『乙女の密告』/赤染晶子

4103276614 乙女の密告
赤染 晶子
新潮社  2010-07

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京都の外国語大学の、『ヘト アハテルハイス』をテキストに用いるゼミに参加している「乙女」であるみか子。バッハマン教授から明日までに1944年4月9日をスピーチコンテスト暗唱の部の課題テクストとして、明日までに暗唱してくるようにと乙女達に課題が突きつけられる…。

乙女と真実と自己と他者。『ヘト アハテルハイス』(アンネの日記)の暗唱を通じて、認識の問題が掘り下げられていく。自分が「自己」であるとはどういうことか。「他者」でないとはどういうことか。そして、自己が何者かを、ほんとうに自分は知っているのか?そもそも、その「真実」を知りたいと、思っているのだろうか?みか子は言う。「乙女は真実を必要としない」。そう、本著では「乙女」は「直視しないもの。目を逸らすもの。」の代名詞だ。

アンネは1944年4月9日の日記で「オランダ人になりたい」と、「他者になりたい」と宣言している、そのことの意味をみか子は暗唱の中で掘り下げていく。この、掘り下げていく過程の描写が、ものすごく小気味がいい。とても短い文章がリズミカルに畳み掛けられてくる。いや、「リズミカル」というのとはちょっと違うかも知れない。頭の中で音読するに淀みがないような流麗な長い文章がうねうねと続くようなものではなく、とにかく一文は一個の事物しか表わさない、といった短文で語りが続き、乙女と真実と自己と他者という概念的な何かを頭に描かずにおれなくなるのだ。

クライマックスでみか子がアンネの名前を「血を吐いて」語るように、本著にとって一番大切なテーマは乙女と真実と自己と他者なのは間違いないと思う。けれど、僕にとっていちばん印象に残ったシーンは、バッハマンが乙女達を2つのグループに分けるときの、「あなたはいちご大福とウィスキーではどちらが好きですか」というシーン。乙女達はいちご大福が好きかウィスキーが好きかという条件だけで2つに分けられ、それだけの条件なのに分けられた2つのグループは驚くほどの団結を見せる。あたかも「他者」とは全く違うと断言するある「グループ」を形作っているものは、この「いちご大福かウィスキーか」という分け方と、それほど違うのだろうか?「自己と他者」というテーマを構えながら、そこにもう一つ、「そうまでして他者と線を引きたい自己の、自己を自己たらしめているものって、実は”いちご大福かウィスキーか”と同じくらい、意味なんてないことなのかも知れないよ」と言われている気がした。

『ミーツへの道』/江弘毅

4860112059 ミーツへの道 「街的雑誌」の時代
江 弘毅
本の雑誌社  2010-06-02

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『ミーツ』が神戸新聞社生まれということも知りませんでした。僕は1995年に大阪に出てきたんですが、『ミーツ』が市民権を得だしたのは1990年代からと判って、意外と最近のことなんだなあと思いました。自分が大阪に来た時既にあったものは、大阪の人なら誰でも知っているものだという思いこみがあったので、『ミーツ』に関しては、「大阪のちょっと感度の高い人なら誰でも知ってる雑誌」と思ってたのが、実はまさに浸透現在進行形の時代に自分もいたんだなあと思った。歴史は正しく知らなければほんとにわからない。
その『ミーツ』と神戸新聞社との確執が赤裸々に語られて興味がぐいぐいそっちに引っ張られるけれど、敢えて言えば、子会社である以上当たり前のことのような気もする。とは言え、あの『ミーツ』の編集長としての感性を残したまま、財務諸表や費用対効果やキャッシュフローやと行った会議に出られるというのはかなりのキャパシティだと僕でもわかるし、そういう懐を持った仕事のできる男になりたいと思う。

『ミーツ』を知ってる人なら誰が読んでも絶対に面白いと思う。読んで損はないし、自分の仕事のスタンスに少なからず影響を与える。『ミーツ』を知らない人にも読んでほしいなと思うし、「あの『ミーツ』の」という関西人特有の権威付けから自由に読める人がどんな感想を持つのかにも興味があるのでぜひ関西人ではない人の感想を読んでみたいです。

『そしてカバたちはタンクで茹で死に』/ジャック・ケルアック&ウィリアム・バロウズ

4309205399 そしてカバたちはタンクで茹で死に
ジャック・ケルアック ウィリアム・バロウズ 山形 浩生
河出書房新社  2010-05-15

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ジャック・ケルアックは『オン・ザ・ロード』を、ウィリアム・バロウズは『裸のランチ』を、それぞれ1冊読んだことがあるだけで、二人がビートジェネレーションであり熱狂的に支持された作家という程度の知識しか持ってないまま読んでみた。『オン・ザ・ロード』も『裸のランチ』も面白かったのは面白かったんだけど、僕は「破滅的な何かを漂わせる魅力ってそんなに魅力か?」と文句をつけたがる性分になっていたので、掘り下げて何冊か読んでみようとはしなかった。ドラッグにせよ精神異常性にせよセックスにせよ、生まれたときから多少なりとも命に関わる病気持って生まれた生い立ちの人間に言わせてもらうと「バカバカしい」ということになっちゃう(もっとも、両親がうまくやってくれたおかげで早くに治り本人は病気で不自由した記憶はないけれど)。精神異常性も自分で好き好んで破滅的な生活に追い込んで陥る分はとくに「バカバカしい」と思ってた。1972年生まれでバブルを越えて青春を1990年代前半に過ごした僕は、問答無用の無茶苦茶さならもっと酷いものを見てきたし、そういう無茶苦茶さに与してもほんとにバカバカしいだけで何にもならんというのも実感的に判ってて、ビートジェネレーションも「今更何なん?」と思っていた。
本著の後書を読んで、ビートジェネレーションが狭い人間関係の中にあって、その引き金となった事件がカー・カマラー事件ということを学んだ。ルシアン・カーが、デビット・イームス・カマラーを殺害した事件で、本著はその事件をベースにして、知人であるケルアックとバロウズが章ごとに書き繋いだ作品だ。カマラーはゲイで、25歳のときに知り合った11歳のルシアンに入れあげる。そして8年間の末、ルシアンに殺される。性的関係はなかったとされる。僕はゲイではないのでその点だけはわからないけれど、カマラーのことを「煩わしいが利用したい部分もあり頼らざるを得ない部分もある」と見なさざるを得ないルシアンの困惑はちょっと判らないでもない。そこにゲイという要素が絡めば一層ややこしくなるのは自明だろう。でも、これって、言ってみれば普通、自分の親に対して誰しもが抱く感情だと思う。その依存の対象が自分の親ではなく、性的に倒錯した男性だったところに、ルシアンの中でも無理が溜まっていったんだと思う。そして、ビート・ジェネレーションの一味は、バイセクシャルが珍しいことではない-というより、「それがどうしたの?こんなの普通のことだよ」と言いたがってるように見える。
1972年に生まれて現代を生きている僕にしたら、「そんなに壊れたいんならさっさと壊れてしまえばいいじゃん」と唾を吐きかけたくなる。その倒錯した破滅的な魅力というのはもちろん判らなくはないんだけど、壊れたがってるくせにうじうじ生きているようなヤツが僕はいちばんしょうもないと思うのだ。何かを壊したいと思ってるならまだいいけど。後書にも書かれていたけれど、この本の一番の無理は、「ストーリーの起点がカー・カマラー事件」であることだ。始まりを終わりに持って来ざるを得ないプロット。それって何のための始まりなの?とプロットにさえ突っ込みたくなる。
僕は既に、雰囲気だけで耽美できるような時代も頃合も年齢も通り過ぎて今を生きているので、このビートジェネレーションの時代の魅力を今更学んで耽ることはできないと思う。自分が実際に生きてきた時代の懐古なら出来ると思うけど、その魅力の根本が全く自分の性に合わない時代の魅力にはもはや理解を示せない。『そしてカバたちはタンクで茹で死に』というタイトルの元になった場面が作中に出てくるけれど、「カバたちってのはつまりビートジェネレーションの仲間全体だろう?」と邪推しても、「ただのラジオ放送からおもしろいと思って引っ張っただけ」と言い返すくらいだろうし。

『これからの「正義」の話をしよう-いまを生き延びるための哲学』/マイケル・サンデル

4152091312 これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍
早川書房  2010-05-22

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断片的に語りすぎる。それは世界中どこでも共通の言論の癖なのかも知れないけど、この日本では間違いなくそれが当てはまっていると思う。例えば、本著のp231、「実力主義の社会につきものの独善的な前提、すまり成功は美徳がもたらす栄誉であり、金持ちが金持ちなのは貧乏人よりもそれに値するからだという前提を くつがえす」「職やチャンスを得るのは、それに値する人だけだという信念・・・は社会の 連帯を妨げる・・・成功を自分の手柄と考えるようになると、遅れを取った人びとに責任を感じなくなるからだ」あたりを日本の保守支持層や高齢層あたりが読めば、「だから過去の日本に存在していた、過度の成果主義を抑えた社会に回帰すべきだ」と言い募るに違いない。けれど、本著がここで語っているのはそういう文脈ではない。「道徳的功績」を巡る考察があって初めて理解できる文脈だ。過去に非成果主義的な社会があり、そこに成果主義を持ち込んだ現状で、単に非成果主義的社会の長所と見える側面だけを求めて回帰するだけでは、そこにもまた嫌気がさして逆戻りするだけだ。

本著で語られているように、日本では「正義」という概念は、避けて通ってきていたと思われる。もしくは、「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚か、または「天皇が判断するもの」「将軍様が判断するもの」という、ある種の特権が、一般人に下ろしてくる判断という、トップダウンの思想だ。「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚は、もしかすると本著で述べられている正義に対する第3の考え方に似ているのかも知れない。ただ違うのは、アメリカでは正義と政治は切り離せないものとして考えられていることだ。日本では仮に正義が第3の考え方的なものだったとしても、それを政治に繋げる発想には縁遠いような気がしてならない。そして、正義や道徳から切り離して、まったくもって「リベラル」な環境下で、”競争していればいいものが生まれる”というあまりに純粋無垢な幼稚な考え方でここまでやってきたのかというのがよくわかる。”それで何の文句がある?”という言説に明快にカウンターを打てないというだけでずるずるここまで来てしまった罪は、いたるところで引き受けられなければいけないと思う。

『ストーリーとしての競争戦略-優れた戦略の条件』/楠木健

4492532706 ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)
楠木 建
東洋経済新報社  2010-04-23

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p490「個人のレベルでどんなに精緻にインセンティブ・システムを整えても、戦略を駆動する力は生まれないのです。」
p490「自分の仕事がストーリーの中でどこを担当しており、他の人々の仕事とどのようにかみ合って、成果とどのようにつながっているのか、そうしたストーリー全体についての実感がなければ、人々は戦略の実行にコミットできません。」

このことは、『39歳までに組織のリーダーになる』にも書かれていた。個人レベルでインセンティブ・システムを整えて戦略遂行が成功するのは、守銭奴だけをばっちり揃えた組織だろう。『ザ・タートル』 のような組織でさえ、自分の意思を試そうという人間が現れたというのだから。

自分が日々行っている「業務」に対して、「戦略」の考え方をあてはめるのは難しいことが多い。難しいというより、「業務」は「戦略」レベルではないから。自分の日々の業務というのはつまるところ「提案」だが、「提案先のお客様にどうやって自社の提案を採用してもらうか」を考えるのは、戦略のようで「戦略」レベルでないことが多い。これは自分だけが整理していればいいものではなく、関連するチーム全員がしっかり共有できていないといけないが、コミュニケーションが分断されがちな自社の組織編成ではここがひとつ大きなネックになっている。

戦略を展開する際に、それぞれが「個人商店」的な組織になっていると、ほとんど展開ができない。対象とするお客様の特性が大きく異なり、かつ、戦略で展開したい「商材」がどうすれば成功するかという部分の理解に大きなレベルの違いがある場合、展開される側の人間が求める「メリット」というのは「省力化」、もっと簡単に言えば「簡単に売れるポイント」や「一撃必殺技」を求めるだけに陥る。

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pⅷ「このところの戦略論の「テンプレート偏重」や「ベストプラクティス偏重」には、むしろストーリーのある戦略づくりを阻害している面があります」
p8「無意味と嘘の間に位置するのが論理」
p13「違いをつくって、つなげる」、…これが戦略の本質
p31「実務家に影響力のあった戦略論に「ブルー・オーシャン戦略」があります」
p45「「プロフェッショナル経営者」という幻想」「経営者の戦略スタッフ化」「テンプレートやベストプラクティスは過度に心地よく響きます」
p46「情報(information)の豊かさは注意(attention)の貧困をもたらす」
p50「戦略ストーリーは、…環境決定的なものではない」
p57「徹底した機能分化は、…協力なリーダーを必要とします」
p58「機能と価値の違い」「機能のお客さんは組織」「価値のお客さんは…組織の外にいる顧客」
p76「ソフトバンクは「時価総額極大化経営」を標榜」
p102「「目標を設定する」という仕事が「戦略を立てる」という仕事とすり替わってしまいがち」
p113「シェフのレシピに注目するのがポジショニング(SP:Strategic Positioning)の戦略論」「厨房の中に注目するのが組織能力(OC:Organizational Capability)に注目した戦略」
p117「実際に画面を横から見て、『きれいに見えてイイね!』と喜んで仕事をしているユーザはいるのでしょうか」
p128「ルーティンとは、あっさりいえば「物事のやり方(ways of doing things)です」「その会社に固有の「やり方」がOCの正体」
p160「我慢して鍛えていれば、(今はそうでなくても)そのうちきっといいことがある」
p173「戦略ストーリーの5C」

  • 競争優位(Competitive Advantage)
  • コンセプト(Concept)
  • 構成要素(Components)
  • クリティカル・コア(Critical Core)
  • 一貫性(Consistency)

p178「要するに「売れるだけ売らない」ということです。」フェラーリの例
p218「ごく粗い脚本で、暫定的なキャスティングで、舞台装置の準備もそこそこに、まずはやってみよう…」
p232「売れない店から売れる店に商品を移すことによる平準化」
p238「コンセプトとは、その製品(サービス)の「本質的な顧客価値の定義」を意味しています」「本当のところ、誰に何を売っているのか」
p264「すべてはコンセプトから始まる」
p268「1980年代に入って、アメリカは価値観の断片化が進んだ結果、過剰なハイテンション社会になりました。」
p274「「誰に嫌われるか」をはっきりさせる、これがコンセプトの構想にとって大切なことの二つ目
p276「大切なことの三つ目、…「コンセプトは人間の本性を捉えるものでなくてはならない」
『LEON』や『GOETHE』は「人間の本性」を捉えているけれどそれは一部の人間の本性の一部でしかなかった そしてそれは大多数にならなければ魅力の本質を失ってしまうような、自立性の弱い「群れ」のようなものだった
p325「468店に相当する規模のオペレーションを構えるというアグレッシブ極まりない計画」「1999年には1500万ドルを投じて最先端のサプライチェーンのシステムを構築」
p346「「バカな」と「なるほど」」吉原英樹
p363「B社がA社の戦略を模倣しようとすることそれ自体がB社の戦略の有効性を低下させ、結果的にA社とB社の差異が増幅する」
p423「「なぜ」を突き詰める」
p437「「人間のコミュニケーションや社会のありようが革命的に変わる!」という大げさな話をする人が決まって出てくるのですが、私は全くそうは思いません。」(Twitterについて)
p443「営業スタッフがその店の良いところを発見し、それを限られた広告スペースの中で表現して、ターゲットである二十代の女性読者に伝える。」
p446「日本テレビのプロデューサーとして、テレビの創成期を引っ張った人物」井原高忠
p450「一撃で勝負がつくような「飛び道具」や「必殺技」がどこかにあるはずだ、それをなんとか手に入れよう、という発想がそもそも間違っている」
p458「そろそろ成長の限界にさしかかっているのかもしれません」
p464「ごく個人的な活動は別にしても、ビジネスのような高度に組織的な営みの場合、失敗したとしてもそれが失敗だとわからないことのほうがずっと多い」
p482「ビジネススクールの戦略論の講義がしばしばケース・ディスカッションの形をとるのは、それが過去のストーリーの読解として有効な方法だから」
p493「一人ひとりがその念仏を唱え、自分の行動がその行動基準から外れていないかを毎日の中で確認できる。」
p499「小林三郎さんがこう言いました。「それは個人の『欲』です。『夢』という言葉を使わないでください」
p13「平尾」

『下流の宴』/林真理子

4620107530 下流の宴
毎日新聞社  2010-03-25

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絵に描いたような中の上家庭を築いた福原健治と由美子の息子・翔は、高校を中退してバイト暮らしをし、取るに足らない親子喧嘩の末に家を飛び出したと思ったら、20歳の折、22歳の珠緒を連れ、「結婚する」と言いだす。自分は漫画喫茶のバイトの身、相手の珠緒も同じバイトの身と言うのに…。

医者の家庭に生まれ育ち、プライド高く育てられたおかげで、「自分たちの生きる世界は、あんたたちとは違うのよ」という意識丸出しの由美子に見下された悔しさから、「医者になる。そのために医学部に入る。」と一大決心をし、2年かけて見事合格を果たす珠緒の物語が主軸で、立身出世伝としては至って普通なんだけど、通信教育のやり取りとか、ディティールが効いてて珠緒を素直に応援しながら読めるし、こういう「やってやるんだ」という意思が大切なんだと感じれる。
けれど一方で、ふがいないとバカにしながらも、翔のスタンスを全否定はできない自分がいる。翔は言う。「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ」。親にうるさく言われた子どもが「わかってるよ!」という、そんな心性から全然成長していない。していないけど、自分もおんなじじゃないか?と寒々としてしまう。そんなに先のことも考えてないような気がするし、難しい局面からは常に逃げようとするところも同じなような気がする。そして、珠緒の合格を見届けた翔は、「努力する人って、重苦しいんだ。」と言い放つ。それも、穏やかに、大人びた微笑を浮かべて。

これはどういうことなんだろう。努力する人って重苦しい、というのは、かすかに理解できてしまう。言ってみれば「キリがない」のだ。努力して上に登り上に登り、一体いつまでやればいいんだ?というのが見えない世の中だから、最初から諦めてしまうのだ。それこそ健治や由美子の世代の世界には、「あがり」があった。上る途中で失敗し、そこで停滞してしまっても、あくまで「停滞」であり「停止」であって、「転落」はない。けど、現在は、健治と由美子のもうひとりの子どもである可奈の夫・北沢がうつ病になり解雇されるように、失敗は「停滞」では許されない。「喪失」に繋がるのだ。努力して上に登っても、資本主義の成長と破壊よろしく、「喪失」してしまうところまで上に登る努力をせざるを得ず、その努力を怠ることは許されない。つまり「キリがない」。そして、翔のような人間が生まれてしまう。それを見抜いていたのは健治だけのような気がする。つまり、「おそらく奮起、なんてことと一生無縁に暮らしていくんだろう」。

こういう人間を生み出してしまうのは、由美子のような偏った価値観だ、と断罪するのは簡単だけど、どうも座りが悪い。林真理子の作品を読むのは初めてだったんだけど、優れて現代小説で面白かった。

p38「自分たちは競争激しくて、受験勉強大変だったから、子どもたちにそんな苦労はさせたくないからって、個性だとか、自分の好きな道を、なんてやってたら、子どもはみんなニート、ニートなのよ。」
p49「社会人となれば、学生時代よりも1ランク、2ランク上の相手が見つかるに違いない」
p100「OLとの差は、こうしたちょっとした小物で決まるのだ」
p115「何かの調査によると、今の二十代の四割が、親の水準以上の生活はおくれないという」
p118「お金と縁のないくせに、お金を追っかけると品が悪くなる」
p139「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ。そういうこと」
p232「それは社会から受ける信用と尊厳というものだ。」
p304「人のやること見て、励ますなんて、マラソンの沿道で旗ふってるだけの人だよ。自分で走らなきゃ、何の価値もない。だけどもうじき、あんたにも走ってもらうかもしれない。」
p346「どうせみじめな老後が待ってるんだったら、何をしても同じだね、なんていうのはさ、まるっきり違うと思うよ」
p412「あなたっていつも、他人ごとのように言うのよね」

『聖☆おにいさん(5)』/中村光

4063729060 聖☆おにいさん(5) (モーニングKC)
講談社  2010-05-24

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楽しみにしていた第5巻!amazonから届いて一気に読みました。

イエスとブッダが普通に立川で節約生活を営んでるというナンセンスな空気の中に漂うほのぼの感が凄くいいです。イエスは1,2巻あたりは妙にネットとかPCとかゲームとかにハマってる現代っ子感でギャップができててそこが面白かったりしたけど、5巻はあんまりそういう印象はないかな~。イエスとブッダの仲の良さが伝わってきて余計に面白い!

5巻の中ではカンタカがいちばんいい味出してて印象的。ちょっと涙ぐんでしまいそう(笑)。聖☆おにいさんは何巻から読んでもおもしろいのでオススメです。

『ストロベリー・ナイト』/誉田哲也

4334744710 ストロベリーナイト (光文社文庫)
光文社  2008-09-09

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ストーリーテリングは抜群にうまいと思う。隠された何かがもうすぐ出てくる期待で先へ先へと引っ張るうまさ。例えば玲子の過去、17歳の夏に何があったのか。語られそうで語られないまま先に進み、イライラしない程度のよいタイミングで語られる。飽きずに読み進められる抜群のテンポなんだけど、僕が小説で読みたいと思う肝心のところはなかったし、こういう「ドキドキハラハラ」みたいなのでストーリーを追うものは、僕にとってはわざわざ小説で読む必要はないと思ってる。テレビドラマとか漫画とか、他にいくらでもそれを楽しませてくれるものはある。小説は小説ならではのアレが欲しいんであって、活字を追っていくのが苦痛だから、ストーリーの起伏でぐいぐい引っ張りましょう、その「ぐいぐい引っ張りましょう」だけがあるような小説は読まなくても別にいいと思ってる。

主人公の玲子の感情、過去の事件を思い出したときの心情や、警察官になろうという動機、捜査での競争に面した際のメンタリティ、それらはさすがに記述がたくさん出てくるけれど、この小説に出てくる「玲子」独自のものはほとんどないように思う。玲子に起きた過去の事件がきっかけで起きる心情の変化も、何かのドラマとかで散々見たような話だと思うし、ましてや犯人の心情については、「なんかおかしなヤツがいました」くらいの扱いだと思う。犯人は複数いて、それぞれ過去や生い立ちに確かに不幸なものがあると描かれてはいるけれど、それが殺人につながるところまで追い込んで書かれてはいないから、「なんかおかしなヤツがいました」くらいの印象しか残らない。小説はそうではなくて、納得させたいなら納得せざるを得ないくらいこちらを追いこんで悩ませてほしいし、理解不能なものなのなら徹底的に理解不能加減を描いてほしいのだ。

『プレジデント 2010年5/31号』

B003HMGJ0S PRESIDENT (プレジデント) 2010年 5/31号 [雑誌]
プレジデント社  2010-05-10

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p21「政治とカネ」

「鳩山、小沢両氏のケースでも二人は監督責任を問われたが、選任つまり会計責任者を選んだ段階で”相当の注意を怠った”とまではいえなかった。これを立証することは事実上不可能で、法律に実効性を持たせるには”選任及び監督”を”選任または監督”に変更し、監督責任だけで刑事罰を科すようにすべきです」
「鳩山首相に対する議決書にも「選任さえ問題なければ監督不十分でも刑事責任に問われないのは、監督責任だけで上司等が責任を取らされている世間一般の常識に合致しないから改正されるべき」

p12「経営時論 激安戦争を脱するヒントは伝統産業にあり」

「メーカーに対する価格交渉力を高めていく必要がある。そのためには量をまとめなくてはならない。量をまとめようとすると、ますます低価格を訴求せざるをえなくなる。」
「しかも、いったん交渉力を獲得してしまうと、それに安住して、メーカーの努力ばかりが要求され、自らのオペレーションの効率化が怠られてしまう。小売業者の能力も高まらず、低価格戦略に頼らざるをえなくなってしまう。」
→ どんな尺度で能力を検証すべきか?それぞれの役割を果たせているかを具体的に話せる尺度を考えることが重要

「長い歴史を持つ地場産業では、低価格競争に陥らないようにする慣行が生み出されている」「商人や職人たちは、競争を仕掛けてくるユダヤ人商人を街から追い出したが、住民は、ユダヤ商人たちが移り住んだ隣町まで買い物に出かけたという報告もある。」
→ 守るべき価値があるのか、という問い。慣行は閉鎖的であり硬直化する弊害があることを念頭において考える

『誰でもカンタン!電動アシスト自転車メンテナンス-オールカラー』/スタジオタッククリエイティブ

4883933652 誰でもカンタン!電動アシスト自転車メンテナンス―オールカラー
スタジオタッククリエイティブ  2009-12

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Real Streamを買ってから思ってた以上に気に入って乗りまわしてるので、ロードバイクの知識やメンテナンスの知識を増やしたいなと思い、まずは電動アシスト自転車のメンテナンスを調べてみようと思い探してみたらぴったりの本が。幸い、図書館にあったので早速借りてみました。

「電動アシスト」特有のメンテナンスというのはそれほど多くなくて、通常の自転車メンテナンスがやっぱり大事なんだとわかる構成でした。いちばん驚いたのは、電動アシスト自転車専門の店が東京にはあって、カスタムなんかも手掛けてるということ。やっぱり東京は凄いなあ。

気に入ったのでこれは買います!