- 好天とは言え、9月中旬の6時は相当冷える。アームウォーマー、ニーウォーマーは必要だった。
- 岩国までの20km(1時間)と岩国からの20km(1時間30分)のペースが違い過ぎる。最も大きいファクターはやはり信号。GARMINのログを見ると、トータル3時間のうち、moving timeは2時間。
- コースの把握。あとどれくらい、と言うのが感覚と合致しないとどうしてもストレスになる。
- 25km/h走の維持。
近鉄百貨店の中に啓林堂が出来て、そう言えばジャパブ(奈良ではみんな知ってる”ジャパンブックス”の略称)はどうなってんだろ?と思って立ち寄ってみたら、”Honya Club"なるものに加盟してました。
「そう言えば啓林堂のポイントカード制度ってどうなったんだろう?」と思って調べてみたら、サイトには記載がなくって、"e-hon"という書店ネットワークに加盟しているのと、近鉄百貨店内にあるので、KIPSポイントが使えるというメリットがあります。対して老舗のジャパブはいったいどういう手を打つのだろう?そもそも何か手を打つのだろうか?と思いながらジャパブに寄ってみると、”Honya Club"に加盟したことを知りました。
"Honya Club"は全国の書店が独自に加盟するオンライン書店で、その特徴は、ネットで注文して近くの書店で受け取れるので送料がかからないということと、ネットで注文しても登録した最寄り書店で購入してもポイントがつくこと。厳密にはネットで購入したポイントと書店で購入したポイントは別なんですが、振り返られるので現実的には共通と言ってよいと思います。
このポイント制度の有効性ですが、正直言ってamazonに勝てていないかなと思います。もっとも大きい理由は、単純にオンライン書店のインターフェースです。ネットで本を買おうと思って最初に出会ったのがHonya Clubでない限り、使おうという気になる人はごく少数だと思います。オンラインのインターフェース設計を甘く見ていると思います。清潔で見やすい本屋に人はリピートするように、使いやすいインターフェースのネット書店に人はリピートするんです。今のところ、Honya Clubは、「時前でポイントサービスを構築できない小規模書店にとってのクラウド型ポイント管理サービス」としてしか機能していないと思います。
そんな書店ネットワークサービスが、少なくともHonya Clubとe-honの2つもあるというのが頂けないな、と思います。小規模書店がネットやメガ書店に本気で対抗してくのなら、もっと結託して必要なコストを圧縮した上で、カラーを出していかないといけないと思います。
そんな「地元の本屋」でぶらっと何を買うか・・・とかなり逡巡したのですが、最近、ニュースでもネットでも何を見るにつけ「働き過ぎ」とか「そこそこで十分」とか、そういう主張ばかりを眼にしてたんですが、結局、やれるようになるためにはやるしかないだろう、と思うところがあって、かと言って単に「天井知らずで遮二無二働け」というイデオロギーは変えられるだけのロジックを立てないと、と思っていたところに「ハードワーク」をタイトルに持ってきた「ハーバード・ビジネス・レビュー」。働きと地元は切り離せない。ということでこちらを購入したのでした。
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Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 09月号 [雑誌] ダイヤモンド社 ダイヤモンド社 2014-08-09 by G-Tools |
プレゼンを「する」能力をあげるべきなのか、「聞く」能力をあげるべきなのか。
ガー・レイノルズさんと言えば『プレゼンテーションZEN』の著者の方です。
「プレゼンテーション」という言葉に、多少なり躊躇いとか抵抗とかを覚える人がいて、その理由の最も大きなところは「中身よりも見栄えが優先されるような気がする」というものだと思います。逆に、プレゼンテーションの重要性を伝える側は、「よいものであっても、伝え方が効果的でなければ、よいものが活かされない」という危機感から来ています。この双方のすれ違いを踏まえた上で、私が今回、受講しながらずっと考えていたのが、冒頭の、「プレゼン”する”能力をあげるべきなのか、”聞く”能力をあげるべきなのか?」という問いです。
今回のセミナーでも引用されていたTEDは、オーディエンスも優れているので、プレゼンターが中身のないプレゼンを準備することはありません。演者と観客の双方向の牽制が効いているので、高いクオリティが維持可能になっています。
PowerPointの「箇条書き」「テンプレート」はあまりにもわかりやすい例で、プレゼンテーションの話では常に攻撃対象に利用されますが、あの方式はバーバラ・ミントに従ったブレイクダウン・ストラクチャーで、型を守ることで誰でも一定のクオリティを保ったプレゼンテーションを作成することができるし、自分の意見を他人に理解してもらう上で、ブレイクダウン・ストラクチャーに則った「論理的な」記述が有効であるのを、否定できる人はいないと思います。
ブレイクダウン・ストラクチャーは、「論理的な考えは、認めなければならない」という、議論の大前提、暗黙のルールがあるからこそ活きています。だから、論理的に考える訓練を受けていなくても、「テンプレート」という「型」、つまりフォーマットに従うことで、誰でも容易に、比較的短時間で、他人を納得させることのできる、論理的に組み立てられたプレゼンテーションをつくることができます。
ということは、パワーポイントの「箇条書き」「テンプレート」への攻撃は、「論理的」な展開への攻撃と言い換えてもいいと思います。確かに、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの中では、「共感」ということが繰り返し強調されました。パッションを持って、共感を呼び寄せよう、感情に訴えかけよう、と。
ここまで考えて、私にはこのプレゼンテーションの二つの流儀は、コミュニケーションにおける神学論争ではないかと思いました。つまり、論理で理解するのか、感情で理解するのか、という神学論争。我々人類は長い間、人間は感情任せであると大きな間違いを招く危険性がある、だから理性的・論理的でいなければならないと思ってきました。しかし、現在のところ、プレゼンテーションにおいては、論理よりも感情が優先するというのが潮流のようです。つまり、「論理」という、時間を大量に必要とする形での相互理解ではなく、「感情」によって、瞬間的直観的に理解するのを是としようとしています。
ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションルールの要点のひとつは、「何を残して、後を捨てるか」ということ、これはつまり、人間の認知の限界と、世がスピード社会化していて時間が足りない、という現実を予め受け入れた上で、次善の策として、要点だけをピックアップして伝える、という解釈をすることもできるのではと思います。。もちろん、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの組み立てが、非論理的だとは思いません。けれども、根底の哲学がそういうことになると思います。
そして、このルールが牧歌的だと思うのは、それはあくまでも「聞き手」のスキルも高いときにしか成り立たないと直感的にわかるから。聞き手のスキルがそれほど高くない時、感情に訴えかけるプレゼンテーションが主流になって、その中に中身がないものが紛れ込んだとき、どんな悲劇が起きるかは簡単に想像できてしまいます。
ガー・レイノルズさんの『プレゼンテーションの極意』の要諦のひとつは、「聞き手に何かを得てもらうこと、それがプレゼンテーション」ということだったと思います。であれば、聞き手に応じた「型」を選択するところから、プレゼンテーションは始まっていると思います。どれだけ、動画も盛り込みフォントサイズも大きくしたピッチを準備しても、事業計画を説明する相手にとっては「プロトコル」があっていないということになるでしょう。その時点で「相手の立場に立てていない」ということになります。そこを踏まえた上で、今の自分にできることは、プレゼンテーション「する」能力を高めることも大事ですが、このセミナーが「生駒市民」に向けて行われた意義を顧みるとすると、市のさまざまな場面でこれから起きてくるであろうプレゼンテーションを「聞く」能力を高める努力を続けないといけないと思いました。
ぜひ、電子書籍で読むことをお勧めします!(気分的に)
「弱いつながり」というのは、私は「偶然」という言葉と重ねあわせながら読みました。本著は、「人は、自分を変えることはできない」と宣言しますが、それは「自分で自分を変えることはできず、自分で変えることができるのは自分が身を置く環境。人間は環境に規定されるので、環境を変えることで自分を変えることしかできない」というふうに私は読みました。
ネットは見知らぬ何かを知ることのできるツールではもはやなくなっていて、知っているものをより知ることしか、すでにつながっているものとのつながりを強化することしかできないツールになっている。検索があると言っても、検索ワードは自分がすでに知っていることだから、結局、自分が知っていることをより知るだけ、すでにつながっているものとより強くつながるだけ。だからネットは「強いつながり」。しかし自分を変えるためには未知が必要。例えばいつも仕事で会話するよく知った関係者ではなく、自分のことをあまり知らない、パーティで知り合った人のような。その「未知」に出会うためには新しい検索ワードを手に入れる必要があり、新しい検索ワードを手に入れるためには環境を変える必要があり、その具体的な手段は「旅」だと。
ものすごく納得させられました。「自分を変えることはできない」と言われると反発したくなるのが自然な反応だと思いますが、環境に規定されるというのは一旦は認めなければいけない事実だと思います。そして、意図的に変えることができるのは環境なのだから、自分を変えるために、環境を変えようという方策は非常に力強いと思います。そして、リアルに対して「弱いつながり」という、一見するだけではネガティブに映る言葉を当てたところが良いなと思います。
私はamazonを長く愛用してますが、レコメンドが始まった頃から、「なんであれ、今までの自分の行動をベースにしたレコメンドなんてつまらないし興味ない」と無視して来ました。その天邪鬼の奥底にあるのは本著のこういうスタンスではないかなと思います。どうやって「偶然」を手にするか。どれだけビッグデータが進展してもデータがリアルに勝てないのは、「偶然」はリアルにしか存在しないと言えるからじゃないでしょうか。
もうひとつ、私にとって大きい箇所はここでした:
そこらあたりから、人生のリソースには限りがあって、ずっと最先端の情報を取り続けるのは無理なんだな、と思うようになりました。単に体力勝負ではない、別の方法での記号の広げかたはないのかと考えるようになりました。
年齢的には早いですが、それは「老い」について考え始めたということでもあります。広大なネットをまえにしていても、年齢を重ねると、情報のフィルターが目詰まりを起こし、新たな検索ワードを思いつかなくなる、ときどきフィルターの掃除をやらねばなりません。
そこでぼくは、本を読んだりアニメを見たりするかわりに、休暇では外国に行くようにライフスタイルを変えました。
全く同じことを数年前から考えていて、それについてどうするのかというのを試行錯誤し、うまく行かず苛立ちながらここまで来たというのが実感ですが、同じ問題意識を読むことが出来たのは幸運でした。そして、「老い」に対する対処として、「自分は変えられない。環境を変えるしかない」という認識から「旅」が導かれたのを読めたことも。私がロングライドに惹かれたのは、この「旅」と同じなのかも知れません。外国ほど大きな環境変化を齎せませんが、日常ととてつもない切断を生み出す多大な身体経験があります。そして実際に移動を伴います。現代において本来なら掛ける必要のない時間を敢えてかけて身体経験を伴って移動するロングライドは、本著が言う「旅」の意味の何割かは共有していると思います。
hontoもamazonもクーポンが来たりカードのポイントが使えたりで、本を買うとき電子書籍にするか紙の書籍にするか、そして紙の書籍ならそれはどこで買うか、ネットで買うのか実書店で買うのか、というので結構悩みます。
私は(なんだかんだ言っても)紙の書籍は好きなので、紙の書籍でも電子書籍でも買える本があった場合、どちらで買うかとても迷います。決め手でいちばん多いのは、「それをいつ読むか」という視点で、通勤中とか、仕事の合間とかに読むタイプのものであれば、スマートフォンでもタブレットでも読めるhontoの電子書籍購入にすることが多いです。それで、『弱いつながり』は電子書籍で買いました。
書評などで知って「これが読みたい」と目星をつけた本で、電子書籍がない場合、その日実書店に寄れれば実書店で、機会がなければネットで注文。ただ、実書店に立ち寄った際に、そこで見つけて「お、これ面白そう」と思った本は、実書店で買うようにしてます。言ってみればこの「偶然」の楽しみと有効性のために実書店に行ってます。amazonのリコメンドもhontoのリコメンドも、「これ読んだ人はこんなのも読んでます」って、そんな似たような本勧められなくても判ってるんですよ。
ただ、本好きとしてはお金と時間の許す限り本を書い漁り読み漁りたい訳で、時間も大変ですがお金も負けず劣らず大変で、そうすると最近「何を電子書籍で書い、何を紙の書籍で買うのか」の基準で出てきたのが:
amazonマーケットプレイスを使えば結構高い確率で本は売れるので、「話題の図書」の類、図書館で借りようにも予約がいっぱいでいつ回ってくるか判らず、タイムリーに読まないとあまり意味が無いという手の本は、紙の書籍で買って読んで出品して売って何%か回収する、という選択肢。先ごろの『ヤバい日本経済』『ITビジネスの原理』はこの通り、amazonマーケットプレイスで売却して2/3くらい回収しました。
電子書籍はそこが盲点でした。転売できない。amazonは米国でそれに近い仕組を構築したとかするとかいうニュースを1,2年前に見たような気がしますが、今のところ日本では電子書籍を転売する方法はありません。紙の書籍だと読み終えたら売ることができる。買い手がつくかどうかというリスクと、マーケット価格が1円だったりしないかというリスクはあるものの、話題の本なら中古ゲーム市場と同じで、早く終えて早く出せば結構な率を回収できます。
最近思った電子書籍の欠点はあと2つ。
とは言え、何冊買ってもスマートフォンかタブレットがあれば全部読める電子書籍の利便性の高さもメリットなので、試行錯誤しながら本を読み続けます。
啓林堂書店生駒店の出来はともかく、『ITビジネスの原理』は古臭いタイプの本でした。読む必要ないと思います。
私はビジネス書類を、著者が有名かどうかや有名企業の関係者かなどで購入することがほとんどないんですが、『ITビジネスの原理』というタイトルと、マッキンゼー・ドコモ・Googleそして楽天に転職したという著者の経歴をカバーで見て、偶にはそういった先駆者からの情報を取り入れるのもよいのではないかと思い購入してみたのですが、残念ながら、IT業界に身をおいている人間にとってはハズレと言っていいと思います。本としてのフォーマットが古臭いのです。まず業界のトレンドと歴史を多少の「トリビア」的な事柄を織り交ぜながら要領よく(でもこれだけで全体の三分の二くらい使う)説明し、整っているが故にある程度の説得力があると読者に思わせられた頃合いで自分がこの著作で世に広めたかった言説(イコール今後の自分の仕事がやりやすくなるよう世間に浸透させるための言説)を開陳し、最後に「そしてITは人を幸福にする道具へ」というような、「歴史の最終形態が、私のこのアイデアで実現する」的な希望を撒いて終わる。この手のフォーマットの書物が「自分にとって」大して訳に立たないのは自明なのです。そこにあるのは「著者が流布したい言説」なのだから。
具体的に言うと、
結局、本著は「楽天」のイメージアップを意図した内容でしかないと(少なくともITバックグラウンドの人間にとっては)思います。『ITビジネスの原理』と言うほど大仰な内容ではありません。もう少し収益構造などに踏み込んだ内容かと思いましたが残念です。啓林堂の書棚で本著と並んでいた『まいにち見るのに意外と知らない IT企業が儲かる仕組み』と悩んで本著にしたんですが、あちらにすればよかったと後悔です。
ところで啓林堂書店生駒店ですが、駅前図書室も出来、生駒駅界隈の書籍環境が劇的に向上していく中、心配なのはジャパブです。真弓のジャパブも閉店したそうですし。とりあえずジャパブは置いておいて本書店ですが、もちろん悪くはないのですが:
ちょっとカラーを出しあぐねているところがあるような気がします。近鉄生駒の客層って結構わかりやすいと思うので、思い切ってターゲットを絞った展開にして特徴を出したほうがいいように思いました。
およそ経済人というのはこういうスタンスなんだよなあ、というのがよく分かる一冊でした。
経済人というのは、「目の前に起きている出来事をきちんと受け入れる」人たちだと思います。とともに、起きる出来事や予想される環境の変化に無批判な人たちでもあると思います。例えば本著の中で、
日本の国債を5億円分買った外国人には日本の国籍をあげる、といったら世界中から金持ちが集まってきますよ
という記述があります。これは、「日本全体が景気回復を実感するためには、都心だけでなく近郊の地価も回復し、住宅資産の資産価値が回復する必要がある」という主張の流れで、土地購入の需要を増やすためには外国人の土地取得規制を緩和が有効という話になり、その延長線上で登場するのですが、外国からおカネを呼び込まなければ日本の経済が好転しないというのは事実だと思うし、そのために日本国籍をエサに使うというのも日本国籍は訴求力があるので事実だと思うんですが、一般庶民の感覚で言って、いくら5億円払える人に変な人はいないと言っても、カネで国籍を売るのは国家としてどうなんだろう?と単純に疑問に思う訳です。そうやって世界の金持ちばっかり集めて維持されていく国を、果たして我々は求めるんだろうか?というと、「じゃあ座して死を待つのか?」と切り返される予想がすぐに立ち、この辺が「2030年、老人も自治体も”尊厳死”しかない」とか、「日本経済"撤退戦"論」とかに繋がるのだと思います。最近、私がよく目にするのはこの「だってカネいるでしょ、カネ?」という経済人のスタンスと、「如何に滅亡に向かってソフトランディングすべきか」という、二極のオピニオンです。
本著の他の例を挙げると、「日本のギャンブル市場は世界有数」とあって、パチンコで既に20兆円規模の市場なのだから、年間売上1兆円強を見込めるカジノを解禁して外国人富裕層を呼び込むべき、というのもあって、確かにカジノは有力な産業に違いないけれど、それが「日本」という国のアイデンティティにフィットするのか、という感覚はない訳です。大阪の夢島にカジノを作れば、周辺には奈良や京都という世界遺産もあり、富裕層向けに格好だというのですが、少なくとも奈良県人としては、奈良の文化をカジノのついでにされたくはないし、一時はそれで潤うかもしれませんが、1,300年保たれてきたイメージー本著の論に沿って言い換えるなら観光資源ーの消耗スピードを上げ、その結果あっという間に消費されつくすような真似はしたくない訳です。
そういう、倫理観とか「価値観」とか、そんなものに拘泥しているからお前らいつまで経っても貧乏人なんだよ、と言われるのが本著ということになりそうですが、二極化の観点でもう少し考えると、多くのカネを稼ごうとするスタンスが、いったい「何のためにその多くのカネがいるのか?」という、どういう目的意識と結びついているのかで、変わってくるんじゃないかと思います。自分個人の資産を守り、裕福に暮らしたいというレベルであれば、やっぱり「だってカネいるでしょ、カネ?」というスタンスで終わってしまい、単に今日本や世界で起きている事象を単なる「現実」とだけで受け止め、環境変化を単なる「環境変化」とだけで受け止め、カネを稼げることにだけその認識を有効活用することになるんだと思います。
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ヤバい日本経済 山口 正洋 山崎 元 吉崎 達彦 東洋経済新報社 2014-08-01 by G-Tools |
「俺はもう、誰かの脇役ではないのだ」!!
運命の出会いを果たした『悟浄出立』ですが、それはそれはもう面白かったです。『文芸ブルータス』で読んで感動した表題作『悟浄出立』をはじめとする短編5編が収められています。帯に「古典への愛とリスペクトが爆発」とある通り、中国古典をベースにした芥川ばりの換骨奪胎で、漢字四文字で収められたそれぞれの作品のタイトルには「俺がこの作品で新しい四字熟語を産んでやる」と言わんばかりの気概を感じます。
『悟浄出立』を読んだ時にも思ったのですが、小説というのは、ほんとは誰もがそうなんだよ、と頷きたいテーマを、ありえないような虚構の世界とそれを描き出す言葉の力を持って、頷きたいテーマに真摯に頷かせるのが真髄だと思っていて、この『悟浄出立』に収められている5編は、「誰もが頷きたいと思っているテーマ」と、それを直截に見せるのではなくするための世界の描き方、もっと言うと難しい漢語を駆使した中国古典の世界観の配合の割合が絶妙で、どんな人でも読めば作品が取り上げようとしているテーマを掴み損ねることはないと思われるにも関わらず、それを正面から受け止めるのにこっ恥ずかしさがありません。
取り上げているテーマはどれも現代的で重々しいのですが、例えば『法家狐憤』:
「陛下に危険が迫ったときは、臣の判断で衛兵を招くことができるようにな。どうだ、滑稽な話と思うか?陛下の命が失われたら、我々の国はおしまいだ。我々が作り上げた法は、あっという間にただの竹屑になる。それなのに、我々は法に従って、誰も衛兵を呼びに行かなかった。あるじが命を落とす瀬戸際にもかかわらず。おぬしはどう思う?我々は馬鹿の集まりか?」
(中略)
「確かに、滑稽だ。だが、それが法治というものなのだ」
初出が2014年2月なので、これが集団的自衛権を念頭に置いていないと考えるのは妥当ではないと思います。「臣の判断で」というあたりが、曲げて捉えて「解釈改憲の是認」という向きもありそうですが、ここはやはり「それが法治というものなのだ」、つまり「どんなにそうすることが当然というような場面であっても、それが法に定められたやり方でなければ為してはならず、それを為すためには法を改めるのが手順。法が国や人民に優先する」という、誰もが「そうなんだよ」と頷きたいテーマを訴えていると読むのが妥当だと思います。その「法を守る覚悟」を、二人の「ケイカ」ー京科と荊軻の命運のコントラストで読み手に強く印象づけます。
「なぜか「主役」になれない人へ」とも帯にあるのですが、本作を読むと、自分が主役か脇役かということよりも、人生で出会うひとりひとりの人々をみな「主役」として受け止めることが大事なんだと気付かされる一冊です。今現在、今年のイチオシです。
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悟浄出立 万城目 学 新潮社 2014-07-22 by G-Tools |