独走会 210807 布目ダム 77.38km/1,556m elev.gain

"精神のリミッター みなのうなしてしまえよ"
("愛なき道"/稲葉浩志)

もはや恒例というか、感染拡大で県を跨いだ移動が憚られ、京都と滋賀にはまん延防止措置、おまけに風は東風5m、県の南側はさすがに直近3回行ってて飽き気味なので、久しぶりに布目ダム周回に。

前回の津行きの朝と違い体調は懸念なし、ただ最近すぐに心拍がマックスに達して苦しくなる感じで、これは暑さも関係あるだろうと、とにかく心拍が上がらないように、登りで無理をしないように、少しでも心拍がキツいようなら迷わずペースを落とす、というのを意識して柳生から布目ダムに。

布目ダムで記念撮影休憩のあと、水間トンネルに向けてまた登り。意識して抑えていたのでペースは遅いと思いつつ、走り終えてみて辛かった記憶はやっぱり全然ない。呼吸も気をつけていたし、意識して心拍が上がらないように、心臓を安定的に保つようにしていたのが効果があったのだと思う。過去の布目ダム周回と比べてみたらペースも遜色なく、むしろ若干早くなっていたので、登り方としてはこのほうがよいのだろう。

心拍を一定にするというのは思わぬ気づきだった。これはわかっていたようでわかっていなかった、日常生活にも仕事にも活きる。エモーショナルであることが現代では必要なことと思っていたが、感情的ということとエモーショナルということは違う。心拍を一定にしつつエモーショナルというのは、浅い考えだと「演技」になってしまうがそうではない。なぜ心拍が一定のほうが効果があるように思えたのか?それは自分のアクトに対するフィードバックを確実に受け取れるからということと、エモーショナルを適切に表現できるからだ。離見の見。自分に取って不快で受け入れがたく、かつ自分に理がある状況であっても、心拍は一定に対応する。これは思わぬ気付きだった。

自分は若干ナイーブで、何かに没頭すると極みに行き着いたときに破綻してしまう嫌いがあり、ずっとそれにはブレーキを掛けてきたが、リミッターを外しても破綻しない、破綻の衝動をうまく使いこなせるところにたどり着きつつある実感がある。それは目線を上げたこととも少し関係していると思う。そして呼吸を保ち心拍を一定にするというのは、イメージだけではなくフィジカルにおいても日常生活に仕事に役立つ気づきだった。

以下箇条書き:

  • 補給戦略が成功したと思う。少しずつ飲んでいると大量に飲まなくて済む。
  • 過去、完全に気持ちが切れたことのあるポイントも冷静に通過できた。
  • 昼食を食べてからはやっぱりちょっとペースが落ちた。食べてすぐ走るのはよくない。
  • 平地での速度低下課題に関しては、ケイデンス80は問題ないので、ギアに対する脚力の問題。

独走会 210722 津 110.08km/1,069m elev.gain

"ためらうことなど何もないよ今更"
("Brotherhood"/B'z)

家族が「夏休み気分を味わっておいで」と一泊ライドを計画させてくれ、一泊して早朝帰宅するプランで検討した結果、宿泊先を津に。いちばんの理由は近鉄特急で最初から最後まで帰れるという感染対策面。それから暑さを考えると慣れたルートが安全だということ。そして、やっぱり折りに触れ三重の地で感情を満たしたいこと。

津はどんなにペースが悪くても帰り輪行なら十分日帰りできる行き先だけど、今回は一泊でなかったら走らなかったかもという感じで調子が悪かった。163の大河原の先の登りで足をついてしまったし、大山田あたりからの緩い上りルートもいつもより更に全然回らなかった。そして途中、軽装のサイクリストに悠々パスされたんだけど、なぜかそこでスイッチが切り替わって、追いつくことはできなかったけれど急に楽に走れるようになった。

自分の世界観と、会社の世界観とが掛け離れていてしんどくなることはもちろん多々ある。ビジネス界における知識不足や、会社内での無言のセオリーの把握不足でやさぐれそうになることも多々ある。一言で言ってしまえば青臭いということで、青臭さを抑えることが成功の道だと長い間勘違いしていたことに気がついた。これは素質であり、自分にしかやれないこと。そして、これこそが課題だった、協力し協力を求める動きは身についてきた。正論は貫き通すためにあるし、貫ける時代になってきたことを肌で感じる。リミッターは外しても大丈夫。

行き先で一泊して、ゆっくり晩ごはん食べて寝て帰れるというのはツーリングの楽しさのひとつと心から感じた。でもこれは度々やりたいと思ってはいけない。たまに、それこそご褒美的にというのがよく似合うと思う。今回は津について、時間はたっぷりあったのに、チェックインできる15:00までの間の時間をどう潰すかにさえ手こずったくらい疲れていたので体調は若干よくなかったんだと走り終わっても思った。それでも、学生時代を過ごした津を少し流して回るだけで、自分が見ていた世界がいかに近視眼だったか、もっと高いところを上を見ようと、そして自分の思想を貫いていこうと思いを新たにできた、家族がくれた貴重な夏休みだった。

独走会 200919 ビワイチ 172.19km/541m elev.gain

”この感情のアップダウンこそ 生きていく原動力"
("マイニューラブ"/B'z)

お釈迦様は不苦不楽の中道を説いたと言う。六根から生じるエネルギーを快にも不快にも振れさせず波の立たない状態を維持するのがよいと説いたと言う。常にクールであれというその言わんとするところはもちろんよく分かる。だけれどもそれが人間的なのかという疑問はいくら沈めても何度も湧き上がる。

そもそもお釈迦様の言う中道は、人間的思考を止める術を述べているのだから。快にも不快に振れないというのは一見進むべき方向に見えるけれども、仮にそれが「不快」だとして、不快だとしないために、あるいは不快であることによるマイナスの作用を避けるために、快にも不快にも振れない術が必要だというのだとしたら、それ自体が二元論の限界でもあるように思う。

大切な誰かを亡くすことを、人はいつか必ず亡くなるものだと言ってクールでいられるように修練することが果たして本当に人間的な高みだろうか?思い通りにならない悔しさや苛立ち、外部を傷つけようとする妬み、そういったものは捨象していくべき不快で間違いないが、精一杯の努力をしても届かなかった悲しみやまたいつかこの地を訪れたいと思えるような喜び、そういった快・不快の感情は自己をドライブするエネルギーであり、先の快・不快とこの快・不快は区別するべきではないか。マキノ追坂峠を越えた後、なんでもない平坦路で20km/hくらいしか出せなくなり「焦らなくていい、回せるペースで回せばいい」と自分を落ち着かせたとき、近江八幡あたりでまさかのルートロストして30分くらいかなり塞いだ気分で走り続けてさざなみ街道に復帰した瞬間目に飛び込んだ「瀬田9km」の文字とびわ湖大津プリンスホテルでゴールが近いとわかり一気に気力が戻ってきたとき、一周する9時間という時間中常に巡っていたのは、このことだった。

暗いニュースを耳にし、ずっと不安定に感じつつ日々だましだましやっている自分の神経のささくれが否応なしに気に止まる。もし安定が安定でなくなったら。それは誰の身にも、だから自分の身にもあることで、家族はそうなっても一緒に頑張ろうと常々言ってはくれるが、シリアスさ加減を共有できていないのかも知れない、とよくわからなくなってしまったことはある、けれども今は、今のこの暮らしだから家族は自分を慕ってくれているのではないということは誤解や奢りではなく受け止めることができる、それは自分を自分の視点と「あなた」の視点から見ることを長い間磨き続けてきたからこそできるようになったことだと思う。自分がいったい今どこにいて何を見ているのか、そんな自分を「あなた」はどう見るのか、そしてその視線を意識することは周囲からの見え方だけを意識しているのではないということ、つまりはこれも「二辺を避ける」ことに近いのだろうと思う。

以下、恒例の箇条書き:

  • 今まで走ったことのあるルートでの苦痛を思い出して怯む気持ちがあったけれど、先日の伊勢行きと同じで全行程楽しかった。そして9時間でも、平坦なら苦痛じゃなく走り続けられると自信になった。
  • 好調のいちばんの要因はタイヤか?ローラーをGrowtac M1.1に変えて、タイヤがローラー専用タイヤでなくていいということだったので、本番用に履いていたタイヤをローラー用ホイールに履かせ、本番用に新品を履かせて最初の実走だった。確かに今まで履いていたタイヤはだいぶ減ってたので、これからはよく見るようにしよう。
  • バーテープが擦り切れてきた。
  • テールライト。充電がすぐ切れるのか、日にちが持たないのか。一度つけっぱなしで試す。とても気に入っているテールライトなので、実用できなくなってないといいなあ…(もう販売していないみたいなので)
  • Garmin EdgeがLow batteryワーニング出したけど、まだ全然持った様子。
  • 後半でも28km/h~30km/hで回せたのはきっとトレーニングの成果。
  • 一方で、早い時点から心拍数が高くなった。足は辛くないけど心臓がきつい感じ。心肺に負担をかける系のトレーニングが足りないか?
  • 寒かった。そろそろアンダーは最低限必要。
  • 午後に差し掛かったあたり、目を上に向けられない状態が襲ってきた。痛いというのか気持ち悪いというのか。キャップのツバを下ろしてサンバイズして少しましになり、そのうち症状は改善したけれど、あれはちょっと気をつけたほうがいいなと思う。ましになったところで長めの休憩を入れたので回復したのだと思う。

独走会 200607 宇治田原 77.5km/ 867m elev.gain

"風に身を任せて 息でも吐くように"
(『かぎろひ』/LOSTAGE)

5月下旬に30分くらい近所を流したのを除くと3ヶ月ぶり、50km超えとなると去年の年末の布目ダム以来だから半年ぶり。外を走れることの有難さ楽しみさ加減を自覚しつつ、あまり肩肘はらずかつ久し振りだから慣らしのつもりでわかりやすくて70km前後のルートで考えて、宇治田原に出て信楽までは行かず途中に南下して信楽木津線に合流する、というルートで。

時代に楔が打ち込まれたのは事実で、落ち着いたら全くの元通りの社会にできるとしても、一度経験したことは消えはしないので必ず何某かの変化が起きる。と思いながらもあんまり頭でっかちにならず、自分の足で遠くまで行けるロードバイクのリアルの楽しさを満喫することに集中。だいたい誰もが言っていることだけど、バーチャルでおおよそ代替できるからといってすべてがバーチャルになる訳ではなくて、いろんなものの良さをより見出し見極める力が必要になるということだと思う。zwiftは手軽だし楽しいしトレーニングとしても緻密だけれど、zwiftのコースは限られているし、仮にzwiftが地球上のすべてのルートを網羅したとしても、突然通行止めになっていたりパンクを誘発しそうなガラス破片が飛び散っていたり追い越そうとした車が何を思ったのか横で速度を緩めたりとか、そういうアクシデントやアクシデントだけではなくて不意に力がみなぎってくるような路面の状況とか、そういった感覚は実走に勝ることはないと思うから、いいとこ取りを心がけるのがますます大事になると思う。

だいたい毎日zwiftしたり、ときどきzwiftのイベントに参加したりした2ヶ月はやはり大きかったみたいで、前半は上りだらけのコースを持ってきたけど、速くはなってないけど辛くは全くなかった。南下に使った府道283号線は最高で、このルートはこれと言ってめぼしい寄り道ポイントがないことを除けば走って楽しいいいルートだったと思う。でも867mしか上ってないんだよな。強度的には同じくらいの距離でも布目ダムルートのほうが圧倒的に上ってる。そして、法隆寺行ってちょっと寄り道して帰ってくるだけのルートが、この宇治田原ルートの約半分もあるというのにも驚いた。これから梅雨に入り、開けたらもう昼間走るとかなり厳しいコンディションになるので、今日走れたのは非常に幸いでした。

以下振り返り:

  • とにかくバイクツーリングにめちゃくちゃ出くわした。いつも書くけど、なんでバイクの人ってあんなにつるみたがるんだろう・・・ソロツーリングの人ってほとんど見かけない。
  • 車が来ないというのが走りやすさを大きく改善するという事実。これを突き詰めていくとグラベルに行ってしまう・・・。
  • これでどこかに1時間くらい、昼ごはん食べる時間とってあと30kmで100km、だと楽勝。そう考えると、去年か一昨年か、津まで5時間で行けたのは相当好調だったんだなーと思う。

独走会 190526 広橋トンネル 64.9km/695m elev.gain

"情けないヤジばかり飛ばすだけの ヒマジンなんかよりよっぽどいいから"
(『裸足の女神』/B'z) 

火・水が宮崎出張、木・金が川崎出張という移動多めの一週間で疲れが溜まるのは予想してたので、朝起きたときにやる気が沈むんじゃないかなと不安だったけれど案外普通のテンションで起床。淡々と準備も整えられ、予定していた南進ルートへ。

最終目的地は天川。過去2回、途中で断念している相性の悪い行き先。ただ今回は直近2回のライドで自分の力がちょっと上がってるのが実感できたので、以前よりはうまく登れるんじゃないかと考えた。それでも、過去2回のライドでは下市口にたどり着くまでに足を使い果たしてた苦い記憶と、八木から橿原神宮を経由するルートはどうも複雑でストレスがかかるので、生駒からほぼ真っすぐ南下し葛城を抜け、309号で御所を横切り吉野口に出て、ほぼ近鉄吉野線に沿うように下市に出るルートでプラン。

前回も思ったけれど、頭が疲れているとロングライドへのやる気がへたるけど、頭の疲れを癒やすのは体を動かすことでしかなかったりするのでちょっとややこしい。今回は出張続きで疲れているのはフィジカルのはずだけれど、ここしばらくはずっとビジネスでの、キャリアでの模索が続いていて、うまくいかないことだらけなのと重なってやはり頭も疲れる。自分の人間性と合い入れないコミュニティは立ち話するだけでどっと神経が疲れるけれど、それを責められるほど自分の人間性が出来上がっている訳でもない。それでもただやり込めればそれで勝ち、みたいなマウント至上主義には染まりたくないので己の魂と言葉を磨き続けなければいけない。

そういう意味では葛城ルートは良かったと言うべきなのか、県道30号は意味もなく斜度5%くらいのアップダウンを頻繁に繰り返すやたら疲れるルートで、おまけにポルシェサークルの集い的なものなのか、夥しい数の(と言っても10台くらいだけど)のポルシェが連なって走り、信号待ちのたびに追いついて抜かれてを繰り返して走りにくい。なんかああいう、「形のあるもの」に向かってひたむきになれる人は、それについての知識に詳しくなれば幸せが感じられるみたいでうらやましいようなうらやましくないような、と思う。

そして極めつけが吉野口から下市に出るまでに選んだ近鉄沿いルートで、もうほんとに無駄に延々登らされる。これならトータルで考えて24号下って明日香抜けて素直に南下したほうが全然足を温存できた気がする。

そんな状態で下市口に到達して、流れでそのまま登りに入ってしまい、固形の補給食を切らしていることに気づいて空腹の不安がだんだん襲ってくる。道の駅吉野黒滝まではきついのはきついけど止めたくなるようなきつさじゃなかった記憶なのに九十九折がどんどんやる気を削っていく。そしてやっと補給にありつけると思った、広橋トンネル前で衝撃の出来事が:

ライトのバッテリ切れ!!

ここから3本、長距離トンネルが続くというのに、ライトが照らせないのはあり得ない。トンネル内は十分明るいとは言え、自分の存在を外部に知らせるためにもライトとテールは必須。テールは大丈夫だったけれど、やはりライトが点かないのは危険。「あ、でも予備バッテリ持ってるよな」と取り出したのもつかの間、予備バッテリにつけてたケーブルはスマホ用のType-C、ライトの口はmini-Bで万事休す。とぼとぼと引き返したのでした。

冷静に考えて下市口から天川まで23km。広橋トンネル手前までの約3kmを30分かかっていたので(時速はだいたい8kmくらいだった)、だいたい同じ斜度の道の駅黒滝から天川までが約9kmなのでここで1時間以上かかる計算になる。やっぱり今の自分の足ではちょっと無謀だったかなあ。

でも、疲れで麻痺して、もうちょっと粘れるところを粘りきれなかった思いはあるけれど(トンネルを突っ切るのではなくて、下市口から輪行で帰るのではなくせめて橿原神宮までは走るとか)、自分の力を顧みずとりあえず無謀だとしても、いつもと違うことをやってみるというのが今の自分に不足していることだとわかっていたので、このトライは決して無駄にはならない。『半脆弱性』にあったように、現代の鍵はひき算だ。その感覚は昔から自分は持っているから、そこは信じていこう。

”風に消されることのない 歓びさがそう"
(『裸足の女神』/B'z)

以下箇条書き:

  • 右のクリートが緩んでる。直すこと。
  • 間違っていても、トライする。間違っていたら、謝ればいい。
  • そうは言っても平地はだいたい普通に回せているときは31km/hだったので、地力は着いてきている。
  • サーモスの保冷ボトルは超活躍。ケージに当たると音が気になるので、何か保護を考える。