"Now it's time to go, Now it's time to glow"
("ARIGATO"/B'z)
三連休は仕事で色々とあり、乗れるかどうかわからない(から楽しみにしない)という心持ちで過ごしていたので、最終日乗れることになったもののハードなチャレンジする気分に持って行けず、取り敢えずそこそこの距離を走ろう、と思いついたのは一刀石。言わずとしれた鬼滅の刃の聖地のひとつ。なんだかんだ言ってライドでいちばん走っているのって柳生かも知れない。三重に行くにしても163号がいっとき苦手になってたので、柳生街道のほうが辛いけど柳生街道を選って走ってたこともある。
自分がどれだけのことができるのか、というのはいつまで経ってもわからないし自信がない。なぜ、あの人の言ったあの内容が賛同されて前に進んでいくのか、どれだけ考えても腹落ちしないことも儘ある。全然成長を実感できないままこの年まで来てしまったどんより感はこの日の曇天に似ている。天気予報では全く触れていなかった、けれど山に行くので覚悟はしていた小雨が時折顔や手や体に当たる。そうは言っても自分は小細工のできないタイプでこのやり方でやっていくと決めたやり方を終生やり抜くしかない。全然成長していないようで、今日のライドも麓から一刀石までの往復以外は殆ど休憩なしで走り続けていたから、平均移動速度が低くても、走り続ける力自体は伸びていると思うし、自分の等身大を素直に評価することが成長に必ず繋がる。
以下、箇条書き:
- 寒かった。もう11月も下旬だから当たり前。ウィンタータイツじゃなくてディープウィンタータイツが必要。太ももが冷えるとそれだけで相当痛くなる。
- ブーティも要った。
- チェーンオイルがきちんと塗布できてない?要確認。
- 一刀石にたどり着くまでは上りもかなりペースを上げられた。一度休んでしまうと痛みが出てちょっとダメかな。
奮発。
ROKUMEIとかタカムラとかで豆を買うようになってから、COEというものに興味を持ち出して、それは「そんなにコーヒーの味の違いってわからないけれど、COEと言われるものならめっちゃ美味しいんだから分かるんじゃないだろうか」と思ったからなんだけど、それでも250g ¥8,000の豆というのは初体験。世の中にはもちろんもっと上があるんでしょうけれど、そして「コーヒーの味は値段ではない」というのもあるけど、やっぱりCOEと呼ばれるからには何か光るものがあってのことでしょう、ということでエルサルバドルCOE2019を購入。
今までコーヒーの説明で「ワインみたいな」というのが全然わからなかったんだけど、これ淹れたときは「こういうことか!」って、お酒飲めないのにピンと来たくらい果実感と刺激を体感できた。美味しいので勿体ないけど豆は劣化するのでここぞのブレイクのときに淹れて飲んでます。
”昨日より今日 明日より今日"
("オレとオマエの新しい季節"/B'z)
163号(トラックのサイドミラーに頭を跳ねられたから)とか木津川サイクリングロードとか、苦手意識のあるルートがいくつかあって、「奈良県南部」というのが全般的にぼんやりと苦手意識のある方面。そのぼんやりさの源泉を追求していくと、橿原まで大した距離がないのに苦痛だった記憶とか、その更に南はどこを走った記憶もなんか辛かった印象ばかりで、あんまり南下を選ぶ気持ちが沸かなかったんだけど、何か明確なきっかけがある訳でもなく不意に南進を思い立って、金峯山寺を目指すことに。金峯山寺へは2つルートがあるけれど、七曲りを登るルートで。
南下するときはいつもルートをいろいろ凝るけれど結局いい結果になった試しがないので、今回は単純に橿原に出たらあとは169号をまっすぐひたすら走る、というルート。壺阪山あたりでちょっと上りがあって、あれがきつかったよな、という記憶。
けれど実際走ってみた結果でいうと、全然辛くなかった。ちょっとお腹が空いたかなと思って169号のトンネルの前のローソンでおにぎり買って食べた以外はほぼノンストップで金峯山寺まで走れた。たかだか50km弱ということもあるけど、やっぱりこのくらいだったら殆ど疲れず走れるようになってるなというのを実感。昔の苦手意識というのはやっぱりその当時の実力での話で、今年は在宅勤務もあって今までより練習できているからそのぶん走れるようになっているのを伊勢行き、ビワイチについで実感できた。
とは言えこの日は少し気持ちが乗らなかったこともあって帰りは吉野駅から輪行。メンタルのコンデイションというのはとても大切。
箇条書き:
- チェーンクリーナーをWAKO'Sに変えた。変えたというか、今までディグリーザーを使っていたのを「チェーンクリーナー」というものに変えてみた。今までより綺麗にできている気がする。
- 軋む音がちょっと気になる。何がきしんでるんだろう?
- 輪行で帰ることを考えると、新しく買ったPELOTON DE PARISのハンドルバーバッグはちょっと大きいかも。愛用のパッカブルリュックの中に入れられたので問題はなかったけど、履き替えシューズを持っていく輪行だと帰りはシューズを入れないと行けないので厳しいか。
- ジレは大変役だった。でも次走りに行くときはもうウィンドブレーカーかな。今日で出発時が13℃、日中が20℃くらい。ジャージ+半袖インナー。
言い方が難しい話になるけれど、この発言を容認する、もしくはスルーする女性がいるとしたら全く理解できない。この発言は女性を貶めているものであり、自分自身が女性である者が自分と同性である女性を貶めても不利益を被らないと考える理由は、女性ではない性=男性に力になってもらえると考えているからであり、それで自分が不利益を被らないと考えるということは男性のほうが女性より地位が高いことを前提にしていると言える。つまり男尊女卑である。ここまで回りくどい言い方をしなくてもこの発言をする人間は発言を見るだけで男尊女卑だとわかるところであるけれども、「容認する、もしくはスルーする女性」と、女性に限定したモノを言うためにはここまで回りくどく書かなければならない。
この発言を容認する、もしくはスルーする集団というのは、男尊女卑を「しかるべきもの」として維持しようとしている集団ということであり、平等もダイバーシティも目指すつもりもない、自浄作用のない無責任な集団ということになる。彼らがいう「国民のために働く」というのは「男性」のために働くということであって、不妊治療ひとつとっても女性の立場に立てていないということになろう。
小学生初めての夏休み、帰省すらままならない状況で夏休みらしい体験が何もできなかったので、せめて一泊外泊で旅行気分をと、近所にできたマリオットの最高級クラスと言われているJWマリオット奈良へ。GO TO TRAVELは政策的にはそのお金の使い方からして納得できないけれど、それを責めることと、それを使うことは連動する必要がないと最近考えが変わったので、というのはそこで孤高潔白の立場を取ったところで得られるものを得なければ最後の勝負に負ける確率が高くなるし、責められるような為政によってでも得られる利得を得ることは共犯になるのではないと言えるし、ということでGO TO TRAVELを利用。この考え方の変化は自分なりに一歩踏み出した感。
で、JWマリオット滞在は殊の外楽しかった、いろいろな要素があるけれど、併設されている蔦屋書店、あれは有り勝ちだと言われがちだけれど僕はああいった店の作りの楽しさを再認識した。メガ書店ともちょっと違う、ビレバンとももちろん違う、買うつもりがなくても面白い場所。子どもにはどんな形でもいいから本には親しんでほしいし、本と「なにか」興味をひかれるような様々な物品が、襲いかかってくるような勢いではなくてそこかしこに点在している、というような。思想の文脈で何かあったような…バザールだっけ?パサージュだっけ?そういうことを思い出した。こういうのも新しいトラベルの形なのかも知れないな、と。
”この感情のアップダウンこそ 生きていく原動力"
("マイニューラブ"/B'z)
お釈迦様は不苦不楽の中道を説いたと言う。六根から生じるエネルギーを快にも不快にも振れさせず波の立たない状態を維持するのがよいと説いたと言う。常にクールであれというその言わんとするところはもちろんよく分かる。だけれどもそれが人間的なのかという疑問はいくら沈めても何度も湧き上がる。
そもそもお釈迦様の言う中道は、人間的思考を止める術を述べているのだから。快にも不快に振れないというのは一見進むべき方向に見えるけれども、仮にそれが「不快」だとして、不快だとしないために、あるいは不快であることによるマイナスの作用を避けるために、快にも不快にも振れない術が必要だというのだとしたら、それ自体が二元論の限界でもあるように思う。
大切な誰かを亡くすことを、人はいつか必ず亡くなるものだと言ってクールでいられるように修練することが果たして本当に人間的な高みだろうか?思い通りにならない悔しさや苛立ち、外部を傷つけようとする妬み、そういったものは捨象していくべき不快で間違いないが、精一杯の努力をしても届かなかった悲しみやまたいつかこの地を訪れたいと思えるような喜び、そういった快・不快の感情は自己をドライブするエネルギーであり、先の快・不快とこの快・不快は区別するべきではないか。マキノ追坂峠を越えた後、なんでもない平坦路で20km/hくらいしか出せなくなり「焦らなくていい、回せるペースで回せばいい」と自分を落ち着かせたとき、近江八幡あたりでまさかのルートロストして30分くらいかなり塞いだ気分で走り続けてさざなみ街道に復帰した瞬間目に飛び込んだ「瀬田9km」の文字とびわ湖大津プリンスホテルでゴールが近いとわかり一気に気力が戻ってきたとき、一周する9時間という時間中常に巡っていたのは、このことだった。
暗いニュースを耳にし、ずっと不安定に感じつつ日々だましだましやっている自分の神経のささくれが否応なしに気に止まる。もし安定が安定でなくなったら。それは誰の身にも、だから自分の身にもあることで、家族はそうなっても一緒に頑張ろうと常々言ってはくれるが、シリアスさ加減を共有できていないのかも知れない、とよくわからなくなってしまったことはある、けれども今は、今のこの暮らしだから家族は自分を慕ってくれているのではないということは誤解や奢りではなく受け止めることができる、それは自分を自分の視点と「あなた」の視点から見ることを長い間磨き続けてきたからこそできるようになったことだと思う。自分がいったい今どこにいて何を見ているのか、そんな自分を「あなた」はどう見るのか、そしてその視線を意識することは周囲からの見え方だけを意識しているのではないということ、つまりはこれも「二辺を避ける」ことに近いのだろうと思う。
以下、恒例の箇条書き:
- 今まで走ったことのあるルートでの苦痛を思い出して怯む気持ちがあったけれど、先日の伊勢行きと同じで全行程楽しかった。そして9時間でも、平坦なら苦痛じゃなく走り続けられると自信になった。
- 好調のいちばんの要因はタイヤか?ローラーをGrowtac M1.1に変えて、タイヤがローラー専用タイヤでなくていいということだったので、本番用に履いていたタイヤをローラー用ホイールに履かせ、本番用に新品を履かせて最初の実走だった。確かに今まで履いていたタイヤはだいぶ減ってたので、これからはよく見るようにしよう。
- バーテープが擦り切れてきた。
- テールライト。充電がすぐ切れるのか、日にちが持たないのか。一度つけっぱなしで試す。とても気に入っているテールライトなので、実用できなくなってないといいなあ…(もう販売していないみたいなので)
- Garmin EdgeがLow batteryワーニング出したけど、まだ全然持った様子。
- 後半でも28km/h~30km/hで回せたのはきっとトレーニングの成果。
- 一方で、早い時点から心拍数が高くなった。足は辛くないけど心臓がきつい感じ。心肺に負担をかける系のトレーニングが足りないか?
- 寒かった。そろそろアンダーは最低限必要。
- 午後に差し掛かったあたり、目を上に向けられない状態が襲ってきた。痛いというのか気持ち悪いというのか。キャップのツバを下ろしてサンバイズして少しましになり、そのうち症状は改善したけれど、あれはちょっと気をつけたほうがいいなと思う。ましになったところで長めの休憩を入れたので回復したのだと思う。
目的地なしだと「やらなくていいか」となりがちなのをちゃんと走りに行ったのが成果。
高速巡航練習しようと、葛城明日香自転車道に出て明日香往復というつもりをしたものの、いろいろ予定が挟んでもうちょっと短めにしようと思い出すと「ローラーでええやん」となりそうなところをとりあえず実走、ということで走りに出たのは良かった。
行きはまあまあ飛ばせたと思うけど、帰りは竜田川公園沿いの遊歩道を走ってしまったりとかでゆったり走ってしまい、平均移動速度23km/hで伊勢のときと同じ。これをなんとか25km/hまで上げたいんだけど…これはもう永遠の課題。
もちろん暑かったけど走ってるときの風は時折涼しかった。徐々に夏も終わる。
箇条書き:
- 十三峠は一度登らないと。
- こういうライドだと写真が撮りやすい。
- もうちょっと裏道探したい。
"アナタは私のほんのイチブしか知らない"
("イチブトゼンブ"/B'z)
全行程楽しかった!! 125kmは当分走っていない距離なので(一口に100kmオーバーと言っても、100kmと125kmでは雲泥の差、1kmと26kmだとぜんぜん違うと思うのに100kmと125kmだと100kmオーバーで纏めてしまうところが怖さ)少し不安があって、駄目だと思ったら無理せず切り上げようと心づもりしていたし、家族にもそう約束。帰りは宇治山田15:30頃初の特急で輪行というプランで、自分の実力でもよほどのトラブルがない限り普通に走っていれば必ず間に合うタイムスケジュール。
それでも30℃をゆうに超える真夏、ここ1年くらい何度か途中で絶不調になったり気持ちが切れたりしてDNF癖がついてたり、前日は気持ちが乗り切らなかった。でも振り返ってみると、伊賀上野を過ぎた60km過ぎ辺りで平地なのに急に回らなくなったりとか、松阪に出たあたりで周囲に水田しかない平地特有のお湯に浸かったような息苦しい暑さと単調さとか、ところどころ苦しかった記憶はあるものの、全体を通してみると無心で冷静に淡々とゴールに向かって走り続けられたという印象。いつものようにあと何km残っているのかとか、残りをどれくらいのペースで走らないとタイムスケジュールに遅れるとか、焦りや苛立ちもなく、ずっと平常心で走り続けられた。少し睡眠不足気味で、序盤はときどきふわっと眠気が来る、若干熱中症気味なのかっていうときもあったけれど、100kmくらい走って眠気も飛んだときにはお昼で暑さピークだったけれど体力に問題はなかった。とは言っても冷静に、危なくなる前に前に先手を打ってコンビニに入ったり。
目的地を伊勢にしたのはもう一度伊勢に行きたかったからであって、神宮に参拝しようということも思って選んだのではないので、ついで参りがあまりよくないことだと知識として知っているので無事伊勢に到着できても神宮参拝は考えてなかった。でもついでだとは言え、そこに参ることは気持ちの現れであるし、普段からおろそかにしている人がたまたま近くに来たからの「ついで」は悪印象かもしれないけど、普段から大切にしている人が加えて「ついで」に寄るのは却って好ましいのではないか、ということも思い、まずまず習わしやしきたりの多い土地に生まれた僕は、そういう知識は踏まえつつ、その行為をする人の「本質」を大事にしようと常に思っている、だからそういう知識を知っていつつきちんと解釈して自分なりに行動すればよいと思ってきたのだけど、最近、そう思っていても知っているが故に行動できないことも少なくないと思うようになり、いっそそれならば知らずにいるようにしたほうがいいのでは、そこは少し他力本願的なスタンスに寄ったほうがいいのでは、と考えた瞬間があったりする。それはとても危険な第一歩だと頭でわかってはいるのだけど、すべてを知ることは到底できない以上、何を自分の「善」と位置づけて進んでいくのかはかなりしんどい課題として目の前に残る。全行程を微かには念頭に起きつつ努めて無心で走り続けた今回、ずっと考えていたのはこのことだった。
過去、暑さのせいで途中長時間休憩が必要になった、15km程度登りが続く長野峠も、幾度となく「もういいや」と切り上げを選んだ松阪も、どこも淡々と走り抜けることができて楽しかった印象しかなくて、今回のライドは自分のやる気をすごく回復させた。これならだいたいのところだいたいのルートは走りきれる。日々の練習が如何に成果につながるかを一番実感したライドだった。
以下、箇条書き:
- このルート、津に入ってから23号で伊勢を目指すのは、23号は交通量がかなり多いので怖いので避けたルートで、23号よりは車の危険度は低いとは思う。なので伊勢に行くルートとしてお勧めできるものの、スピードを取るならやっぱり23号のほうが良いと思う。
- チェーンオイルが甘かった気がする。気をつけること。
- 前回ライドでコンビニで見かけた「ポカリスエットアイススラリー」をアテにしてたのだけど、三重のコンビニでは軒並み見かけなかった。少し変わった商品は場所によってあるなしあるのであまりアテにしない。
- 久しぶりにハンドルバーバッグを装着、距離が長いので取り出しやすいバッグが多いほうがよいと考えて、これは正解だった。結局、万一の際を思って都度買ったお菓子類は最後まで食べなかったものの、仕舞うところに困ることのない装備はストレスが減るので疲労も減る。
- 全くの平地なのに全然回らないポイントがあって、あれが何故かわからない。
- 100km5時間はちょっと切れなかったものの、トータル7時間は実力的にはそんなに悪くなかったと思う。
- ライドの後半のプランニングがやっぱりちょっと甘い。とは言え、こんなにコンビニがなかった時代、ロングライドしていた人たちは補給は一体どうしてたんだろう?と思ったり。
- もちろん疲れたものの、今回はライド中も終わってからも疲労感がほとんどない。ライド中も足が攣ったりもしなかった。補給に神経をかなり使ったのも功を奏したと思う。