロック風にして不釣り合いに情感たっぷりにしている、そのアンバランスさが面白い曲だ。とはわかってる。わかってるけど、

無我夢中で取り戻したい

やっぱりここ。続く歌詞が

春の陽のように優しい感触

なので、相手を失っている訳ではなくて相手との仲直りを”取り戻したい”と言っていると思うけれど、僕にはここはそれ以上に響く。なぜなら、その前に

自分勝手ならごめんなさい

という一節があるからだ。言葉が過ぎたケンカの仲直りで”自分勝手”は普通ない。相手も言葉が過ぎていて、両方仲直りしたいと思っているはずだ。それを”自分勝手ならごめんなさい”というということは、自分のほうが悪いと思う何かが頭の中にあって言っているシチュエーションが浮かぶ。そしてその取り戻したいと思うものを”春の陽のように”と、季節のような長いスパンの言葉を持ち出してくるところに、長い時間の中で失われてしまった優しい感触の”何か”を思い浮かべずにはおれない。

これは長く一緒にいる中で、馴れなのか惰性なのかでずるずると失ってしまった、付き合って間もないころの初々しい、すべてに優しい気持ちを持つことのできる自分を取り戻したい、と歌っている歌に違いないと僕は思う。それを失ってしまったのは自分の心掛けの悪さなのに、それを取り戻したいというのは、”自分勝手”と自覚があるのだ。そして、”自分勝手”と思うのは、春の陽のように優しい感触は、自分だけでは取り戻せないとわかっているからだ。自分の心掛けの悪さで、相手もそれを失ってしまっていたら、自分だけが取り戻しても二人の間では優しい感触は帰ってこない。だから、自分勝手だけど取り戻したい、と言っているのだ。

そしてこの曲がそこまで大仰なことを言おうとしているというのは、二番のここでも伺える:

欲しい物見つけたら
がむしゃらに突き進む
必死の思いで 手に入れた宝が
いつしか重くのしかかる

そして、優しい感触は、春だけではなく、夏も秋も、反語のように引用されてるのに、冬はない。

春の陽のように優しい
夏の雨のように優しい
秋の予感のように優しい
ゆずれない感触

2017/01/2-2017/01/08の振り返り

  • 自分は数字に疎く弱いということに劣等感があったが、逆にそれ(数字)しかできない連中じゃないかということに気がついた。
  • いつまでも同じ様式を保つことはできないので、そのときそのときで最善を考え善意で柔軟に進んでいく心がけが重要。
  • 一度に大量の時間を投入するほうが有効。
  • 目先を変える方法。
  • なんと思われてもよいと強く思うこと。
  • 何が”必要”か?という視点だけでは、跳躍を生むことができない。冷静な計算も必要だが、やみくもに動き回って失敗することも必要。
  • 読書の時間をもっと増やす。

街のサテンで豆を買う 2017/01/07 nakayama coffee

買ったお店は”カウリ”です。春日大社への初詣の帰りに。

春日大社では娘を連れて御朱印を頂きに行き、「すみませんが娘の名前も書いてもらえますか?」といつものようにお願いしたら、「名前だけでいいですか、”ちゃん”とつけておきましょうか?」と娘を見ながら申し出てくださった。去り際に娘に向かって”バイバイー”と手も振ってもらった。一言二言話せるだけでとても嬉しく感じる。

帰りにならまちを散歩。おくたで甘口・辛口のみたらしを一皿ずつ。その足で風の栖とカウリへ。カウリでぱっと目に入った珈琲を、嫁さんが買ってくれた。ロードバイクで豆を買いに行く際の候補で調べたことあるんだけど、なかなか機会がなくていけてなかったnakayama coffeeの豆でした。なかなか機会がなくて…と思ってたら実は8月のランナバウトで近く通ってるな…。

chill chillを入れてみました。”ビター&スイートな深入り”と説明があるんですが、結構フルーティでもあると思います。僕が超ビター好きなのかも知れませんが…。カフェインレスはグアテマラが多い、という理由だけでグアテマラばかり選んできたので、今まで選んできたグアテマラの中ではいちばん果実的なコクが強い味でした。グアテマラ・タシータ農園という名前を覚えておこうと思います。

『住友銀行秘史』/國重 惇史 『テロルの真犯人』/加藤 紘一 『YKK秘録』/山崎 拓

2016年は非常におもしろい日本のノンフィクションに多数出会った1年でした。中でも弩級だったのがこの3冊:
『テロルの真犯人』は10年前の出版だけど、知らない事実も数多くあり、読めてよかったと思う。この時点で日本会議に言及していることが最大の驚き。
『住友銀行秘史』は入院中に一気に読んだ。イトマン事件って目にするたびに本読み返したりウェブ検索して記事読んだりするんだけど、よく分からない事件だなあ…とずっと思ってたんだけど、本著はイトマン事件を理解するのに(当事者の記載ということもあり)ずいぶん役に立つと思う。
『YKK秘録』は『テロルの真犯人』より情報量が多く(『テロルの真犯人』は自身の思想信条を表明している著作なのに対して『YKK秘録』はクロニクルなので当たり前なんだけど)、90年代~00年代の自民党政治の変遷を概観出来て面白い。中には、世論的には批判がありそうな行動も、さも政治家的には普通ですよと言わんばかりにさらっと書いている部分もあって、政治の常識(それは世間の常識と近似なのかもしれないけど)を知るという意味では非常に有用。
 
4062201305 住友銀行秘史
國重 惇史
講談社 2016-10-06

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4062137380 テロルの真犯人
加藤 紘一
講談社 2006-12-19

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4062202123 YKK秘録
山崎 拓
講談社 2016-07-20

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2017/01/01の振り返り

  • 2016年に見聞した言葉・文章の中でいちばん深く突き刺さったのは熊谷晋一郎氏の「自立は、依存先を増やすことだった。子どもの頃から「自立」を価値観の第一等のひとつに置いて躾けてもらってきて、今でもそれは間違っていないと思っているけれど、協同と甘えの境界線を明文化できないでいたところに目にしたこの言葉は、人には当然のことだったのだろうけど自分にとっては巨大な衝撃だった。言われてみれば全くもってその通りなのだった。倫理観や道徳観を脇に置いて、経済的に(裕福で)自立している層というのは、いうなれば依存先を多数持っているのだ。ネットワークの広い人が自立しているカラクリと言うか仕組みを端的に突いていた。
  • 2016年の年初の振り返りを振り返ってみて、50歳を視野に入れていることに軽く驚いた。50歳を視野に入れることは、この2、3か月の間に始めたことだと思っていたから。
  • 思えばこの3年、急速に年を取ろうとした3年だったと思う。40歳を過ぎ人の親となり、いたいけな若さを保つことへの後ろめたさとやっていられなさから、考えるうる限りの思慮深さや分別を身につけなければならないと思って過ごしてきた3年だったと思う。
  • しかし、45歳の年にして思うのは、正に「三つ子の魂百まで」ということで、今更分別だの四の五の言っても始まらないような気がするし、成長を続けていくためには失ってはならない若さというかみずみずしさは確かにあるし、それをはき違えてしまうほどにはもう未熟ではないという確信もあるし、もう変われない、だから変わらない、このままの自分でやれることを増やしていく、という心境が出来上がりつつある。
  • 一方、日本会議に端を発する読書の中で、世には「単立」という言葉があることを学んだ。神社本庁に属さない神社のことだが、「単立」という一般熟語の響きを持つシンプルな二文字がそれほどの意味合いを含んだ名詞としてあることに驚いた。そして、その「単立」のスタンスが、「依存先を増やした自立」の概念とクロスする。
  • その上で、「独走会」のスタンスに通ずる、「自立」のための魂、「依存先を増やす」ことと「甘え」を峻別していくこと、それに自覚的になったうえでなお孤独を選び、選んだうえで仲間を増やす、コンピュータの世界では、主従の役割や並列の役割なく単体で完結するコンピュータを”スタンドアロン"(Stand Alone)というが、「依存先を増やした自立」という哲学をより実践していく言葉として、先の「単立」もイメージしつつ、Aloneではなく「より強く立つ」(ことによって自立する)という意味を込めるのが2017年のテーマ、”スタンドアロング”(Stand Along)

街の本屋で本を買う - 2016/12/28 ジュンク堂書店奈良店 『<インターネット>の次に来るもの』/ケヴィン・ケリー 『限りなく完璧に近い人々』/マイケル・ブース

久々の実書店での衝動買い。衝動で買うかどうかの決め手は鮮度。

 『限りなく完璧に近い人々』をfacebookか何かで知って、本屋による機会があったら、使ってない図書カードを使ってこれを買おうと思って1か月近く。行けてなかったならファミリーのジュンク堂にたまたま足を運べたので、様子見がてら買いに行ってみる。
 『限りなく完璧に近い人々』って、どういう分類の棚にありそうだ?と思ってフロアをぐるっと回ってみたけど、全然勘が働かない。難波店とか本店とかだと何となくぶらぶらしてたらこの辺にありそう、ってすぐわかるのにこの違いは何だろう?と思う。今から思うとこれはたぶん、話題になっている本に対する店側の感度とその配置の仕方の差なのかなあ、と思ったりする。店舗面積が狭いとその分、目立たせられる場所も少なくなるので不利なのかなあ。
 そういう訳で、検索機を使いたくなるのだけどこの検索機の場所がまたわかりにくい。これも本店や難波店だとわからないなんてことはない。行きつけてるということもあるけれど、レジ回りにすぐあるからすぐ目に入る。奈良店はレジからは見えないところに配置されてる。あれはちょっと改良の余地があるんじゃないか。
 ともかく、検索機を使って無事『限りなく完璧に近い人々』を見つけ出し、レジに向かう途中で目に入ってしまったのが『<インターネット>の次に来るもの』。『テクニウム』のケヴィン・ケリーの最新刊ということで、反射的に即購入。年末年始、時間があるようで毎年ないので読み切ることはできないと思うけれど、なるべく読み進めておきたい一冊。
 レジで図書カードとカードを出したら「iD払いもできますがいかがなさいますか?」と質問された。ジュンク堂はiDも使えるんだ。でもふと思ったんだけど、hontoってiD払いできないよね、ネット書店なのに。というか、オンラインショップって電子マネー使えないのが普通な感覚なんだけど、オンラインショップなのに電子マネー使えないってなんか変じゃないか、単純に。iD使えればdポイントをキャッシュバックで充当出来たりいろいろいいんだけど、なんで電子マネー使えない方がデファクトみたいになってるんだろう。
4140817046 〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則
ケヴィン・ケリー 服部 桂
NHK出版 2016-07-23

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4041033896 限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?
マイケル・ブース 黒田 眞知
KADOKAWA 2016-09-29

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独走会 2016/12/23 津 95.6km

荒野を走れ。どこまでも。「今日しかない」と「明日もある」の狭間で。

今年の走り収め、家族に時間を貰って100km走を計画。いろいろなプランを考えたものの、シンプルに163号で津を目指すという、走りなれた旅程で。コンスタントに長距離を走らなくなって久しいし、練習もしていないし、まして先々月肺炎で入院しているし、不安要素が多々あるのでコースは不安要素のないものを。

ところが走り出してすぐ、空気圧チェックをしてなかったことを思い出し、連鎖でサドルバッグに替えチューブを入れたかどうかも不安になる。だけど、少々の不安要素でぐらついていられない、準備は怠ってはいけないけれど必ずしも100%出来る訳ではないから突発事項にも対処しないと、と開き直り、ぐいぐいと走り続ける。手抜きではなく無鉄砲でもなく、この心境に至るまでに費やした時間は嘘ではないと思う。

今回はとにかく52km地点の伊賀上野から70km地点の長野トンネル入り口までの18kmが辛かった。以前、同じルートを走った際はこの区間は快適に走れたという記憶があって油断していた。この区間、ずっと登りとは言え平均斜度3%程度の緩いものなのに、18kmを1時間かかってる。全体を30kmずつに分けるとだいたい同じペースで走れていたのだけど、この区間は数字以上に辛かった。18kmで都合2回足を止めてる。心拍が苦しいとか足が痛いとかではなく、とにかく回したくなくなる、足が。ギアは軽くしているので足に負担はほとんどないんだけど、10数回回すだけで回すことが気持ち悪くなって足が止まってしまう。走りながら、寒さが足に与える影響というものに初めて思い至った。

計画より1時間遅い、約6時間で津着。ただ100kmを走りたかっただけなので、道中の観光も、目的地でも観光も何もなし。写真もほとんど撮らず。7時過ぎに出発したときは「今日は久し振りの長距離だし、無理に新しいルートを選ぶよりも100km安心して走ることに重点を置いて、新しい長距離ルートを走る機会はまた必ずあるから」と気持ちを整理し、走っている最中は「せっかくもらった今日という時間を満喫させてもらわないと。中途半端に切り上げて早く帰ってもそれは意味のないこと、やりきろう」と気持ちを強くし、でも頭の通底では「もう十分やりたいことをさせてもらった、次はいつ走れるかなんてあんまり思わない」という心境にもなり。この二律背反にもがき苦しんだ先に、きっと本当に時間を大切にできるスタンスが待ち構えているに違いない。おみやげには、三重と言えばの赤福でもベビースターでも井村屋でもなく、津に通っていた学生時代にも食べたことのないなが餅を、津駅のファミマで。

箇条書き:

  • 伊賀上野-長野峠間はとにかく寒かった。天気も風向きも目まぐるしく変わるコンディションで、高地はやっぱり冷えるので、それだけで足が言うことを聞かなくなることがよくわかった。膝が痛むし、長野峠を抜けた後、ペダリングは回復しても何度か太ももや膝裏が痙攣した。今はタイツだけど、冬用のパンツをどうするか考え直さないといけないかも。
  • 伊賀上野に到着する数km前からやたらとお腹が空いた。笠置で白むすび半分食べたのだけど、お腹は空くし眠たくなるし、多分若干ハンガーノックだったのかも。伊賀上野でコンビニでスイーツ等々で補給したけど、その後の体調とペースを考えると遅かったのかもしれない。
  • 相変わらず平地が遅い。これはバランス感覚の無さが大きいと思う。それ向けの練習をしたい。
  • 疲れてくるとポジションが決まらないのはそういうものなのかも知れないけど、それでもちょっとポジションを見直さないといけないかも。
  • 財布の着用方法を見直す。バックポケット付きのウィンドブレーカーがほしいけどそれは贅沢。
  • リアライトの電池を入れ替えること。

2016/12/12-2016/1218の振り返り

  • ボクに足りないのは想像力、と記憶力。
  • やりたいことをやりきるメンタリティも、記憶力に依存している。
  • 常に冷静さを保つ必要性を痛感した。自分が最後の砦になることを常に自覚してふるまわなければならない。
  • 最後の砦に報酬はない。
  • 集中して時間を取るためには睡眠不足をどう乗り越えるかも考えなければならない。
  • 面倒なプロセスがあれば、改善することに徹底的にこだわる。
  • 振り返る。自分が書いたものを読む。