額はさておきカネを出す - 2020/09/26 change.org 「女性はいくらでもうそをつけますから」自民党・杉田水脈衆議院議員の性暴力被害者への発言撤回、謝罪、辞職を求めます。

https://www.change.org/p/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%9D%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B%E3%82%89-%E6%9D%89%E7%94%B0%E6%B0%B4%E8%84%88%E8%AD%B0%E5%93%A1%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A8%80%E6%92%A4%E5%9B%9E-%E8%AC%9D%E7%BD%AA-%E8%BE%9E%E8%81%B7%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99

言い方が難しい話になるけれど、この発言を容認する、もしくはスルーする女性がいるとしたら全く理解できない。この発言は女性を貶めているものであり、自分自身が女性である者が自分と同性である女性を貶めても不利益を被らないと考える理由は、女性ではない性=男性に力になってもらえると考えているからであり、それで自分が不利益を被らないと考えるということは男性のほうが女性より地位が高いことを前提にしていると言える。つまり男尊女卑である。ここまで回りくどい言い方をしなくてもこの発言をする人間は発言を見るだけで男尊女卑だとわかるところであるけれども、「容認する、もしくはスルーする女性」と、女性に限定したモノを言うためにはここまで回りくどく書かなければならない。

この発言を容認する、もしくはスルーする集団というのは、男尊女卑を「しかるべきもの」として維持しようとしている集団ということであり、平等もダイバーシティも目指すつもりもない、自浄作用のない無責任な集団ということになる。彼らがいう「国民のために働く」というのは「男性」のために働くということであって、不妊治療ひとつとっても女性の立場に立てていないということになろう。

街の本屋で本を買う - 2020/09/12 蔦屋書店 奈良『Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) 2020年 9月号 [大人も読みたいこどもの本100] 』/カーサブルータス編集部

小学生初めての夏休み、帰省すらままならない状況で夏休みらしい体験が何もできなかったので、せめて一泊外泊で旅行気分をと、近所にできたマリオットの最高級クラスと言われているJWマリオット奈良へ。GO TO TRAVELは政策的にはそのお金の使い方からして納得できないけれど、それを責めることと、それを使うことは連動する必要がないと最近考えが変わったので、というのはそこで孤高潔白の立場を取ったところで得られるものを得なければ最後の勝負に負ける確率が高くなるし、責められるような為政によってでも得られる利得を得ることは共犯になるのではないと言えるし、ということでGO TO TRAVELを利用。この考え方の変化は自分なりに一歩踏み出した感。

で、JWマリオット滞在は殊の外楽しかった、いろいろな要素があるけれど、併設されている蔦屋書店、あれは有り勝ちだと言われがちだけれど僕はああいった店の作りの楽しさを再認識した。メガ書店ともちょっと違う、ビレバンとももちろん違う、買うつもりがなくても面白い場所。子どもにはどんな形でもいいから本には親しんでほしいし、本と「なにか」興味をひかれるような様々な物品が、襲いかかってくるような勢いではなくてそこかしこに点在している、というような。思想の文脈で何かあったような…バザールだっけ?パサージュだっけ?そういうことを思い出した。こういうのも新しいトラベルの形なのかも知れないな、と。



街の本屋で本を買う - 2020/09/09 啓林堂書店 新大宮店『美術手帖2020年10月号』/美術出版社 『なくなりそうな世界の言葉』/吉岡 乾

ひさしぶりに外出することがあり空き時間に本屋に立ち寄ってみて初めて、在宅勤務になってマイナスだったのは立ち寄り立ち読みの時間がなくなっていたことだと気づいた。amazonで本が買えるようになってから、本屋に立ち寄ることは以前よりは減っていたものの、外回りのついでに意識的に立ち寄るようにしていたのが、在宅勤務になると完全になくなってしまっていた。本屋に立ち寄るというのは、現代のリアル書店がどれだけ売れ筋ばかりを並べるようになったとしても必要なこと。 まとまった時間だったので、自分以外に他にお客さんはいても一人、という状況のなか、入念に店内をうろつき周り、買おうと決めたのが、特集的にディスプレイされていた『なくなりそうな世界の言葉』と、もう1冊が『美術手帖』。『なくなりそうな世界の言葉』は、最近、バスク語が主題のひとつだった『アコーディオン弾きの息子』を読み終えたところで、言語に関する興味がまた高まっていたので。『翻訳できない世界の言葉』とかなり迷ったけれど、今は『なくなりそうな世界の言葉』で。もう一冊の『美術手帖』はテーマが「ポスト資本主義とアート」というど真ん中だったから。綺麗事を言うな、ではちょっと済まされない状況になってきていると思うので、アートの視点からみたポスト資本主義を勉強したいと思ったから。マルクス・ガブリエルのインタビューが掲載されているのもポイントだったけど、一読したところではこちらはいつものガブリエル節だった。

独走会 200919 ビワイチ 172.19km/541m elev.gain

”この感情のアップダウンこそ 生きていく原動力"
("マイニューラブ"/B'z)

お釈迦様は不苦不楽の中道を説いたと言う。六根から生じるエネルギーを快にも不快にも振れさせず波の立たない状態を維持するのがよいと説いたと言う。常にクールであれというその言わんとするところはもちろんよく分かる。だけれどもそれが人間的なのかという疑問はいくら沈めても何度も湧き上がる。

そもそもお釈迦様の言う中道は、人間的思考を止める術を述べているのだから。快にも不快に振れないというのは一見進むべき方向に見えるけれども、仮にそれが「不快」だとして、不快だとしないために、あるいは不快であることによるマイナスの作用を避けるために、快にも不快にも振れない術が必要だというのだとしたら、それ自体が二元論の限界でもあるように思う。

大切な誰かを亡くすことを、人はいつか必ず亡くなるものだと言ってクールでいられるように修練することが果たして本当に人間的な高みだろうか?思い通りにならない悔しさや苛立ち、外部を傷つけようとする妬み、そういったものは捨象していくべき不快で間違いないが、精一杯の努力をしても届かなかった悲しみやまたいつかこの地を訪れたいと思えるような喜び、そういった快・不快の感情は自己をドライブするエネルギーであり、先の快・不快とこの快・不快は区別するべきではないか。マキノ追坂峠を越えた後、なんでもない平坦路で20km/hくらいしか出せなくなり「焦らなくていい、回せるペースで回せばいい」と自分を落ち着かせたとき、近江八幡あたりでまさかのルートロストして30分くらいかなり塞いだ気分で走り続けてさざなみ街道に復帰した瞬間目に飛び込んだ「瀬田9km」の文字とびわ湖大津プリンスホテルでゴールが近いとわかり一気に気力が戻ってきたとき、一周する9時間という時間中常に巡っていたのは、このことだった。

暗いニュースを耳にし、ずっと不安定に感じつつ日々だましだましやっている自分の神経のささくれが否応なしに気に止まる。もし安定が安定でなくなったら。それは誰の身にも、だから自分の身にもあることで、家族はそうなっても一緒に頑張ろうと常々言ってはくれるが、シリアスさ加減を共有できていないのかも知れない、とよくわからなくなってしまったことはある、けれども今は、今のこの暮らしだから家族は自分を慕ってくれているのではないということは誤解や奢りではなく受け止めることができる、それは自分を自分の視点と「あなた」の視点から見ることを長い間磨き続けてきたからこそできるようになったことだと思う。自分がいったい今どこにいて何を見ているのか、そんな自分を「あなた」はどう見るのか、そしてその視線を意識することは周囲からの見え方だけを意識しているのではないということ、つまりはこれも「二辺を避ける」ことに近いのだろうと思う。

以下、恒例の箇条書き:

  • 今まで走ったことのあるルートでの苦痛を思い出して怯む気持ちがあったけれど、先日の伊勢行きと同じで全行程楽しかった。そして9時間でも、平坦なら苦痛じゃなく走り続けられると自信になった。
  • 好調のいちばんの要因はタイヤか?ローラーをGrowtac M1.1に変えて、タイヤがローラー専用タイヤでなくていいということだったので、本番用に履いていたタイヤをローラー用ホイールに履かせ、本番用に新品を履かせて最初の実走だった。確かに今まで履いていたタイヤはだいぶ減ってたので、これからはよく見るようにしよう。
  • バーテープが擦り切れてきた。
  • テールライト。充電がすぐ切れるのか、日にちが持たないのか。一度つけっぱなしで試す。とても気に入っているテールライトなので、実用できなくなってないといいなあ…(もう販売していないみたいなので)
  • Garmin EdgeがLow batteryワーニング出したけど、まだ全然持った様子。
  • 後半でも28km/h~30km/hで回せたのはきっとトレーニングの成果。
  • 一方で、早い時点から心拍数が高くなった。足は辛くないけど心臓がきつい感じ。心肺に負担をかける系のトレーニングが足りないか?
  • 寒かった。そろそろアンダーは最低限必要。
  • 午後に差し掛かったあたり、目を上に向けられない状態が襲ってきた。痛いというのか気持ち悪いというのか。キャップのツバを下ろしてサンバイズして少しましになり、そのうち症状は改善したけれど、あれはちょっと気をつけたほうがいいなと思う。ましになったところで長めの休憩を入れたので回復したのだと思う。

独走会 200823 竜田川 22.8km/188m elev.gain

目的地なしだと「やらなくていいか」となりがちなのをちゃんと走りに行ったのが成果。

高速巡航練習しようと、葛城明日香自転車道に出て明日香往復というつもりをしたものの、いろいろ予定が挟んでもうちょっと短めにしようと思い出すと「ローラーでええやん」となりそうなところをとりあえず実走、ということで走りに出たのは良かった。

行きはまあまあ飛ばせたと思うけど、帰りは竜田川公園沿いの遊歩道を走ってしまったりとかでゆったり走ってしまい、平均移動速度23km/hで伊勢のときと同じ。これをなんとか25km/hまで上げたいんだけど…これはもう永遠の課題。

もちろん暑かったけど走ってるときの風は時折涼しかった。徐々に夏も終わる。

箇条書き:

  • 十三峠は一度登らないと。
  • こういうライドだと写真が撮りやすい。
  • もうちょっと裏道探したい。

独走会 200809 伊勢 128.5km/1,072m elev.gain

"アナタは私のほんのイチブしか知らない"
("イチブトゼンブ"/B'z)

全行程楽しかった!! 125kmは当分走っていない距離なので(一口に100kmオーバーと言っても、100kmと125kmでは雲泥の差、1kmと26kmだとぜんぜん違うと思うのに100kmと125kmだと100kmオーバーで纏めてしまうところが怖さ)少し不安があって、駄目だと思ったら無理せず切り上げようと心づもりしていたし、家族にもそう約束。帰りは宇治山田15:30頃初の特急で輪行というプランで、自分の実力でもよほどのトラブルがない限り普通に走っていれば必ず間に合うタイムスケジュール。

 それでも30℃をゆうに超える真夏、ここ1年くらい何度か途中で絶不調になったり気持ちが切れたりしてDNF癖がついてたり、前日は気持ちが乗り切らなかった。でも振り返ってみると、伊賀上野を過ぎた60km過ぎ辺りで平地なのに急に回らなくなったりとか、松阪に出たあたりで周囲に水田しかない平地特有のお湯に浸かったような息苦しい暑さと単調さとか、ところどころ苦しかった記憶はあるものの、全体を通してみると無心で冷静に淡々とゴールに向かって走り続けられたという印象。いつものようにあと何km残っているのかとか、残りをどれくらいのペースで走らないとタイムスケジュールに遅れるとか、焦りや苛立ちもなく、ずっと平常心で走り続けられた。少し睡眠不足気味で、序盤はときどきふわっと眠気が来る、若干熱中症気味なのかっていうときもあったけれど、100kmくらい走って眠気も飛んだときにはお昼で暑さピークだったけれど体力に問題はなかった。とは言っても冷静に、危なくなる前に前に先手を打ってコンビニに入ったり。

 目的地を伊勢にしたのはもう一度伊勢に行きたかったからであって、神宮に参拝しようということも思って選んだのではないので、ついで参りがあまりよくないことだと知識として知っているので無事伊勢に到着できても神宮参拝は考えてなかった。でもついでだとは言え、そこに参ることは気持ちの現れであるし、普段からおろそかにしている人がたまたま近くに来たからの「ついで」は悪印象かもしれないけど、普段から大切にしている人が加えて「ついで」に寄るのは却って好ましいのではないか、ということも思い、まずまず習わしやしきたりの多い土地に生まれた僕は、そういう知識は踏まえつつ、その行為をする人の「本質」を大事にしようと常に思っている、だからそういう知識を知っていつつきちんと解釈して自分なりに行動すればよいと思ってきたのだけど、最近、そう思っていても知っているが故に行動できないことも少なくないと思うようになり、いっそそれならば知らずにいるようにしたほうがいいのでは、そこは少し他力本願的なスタンスに寄ったほうがいいのでは、と考えた瞬間があったりする。それはとても危険な第一歩だと頭でわかってはいるのだけど、すべてを知ることは到底できない以上、何を自分の「善」と位置づけて進んでいくのかはかなりしんどい課題として目の前に残る。全行程を微かには念頭に起きつつ努めて無心で走り続けた今回、ずっと考えていたのはこのことだった。 

過去、暑さのせいで途中長時間休憩が必要になった、15km程度登りが続く長野峠も、幾度となく「もういいや」と切り上げを選んだ松阪も、どこも淡々と走り抜けることができて楽しかった印象しかなくて、今回のライドは自分のやる気をすごく回復させた。これならだいたいのところだいたいのルートは走りきれる。日々の練習が如何に成果につながるかを一番実感したライドだった。

以下、箇条書き:

  • このルート、津に入ってから23号で伊勢を目指すのは、23号は交通量がかなり多いので怖いので避けたルートで、23号よりは車の危険度は低いとは思う。なので伊勢に行くルートとしてお勧めできるものの、スピードを取るならやっぱり23号のほうが良いと思う。
  • チェーンオイルが甘かった気がする。気をつけること。
  • 前回ライドでコンビニで見かけた「ポカリスエットアイススラリー」をアテにしてたのだけど、三重のコンビニでは軒並み見かけなかった。少し変わった商品は場所によってあるなしあるのであまりアテにしない。
  • 久しぶりにハンドルバーバッグを装着、距離が長いので取り出しやすいバッグが多いほうがよいと考えて、これは正解だった。結局、万一の際を思って都度買ったお菓子類は最後まで食べなかったものの、仕舞うところに困ることのない装備はストレスが減るので疲労も減る。
  • 全くの平地なのに全然回らないポイントがあって、あれが何故かわからない。
  • 100km5時間はちょっと切れなかったものの、トータル7時間は実力的にはそんなに悪くなかったと思う。
  • ライドの後半のプランニングがやっぱりちょっと甘い。とは言え、こんなにコンビニがなかった時代、ロングライドしていた人たちは補給は一体どうしてたんだろう?と思ったり。
  • もちろん疲れたものの、今回はライド中も終わってからも疲労感がほとんどない。ライド中も足が攣ったりもしなかった。補給に神経をかなり使ったのも功を奏したと思う。

独走会 200802 烏谷池ーくろんど池ー猿沢池 61.1km/745m elev.gain

”転んで血が出ても 不安と後悔ばっかでも 絵になるように生きてみる"
("IRODORI"/ INABA/SALAS)

先週、歯のブリッジが取れたことから噛み合わせがおかしくなりそれで肩や首もおかしくなり、そこから頭痛が酷くなり吐き気を伴うくらいにまでなり金曜とうとうダウンしてしまったので、歯科医でブリッジを戻してもらって土曜にだいたい回復したものの、何かあったら怖いというのとしばらく乗っていないのでというので、近場を回ろうといことで、まずくろんど池を枚方側から上り、下ってきて163で奈良に向かい、そのまま帰ってくるというルートをざっくり想定。

梅雨が収まらない7月に入ってから、今まで以上に考えないといけないことが増え、思考のキャパシティもメンタルのキャパシティも結構日々ギリギリで過ごしていたんじゃないかなと思う。厳しい状況だと言うのは甘えだという精神論で育った世代なので、自分のことは客観的に見れず、辛いと思うならキャパシティを上げるだけだと、受け入れても余裕は残せるような神経への作り変えに必死だったと思う。結果案の定パンクしてしまい、一時はかなりまずい状態になった。

そのスタイルは変えるつもりはないものの、世間の人は「気分転換」というものを、うまく自分の人生を生きている人は必ず持っていて、それは「それをやっているときは他のことを忘れられるもの」というものだと思う。一時でもそのことを忘れると、次の瞬間にはそのことをより冷静にクリアに見ることができるようになる。離れるというのは逃げているようで逃げているのではなく、離れているようで離れているのでもない。ヒルクライムは疲れるが故に他事を考えない、だからその間は他事を忘れ、結果リセットさせてくれる。枚方からのクライムの最中に考えたのはこれだった。

ここ数年、観光が盛り上がっていた平城宮跡も、手入れが入らなくなって雑草が伸び放題。だけどもうちょっと前は、平城宮跡はただのだだっ広い野原みたいなところで、その「放置感」をみんな甚く気に入っていた。状況に対して何がベストかというのは、少なくとも考え続けた人にしかわからない。考え続ければ、安直な言説にはすぐに気付ける。単純な相対主義に陥ることなく、あるものをあるものとして受け入れながら道を外さずに生きていくのは容易ならざる道だけど諦める訳には行かない。

以下、箇条書き:

  • これで60kmなら100kmは大丈夫。今日のようにスタート6:30にできれば猛暑日でも100kmは走れる。
  • 肩が縮むように痛くなるのは、早めにストレッチで対処。
  • 近所でもわかっているようでわかっていない道が沢山ある。
  • ローラーの負荷を上げて、平地巡航を改めて鍛える。

街の本屋で本を買う - 2020/07/31 旭屋カルチャースクエア イオン奈良登美ヶ丘店『一人称単数』/村上春樹

まさかこれを知らなかったなんて、本に対するアンテナが相当相当鈍っている。

歯のブリッジが外れて噛み合わせが狂っていって吐き気を伴う頭痛が酷くなって慌ててかかりつけの歯医者へ。ついでに本屋に立ち寄って、何気に入り口付近に大画面モニターに流れていた『本当の自由を手に入れる お金の大学』という書籍の販促ビデオを眺めていて、ふと平積みに目を落としたら聞き覚えのない村上春樹のハードカバー。吃驚して手にとってレジに直行。

ここ数年、書評を読む機会も減り本に対するアンテナは鈍っているなと思ってたけどまさかここまでとは…。村上春樹は次作どんな形を出すんだろう、このまとまった時間を極端に取りづらい細切れ瞬発力の夜の中で、と思っていただけにこの新刊はすごく納得して読んだ。

旭屋カルチャースクエア イオン奈良登美ヶ丘店


独走会 200607 宇治田原 77.5km/ 867m elev.gain

"風に身を任せて 息でも吐くように"
(『かぎろひ』/LOSTAGE)

5月下旬に30分くらい近所を流したのを除くと3ヶ月ぶり、50km超えとなると去年の年末の布目ダム以来だから半年ぶり。外を走れることの有難さ楽しみさ加減を自覚しつつ、あまり肩肘はらずかつ久し振りだから慣らしのつもりでわかりやすくて70km前後のルートで考えて、宇治田原に出て信楽までは行かず途中に南下して信楽木津線に合流する、というルートで。

時代に楔が打ち込まれたのは事実で、落ち着いたら全くの元通りの社会にできるとしても、一度経験したことは消えはしないので必ず何某かの変化が起きる。と思いながらもあんまり頭でっかちにならず、自分の足で遠くまで行けるロードバイクのリアルの楽しさを満喫することに集中。だいたい誰もが言っていることだけど、バーチャルでおおよそ代替できるからといってすべてがバーチャルになる訳ではなくて、いろんなものの良さをより見出し見極める力が必要になるということだと思う。zwiftは手軽だし楽しいしトレーニングとしても緻密だけれど、zwiftのコースは限られているし、仮にzwiftが地球上のすべてのルートを網羅したとしても、突然通行止めになっていたりパンクを誘発しそうなガラス破片が飛び散っていたり追い越そうとした車が何を思ったのか横で速度を緩めたりとか、そういうアクシデントやアクシデントだけではなくて不意に力がみなぎってくるような路面の状況とか、そういった感覚は実走に勝ることはないと思うから、いいとこ取りを心がけるのがますます大事になると思う。

だいたい毎日zwiftしたり、ときどきzwiftのイベントに参加したりした2ヶ月はやはり大きかったみたいで、前半は上りだらけのコースを持ってきたけど、速くはなってないけど辛くは全くなかった。南下に使った府道283号線は最高で、このルートはこれと言ってめぼしい寄り道ポイントがないことを除けば走って楽しいいいルートだったと思う。でも867mしか上ってないんだよな。強度的には同じくらいの距離でも布目ダムルートのほうが圧倒的に上ってる。そして、法隆寺行ってちょっと寄り道して帰ってくるだけのルートが、この宇治田原ルートの約半分もあるというのにも驚いた。これから梅雨に入り、開けたらもう昼間走るとかなり厳しいコンディションになるので、今日走れたのは非常に幸いでした。

以下振り返り:

  • とにかくバイクツーリングにめちゃくちゃ出くわした。いつも書くけど、なんでバイクの人ってあんなにつるみたがるんだろう・・・ソロツーリングの人ってほとんど見かけない。
  • 車が来ないというのが走りやすさを大きく改善するという事実。これを突き詰めていくとグラベルに行ってしまう・・・。
  • これでどこかに1時間くらい、昼ごはん食べる時間とってあと30kmで100km、だと楽勝。そう考えると、去年か一昨年か、津まで5時間で行けたのは相当好調だったんだなーと思う。

額はさておきカネを出す - 2020/05/10 change.org 【要請】東京高検・検事長黒川弘務氏の違法な定年延長に抗議し、辞職を求めます

https://www.change.org/p/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3-%E8%A6%81%E8%AB%8B-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%AB%98%E6%A4%9C-%E6%A4%9C%E4%BA%8B%E9%95%B7%E9%BB%92%E5%B7%9D%E5%BC%98%E5%8B%99%E6%B0%8F%E3%81%AE%E9%81%95%E6%B3%95%E3%81%AA%E5%AE%9A%E5%B9%B4%E5%BB%B6%E9%95%B7%E3%81%AB%E6%8A%97%E8%AD%B0%E3%81%97-%E8%BE%9E%E8%81%B7%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99

森友とか加計とか共謀罪とかいろいろあったけど、この検事長黒川弘務氏の定年延長のいちばんわからないのは、これで一体誰に何の得があるのか?という点だ。もちろんこれは空とぼけて言っている。森友とか加計とかはまあ誰かが儲かるというわかりやすい話だし、共謀罪はどこかの国からどうにかしろと言われたのか言われないのかわからないけれどまあそういうものがないと何かやりにくかったんだろうという意味でまだわかる。

でもこれは得をするのは黒川弘務氏だけなのだ。定年が延長されて、もうちょっと仕事をしていられる。それだけの話だ。ある個人が長く仕事できることを積極的に肯定できる理由がどこにも見当たらない。逆にいうと、どんなに優秀な人間であっても、期限がここまでと決められていたらそれを破ってはいけない。そうじゃなければ、その個人がどれだけ優秀であったとしても簡単に独裁に転がってしまう可能性があるからだ。それは人間である以上仕方のないことで、当然のことであるにも関わらず、なぜとある個人の定年の延長をそうまでして進めないといけないのか、その理由が見当たらないのだ。もちろんこれは空とぼけていっている。

という訳で、change.orgのキャンペーンで「賛同」をしたことは何回もあるけれど、今回始めて金銭的支援を行いました。この定年延長に賛成する人の気持ちは知れない。それは自分がいつどんな目にあっても構いません、と言っているのと同じことだから。