『デザイナーじゃないのに!』と『やってはいけないデザイン』は、中古品でもそれほど値段が下がっていない。だからこそ看板として置き続けるべきか、まだもう少し考える。一気に棚を変えてしまって、全集モノを並べるというアイデア。
9/4の店番のときに何をするのかいろいろ。あまり凝ったものはもう時間的に間に合わないし。
『デザイナーじゃないのに!』と『やってはいけないデザイン』は、中古品でもそれほど値段が下がっていない。だからこそ看板として置き続けるべきか、まだもう少し考える。一気に棚を変えてしまって、全集モノを並べるというアイデア。
9/4の店番のときに何をするのかいろいろ。あまり凝ったものはもう時間的に間に合わないし。
「やってはいけないデザイン」が売れた連絡。いよいよfromいこま3名著が成り立たない。
補充しようと思うと当然仕入値と売価を想定しないといけない。今回売れたのはコストを無視できたので価格を比較的安価に設定できたから。次回からは仕入値以上の売価の設定になるので、売れにくくなると思うし、この「せどり」で利益をあげようと思うと勢い1冊の純益は小さくなるので、物量勝負になる。だから他の貸棚さんはものすごい量の書籍が並んでいる。
これに倣うのか倣わないのか。スカスカの棚は以外と見やすいと思うので、個性はあると思う。ポイントはふうせんかずらに足を運ぶタイプの方たちに、今の僕の、組み合わせの面白さ、紹介それ自体を前面に出すスタイルで続けていいのかどうか。自分は売れなくてもいいけど、いろいろ品を変えるだけの紹介のバリエーションを持たせられるように検討しないといけない。
"精神のリミッター みなのうなしてしまえよ"
("愛なき道"/稲葉浩志)
もはや恒例というか、感染拡大で県を跨いだ移動が憚られ、京都と滋賀にはまん延防止措置、おまけに風は東風5m、県の南側はさすがに直近3回行ってて飽き気味なので、久しぶりに布目ダム周回に。
前回の津行きの朝と違い体調は懸念なし、ただ最近すぐに心拍がマックスに達して苦しくなる感じで、これは暑さも関係あるだろうと、とにかく心拍が上がらないように、登りで無理をしないように、少しでも心拍がキツいようなら迷わずペースを落とす、というのを意識して柳生から布目ダムに。
布目ダムで記念撮影休憩のあと、水間トンネルに向けてまた登り。意識して抑えていたのでペースは遅いと思いつつ、走り終えてみて辛かった記憶はやっぱり全然ない。呼吸も気をつけていたし、意識して心拍が上がらないように、心臓を安定的に保つようにしていたのが効果があったのだと思う。過去の布目ダム周回と比べてみたらペースも遜色なく、むしろ若干早くなっていたので、登り方としてはこのほうがよいのだろう。
心拍を一定にするというのは思わぬ気づきだった。これはわかっていたようでわかっていなかった、日常生活にも仕事にも活きる。エモーショナルであることが現代では必要なことと思っていたが、感情的ということとエモーショナルということは違う。心拍を一定にしつつエモーショナルというのは、浅い考えだと「演技」になってしまうがそうではない。なぜ心拍が一定のほうが効果があるように思えたのか?それは自分のアクトに対するフィードバックを確実に受け取れるからということと、エモーショナルを適切に表現できるからだ。離見の見。自分に取って不快で受け入れがたく、かつ自分に理がある状況であっても、心拍は一定に対応する。これは思わぬ気付きだった。
自分は若干ナイーブで、何かに没頭すると極みに行き着いたときに破綻してしまう嫌いがあり、ずっとそれにはブレーキを掛けてきたが、リミッターを外しても破綻しない、破綻の衝動をうまく使いこなせるところにたどり着きつつある実感がある。それは目線を上げたこととも少し関係していると思う。そして呼吸を保ち心拍を一定にするというのは、イメージだけではなくフィジカルにおいても日常生活に仕事に役立つ気づきだった。
以下箇条書き:
「デザイナーじゃないのに!」が売れたので、補充しないと"fromいこま3名著!"が成り立たない。
こんなに早くというより、売れるとさえ思っていなかったけど、売れたとしたらどうするか?というのはシミュレーションしていた。3名著という看板は降ろしたくないので、補充はしないといけない。でも定価で販売しても売れないので、古本を買って売ることになる。それって、ほんとは定価で買われたほうが著者のためになるんじゃないの?と思ったけど、仕入れたものを欲しい人に販売することはビジネスの基本であり正しいこと。必要としている人がその人のアンテナでは見つけきれなかったものを、自分が介入することで届けることができ、その届けるための手間賃を頂く。これが基本的な考え方。必要な人が必要なものを見つけるアンテナはネットの普及で大いに下がっているから、求めるだけではなくて「偶然」出会ったものを買う、という購入がより重い価値を持ってきっている。だから、ふうせんかずらのような店舗に足を運ぶ人に、よい出会いを提供できるような本と陳列を工夫しようと思う。
恒常的に置ける3名著のポップを作ろう。売れても「こういう本がありました」とわかるような。
"There is no turning back"
("GO FOR IT,BABY" / B'z)
県外に出るルートというのがなんとはなしに躊躇われる日々なので、県内で走って楽しそうなルートを走るのも3回目。自転車道を使って南下してからクライムを熟して帰ってくる、というのが思いの外いい感じ。自転車道は橿原まで片道1時間前後、この1時間がもったいないと以前は思ってたけど、今はちょうどいいウォームアップ・クールダウンになるというか、帰りはもちろんしんどいんだけどほんとにちょうどいいルートだと思う。
龍王ヶ渕は奈良県人の中ではまずまず知られているんじゃないかと思う、別世界の景色が広がる場所。写真好きの人が多くネットに写真をアップしているのを観て、写真の撮り方・表現もあるんだろうなとぼんやり思っていたけど実物は写真通りの別世界でした。私がスマホでなにげに写真撮っても水面にばっちり映り込む木々。それなりに観光に訪れている人がいるのに静寂。橿原から165経由でクライムして行った甲斐ありました。
これで良かったのかなあと思うことは毎日、不安に支配されてしまうけれど、たまに湧き上がってくる挑戦心を逃さず捕まえて前に前に進んでいく。There is no turning back.
以下箇条書き:
水間峠ライドのついでに巡回!
昨日初めての売上報告LINEをもらって、まさか何冊か売れているとは思わずびっくり。そのLINEでは、各店主さんの値札が写ってるんだけど、値札が可愛かったり凝ってたりして、こういうところも工夫できるんだなと感心。今日、お店で偶然棚音文庫の中原さんにお会いできて、その際お伺いしたお話では、
なるほどなるほど。
その後、虎月さんともお話。
定 休 日 :年中無休( 臨時休業あり )
憧れの本屋さんに!
「ふうせんかずら」は前から知ってて、行ってみたいと思いつつなかなか足を運んでなかったところに、不意に目に飛び込んだ「貸棚サービス」。二ヶ月で¥5,000、販売手数料無料。書籍やzineなら何でもOK、自分で値決め。今ならキャンペーン中で¥4,500。
やる!!
見た瞬間に申し込んでました。
いつもこういう面白そうなのは、やりたい!とテンション上がるんだけど、どの本持っていこうか、とか、他の人は凄いかっこいい棚作ってるんだろうな、とか、ネガティブに考えて尻込みしてぐずぐずして止める、もしくは枠がいっぱいになる、の繰り返しだったけれど、この貸棚サービスは即決でした。本を売りたい、というよりも、「自分の棚をつくる」「こういう本の組み合わせで読むのがおもしろいよ」「この棚の主はこういう要素が混じり合ってるんです」という自己表現的な、自己表現でいて誰かに「これ絶対おもしろいよ」という本の紹介が届くかもという、この摩訶不思議なフィーリングが楽しくてたまらない。
まず手始めに、サイトに記載されていた棚のサイズを確認して、これくらいなら入るだろうと目安をつけて最低限の本を搬入。ふうせんかずらの竹本さん、棚音文庫の中原さんに挨拶させて頂きながら、家族で棚づくり。デコレーションするものをそれほど持って行かなかったけれどそれでもあれこれ工夫するのは楽しくてたまりません。
これから毎日棚のことを考えるだけで楽しくなるのは間違いない!
「ふうせんかずら」
奈良市東城戸町32-1
近鉄奈良駅から >> 徒歩6分
J R 奈良駅から >> 徒歩12分
営業時間:7:30〜22:00
定 休 日 :年中無休( 臨時休業あり )
"どしゃ振りでも心配事があっても絶好調だと言い放つよ"
("NO EXCUSE"/B'z)
ここしばらく帰り輪行の行きっぱなしツーリングをしていないので、同じ時間走るならできるだけ遠くへ行きたいという欲が薄れてきた。輪行を組み入れないのはもちろんコロナ禍の影響。電車に乗ることが即NGではないにしてもどうしても気が引けるのは事実。それで4月上旬、吉野の桜を観に行くつもりをしていたのが都合で行けなくなり、ならばどうしても花を観たいということで選んだ目的地が牡丹が見頃を迎えつつある、と記されていた長谷寺。
長谷寺は今から8年前、TRANSITの向井さんとYANAGIMOTO STANDのヤッさんと行ったことがあり、長谷寺までは普通に走れたけどその後北上していった途中でバテて完全に足が止まった記憶があり、イヤなイメージしか湧いてこないけれど敢えてそのルートを想定。天理ダムに抜けるコース。楽勝ではなかったけれど辛いという感覚も記憶も全然ない。あんまり上達しないなと思いながら約10年、多少は進歩しているのかも。
両親とも体調が優れず、気休めに長谷寺のお守りを渡しに実家に寄り、帰ろうとしたらどしゃ降り。天気予報より1時間くらい早く降り出した感じだった。ここまで結構計算通りで来たのにな…と思いながら止む気配もないのでどしゃ降りのなか帰路へ。思いの外ブレーキが効かなくなることがわかったので、コントロールできる範囲のスピードで慎重に。そういう心配事はいくらあっても絶好調だと言い放つスタイルで全然OKだけど、家族の健康の心配事をどう扱うかはなかなかに難しい。でもそれがパフォーマンスに影響しないようにするために、公言するというのはつまり絶好調だとい言い放つということに近しいと思うので、常に全力を尽くすように心がけるというのがその精神ということだ。
以下箇条書き:
"僅かな月日で積み上げた
幻を後生大事に拝むのはもうやめた"
("Wonderful Opportunity"/B'z)
久しぶりのロングライド、天気もよさそうだし、行き先は見頃の月ヶ瀬梅林で早々に決定。ルートも少しでも負担の軽いルートということで復路をあまり好きではない163号に設定。在宅勤務の副産物でローラーの回数が増えて少しはよく走れるようになった気はするけれど、10年やってこれだからもう人並みに走れるようになりたいなんて思いは捨てた。巡航23km/hのままで構わない。自分のペースで、できるだけ最後まで疲れないように、気持ちよく走れるようにセーブしながらセーブしながら走ることに決めた。
僕はどちらかというと聞き手タイプの人間だ。人の話を聞くのが好きで、逆にこちらから何かを話そうとしても遮って話を続けられることが多い。勢いいろんな意見を取り込むし、その結果ポストモダニズムの相対主義の罠に落ちたような状態になることも多々あった。自分の思いを通すよりも、相手がどうしたいかを理解してそこに作用していくほうが早い。そうやっているうちにあちらとこちらの矛盾を許せないが故に身動きがとれなくなっていたことに初めて気がついた。僕はフォーマットを重要視するタイプだが、それぞれの相手に対して満点のフォーマットを心がけ続けた結果、いつも満点が取れないことに、それはあたり前のことなのに疲弊していることに気がついた。
相手が罵倒のフォーマットならこちらも罵倒すればよい。目には目をは下劣な考え方だがそういうことではない。こちらの疑問を、相手の意見を尊重するほうが「楽」だからと潰してしまうのは手抜きだということだ。そこで物を申した結果失うものがあるような気がしていたが、その幻を後生大事に拝むのはもうやめた。そもそも、僅かな時間だったのだ。
もちろんトレーニングは大事だ。上を目指すスタンスも大事だ。でもそれは一体何のためにやっているのか?それが一番大事だ。何も悪いことをせずに善良に生きていてもうまくいかないことはあって、そんなときでも考え抜いてやっていくのも、信仰を頼りにするのも、どちらもあってよいことだ。100km弱を走り終えて帰宅したのは出発から6時間後、梅林やダムやで写真を撮りながら走ったにしては悪くないタイムだったし、それほど疲れてもいなかった。
以下箇条書き: