ただ、一さいは過ぎて行きます。
年を取るというのはこの年になると本当に辛いもので、時間はただ流れていくだけ、というような意味の有名な文章があったよな、と思いだしてみたこの一文が、太宰の一節というのを即座に思いだせませんでした。引用するには不適切な気もするけれど、本当にただ淡々とした気分を表すのにこれ以上の一文もないのです。
来週の土日は予定が埋まっているので、今日のライドが夏の終わり。1時間、走りっぱなしで帰ってこれるルートということで、富雄から阪奈に乗り、尼ヶ辻橋西詰のも一つ向こうで南に折れて少しだけ自転車道を走ってすぐ西向いて308号で引き返し、富雄川沿いに北進して生駒に帰る、という全くいつものルート。どこに行くにもこの道を使わないといけない、普段使いのルート。この普段使いのルートを、時にハイケイデンスで、時にシティサイクル並みで、気持ちよく走ります。長い距離でなくても、長い時間でなくても、見知らぬ土地でなくても、そのときはそのときにしかないもので、一さいは過ぎていき二度とは帰ってこないのですから。We're dancing in the stimulation. そのときの体験は常に新しく、それを粗末に扱わないことが人生を有難いものにしてくれる。
行きつけのカフェ、mother beansによってお気に入りのキャロブケーキを買って、「自転車ですか?」と一通りの会話で店を出て、5分もしない自宅に着いたらなんとヘルメットを脱ごうとして初めて忘れてきたことに気づき、慌ててもう一度mother beansに引き返すなんて、たった1時間のライドでヘルメット脱いだことが分からないくらい疲れるようになっちゃったのかな、なんてただ思った夏の終わり。