独走会 191109 月ヶ瀬・名張 74.3km/1,060m elev.gain

”ありがと悔いだらけの日々よ 今ならば言える”
(『さよなら傷だらけの日々よ』/B'z)

やってしまったハンガーノック。直近2回が好調だったので油断したのか…と言えばそうでもなくて、走り出してから補給するとかこまめに水分補給とか実践できていた。実際、月ヶ瀬に出るまでは上りも好調で、きついとか疲れるとか感じた局面は全然なかった。柳生の上りが大体終わった頃に、ふっと眠気を感じ、そう言えばお腹空いてる感じが…と思ったときは時すでに遅し。ストックしていた補給食食べても食べても空腹感。夏だったか、津を目指して163走った時にテンションが上がらず伊賀上野で切り上げたとき、数日後に風邪の症状で体調を崩して大変だった記憶も蘇ってきてテンションダウン。165号に出たとこのファミマであったかいうどん食べてみたけどもう無理だなと、青山高原越えは取りやめて引き返し名張から輪行で帰宅。

時間は家族に目いっぱいもらえていて土曜日で余裕はあるというのに、11時そこそこで引き返してしまおうと思ったというのはハンガーノックのテンションへの影響の大きさがわかる。よく考えたらそんなに悪いペースでもないし、あと30kmくらいは(青山の上りを上ったとしても)行けたと思うけど、あの時はその気持ちは全然わかなかった。

ちょっと予想が足りなかったな…と思うのは寒暖差。朝と日中もそうだけど、山間の日向と日陰の差は激しくて、極寒よりこれくらいの季節のほうが難しいかもと思ったり。ジレ、あったほうがいいかな…。

失敗したとき「失敗だ」と、取り繕わずに言えることは重要で、最後の最後、力を持つのは空騒ぎよりも信頼感。アンオフィシャルなものを重用するのは、つまり自分がオフィシャルに耐えられないと気づいていて丸裸になるのに怯えているから。

9年やってまだこんなものか、と嘆くのも構わないし、と落ち着いて言えるようになった。9年やってまだこんなものか、と思えるのも数々の失敗を重ねてこれたから、失敗することができたからに他ならない。まだこんなものか、と言おうとするのはまだまだやりたいうまくなりたいと思っているから。と、今ならば言える。

恒例の箇条書き:
・カシャカシャ言うのはビンディングだと思うけど気になる。
・そのビンディング、右が外しにくいのはおそらくあの錆気味のせい。要メンテ。
・走り出した後、どのくらい食べたらいいのかは今回でよくわかった、おにぎり一個じゃ足りない。
・寝不足はやはりNG。
・今一番必要なのは、3本ローラー。


独走会 191026 信楽 100.5km/910m elev.gain

"これは一生の何分の一なのかなんて よくできた腕時計で計るもんじゃない"
(『RUN』/B'z)

今月は2回も家族から時間をもらえることになり、感謝しながら行先を考え、というか走れるとなった時点で漠然と考えていた行先の信楽で決定。朝ドラの舞台というタイムリーさと、ちょうど往復100kmくらいの手ごろなコースというのと、木津信楽線を一度走ってみたかったのとで。

日帰り出張があったり一日3件アポの日があったり(それも明石→尼崎→奈良というまあまあの移動距離)で割と疲れは溜まってたので起きられないかなと思っていたら案の定目覚めは最悪のテンション。それでも家族が励まして送ってくれて無事出発。

宇治田原に向かうルートは慣れているので快調に走れ、登りも遅いながらも車に抜いてもらったり抜けないときは必死でスピードあげて登ったりで、厳しくても状況に応じて脚を酷使したりできる実感。そのときトレーニングのことが頭を過り、トレーニングは限界を超える負荷をかけるからトレーニング、ではあるんだけど、日本の体育会系の感覚と(イメージでしかしらないけど)欧米の体育会系の感覚ってなんか違うなと思ってて、例えば高校野球でデータを駆使しロジックでトレーニングする高校となんというか旧態依然とした根性論で猛烈に時間かけるだけのトレーニングの高校とがあったりして、でもデータとロジックの高校が100%勝てる訳ではない、100%勝てる訳ではないと認識したとき、それならどちらを選ぶかと言ったら、理路整然と無駄なく過程を楽しめるデータ・ロジック式のほうがもちろんいいと思うはずと思うんだけど、日本式の発想は、どうせ勝てるか負けるかわからないんだったら根性論で遮二無二やるのが後悔がない、みたいな感性だと思う。これは土着感性でぬぐいがたいものがあって、猛烈に自覚的にならないと意図せず根性論を持ち出してしまうと自戒している。だから自分だけじゃなくて子の世代に、意味のない犠牲を払わされるような土着根性感性をできるだけ引きはがすように心がけている。

どうせロードバイクで走るといったってこの頻度では上達もしないし、残り時間も少ないし、他のことに使ったほうがいいんじゃないかと半ば取りつかれたように考えた時期もあったけれど、有意義か否かという視点ももちろん必要だけれど、残り時間ばかりを気にしてオロオロして結局何もしないまま過ごしてしまうのではなく、今使える時間をしっかり使う精神力を養うのが正しい道だと思う。

以下振り返り:

  • 木津信楽線は信楽→木津は最高。もっとアップダウンかと思っていたけどほぼ下り基調。信楽からの帰りはこれで決まりだけど、163号で帰らないといけなくなるのがタマに傷。もっと南に下ってから西進するか。
  • やっぱり雨に降られた。
  • ロングスリーブジャージにビブタイツ、ウインドブレーカーまで来ていったけど、半袖ジャージにビブショーツの人結構すれ違って「寒くないの?」と思った。
  • わざわざ写真には取らなかったけど、木津信楽線はところどころに台風の爪痕があった。自然のこわさを改めて見た気がした。

独走会 191006 ブルーボトルコーヒー京都カフェ 105.4km/510m elev.gain

(追い)"風の強い日を選んで走ってきた"
(原典:『FUNNY BUNNY』/the pillows)

一年の中でいちばん走りやすい気候のシーズンになり、家族にまた1日時間をもらってライドへ。今回は遠出をするよりも自走で100km走りたいという気持ちが勝って、いつか行ってみたいと思っていたブルーボトル京都を目的地に。天気予報を確認するとばっちり北風!帰りが追い風になるので、行きは京都行きの際のいつもの168号→学研都市線沿い→久御山から北上ルートで、帰りは大の苦手の桂川CRに。

行きはちょっと寒かったのを除けば(家を出た瞬間「寒いな」と思ってニーウォーマーを取りに戻ってよかった)、道はよく知っているしペースも順調だったしブルーボトルに着くまでまったく疲れは溜まらなかった。ブルーボトルで15分くらい休憩して、予定通り鴨川沿いを下って桂川CRを目指す。だいたいCRってときどき橋を跨いでサイドチェンジしないと行き止まりになったり、サイドチェンジの際に方向感覚を失ってしまったりというのがあったりなんだけど、今回はそういうことで気持ちが折れて自走を止めようという気持ちは起きなかった。それは多分に追い風のおかげもあったと思う。ただ、唯一、切り上げてしまおうかという気持ちが起きたのは、切り上げてしまえば1時間足らずで娘に会えるなーと頭を過った時。それは純粋に会いたいというのもあるし、娘の相手を任せてしまっている大変さを思うからでもある。けれど実際のところは娘ももう、そんなにべったりしないといけないような年ではないし、かかる手もずいぶん少なくはなっている。それはちょっと切ないことでもあるけれど、その成長を喜び、成長に応じてこちらも成長しないといけない。なので決めたことを楽しもうと桂川CRを走る。

追い風のおかげで桂川CRは超快適に走れたけれど、案の定163号に入った途端ペースダウン。帰りの163号はなぜかどんなときでも調子が出ない。桂川CRの唯一の難点は、さくらであい館以外はコンビニすらないということで、補給食の調達が甘くて163号に入ってコンビニに入るまで補給しなかったのでタイミングを逃したのかもしれない。そして見事に向かい風。だけど木津まで来ればもう家はすぐそこなので、多少の登りも淡々と。

僕は「風の強い日を選んで走ってきた」ので、守りは滅法強いと思う。ピンチには必ず向かっていこうとするけれど、追い風を捕まえるのには躊躇するところが確かにあったと思う。ここが勝負、というときに、別にいいか、と流してしまうような。だけど、追い風を利用することは決して卑怯なことでも楽をすることでもない。もし今が追い風だと思ったら気負わず迷わず乗っかろうと。

恒例の振り返り:

  • やっぱり補給が遅かったと思う。163号に入ってからかなり足がきつかった。
  • 相変わらずルート確認が甘いけど、まあああいうのも楽しいかなと思えた。
  • やっぱり今年の津行きで5時間切れたのはかなりハイペースだったんだな自分的には、と分かった。

独走会 190906 米原 92.4km/636m elev.gain

"風の強い日を選んで走ってきた"
(『FUNNY BUNNY』/the pillows)

遅めの夏休みの一日、家族に一日時間をもらってツーリング。平日はどうしても朝の時間帯は車も電車も通勤通学で混むので、早朝の時間帯はできるだけ混雑を避けつつ、できるだけ遠くに行けて、なおかつ輪行でも帰りも通勤通学の時間帯に重ならないような行先、ということで慣れたコースの米原行き。時間もたっぷりあるし、道で迷うこともないし、大津まで行けば後は基本ド平坦だし(そのド平坦が苦手なんだけど…)、とにかく100km近く走ることを主眼に。

のんびり行こうということで割と写真を撮ったりしたので、大津まで出たくらい、45kmで2時間半くらいかかってたんだけど、そこから虹ケ浜までの30kmがさらに遅くて2時間!ド平坦なのに2時間!何年か前に米原まで走った時も、なんかこの近江八幡あたりで酷く疲労感が増した記憶がありそれが少し不安だったのだけど的中してしまった感じ。ただ、虹ケ浜で昼食を取った後は全く辛くなくなったので、やっぱり50kmくらいで一旦ヤマのくる程度の脚ということ。もっと練習しよう。

楽しむことと上達することの狭間というか両立というか、元来無精なので楽しむにしても決めごとを作らないと動けないところがあって、そうこうしているうちになんか道というか行というかそんな向かい方になってしまうんだけど、そのとき何を楽しいと思うかは変わって当たり前だと思うので、あまり乗ることに執着しないようにして、楽しめるときに楽しめるように気楽に行こうと思った。


『100分de名著 大江健三郎 燃えあがる緑の木』/小野正嗣

信仰なき「祈り」は可能か?にやられた。

信仰と道徳心や倫理観は繋がっているのか、信仰は必須なのか、というのはもう長い間自分の中の課題。自分は強いて言えば仏教の影響下で育った訳だけど強い信仰心がある訳ではないし、外国の哲学の領域では宗教バックグラウンドは甚大で感覚的に掴めてないんだろうと思うことが多い。そこに「信仰なき「祈り」は可能か?」と見せられると読まざるを得ない。このガイドを読み終えたすぐの感想は、しかしそこよりも大江健三郎の実践的な姿勢とそれを読む自分の息苦しさだった。なんだろうこの息苦しさは?ストーリーが考えさせるテーマには違和感はまったくない、けれど何か「もう止めたい」というような息苦しさが迫ってくる。

『さよならインターネット』/竹邑光裕

若林さんは「さよなら」好きなのか?

そんなこと思いながら『さよなら未来』のときの自分の読書メモ見返したら、『さよなら未来』を読むきっかけも五味さんだった。この『さよならインターネット』も五味さん。五味さんもさよなら好きなのか??

それはともかく、ポスト構造主義の悪用で歪んでき続けた状況に「さよなら」しないといけない、という問題意識は通底しているように見える。「何かよさげなもの」と決別するのは今までは何がどうあれ後退で、確実に敗退する道と思われたけれど、この2冊を合わせて考えると、このままではまずい、という意識が強くなる。まさにゆでガエル。

独走会 190812 伊賀上野 49.7km/477m elev.gain

"笑われても あくまでマイペース"
(『Easy Come, Easy Go!』/B'z)

今から思えばこの数日後に原因不明の高熱に見舞われたので、この時点から何か不調があったのかもしれない。真夏も真夏、正午を過ぎるとまともに走れる暑さじゃなくなるので、3連休を利用して起床時間を徐々にずらし、4時過ぎ起床5時出発にしたものの、どうも出足からすっきりはしなかった。なんかこう、走っている高揚感がないというか。伊賀上野を目前にして、「ここからまた2時間以上同じようなことするのか」という、退屈を恐れる気持ちが既に湧いていたし。

ただ、長く走れないのが退屈への恐怖心というのは前からわかっていて、なぜそれを恐怖と思うのかと言えば、やっぱり後半もそれなりのペースで走れないといけないと思い、それが疲労につながるからだと思う。だから、後半は足が伸びないなら伸びないなりに、休憩多めでのんびり愉しめばいいじゃないかと、このとき初めて想いが切り替わった。笑われても、あくまでマイペース。


『つみびと』/山田詠美

単純に「虐待は連鎖する」と言って、じゃあそれを誰がどう止めればいいんだ、ということを考えさせられる稀有な小説だったと思う。著者がインタビュー記事で語っている通り、事実を元にしたフィクションとして、変な価値観や説教を持ち込むことなく、物語を物語として書き切られているけれど、それだからこそ、「じゃあそれを誰がどう止めればいいんだ」という考えに至らされる。子どもがどうしようもないところに追い込まれたとき、そこからどうやって助けるのか。小説は親子2代に渡る不幸な生い立ちが描かれるけれど、そこから逃げても立ち向かおうといてもうまく行かなかったという結末を読んで、「じゃあそれを誰がどう止めればいいんだ」と思わない「男」がいるのだろうか。

印象的だったのは、2児の母が世話になっていた風俗店の支配人である男が、2時の母の母に言った台詞:
「あの子たちが、いったい、どういう世界に身を置いていたか御存じないんですか?あなた、無知過ぎるよ。いいですか?彼女たちの過去も未来も、彼女たちだけのものなんです。他の人間が関われるのは、その時に現在と呼ぶことの出来る、ほんの一瞬だけなんだ」

B'z "B'z LIVE-GYM Pleasure2019 - Whole Lotta New Love - 2019/06/14@三重県営サンアリーナ

常にそのただ中で「今」を楽しもう、とまるで撃たれるようにその言葉の意味を理解した帰り道。

元旦に至るところで#Bz2019という謎の告知が行われ、もちろん2019年にLIVE-GYMが開催されることは2018年のLIVE-GYMの千秋楽での発表で知っていたのでツアースケジュールが把握できるな、と思ったのもつかの間その中に「三重」があったことで俄然テンションが上がった元旦(稲葉さんの初日MCの痛恨の重複をオマージュ)。学生時代を過ごした三重でのLIVE-GYMに参加したい、しかもかなり早い日程だし、おまけにアリーナーツアーだからキャパ10,000人くらいだろうし、絶対行きたい!!ということで有給取れること前提で第1希望を平日金曜で申し込み見事SS当選。GW明けくらいから来る日も来る日もこの日にだけは大事な予定が入らないように微調整に微調整を重ね続け無事計画有給取得。前回開催は11年前のACTION、だけどその時は落選で行けなかった三重県営サンアリーナへ。

遠方のライブに行くのは小旅行的で楽しいんだけど、今回一番困ったのは車。翌日の予定の都合上どうしてもその日に帰宅しなければならず、そうなると電車で向かうことができない。サンアリーナはあまり駐車場が潤沢でないという下調べはしてたので早く現地につかないといけないけどそうは言ってもどれくらい早く着くべきか、どれだけでも早く着くに越したことはないしそれ自体は苦にならないけどそんなに早く着いて一体現地で何をするというの…とかぐるぐる回り、ひとまず12:00くらいにつけばどうにかなるだろうと思ったらすでに正規の駐車場は満車!!参ったーあの徒歩20分とかいう臨時駐車場に停めないといけないのかーと思いながらなとなく同じ停められなかった車列についていったら近くに駐車場があって運よく停めることができた。会場まで5分ちょっと?これは本当に幸運。

独りで参加だしグッズはほとんど興味ないし(B'zさんすみません)、ひたすら車の中で予習したり仕事のメール見たりワンセグでTV見たりたまに会場まで歩いて行ってツアトラ見たりして気分転換したりして時間をつぶすこと5時間、いよいよ入場の列ができたので並ぶ。SSは1枚14,000円なのでさすがに(SSだけじゃないけど)自分も含めて年齢層が高い高い。そして引き換えたら出てきたリストバンドはアリーナ3列!3列目ってたぶん"CIRCLE OF ROCK"のとき以来じゃないかな。育ちの地で至近距離で観られるなんてどうしたって顔がにやける。

ライブ本編は、まあこんなサイト検索で絶対引っかからないと思うけど一応マナー上ネタバレ入れて、と:

---以下ネタバレあり---














こんなもんでいいか。

なかなか珍しいなーと思ったのはアルバムの曲ほぼやったことかな?やってないの"Da La Da Da"だけかな?これもネットで調べてみたら日違いで別の曲と入れ替わりみたいなので、基本全曲聴けるツアーってことに。これはやっぱり今回バンド一新してそのバンドで作ったアルバムだからっていうことが大きいのかな。年齢層のこと書いたけど、今回のアルバムはよくLED ZEPPELINのような、という形容がついているみたいだけど、確かに僕らが子どもの頃の「ロック」というテイストが素人目にもする。ワールドワイドでもGRETA VAN FLEETとか、こういうロックが潮流になりつつあるのかな、と思うんだけど、確かに最初聴いたとき妙にゆったりだな、と思いつつもノリー今でいうバイブス?-は悪くないし、心地よさがある。激しいのを避けてこういう音に行ってるのではない感じはすごく感じた。サイケデリックな感じもあって。それで思ったのはB'zはそういう、テイストを変えるということに関してはサポートメンバーを変えることで大胆に取り入れることができるし、それによって新しい学びを積極的に取れる稀有なバンドなんだなということ。最新の音楽をやるために何を取り込めばいいのか、というのはメンバーによって補強することができる訳で、『NEW LOVE』は見事に新生ロックバンドになっていた。

それにしても歌唱と演奏のダイナミックさとは裏腹に、なんで稲葉さんのMCはあんなに固かったんだろう(笑)。ぎこちないったらありゃしない。すごくしゃべりにくそうにしてた感がある。地方に行くとそうなのかなあ?でもソロのとき、神戸はめっちゃ喋りにくそうだったなあそういえば。単にその日の調子なのか?なんにせよ最後の「またいつか絶対会いましょう!」の一言がめちゃめちゃ重かった。まあたぶん来年はツアーはないと思う。そうすると再来年?再来年のツアーってどうなっているのか?今回アリーナツアーだったけど、どんなふうになっていくのか?全然想像も予想もできない。ただただ、今回の『NEW LOVE』の楽曲で繰り返し歌われるように、守りになんか入らない、いつでも常に全力疾走する、というスタンスだけが響く。

アンコール終わって規制退場ではないことに気づいてぞろぞろ会場を出て、車は運よく駐車場内で列になっておらず道路に出るのもスムーズで、渋滞もなく高速に乗れた。深夜に車を独りで走らせるというのはもうずいぶん久し振りのことで、非日常感でちょっと気分が高揚する面と、どのルートが一番早く帰れるのか、カーナビがさすルートが自分がよく知るルートと違ったりしてその判断とかで心細い気持ちになるのとで混乱するんだけど、家に帰るとこれも楽しい思い出記憶になるんだろうなあと思ったとき、ならば今その心細ささえも楽しもう、それが「今」を大切にすることなのだと急に思い至った。僕は何でも過去を懐かしみあれがよかったと浸ってしまうクセがある。でも心細くてもなんでも、やっている「今」を愉しまないといけない。それが『NEW LOVE』で感じたことでもあった。向こう見ずという訳じゃない。たわいない夢、今日もひとつだけかなえるのだ。

そして何か変わる
いつか何か変わる
(『Rain & Dreams』/B'z)

『WOLF』『デウス』/B'z

聴けば聴くほど、今の"IN THE LIFE"な感じ。

『WOLF』

いつどのタイミングで書かれた歌詞なのか推測してないけど(タイアップがあったのでそこから逆算してある程度推測できるはずだけど)、「嫌われることを恐れて なにかを成せると思うの?」というのが、メンバーチェンジと重なって非常に重い重い。この「嫌われることを恐れてなにかを成せると思うの?」というテーゼは他の曲にも出てきて、自分をしっかり持つことの重要性を思い知らされる。B'zはずっとそういうスタンスの歌詞だったはずだけど、『WOLF』のそれはひたすら重い重い。「友情なんかいいエサにされる」と、『Brotherhood』を下に引いたようなイメージが重なったりするのもあるかも。それでも頑張るのは大きな意味での「愛」があるから、なんだよね。

『デウス』

まあもう死ぬまでやりたいことやります、と大見得切ってる曲なんだけど、そこに放り込まれる「ちっぽけな存在こそが自由」。ガツーンと胸と頭をいきなり殴られるような衝撃。結果を追い求めすぎていて、どんなふうに生きるのか(=スタイル)を忘れてしまっていないか、というメッセージと、始めるのに遅いことなんてない、というメッセージと、「ちっぽけな存在こそが自由」。そしてこの曲に『デウス』とつけるフィーリング。爽やかな曲調でないと受け付けにくいくらい厳しいメッセージだと思う。