「富本憲吉記念館」に行ってきました #jbnsgt3k

10/2に「模様より模様を造るべからず」というエントリを書いて以来、行きたい行きたいと思っていた安堵町の富本憲吉記念館に行ってきました。

僕は陶芸には何の造形もなく知識もなく、ではなぜ富本憲吉に興味を持ったのかと言うと:

  • 第一回の人間国宝認定者であるほどの作陶家であるにも関わらず、大量生産の道を研究していったのはなぜか。そしてその歩みはどのようなものであったのか。
  • 柳宗悦の民藝運動に、参加しながら離脱したのはなぜか。

この二点なので、富本憲吉記念館に行っても場違いだろうということは想像してました。記念館は恐らく、氏の作品が生家に展示されており、館の方にいろいろ解説してもらえることが主眼なんだろうと。でも、僕は、興味を持ったことは少しでも多くの触れ方をするように心がけるようになって、車で40分前後の安堵町に出向いたのでした。トップの写真は記念館ではなくて、記念館の近くの民家の壁に掛けられていた案内なんだけどいい雰囲気出てたので。

記念館では今日、「ならの会」という奈良在住の工芸家の会の、陶芸作品の発表会が行われていて、いよいよ場違いでしたが、館の方は見学ルートを説明してくれて落ち着いて見れました。やはり、作品展示がメインで、先の2点に関する情報はほとんどありませんでしたが、旧家出身という富本憲吉(それはこの記念館の大きさを見てもわかる)が遠い存在である面と近い存在に感じれる面と、双方得たことが収穫でした。

以下箇条書き:

  • 展示でいちばん印象に残ったのは「絵具摺り」。釉薬をする道具で、工房で使うもので人に見せるものではないけれど氏はこの絵具摺りも美しく色づけしていた。「おしゃれの現れである」という解説文もかわいかった。
  • 柳宗悦展のフライヤーが山積みになっていた。
  • 建物は改築されているが、氏のお気に入りの部屋というのは当時からの現存。230年前のもの?
  • 「師を持たなかったので、己を犠牲にするようなことなく、闊達に研究に没頭した」
  • やはり名家の出身である。
  • 元手=資本

人気ナンバー1陶芸家!

隈研吾 x 産婦人科

義姉が長女を出産したということで訪問した産婦人科が隈研吾設計でした。

最初に断っておくと、隈研吾氏がこの病院を設計するに至った経緯(いきさつ)は、病院の理事長が隈研吾氏とリレーションを持っていたから、と聞きました。

この梅田病院は光市にあるのですが、義姉は違う市に住んでいて、その市は出産に関わる標準的な費用ほぼすべての額にあたるお金を出してくれるそうです。それを先に知っていて、訪れてみたら写真のプレートを見つけて、隈研吾設計と知り驚いたのでした。驚いて、じっと考えて、考え込んでしまったのです。

出産費用をほぼ負担してくれるということは、どんな病院にかかっても費用はゼロということです。だったら、たいていの人は、この梅田病院のような病院に掛かりたいと思うんじゃないか。普通は、そういう需給ギャップを解消するために価格差が発生して、うまく住み分けがされるわけだけど、費用がゼロなら住み分けが発生しない可能性は理論上はある。逆に言うと、「隈研吾設計」というような、従来の産婦人科にはないような、一流の設計を持ちこんだ特別な、よって当然かかる入院費用等が比較して高額になるような、そういう産婦人科が成立するのは、この市のような「特別補助」が存在するところでしかあり得ないんじゃないか。なぜなら、相対的に高額な産婦人科が、一定の妊婦を抱えて継続していくことは困難に思われるから。

設計が病院経営のランニングコストに跳ね返るのかどうかは知識不足で存じ上げません。けれど、少なくともイニシャルコストは通常よりも「相対的に」高額になるとは思われる訳で、それでもそのイニシャルコストを支払おうというインセンティブは、ある程度それでも経営がやっていけるという目算がないと働かない。そして、その目算を働かせているのは、行政の「補助」。

僕はこの仮説を瞬時に頭の中で巡らせたとき、ひどくげんなりしたものでした。

そしてこの仮説はあくまで仮説で、おそらく事実とは全く異なるということを付け加えておきますが、この仮説に似たようなことが、いわゆる「こういう」働きをしている人たちの生活の結構な割合を占めているのは事実だし、その事実が「相対的に」分かりにくくされていることに、-それは見栄えが「美しい」ことがその本質であるから-苛立ちを覚えます。平たく言えば、その元手は税金だったりするのです。

ちなみに梅田病院、サインは原研哉氏。

’98 梅田病院 サイン計画 | SELECTION | 日本デザインセンター
常識をくつがえす柔らかなサイン計画

CL 梅田病院 AD・D 原 研哉 D 井上 幸恵

 

第149回 佐藤 卓(2010年11月29日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

いま、『プロフェッショナル 仕事の流儀・選』で再放送観てるんだけど、『プロフェッショナル 仕事の流儀』の中でも、デザイナーという仕事をしている人の言葉の中でも、最も印象に残っているのがこの佐藤卓氏の放送。何がいちばん印象に残ったかと言うと、自分がイチオシだと思っている案を、イチオシだと判らないように、他の案とイーブンでお客様に提示して、そのイチオシ案が選ばれなかったシーンが出てくること。佐藤卓氏は、そこに全くこだわらず、「お客様が選んだ案を、更にもっともっと良くしていっちゃう」と言う。そして、依頼された以上の仕事をする、という。

お客様の意思を尊重するというのはポイントで、こちら側の想いの押し付けでは、いい結果を出し続けることができない。「戦略商品だから」「会社が売れというから」はもちろん重要だが、お客様に提示するときには常にそれ以上の何かが説明できなければならない。

一方で、お客様の要望を聞いてそれに答えるだけの仕事では、それもいい結果を出し続けることができない。そのバランスを、「依頼以上の仕事を」というもうひとつの軸で、担保しているのだと思う。

「五味岳久さんトーク&ライブ似顔絵&ライブショー」行ってきました

兄さんのトーク&ライブ似顔絵&ライブショー、行ってきました!!

 

僕にしては気の利いたことにちゃんと『#oshare in DICTIONAY』持参で行きました(笑)。

会場にはオーディエンスが65人いたそうですが(五味アイコン描いてもらえる人の抽選が、整理番号1から65の間で選んでたので)、さすがにスーツ着てネクタイしたサラリーマンは僕だけで居心地悪い悪い。その上、司会がぴあの高橋一さんとSPACE SHOWER TVの幸山由佳さんだった訳ですが、のっけから高橋さん「ぶっちゃけ、ここ二人はサラリーマンですわ」とのたまっていよいよ居心地悪い悪い(笑)。やっぱり、こういうイベントごとには、アートとかデザインとかに親密な業種の人はともかく、「ふつうの」勤め人は来ないっていう前提になってんだなあと。そういうバリアを改めて。ほんとのこと言うと、日本のカルチャーを、バックグラウンドを、状況を変えたいんだったら、そういうイロメガネから変えなきゃいけないと思うけどね。

さてショーは、最初30分くらいトークして、オーディエンスの中から選ばれた3名(当初は2名の予定だったみたいだけど、店側が時間おしてもいいってOK出して、3名に増えた)のアイコンを画伯がライブペインティングして、最後の弾き語りで二曲。スタンダードブックストアのページには、「LOSTAGEのアコースティックライブ」って書いてたので、ナニ拓人さんと岩城さんも来るの?と思ってたけど兄さんひとりでした。あれねえ、イベントタイトルには『#oshare in dictionaryの五味岳久さんって書いてるのに、ライブやるのは「LOSTAGE」って、ちょっと揺れてるねえ。

トークは、最初に高橋さんが「今日はUSTしません。なぜかと言うと、ここだけの話満載にするつもりだから」と言ってたワリにはそんなに危ない話もなかった気がするけど、それは、オーディエンスのあったまり具合の問題かも。同じく高橋さんがはじめに「飲み会気分で!」(スタンダードブックストアのページにも書いてる)と言ってたんだけど、五味さんが「みんなシャイやねん」と言う通り、LOSTAGEのファンってびっくりするぐらいほんとにシャイな人が集まるんよね。「奈良の人?」って聞いたとき、結構な数手を挙げてたんで、奈良県人がシャイなんだろうか(笑) 始まってすぐに、五味さんが会場に問いかけて、例によってノーリアクションで、「オレ、このコール&レスポンスが出来てないカンジ、キライじゃないねん」と言ってたのがめちゃおかしかった。

五味アイコンは、五味さんの無差別選択で選ばれた番号の方が、次の番号を選ぶってので、僕の整理番号は36だったんだけど、その方が仰ったのが39で、最後の一人はジャンケンで選んだんだけど、一回目は勝ってそれでもう10人くらいまで絞り込まれたんだけど、二回目で負けて。なんか惜しい感じでした。で、ほぼ1時間30分くらい、五味さんがアイコン描くとこをスクリーンで眺めながらダベる、という珍しいイベント(笑)。

途中、五味さんが似顔絵がうまくなりすぎてるという話になって(オーディエンス3名のアイコンも確かにめっちゃ似てた)、高橋さんが、「初期の味のあるアイコンのほうが好きな方」と聞いたらほとんどの人が手を挙げ、「今のうまくなったアイコンのほうが好きな方」と聞いたら誰も手を挙げなかったのに、アイコン描いてた五味さんが「え?オレ見てなかった。どれくらいの比率やったん?」と高橋さんに聞いて、詰まった高橋さん「んー五分五分かな?いや6:4くらいで・・・」と適当に答えたら五味さん、「6:4てめっちゃええ比率やと思うねん、音楽でも、”初期のアルバムのほうがいい”とかいう人でてくるやんか」みたいなこと言ってて痛々しい(笑)。あのくだりがめっちゃおもしろかった。

その他箇条書き:

  • 『oshare in DICTIONARY』は、初版は結構間違いがあるらしい。
  • アイコン展の話。アイコン展の話もそうだけど、今日のイベントのMCの高橋さんと幸山さんが、手弁当でノーギャラで引き受けた話。引き受けたというのか、そもそもお二人がやりたいと言って動いたのかまでは分からなかったけれど、幸山さんが五味アイコンブックを創るに至った経緯然り、動くことのおもしろさを伝えてもらった。
  • 反対に、五味アイコンブックを創る困難さも。幸山さんが高橋さんに「ぴあがあるじゃん(=出版できるという意味」と聞いたら、「ウチはちょっと・・・」と難色を示した話とか、これだけ親密にしている間柄でも、柵を通すことがあったりするのが当たり前だと改めて認識。
  • そして本を出すにあたっての五味さんのスタンス。「自分から、本にしたいと言って動くつもりはなかった」と。パルコの人とかに「本にするなら言ってくれたら」と、基本的には自主的なスタンスを求められてて、五味さんはそこまでの自主性は本に関してはなかったので腰を挙げなかったが、幸山さんが動いてくれたと。これは珍しい例で、普通は、やりたいなら自分が動かないとダメだと思う。
  • 五味さんは、いろんな人達が動いてくれて、こういうことが出来ていると頻りに言ってた。この1年、パンゲアとかいろいろあったけど五味さんを見続けてよかったと思った。自分の仕事にとっても。
  • 「もう五味アイコン飽きられてるやろ、ピーク過ぎてるやろと思ってるやろ、じぶんでもわかってます」と自虐的に言ってた五味さんがおもしろかった。
  • 会場に来てたのは、ほぼLOSTAGEファンだった。五味アイコンからLOSTAGEを知った、もしくは五味アイコンの作者、というので来た人はほとんどいなかったみたい。

そして押しも押した22:00過ぎ、待望の弾き語り。曲目は『楽園』と、会場からのリクエストで『母乳』でした。

 

 

総取りの誘惑を振りほどけ

僕はジョブズ信奉が好きじゃない。アンチ・アップルと言ってるのではない。そんなにアップル製品を持っている訳ではないけれど、MoraとiTunesのどちらを選ぶかは、将来性を十分考えiTunes+iPodにしたし、iPod touch発売のニュースが飛び込んだときには速攻でappleのサイトで予約した。つまり、あの「英語版でしか初期化できない」悪夢に見舞われ、徹夜でVMware playerを導入し、英語版XP仮想マシンを立ち上げ、・・・ということをやったクチなのだ。消して、アップルが嫌いなワケでもないし、Windowsを持ちあげてるワケでもない。

僕は、ジョブズを盲目的に奉る心性がどうも好きになれないのだ。理由は二つある。ひとつは、特に日本で「ジョブズ信奉」を語る人の多くが、「日本も、ああいう独創的な人材が出てくるような、社会とか教育とかに変わらなければならない。アメリカは、ああいう独創的な人物を輩出できる社会になっていて、それがアメリカという国の強さに繋がっているのだ」と論じること。

僕はこの論法を聞くと、決まって思う:「そうは言っても、ジョブズとゲイツくらいだろ?」もちろん、IT以外の分野で、高い業績を挙げている学者や研究者やビジネスマンが多く存在するのは知っている。けれど、昨今、日本人もノーベル賞受賞が続いているし、とりわけ科学技術分野で劣っているとは思わない。第一、アメリカの人口は日本の約3倍。それだけ数がいても、iPhoneのような、社会にイノベーションをもたらす天才は、ひとりしか輩出しないのだ。IT業界における別な天才、リーナス・トーバルズはフィンランド人だ。なんでもかんでも、日本が日本然としているから、独創的な発想ができないようなモノを言う人は、僕はあんまり信用できない。まして、「だから日本もアメリカみたいな社会に変革しなければいけない」なんて言う人は、日本で出来ることをやりきっていない人のように感じる。

もうひとつは、先の理由にも関連するけれど、ジョブズを信奉するということはすなわち、「一位総取り」的な社会の仕組みを暗に認めるということに繋がってることに無自覚なことが多いからだ。ジョブズのような天才が、非常に魅力的な製品を産みだした。それは現代では、アメリカという国籍を越えて、世界中からカネを吸い上げる。そうしてアップルは今やアメリカ政府の資産を上回る資産を保有する。もちろん、ジョブズはそれに相応しいだけの製品を産みだしたのだけど、だからジョブズが避難される筋合いはまったくないのだけど、世界中で巻き起こっている経済危機の根っこの問題が、こういうところにあるということはあまり触れられない。

いい製品を作っても、それが売れすぎないように配慮せよとか言うつもりじゃなくて、今の資本主義社会はそのシステム上、「勝てば官軍」式になっていることは自明かつ必定。だから、資本主義社会に生きる僕たちは誰も彼も、「成果を挙げた者は、それに相応しい報酬を得て然るべきだし、勝ち上がった者が最終的に果実を独占して当然」と思い込んでいる。でもそれが今、思ってもみない形で、世の中を壊しに掛かっている。資本主義社会の会社組織は、マーケットがあるところに攻め込み、すべてを刈り取るまで膨らんで、刈り取ったら解散するか新たな種を撒くかで、とにかく「一位総取り」が当たり前の仕組。それが「当たり前」であることを象徴し、かつ、正しいこととして固定してしまうことに、ジョブズ信奉は加担しているのに、あんまりそういうことは言われない。

オレは負け犬なのか

それは難しいことなのか?やはり、常に上を上を目指さなければ、どこかで行き詰ってしまうものなのか?経済は常に成長を必要とするから。しかし、グローバル企業に勤めながらここ最近、ローカルのSI企業にコンペで負けることが相次ぎ、その理由はほとんどが構築作業費が無償に近い金額でローカルSI企業が提案してくるから、でも彼らはそれで食べていけている。この差はどう考えればいい?グローバル企業が存在するが故に、価格戦略でローカル企業が優位に立つことができている。

もしかしたら、この会社をここでドロップしても、このローカルな土地を愛して生きて行く道があって、それは、今思い描いているような惨めで負け犬なものではないのかも知れない。それなら「規模の経済」をグローバルに喧伝したアメリカの一企業を、肌で知っているのは悪くないことだいう意義もある。

目の前には大きな壁がある。その壁はチャンスの裏返しでもある。周りを見れば、その壁に挑む機会さえ与えらない人も、偉そうな言い方だが、何人もいる。チャンスを目の前にするたびに怖気づいて逃げを打ち、チャンスを棒に振ったことを、吹聴しないまでも安心の材料にして過ごしてきたようなところがある。
それまでの経験を財産として売り物として、違う組織に、違うマーケットに、身を移していくことは戦略として何も間違っていない。けれども、移した先で新たな経験と財産を持たなければ、単に貯金を切り崩しているのと同じことになる。オレは直近はそうやって暮らしてきたに相違ない。現状の自分の能力と実績以上の収入を得てしまっているに相違ない。だから身動きが取れない。

この、収入のジレンマを無視するとしても、自分に何ができるのか、という根本的な答えがないから、何がやりたいのかという前に、何かをしようという決断もできない。ビジネスパーソンとしては完全に力量不足で、今、目の前のチャンスに挑戦するとしても、その挑戦するモチベーションが結局、「ここではないどこかにはいけないから」という、究極に消極的なものになる。これこそ、負け犬ではないか?

何かに踏み出したくても踏みさせる先が見いだせない。収入のジレンマは無視しない。これは「遣り甲斐」とかで片の付く問題ではないし、かと言って、収入という「結果」を追い求めるだけでも解消しない。オレは負け犬なのか?自分で決めたときから負け犬は負け犬になる。時間がかかっても無理矢理でもこのモチーフと格闘していくしかない。それが金銭的な結果ではなくとも、インプット&アウトプットで進んでいくしかない。 

『河瀬直美×石村由起子トークショー at くるみの木一条店』行ってきました #jbnsgt3 #jbnsgt3k

8/29のことなんですが、「河瀬直美x石村由紀子トークショー」に行ってきました。
元来、奈良のことをナメてかかっている奈良県人の僕は、「ゆっても30人来るか来んかくらいだろう」と高を括ってて、18:00開場・18:30スタートだったんだけどあんまり早く行っても間が持たなかったらと思って近所のサンクスで時間潰して18:15くらいに着いたのです。そしたら既にほぼ満席!危うく立ち見になるとこでした。60人はいたんじゃないでしょうか。

乾さんといっしょじゃない」で偶然、石村さんとお話する機会を得て、もし今日タイミングがあったら「覚えていらっしゃいますか?」とお尋ねしてみようと思ってたら(自転車部の前田先生と木下さんはその翌々日に秋篠の森で再会されてるので、僕らの存在自体は覚えていらっしゃるに違いない)、会場大盛況で終了後も河瀬監督のサイン会とかがあってとてもそんな悠長なことできる空気になく、早々に退散。以下、例によって箇条書き:

  • 石村さんはなんと言うかあまりにも正直な方だった。こんなトークショーを開催して、「まだ映画を観ていないので~」とか「万葉集は親しんでないので~」なんて、敢えて冒頭に断らなくてもいいのに、と思うけど、あの真正直さは石村さんらしさなのだと思う。
  • 翻って河瀬監督はさすが、場馴れしていて、話も上手。予め準備してきていたネタもあったと思うけど、石村さんへの話の渡し方とかその受け方とかもうまい。ただ人と話すのも一種のプレゼンテーション。というとイヤな言い方だけど、ひとつの仕事として見ることは重要。
  • 河瀬監督が外国人の名前が覚えられない、と言ってたのにシンパシー。
  • 「儲け」と「生活費」。生きていくための仕事とは何か。暮らしとは。
  • 贅沢は敵だ、清貧の勧め、に対する嫌悪感ともやもやにも当てはまる。ガイドラインは?しかし、明確なボーダーを作ってはいけないこと。

僕が梨を買った理由 #jbnsgt3k

「自分の仕事」を考える3日間”(以下奈良3)仲間の斉藤さんとこの梨を買いました!

斉藤さんは奈良3で最初に話をした方で、僕が「アフター奈良3」をやりたいなと思い、実現するに至らせてくれた張本人なのですが(笑)、最初に話をしたときに、実家が千葉で、梨園を経営されて(鈴木貞治園)て、という話をお伺いしてました。そのときに、その梨園のHPも少し拝見してました。先日、ツイッターでめちゃめちゃ綺麗な梨の写真とともに、今年収穫分の出荷が始まったことを知ったので、通販してもらえるか確認し、取り寄せさせてもらったという次第です。幸水を8個。とりあえず冷蔵庫に入れて冷やして、1時間くらいで待ちきれず剝いて食べたんですが、瑞々しくて糖度がよい加減でとてもおいしいです。お勧めですよ!

ところで、僕が鈴木貞治園様の梨を買ったのには、アフター奈良3つながりの他にも、理由があります。

鈴木貞治園様は、千葉県市川市の梨園です。つまり、関東にあります。今、僕の住む関西地方で関東・東北と言えば、京都五山送り火の一連の騒動を例に挙げるまでもなく、放射線被ばくの風評被害の問題があります。今朝の日経朝刊に掲載されている「各地の放射線量」によると、市原市の地上1m地点の放射線量は0.070マイクロシーベルト毎時。大阪市は0.092マイクロシーベルト、岩手の値は掲載がありませんが仙台が0.069マイクロシーベルト、秋田が0.050マイクロシーベルト。福島は地上1m地点は未観測で、モニタリングポストが1.230マイクロシーベルト。だいたいこういう値でした。放射性セシウムが検出されることがどれくらい悪影響のあることなのか、勉強不足で理解できていませんが、放射線量という観点だとこういう値になり、少なくとも市原市を僕たちの住む関西と異なるものだとして線を引く明確な理由は見出せません。

と、調べられる情報や地理的な事実を元に、「口で言う」のは簡単です。でも、実際に、それを選択することができるのか?そのことが、こういった問題にとっては最も重要なはずです。なぜなら、「確かに放射線量の数字では大差ないようだけど、計れる値以外に何か悪いことがあるんじゃないの?」という恐怖心が風評被害の元だからです。選択的にやっていないことでは、たくさんの関東産物や、東北産物を食していると思う。コンビニの食品や、外食した際に。でも多くの人は、「それは避けようとしても避けられないから」と、消極的な理由で不問に処します。そして、選択的にどうにかできるところは、無暗に避けようとします。

だから、「口で言う」のは簡単なのです。「口で言う」だけのことを、僕は信じる気にはなれないし、かと言って大上段に構えて行動してそれをアピールするような人のことも、信じる気にはなれない。僕は、市井の個々人が、誰か憧れの人についていったりなぞったりするのではなく、せめてそういうものを取り入れながら、それぞれに考えを持ち、それぞれに行動することしか、社会が進歩し進化する道はないと思うので、自分の中にあるかもしれない「恐れ」と対峙するために、鈴木貞治園様の梨を買う、というアクションを取りました。

こうやって書く程のことでもないし、何を大袈裟なことを書いているんだという気に自分でもなります。そんなこと関係なく、鈴木貞治園様の梨はほんとにおいしかったので買って食べればそれでいいのですが、僕の大好きな哲学の道というのはこういうところにしかないんだと、改めて自分に言い聞かせる意味を込めて書きました。かつてのイデオロギズムのように、自分の信じる道だけを振りかざして周りをなぎ倒していくようになるつもりはないし、かといって柔軟だとかしなやかだとかいって結局ご都合主義に陥るようなみっともない哲学も持ちたくない。いろんな情報を得たり人脈を得たり権益を得たりしたところで、「で、オマエはどう思うんだ?」「で、オマエはどう行動するんだ?」という問いに答えられなければ意味がない。僕はもう、それなりの年月を生きているので講釈には興味がなくて、「で、オマエはどう思うんだ?」「で、オマエはどう行動するんだ?」という問いに答えられる人に興味があるし、その問いに答えられるようになることに興味があります。

乾さんといっしょじゃない@奈良町おんどり 2011/07/16 #jbnsgt3k

乾さんにどうしても避けられない急用が入ったと12日に連絡をもらい、でもせっかくなのでと木下さんと前田先生というアフター奈良3自転車部の面々と、奈良町で一杯。そこで数々の偶然の果ての予想外の出来事が!

もともと、『乾さんといっしょ@乾さんち』で集まった面々と、僕の中で温めてたアフター奈良3 #03のアイデアを打ち明けて意見聞いてみようと思ってたので、木下さんと前田先生にぶつけてみようと思った訳です。かなりやってることに違いのある三人だしね。

まず最初の偶然は、乾さんからキャンセルの連絡があったこと。

次の偶然は、それでこの日の集まりを流してしまわずに声掛けしたら、木下さんと前田先生が乗ってきてくれたこと。

その次の偶然は、乾さんちに行く訳じゃなかったので、奈良にする理由もなかったんだけど、また場所相談とか始めたら面倒なので、(ふつう僕はこういうとき必ず場所決め直しするのに)もういいか、と思って奈良にしといたこと。

更なる偶然は、とりあえず三人で奈良は初めてなので、定番の「蔵」でいいか、6時なら流石に大丈夫だろう、と予約せずに行ったら案の定というか既に満席でお断りくらったこと。

こんな流れを経て、前々回の「乾さんといっしょ」で連れて行って頂いた「おんどり」に再び向かってみたら、ちょうど3人分空いてたので腰を落ち着けた訳です。
取りあえず最近の仕事っぷりとかから口火を切って、僕が来週のスケジュールが火曜大阪・水曜長崎・木曜大阪・金曜熊本→京田辺でなんでやねん!と喚いてみたり、そんな感じであったまってから、いざアフター奈良3のアイデアを話してみて合否判定を頂く、みたいなノリで結構盛り上がって。

そしたら次に起きた偶然は、先客の二名二組が帰ったこと。

帰って直後に、五人組が来たこと!!

「あ、詰めますよ、詰めますよ」って奥に詰めて、その五人組に入ってもらって、で、ぼちぼち飲み始めたところで前田先生がその五人組が写真を撮ろうとされているのに気付いて「撮りましょか?」ってカメラ預かって、僕は撮影確度的に邪魔になるカウンタの一升瓶二本を手に抱えて、前田先生が気合入れて撮影したショットを「どうやって確認したらええかわからん~」と四苦八苦されたのち「まあまあやな~」と衝撃の発言で大爆笑に巻き込まれたり、このあたりですでに木下さんと前田先生は五人組の中心人物が何者か気づいてはって。

くるみの木のオーナー、石村さんだったのです。

まあ僕たちはだからってちょっとお話していいものなのかどうなのか、加減のわからないまま引き続きアフター奈良3話で熱くなってたんですが、僕がとなりのお兄さんに二の腕をトンと合図され、「それなに?」とささみサラダポテトフライを尋ねられたところから会話が始まり。

「どういうつながりなんですか?」と尋ねられたところに、前田先生が「図書情報館で年初にやっていた『自分の仕事』を考える三日間、というイベントで知り合ったんです」と答え、僕が「失礼ながら…」とお尋ねし、「そうなのよーそれなら今から乾さんに電話したいくらいだわー」と仰り、「いや、それが、実は今日、乾さんちに遊びに行くはずだったんですけど、急用が入られたそうで僕たちだけで飲みに来たんですよ」、「まーそうなのー、皆さん学生さん?」、「いえ、実はこう見えて39歳です」、「まあーー!!」

…とまあこんな感じで異常なドライブがかかって場は盛り上がり、なぜか僕らの写真も撮影され、こちらが名乗らないのは無礼にあたるので名刺をお渡しし、そうすると隣のお兄さんが竹内ヤスヒロさんという、秋篠の森のウェディングカメラマンもされている方だということが分かり、 7/21まで秋篠の森で竹内靖博写真展を開催されてるということなので、覗きに行かせて頂きます、とお話をしてお別れしたのです。

で、今朝、いい天気だったので早速、秋篠の森にロードバイクで行ってきた訳です。それが先頭の写真。10:30 OPENだったので、とりあえずいつものルートで平城宮跡まで走り、頃合いを見計らって秋篠の森へ。

門が開いたので入ってみたら、ギャラリーにさっそく竹内さんがいらっしゃって。声を変えたら覚えててくださいました。奥さんも、秋篠の森のスタッフの方も。長くお話させて頂きました。

竹内さんの写真は、(恐らく)秋篠の森で結婚式を挙げられた夫婦のご家族を撮影されたものと、オーストラリア・ブリスベンの街のシーンを切り取ったもの。ブリスベンの写真は、ものすごい極細の線で精緻に書き上げられたような硬度と柔らかさの両方ある、海辺の街の気配がすごく印象的でした。色彩も硬度と柔らかさの両方ある。画面の全面が海岸で波しぶきがあがってて、右端に子ども三人がはしゃいでる写真があって、なぜかそれだけ価格が表記されてなくって、これは販売されないのかな、と思ったりして観てるうちにすごく印象に残りました。


そうそう、石村さんとのお話で、高松がいいよとオススメされ、これは行っとかなあかんちゃうか!となり、アフター奈良3自転車部ストイック組は速攻で高松行日程を組んだのでした。乞うご期待!

ゲリラ”乾さんといっしょ” at 福島

福島で、乾さんとサシ飲み!!

連れていって頂いたのはJR福島駅すぐのガード下になる、「パシオン・エ・ナチュール」。僕が明朝早いということで、駅近のいい店にしてくださったのですが、その早朝予定がキャンセルになるというオチつき。ビオワインを取りそろえた「ビオバル」をうたってます。ビオワインって初めて飲んだのですが、乾さんのおっしゃる通り、翌日に残りませんでした!(もっともそんなに飲んでません)

今、乾さんとのホットな話題は「文化教養について」:

  • 僕は、「文化教養」は、それまでの歴史や積み重ねを「知っている」ことが大前提だと思うし、それを知らなければ、そういったジャンルの会話に参加できないと思う
  • それに対して乾さんは、それは「知識」だと仰り、「知識」など重要なことではない、と仰る
  • でも僕は、やっぱり知識抜きで会話をすることはできないと思うし、”「知識」など重要なことではない”というのは、「知識」をきちんと身につけた人が言えることであって、「知識」を身につけていない側から言えることではない、と思う
  • それに対して乾さんは、会話は成り立っているし、成り立っている以上、教養はあるのだ、と仰る

ここにもう一つのホットな軸:「親鸞」が絡んでくる:

  • 「知識」など重要でないという言葉は、受け止め方を間違えると、悪人正機における「本願ぼこり」のようなことが起きる。僕はそれを良しとしないので、「知識」は身につけなければいけない、というスタンスを取り続けたいと思う。

この話題と、ビブリオバトル@図書情報館の話がアツかったんですが、今回はそれ以外のヨタ話も結構長くて(半分くらい?)、かなり面白おかしかったです。乾さんちに奈良3メンバーで押しかける話、前回お誘い受けたときは半分冗談かなと思ってたんですが、今回もOKもらったのでこれは真に受けていいんだろうと、ほんとに計画してみることにします!

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