『図書館奇譚』/村上春樹

正直、ストーリーは面白くてずんずん読み進めて没頭して文句なしなんだけど、何を読み取ったらいいのかは全く分かれませんでした。

図書館で老人に捕まえられる不条理はなんとなく現代社会の不条理そのもの、「一か月間知識を詰め込みに詰め込んだ脳みそを、頭をのこぎりで開けられてちゅうちゅう吸われる」というのに「それでもわざわざやってくる人がいる」というのは知識欲の禁断の快楽みたいなもの、誘導する少女は成長で、無事図書館を脱出できたのに母親が死ぬのは少年は不条理を経験したことによって自立への道を歩かなければならないということ、図書館の地下に残してきた靴は母親からもらった愛をどこかで捨てなければ少年は自立できないということ、いろいろこじつけられなくはないけれど全然すっきりしない。

ドイツで出版された絵本版の日本語版、絵本だからストーリーはそういうものか、と納得しようとしても、あとがきでこの『図書館奇譚』の文章はバージョン1が元になっているということで絵本用のものではないらしく、もう読み取ろうとか考えずに「ずんずん読めておもしろかった」という読書がたまにあってもいいじゃない、で終わることにしました。

”そんな運命 シブい運命”(Black Coffee)

今までで一番、飛びぬけてまったりした印象でした。成熟した"IN THE LIFE"という感じ。あまりに崇高な思想を歌われたりはしないけれど、だから生活に密着して聴けるけど、成熟感は抜かせない。

全体を通すと、"EPIC DAY"というタイトルの意味をよく理解できます。やっぱり大事なのは、"EPIC DAYなんて来るのか来ないのか分からないけれど、来るように日々行動するということ”という了解の仕方。B'zは決して、単純に"いつかEPIC DAYが来ます”とだけ、言ってる訳ではない。"MAGIC"で”ひたすら信じて待て”と歌ったけれどあれも決して単純に報われることを保障してる訳じゃない。"EPIC DAY"に戻って、このアルバムは、ここまで来てしまったという現実とか(”Exit To The Sun"の「微笑んでくれる人がひとりいるなら もうそれでいいじゃないかってうなずかなきゃいけないね」)、やり直せない現実とか(”Classmate")、そういう「年をとった」現実を正面から受け止めて、そこに安住せずもっともっと先へ生きていこう、というふうに受け取ります。

全体を通すとそういう風に受け取れるながらも、魂を鷲掴みにされ一度聴いてからずっと頭の中で考えが四方八方に伸びて収まらず、どうしてもそれについて書きたくなってしまうのが”Black Coffee"。"Classmate"とか、内容的には哀しいテーマであっても曲の印象も歌われていることもきつい伝わり方はしてこない中、まるで鈍器と鋭利な刃物の両方で感情に大ダメージを与えてくるような曲。

明日になったら何か変わるでしょうか
くだらない誤解を笑うような
氷がちょっとずつ解けるような
そんな夢 甘い夢
ノミホソウ

「ノミホソウ」。そんなこと有り得ないよ、と諦めさせられる。だいたい世の中では意見を交わせば通じ合える、という理想を掲げる中で、「そんなのただの楽観的希望的観測でしかない」と突き放す「ノミホソウ」。

お互いいろんなものを
見せ合ったけど
まるごと愛せる才能がまだ足りない

時間をかけ相互理解が深まると、もちろん受け入れられない部分や、経験して記憶に残ってしまう否定的な部分が積み重なる。だから時間をかければかけるほど、そういった受け入れられない部分を受け入れる力が必要になるけれど、それが「まだ足りない」と、自分を責める方向に向かうしかないネガティブスパイラル。

誰のことも恨まないで憎まないで
優しい思い出だけ集め
このままさよならしてしまおう
そんな思い 苦い思い
ノミホソウ

そして出口を無くしてしまうこの曲最大の大転換。日本では(世界でもそうなのかも知れないけれど)、耐えきれないことがあったとき、それを自分の外部のせいにせず、不平不満も言わず、感謝すべきことに感謝だけをして、潔く身を引く的なスタンスが美徳とされ、それをわかっていてその選択肢を選ぶことが時に「楽」なこともあって、そうやって楽なほうに逃げてしまう自分を「苦い思い」で見つめてその考えすら「ノミホソウ」と言われてしまう。どん詰まりの状況で、ただ黙ってそこから立ち去ることさえ許されない。

正直な思いを残らずぶつけあい
悔いが残るほど傷つけあい
それでも少し前に進む
そんな運命 シブい運命
まだ見ぬ旅路があるのなら
しばらく歩いてみるのもいい
出発の前にもう一杯だけ
黒い珈琲 苦い珈琲
ノミホソウ

たった一か所だけ出てくる救い、それが「それでも少し前に進む」。そしてそれを「そんな運命 シブい運命」と呼び習わす。先のフレーズで「このままさよならしてしま」うことを「ノミホソウ」と言っているので、意見が徹底的に食い違う相手と、それでも離れることはしないということは前提になっていると思う。離れることはできないからズタズタになるほどやりあって、それでやっとなんとか「少し前に進む」。そんな状況を、「そんな運命 シブい運命」と言わずに何と言えよう。それでも少し前に進んでその先に「また見ぬ旅路がある」と思えるから「しばらく歩いてみる」。「しばらく」と言い、「してみるのもいい」と言っているけれど、これはもうそうやって生きていくしかない、それが人生という運命なんだと言っているように聞こえる。

自分にとっては”有頂天”は久し振りに投げ出されるだけの救いのない歌詞だなあと思ってて、この"Black Coffee"も相当にどん詰まり感のある苦く重く苦しい歌詞だけど、"EPIC DAYなんて来るのかどうか分からないけれど”という境地を維持するためには、これくらい徹底的に自分を追い込む覚悟がないといけないんだなと深く深く突き刺さった。例によって単純な男女間のことを歌っている曲ではないし、自分が自分の生活に照らし合わせる際も自分の生活というより自分のスタンスすべてに染み渡らせようと考える内容だった。

B00SQEGZ42 EPIC DAY (通常盤)
B'z
バーミリオンレコード 2015-03-03

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『沈黙』/遠藤周作

マーティン・スコセッシが映画を撮影中と聞いて、『沈黙』を読みました。今年はこれまで以上に、宗教に関する著作を読まねばなるまい。

換骨奪胎?和魂洋才?良く言えばこういった四文字熟語が宛がわれるのだろう、この部分が一番鮮烈に印象に残る。

デウスと大日を混同した日本人はその時から我々の神を彼ら流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。

日本人は人間を美化したり拡張したりしたものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない

日本は過去にキリスト教を受け入れなかった歴史のある国であり、その当時キリスト教徒に対して行った仕打ちというのは現代の反キリスト教集団の仕打ちと比べて勝るとも劣らない。だから、現代起きている事態を、我々日本はこの現代にはもう起こさないと考えるのは浅はかであると思う。日本は歴史の始まりから美しく賢明な国だと思いこむ風潮があるけれど、あまりにも浅はかだと思う。

そして先に引用した部分。世界のどこかにこの日本と同じような性質の国があるのかどうか知らないが、日本は輸入してそれを自分たちに適するようにカスタマイズすることにかけて随一の能力は持っているように思う。問題は、それが「何のためにそうするか」という点が全くないことだ。ほとんどすべての場合において、それは「自分たちの都合」のためになされる。どこそこの国ではこれが一番よい、という物品でも概念でも、それ自身どういった目的を帯びているか、そういう点はほとんど考慮されない。自分たちの都合だけが最優先される。日本式なやり方、日本式の外国の文化を国内に取り入れる際のカスタマイズの仕方、手法の最大の問題点はここにあると思う。どういった目的を成し遂げるために生み出された文化であるかを蔑ろにして、自分たちの「都合」に合わせてそれを利用してしまう。現代でも「xx(国名)ではこれが昔からの・・」とか「xx(国名)のライフスタイルでは・・・」と言ったような紹介の仕方は、自分たちのいいように部分を摘まんで自分たちの「都合」に合わせて利用している。私は外資系に勤めているが、この業界の外資系の多くは、部分的には外資系の数字に対する厳格性を振りかざして社員を統制する傍ら、日本は日本の独自の文化があるという体で、接待で癒着しろと言ってしまうような会社もあるくらいだ。

日本人が作り上げた神と教会の神の違いを考えるのも面白い。けれど今の私に最も通説な課題として残ったのは上記の二つ。
4101123152 沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社 1981-10-19

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Kindle for PC 出たけれど…

Kindle for PCがいつの間にかリリースされてたので早速手ごろなNewsweek買って試してみましたが致命的な弱点が。それは「ピンチできない」!

今まで、「PCで読めない」という理由ただ一点で(実際にはKindle Cloud Readerというウェブサービスがあるので読めなくはないのだけど)amazonでは電子書籍を買わず、honto!というサイトで買ってたのですが、kindleがPCで使えるなら話は変わってくるぞ、と喜び勇んでKindle for PCインストールしてNewsweek買ったのですが、なんとピンチができない。

PCとは言え、Windos8環境でピンチが出来ないのは痛い。Surfaceなんでピンチ操作に慣れているのです。これはないかな、ということで電子書籍はhonto!維持で決定。honto!のビューアも、ピンチしててもページ繰ったら元に戻るとかいろいろ文句言ってたんですけどね。

独走会 - 2015/02/15 北野天満宮

道を知っている、ということは例えそれがどんな些細な点だとしても、大きな差となって現れる。

年末に園城寺ライドで走ったところでもあるし、部分部分はこれまで何度か走ったことのある道で、分岐や本線・側道の合流等、何一つ迷うことなく走り続けられるのは本当に気持ちいい。京都に着くまでは天気もよく風もなく、ほとんど直進のルートで、北野天満宮までの43kmを休みなし1時間40分。移動速度26km。ロードバイク的にはまだまだだとよくよくわかっているのですが十分満足できるペースでした。ド平坦なルートならこのペースでずっと走れる自信がつきました。

どんなことでも、先人の知恵を全く借りずにやれることもやっていることも絶対にないのだから、「道」を誰かから教わってそれに沿って活動するのが、少しでも多くの「道」を教わって活動するのが、絶対的にうまくやれるってわかりきったことです。先人の知恵を全く借りずにおれることなどこの世にないのだから、自分の力で道を切り拓くなんてことは傲慢と妄想の産物に他ならないのですが、果たしてそうやって端折って端折って先に進んで成功することだけで人生の意義を見出せるのかという思いと、人生の残り時間が少ない中で、端折って端折ってやれることを増やすのが当然ではないのかという思いとが交錯。

如何に時間をかけるか。如何に失敗するか。成功するためにではなく、如何に純粋な失敗を重ねられるか。グーグルの知らない検索ワードを探すアクションと同様に、如何にプライベートな失敗を数多く経験できるか。ここに差別化の未来がある。もはや、個性は失敗にしか宿らない。


御朱印。文字通り「印」でちょっと珍しいな。

『日本人のためのピケティ入門』/池田信夫

どこがいちばん問題意識として頭に残るかって「ストックに対する累進課税」、ここでした。言われてみると、と思って読書記録手繰ってみると、「ストックへの課税強化」をこれからの課題として上げている書籍がやっぱり複数あった。

稼いだおカネは貯めずにぱーっと使いなさい、という世の中を目指すような感じがして、従来の道徳観と合わずに若干躊躇するかも知れないけれど、格差拡大の元凶がそこなのだとすればこの転回は早く受け入れなければいけないことなんだろうと思う。それに、おカネをじゃぶつかせれば景気がよくなるんですという言説が本当だとすれば、富裕層に対してストックさせずにどんどん消費させる政策が間違っているはずがない。

しばらく前、「貯蓄から投資へ」みたいな喧伝がなされた時期があったけれど、あれは結局、証券の持ち手が、売り先がなくなり商売が行き詰まったのでカモの買い手を求めて繰り広げられた一大キャンペーンみたいなものと思っていて、だから「投資」とは言っても、純粋に事業に資金が巡る効果よりも資産としての証券を持っている人が売却(と更なる購入とのサイクル)で利益を維持していっただけだと思ってる。

一方で、その「証券を持っている」側の人なんかは、『ヤバい日本経済』のように、「不動産価格の回復が必要」みたいに、ストック擁護になっていてある意味おもしろい。

今回は相続税もテコ入れされているし、ストックに対する課税強化という方向に進むのかなと見えても、直感的には今現在巨大なストックを持っている層が、そう簡単にその政策を実現させるとは思えない。基本、ストックを持っている層が、政治においても大きな力を持つのは現実。なので、これはやっぱり「革命」が必要なことなんだろうなあと思う。

4492444149 日本人のためのピケティ入門: 60分でわかる『21世紀の資本』のポイント
池田 信夫
東洋経済新報社 2014-12-12

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独走会 - 2015/02/08 生駒市総合運動公園

朝から走ろうと思ってたらいつもの如く雨に降られたので、夕方、近場のちょっとした登りを。16倍速の擬似タイムラプスで。

手軽なクライム練習コースと言えば宝山寺、なのですがあれでもちょっとキツいな、と思う弱気なときは総合運動公園へ。1km・8%でいい気晴らしできます。登り始め地点まで3kmあるのでウォームアップ・ウォームダウンもできて30分でお手頃。

この日も風がきつくて煽られ煽られ、登りで路肩に寄せてられなくなったことも(遅いからですが)。どの車もクラクション鳴らしたりはなくて、とてもありがたかったです。安全運転。

タイムラプスって凄く難しいことだったんですね~。動画があればコマ飛ばせばそれっぽくなるのかと思ってました。成らん(笑)。

独走会 - 2015/02/01 大神神社

さすが大神神社の朔日参りは大変な人出でした。想像以上でした。

生駒に住んでいますので朔日参りと言えば宝山寺、なのですが多少時間がまとまって取れたこともあって、ネットで調べたら朔日参りの風習が大神神社にもあると判ったので大神神社に参拝に。片道30km、1時間30分を目標に。法隆寺から田原本に抜けて24号線に出るところまではすこぶる快調だったのですが、大神神社を24号線沿いと勘違いしていてここから迷走が始まり、一時は真逆に曲がったりして結局相当タイムロスして1時間45分かかってしまいました。後ろの時間もあったので参拝も御朱印もままならず、鳥居で写真だけ取って退散するハメに。

残り時間が1時間30分を切っているので、自走で戻ると間に合わないかも知れない、なのでスマホで電車を検索してみても、場所が大神神社なのでJR、本数が少ないし近鉄にどこで乗り継ぐねん・・・と思ったら天理で乗り換えるというルートが。なるほど天理か、天理だったらJRを待たなくてもそこまで走って行けるなあと40分あるし、と、大神神社から天理駅までの10km強を走ったのですが冬の午後の北風にまともに煽られ、道は遮るものの何もない田畑の中の田舎道、ときどき吹き飛ばされそうになりながらぎりぎり天理駅に辿り着いたのでした。

今回、ウォーキートーキーハンドセットというアイテムを実戦投入。

要はスマートフォンに接続するスピーカーマイクなんですが、ボタンを押している間は相手の声が聞こえない(こちらが話す)等々、ちょっと「なんとかかんとか、オーバー!」的な気分のオモチャで、ちゃんとこれだで着信に対応できるというところがおもしろいなと思ってamazonで買いました。

でも、これを見ていちばん「これだ!」と思った使い道は、「Googleマップのナビを喋らせること」!
こんなふうに首元にクリップしておけば、Googleマップのナビゲーションが聞こえるんじゃないか?と。

目的地ゴールまでの道のりはルートラボでつくってGARMINに入れてるのですが、到着した後、その近辺で2,3立ち寄りたいお店(主にラーメン屋)がある訳です。私のGARMINは英語版Edge 800なので、スポット名等全部ローマ字で直感的じゃないので結構迷うことが多く、市街地の目的地へはスマホ片手に、というパターンで時間を無駄に食うことしばしばなので、いっそナビが聴けるようにすればいいのではという発想。ならばあのグーグルのCMみたいに「ここからどこそこまで」みたいに音声検索で、音声検索の起動も「オーケーグーグルで」、そしてナビは音声で、と考えたらこのウォーキートーキーは使えるんじゃ?と思ったのです。

今回、実際に大神神社から天理駅まで使ってみました。走行中は風の音でナビ音声が聞こえないんじゃ?と不安でしたが、だいたい、曲がらなければいけないところでは速度が落ちてるので十分ナビは聞こえます。カーナビと同じくらいの要領と思えばかなりスムーズにルートを走ることができます。日本のGoogleマップは自転車ルートに対応していないので、徒歩ルートを使うことになるので、稀に「ほんとにここか?」というルートを案内されたりもします。なので自動車ルートで検索するほうがよいかも。いずれにせよ、ウォーキートーキーはなかなかおもしろいアイテムでオススメです。

独走会 2015/01/25 若草山・手向山八幡宮・東大寺

世間ではグラベルライドというのが流行ってるそうですが、お試しグラベルに若草山はよいと思います!

奈良公園の鹿はみんな保護されているはずですが…まるで野生みたいな小鹿にも出会えたり。

登り口から約3km、登ればもちろんこんな清々しい光景が。言うことなしです。
ただ、23c履いていると下りはそれはそれは怖いです。登りと同じ速度で下ってました。

山焼きの次の日だったので、春日大社と東大寺に詣でるのがよかったんですが、春日大社は初詣に来たところだったので、と思いながら流していると知らないうちに手向山八幡宮の前に。名前は知っていたのですが詣でるのは初めてでした。少し古びて人気の少ない境内が、三月堂のすぐそば。これからは近くに来たら必ず寄りたくなるように思います。

大仏様を観ていつも「こんなデカいもの作ろうと思ったって凄いよなあ…」と感じ入るのですが、この日は「奈良ってなんでこんなデカいもの作ろうと思った人が住んでた地域の子孫なのに、せせこましくて怠惰で、でっかいことやろうって感じじゃないのかなあ」とふと落ち込んでしまいました。


手向山八幡宮と、東大寺大仏殿の御朱印。大仏殿は「無心」という御朱印も貰えるそうで、今度行った際は「無心」を頂こうと思います。

『つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』/ダナ・ボイド

”ソーシャル"ネットワークってそういうことだったのか。日本じゃmixiもGREEも、"ソーシャル"ネットワークの本義は教えてくれなかったな。

mixi始めたときも、「なんでこれ”ソーシャル”ネットワークなんかなあ」と、なんとなく分かるけどちょっとよく分からん感を持ち続けてたんだけど、この本を読んでかなり理解できた気がした。匿名性の議論とかあったけど、米国でのソーシャルネットワークの本質はそこではなく、若者にとっては、過干渉と過保護が常態になった米国社会では現実世界で友達と会い遊ぶことがままならず、友達付き合いを維持していくために(実際に会うための連絡手段としても)ネットワークの必要性があるということだった。それが米国のどの程度のエリアに該当することなのかは分からないけれど、輸入された”ソーシャル・ネットワーク”からは感じ取れなかった本質だった。

デジタル・ネイティブについての警鐘も括目だった。私はWIndows95が世に出回る少し前、インターネットが爆発的に普及する少し前、携帯電話が普及する少し前に社会人になった世代なので、子どもの頃から携帯やインターネットを使いこなしている世代というのは、新聞は紙で読むもの辞書は手で捲るものという我々とは、一様にデジタルに対する習熟度が違うと思いこんでいるが、本著の言う通り、

情報への新しいタイプのアクセスを可能にするが、人々がそのアクセスをどう経験するかはどうしても不公平
なのだ。そしてそこに新しい格差の種が芽生える。言ってみれば、投資家の子どもは自ずと投資に親しみ投資の基礎知識は持ち合わせ投資に抵抗なく大人になるだろうし、不動産業の子どもも同じくそうだろう。もちろん、大人になってからキャッチアップする機会はあるにはあるが、そこまでに得る経験はどうしても不公平なのだ。だから、若い世代をひとまとめにして「デジタル・ネイティブ」と見做すのは、本著の言通り「害悪」である。

社会学者ピエール・ブルデューは、『ディスタンクシオン』で、ある人の教育と階級における位置づけがいかにその人の趣味の在り方を形作るか」

たとえ米国であっても、見たことのない風習に対して大人ー古い世代は不寛容であり同一視してしまうものなんだというのを知れたのが、最大の読みどころだったかも知れない。文章が洗練されていること極まりなく、個別事例を引用して状況を説明するまでの流れがこれ以上なく滑らかで読んでいて爽快感さえあった。