独走会 210307 月ヶ瀬 93.27km/1,775m elev.gain

"僅かな月日で積み上げた
 幻を後生大事に拝むのはもうやめた"
("Wonderful Opportunity"/B'z)

久しぶりのロングライド、天気もよさそうだし、行き先は見頃の月ヶ瀬梅林で早々に決定。ルートも少しでも負担の軽いルートということで復路をあまり好きではない163号に設定。在宅勤務の副産物でローラーの回数が増えて少しはよく走れるようになった気はするけれど、10年やってこれだからもう人並みに走れるようになりたいなんて思いは捨てた。巡航23km/hのままで構わない。自分のペースで、できるだけ最後まで疲れないように、気持ちよく走れるようにセーブしながらセーブしながら走ることに決めた。

僕はどちらかというと聞き手タイプの人間だ。人の話を聞くのが好きで、逆にこちらから何かを話そうとしても遮って話を続けられることが多い。勢いいろんな意見を取り込むし、その結果ポストモダニズムの相対主義の罠に落ちたような状態になることも多々あった。自分の思いを通すよりも、相手がどうしたいかを理解してそこに作用していくほうが早い。そうやっているうちにあちらとこちらの矛盾を許せないが故に身動きがとれなくなっていたことに初めて気がついた。僕はフォーマットを重要視するタイプだが、それぞれの相手に対して満点のフォーマットを心がけ続けた結果、いつも満点が取れないことに、それはあたり前のことなのに疲弊していることに気がついた。

相手が罵倒のフォーマットならこちらも罵倒すればよい。目には目をは下劣な考え方だがそういうことではない。こちらの疑問を、相手の意見を尊重するほうが「楽」だからと潰してしまうのは手抜きだということだ。そこで物を申した結果失うものがあるような気がしていたが、その幻を後生大事に拝むのはもうやめた。そもそも、僅かな時間だったのだ。

もちろんトレーニングは大事だ。上を目指すスタンスも大事だ。でもそれは一体何のためにやっているのか?それが一番大事だ。何も悪いことをせずに善良に生きていてもうまくいかないことはあって、そんなときでも考え抜いてやっていくのも、信仰を頼りにするのも、どちらもあってよいことだ。100km弱を走り終えて帰宅したのは出発から6時間後、梅林やダムやで写真を撮りながら走ったにしては悪くないタイムだったし、それほど疲れてもいなかった。

以下箇条書き:

  • シフトワイヤーの調整。
  • 今まで、「疲れたときのリカバリ」にばかり意識を置いていたが、今日は最初からエネルギー系を摂取して、かつ、序盤も抑え気味で走った。復路の木津あたりが足の付根が気持ち悪くなって回したくなくなるいつもの状態になったものの、全体のペースはよかった。
  • 言えばいい。

独走会 201228 大戸川・信楽 114.3km/1,631m elev.gain

"これは一生の何分の一なのかなんて
よくできた腕時計で計るもんじゃない"
("RUN"/B'z)

2020年は、どれだけ平静を心がけても不安の浸潤から逃れられていなかった一年だった。父母の病気、言うまでもなくコロナ禍、それに伴う家族の状況とビジネス環境、己の置かれた立場、どんなに頑張っても、どんなに頑張れているつもりでも、振り返れば四六時中ささくれだっていた一年だった。そのささくれを宥めるものがこれだと思い定めても思い定めた途端倦んでいた。あるいは思い定めようとする時点で間違っていたのだと思う。低次元なところではロードバイクもその一つに違いなかった。

そしてこのライドから帰って1日経った30日からの、不安の極みのような日々を過ごした後なので、このライドの最中の気分はほとんど忘れている。時間の関係とコロナの関係で帰り輪行プランは避け、自走で100km以上走りたいということで、いつもの大津ルートで瀬田川まで出てそこから大戸川沿いに信楽まで、信楽から木津信楽線で帰ってくる、というコース、いつもの大津ルートは快調で疲れも全然感じなかったものの、大戸川沿いの登りで辛くはなかったものの足を削ってしまったらしく、信楽から木津信楽線の下りもろくに回せなかったという不甲斐ない感想が最初にかたまりとして出てくる。あの木津信楽線はほんとに回せなくてきつかったけど、それ以外のどのシーンも、最後の163の登りとかも、回らないなりに楽しいという気分を思い出すのでいいライドだったと思う。

大戸川沿いを走っている際、「朝宮」と書かれた標識と、その標識の直ぐ側から川側に此方側に向かって降りていく鳥居の連なりが気になったのだけれど、まずまず快調に走れているのと、その15分くらい前に休憩したばかりだったのとでそのまま通過のが気になってgoogleストリートビューで調べてみたら、そこは「九頭弁財天八大龍王」というかなりの珍しさの神社だった。相当の金運をもたらす神社のよう。それを知って「参ったらよかった」と悔やむのは、ついで参りより不埒な気もするし、「参ったらよかった」と素直に思うことが健全な振る舞いのようにも思うし、「今度参りに行こう」と思うことも浅ましいようにも根源的なようにも思う。不安に攻め込まれている中で、できる限りのことを突き詰めて考えるのは摩耗、たまにはそれすらも手を抜いたほうがいいかも知れない、手を抜くためにはその「退屈」と手を取り合うことが必要。過ぎたるは猶及ばざるが如し、効率化を極めるためには退屈とも共存が必要なのだ。いつかのロングライドで、「敵は退屈だった」と悟ったように。

以下、箇条書き:

  • ビンディングが甘くなっているので直す。
  • 距離は昔より伸びてはいるものの、今は70kmくらいで一旦完全に足が枯れる。ビワイチでは枯れなかったので、やっぱり登りに弱いということだと思う。
  • 朝9:30出発、これくらいの時間だと最初からやる気テンションで出れる。
  • ディープウィンタータイツでも足が冷える。足が冷えているのか足を使いすぎているのかの判断もできなかった。
  • 補給は1時間おきにしているけど、100km走るときはやっぱりお昼はちゃんと食べないといけないのかも。

街の本屋で本を買う - 2020/12/12 ブックスタジオ大阪店『ザリガニの鳴くところ 』/ディーリア・オーエンズ 『100分de名著 ディスタンクシオン』/NHK出版

久々の梅田で、かつ1時間くらい時間があったのでじっくり物色。
飽きるくらい書いてるけど、ネット書店とリアル書店のいちばんの違いは「自分のアンテナでは絶対引っかからなかった本に出会えるかどうか」に尽きると思ってて、ネット書店のレコメンドなんてどこまでいってもほんとに高が知れてます。確かに興味を惹く(興味の「ある」ではない)書名が並ぶけれど、出会いたい本というのはそうじゃない、とすごく思う。VR書店とかあったらいいんじゃないかな。
久しぶりに歩き回って改めて再確認したのは文芸棚のやせ細り。棚数も少ないけど、そこに並ぶ書籍の種類もなんだか似ている。それこそ売れ筋解析でこんな本書きましょう、と作家に至るところで勧められている、みたいな。もちろん逆で、書店側が売れ筋解析で陳列しているんでしょうけど。

そんな中でも何冊か迷った中、「2019年アメリカでいちばん売れた本」と帯にあるくらいなのに全くアンテナにかかってなかった『ザリガニの鳴くところ』を選択。すでに読み終わっているので感想も書くと、これは男女差別に対する意識がますます高まっている今正に読んでよかったと思う。自分たちの置かれている立ち位置が、どんな都合で作られた物語を正義と仮構しているのか、というのにより自覚的になれると思う。

もう一冊はブルデュー。まさか100分de名著が、いや100分de名著は今までもハヴェルとか結構剛速球を投げてくるけど、ブルデューを取り上げるなんてなんと素敵な。

街の本屋で本を買う - 2020/11/21 啓林堂書店生駒店『これからの日本の論点2020 』/日本経済新聞出版 『超クリエイテイブ』/三浦崇宏

KIPSポイントが失効するというので近所の啓林堂に。
何かしらのポイントを使っては文芸書は買わないことにしているので、実用書の棚を何往復かして気になる背表紙を記憶しながら、そう言えばもう暮れも近いし『2021年大予測』的な書籍を一冊買おうとそのあたりを物色。すると、何かの書評で見かけたことのあった『超クリエイティブ』が目に留まる。この手の書籍は図書館で借りて読むことはあっても買って読むことはまずないのだけれど、書評が少し好印象だった記憶があってパラパラとめくってみたらレヴィ=ストロースとソシュールと国分功一郎とが目に入ったので、ちょっと読んだ感じ自分のその三者の読み方と違うなと感じたけれどそれらを引用する人がどんなことを書いているか興味持ったので購入。図書館で借りてきた『岩田さん』とどっちが面白いだろう?


 


啓林堂書店生駒店 生駒市谷田町1600 近鉄百貨店生駒店6F

独走会 201123 一刀石 73.28km/1,412m elev.gain

"Now it's time to go, Now it's time to glow"
("ARIGATO"/B'z)

三連休は仕事で色々とあり、乗れるかどうかわからない(から楽しみにしない)という心持ちで過ごしていたので、最終日乗れることになったもののハードなチャレンジする気分に持って行けず、取り敢えずそこそこの距離を走ろう、と思いついたのは一刀石。言わずとしれた鬼滅の刃の聖地のひとつ。なんだかんだ言ってライドでいちばん走っているのって柳生かも知れない。三重に行くにしても163号がいっとき苦手になってたので、柳生街道のほうが辛いけど柳生街道を選って走ってたこともある。

自分がどれだけのことができるのか、というのはいつまで経ってもわからないし自信がない。なぜ、あの人の言ったあの内容が賛同されて前に進んでいくのか、どれだけ考えても腹落ちしないことも儘ある。全然成長を実感できないままこの年まで来てしまったどんより感はこの日の曇天に似ている。天気予報では全く触れていなかった、けれど山に行くので覚悟はしていた小雨が時折顔や手や体に当たる。そうは言っても自分は小細工のできないタイプでこのやり方でやっていくと決めたやり方を終生やり抜くしかない。全然成長していないようで、今日のライドも麓から一刀石までの往復以外は殆ど休憩なしで走り続けていたから、平均移動速度が低くても、走り続ける力自体は伸びていると思うし、自分の等身大を素直に評価することが成長に必ず繋がる。

以下、箇条書き:

  • 寒かった。もう11月も下旬だから当たり前。ウィンタータイツじゃなくてディープウィンタータイツが必要。太ももが冷えるとそれだけで相当痛くなる。
  • ブーティも要った。
  • チェーンオイルがきちんと塗布できてない?要確認。
  • 一刀石にたどり着くまでは上りもかなりペースを上げられた。一度休んでしまうと痛みが出てちょっとダメかな。

街のサテンで豆を買う - 2020/11/03 ROKUMEI COFFEE

奮発。

ROKUMEIとかタカムラとかで豆を買うようになってから、COEというものに興味を持ち出して、それは「そんなにコーヒーの味の違いってわからないけれど、COEと言われるものならめっちゃ美味しいんだから分かるんじゃないだろうか」と思ったからなんだけど、それでも250g ¥8,000の豆というのは初体験。世の中にはもちろんもっと上があるんでしょうけれど、そして「コーヒーの味は値段ではない」というのもあるけど、やっぱりCOEと呼ばれるからには何か光るものがあってのことでしょう、ということでエルサルバドルCOE2019を購入。

今までコーヒーの説明で「ワインみたいな」というのが全然わからなかったんだけど、これ淹れたときは「こういうことか!」って、お酒飲めないのにピンと来たくらい果実感と刺激を体感できた。美味しいので勿体ないけど豆は劣化するのでここぞのブレイクのときに淹れて飲んでます。

独走会 201101 金峯山寺 48.92km/537m elev.gain

”昨日より今日 明日より今日"
("オレとオマエの新しい季節"/B'z)

163号(トラックのサイドミラーに頭を跳ねられたから)とか木津川サイクリングロードとか、苦手意識のあるルートがいくつかあって、「奈良県南部」というのが全般的にぼんやりと苦手意識のある方面。そのぼんやりさの源泉を追求していくと、橿原まで大した距離がないのに苦痛だった記憶とか、その更に南はどこを走った記憶もなんか辛かった印象ばかりで、あんまり南下を選ぶ気持ちが沸かなかったんだけど、何か明確なきっかけがある訳でもなく不意に南進を思い立って、金峯山寺を目指すことに。金峯山寺へは2つルートがあるけれど、七曲りを登るルートで。

南下するときはいつもルートをいろいろ凝るけれど結局いい結果になった試しがないので、今回は単純に橿原に出たらあとは169号をまっすぐひたすら走る、というルート。壺阪山あたりでちょっと上りがあって、あれがきつかったよな、という記憶。

けれど実際走ってみた結果でいうと、全然辛くなかった。ちょっとお腹が空いたかなと思って169号のトンネルの前のローソンでおにぎり買って食べた以外はほぼノンストップで金峯山寺まで走れた。たかだか50km弱ということもあるけど、やっぱりこのくらいだったら殆ど疲れず走れるようになってるなというのを実感。昔の苦手意識というのはやっぱりその当時の実力での話で、今年は在宅勤務もあって今までより練習できているからそのぶん走れるようになっているのを伊勢行き、ビワイチについで実感できた。

とは言えこの日は少し気持ちが乗らなかったこともあって帰りは吉野駅から輪行。メンタルのコンデイションというのはとても大切。

箇条書き:

  • チェーンクリーナーをWAKO'Sに変えた。変えたというか、今までディグリーザーを使っていたのを「チェーンクリーナー」というものに変えてみた。今までより綺麗にできている気がする。
  • 軋む音がちょっと気になる。何がきしんでるんだろう?
  • 輪行で帰ることを考えると、新しく買ったPELOTON DE PARISのハンドルバーバッグはちょっと大きいかも。愛用のパッカブルリュックの中に入れられたので問題はなかったけど、履き替えシューズを持っていく輪行だと帰りはシューズを入れないと行けないので厳しいか。
  • ジレは大変役だった。でも次走りに行くときはもうウィンドブレーカーかな。今日で出発時が13℃、日中が20℃くらい。ジャージ+半袖インナー。

額はさておきカネを出す - 2020/09/26 change.org 「女性はいくらでもうそをつけますから」自民党・杉田水脈衆議院議員の性暴力被害者への発言撤回、謝罪、辞職を求めます。

https://www.change.org/p/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%9D%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B%E3%82%89-%E6%9D%89%E7%94%B0%E6%B0%B4%E8%84%88%E8%AD%B0%E5%93%A1%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A8%80%E6%92%A4%E5%9B%9E-%E8%AC%9D%E7%BD%AA-%E8%BE%9E%E8%81%B7%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99

言い方が難しい話になるけれど、この発言を容認する、もしくはスルーする女性がいるとしたら全く理解できない。この発言は女性を貶めているものであり、自分自身が女性である者が自分と同性である女性を貶めても不利益を被らないと考える理由は、女性ではない性=男性に力になってもらえると考えているからであり、それで自分が不利益を被らないと考えるということは男性のほうが女性より地位が高いことを前提にしていると言える。つまり男尊女卑である。ここまで回りくどい言い方をしなくてもこの発言をする人間は発言を見るだけで男尊女卑だとわかるところであるけれども、「容認する、もしくはスルーする女性」と、女性に限定したモノを言うためにはここまで回りくどく書かなければならない。

この発言を容認する、もしくはスルーする集団というのは、男尊女卑を「しかるべきもの」として維持しようとしている集団ということであり、平等もダイバーシティも目指すつもりもない、自浄作用のない無責任な集団ということになる。彼らがいう「国民のために働く」というのは「男性」のために働くということであって、不妊治療ひとつとっても女性の立場に立てていないということになろう。

街の本屋で本を買う - 2020/09/12 蔦屋書店 奈良『Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) 2020年 9月号 [大人も読みたいこどもの本100] 』/カーサブルータス編集部

小学生初めての夏休み、帰省すらままならない状況で夏休みらしい体験が何もできなかったので、せめて一泊外泊で旅行気分をと、近所にできたマリオットの最高級クラスと言われているJWマリオット奈良へ。GO TO TRAVELは政策的にはそのお金の使い方からして納得できないけれど、それを責めることと、それを使うことは連動する必要がないと最近考えが変わったので、というのはそこで孤高潔白の立場を取ったところで得られるものを得なければ最後の勝負に負ける確率が高くなるし、責められるような為政によってでも得られる利得を得ることは共犯になるのではないと言えるし、ということでGO TO TRAVELを利用。この考え方の変化は自分なりに一歩踏み出した感。

で、JWマリオット滞在は殊の外楽しかった、いろいろな要素があるけれど、併設されている蔦屋書店、あれは有り勝ちだと言われがちだけれど僕はああいった店の作りの楽しさを再認識した。メガ書店ともちょっと違う、ビレバンとももちろん違う、買うつもりがなくても面白い場所。子どもにはどんな形でもいいから本には親しんでほしいし、本と「なにか」興味をひかれるような様々な物品が、襲いかかってくるような勢いではなくてそこかしこに点在している、というような。思想の文脈で何かあったような…バザールだっけ?パサージュだっけ?そういうことを思い出した。こういうのも新しいトラベルの形なのかも知れないな、と。



街の本屋で本を買う - 2020/09/09 啓林堂書店 新大宮店『美術手帖2020年10月号』/美術出版社 『なくなりそうな世界の言葉』/吉岡 乾

ひさしぶりに外出することがあり空き時間に本屋に立ち寄ってみて初めて、在宅勤務になってマイナスだったのは立ち寄り立ち読みの時間がなくなっていたことだと気づいた。amazonで本が買えるようになってから、本屋に立ち寄ることは以前よりは減っていたものの、外回りのついでに意識的に立ち寄るようにしていたのが、在宅勤務になると完全になくなってしまっていた。本屋に立ち寄るというのは、現代のリアル書店がどれだけ売れ筋ばかりを並べるようになったとしても必要なこと。 まとまった時間だったので、自分以外に他にお客さんはいても一人、という状況のなか、入念に店内をうろつき周り、買おうと決めたのが、特集的にディスプレイされていた『なくなりそうな世界の言葉』と、もう1冊が『美術手帖』。『なくなりそうな世界の言葉』は、最近、バスク語が主題のひとつだった『アコーディオン弾きの息子』を読み終えたところで、言語に関する興味がまた高まっていたので。『翻訳できない世界の言葉』とかなり迷ったけれど、今は『なくなりそうな世界の言葉』で。もう一冊の『美術手帖』はテーマが「ポスト資本主義とアート」というど真ん中だったから。綺麗事を言うな、ではちょっと済まされない状況になってきていると思うので、アートの視点からみたポスト資本主義を勉強したいと思ったから。マルクス・ガブリエルのインタビューが掲載されているのもポイントだったけど、一読したところではこちらはいつものガブリエル節だった。