街の本屋で本を買う - 2024/05/06 紀伊國屋書店京橋店『スピン 7』/河出書房新社 『方舟を燃やす』/角田光代

家族で出かけた帰りの京橋駅で京阪モールに立ち寄り、千房でおひるしてぶらぶらしてたら紀伊國屋書店に突き当たる。我が家は本屋でほしい本があったら買うのは私の財布からになっているので、家族みんな張り切って棚を巡り始める。

今朝、おはよう日本で『方舟を燃やす』に関する著者インタビューを観たところで、実書に出会ったら買いたくなるに違いないけど、先日『DJヒロヒト』を買ったところで連日この金額の書籍を購入するのは厳しいなと思っていたところ、行き着いたエリアには文芸の棚がなく、よかったよかったと目についた見たことのない文芸誌『スピン』を買って帰ろうとし、家族が持ってきたアイテム(本ではなかった)を抱えてレジに向かったら、レジの向こう側に文芸棚群が…。家族も文芸棚を求めていたようで、もうちょっと探すと言ってそちらに行ってしまい、勢い自分も棚をウロウロしてしまい、結局『方舟を燃やす』を見つけてしまった。

でも気になってたんだからこれでよいのだ。

街の本屋で本を買う - 2024/05/02 啓林堂書店学園前店『DJヒロヒト』

なにかの書評で見て、「時間のあるGWに読むのはこれしかない」と思い、ついでのあった学園前で購入。高橋源一郎氏の著作はほとんど読んでこなかったのだけど(ちょうど、本作における「井上靖」のような感じかもしれない)、このタイトルが、私が抱いている高橋源一郎氏の著作のスタイルのイメージど真ん中で、おまけに去年から思いがけないことで身近になりつつある「DJ(と言っても本作でのDJはラジオのディスクジョッキーではあるけど)」と、「天皇」をミックスしているという、いったい本作のなかで何がどこまで縦横無尽になるのか、という、読む前の期待感がとても高い購入でした。

独走会 240502 春日大社 40.05km/399m elev.gain

先週体を暑さに慣らしてところ、今日はそこまで気温も上がらない走りやすい絶好の天気、初詣の際に返すのを漏らしていた御守を春日大社に返したあと、以前から行きたいと思っていたところに向かう道中でパンク。実際には空気が残っていて、シーラントも入れていないピュアなチューブレスで使ってて、乏しい知識ではスローパンクだとしてもそんなに空気が残らないのでは?と思い、どこからか空気が漏れているかと調べてみてもそれっぽいところがない。じゃあ空気を入れてみようと携行ポンプを持ち出したものの、チューブレスに変えてから初めて携行ポンプを使ってみたらバルブに全然噛み合わない。仕方がない、いざと言うときのために携行してたファーストリスポーン、ガス込みの補修材を使ってみたら、思ってたよりちゃんと使うことができ、充填もでき、走れる状態に復帰した。

そのとき、後ろからおばあさんが「空気入れあるよ、貸してあげるよ」と声をかけてくださった。近くの(たぶん止めていた場所の脇が高台になっていてそこから)お家のおばあさんが、私が停車して空気を入れているのを見てやってきてくださったのだ。私はこういうとき、うまく会話ができないタチだったが、なぜか今回はおばあさんの好意を無駄にしてしまったと悔やむことのない、気持ちよい会話を続けて感謝の念を伝えることができた。親切に声をかけてくださったことに、心から感謝したからできたことのような気がする。

独走会という名前をつけているけれど、もちろんひとりで気ままに気楽に、でもこういうトラブルが起きた際も独力で解決するのをしょいこんで行動するのが好きなのだけれど、誰かの好意親切を「ありがとう」とありがたく受け入れられることもまた、独走会という名前をつけた裏に込めた気持ちだったことを思い出した。

独走会 240428 奈良フードシェッドファーマーズマーケット 30.68km/348m evel.gain

あまりに走ってなくて、この連休に走らないとほんとにめんどくさい病が治らないのではないかと、とにかくどこへでもいいから走るのは絶対走ると固く心に誓ったら、なんといきなり25℃を超える夏日になるとかなんとかで、これは暑さに体を慣らす日にしたほうがいいと、むしろ軽く流すくらいにしようと考えたらやる気が下がるのもうまく回避。

こういうとき、ちょっと会いに行ける目的地というかイベントというかがあるのはほんとにありがたいことで、何も考えずに走る先の転害門に着いた後、やっさんに会いに奈良フードシェッドへ。いつもただコーヒーを飲んで、4,5分駄弁って帰るってだけなんだけど、ちょっと言ってもなにか話を振って盛り上げてくれるサービス精神旺盛な人が友達にいるってありがたい。自分がいかに、そういう「話し上手」な人に助けられて人間関係を維持してこれたのかというのを痛感する。何も知らないことで卑屈になるのと攻撃的になるのは知ることで解消できるので勉強するし、どんな状態でも落ち着いたスタンスで話すというのは大切なことだから改めて気をつけよう。

しばらく乗ってなかったんで少しの坂もキツかったし、暑さも本当にこたえた。これで慣らしたので、1週間以内にできるだけ乗らないと慣らした意味がないので絶対乗る。

街の本屋で本を買う - 2024/04/14 啓林堂書店生駒店『空中ブランコ』/奥田英朗 『文藝春秋オール読物3・4月号』/文藝春秋

娘が塾の国語のテキストに出てきた小説を結構な頻度で気にいるのだけど、『空中ブランコ』の名が出てきて、今までと少しフェーズが変わったなと感じ、この機会を逃さず読んでみてもらおうと近所の啓林堂書店生駒店へ。首尾よく文庫本が棚にあったのでゲットし、ついでに芥川賞か直木賞かを…と思いつつ棚をブラウジングしていたら文芸誌の棚が。『言葉の繭』で、島田氏が文芸誌のことを対談で語っていたのも記憶に新しかったので、全文掲載されている訳ではないけれど直木賞2作が掲載されている『オール読物』を。

文芸誌はもう数十年遠ざかっていたが、なんとなく今気分な気がする。文芸誌の戦略上、続き物が多いというのはあるけれど、なんとなく多種多彩な著者の、ボリューム満点の活字がてんこ盛りになっているメディアって今の気分な気がする。

街の本屋で本を買う - 2024/04/06 さくらマルシェ@奈良県立図書情報館『夏葉社日記』/秋月圓 『言葉の繭』/桜美林文学会

年を取ると年々「お、おもろそうやんか」という勢いだけで動いちゃうということがなくなってくる。近所に新しいラーメン屋ができたと聞いて「ちょっと試そう」とかいうのですら、「そんなわざわざいかんでもなんかついでがあったらでええやん」的な気分にすぐ陥る。なので、年を取って初めて、クラブやサークルといった、「やらないといけない感」のある集いがモチベーションになる、という感覚を実感することになった。たいていの人は、生まれたときからそれに納得していて何かに所属することに抵抗することがないのだろうと今になって初めて気づくことになった。恐ろしいことだ。

そういう訳で、ふうせんかずらでお友達になった棚音さんがどこかに出店するというのは、僕にとっては行動を起こすスイッチになっている。何も考えず「会いに行って一冊買いたいな〜」という気分が湧いてくるし、そこに買いたい一冊があると確信しているからなのだ。今回は、Instagramで『夏葉社日記』を取り置きしてくれるという案内が出てたのでイチもニもなく取り置きお願いして、満開の桜並木の佐保川を新大宮からレンタサイクルで駆け下りて受け取りにあがりました。そしたら、なんとこのタイミングで夏葉社を取材したという桜美林文学会発行の限定500部無償配布の『言葉の繭』をお譲り頂いた!! これはもう家宝です。大事に大事に読みたいと思います。

大事にしたいものを大事にするために、時間を大事にしないといけないし、時間を大事に過ごすためには健康の維持も大切だし、体だけでなく心も健康に過ごすためには無為な時間も大事。一切手を抜いている暇なんてない。

街の本屋で本を買う - 2024/01/24 ジュンク堂書店難波店『小山さんノート』/小山さんノートワークショップ

ネットの書評で見かけて今すぐにでも欲しくなり、その日の夜に近所の啓林堂書店に探しに行こうと思ったけれど、こんな感じのちょっと尖ったのは置いてなさそうな予感がして、翌日出社の予定ができたのでジュンク堂難波店で購入。かつて、近所に本屋が3件あったときには、もしかしたら三軒回ったらそれぞれ趣向が違うところがあるので一軒くらいは…という期待も持てたけど、そういう期待は効率性の名のもとにかき消された現実を再実感。ジュンク堂でも探すのが難しそうだったので、時間が限られていたので蔵書検索を久しぶりに使った。棚も、ぼんやり想定していた棚とはちょっと違う棚で驚いたけど、より驚いたのは「蔵書:2」で棚には1冊しかなかったこと。こういうタイプの書籍はジュンク堂と言えどもそれくらいしか在庫してないと初めて気づいた。

1991年から2004年まで東京のホームレス女性が書き続けたノートの抜粋を、有志が書き起こし編集した一冊。女性は既に亡くなっており、女性の知人たちが火葬の際にその膨大なノートも一緒に火葬しようと思ったがノートの内容を見て思いとどまりワークショップを続けられた。女性の「書き続ける」という執念に惹きつけられて購入したけれど、書くことと生きること(稼ぐことではない)がニアリーイコールになっている人の書いている文章からこちらに襲ってくるのは執念どころではなかった。


第3期いこま未来Lab 最終報告会

半年関わらせて頂いた、いこま未来labの最終報告会。自分がPM担当したクラブチームも他の2チームも自分たちが得たものを見事に言語化できたプレゼンで感動だったが今すぐに書くのはそれではなく、登校できない学生についてだ。

このプロジェクトに関わっている間に、登校拒否やそれに近しい状況にある高校生の話を少なくない数耳にした。もちろんニュースなどで登校拒否や引きこもりが少なくない数であることは頭にはあったが、自分の見聞きできる範囲、自分が話ができる、会える範囲で少なくない数聞いたことで現実感がいきなり現出した。

私は登校拒否を責めるものではない。私が学生だった昭和ー平成初期の頃とは違い、今は実際に取ることのできる選択肢が増えているし、学校にいかないという選択肢が実際にあってもいい状況になっていることは理解している。しかし、登校拒否とまではいかなくとも、「人と接するのが怖い」という若者がこれだけ実際いるということに震撼した。

我々の時代は学校にいかなくなるということはニアリーイコールドロップアウトするくらいの価値観が支配していたが、だから「人と接するのが怖い」という若者も無理して我慢して登校していたのだろうか。そうだとしたらその時の無理が表出している事象というのにも思い当たる。その無理をしなくてもいいよという寛容が生まれたとき、登校拒否が増えるのだとしたら悲しいがおそらく事情はそうではない。そうではないところで現代の若者には激しい皺寄せがいっているのだ。

その片棒を自分のような世代が担いでいるのだという自覚が気分を重くするがそれに対する贖罪というだけでなく、各々が誰かを利用するのではなく責任を全うするような関係性を求めて動き続けたい。

街の本屋で本を買う - 2024/01/01 蔦屋書店 周南市立徳山駅前図書館『決めつけてはいけません、他人を。何より自分を。--気楽さとやさしさの倫理学』/秋田道夫

直近はみやこのあと地図部で遊んでもらっているやまもとあつしさんとの出会いのイベントの来賓だった秋田道夫さんの書籍、買おうかどうしようかとぼんやり過ごしてたら、元旦の徳山駅でまさかのどでかいポップアップに遭遇し、これは機会だとサイン本を購入。

1枚1箴言、という構成で一気に読めます。氏のブログが出典のようで、ちょっとアリバイ的に「誰にでも言えそうなことですね、と言われますが、それを毎日欠かさずブログで続けてきました」というようなことを書いてたページもありました。自分もあと20年足らずで70歳になる訳で、今のところ何歳になっても仕事を辞めるという意味でのリタイアは考えてないけれど、どこかの地点を目標にするというやり方は苦しくなってくると本能的に感じていたので、毎日を生きるという感覚も直感的な実感がありました。この本の言葉の書かれ方を真に必要とする人は自分ではないかなと思ったりもしました。

2023年→2024年

2023年は、いろいろ整理した年だったと、振り返ってみて思う。

愛着を持っていたものを、その愛着って実は惰性なのではないか、ということを全く意図しないまま試したような一年だった。

結果、維持できなくなったものごともあるように思う。今はまだ、維持できなくなっているのかどうかわからない、ような気がする。

この10年、自分にとっての世界を広げる方向に"だけ”フォーカスしていた。ありとあらゆる可能性があれば、そこに手を出していた。可能性があったとき、それが自分のメリットになるのかどうかを考えて取捨選択するのはバチでもあたるかのように、可能な限り手を出していた。その手を出すときに、謙虚以上の遠慮が作用していることに、加えて喪失への恐れが作用していることに目をつぶっていたのだと思う。どういうわけかそれに頓着しなくなってしまったのが2023年だったように思う。

自分は何者でもないけれど、だからといって遠慮はしません。そういう気持ちになったのだと思う。

言いたいことは丁寧にはっきりという。摩擦を怖れない。次の10年に向けて。