『沈黙』/遠藤周作

マーティン・スコセッシが映画を撮影中と聞いて、『沈黙』を読みました。今年はこれまで以上に、宗教に関する著作を読まねばなるまい。

換骨奪胎?和魂洋才?良く言えばこういった四文字熟語が宛がわれるのだろう、この部分が一番鮮烈に印象に残る。

デウスと大日を混同した日本人はその時から我々の神を彼ら流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。

日本人は人間を美化したり拡張したりしたものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない

日本は過去にキリスト教を受け入れなかった歴史のある国であり、その当時キリスト教徒に対して行った仕打ちというのは現代の反キリスト教集団の仕打ちと比べて勝るとも劣らない。だから、現代起きている事態を、我々日本はこの現代にはもう起こさないと考えるのは浅はかであると思う。日本は歴史の始まりから美しく賢明な国だと思いこむ風潮があるけれど、あまりにも浅はかだと思う。

そして先に引用した部分。世界のどこかにこの日本と同じような性質の国があるのかどうか知らないが、日本は輸入してそれを自分たちに適するようにカスタマイズすることにかけて随一の能力は持っているように思う。問題は、それが「何のためにそうするか」という点が全くないことだ。ほとんどすべての場合において、それは「自分たちの都合」のためになされる。どこそこの国ではこれが一番よい、という物品でも概念でも、それ自身どういった目的を帯びているか、そういう点はほとんど考慮されない。自分たちの都合だけが最優先される。日本式なやり方、日本式の外国の文化を国内に取り入れる際のカスタマイズの仕方、手法の最大の問題点はここにあると思う。どういった目的を成し遂げるために生み出された文化であるかを蔑ろにして、自分たちの「都合」に合わせてそれを利用してしまう。現代でも「xx(国名)ではこれが昔からの・・」とか「xx(国名)のライフスタイルでは・・・」と言ったような紹介の仕方は、自分たちのいいように部分を摘まんで自分たちの「都合」に合わせて利用している。私は外資系に勤めているが、この業界の外資系の多くは、部分的には外資系の数字に対する厳格性を振りかざして社員を統制する傍ら、日本は日本の独自の文化があるという体で、接待で癒着しろと言ってしまうような会社もあるくらいだ。

日本人が作り上げた神と教会の神の違いを考えるのも面白い。けれど今の私に最も通説な課題として残ったのは上記の二つ。
4101123152 沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社 1981-10-19

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Kindle for PC 出たけれど…

Kindle for PCがいつの間にかリリースされてたので早速手ごろなNewsweek買って試してみましたが致命的な弱点が。それは「ピンチできない」!

今まで、「PCで読めない」という理由ただ一点で(実際にはKindle Cloud Readerというウェブサービスがあるので読めなくはないのだけど)amazonでは電子書籍を買わず、honto!というサイトで買ってたのですが、kindleがPCで使えるなら話は変わってくるぞ、と喜び勇んでKindle for PCインストールしてNewsweek買ったのですが、なんとピンチができない。

PCとは言え、Windos8環境でピンチが出来ないのは痛い。Surfaceなんでピンチ操作に慣れているのです。これはないかな、ということで電子書籍はhonto!維持で決定。honto!のビューアも、ピンチしててもページ繰ったら元に戻るとかいろいろ文句言ってたんですけどね。

『日本人のためのピケティ入門』/池田信夫

どこがいちばん問題意識として頭に残るかって「ストックに対する累進課税」、ここでした。言われてみると、と思って読書記録手繰ってみると、「ストックへの課税強化」をこれからの課題として上げている書籍がやっぱり複数あった。

稼いだおカネは貯めずにぱーっと使いなさい、という世の中を目指すような感じがして、従来の道徳観と合わずに若干躊躇するかも知れないけれど、格差拡大の元凶がそこなのだとすればこの転回は早く受け入れなければいけないことなんだろうと思う。それに、おカネをじゃぶつかせれば景気がよくなるんですという言説が本当だとすれば、富裕層に対してストックさせずにどんどん消費させる政策が間違っているはずがない。

しばらく前、「貯蓄から投資へ」みたいな喧伝がなされた時期があったけれど、あれは結局、証券の持ち手が、売り先がなくなり商売が行き詰まったのでカモの買い手を求めて繰り広げられた一大キャンペーンみたいなものと思っていて、だから「投資」とは言っても、純粋に事業に資金が巡る効果よりも資産としての証券を持っている人が売却(と更なる購入とのサイクル)で利益を維持していっただけだと思ってる。

一方で、その「証券を持っている」側の人なんかは、『ヤバい日本経済』のように、「不動産価格の回復が必要」みたいに、ストック擁護になっていてある意味おもしろい。

今回は相続税もテコ入れされているし、ストックに対する課税強化という方向に進むのかなと見えても、直感的には今現在巨大なストックを持っている層が、そう簡単にその政策を実現させるとは思えない。基本、ストックを持っている層が、政治においても大きな力を持つのは現実。なので、これはやっぱり「革命」が必要なことなんだろうなあと思う。

4492444149 日本人のためのピケティ入門: 60分でわかる『21世紀の資本』のポイント
池田 信夫
東洋経済新報社 2014-12-12

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『つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』/ダナ・ボイド

”ソーシャル"ネットワークってそういうことだったのか。日本じゃmixiもGREEも、"ソーシャル"ネットワークの本義は教えてくれなかったな。

mixi始めたときも、「なんでこれ”ソーシャル”ネットワークなんかなあ」と、なんとなく分かるけどちょっとよく分からん感を持ち続けてたんだけど、この本を読んでかなり理解できた気がした。匿名性の議論とかあったけど、米国でのソーシャルネットワークの本質はそこではなく、若者にとっては、過干渉と過保護が常態になった米国社会では現実世界で友達と会い遊ぶことがままならず、友達付き合いを維持していくために(実際に会うための連絡手段としても)ネットワークの必要性があるということだった。それが米国のどの程度のエリアに該当することなのかは分からないけれど、輸入された”ソーシャル・ネットワーク”からは感じ取れなかった本質だった。

デジタル・ネイティブについての警鐘も括目だった。私はWIndows95が世に出回る少し前、インターネットが爆発的に普及する少し前、携帯電話が普及する少し前に社会人になった世代なので、子どもの頃から携帯やインターネットを使いこなしている世代というのは、新聞は紙で読むもの辞書は手で捲るものという我々とは、一様にデジタルに対する習熟度が違うと思いこんでいるが、本著の言う通り、

情報への新しいタイプのアクセスを可能にするが、人々がそのアクセスをどう経験するかはどうしても不公平
なのだ。そしてそこに新しい格差の種が芽生える。言ってみれば、投資家の子どもは自ずと投資に親しみ投資の基礎知識は持ち合わせ投資に抵抗なく大人になるだろうし、不動産業の子どもも同じくそうだろう。もちろん、大人になってからキャッチアップする機会はあるにはあるが、そこまでに得る経験はどうしても不公平なのだ。だから、若い世代をひとまとめにして「デジタル・ネイティブ」と見做すのは、本著の言通り「害悪」である。

社会学者ピエール・ブルデューは、『ディスタンクシオン』で、ある人の教育と階級における位置づけがいかにその人の趣味の在り方を形作るか」

たとえ米国であっても、見たことのない風習に対して大人ー古い世代は不寛容であり同一視してしまうものなんだというのを知れたのが、最大の読みどころだったかも知れない。文章が洗練されていること極まりなく、個別事例を引用して状況を説明するまでの流れがこれ以上なく滑らかで読んでいて爽快感さえあった。

『新・戦争論』/池上彰・佐藤優

期待通りの面白さで一気に読みました。最も関心を持ったのは、安倍政権が北朝鮮に対する制裁を緩和していることに言及している部分で、最近の右翼的な人たちは、この点をどう考えているのだろう?
  ①北朝鮮国籍保有者の日本への入国禁止、日本から北朝鮮への渡航自粛などの規制、②10万円超の北朝鮮への現金持ち出しの届け出と300万円超の北朝鮮への送金報告の義務付け、③人道目的の北朝鮮籍船舶の入港禁止、の3項目を解除

単純に考えると、これは「右翼」的な考え方に照らすと100%批判の対象にしかならないと思う。日本人を拉致しており、その解決を図らない国に対する制裁を緩和するというのは、完全に「反日」な政策に違いない。けれども、「右翼」的な考え方の筋から、あくまでネット上で見るだけでだけれども、安倍政権をこの点で批判する意見には出くわさない。これは、

  • 北朝鮮は、「右翼」的な人々から見た場合、日本の同盟国的な扱いで、制裁はどんどん解除すべきと考えている

か、もしくは、

  • 拉致などそもそもないか、もしくは解決しているというのが「右翼」的な人々の認識

のどちらか、ということになると思うけれど、ちょっとすぐには納得ができない。

4166610007 新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)
池上 彰 佐藤 優
文藝春秋 2014-11-20

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来年から、ウチは新聞紙で窓を拭けません

新年から、遂に電子版にすることにしました。

決定打はやっぱり「紙は過去記事の検索どころか参照もできない」ですが、真剣に電子版を検討しだしたきっかけは、日経産業新聞の購読を考え出したことでした。電子版だと、1,500円のオプションで、スマホで過去10日分の日経産業新聞の紙面イメージを閲覧できるオプションをつけられる。

それに加えて、

  • いよいよ、通勤電車で紙の紙面を読みづらくなってきた
  • 仕事上、ほぼ丸一日PCのスクリーンを見てる訳だから、同じスクリーン上で新聞見れるほうが有益

ということで、電子版に移行する腹を固めました。

既に申込みしたので電子版を見れてますが、あの紙ベースの大きさがなくなって視認性が落ちるのでどうかな、と思ってましたが案外問題ありません。得られるメリットのほうが大きいです。

新聞紙で窓を拭くときれいになるというのは年末になるとサザエさんが繰り返ししゃかりきに言う暮らしの知恵だし、雨で靴が濡れてしまったら新聞紙を突っ込んで乾かすとか、そういう暮らしの知恵的なものが遠ざかってしまうのは寂しいですが、変化しないところに未来はないと信じて。

コンテキストと天気予報

池上彰さんの気象予報の歴史に関する解説をTVで観て、コンテキストの時代に対する捉え方がちょっと変わった。

「日本はハイコンテキストの国だ。それはビジネスにとっては時間を多く消費するので不利。コミュニケーションは簡潔に。」みたいなことを喧しく言われる外資系に勤めているので(もちろんそれに対する反発心もありますが)、外国人から「コンテキストの時代」なんて言われる時が来たことに一種の感慨があります。大量の非構造化データの保持と短時間での解析によってこれまでなかった知見とアクションが取れるのがコンテキストの時代ということですが、もちろんこの業界に勤めてるのでそれ自体は理解してますが、陳列棚であっち見たお客様が最終的にこっち手にしてそっち買ったりとか、スマホゲームでどのタイミングで強敵だしたらアイテム買う確率が高いとか、店に入っただけで来店回数でクーポンくれるとか、そんなことできたとしてそれってビッグデータインフラの投資に見合うリターンあるの?(ゲームは確かにあるけど)とちょっと眇めで見てるところがあったんですが、池上さんのTVで「1960年代以降、気象予報の技術が向上した結果、台風による被害者が激減した」という解説を観て、なるほどなーそういうことか、と思ったのでした。

富士山頂に気象レーダーを設置したりして、日本の気象予報界は猛烈な努力で気象に関する多数のデータを集められるようインフラを整備し、その結果、今までは「来なければ知る由もなかった」台風という事象について、早期検知し、予想し、対策を立てられるようになった。その結果、台風という天災に対する被害を未然に防げる力が大きく上昇した。

今、世を騒がせているビッグデータも、誰が何のためにビッグデータを解析し、コンテキストを把握するのかはさまざまだけど、知りようのなかった事象を知れるようになることが「当たり前」になっていくのだなと。私の世代は物心ついたころから台風は進路予報できるのが当たり前と思っているけれど、親の世代はそうではなくて、だからその親の感覚を引き継いで、なんとなく台風は非常に恐ろしいものだという感覚はもっている。でもたいていの人にとっては確かに怖いものだけど予測できるものだというのが常識になっている。コンテキストの時代は、こういうことがもっと増えていく「だけ」と言えば「だけ」なんだろうなあと思う。そしてそうやって予め知れることが増えた結果、次に何に時間を割く社会になるのかが重要と思う。

コンテキストの時代―ウェアラブルがもたらす次の10年
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『依存症ビジネス-「廃人」製造社会の真実』/デイミアン・トンプソン

オレは絶対にスタンプを押せるサルになんかならないのだ。
2,30年前の10代の頃、ゲームに明け暮れていたけれど、ケータイゲームが大流行した頃は、「あんなもんの何が面白いんだろう?」と全く小バカにしてました。電車を待つホームで、なんとなくスマホ出してスワイプしてしまうのは自分もやるのでわかるものの、ケータイゲームに関してはあんな単純なゲームに何をそんなにお金まで注ぎ込んで、と見下してたのですが、その反面、あれは「意地になる」人間のタチをうまく利用しているんだろうなあと直感的に感じてたことを詳細に解説してくれているのが本著です。

「癖」と「依存症」はどこで線引きできるのか、という問いに対し、本著は「他人に迷惑をかけたり自分を損なったりするにも関わらずその行為をやめられないのは依存症」と定義するんですが、そこまででない、軽いものも軽いだけに逆に厄介だったりするなあと思いました。歩きスマホもそのひとつの典型じゃないでしょうか。歩いてるときに前を見ずにスマホ見るなんて危ないに決まってる。けど依存してるので脳がそれを止めさせてくれない。

アルコール依存はみっともないことだという共通認識が社会にあるのだから、スマホ依存もそういう目で社会が見るようになれば状況はちょっと変わるのかも。この話になるといつも思いだすのが、一時セレブの間で流行したという、「パーティとか、実際に会ってるときはテーブルの上に自分のスマホを出してしまう」というヤツ。セレブのような社会的に成功を収める人は、スマホに気を取られすぎるというような、問題行動を自分で把握していて、それに対処する強い意志を持ってるんだなあと。

とまれかくまれゲームをほんとにただの金儲けの仕組みにしてしまった輩が許せません。

4478022925 依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実
デイミアン・トンプソン 中里 京子
ダイヤモンド社 2014-10-10

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『フランシス子へ』/吉本隆明

みんな本当に「めんどくさがり」になっちゃったんだな、と思います。わかりやすくないとダメなんだなって。

 何か大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるって今の考え方は自分も含めて本当じゃないなって思います。

 何かを抜かして原因と結果をすぐに結び付けて、それで解決だって思おうとしてるけど、それは違うんじゃないかって。

これは、「絆が大事」とか「日本人のこころ」とか「おもてなし」とか「ものづくりバンザイ」とか、そういう心性と結び付いたもんじゃないってことがいちばん大事だと思う。これはまず、すごく科学的な思考方法のところから出てきているもので、決して情緒的とか道徳的とかそういうことじゃない。
そのうえで、僕は最近、「時間のかかること」を大事にしようと考えている。どうしてもこれだけの時間がかかってしまう、というようなこと。コーヒーを淹れはじめたのもその一つ。ロングライドなんてその最たるもの。「どうしたってこれだけの時間がかかる」ということに、これからの未来の価値観の切れ端を見出せる気がするから。
思考もそう。すっと耳に入ってくるわかりやすい論旨にそうだそうだと言っているときに、だいたい群衆というのは間違うもので。
そういう意味では、1年くらい前か、セレブの間で会ってる間はスマホをテーブルに出して使わない、みたいなのが流行ってるというの、やっぱり成功する人は何が問題かに気づき、それに対処する実行力と意志力を持ってるんだなあと感嘆したなあ。

上の世代のつぶれそうな反乱軍に行くまでも気持ちもなく、そうかといって、下の世代のように「時代は変わった」と言うわけにもいかない。

『弱いつながり』/東浩紀

ぜひ、電子書籍で読むことをお勧めします!(気分的に)

「弱いつながり」というのは、私は「偶然」という言葉と重ねあわせながら読みました。本著は、「人は、自分を変えることはできない」と宣言しますが、それは「自分で自分を変えることはできず、自分で変えることができるのは自分が身を置く環境。人間は環境に規定されるので、環境を変えることで自分を変えることしかできない」というふうに私は読みました。

ネットは見知らぬ何かを知ることのできるツールではもはやなくなっていて、知っているものをより知ることしか、すでにつながっているものとのつながりを強化することしかできないツールになっている。検索があると言っても、検索ワードは自分がすでに知っていることだから、結局、自分が知っていることをより知るだけ、すでにつながっているものとより強くつながるだけ。だからネットは「強いつながり」。しかし自分を変えるためには未知が必要。例えばいつも仕事で会話するよく知った関係者ではなく、自分のことをあまり知らない、パーティで知り合った人のような。その「未知」に出会うためには新しい検索ワードを手に入れる必要があり、新しい検索ワードを手に入れるためには環境を変える必要があり、その具体的な手段は「旅」だと。

ものすごく納得させられました。「自分を変えることはできない」と言われると反発したくなるのが自然な反応だと思いますが、環境に規定されるというのは一旦は認めなければいけない事実だと思います。そして、意図的に変えることができるのは環境なのだから、自分を変えるために、環境を変えようという方策は非常に力強いと思います。そして、リアルに対して「弱いつながり」という、一見するだけではネガティブに映る言葉を当てたところが良いなと思います。

私はamazonを長く愛用してますが、レコメンドが始まった頃から、「なんであれ、今までの自分の行動をベースにしたレコメンドなんてつまらないし興味ない」と無視して来ました。その天邪鬼の奥底にあるのは本著のこういうスタンスではないかなと思います。どうやって「偶然」を手にするか。どれだけビッグデータが進展してもデータがリアルに勝てないのは、「偶然」はリアルにしか存在しないと言えるからじゃないでしょうか。

もうひとつ、私にとって大きい箇所はここでした:

 そこらあたりから、人生のリソースには限りがあって、ずっと最先端の情報を取り続けるのは無理なんだな、と思うようになりました。単に体力勝負ではない、別の方法での記号の広げかたはないのかと考えるようになりました。

 年齢的には早いですが、それは「老い」について考え始めたということでもあります。広大なネットをまえにしていても、年齢を重ねると、情報のフィルターが目詰まりを起こし、新たな検索ワードを思いつかなくなる、ときどきフィルターの掃除をやらねばなりません。

 そこでぼくは、本を読んだりアニメを見たりするかわりに、休暇では外国に行くようにライフスタイルを変えました。

 全く同じことを数年前から考えていて、それについてどうするのかというのを試行錯誤し、うまく行かず苛立ちながらここまで来たというのが実感ですが、同じ問題意識を読むことが出来たのは幸運でした。そして、「老い」に対する対処として、「自分は変えられない。環境を変えるしかない」という認識から「旅」が導かれたのを読めたことも。私がロングライドに惹かれたのは、この「旅」と同じなのかも知れません。外国ほど大きな環境変化を齎せませんが、日常ととてつもない切断を生み出す多大な身体経験があります。そして実際に移動を伴います。現代において本来なら掛ける必要のない時間を敢えてかけて身体経験を伴って移動するロングライドは、本著が言う「旅」の意味の何割かは共有していると思います。