己然日記 210809 街の本屋で本を売る

「やってはいけないデザイン」が売れた連絡。いよいよfromいこま3名著が成り立たない。

補充しようと思うと当然仕入値と売価を想定しないといけない。今回売れたのはコストを無視できたので価格を比較的安価に設定できたから。次回からは仕入値以上の売価の設定になるので、売れにくくなると思うし、この「せどり」で利益をあげようと思うと勢い1冊の純益は小さくなるので、物量勝負になる。だから他の貸棚さんはものすごい量の書籍が並んでいる。

これに倣うのか倣わないのか。スカスカの棚は以外と見やすいと思うので、個性はあると思う。ポイントはふうせんかずらに足を運ぶタイプの方たちに、今の僕の、組み合わせの面白さ、紹介それ自体を前面に出すスタイルで続けていいのかどうか。自分は売れなくてもいいけど、いろいろ品を変えるだけの紹介のバリエーションを持たせられるように検討しないといけない。


独走会 210807 布目ダム 77.38km/1,556m elev.gain

"精神のリミッター みなのうなしてしまえよ"
("愛なき道"/稲葉浩志)

もはや恒例というか、感染拡大で県を跨いだ移動が憚られ、京都と滋賀にはまん延防止措置、おまけに風は東風5m、県の南側はさすがに直近3回行ってて飽き気味なので、久しぶりに布目ダム周回に。

前回の津行きの朝と違い体調は懸念なし、ただ最近すぐに心拍がマックスに達して苦しくなる感じで、これは暑さも関係あるだろうと、とにかく心拍が上がらないように、登りで無理をしないように、少しでも心拍がキツいようなら迷わずペースを落とす、というのを意識して柳生から布目ダムに。

布目ダムで記念撮影休憩のあと、水間トンネルに向けてまた登り。意識して抑えていたのでペースは遅いと思いつつ、走り終えてみて辛かった記憶はやっぱり全然ない。呼吸も気をつけていたし、意識して心拍が上がらないように、心臓を安定的に保つようにしていたのが効果があったのだと思う。過去の布目ダム周回と比べてみたらペースも遜色なく、むしろ若干早くなっていたので、登り方としてはこのほうがよいのだろう。

心拍を一定にするというのは思わぬ気づきだった。これはわかっていたようでわかっていなかった、日常生活にも仕事にも活きる。エモーショナルであることが現代では必要なことと思っていたが、感情的ということとエモーショナルということは違う。心拍を一定にしつつエモーショナルというのは、浅い考えだと「演技」になってしまうがそうではない。なぜ心拍が一定のほうが効果があるように思えたのか?それは自分のアクトに対するフィードバックを確実に受け取れるからということと、エモーショナルを適切に表現できるからだ。離見の見。自分に取って不快で受け入れがたく、かつ自分に理がある状況であっても、心拍は一定に対応する。これは思わぬ気付きだった。

自分は若干ナイーブで、何かに没頭すると極みに行き着いたときに破綻してしまう嫌いがあり、ずっとそれにはブレーキを掛けてきたが、リミッターを外しても破綻しない、破綻の衝動をうまく使いこなせるところにたどり着きつつある実感がある。それは目線を上げたこととも少し関係していると思う。そして呼吸を保ち心拍を一定にするというのは、イメージだけではなくフィジカルにおいても日常生活に仕事に役立つ気づきだった。

以下箇条書き:

  • 補給戦略が成功したと思う。少しずつ飲んでいると大量に飲まなくて済む。
  • 過去、完全に気持ちが切れたことのあるポイントも冷静に通過できた。
  • 昼食を食べてからはやっぱりちょっとペースが落ちた。食べてすぐ走るのはよくない。
  • 平地での速度低下課題に関しては、ケイデンス80は問題ないので、ギアに対する脚力の問題。

独走会 210722 津 110.08km/1,069m elev.gain

"ためらうことなど何もないよ今更"
("Brotherhood"/B'z)

家族が「夏休み気分を味わっておいで」と一泊ライドを計画させてくれ、一泊して早朝帰宅するプランで検討した結果、宿泊先を津に。いちばんの理由は近鉄特急で最初から最後まで帰れるという感染対策面。それから暑さを考えると慣れたルートが安全だということ。そして、やっぱり折りに触れ三重の地で感情を満たしたいこと。

津はどんなにペースが悪くても帰り輪行なら十分日帰りできる行き先だけど、今回は一泊でなかったら走らなかったかもという感じで調子が悪かった。163の大河原の先の登りで足をついてしまったし、大山田あたりからの緩い上りルートもいつもより更に全然回らなかった。そして途中、軽装のサイクリストに悠々パスされたんだけど、なぜかそこでスイッチが切り替わって、追いつくことはできなかったけれど急に楽に走れるようになった。

自分の世界観と、会社の世界観とが掛け離れていてしんどくなることはもちろん多々ある。ビジネス界における知識不足や、会社内での無言のセオリーの把握不足でやさぐれそうになることも多々ある。一言で言ってしまえば青臭いということで、青臭さを抑えることが成功の道だと長い間勘違いしていたことに気がついた。これは素質であり、自分にしかやれないこと。そして、これこそが課題だった、協力し協力を求める動きは身についてきた。正論は貫き通すためにあるし、貫ける時代になってきたことを肌で感じる。リミッターは外しても大丈夫。

行き先で一泊して、ゆっくり晩ごはん食べて寝て帰れるというのはツーリングの楽しさのひとつと心から感じた。でもこれは度々やりたいと思ってはいけない。たまに、それこそご褒美的にというのがよく似合うと思う。今回は津について、時間はたっぷりあったのに、チェックインできる15:00までの間の時間をどう潰すかにさえ手こずったくらい疲れていたので体調は若干よくなかったんだと走り終わっても思った。それでも、学生時代を過ごした津を少し流して回るだけで、自分が見ていた世界がいかに近視眼だったか、もっと高いところを上を見ようと、そして自分の思想を貫いていこうと思いを新たにできた、家族がくれた貴重な夏休みだった。

己然日記 210808 街の本屋で本を売る

「デザイナーじゃないのに!」が売れたので、補充しないと"fromいこま3名著!"が成り立たない。

こんなに早くというより、売れるとさえ思っていなかったけど、売れたとしたらどうするか?というのはシミュレーションしていた。3名著という看板は降ろしたくないので、補充はしないといけない。でも定価で販売しても売れないので、古本を買って売ることになる。それって、ほんとは定価で買われたほうが著者のためになるんじゃないの?と思ったけど、仕入れたものを欲しい人に販売することはビジネスの基本であり正しいこと。必要としている人がその人のアンテナでは見つけきれなかったものを、自分が介入することで届けることができ、その届けるための手間賃を頂く。これが基本的な考え方。必要な人が必要なものを見つけるアンテナはネットの普及で大いに下がっているから、求めるだけではなくて「偶然」出会ったものを買う、という購入がより重い価値を持ってきっている。だから、ふうせんかずらのような店舗に足を運ぶ人に、よい出会いを提供できるような本と陳列を工夫しようと思う。

恒常的に置ける3名著のポップを作ろう。売れても「こういう本がありました」とわかるような。


独走会 210523 龍王ヶ渕 103.38km/1,066m elev.gain

"There is no turning back"
("GO FOR IT,BABY" / B'z)

県外に出るルートというのがなんとはなしに躊躇われる日々なので、県内で走って楽しそうなルートを走るのも3回目。自転車道を使って南下してからクライムを熟して帰ってくる、というのが思いの外いい感じ。自転車道は橿原まで片道1時間前後、この1時間がもったいないと以前は思ってたけど、今はちょうどいいウォームアップ・クールダウンになるというか、帰りはもちろんしんどいんだけどほんとにちょうどいいルートだと思う。

龍王ヶ渕は奈良県人の中ではまずまず知られているんじゃないかと思う、別世界の景色が広がる場所。写真好きの人が多くネットに写真をアップしているのを観て、写真の撮り方・表現もあるんだろうなとぼんやり思っていたけど実物は写真通りの別世界でした。私がスマホでなにげに写真撮っても水面にばっちり映り込む木々。それなりに観光に訪れている人がいるのに静寂。橿原から165経由でクライムして行った甲斐ありました。

これで良かったのかなあと思うことは毎日、不安に支配されてしまうけれど、たまに湧き上がってくる挑戦心を逃さず捕まえて前に前に進んでいく。There is no turning back.

以下箇条書き:

  • 165の榛原までの登りが自分の記憶と全然違ってきつかった。
  • 橿原まで帰ってきてお昼食べるのが面倒になってそのまま走り続けたけど、あれはあんまりよくなかった。
  • 往復自走に随分慣れてきた。

己然日記 210807 街の本屋で本を売る

水間峠ライドのついでに巡回!

昨日初めての売上報告LINEをもらって、まさか何冊か売れているとは思わずびっくり。そのLINEでは、各店主さんの値札が写ってるんだけど、値札が可愛かったり凝ってたりして、こういうところも工夫できるんだなと感心。今日、お店で偶然棚音文庫の中原さんにお会いできて、その際お伺いしたお話では、

  • 値札があまり小さいと、メンテして頂くのが大変。
  • 値札は買ってくれた人は持って帰れないので・・・
  • 店番の日は本に関するものなら販売できるので、グッズとかでもいいし、子供向けなんかもいい。

なるほどなるほど。

その後、虎月さんともお話。

  • 虎月さんは京都からお越し。ベテランっぽく見えたけど店には4回目。
  • 大津にもあって、奈良と大津のどちらにするか迷ったとのこと。
  • 棚主さんの中には、やるからには売上#1になるのを目指してる方もいるとか。
  • ストックは少しならお店で預かってもらえる。
  • 8/14はクリームソーダデー。
  • ふうせんかずらの第一期は5月から。
「ふうせんかずら」
奈良市東城戸町32-1
近鉄奈良駅から >> 徒歩6分
J R 奈良駅から >> 徒歩12分
営業時間:7:30〜22:00

定 休 日 :年中無休( 臨時休業あり )

己然日記 210731 街の本屋で本を売る

憧れの本屋さんに!

ふうせんかずら」は前から知ってて、行ってみたいと思いつつなかなか足を運んでなかったところに、不意に目に飛び込んだ「貸棚サービス」。二ヶ月で¥5,000、販売手数料無料。書籍やzineなら何でもOK、自分で値決め。今ならキャンペーン中で¥4,500。

やる!!

見た瞬間に申し込んでました。

いつもこういう面白そうなのは、やりたい!とテンション上がるんだけど、どの本持っていこうか、とか、他の人は凄いかっこいい棚作ってるんだろうな、とか、ネガティブに考えて尻込みしてぐずぐずして止める、もしくは枠がいっぱいになる、の繰り返しだったけれど、この貸棚サービスは即決でした。本を売りたい、というよりも、「自分の棚をつくる」「こういう本の組み合わせで読むのがおもしろいよ」「この棚の主はこういう要素が混じり合ってるんです」という自己表現的な、自己表現でいて誰かに「これ絶対おもしろいよ」という本の紹介が届くかもという、この摩訶不思議なフィーリングが楽しくてたまらない。

まず手始めに、サイトに記載されていた棚のサイズを確認して、これくらいなら入るだろうと目安をつけて最低限の本を搬入。ふうせんかずらの竹本さん、棚音文庫の中原さんに挨拶させて頂きながら、家族で棚づくり。デコレーションするものをそれほど持って行かなかったけれどそれでもあれこれ工夫するのは楽しくてたまりません。

これから毎日棚のことを考えるだけで楽しくなるのは間違いない!

「ふうせんかずら」
奈良市東城戸町32-1
近鉄奈良駅から >> 徒歩6分
J R 奈良駅から >> 徒歩12分
営業時間:7:30〜22:00
定 休 日 :年中無休( 臨時休業あり )

独走会 210504 談山神社 83.18km/838m elev.gain

"We took the fastest lane, keep following, you're good to go"
("Pathfinder"/PUFFY)


両親の体調が優れず、仕事は何かと忙しく、挙げ句自分も若干体調を落とした上に天候にも恵まれず、一応予定はしたものの走る気になるかどうかいつも以上に怪しいと思いながら連休を過ごしてた。予定の前日両親の様子を見に実家に帰り、いつもよりは多少思うところを話し合っていつもより少し深い時間を過ごした帰りの車中でfm802が「誰の歌う”強い気持ち・強い愛”やねんこれ」と思ったら氣志團だったという目が点になる一曲の後に無造作に聴こえてきた曲紹介ーPUFFY/Pathfinder、とそのエモいイントロに連続攻撃を食らった。25周年記念のPUFFY、そのタイトルにPathfinderというセンス、そしてプロデュースが紹介されていたので納得のエモさ全開のイントロからの曲展開、その挙げ句ーフル英詞!コロンビアとのタイアップというのも含めて、何もかも狙い澄ました「様式美」でありながら、それでも感情を捉えられる。走るかどうかを逡巡している僕に"Pathfinder"はガツンときた。

そんなにきついルートを取るつもりはなかった。でも多少は目新しいルートも走りたかった。ちょうどいい距離ちょうどいい負荷を考えて、桜井側から談山神社を登る、というつもりだけ決めた。談山神社への登りルートへの右折以外は迷うことのないルート。だからGARMINにルートもコピーしておかなかった。

竜田川-大和川越えあたり、"Pathfinder"が頭の中をループする。なぜかわからないが両親の過去の苦労がフラッシュバックする。気安く過ごせばいいと語ってもその言葉は全く届かない次元に行ってしまっている両親。感謝もうまく伝えられない無力感。涙。何度も走ったコースなのにルートを間違える。けれど"Pathfinder"はループし響き続ける。Which way do we go? このルートの間違いなんて大したことじゃない。大和川の堤防はすぐそこに見えている。路地が行き止まりでもやり直せばいい。

桜井側から多武峰への登りも曲がるポイントだけ抑えていただけで、どのくらいの斜度がどれくらい続くか全く下調べしなかった。ときどき出る標識で、談山神社まであと何kmか把握する。道はわかっている。どんな斜度が来ても止める気には全くならない。本当に全く止める気にはならなかった。

準備と計画は何にも増して大事だと思っていた。それは正しいことだと思う。だから道にも拘ってきた。どんな道があるのか。誰が走った道なのか。自分が走りたい道なのか。誰かに迷惑をかけない道なのか。家族を守れる道なのか。誰かがつくってくれた道を走るのではなく、自分で道を切り開くことが上等だと思っていた。だから自分の後に道ができるという響きに最もうっとりしたりしていた。自分はそれができていないまま、なんとなく幸運のもとにここまで無事やってこれた、自分の両親はそんな幸運な下ではなく、苦しい日々の連続を乗り越えてやってきてくれた、それに負い目を感じていた。

違うのだ。目の前に道があることも、自分の後ろに道ができることも、大した問題じゃなかったのだ。その道が正しいのか間違っているのかも。今、この瞬間この瞬間、道を探し続けて生きること、Pathfinderであること、それが今を生きるということだったのだ。

箇条書き:
  • 飛鳥川沿いは、路面は悪いけれども本当に快適に走れる。信号がないということが自転車にとっては最高の条件。そして単調なはずなのにあそこを走っている間はなぜかうんざり感がない。
  • 自走ルートを続けてきて思ったのは、帰路は距離感がわかっている分、実は頭が疲れないから最後まで回しきれているんじゃないか?ということ。見知らぬ土地がゴールだと、残距離はわかっても、コースアウトしないかとか、考えないといけないことがたくさんあって頭が疲れて疲労につながっている気がする。
  • ウェアは難しかった。半袖+ウィンドブレーカーでもよかったかも。
  • 余白は絶対条件。

独走会 210418 長谷寺 86.21km/1,032m elev.gain

"どしゃ振りでも心配事があっても絶好調だと言い放つよ"
("NO EXCUSE"/B'z)

ここしばらく帰り輪行の行きっぱなしツーリングをしていないので、同じ時間走るならできるだけ遠くへ行きたいという欲が薄れてきた。輪行を組み入れないのはもちろんコロナ禍の影響。電車に乗ることが即NGではないにしてもどうしても気が引けるのは事実。それで4月上旬、吉野の桜を観に行くつもりをしていたのが都合で行けなくなり、ならばどうしても花を観たいということで選んだ目的地が牡丹が見頃を迎えつつある、と記されていた長谷寺。

長谷寺は今から8年前、TRANSITの向井さんとYANAGIMOTO STANDのヤッさんと行ったことがあり、長谷寺までは普通に走れたけどその後北上していった途中でバテて完全に足が止まった記憶があり、イヤなイメージしか湧いてこないけれど敢えてそのルートを想定。天理ダムに抜けるコース。楽勝ではなかったけれど辛いという感覚も記憶も全然ない。あんまり上達しないなと思いながら約10年、多少は進歩しているのかも。

両親とも体調が優れず、気休めに長谷寺のお守りを渡しに実家に寄り、帰ろうとしたらどしゃ降り。天気予報より1時間くらい早く降り出した感じだった。ここまで結構計算通りで来たのにな…と思いながら止む気配もないのでどしゃ降りのなか帰路へ。思いの外ブレーキが効かなくなることがわかったので、コントロールできる範囲のスピードで慎重に。そういう心配事はいくらあっても絶好調だと言い放つスタイルで全然OKだけど、家族の健康の心配事をどう扱うかはなかなかに難しい。でもそれがパフォーマンスに影響しないようにするために、公言するというのはつまり絶好調だとい言い放つということに近しいと思うので、常に全力を尽くすように心がけるというのがその精神ということだ。

以下箇条書き:

  • 左のクリートがずれている。
  • 登り累計1,000mくらいまでなら、トータルであまり疲労がたまらないかも。
  • リアのブレーキシュー交換。
  • ウェアが難しかった。特に今日は寒の戻りというか寒かった。


独走会 210307 月ヶ瀬 93.27km/1,775m elev.gain

"僅かな月日で積み上げた
 幻を後生大事に拝むのはもうやめた"
("Wonderful Opportunity"/B'z)

久しぶりのロングライド、天気もよさそうだし、行き先は見頃の月ヶ瀬梅林で早々に決定。ルートも少しでも負担の軽いルートということで復路をあまり好きではない163号に設定。在宅勤務の副産物でローラーの回数が増えて少しはよく走れるようになった気はするけれど、10年やってこれだからもう人並みに走れるようになりたいなんて思いは捨てた。巡航23km/hのままで構わない。自分のペースで、できるだけ最後まで疲れないように、気持ちよく走れるようにセーブしながらセーブしながら走ることに決めた。

僕はどちらかというと聞き手タイプの人間だ。人の話を聞くのが好きで、逆にこちらから何かを話そうとしても遮って話を続けられることが多い。勢いいろんな意見を取り込むし、その結果ポストモダニズムの相対主義の罠に落ちたような状態になることも多々あった。自分の思いを通すよりも、相手がどうしたいかを理解してそこに作用していくほうが早い。そうやっているうちにあちらとこちらの矛盾を許せないが故に身動きがとれなくなっていたことに初めて気がついた。僕はフォーマットを重要視するタイプだが、それぞれの相手に対して満点のフォーマットを心がけ続けた結果、いつも満点が取れないことに、それはあたり前のことなのに疲弊していることに気がついた。

相手が罵倒のフォーマットならこちらも罵倒すればよい。目には目をは下劣な考え方だがそういうことではない。こちらの疑問を、相手の意見を尊重するほうが「楽」だからと潰してしまうのは手抜きだということだ。そこで物を申した結果失うものがあるような気がしていたが、その幻を後生大事に拝むのはもうやめた。そもそも、僅かな時間だったのだ。

もちろんトレーニングは大事だ。上を目指すスタンスも大事だ。でもそれは一体何のためにやっているのか?それが一番大事だ。何も悪いことをせずに善良に生きていてもうまくいかないことはあって、そんなときでも考え抜いてやっていくのも、信仰を頼りにするのも、どちらもあってよいことだ。100km弱を走り終えて帰宅したのは出発から6時間後、梅林やダムやで写真を撮りながら走ったにしては悪くないタイムだったし、それほど疲れてもいなかった。

以下箇条書き:

  • シフトワイヤーの調整。
  • 今まで、「疲れたときのリカバリ」にばかり意識を置いていたが、今日は最初からエネルギー系を摂取して、かつ、序盤も抑え気味で走った。復路の木津あたりが足の付根が気持ち悪くなって回したくなくなるいつもの状態になったものの、全体のペースはよかった。
  • 言えばいい。