独走会 - 暗峠

生駒市民たるもの、折に触れ、暗峠は登っとかなきゃならんでしょう!

とは言え、出来は散々でした・・・。平均斜度10.5%、最大斜度25%超、距離3kmの激坂、暗峠。大阪側ほどではないにせよ、普通の坂じゃないことは明明白白です。半年ぶりくらいのチャレンジで、登り方を忘れてて3回足をついてしまいました。途中、踊り場のようになだらかになるところが2回あって3パートに分かれてるイメージを持っているんですが、最初のパートでも斜度15%越えるのでそこで心拍数を持っていかれてしまいました。ただ、ラスト1kmの激坂は意外にきつくなかったというか、やっぱりアップの重要性を感じました。ちょうどいいアップができていると楽に登れるんですよね~。

正直、暗峠なんて登ったってなんにもおもしろいことないです。無闇にきついし、舗装はあれてるし、コンクリート路面とか輪っか?のスリップどめが施された路面とか、ふらふらになって辿り着いた頂きは石畳でタイヤ取られてこけそうになるし、全然見晴しもよくない。挙句、下りもあんな路面なので怖くてしょうがない。同じ県境の峠なら、十三峠のほうが距離も短いし斜度も緩いし眺めもいいし、どう考えても暗峠より十三峠のほうが登り甲斐がある。大阪側に出る目的にしても、暗峠の大阪側の下りなんてほとんど歩いてるのと同じスピードでないと危なすぎるし。

それでも時々は暗峠を登る理由、それは、ロングライドをしていてキツくなったとき、暗峠を思い出して、「アレよりはマシだろ?」と思えるから。もちろん、ツーリングに無理は禁物、適切な状況判断でリタイアすることも大事ですが、「もう少し頑張ってみよう」というエネルギーも同じくらい大事で、疲れて嫌気がさしたときに、暗峠でも諦めなかった自分を思い出すと、もうちょっと頑張ろうかなと思えるのです。厳しいトレーニングをする意味ってそこかなと思います。僕はロードバイクは趣味なので愉しめることが第一なんですが、ときどき、愉しみを広げるための努力もしておこう、というところです。

地元で遊ぶということ

”絶望感の暗闇を 何度も抜け出したはずだ”

(the pillows/トライアル)

地元で遊ぶのが楽しくて堪らなくてどうしよう。金曜の夜、五味さんがソロライブするというので藝育カフェSankakuに出向き、そこでそのソロライブがオープニングパーティだった個展のアーティストのカワかわワイわいさんと知り合いになったりSankakuの山本さんに僕のことを思い出してもらったり、夜、興福寺界隈を無意味に少し散歩したり、通りすがりにSILM STYLE GARAGEの安川さんに会ってジッタリンのライブを実現させたい!と盛り上がったりTRANSITの大将の向井さんと修理中のロードバイクをあーだこーだ言ったり、仮退院したその愛車で春日大社行ったり唐招提寺行ったり、pechakuchaで通ってたcafe WAKAKUSAで初めてマスターのクレープを食べたり。地元で遊びまわるのが楽しくて仕方ない。

でも、地元で遊び回っているだけでは、生きていくことはできない。

奇しくも五味さんがMCで「外からはアクセスできない、悪い言い方をしてしまえば自分の身の程を知らない、そういう人たちが地域で何かを初めていて、僕はそれがおもしろいなあと思ってやっている」と言ったように、確かに感度の高い人たちが集まって、おもしろいことが生まれる素地は現代の日本なら多くの郊外都市でもそのチャンスがあり、我らが奈良もそんなチャンスがある街で、ここ数年実際にそうなってきていると肌で感じてる。そういう感度の高い人たちのネットワークが広がり、強くなって、「外からはアクセスできない」一種の経済圏が出来て、その中で、それぞれがそれぞれの得意技を仕事にしながら、持ちつ持たれつでやっていく。

それは夢のような日々だけど、それを実現するには奈良は規模が小さい、小さすぎると思う。

僕には、先に挙げた人びとのような、手に職もなく、アーティスティックな能力もない、ほんとに唯の会社員に過ぎない。だから、「外からはアクセスできない」一種の経済圏の仲間入りをするのは気持ち的にも若干ハードルがあったりする。でも、そういう「おもしろい」ことが、この地元奈良でこれからも続いていくような、そんな土地になるためには、その「経済圏」の外側にいる、僕らのような一般市民が、その「おもしろい」ことに「お金を払」わないと、そういう土壌ができないと、実現しないと思う。息切れすると思う。

だからこれは僻み根性かも知れないけれど、「おもしろい」と思ってお金を払って参加する側の人間も、おもしろいことをやっている側と対等だと認識してほしいのです。自分達のネットワークだけで閉じてしまうのでなく。もちろん、徹底的にハードルを下げて、誰でも彼でもとは言わないです、でも、一般市民でも、それほど詳しくなくても、共鳴する、お金を払ってくれる人は少なくないはずです。そういうところを大事にしようと思ってほしい。

地元で遊ぶために、お金を稼ぐために働く。それは僕の人生のごく一部かも知れないけれど、大切な考えの一つでもあると思う。

奈良びいき、村田と生駒をテレビで観る

偶然、奈良が関係するテレビ番組を二つも観た。

 「課外授業 ようこそ先輩」に、ロンドンオリンピック・ボクシングで金メダルを獲った村田選手が。冒頭、「僕に教えられることはあまりないので」と言ってボクシングのトレーニングを軽く体験してもらってた。

 この回は、いつも観てる「課外授業」とちょっと視点が違うように感じた。いつもは、後輩である生徒たちを変えていく先輩の「指導」にフォーカスが当たってると思うけど、今日の村田選手のは、村田選手と生徒と、その「人」そのものにフォーカスが当たってるようだった。村田選手が恩師のおかげでここまでこれた、というエピソードを話した後、「出会い」について作文を書いて、と後輩に指示したら、「ママと出会えてよかった」という作文を発表されて壇上で思わず涙ぐむところとか。

 村田選手はオリンピック中も、そのインタビューも、オリンピック後の言葉なんかも全部好きで、かっこいい男だなあと、同郷にこんなかっこいい男がいて誇らしいと思ってたんだけど、番組の最後、後輩たちに「実家帰ってなあ~」と声かけられてた姿を見て、ますます好きになりました。

 「追跡!真相ファイル」の「119番通報にいま何が」には、生駒の消防署が。よく生駒消防署、取材受けたなあと感心。

  内容に関して。消防は、通報者とのやり取りを通じて、救急車の出動要請なのか、出動が必要なのかどうかを確認していると言うが、なぜそのようなことをするかというと、全ての要請を受けると過負荷・高負担であったり、いたずらに対処しなければならなかったり、つまり「出動させない」方向にインセンティブが働いてのことだから、そのやり取りの言葉も当然、「出動しなくてもよいですか?」という誘導に近くなる。
これは企業のクレーム対応を考える際と同じだが、「より熱心に要求することを、本当に困っているかどうかを計る基準とする」というのは、一見正当にも思えるが、結果平等の原則に反している。しつこく言えば何とかなるというのは、正当に見えて、実は「声の大きい者が勝つ」社会を助長している。
119に電話をして、「救急車が要りますか?」と問うて「要ります」と答えた人には、等しく救急車を出さなければならない。それが徒だったり、不要だったりした場合に、初めて何かのペナルティを加えればよい。もしくは、通常の救急車ではなく、低費用の簡便な「救急車両」を準備する、という方向で費用を抑えつつ出動機会を増やす方向が僕には正しいように思える。#7119を準備して、コールセンター的に、電話での判断の精度を上げようとするのは、いかにも日本的だけど、適切なコストのかけ方とは思えない。事は命に関わること、無用な電話によって緊急度の高い方の救急車要請に応えられないケースを減らすのがゴールなら、選別よりも、如何に要請にこたえるキャパシティを増やすか、それも低コストで、という方向のほうが圧倒的に正しいはずだ。

なら国際映画祭2012で『不完全な旅』観てきました

河瀬直美氏がエグゼクティブ・プロデューサーを務める「なら国際映画祭2012」に行ってきました。

なら国際映画祭は、河瀬直美氏がカンヌなど世界の映画祭に招待される中で、映画祭の意義を感じ、故郷奈良にその力をもたらそうとNPO法人を設立して2010年に第一回開催を実現した映画祭。河瀬氏はカンヌでグランプリ(『殯の森』)を受賞している奈良が誇る映画監督ですので、もちろん2010年の第一回も聞こえてはいたんですが、なんとなく、「”国際”って言ってもなあ。二回目あったら別やけど」と、正直そう思ってた訳です。而して第三回が今年開催され、これは凄いことだと素直に思いました。

僕が観た『不完全な旅』は、第一回映画祭で最高賞「ゴールデンSHIKA賞」を受賞した映画作家ペドロ•ゴンザレス•ルビオ氏が、その受賞と共に授与された2012年開催で上映する特別作品”NARAtive2012"の製作権で映画を撮影する、その製作過程を追ったメイキング作品。

ペドロ氏が撮影した作品『』を観ずにこの『不完全な旅』を観たのは、ひとつはこの上映には河瀬氏とペドロ氏、メイキングを撮った萩生田氏の鼎談があったからなんですが、『不完全な旅』は映画製作のプロセスをなんにも知らない私にとってもスリリングで面白かったです。「スリリング」というのは、ひとつは主人公もストーリーも何にもなしでいきなり十津川村神納川に来て二週間で映画を撮る、というそのライブ感のスリリング、もうひとつは、メキシコ人作家ペドロ氏のとてもナイーブで律儀で真摯で目に見えて判る”気ぃ遣い”なスタンスと、「100年後?とんでもない、20年、いや10年後にどんなけ家が残ってるか。ほとんどないんちゃいますか」と冷徹なリアリズムを持ちながらも表向きあの奈良特有の突き放したような言葉づかいの裏に潜む”気ぃ遣い”なスタンスの神納川に住まう人びとの、その魂のぶつかり合い。

率直な感想としては、『祈』を観る機会はもうないのかなあということ。それくらい、『不完全な旅』で興味を引かれるものでした。以下、箇条書き:

  • 鼎談でいちばん印象に残ってるのは、ペドロ氏の「日本人は「完全」であることを大事にするから」という言葉。『不完全な旅』というタイトルを聞いて、「自分に何か不完全なところがあったのだろうか?」と心配になったという話をしたときに言ってた。ペドロ氏には日本人はそう見えているというところから、世界から見て日本人がどう見えているかというのに、自分は意外と無自覚であると気付かされた。
  • ペドロ氏の繊細さはすごかった。外国人の繊細さに触れるにつけ、日本人としての繊細さを大切にしないとと思う。
  • なんとなく、奈良南部は(僕が生まれた)北部と気質が違うのかなと思ってたけど、この作品で観る限りよく似ていた。
  • ならまちセンターのスタッフは、奈良でこういう催しが行われたときに較べて非常によく準備されていた。接客に積極的でとても好感が持てました。
  • 対して、ホームページの情報・更新が少し不備が多いのが残念。この映画祭自体も今年が第二回なのか第三回なのかで若干揺らいでいるし、『不完全な旅』の画像もリンク落ちしたりしてる。
  • 司会の方が河瀬氏の肩書を噛み噛みだったのがちょっと。ページでは「理事長」と紹介されてるし、「理事長」で良かったと思う。

 

「仏像はなぜ撮影禁止なのか」を考えることでわかること

白毫寺の宝蔵入ったところに、「仏像はなぜ撮影禁止なのですか」というQ&Aが書かれていた。

建物内が撮影禁止の寺院はめずらしくはないと思う。そしてだいたいの人は、いちいち言われなくても、建物内、とりわけ仏像の類は撮影禁止だろうな、と了解してると思う。でも、なぜ撮影禁止??と問われてみると、頭に抱いているその答えを言葉にするときに、躊躇のない人は少なくないんじゃないかと思う。

白毫寺は簡明にこう教える:

「仏像は信仰の対象であって、鑑賞の対象である美術品ではないからです」

それ以上でも以下でもない。仏像の撮影禁止を調べると、推測されているいろんな理由が出てくる-フラッシュの光も悪影響だとか、著作権とか。そして、実はそういうのが禁止をしている本当の理由で、「仏像は信仰の対象であって、鑑賞の対象である美術品ではないからです」というのは表向きの、建前の理由だろうと言われたりする。

ここに見え隠れするのは「心がけ」の問題だ。事が宗教という、特に日本ではあまり真剣に扱われないことの多いものであったとしても、だからと言って真の理由は経済的な事情に起因するもの-撮った写真で金儲けされたら困るとか-だと考えること自体が、「心がけ」がなっていないということだ。確かに仏像は信仰の対象なのだ。写真を撮ったその人が、写真に対して拝むことは教義に反することなのだろうし、そもそも写真を撮った人が後日綿々とその写真を見続けるということもあまり想像つかない。つまり、その写真はただの「記録」、よく言って時折の「観賞用」というものだ。仏像の本来の使われ方からは程遠い。

こういう理由であることを、正面から受け止めて正面から語ることができるかどうかというのが、「心がけ」を実現する基礎だと思う。

ちなみに写真は白毫寺で買ってきた「閻魔様手ぬぐい」です!手染めですって。

奈良ファンライド - 新薬師寺、白毫寺

GW中、いちばん天気に恵まれた5/4、仕事が一旦落ち着いたので気分転換に軽く流しました。

体調にもう少し余裕があってもう少し早く起きれれば、100km~150kmくらいの目的地を設定したかったんだけど、午後から天気が急変するかもと天気予報も言うし、午前中で帰れるくらいの軽いライドということで、どこに行くとも考えず、平城宮跡へ。

なんかこういうのがサイクリングの原点だよなあ~、と思わず頬が緩みつつ、とりあえず奈良市街までいってみるかと再び走り始めてみたら、天平祭をやってる平城宮跡内から聴こえてきたのはなぜか『ALONE』(笑)

なぜ朝っぱらから『ALONE』(笑)

走りながら、「そう言えば新薬師寺行ってないな?」と思いつき、新薬師寺へ。

新薬師寺は、高畑の東にあります。聖武天皇の病気の平癒を祈願して光明皇后が建立したと伝わるとのこと。本尊は薬師如来ですが、十二神将像という、干支のそれぞれの守り神がいらしゃいます。

本堂の側面がなぜかステンドグラス風。

奈良のお寺はなぜか鳥居があるところが結構あって惑わせます。

新薬師寺までの案内に、併せて白毫寺も出てたので、新薬師寺から1kmちょっとみたいだし、足を伸ばしてみました。

案内に「南都一望」と書いてたので、結構高台なんだな、と思ってたんですが、ご覧の通り結構石段を登ります。

ここは何と言うか、変わったお寺でした。ある意味ではとても奈良らしいです。案内の文字とかも優しいし、お寺の起源も諸説あるみたいな感じだし。本尊は阿弥陀如来ですが、ここはなんといっても閻魔様です。閻魔様の像ってあんまり聞いたことないと思う。すごいイメージ通りでした。それから、聖徳太子二歳像というのもあります。それぞれの仏像の拝み方を書き記してくれてあるところとか、庶民信仰の一切経の精神なのかな?とか、浅いことを考えます。

こんな感じでほんとに奈良盆地一望。いい眺めでした。

この後、いつも通り向かい風に押されまくりの帰路で、トータル3時間くらい?36kmのファンライドでした。気分転換にはこのくらいがちょうどいいですね。

 

初とうたりんぐ

念願の「とうたりんぐ」に行ってきました!

「とうたりんぐ」は、山崎貴氏や河瀨直美氏の撮影現場にケイタリングしているこみずとうたさんのお店。河瀬監督の映画『朱花の月』の主演男優さんでもあります。

  • サイトは確か11:00~と書いてたと思ったんですが、着いたら12:00 OPENでした(笑)。
  • かぼちゃのイエローカレーを食べました。具としてかぼちゃが入ってるってレベルじゃなくて、カレー自体かぼちゃの味がします!おいしいです。
  • 並を頼みましたが結構な量です。後から来た女性は、僕の並を見て「小で」と言ってました。
  • 店内は狭めです。3、4人くらい?温かくなったら、テイクアウトして公園で、なんかもよさそう。ゴミはちゃんと処理してね!

あの辺、あんまり歩いてなかったんですがところどころ店が増えてておもしろかった!

大きな地図で見る

臥龍坊!

雑誌で見かけてずっと行きたかった「臥龍坊」に、行ってきました!「ウォロンファン」と読みます。

元は三条通りで営業されてたそうです。それこそ何度も何度も行ってるのに全然知らなかった~。

紹介されてた記事で、イートインが2席だけある、ほぼテイクアウト専門のお店と書いてあって、「買い食い」店の大好きな僕は行きたくてしょうがなかったのです。

店頭に立っておじさんとお話してたら迷い始めて、そしたら「寒いから中に入って待ってください~」と言われてお店の中に。看板の台湾バーガーと、併せて酸辣湯麺を買おうかと思ったんだけど、店の名前のついてる臥龍麺を見つけて「これどんなん?」と聞いてみたら、

「醤油ラーメンと思ってもらったらいいですー。3度味が楽しめますー。」とおっちゃん。

「3度ってどういうこと?」と聞いたら、

「最初はそのまま食べて、1/3ほど食べたら豆板醤入れて食べてもらって、また1/3食べたら最後はお酢を入れて食べてもらいます」とのこと。豆板醤はつけてくれるって。

食べ方の説明写真(笑)。
これしかない!と買って帰りました。

台湾バーガーは「割包」、具の豚角煮の油分のとろけ具合とか舌触りとかも抜群で、さらに外皮の饅頭が凄く美味しい!弾力があって食べると跳ね返ってくる。そしてほんのり甘い。これはファンになります。

臥龍麺は、麺が太麺でとてもやさしい味です。辛いの大好きなんでさっさと豆板醤入れようかと思ったんですが、ベースのスープがあっさりしてるのに旨さをしっかり感じられるスープで、そのまま食べきってもいいくらいおいしかったです。

ええ店みっけた。


大きな地図で見る

「富本憲吉記念館」に行ってきました #jbnsgt3k

10/2に「模様より模様を造るべからず」というエントリを書いて以来、行きたい行きたいと思っていた安堵町の富本憲吉記念館に行ってきました。

僕は陶芸には何の造形もなく知識もなく、ではなぜ富本憲吉に興味を持ったのかと言うと:

  • 第一回の人間国宝認定者であるほどの作陶家であるにも関わらず、大量生産の道を研究していったのはなぜか。そしてその歩みはどのようなものであったのか。
  • 柳宗悦の民藝運動に、参加しながら離脱したのはなぜか。

この二点なので、富本憲吉記念館に行っても場違いだろうということは想像してました。記念館は恐らく、氏の作品が生家に展示されており、館の方にいろいろ解説してもらえることが主眼なんだろうと。でも、僕は、興味を持ったことは少しでも多くの触れ方をするように心がけるようになって、車で40分前後の安堵町に出向いたのでした。トップの写真は記念館ではなくて、記念館の近くの民家の壁に掛けられていた案内なんだけどいい雰囲気出てたので。

記念館では今日、「ならの会」という奈良在住の工芸家の会の、陶芸作品の発表会が行われていて、いよいよ場違いでしたが、館の方は見学ルートを説明してくれて落ち着いて見れました。やはり、作品展示がメインで、先の2点に関する情報はほとんどありませんでしたが、旧家出身という富本憲吉(それはこの記念館の大きさを見てもわかる)が遠い存在である面と近い存在に感じれる面と、双方得たことが収穫でした。

以下箇条書き:

  • 展示でいちばん印象に残ったのは「絵具摺り」。釉薬をする道具で、工房で使うもので人に見せるものではないけれど氏はこの絵具摺りも美しく色づけしていた。「おしゃれの現れである」という解説文もかわいかった。
  • 柳宗悦展のフライヤーが山積みになっていた。
  • 建物は改築されているが、氏のお気に入りの部屋というのは当時からの現存。230年前のもの?
  • 「師を持たなかったので、己を犠牲にするようなことなく、闊達に研究に没頭した」
  • やはり名家の出身である。
  • 元手=資本

人気ナンバー1陶芸家!