独走会 - 大和西大寺ー大和八木、津ー桑名ー名古屋

ド平坦を走りたくて走って走りには爽快大満足だったのに苦々しい気持ちを残してしまったノスタルジーライド。

日経の映画評で『少女は自転車にのって』というサウジアラビア初の女性映画監督の映画が上映されていることを知り、電車の中で誰かが読んでいたニューズウィークのページに『少女は自転車にのって』が取り上げられていることを見て、ぜひこの映画を観たいと計画を練り始めたのが先月の頭。行ける現実的な範囲でいちばん早い上映が名古屋の名演小劇場で1/4だったので、ロードバイクで観に行こうと計画を練り上げたのに出勤予定が入ってしまい流れてしまいました。そうこうしているうちに大阪でも上映が始まったのですが、折角一度計画したことを、やらずに終わらせてしまったらなんかモヤモヤしたものが残ってしまうと思い、名古屋に向かって走ることに決めたのでした。

とは言え、1/4は14:40上演が現実的な回だったので、これに間に合うように、14:15頃には名演小劇場に着くことを考えると、自宅から約150kmを自走とすると過去実績上8~9時間はみたい。すると朝5~6時に出なければならず、冬場であることを考えるとこれはちょっと危険。なので、思い切って辛い山越えをカットしてしまおうと、八木まで25km走って特急に乗って伊勢中川へ、そこから名古屋まで90km、と計画してました。しかし今は14:40の上映がなく、16:40上映が現実的なので、そんなに早く着く必要もなく、十分自走できる時間でもあったのですが、無理しないように、平坦を楽しむ計画のままで行きました。

八木10:05発の特急で伊勢中川まで行く予定だったのが、なんとまさかの満席。この時点でかなりテンションが下がってしまったのですが、待てよ、と調べてみると10:04発名古屋行のアーバンライナーがあり、これだと中川には停車しないものの津で降りれる。20kmくらい更にショートカットしてしまうけど、今回はとにかく楽しんで走りきろうと思ってたのでこれに乗車。

津駅に来るたび何とも遣る瀬無い気持ちになります。もう少しまともな学生生活を送ればよかった、もう少しまともな人生を歩んで来ればよかった。ここで過ごした日々。そういうのは単なるノスタルジーだと振り切って前を向こうと(いつものごとく)思いながらバイクを組み上げていると、「こんにちはー」という声が。

見ると高校生と思しき男の子二人が話しかけてきた。元来、見知らぬ人に話しかけられるというのはあまり得意なほうではなかったのを少しずつ矯正してきたつもりでそんなに厭わないつもりだったのに、その学生の胸についていたバッジかワッペンに「キリスト教云々」というのがあったので即座に怯んでしまった。結局、彼は単に興味本位で声をかけてきただけのようで、特に無礼でもなく感じのよい少年だったのに、ただ宗教に関するものを見ただけで勧誘か何かと思って身構えてしまった。もしかしたらそうだったかも知れないけれど、その時はその時で丁寧に会話を畳む術だって持っているはずだ。

非常に苦々しい思いのまま、向かい風でペダルを強めに踏み込まなければいけないたびに「あかんなあオレも」と唸りながら四日市を過ぎ、揖斐川・長良川を渡り、補給におにぎり買ったらおしぼりつけてくれた優しいコンビニに感謝し、名古屋につき、名演小劇場にもたどり着き、15:00だったのでいくらなんでも時間が余りすぎるし、名古屋までひとまずは来たということで、実際に観るのは大阪でもいいし、今日はこれで早めに帰ろうと近鉄名古屋駅の脇で輪行袋を広げ始めたら、ちょっと気になっていたホームレス?浮浪者?らしきおじさんが話しかけてきた。

「大将、大将、これ折りたためるやつか?」

一体、何がダメだったんだろう、「ああん?そうそう」と完全に追い払うモードで受け答えしてしまった。今の僕は決してそういう会話が苦手ではない。あまりに絡んで来たらうまく畳むこともできると思う。なのにあまりにも粗末に受け答えしてしまった。あれが自分の本来の姿なのだろうか。情けない。ほんとうに情けない。どれだけ独走で自分と戦っても、自分の性根は何も変わっていない。ロードバイクを収め終ったとき、おじさんは僕に背を向けて何かぶつぶつ言いながら煙草をふかしていた。

近鉄名古屋駅で17:00発のアーバンライナーに乗り込もうとホームを歩いている最中、大学時代からの親友との日々を思い出しながら、突然気が付いた。その時代の心躍る気持ちを、再現しようとしてももはやダメなのだ。心躍ることがほしいなら、今この年にふさわしい心躍ることを、それを見つけ出していかなければダメなのだ。それができるだけの自分を作り上げていかなくては、ダメなのだ。

市長選に際して② 生駒市立病院建設問題

今回の生駒市長選を考える際、絶対に避けて通れないのが市立病院建設問題。

市長選を前にするまでもなく、市立病院建設に関して関心があまりない生駒市民は少ないのではないかと思います。2005年に市立生駒総合病院が閉院して以来、総合病院建設は生駒市政の重要テーマの一つであり続けました。生駒総合病院が閉院する、ということを知った際、総合病院がなくなるなんて、という漠然とした不安を覚えました。しかしながら、それから8年、大きな病気をしていないとは言え、総合病院がなくなったことで何か不都合があったか、と言われると、そうでもないな、という感覚があるのも事実。生駒市には近大奈良病院、倉病院、阪奈中央病院等々の総合病院があるし、県立奈良病院にも車で20分程度で行ける。一体何のために、市立の総合病院が必要なのか?というぼんやりとした疑問はずっと抱いていたと思います。

そこでまず市立の総合病院を必要とするポイントを調べてみたのですが、生駒市のHPでは一目でそれが判る内容はありませんでした。ネットで調べてみると、まず最初に見つかるサイトの中で最もよく纏まっていたのは東洋経済オンラインの記事でした:

足りないのは、「救急医療と小児科、小児救急医療が課題」(生駒市議会関係者

これは確かにその通りだと思います。救急医療は奈良県全域で課題に挙げられ取り組んできている課題ですし、小児科に限らず対子ども政策に関しても一層の充実が必要、という状況です。もうひとつ言えば、対子ども政策が他の市町村に比べて見劣りする理由はおそらく一にも二にも財政上の理由で、高齢者を優遇して更に財政を逼迫させて子ども政策が更に貧弱になるような、生駒の未来を潰してしまう、国民健康保険税引き下げを公約に掲げる候補には断じて投票できません。

総合病院の必要性という視点ともう一つ、避けて通れないのは指定管理者が「徳洲会」であることの是非とその経緯です。まず経緯については、公募期間が2週間という短さだったという点が疑問点になります。この時点でめぼしい候補者が不参加になっている中で、2週間の公募期間でどれだけの団体に情報が行き届くのか、という疑問がありますが、それでも市立総合病院が必要不可欠という状況であれば認められるでしょうが、先に書いたように、総合病院というよりは救急医療と小児医療が課題。確かに徳洲会病院は救急車受入件数が国全体の3%という規模ですが、この数字だけで、徳洲会病院が救急受入に積極的か、また救急医療を得意としているかどうかは判断し辛いです。病院数が多ければ、自ずと割合もあがると思われるからです。よって、この視点で言うと、同じ予算を掛けた場合、市立総合病院の建設と、既設病院に対して救急医療を請け負う際の補助とで、どちらがより費用対効果が高いか、という視点から判断せざるを得ないと思います。

もうひとつ、「徳洲会」の指定管理者としての適性性という視点があります。徳洲会は徳田毅衆議院議員の関わる公職選挙法違反事件で捜査を受けている状況です。毅議員が受け継いだ地盤を築いた、父親の徳田虎雄前理事長は自身の選挙戦時に、「カネが乱れ飛んだ」と平然と記事で書き記されるほどの選挙戦を実施してきたようです。生駒市の広報誌では、

この「適性性」は、市立病院の運営を委ねるものである以上、基本的に病院運営や医療行為について判断すべきものです。

とあるのですが、虎雄氏は病院運営にあたり政治も必要と考えたからこそ出馬したのであって、徳洲会にあっては病院運営・医療行為に政治は必要不可欠なものであったと考えるのが妥当だろうと思います。公職選挙法違反の有無はさておいても、理事長が国会議員であることにより病院運営にプラスの効果があったことを否定するものではないと思いますし、公職選挙法違反容疑に限って言えば、対価を支払って病院関係者を選挙対策に借り出していた訳ですから、病院運営と政治活動は不可分であったと見做すのが自然だと思います。

そうした場合、公職選挙法違反容疑で逮捕者が出ている状況で、病院運営に支障を来さないのかと言うと、これは徳洲会と取引のある会社なら誰しもわかることだと思いますが、某かの滞りは確実に出ている状況です。プロジェクトが一括して一時凍結になったような例は少なくないと思います。その結果、徳洲会全体での資金フローがどのようになっているのかまでは調べられませんが、最新号の広報誌では、徳洲会と基本協定書が締結できたという文言はありません。最悪の場合、徳洲会側の都合によって、白紙撤回される可能性だってまだあると思われます。

この問題は考えるのが非常に難しく、市立総合病院の必要性を鑑みると、市側は引くに引けなくなって、適性性についても強弁しているような印象が拭えないのですが、判断基準としては現状ではやはり、「徳洲会が最悪でも現状の条件のままで市立総合病院を運営していくことをコミットするか、コミットさせることを公約できるか」ということになると思います。市が負担する借地料年間5,400万円を異なる使徒に支出した場合の効果と合わせて考えることになるかと思います。この課題は、病院建設中止、で済む課題ではないので、単に「建設中止」を掲げるだけの候補者に対する評価はやはり低くならざるを得ません。

街のパン屋でパンを買う - 2013/01/17 bajo111 boulangerie

富雄のウルトラかっこいい自転車屋TRANSITに寄った帰りにさらに寄りました。

アコルドゥのパン屋さんの体(夜はアコルドゥのバル営業)なんですが、パンは郡山のPAIN DE CUISSONのパンです。レシートにもPAIN DE CUISSONのスタンプ(夜はたぶんアコルドゥのスタンプが押されると予想)。

前に来た時はバゲット買って帰ったんですが、今日は小ぶりのパンをと3点買って帰りました。毎度、パンの名前とか憶えないもんでダメなんですが、白い丸いのが「白い柚子あんパン」で、白餡に柚子ピール?淡い柚子味が美味しかったです。

たまに寄り道もしながら、グルテンフリー探しは続けます。

「売りやすい」お客様

「売りやすい相手に売る」のは商売の基本。これに対して異を唱える人は商売しないほうがいいと思うんですが、じゃあ「売りやすい」という定義は?という問いに対する答えで、自分の商売人としてのレベルが測られるような気がする。

私にとっての「売りやすい」は、「話が通じる」ということだと思う。

システム提案の世界では、提案内容はもちろん一番重要だし成約のための必須条件ですが、残念ながら成約に至るファクターに占めるポーションは最大限多めに見積もっても25%くらいではないかと思います。多くの商談の場合、過去からの付き合いや、トップ同士のリレーションや、提案内容に関わらず絶対価格などが大きく関わります。多くの会社があるなかで通常お客様は2,3社を選んでコンペさせる訳ですから、この時点で成約のためのかなりのファクター(スタート地点に立てる、という意味で)が、「過去からの付き合い」で占められている訳です。

そんな中、この25%部分の確率を上げるべく提案構成をいくつも考え、比較検討し、ブラッシュアップしていくのですが、ここで複数案準備し理由付けをして説明した内容に対して会話をしてくれる、つまり「話が通じる」お客様がいちばん売りやすいです。お客様にはいろんなタイプがいますから、例えば「こちらがほしいと思っているものを見抜いてこい」みたいな方もいる訳です。もしくは、「買ってほしいならその額以上に汗水流さんかい」という方もいる訳です。そういったお客様はロジカルにベストな提案まで持っていく話が通じないので売りにくい。

話の通じるお客様は概して非常に厳しい。ご自身もよく勉強されている方なので、たいてい、初回の提案はこちらが歯が立たないことが多い。そこでの会話を踏まえて、先方の期待を上回る内容を考える。こうやって提案活動を繰り返していくことがもっともやりがいもあるし自分のスキルにもつながるし何より「売りやすい」。逆に、売りにくいお客様でも、業績好調な企業だからとかの理由でセールス攻勢を掛けるスタイルがありますが、一概には言えないですがなんでそんな時間の無駄な使い方するのかと思う。たいていは単なる根性主義です。大した分析ができていない。

しかしながら、たいていの営業はこういったことを理解してかせずか、提案以外の75%でどうしようもないところを提案内容で挽回することを期待します。そういう営業を見るたび、ウブだなあと思ってしまいます。

街のパン屋でパンを買う - 2014/01/11 睦実

先日、「グルテンフリーダイエット」なるものを見つけてしまい、米粉パンのお店ないかな~と検索したとこ見つかった『米粉のパンとお菓子 睦実』。実家のすぐ近くだったので寄ってみました。

「グルテンフリーダイエット」は文字通り、グルテンを摂取しないダイエットなのですが、意外とこれはメジャーなことなのか、『睦実』のHPでは成分表記に卵・乳・大豆に加えて「小麦グルテン」が明記されています。「米粉パン」とうたわれていますが完全に小麦グルテンフリーで作られているパンは、少なくともHP上の一覧ではありませんでした。でも普通のパンに比べると小麦の比率は少ないはず。僕はアレルギー対策で米粉パンを選んでいる訳ではないので全然シビアじゃなくて、「小麦が少ない」でじゅうぶん。

「おとうふぱん」を買ってきたのですが、買ってすぐ喜び勇んで食べたので写真がありません。食感は非常にもちもちで、豆腐の味は分かるくらいちゃんとします。弾力が楽しいのであっという間に食べてしまいます。あんまん肉まんの「まん」部分のイメージかな。美味しいです。

食パン代わりに一山買ってきたのですが気がついたら一食分に…。買ったとき、レシート用紙が切れたそうでレシートもらえなかったのでこのパンがなんというパンだったかもう思い出せません!こちらももちもち系なので、少し厚めに切って焼いて食べるのがおいしかったです。

市長選に際して① 国民健康保険料引き下げ?

我が市で月末に市長選があるのですが、どの候補者のビラだったか忘れましたが、「高すぎる国民健康保険料を引き下げ、やさしいあったか市政!」みたいなことが書かれていました。

「ん?」と当然思ったので調べてみました。

これまでの我が市の国民健康保険財政を大まかに掴むと、

  • 国保財政規模は約100億円で、平成15年から約3.5億円増加している。
  • うち医療費給付額は約79億円(H24)。
  • H20年度に国保財政調整基金がゼロになり、H20年度・H22年度に保険税上げを行い黒字化。一般会計からの借入も返済(http://www.city.ikoma.lg.jp/kashitsu/04200/04/documents/0202.pdf)。
  • しかし国保財政に占める保険税収入の割合は恒常的に1/4。国・県・市からの補助金に1/4を頼っている(http://www.city.ikoma.lg.jp/kashitsu/04200/04/01.html)。
  • 一人あたり医療費給付額は32万円(H24)。国民健康保険加入者数は市民の約22%。

私は会社員なので、国民健康保険の財政のために市税が流用されないかをチェックしたいと思います。市税は国民健康保険の恩恵に関わらない我々も支払っているものなので、それが転用されるのは所謂「受益者負担の原則」に反すると言える訳です。

まず、国保財政に対する「国・県・市からの補助金」が全体の約25%、25億円を占めています。詰まるところこれは税金なのですが、国保財政の来歴のページで、「一般会計からの借入も返済、黒字化」と書かれていたので、現状、一般会計からの借入はないものと認識します。この「国・県・市からの補助金」は法律上定められている補助金で、別の角度からみた公平性を期すために已むを得ない税金の転用と理解します。

次に、では国保税を引き下げて、その分の財政をどこから持ってくる?例えば現在、国保税収入で賄えているのは国保財政全体の1/4である約25億円。仮に国保税を1/4引き下げます、とすると、単純にこの国保税収入は約1/4に、つまり18.75億円となり、6.25億円不足する。この6.25億円の財源をどこで確保する?

http://www.city.ikoma.lg.jp/kashitsu/04200/04/01.html によると、国・県・市からの補助金以外に、「退職者医療の交付金」「他の健康保険からの交付金」というのがあります。この2つで国保財政の1/2が賄われています。この「他の健康保険からの交付金」の「他」が何で、それぞれどの程度の額なのか、それが何に基づいて決められているのかが調べきれないのですが、交付金なので市政側で額を変更できるものではないと思われます。

そうすると、国民健康保険税(料)を引き下げるための財源約6億円は、

  • 医療費給付を抑制する
  • 一般会計から借入れる

のいずれかの方法での捻出になります。生駒市の国保医療給付額の増加の主たる要因は「医療費が高い高齢者率が高い(65歳以上の率が37.2%で県内市1位)」、つまりこの層の多くは定期収入を得ていないでしょうから、市税の使われ方、つまり一般会計に興味を持たないとすれば、この政策は「ひとかたまりの投票集団を狙った」政策だと思われます。

よって、医療費給付の抑制策を伴っていない限り、会社員であり国民健康保険に依存しない私としては、この政策を掲げる候補者は支持しないのが妥当と考えます。

独走会 ー 麺屋NOROMA - 率川神社

乾さん、近く走ってたのに図書情報館に寄らずにごめんなさい、の走り初めでした。

年始というのはお店が開いてる開いてないが分からないので、「これ食べに行こう」という目的地決めがなかなかできなくてうだうだしてしまうのですが、とりあえず走り初めしておくか、という軽い気分に自分を持って行って走り出しました。奈良駅近辺にあるラーメン屋さんを一通り頭に思い浮かべて(笑)。


富雄川沿い南下→308号を東進して奈良へ、754号で南下して大安寺方面へ。するとNOROMAが開いてたのですかさず入りました。僕が入ったときはちょうど満席になったくらいで待つといういいタイミングだったんですが、そのあとみるみる待ち人数が増えて外で待つ人もできたので、やっぱり人気店なんだなあと感心。

今年はまあ、余裕を持ってのんびり走るのも楽しいじゃないか、という気分でNOROMAを選んだのですが、店内に貼られていたNOROMA Tシャツの謳い文句には「着るとすばやさが1上がるよ!」と書いてました(笑)。ノロマじゃないじゃん!肝心のラーメンは特製鶏そばを頼みました、めっちゃおいしかったです。あのスープは好みです。コクとサッパリが同居してます。隣のつけ麺を食べていたお客さんが「混んでるとこ悪いんですけど、追加注文していいですか?」と、鶏そばを注文したのにはびっくりしましたが、それくらいコクとサッパリが同居してるので、二杯もいけると思います。


少し遠回りをして流した後、率川神社へ。今日、奈良界隈ではこの率川神社と南市恵毘須神社で初えびすをやっていることを知ってまして、偶然通りかかった際に見たポスターがすごくかわいかった以来率川神社が気に入ってるので、率川神社へ。ホームページでは「限定200本」と書いてたので「昼から行ってまだ残ってるかな?」と思ったら、どなたかが率川神社の初えびすに行った際、ほとんど誰も来てなかったみたいなことが書いてあって「それはそれで大丈夫か?」と思ってたのですが、15:00頃行ったらまだたんとありました(笑)。福笹係のお姉さま方(笑)に「まだありますの?」って尋ねたら、「あるある仰山ある、五本でも十本でも買うてって~」と言われ、「それ前払いやん~」と言ったらオオウケ。「甘酒飲んでいってや、サービスやで~、こっち入って入って」「入ってゆうほどのとこちゃうわ~ わっはっは~」ともう完全に地元のスナック状態(笑)。僕の初飲みはこうやって美人ホステス独占状態の率川神社でした(笑)。


「どれでも好きなん持ってってや~」「そんなん言わんとお姉さんがええと思うのん選んでや~」「そうやな~これええんちゃう?あ、これがきれいやわ」と美人ホステスたちが輪になって選んでくれたのがこれ。めっちゃ立派です。サコッシュに入れて背負って帰りました。


今春、新調した御朱印帳。


率川神社の御朱印。なんか得も言われぬ迫力があります。


丁寧に丁寧に、福笹を運んで走ったので、勢いペースものんびりしたものに。思惑通りの朗らかな走り初めになって大満足でした。今年も独走します!

「話せばわかる」「問答無用」2014年版

 選挙権を持ってからこの方国政選挙では、僕はなるべく「日本の将来にとってどういう政策が、よりよい政策か」ということを、割と真面目に考えて投票していました。もちろん、僕の知識と知能では考えられる内容には限界がありますし、その時々の選択が正解だったのかどうかはまだわからないほうが多いです。これは感覚ですが、僕が属する団塊ジュニア世代で投票する人の多くは、割とナイーブに真面目に、「日本の将来」にとっての是非を考えて投票する人が多いと思います。

 これは、「自分の立場だけではなく、いろんな立場を理解しようとする」スタンスを強いられます。「日本の将来」を考えるのであればそれはそうです。自分より10歳も20歳もそれ以上も若い方々が生きる時代のことも自分が考えられる範囲で考え、答えを出さないといけないからです。

 だから、「痛みを伴う」と言われてもそれが必要なら、というスタンスを取ったり、「消費税増税が必要」という意見にも耳を傾けたりしてきたのです。

 でも、今の安倍首相の動きは、「相手の意見なんて聞くだけ無駄だ。自分たちの主張を声高に叫ぶのが一人前の国家だ」と言っているようです。特定秘密保護法案しかり、靖国神社参拝しかり。靖国参拝に関して、歴史認識の誤謬の可能性を持って靖国参拝を正当化するような言い方をしている人もいるようですが、誤謬の可能性を認めるなら、「歴史」に真実はない、「歴史」というのはあくまでそれぞれの現在の立場から見たストーリーなのだから、それを踏まえた上で自分たちの振る舞いが相手にどう捉えられるのか、という視点がなければ、自分たちの主張を通すことはできない、とわかるはずなのに。

 安倍首相の言動は、相互理解など無駄と言わんばかりに感じます。確かに僕たちもこの20年間、自分たちにとっての損得だけではなく、国全体の損得と将来を考えてきても国の借金は一向に減りませんし、もうこれ以上、違う立場のことを考えても仕方がないと思うようなところまできた感があります。どうせ国が改善する気がないのなら、消費税をこれ以上上げてもらうのは困る。法人税を引き下げてもらうのも困る、法人税を下げたところで給料が上がるかどうかも分からないしその財源に消費税アップをあてこまれても困るので反対、高齢者の医療費負担は即刻現役世代と同じに、年金のマクロ経済スライドも即時発行。結局、それぞれの立場が自分の立場が得をすることをそれぞれわーわー騒ぎあうのが最もよい結論に進める方法なのだよと、安倍首相は態度で示しているのだと思います。

 問答無用。そう、5・15事件の「問答無用」。「話せばわかる」と言った首相は「問答無用」と殺され、その後の展開で、岸信介は満州国の中枢部に君臨。安倍首相は岸の外孫。その安倍首相が国民に態度で示しているスタンスが「相手の意見なんて聞くだけ無駄」。

(東洋経済12/28-1/4号「アジアで対立する3人の指導者の因縁」)

もし、国民に範を示すのは首相ではなく天皇の役割というのなら、昭和天皇(およびその後の今上天皇も)はA級戦犯(岸信介はA級戦犯被疑で逮捕・不起訴、公職追放)が合祀された1978年以降、一度も靖国神社を参拝していない。

悪気無くても罪は生まれますか? ー 『ペテロの葬列』/宮部みゆき

J-WESTカードの利用で溜まったポイントをICOCAにチャージしたので何か一冊買おうとJR京都駅の三省堂書店に立ち寄り思案して買ったのが『ペテロの葬列』。

ちなみに近くに『永遠の0』が並んでいて、僕は基本的にどんな本でもまず自分で読むまではいいとか悪いとか判断しないと努めているのですが、この本は読むまでもない。国のために純真から命を掛けた方々に対する敬意はもちろんあるが、それを賞賛することで何が起きるのかを考えることは別の話であり分けて考えなければならないこと。それをそんなに賞賛したいなら、自分が国のために命を捧げればいい。今なら国のために命を捧げられることがあるでしょう。福島第一原発の作業とか。実際に差し出すのか、自分の命を?9条もただのお唱えごとで、行動を伴わないお唱えごとに力はないというのなら、国のために命を捧げる派の方々にはぜひ福島第一原発の作業に率先して従事してもらいたい。行動で示してもらいたい。

だから僕は熱心なB'zファンだけど『永遠の翼』を創ったのだけは(『俺は、君のためにこそ死ににいく』の主題歌という仕事を引き受けたのだけは)どうしても評価できないでいる。本当になんで『永遠の0』みたいな本がそれほど評判を呼ぶのか理解できない。

これが、数年前には「とにかく生きろ。何があってもまず自分が生きることを考えて行動するんだ。」という強いメッセージを発信した『20世紀少年』に大熱狂した同じ国民とは思えない。

取り上げるのであれば『風立ちぬ』のように、「その個人の純粋な探求が、本意ならず戦争に加担してしまう」という状況をこそ取り上げるべきだと思う。本意ならずその状況に追い込まれてしまい、逃げようがないが故に耐えるしかなかったことを、賞賛したところで世界は何も進歩しない。その方の名誉は保たれるが、それが何を引き起こすかを考えずに伝承する人間は、戦争に加担しているのと同じことをしている。だからこそ、『風立ちぬ』のように、「その個人の純粋な探求が、本意ならず戦争に加担してしまう」という状況をこそ取り上げるべきなのだ。

…というようなことを考えていると必ず頭に流れるのが『Q&A』。

悪気無くても罪は生まれますか?
(『Q&A』/B'z


で、なんで『ペテロの葬列』について書いているのにこんなことを長々と書いているかというと、『ペテロの葬列』のモチーフで僕にとって最重要だったのがここだから:

p388「詐欺まがいのことをやる会社に勤めてて、知ってて加担してるなら、そこの社員だって詐欺師みたいなものです」

p545「自分たちも加害者になってたんだって自覚しない人たちが残ってしまう。それじゃ何も変わらないのよ」

この二文は痛烈だと思う。己が所属する会社という集合体が何か不正を働いていて、知ってて加担していたら、その社員も同罪なのか。敢えて明記するとすれば東京電力の社員の方々はどうなるのか。そして、知っているとして、だからといってそう簡単に会社を辞められる訳ではないということも、勤め人であれば誰でも理解できると思う。それなのに、自分は今たまたまその境遇ではなくて、そういう境遇の会社を見て、一方的に責め立てることができるのか。逆に、だからといって責め立てないというのは正しいのか。

更に難問なのは後者で、ここで言っているのはネズミ講の話なのだけれど、それを離れたとしても、自分たちも加害者だと気づいていない人というのは自分も含めて現代社会には蔓延していると思う。そういう状況をどうにかして白日の元に晒して変えたいと切羽詰まったという事件が本著のメインストーリー。自分たちは正義を通そうとしていると信じきっていて、実は「加害者」になっているという自覚のない、もう少し言うと自分に対するそういう批判の目線を持たない人びとが増えつつある。正に、「悪気無くても罪は生まれますか」。最初に書いた、特攻礼賛の人びとのように。そういう人たちが増えていった結果どういう社会になっていくのか、を考えさせられる小説。このモチーフは現代において超重要だと思います。
ペテロの葬列
宮部 みゆき

集英社 2013-12-20
売り上げランキング : 169


Amazonで詳しく見る by G-Tools

心の豊かさ遅れる我が国の「コミュニティ」と「アソシエーション」

あけましておめでとうございます。思うところあってサイトタイトルを変えました。心酔するB'zの最愛のヴィデオ作品『Just Another Life』を拝借したタイトルは愛着強かったのですが、とうとう自分も後厄迎えますしね、というところで。

元日に相応しいエントリなんだろう、と考えながら(2013年締め括りのエントリが"ANKERモバイルバッテリ"のブログが言うことではないですが)あれこれ見ていたらWIREDに”「シベリアのイエス」の理想郷:ロシアの小さなカルト教団はぼくらに何を語りかけるのか”というエントリが。

ひとつには中産階級という極めて世俗主義的な階層がその後台頭してきたからです。中産階級は信仰をもちません。自分たちの生活が第一で、何に対しても不満をもちます。これは世界的な傾向ということができるでしょう

「生活」に対立させられるものが「宗教」なのか「倫理観」なのかはたまた「思想」なのか、言い方と概念は様々にあると思うけれど、いずれにせよ「生活が第一だと何に対しても不満を持つ」という一文にはっとしました。そして中産階級=世俗主義的=信仰を持たない、そしてその台頭。言うまでもなくこれらで思い起こすのは日本人なら誰しも「行動経済成長期の日本」だと思います。生活を第一(というと思い返すのはあの政党かも知れないけれど、そう考えるとあの政党名は本当に因果なものだ)にして、「一億総中流」(=総中産階級)を実現して、信仰を捨てた国。ただ、類まれなることに、一億総中流という「いっせーのーで」国全体が中産階級化できた結果、「食うに困らぬ」だけの「余裕」ある社会が、「礼儀正しい、マナー重視の市民社会」を実現した側面はあると思う。
ハイテクが進み、心の豊かさ遅れる我が国の
如何ともし難いところ
なんてどうでもいいかあ
いやいやよくないな ああよくない
(『Out Of Control』/B'z)

けれどもその一方で、そうした中産階級層がなくなりつつあるという傾向も、いま世界的には起こっています。高給取りになるか、低所得者層になるか、そうした二極化がどこでも起きている。ユニクロの柳井(正)社長の言う『年収1億か100万か』の世界です。国や会社はもはやあてにならない。そんななか、自分の収入が1億か100万かと言われればほとんどの人が、100万円になるかもしれないという恐れを抱きますよね

はっとしたのはこの先だ:

そうすると身近な人同士お互い助け合うところに行きつきます。そう思う感覚とヴィサリオンの世界は、あるいはどこかで通じ合っているのかもしれません

僕は「1億目指して競い合い啀み合う」というようなストーリーが頭に浮かんでいたのだが、「身近な人同士お互い助け合う」ほうが自然。ヴィサリオンは2,000人程度の共同生活体で、宗教の体裁を取っているけれど教義を広めていくという意思はないよう。ただ2,000人の閉じた社会(本文中では「非社会性」と呼んでいる)で言わば自給自足の生活をしている。

これを「アンチグローバル」の文脈で語るのは、自分たちの便利で豊かな生活が何に負っているかという「恩」を忘れた物言いなので慎まなければいけない(TPPの文脈でもそうだし、鎖国待望論みたいになってもいけない)が、「何に対しても不満を持つ」中産階級が何を目指すべきなのか、「そうは言っても食えなきゃしょうがないだろ」という強靭なロジックに対抗しうる弁を編み出せる契機がここにあるように思いました。それを「コミュニティ」でななく「アソシエーション」というのがただの呼び替え言葉遊びに終わる前に、しっかりした骨格を与える言葉が生まれないとと思います。