街の本屋で本を買う - 2020/01/02 啓林堂書店近鉄生駒店『100分de名著 貞観政要』/出口治明

2020年の初買本はこちら。

実家から自宅に引き上げて、特に何するでもなく近所の近鉄の本屋をぶらぶらしてたら魔の「100分de名著」コーナーへ。最新号は今までの文学系・宗教系とまったく趣を異にする学問系。帝王学ってだいたい何言ってるか検討つくし、別に自分には必要ないと二の次だったんだけど、ここで出会ったのは何かの定めと思いお買い上げ。やっぱり出口氏というのはポイント高かった。

独走会 191229 布目ダム 77.3km/1,344m elev.gain

"ゴールはここじゃない 安住の地などない"
(『兵、走る』/B'z)

今年の走り納め、時間もあるのでビワイチにしようかと思ったものの、渋滞と旧賤ヶ岳トンネルが冬期通行止めということで早々に諦め(賎ヶ岳トンネルを通ればいいのだけど相当危ないらしいので)、三重に向かうことにし、163号は車がとにかくイヤなのでまたしても柳生越ルートを選択。前回、このルートで途中で止めたのでそれを払拭したいという思いもあったんだけど、なんと序盤早々で気持ちが切れてしまった。特に疲れている気もしなかったのに、ほんとに「プツン」という音が聞こえるようなくらい突然気持ちが切れた。新奈良ゴルフクラブを抜けてちょっと行ったくらいのところ。再び登りが始まる地点。

こないだ青山越を諦めたのはおろか、去年、同じような感じで南にエスケープした大柳生にすら届かない。それでももうやめようかと思うくらいの気持ちの折れようだったけど、まあとりあえず一回落ち着こうとじっくりそこで足を止める。そうすると、「確かに調子は上がらないしロングはできないかもしれないけど、今日は時間はどこまでもあるんだから、適当にもうちょっと走ればいいじゃないか、そもそも今日はしんどくなるたび止まるくらいで楽しめばいいと思ってたじゃないか、と思い直せて再スタート。

前回の反省で山程補給用のスイーツ買ってジャージポケットに詰めてたので、再スタート前にその一個を食べたのが効いたのか、切れていた気持ちは吹き飛んで、さてどこまでどう走ろうか?というマインドになり、足も割と普通に戻る。柳生郵便局過ぎたくらいで30km超えてたので、これだと布目ダム回って帰ったら70kmくらいでちょうどいい距離と時間かな、と思い、今まで言ったことのなかった布目ダムへ。

布目ダムは行ってみたら、なるほどこれはサイクリストが目的地にするなあと理屈じゃなくて光景で理解できた。県道80号の西行きは水間トンネルまでこれでもか!という登りだったけど、きつかったけどやめたいという感じはなくて、今思えばやっぱりあの序盤の気持ちの途切れがどうしても理由がわからない。とはいえ、その原因不明の気持ちの途切れに身を任せることなく、その時の自分の少しでも長い距離を走ろうとできたのはこれまでの積み重ねの賜物だと思う。

振り返りを箇条書き:

  • 明らかにトレーニング不足。やっぱり回せてない。ペダリングの改善にもう一度取り組む。
  • 寒さというのはやっぱり影響度が相当高いと改めて感じた。毎年のように冬は出発とかルートとかでうだうだしていたのは、寒さと暗さ(朝早く出発しようとしても日が出てなくて暗いので体内が起きない)からだとはっきりわかった。
  • 右肩を痛めた。疲れて体幹が効かなくなって、ダンシングができなくなって力が入るから。ダンシングの練習ももう一度。
  • しまなみってそんなに距離走れてないよなと改めてみたら今日と同じくらいの距離走ってて、それで獲得標高が倍違ったらペースも違うよなというのと、しまなみくらいだったらあれくらいのペースで走れるんだというので一安心。

独走会 191208 しまなみ街道 瀬戸田ー糸山ラウンドトリップ 78.5km/649m elev.gain

"歌えるだけ歌おう 見るもの全部 なかなかないよ どの瞬間も”
(『RUN』/B'z)

家族みんなで尾道トリップ。もちろん僕がしまなみ海道を走りたいからなんだけど、尾道は家族にとっても魅力的だったみたいでとても好評。僕も「旅のしおり」を作って渡すくらいの入れ込みよう(娘には全ひらがな・カタカナバージョンまで作った)。当初は新幹線を考えていたけど、時間的に車でも新幹線でも似たようなものだったので、それなら荷物とか、何よりロードバイクの運搬がラクなので車で移動。おみやげとか持ち歩き気にせず買えたのでやっぱり車で正解!

初日は昼過ぎに尾道について三人で散策。下調べはしてたけど決め事はなんにもないのでほんとに気ままに散策。ぶらぶら歩いて気に入ったお店に入って、娘に「何したい?」って聞いたらロープウェーに乗りたい!って言ったところにちょうど乗り場近くだったのでロープウェー乗って千光寺参ってそのまま下って。二日目は別行動だったんだけど、合流してからもみんなとても楽しかった感満載。娘に「何がいちばんよかった?」って聞いたら「ホテル!かっこよかった」ってのもなんかほのぼのした。家族旅行がこんなに楽しいものになるって実はそんなに予想してなかった。12月と思えない天気に恵まれたのもあるけれど、家族みんなほんと楽しかったという思いを胸に帰ってこれて、あの旅行ほんと楽しかったね、と言い合える思い出、またあんな旅行したいね、と言い合える思い出を持つってほんといいもので大事なことなんだなとつくづくと思った旅行だった。

しまなみライドは、家への帰路の都合上、尾道を15時には出発したかったので、そうすると尾道に14時に帰ってこなければならず、どんなに朝早く出発できたとしても渡船の関係で6時になるから、140kmを8時間というのは無理ではないにしても若干不安はあって、失敗は許されないので(笑)無理なくできそうなプランとして瀬戸田に朝一の渡船で渡り、7:45頃スタートで糸山まで往復する、というプラン。尾道出発で途中で折り返せばいいじゃないか、というところだけど、やっぱり愛媛側にたどり着きたくなるのが人情というもので。

しまなみ海道はもちろん平坦が多いというのが走りやすい理由だと思うんだけど、島から島をつなぐ橋が次々出てくるので、走ってて全然飽きない。ランドマークが次々現れるというのは走っていて楽しい。しまなみ海道はほんとによくできたサイクリングルートだと改めて思った。

独走会 191117 暗峠 13.9km/397m elev.gain

"全てはスタイル飛び方次第 代わりは誰にもやらすな”
(『羽』/稲葉浩志)

あまり考えを纏める機会はないので、ここで一度纏めてみよう。ロードバイクを始めて9年、自転車にはいろんな楽しみ方があることを知った。ロードバイクに入門した人が、いろんなスポーツに派生していく。トライアスロンはわかりやすいし、オフロード用のバイクという楽しみもあるし、これから冬になっていくとシクロクロスが注目されていく。聞き始めの頃は、シクロクロスの存在価値がよくわからなかったんだけど、ロードバイクを続けているうちに理解できるようになった。

けれど僕はロードバイクが好きだ。もう一生ロードバイクで行くと思う。いちばんの理由はもちろんもう1台バイクを購入する余裕がないこと。今のバイクだって本当にたまたまタイミングがあって勢いで買ったのであって、あのときはこんなにロードバイクを好きになるとわかってはいなかったと思う。シクロクロスはとても楽しそうだと思うけど、そのためにもう1台バイクを買うためにお金を回すのは今やることではないとちゃんとわかっている。そうしてそれはこの先当分、というかほぼ最後まで続くことだろう。

僕がロードバイクに入れあげるのは、何よりも「遠くまで自分の足で行ける」というところ。僕にとって自転車は「遠くまで行く」とほぼ同義。そんなに言うほどロングライドできていなくても、なんのために走り何のために練習しているかといえば、ちょっとでも遠くまで走れるようになるため。

自分の好きなこと、自分のキャパシティ、時間、お金、そういうものすべてをバランスしながら生きていくのが僕のスタイル。このスタイルは譲ることができない。融通が効かないと言われるし、付き合いが悪いと言われることも少なくないけれど、たぶん、誰よりもたくさんのことを考えながらバランスを求めている。そのスタイルだから、今まで生きてこれたと最近つくづく思う。

街の本屋で本を買う - 2019/11/21 メトロ書店(アミュプラザ長崎)『岩波文庫的 月の満ち欠け』/佐藤正午

出張から帰ってきてテレビをつけたら長崎が取り上げられてる(Eテレ・デザイントークス+)。

出張先で思わぬ時間ができたので、駅の近くのショッピングセンターで本屋回遊。しっかり歩くと気になる本がジャンルを問わずいくつも見つかって、でもこれからお客様先訪問なのであまり嵩張る本は鞄に収まらないので選択肢から外して、最終的に仕事に関係する5Gの解説本とどちらにするか悩みに悩んで、出先で買うなら小説だろうということで選んだのが『月の満ち欠け』。最近、直木賞とか賞モノにもずいぶん疎くなった…そして佐藤正午と歌野晶午がごっちゃになっていた。これを書くためにamazonで調べるまで、「『葉桜の季節に君を想うということ』の人だよな」と思っていた。

広い本屋を巡るのはこうやって興味の引く本に出会える良さがあるんだけど、今日は、現在地点は(書籍に限らないけれど)本という本の背表紙がどれもこれも「オレを読め!」と叫ぶためだけの言葉があてがわれているような、そういう押しつけがましさが襲ってきたような感じだった。あざというというか。何かを伝えたいというよりも、選ばれやすさを最重要視している。

レジに並んだら前に3人待っていてレジ自体は3台あったのだけど、なんと10分弱待った。クリスマスプレゼントの包装を頼む人が多かったのもあるんだけど、お年寄が圧倒的に多く、そしてレジでの支払いも現金小銭をゆっくり出すというような。もちろんこれに苛立ってはいけないのだけれど、着実に空気の違うところが日本の中でできているんだなと痛感した。

独走会 191109 月ヶ瀬・名張 74.3km/1,060m elev.gain

”ありがと悔いだらけの日々よ 今ならば言える”
(『さよなら傷だらけの日々よ』/B'z)

やってしまったハンガーノック。直近2回が好調だったので油断したのか…と言えばそうでもなくて、走り出してから補給するとかこまめに水分補給とか実践できていた。実際、月ヶ瀬に出るまでは上りも好調で、きついとか疲れるとか感じた局面は全然なかった。柳生の上りが大体終わった頃に、ふっと眠気を感じ、そう言えばお腹空いてる感じが…と思ったときは時すでに遅し。ストックしていた補給食食べても食べても空腹感。夏だったか、津を目指して163走った時にテンションが上がらず伊賀上野で切り上げたとき、数日後に風邪の症状で体調を崩して大変だった記憶も蘇ってきてテンションダウン。165号に出たとこのファミマであったかいうどん食べてみたけどもう無理だなと、青山高原越えは取りやめて引き返し名張から輪行で帰宅。

時間は家族に目いっぱいもらえていて土曜日で余裕はあるというのに、11時そこそこで引き返してしまおうと思ったというのはハンガーノックのテンションへの影響の大きさがわかる。よく考えたらそんなに悪いペースでもないし、あと30kmくらいは(青山の上りを上ったとしても)行けたと思うけど、あの時はその気持ちは全然わかなかった。

ちょっと予想が足りなかったな…と思うのは寒暖差。朝と日中もそうだけど、山間の日向と日陰の差は激しくて、極寒よりこれくらいの季節のほうが難しいかもと思ったり。ジレ、あったほうがいいかな…。

失敗したとき「失敗だ」と、取り繕わずに言えることは重要で、最後の最後、力を持つのは空騒ぎよりも信頼感。アンオフィシャルなものを重用するのは、つまり自分がオフィシャルに耐えられないと気づいていて丸裸になるのに怯えているから。

9年やってまだこんなものか、と嘆くのも構わないし、と落ち着いて言えるようになった。9年やってまだこんなものか、と思えるのも数々の失敗を重ねてこれたから、失敗することができたからに他ならない。まだこんなものか、と言おうとするのはまだまだやりたいうまくなりたいと思っているから。と、今ならば言える。

恒例の箇条書き:
・カシャカシャ言うのはビンディングだと思うけど気になる。
・そのビンディング、右が外しにくいのはおそらくあの錆気味のせい。要メンテ。
・走り出した後、どのくらい食べたらいいのかは今回でよくわかった、おにぎり一個じゃ足りない。
・寝不足はやはりNG。
・今一番必要なのは、3本ローラー。


独走会 191026 信楽 100.5km/910m elev.gain

"これは一生の何分の一なのかなんて よくできた腕時計で計るもんじゃない"
(『RUN』/B'z)

今月は2回も家族から時間をもらえることになり、感謝しながら行先を考え、というか走れるとなった時点で漠然と考えていた行先の信楽で決定。朝ドラの舞台というタイムリーさと、ちょうど往復100kmくらいの手ごろなコースというのと、木津信楽線を一度走ってみたかったのとで。

日帰り出張があったり一日3件アポの日があったり(それも明石→尼崎→奈良というまあまあの移動距離)で割と疲れは溜まってたので起きられないかなと思っていたら案の定目覚めは最悪のテンション。それでも家族が励まして送ってくれて無事出発。

宇治田原に向かうルートは慣れているので快調に走れ、登りも遅いながらも車に抜いてもらったり抜けないときは必死でスピードあげて登ったりで、厳しくても状況に応じて脚を酷使したりできる実感。そのときトレーニングのことが頭を過り、トレーニングは限界を超える負荷をかけるからトレーニング、ではあるんだけど、日本の体育会系の感覚と(イメージでしかしらないけど)欧米の体育会系の感覚ってなんか違うなと思ってて、例えば高校野球でデータを駆使しロジックでトレーニングする高校となんというか旧態依然とした根性論で猛烈に時間かけるだけのトレーニングの高校とがあったりして、でもデータとロジックの高校が100%勝てる訳ではない、100%勝てる訳ではないと認識したとき、それならどちらを選ぶかと言ったら、理路整然と無駄なく過程を楽しめるデータ・ロジック式のほうがもちろんいいと思うはずと思うんだけど、日本式の発想は、どうせ勝てるか負けるかわからないんだったら根性論で遮二無二やるのが後悔がない、みたいな感性だと思う。これは土着感性でぬぐいがたいものがあって、猛烈に自覚的にならないと意図せず根性論を持ち出してしまうと自戒している。だから自分だけじゃなくて子の世代に、意味のない犠牲を払わされるような土着根性感性をできるだけ引きはがすように心がけている。

どうせロードバイクで走るといったってこの頻度では上達もしないし、残り時間も少ないし、他のことに使ったほうがいいんじゃないかと半ば取りつかれたように考えた時期もあったけれど、有意義か否かという視点ももちろん必要だけれど、残り時間ばかりを気にしてオロオロして結局何もしないまま過ごしてしまうのではなく、今使える時間をしっかり使う精神力を養うのが正しい道だと思う。

以下振り返り:

  • 木津信楽線は信楽→木津は最高。もっとアップダウンかと思っていたけどほぼ下り基調。信楽からの帰りはこれで決まりだけど、163号で帰らないといけなくなるのがタマに傷。もっと南に下ってから西進するか。
  • やっぱり雨に降られた。
  • ロングスリーブジャージにビブタイツ、ウインドブレーカーまで来ていったけど、半袖ジャージにビブショーツの人結構すれ違って「寒くないの?」と思った。
  • わざわざ写真には取らなかったけど、木津信楽線はところどころに台風の爪痕があった。自然のこわさを改めて見た気がした。

独走会 191006 ブルーボトルコーヒー京都カフェ 105.4km/510m elev.gain

(追い)"風の強い日を選んで走ってきた"
(原典:『FUNNY BUNNY』/the pillows)

一年の中でいちばん走りやすい気候のシーズンになり、家族にまた1日時間をもらってライドへ。今回は遠出をするよりも自走で100km走りたいという気持ちが勝って、いつか行ってみたいと思っていたブルーボトル京都を目的地に。天気予報を確認するとばっちり北風!帰りが追い風になるので、行きは京都行きの際のいつもの168号→学研都市線沿い→久御山から北上ルートで、帰りは大の苦手の桂川CRに。

行きはちょっと寒かったのを除けば(家を出た瞬間「寒いな」と思ってニーウォーマーを取りに戻ってよかった)、道はよく知っているしペースも順調だったしブルーボトルに着くまでまったく疲れは溜まらなかった。ブルーボトルで15分くらい休憩して、予定通り鴨川沿いを下って桂川CRを目指す。だいたいCRってときどき橋を跨いでサイドチェンジしないと行き止まりになったり、サイドチェンジの際に方向感覚を失ってしまったりというのがあったりなんだけど、今回はそういうことで気持ちが折れて自走を止めようという気持ちは起きなかった。それは多分に追い風のおかげもあったと思う。ただ、唯一、切り上げてしまおうかという気持ちが起きたのは、切り上げてしまえば1時間足らずで娘に会えるなーと頭を過った時。それは純粋に会いたいというのもあるし、娘の相手を任せてしまっている大変さを思うからでもある。けれど実際のところは娘ももう、そんなにべったりしないといけないような年ではないし、かかる手もずいぶん少なくはなっている。それはちょっと切ないことでもあるけれど、その成長を喜び、成長に応じてこちらも成長しないといけない。なので決めたことを楽しもうと桂川CRを走る。

追い風のおかげで桂川CRは超快適に走れたけれど、案の定163号に入った途端ペースダウン。帰りの163号はなぜかどんなときでも調子が出ない。桂川CRの唯一の難点は、さくらであい館以外はコンビニすらないということで、補給食の調達が甘くて163号に入ってコンビニに入るまで補給しなかったのでタイミングを逃したのかもしれない。そして見事に向かい風。だけど木津まで来ればもう家はすぐそこなので、多少の登りも淡々と。

僕は「風の強い日を選んで走ってきた」ので、守りは滅法強いと思う。ピンチには必ず向かっていこうとするけれど、追い風を捕まえるのには躊躇するところが確かにあったと思う。ここが勝負、というときに、別にいいか、と流してしまうような。だけど、追い風を利用することは決して卑怯なことでも楽をすることでもない。もし今が追い風だと思ったら気負わず迷わず乗っかろうと。

恒例の振り返り:

  • やっぱり補給が遅かったと思う。163号に入ってからかなり足がきつかった。
  • 相変わらずルート確認が甘いけど、まあああいうのも楽しいかなと思えた。
  • やっぱり今年の津行きで5時間切れたのはかなりハイペースだったんだな自分的には、と分かった。

独走会 190906 米原 92.4km/636m elev.gain

"風の強い日を選んで走ってきた"
(『FUNNY BUNNY』/the pillows)

遅めの夏休みの一日、家族に一日時間をもらってツーリング。平日はどうしても朝の時間帯は車も電車も通勤通学で混むので、早朝の時間帯はできるだけ混雑を避けつつ、できるだけ遠くに行けて、なおかつ輪行でも帰りも通勤通学の時間帯に重ならないような行先、ということで慣れたコースの米原行き。時間もたっぷりあるし、道で迷うこともないし、大津まで行けば後は基本ド平坦だし(そのド平坦が苦手なんだけど…)、とにかく100km近く走ることを主眼に。

のんびり行こうということで割と写真を撮ったりしたので、大津まで出たくらい、45kmで2時間半くらいかかってたんだけど、そこから虹ケ浜までの30kmがさらに遅くて2時間!ド平坦なのに2時間!何年か前に米原まで走った時も、なんかこの近江八幡あたりで酷く疲労感が増した記憶がありそれが少し不安だったのだけど的中してしまった感じ。ただ、虹ケ浜で昼食を取った後は全く辛くなくなったので、やっぱり50kmくらいで一旦ヤマのくる程度の脚ということ。もっと練習しよう。

楽しむことと上達することの狭間というか両立というか、元来無精なので楽しむにしても決めごとを作らないと動けないところがあって、そうこうしているうちになんか道というか行というかそんな向かい方になってしまうんだけど、そのとき何を楽しいと思うかは変わって当たり前だと思うので、あまり乗ることに執着しないようにして、楽しめるときに楽しめるように気楽に行こうと思った。


『100分de名著 大江健三郎 燃えあがる緑の木』/小野正嗣

信仰なき「祈り」は可能か?にやられた。

信仰と道徳心や倫理観は繋がっているのか、信仰は必須なのか、というのはもう長い間自分の中の課題。自分は強いて言えば仏教の影響下で育った訳だけど強い信仰心がある訳ではないし、外国の哲学の領域では宗教バックグラウンドは甚大で感覚的に掴めてないんだろうと思うことが多い。そこに「信仰なき「祈り」は可能か?」と見せられると読まざるを得ない。このガイドを読み終えたすぐの感想は、しかしそこよりも大江健三郎の実践的な姿勢とそれを読む自分の息苦しさだった。なんだろうこの息苦しさは?ストーリーが考えさせるテーマには違和感はまったくない、けれど何か「もう止めたい」というような息苦しさが迫ってくる。