第3期いこま未来Lab Day2

Day2はゴールがチーム分けということで、PMが3人いるので前提は3チームだけど、どういうふうに分かれるのか、どういうふうに分けていくのか、わかれるテーマがちゃんと出てくるのか、これはオープニングで藤本さんが「白川さんから”どうやるんですか、だいじょうぶなんですか”と繰り返し聞かれたけど”だいじょうぶです”って(笑)」と触れられて、白川さんが聞く気持ちはものすごくよく分かりました。どうしても従来の仕事というものは予見性を暗黙に必要とされていると思っていて、「こうしたらこうなる」式のフローが欲しいと思ってしまうところがあります。それはでもスタートアップでもベンチャーでも、融資側は相手企業にいつも求めることではないかと思うので、一概に「イノベーションには予見性は不要」と言う向きには軽い反発もありますが、いずれにしても藤本さんのチーム分けへのファシリテーションはさすがという他ありませんでした。これまでのご経験によって可能になっているのは間違いないのですが、ひとつだけエッセンスを吸収したいとしたら、やはり短時間で参加者自身に本質に向かわせていくスキルです。自分自身の本質の見極め力はもちろんですがそれを提示するのはファシリテーションではなくて、参加者にもその自分のスキルを短時間で転移していくようなやり方、あれは安直なリーディングの追随を許さない素晴らしいスキルだと感じました。

高校生の発想力に今回も驚かされたのですが、一方で「自分はできることを先に考えてその枠内で考えていました」という方もいて、その自分自身のウチにあるフレームに気づく能力を持っているのにも驚きました。自分の担当するチームは、確か多分、グループ分けのなかで一番後発で出来たチームなので、チームメンバーも何をどんなふうに思っているのか、近しいようなバラバラなような、割と白紙に近いところがあるような気もしているので、PMの役割も重大だなと思いますが高校生たちの自主性が存分に発揮できるように繊細にやりたいと思います。

第3期いこま未来Lab Day1

高校生がこういったワークショップにこんなに大勢参加するんだというのにストレートに感動しました。それぞれの高校生の発言も言葉がしっかりしていて、自分の思いや考えを丁寧な言葉で伝えるという習慣があるのを見て取ることができました。そしてプロジェクトマネジャーとして自分に何ができるのか、まだ蒙昧としています。他のプロジェクトマネジャーのお二人に比べて、はっきりとした特徴のある人間ではないので不安は拭えません。

プロジェクトマネジャーとしての自己紹介をしたのですが、それに対する高校生が「ITって難しいと思ってる」という感想があって、現在の高校生にとってもITというのは身近ではないという現実に直面して消沈しました。現在の子どもたちは我々の頃より格段にデジタルネイティブだと思っていたから。もうひとつ、「キーボードよりもフリックのほうが早く打てます」という感想があって、この感想で更に詳しく話したかったのだけど時間が押していたので控えたのですが、これが「キーボードのあるデバイスであるPCを使うのがスマホを使うより高度だというふうな圧力をかけてくるおじさん世代や風潮への反論」的なものなのか、私が「30年前の大型コンピュータより今のスマホのほうが処理能力が高い」と話したことに関連づけたものなのかわからなかったのですが、スマホを使いこなせれば問題ないという意見にはきちんとカウンターしておきたかったところです。今、ネット上で展開されている幅広く使われているサービスで、スマホオンリーで開発できているサービスはおそらくひとつもないはずです。つまり、テクノロジーで何かを生み出すサイドなのか、テクノロジーを消費するだけのサイドなのか、ITを使いこなすというのはどういうことなのか、そこをもう1段考えてもらう手助けをしたかったところです。

最後の振り返りで、生駒市地域コミュニティ推進課の赤松さんが、「高校生といっても子供扱いはしてはいけない、ひとりの意見として接していかないといけないと思いました」と仰っていてすごく心を打たれました。自分が何をサポートできるのかまだ全然見通せませんが、自分の頭にある経験や知識や「こうであるべき」を尺度にするのではなく、高校生たちの会話や議論や活動を前面にするように心がけたいと思いました。

街の本屋で本を買う - 2020/07/17 蔦屋書店 周南市立徳山駅前図書館『くもをさがす 』/西加奈子

再会してしまったので。

先週、近所の啓林堂を物色してたら、『無人島のふたり』と本著が並んでいて、山本文緒氏が亡くなっていたことも知らず自分のアンテナの鈍り具合にしばし呆然とし、この2冊は読まねばならないと思ったものの現在手をかけている本があるためいったん我慢したのだけど、法事で帰省した山口の帰りの新幹線に乗るまでの時間つぶしでいつも入る蔦屋書店で本著に再会し、これは買わねばなるまいと購入。

この蔦屋書店、いろいろと物議があるみたいだし、いろんな意見もあるようだけど、私は施設としては人がいつもいてるし賑わいをつくるという観点でいいものができたと思っています。徳山駅前図書館ができるまでの徳山駅の寂しくなる一方加減は大変なものだったし、徳山駅前図書館ができて以来、いつ行ってもたくさん人がいます。もし蔦屋書店が信じられない安価であの場所を市から借り受けられているのだとして、蔦屋書店ではない何かが賑わいをあそこに作れるのならそれを呼べばいいと思います。

ともあれ、本著と『無人島のふたり』を並べて陳列した近所の啓林堂は素晴らしいので、敬意を持って『無人島のふたり』はあそこで買おうと思います。

いこま未来Labのプロジェクトマネジャーを務めるにあたって

いこま未来Labという、高校生が主役の実践型ワークショップのプロジェクトマネジャーに、お声がけ頂き務めることになりました。いこまち宣伝部に参加して10年、参加者から少し運営側に関わらせてもらえることになりました。とてもよい機会だと思ったので、こういった自治体が企画・運営する市民との協働活動について、私の思うことをまとめておこうと思います。

まず、今回のお話は、有償なのでお受けしました。もしこれが「無償のボランティア」だったら、お受けしたかどうかは未知数です。私はシビックテックの分野に関わりを持っているので、市民が行政に積極的に関わっていくことにはポジティブですが、行政が市民の力を無償で使おうとするのには相当ネガティブです。自分たちが住むところの事柄は自分ごとであると市民自身が思うことは全肯定ですが、それを行政側から拡声されるのは我慢がなりません。人の時間はタダではないのです。人のスキルはタダではないのです。現代の暮らしがもし暮らしにくくなっているというのであれば、それは無償で行う協力関係が減ったからよりも適切に対価を払うことが少なくなったからだと考えています。子どもたちの登校下校を見守ってくれている方々の親切にただ甘えているだけだから、暮らしにくくなっていくのだと思っています。昔はそれくらいのことはみんなタダでやったと言うのなら言う人が率先してやればいいのです。ここにはいわゆる「やりがい搾取」的な事柄への否定的感情も含まれています。「楽しいでしょ?だからタダでやろうよ?」と誘われるとき、その楽しさと引き換えに誘った側は利得を得ています。金銭的な利得なのか評判的な利得なのかは場合によると思いますが。

なので、普通のことかもしれないですが今回のお話は有償なのでお受けしました。これはお金を頂いてやっていることだというのを、明確に言っておきたいという気持ちがあります。どういうのが普通の人かわかりませんが私のような普通の人から見たら、こういう自治体がやるイベントごとに関わっている人ってお金もらってるのかなーもらってないのかなーと、なかなか確認し辛いことでぼんやりした疑問なんじゃないかと思います。そういう感覚があって、これは有償だということを明確に言おうとしました。私は普通のサラリーマンで、普通のサラリーマンでいこまち宣伝部に参加して以来、サラリーマンを続けながらできる範囲でいわゆる「市民活動」というものをやってきたという自負があります。世間では長らくともすれば企業勤めを凡庸なものと見做す風潮がありますが、そうは言っても企業がひとつもなくなれば社会は100%立ち行かなくなるのは自明で、サラリーマンをしながら市民活動ができるということはこれからの社会が実現できなければならないことだと思っています。そしてそのためには適切な対価を支払う意識を持った社会に脱皮しなければならないのです。

私は今回、いこま未来Labのプロジェクトマネジャーを有償だから引き受けました。ここに書いたのが、その理由とそれをここに書いた理由です。

独走会 230703 煮干し一直線

人と集まらなければ楽しさはないなどと決めつけられたくない。

人との出会いはとても大事で、人との交わりなしに生きてはいけないので、交流を軽視する気持ちは全然ないけれど、「楽しみというのは人の集まりがあってのものだ」というのは否定する。人間はひとりの状態と集団の状態の二種類があって、なのでどちらの状態にも楽しみと苦しみがある。どんなものでも両面があり存在する以上は表裏がある。ひとりの状態に楽しみのない人はたぶん人と集まった際の楽しみも十全に楽しめていないと思う。それはひとりの状態からの逸脱、逃走に近いのだと思う。ひとりで芯からオリジナルな何かを生み出せるというのは思い上がり以外の何物でもないけれど、集まることに依存する人たちも得てして何も生み出さない。

僕の楽しさは僕の中にある。それは人との関わりも含めて僕の中にある。

独走会 230521 doors yamazoe 61.40km/1,445m elev.gain

死ぬかと思った。

行先を決めず走り出して、往路のみ復路輪行もできる装備で行ったけど、なんとなく布目ダムで折り返しで自走で帰る、というお決まりのルートにしたものの、行きの大柳生あたりでひどい耳鳴りがしたり早々に苦しくなったり、やっぱりトレーニングしていないから走力が落ちているなと落胆しながら走ってた。doors yamazoeはオープンと書かれてた12:00よりちょっと早くついたものの、もうちょっと待ったとて開店する気配が全く感じられなかったので写真だけ撮って後に。

そこから水間まで2回も休憩取ったほど調子が上がらなかったけど、よく考えてみればロードバイクを始めた頃から10年が経ち、年齢的に伸びしろはもうないし(もともとのベースが低いのでトレーニングすれば人並みには持っていけるという意味で伸びしろはあるけど)、自分の年相応のライドを考えないといけない、と振り返って思った。熱中症とか、今まで幸いなったことがないけれど、自分の体力はよく考えないといけないとつくづく思った。

B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 STARS 6/18 SAGAアリーナ

心の何処かで「もうほんとに二度と観られないかも」と思ってたんだなと思った。

観られないということはなくて、去年もHighway Xツアーがあり、参加できてるんだけど、ふつうに声出しできる、ほんとにふつうのLIVE-GYMがもしかしたらもう観れる日が来ないかも、と、心の何処かで本気で思ってたんだな、と気づいたのは開始直後の音を聴いて少し涙が出たから。そして、35周年という節目で、お二人の年齢もあるし、今後はどうなるか…と漠然と思っているところに、松本さんが「これからも作品を出してツアーを続けていきたいと思っています」とMCしたときははっきり泣いてしまいました。

会場の大きさというよりも、どうしても少しでも早くライブに参加したくて片っ端から申し込み、この佐賀公演が取れたときは文字通り嬉しさで飛び上がった。2泊3日でひとりでライブに行くという、非日常のシチュエーションを楽しみにする気持ちと、家族は快く送り出してくれるけど自分一人だけ申し訳ないと思う気持ち、ひとりで電車に揺れるときの気持ち、せっかく来たのに疲れとかもあっていろいろ行動してみようとせず、その自分を詰るような気持ち、諸々ひっくるめて、若い頃はそういうずるずるする自分を自分で助長して駄目だ駄目だ言う割に放置してうっとりするような感じだったのが、今はほんとに不思議な配合で全部受け止めつつ感謝し大切なひとつの思い出にできるようになった。

セトリ自体は「ザ・Pleasure」という感じだった。ほんとに誰でも楽しめると思うし、どちらかというとマイルドな選曲・並びで、楽しく騒げる内容だった。アンコール後、深々と頭を下げるいつものお二人を見てもっかい涙が出てきた。佐賀まで行ってほんとによかった。ツアーは始まったばかり、体調に気をつけて最後の大阪まで無事終えられることを心から願っています。

稲葉浩志作品展 シアン

「観に行った」という経験がじんわり後々力をくれそうな展示でした。

もちろん稲葉さんの作品展なので観たいなとは思うんだけど、稲葉さんのソロライブはいつまにか東京でしかやらなくなったし、Treasure Landも東京だし、今回のツアーも、コロナ禍で傷んだイベンターやその他にいろいろ配慮しないといけないんだろうけどそれにしてもファンクラブの抽選が酷いものだと思うし一方で5万人級の会場はファンクラブではないチケット販売サイトで申し込めば確実に当選するし、どうにもバランスを欠いているなと思って少し嫌気がさしていたので、この作品展も、正直作品集「シアン」からの言葉が展示されているのと、ちょっとオブジェみたいのがあるくらいだろうと冷めてみちゃってて行くつもりがなかったんだけど、NHKのニュースで取り上げられているのを見て気が変わり、東京出張の予定があったので、その前日を午後半休(午前は普通絶対に予定が入らない週次ミーティングの時間によりによってお客様zoomが入ったので休めず)にして東所沢まで行ってみることにした。

作品の展示については、稲葉さんの直筆の字が見れたり推敲の過程が見れたり、『ultra soul』がなにかの紙の裏に書かれてるみたでなんだろう?と目を凝らしてみたら『New Message』と書かれててリリース順どうだったっけ??と思ったりいろいろ楽しかった。作詞過程を見せてもらって思ったのは、稲葉さんでも最初は普通に普通のありきたりの言葉が出てきてるんだな、ということ。最初から磨き込まれた言葉が出てるのではなくて、書き直す中で通り一遍ではない表現になっていっている過程を見せてもらえたのは凄いことだった。まずアウトプットしていく、という当たり前のことを見せてもらえた。

後書きで「作品の過程を見せてしまったら歌詞の魔法が溶けてしまうのではないか、と怖かったけど、それならそれで、その先をまた楽しんでいこうと思う」というような言葉があり、感嘆してしまった。稲葉さんはコロナ禍になってから、ある意味ちょっと生き急ぐような感じでいろんなことにチャレンジしてて、作詞に関しても新しい境地をという魂は自分も少しでも近づきたい。

そして多分、展示の最初のほうだったと思うけど、「なぜ歌詞をまとめて作品にしようと思ったのか」について、「ひとつは単純に承認欲求」というような言葉が書かれてて、これには驚いた。直近で友人に「社会活動的なことをなぜするのか」と問われ、少し考えて「この年になっての存在証明的な承認欲求」と答えたのだけど、これを答えるのはかなり思い切りのいることだと思っていたのが、稲葉さんはさらりと答えていた。承認欲求にも両面があるということをこれほどクリアに伝えられる人はそうそういないと思う。自分も乱発はせず、成したいことのための承認欲求に素直に向き合っていきたい。

街の本屋で本を買う - 2020/04/13 啓林堂書店奈良店『街とその不確かな壁 』/村上春樹

商用で奈良市街に出たその足で。

本だけではなくて、買い物をどこでするのかは年々鋭敏になってくる。昔は「お買い物は地元商店街で!」などというスローガンに対し、こちらの好奇心や新奇を求める心に向き合う努力も払わないで何を甘えたことを、ネットや大型店で買うほうが便利で楽しいに決まってるじゃないか、的な考えをかなり本気で抱いていたものの、年々変わってきているのは地元が衰退するからとかいう郷土愛的な動機だけではなく、実際にネットや大型店での買い物が「楽しくない」までは言わないものの、地元や実店舗で買い物することの「楽しさ」が、今までの楽しさ以外にも生まれ始めているから、というのは綺麗事のようで実際そうでもない。

独走会 230414 つるカレー 30.39km/333m elev.gain

ちょっとカレーを食べに。

年に4回ある、平日の公休日。なんかしたいなんかしたいと思いながら計画も段取りもできなかったので、ちょっとカレーを食べにいくということで、日曜やってないのでなかなか行けなかったつるカレーに。

開店直後くらいに着いたのでお客さん誰もおらず、マスターに丁寧にしてもらいました。カレーは、どのサイトでもどのブログでも絶賛されている通り。あやめ池のプラーナで修行をされたということを知る流れでプラーナが閉店したこともしり、なおさらこのお店を応援したい気持ちに。店内のおしゃれさも、陳列されている本のチョイスも好みです。

流して走る、それだけで気分転換。ちょっと前に気分転換についてうだうだ考えていたのが可笑しくなります。