街の本屋で本を買う - 2014/01/31 天牛堺書店ekimoなんば店 『COURRIER JAPON Vol.112』/講談社

なんだかんだ言って新しい本屋、結構できてると思うんだけど。狭い商圏に。コンビニ戦争みたい?

難波でちょっと時間があったのでジュンクとBook 1stをハシゴするという時間の浪費をしつつ、「こないだ『現代思想』も買ったとこだし、買いはしないぞ」と思ってたけど、もうちょっとぶらっとしたら御堂筋の北側改札近辺で天牛堺書店に遭遇。びっくりして思わず吸い込まれる。だいたいekimoが出来てたのも知らなかった。ekimoって天王寺の地下鉄駅ソトのちょっとした施設のことだと思ってました。なんばにも出来て、梅田にも作ってるって初めて知りました。

天牛堺書店は大江橋で初めて見たんだけど、古本屋さんって記憶してたんですがこのekimoなんば店は古本屋さんの雰囲気は全然ありませんでした。入ってみて印象に残ったのはバックナンバー。

こういうバックナンバーの陳列するところ、別に珍しくもなんともないんですけど、ここは妙に目に飛び込んできた。バックナンバー並んでても気づかなかったり探そうという気にならないことがほとんどなんだけど、ここは何故かバックナンバーから目に飛び込んでくる感じ。高さかな?よくわかんないけど。

せっかく入ったので、先日買わなかった『COURRIER JAPON』を買って帰りました。”「言葉」こそがあなたの武器である”に惹かれて買ったけど、思っていたよりもハウツー的というか、「成功を勝ち取る」ための方法論みたいな内容だったのでちょっと期待してたのと違いましたけど。

B00HS3GFGK COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2014年 03月号 [雑誌]
講談社 2014-01-25

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街の本屋で本を買う - 2014/01/28 ふたば書房京都駅八条口店 『現代思想 2014 vol.42-2』/青土社

読みかけの本が山ほどあるのに、出会ってしまうと買わずにはおれないのが本好きの証。
京都駅で乗り換えの際、ちょっとだけ時間があったのでみやこみちにあるふたば書房へ。近鉄八条口はとても便利なんだけど、近鉄京都駅の改札を出たところからは全然目立たなくていつまでたっても存在が頭に入りません。でもあそこにふたば書房があるのはとても便利。

特に何を見るでもなく(と言うのは先に新幹線駅構内のBOOK KIOSKで、ニューズウィーク、ダイヤモンド、日経ビジネス、東洋経済と一通り立ち読み終わってしまってたから)ぶらっとし始めたその矢先に目に飛び込んできた「國分功一郎プロデュース キルケゴール」の文字!「『現代思想』に”プロデュース”と来たよーしかし似合うなあ”プロデュース”、先生」と感嘆しながら手にとってみる。と、その先には気になっていた「『言葉』こそがあなたの武器である」の言葉が踊るクーリエ・ジャポンが。しかしクーリエ・ジャポンはすでに認識してたものだし、ネットで買ってもいいかと、もうひとつ天秤にかけた本を止めて『現代思想』を買いました。もうひとつ天秤にかけた本というのは『BRUTUS特別編集 合本・大友克洋』でした。

現代思想 2014年2月号 特集=キルケゴール (現代思考)
 20142  國分功一郎 藤野寛 柿並良佑 星野太 松本卓也 長門裕介 Th・W・アドルノ M・フリード H・デ・ヴリース P・フェンヴズ 宮崎裕助 大橋完太郎 佐藤啓介 串田純一

青土社 2014-01-27
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すべての仕事は(遅かれ早かれ)さよなら

タイトルはもちろん、言うまでもなく、フリッパーズの名曲『すべての言葉はさよなら』から。

京都駅で少し昔のことを思い出していた。その少し昔、東京出張から帰る新幹線の京都着時間が55分か10分か25分か40分かそこらだったら(つまり0分か15分か30分か45分の5分前そこらだったら)、もうすぐ京都ですのアナウンスが流れたら5号車付近まで行って階段を駆け下りて改札を駆け抜けて、近鉄の特急券売り場に猛ダッシュしたものだった。0分・15分・30分・45分に特急が出るのだ。京都駅の特急券売り場の係員の端末捌きはそれはそれは見事なものだった。新幹線を降りてくる客が、それだけ急いで掛け乗ろうとすることを熟知していた。「特急券西大寺まで禁煙、乗車券は生駒まで」と言い終わるくらいにはすでに特急券と切符が打ち出されていた。

写真のようにまだ特急券売り場はあるものの、僕が特急券売り場に駆け込むことはもうない。そういう局面がしばしばある近鉄沿線のビジネスマンは皆インターネット特急券のユーザになっていると思う。本当に隔世の感がある。僕が大阪に出てきて働き始めた頃、大阪駅はまだ自動改札じゃなかった。鶴橋の近鉄とJRの乗換口さえ、自動改札じゃなかった。あの流量を、人の目が見ていたのだ。それが今では特急の車内検札すら一席一席しなくてよくなっている。乗務員のハンドヘルドに、特急券が購入されている席が表示されるからだ。売れてないはずの席に座っている乗客にだけ、「特急券拝見します」と乗務員は声を掛ける。

どんなに優れた技能であっても、どんなに見事な職人芸であっても、時代が移り変わるとともにその仕事は姿を消す。自分が生きているうちは目の前から消えてほしくない所作は数あれど、そう言いながら実は黙殺してしまっている所作がどこかに必ずあるのだということを胸に刻んで過ごさないといけない。その不作為から僕たちは自由になることはできない。

すべての仕事は(遅かれ早かれ)さよなら。

「中年も自転車にのって」の続き

先週、名古屋まで観に行って観てこなかった少女は自転車にのって』を観に京都シネマに行ってきました。今回は電車で。

「自転車は自由の象徴」と語ったというサウジアラビア初の女性映画監督ハイファ・アル=マンスールの言葉に観る気で頭がいっぱいになっていたので、それ以上詳しい情報もストーリーの詮索もしなかったのですが、純粋に観てよかったなと思った映画でした。映画というものをほとんど観ないので、単純なストーリーでも映像でも感激できるのですが、この映画はひとつはほとんど何も知らなかったサウジアラビアの習俗の一部を知れたこと、もう一つは主役のワジダ役の女の子がすごくかわいいこと、この二つがあるのでよく映画を観る映画好きの方でも楽しめると思います。「女性」映画監督というだけで話題になるくらい、この現代において男尊女卑を貫いているサウジアラビアで、その因習に抗う少女、だけではなくその母と友達のお話。国の体制に立ち向かう彼女彼らを観ると、日本社会で文句をつけていることが情けなくなりました。そして、監督が言ったようにまさに「自由の象徴」として自転車で駆け抜けるワジダの姿は、自分の自転車に対する想いを再確認させてくれました。最近、あれやこれやと本筋から外れたところに目が行ってしまってた気がしました、私が自転車に乗りたいのは独立独歩の自由を生み出せるから。もっと乗ろうと思います。

ネタばれしない範囲で面白かったところをいくつか:

  • 家庭内で普通にプレステでゲームしてたとこ。どころか、コーラン学習ゲームみたいのが売られてて、主人公がそれで勉強するところ。
  • とにかく何でもお金!「泣き止んだら5リヤル」にはびっくり。
  • ラスト近くで、ワジダのお母さんがワジダを連れて、病院で働く親戚のところに行ったシーンがよくわからなかった。

映画の公式サイトにはサウジアラビア基本情報が纏められているので、これを見てから鑑賞したらわかりやすい部分があると思います。京都シネマで2/7まで、シネリーブル梅田はとりあえず今週中は上映しているみたいです。


映画までの間、COCON烏丸界隈を散歩してたのですが、六角通・東洞院通はこんな風に歩道・自転車道・車道が線引きされてるんですけど、自転車乗る人間としてはこれでは正直迷惑な感じかもな、と感じました。この辺、やたらと路肩に駐車してるのもあって。いちおう、歩行者と運転者に「自転車というものも通るんだよ」ということをリマインドしてくれるという利点はあるのかなと。


で、ミディ・アプレミディという洋菓子屋さんに。目当てだけれども持ち帰りはないと思っていたフロールが持ち帰りできるようになっていて、代わりに買おうと思っていた缶入りサブレは要予約で買えなくて、おまけに1Fの店舗はこの日で最後の日(2/13から2Fで営業)と、相変わらず自分の「引き」の強さとギリギリ具合にちょっと苦笑。ただ思いがけず買って帰れたぐりおっとチェリーのフロールは、思いがけずしっかりとした生地にバターの風味が感じられる美味しいロールケーキでした。

久し振りにわずかの時間だけど京都に遊びに行って、ちょっと京都いいなあ最近、と、何がそう思わせたのか分からないけれどそう感じる気配みたいなのがあった。どうしても奈良にはないあの気配、何が奈良にはないのかと言われたら、やっぱりそれは「文化」なんだろうなあ。ちょっとしばらく京都に足を伸ばしてみようかなあ。

独走会 - 大和西大寺ー大和八木、津ー桑名ー名古屋

ド平坦を走りたくて走って走りには爽快大満足だったのに苦々しい気持ちを残してしまったノスタルジーライド。

日経の映画評で『少女は自転車にのって』というサウジアラビア初の女性映画監督の映画が上映されていることを知り、電車の中で誰かが読んでいたニューズウィークのページに『少女は自転車にのって』が取り上げられていることを見て、ぜひこの映画を観たいと計画を練り始めたのが先月の頭。行ける現実的な範囲でいちばん早い上映が名古屋の名演小劇場で1/4だったので、ロードバイクで観に行こうと計画を練り上げたのに出勤予定が入ってしまい流れてしまいました。そうこうしているうちに大阪でも上映が始まったのですが、折角一度計画したことを、やらずに終わらせてしまったらなんかモヤモヤしたものが残ってしまうと思い、名古屋に向かって走ることに決めたのでした。

とは言え、1/4は14:40上演が現実的な回だったので、これに間に合うように、14:15頃には名演小劇場に着くことを考えると、自宅から約150kmを自走とすると過去実績上8~9時間はみたい。すると朝5~6時に出なければならず、冬場であることを考えるとこれはちょっと危険。なので、思い切って辛い山越えをカットしてしまおうと、八木まで25km走って特急に乗って伊勢中川へ、そこから名古屋まで90km、と計画してました。しかし今は14:40の上映がなく、16:40上映が現実的なので、そんなに早く着く必要もなく、十分自走できる時間でもあったのですが、無理しないように、平坦を楽しむ計画のままで行きました。

八木10:05発の特急で伊勢中川まで行く予定だったのが、なんとまさかの満席。この時点でかなりテンションが下がってしまったのですが、待てよ、と調べてみると10:04発名古屋行のアーバンライナーがあり、これだと中川には停車しないものの津で降りれる。20kmくらい更にショートカットしてしまうけど、今回はとにかく楽しんで走りきろうと思ってたのでこれに乗車。

津駅に来るたび何とも遣る瀬無い気持ちになります。もう少しまともな学生生活を送ればよかった、もう少しまともな人生を歩んで来ればよかった。ここで過ごした日々。そういうのは単なるノスタルジーだと振り切って前を向こうと(いつものごとく)思いながらバイクを組み上げていると、「こんにちはー」という声が。

見ると高校生と思しき男の子二人が話しかけてきた。元来、見知らぬ人に話しかけられるというのはあまり得意なほうではなかったのを少しずつ矯正してきたつもりでそんなに厭わないつもりだったのに、その学生の胸についていたバッジかワッペンに「キリスト教云々」というのがあったので即座に怯んでしまった。結局、彼は単に興味本位で声をかけてきただけのようで、特に無礼でもなく感じのよい少年だったのに、ただ宗教に関するものを見ただけで勧誘か何かと思って身構えてしまった。もしかしたらそうだったかも知れないけれど、その時はその時で丁寧に会話を畳む術だって持っているはずだ。

非常に苦々しい思いのまま、向かい風でペダルを強めに踏み込まなければいけないたびに「あかんなあオレも」と唸りながら四日市を過ぎ、揖斐川・長良川を渡り、補給におにぎり買ったらおしぼりつけてくれた優しいコンビニに感謝し、名古屋につき、名演小劇場にもたどり着き、15:00だったのでいくらなんでも時間が余りすぎるし、名古屋までひとまずは来たということで、実際に観るのは大阪でもいいし、今日はこれで早めに帰ろうと近鉄名古屋駅の脇で輪行袋を広げ始めたら、ちょっと気になっていたホームレス?浮浪者?らしきおじさんが話しかけてきた。

「大将、大将、これ折りたためるやつか?」

一体、何がダメだったんだろう、「ああん?そうそう」と完全に追い払うモードで受け答えしてしまった。今の僕は決してそういう会話が苦手ではない。あまりに絡んで来たらうまく畳むこともできると思う。なのにあまりにも粗末に受け答えしてしまった。あれが自分の本来の姿なのだろうか。情けない。ほんとうに情けない。どれだけ独走で自分と戦っても、自分の性根は何も変わっていない。ロードバイクを収め終ったとき、おじさんは僕に背を向けて何かぶつぶつ言いながら煙草をふかしていた。

近鉄名古屋駅で17:00発のアーバンライナーに乗り込もうとホームを歩いている最中、大学時代からの親友との日々を思い出しながら、突然気が付いた。その時代の心躍る気持ちを、再現しようとしてももはやダメなのだ。心躍ることがほしいなら、今この年にふさわしい心躍ることを、それを見つけ出していかなければダメなのだ。それができるだけの自分を作り上げていかなくては、ダメなのだ。

市長選に際して② 生駒市立病院建設問題

今回の生駒市長選を考える際、絶対に避けて通れないのが市立病院建設問題。

市長選を前にするまでもなく、市立病院建設に関して関心があまりない生駒市民は少ないのではないかと思います。2005年に市立生駒総合病院が閉院して以来、総合病院建設は生駒市政の重要テーマの一つであり続けました。生駒総合病院が閉院する、ということを知った際、総合病院がなくなるなんて、という漠然とした不安を覚えました。しかしながら、それから8年、大きな病気をしていないとは言え、総合病院がなくなったことで何か不都合があったか、と言われると、そうでもないな、という感覚があるのも事実。生駒市には近大奈良病院、倉病院、阪奈中央病院等々の総合病院があるし、県立奈良病院にも車で20分程度で行ける。一体何のために、市立の総合病院が必要なのか?というぼんやりとした疑問はずっと抱いていたと思います。

そこでまず市立の総合病院を必要とするポイントを調べてみたのですが、生駒市のHPでは一目でそれが判る内容はありませんでした。ネットで調べてみると、まず最初に見つかるサイトの中で最もよく纏まっていたのは東洋経済オンラインの記事でした:

足りないのは、「救急医療と小児科、小児救急医療が課題」(生駒市議会関係者

これは確かにその通りだと思います。救急医療は奈良県全域で課題に挙げられ取り組んできている課題ですし、小児科に限らず対子ども政策に関しても一層の充実が必要、という状況です。もうひとつ言えば、対子ども政策が他の市町村に比べて見劣りする理由はおそらく一にも二にも財政上の理由で、高齢者を優遇して更に財政を逼迫させて子ども政策が更に貧弱になるような、生駒の未来を潰してしまう、国民健康保険税引き下げを公約に掲げる候補には断じて投票できません。

総合病院の必要性という視点ともう一つ、避けて通れないのは指定管理者が「徳洲会」であることの是非とその経緯です。まず経緯については、公募期間が2週間という短さだったという点が疑問点になります。この時点でめぼしい候補者が不参加になっている中で、2週間の公募期間でどれだけの団体に情報が行き届くのか、という疑問がありますが、それでも市立総合病院が必要不可欠という状況であれば認められるでしょうが、先に書いたように、総合病院というよりは救急医療と小児医療が課題。確かに徳洲会病院は救急車受入件数が国全体の3%という規模ですが、この数字だけで、徳洲会病院が救急受入に積極的か、また救急医療を得意としているかどうかは判断し辛いです。病院数が多ければ、自ずと割合もあがると思われるからです。よって、この視点で言うと、同じ予算を掛けた場合、市立総合病院の建設と、既設病院に対して救急医療を請け負う際の補助とで、どちらがより費用対効果が高いか、という視点から判断せざるを得ないと思います。

もうひとつ、「徳洲会」の指定管理者としての適性性という視点があります。徳洲会は徳田毅衆議院議員の関わる公職選挙法違反事件で捜査を受けている状況です。毅議員が受け継いだ地盤を築いた、父親の徳田虎雄前理事長は自身の選挙戦時に、「カネが乱れ飛んだ」と平然と記事で書き記されるほどの選挙戦を実施してきたようです。生駒市の広報誌では、

この「適性性」は、市立病院の運営を委ねるものである以上、基本的に病院運営や医療行為について判断すべきものです。

とあるのですが、虎雄氏は病院運営にあたり政治も必要と考えたからこそ出馬したのであって、徳洲会にあっては病院運営・医療行為に政治は必要不可欠なものであったと考えるのが妥当だろうと思います。公職選挙法違反の有無はさておいても、理事長が国会議員であることにより病院運営にプラスの効果があったことを否定するものではないと思いますし、公職選挙法違反容疑に限って言えば、対価を支払って病院関係者を選挙対策に借り出していた訳ですから、病院運営と政治活動は不可分であったと見做すのが自然だと思います。

そうした場合、公職選挙法違反容疑で逮捕者が出ている状況で、病院運営に支障を来さないのかと言うと、これは徳洲会と取引のある会社なら誰しもわかることだと思いますが、某かの滞りは確実に出ている状況です。プロジェクトが一括して一時凍結になったような例は少なくないと思います。その結果、徳洲会全体での資金フローがどのようになっているのかまでは調べられませんが、最新号の広報誌では、徳洲会と基本協定書が締結できたという文言はありません。最悪の場合、徳洲会側の都合によって、白紙撤回される可能性だってまだあると思われます。

この問題は考えるのが非常に難しく、市立総合病院の必要性を鑑みると、市側は引くに引けなくなって、適性性についても強弁しているような印象が拭えないのですが、判断基準としては現状ではやはり、「徳洲会が最悪でも現状の条件のままで市立総合病院を運営していくことをコミットするか、コミットさせることを公約できるか」ということになると思います。市が負担する借地料年間5,400万円を異なる使徒に支出した場合の効果と合わせて考えることになるかと思います。この課題は、病院建設中止、で済む課題ではないので、単に「建設中止」を掲げるだけの候補者に対する評価はやはり低くならざるを得ません。

街のパン屋でパンを買う - 2013/01/17 bajo111 boulangerie

富雄のウルトラかっこいい自転車屋TRANSITに寄った帰りにさらに寄りました。

アコルドゥのパン屋さんの体(夜はアコルドゥのバル営業)なんですが、パンは郡山のPAIN DE CUISSONのパンです。レシートにもPAIN DE CUISSONのスタンプ(夜はたぶんアコルドゥのスタンプが押されると予想)。

前に来た時はバゲット買って帰ったんですが、今日は小ぶりのパンをと3点買って帰りました。毎度、パンの名前とか憶えないもんでダメなんですが、白い丸いのが「白い柚子あんパン」で、白餡に柚子ピール?淡い柚子味が美味しかったです。

たまに寄り道もしながら、グルテンフリー探しは続けます。

「売りやすい」お客様

「売りやすい相手に売る」のは商売の基本。これに対して異を唱える人は商売しないほうがいいと思うんですが、じゃあ「売りやすい」という定義は?という問いに対する答えで、自分の商売人としてのレベルが測られるような気がする。

私にとっての「売りやすい」は、「話が通じる」ということだと思う。

システム提案の世界では、提案内容はもちろん一番重要だし成約のための必須条件ですが、残念ながら成約に至るファクターに占めるポーションは最大限多めに見積もっても25%くらいではないかと思います。多くの商談の場合、過去からの付き合いや、トップ同士のリレーションや、提案内容に関わらず絶対価格などが大きく関わります。多くの会社があるなかで通常お客様は2,3社を選んでコンペさせる訳ですから、この時点で成約のためのかなりのファクター(スタート地点に立てる、という意味で)が、「過去からの付き合い」で占められている訳です。

そんな中、この25%部分の確率を上げるべく提案構成をいくつも考え、比較検討し、ブラッシュアップしていくのですが、ここで複数案準備し理由付けをして説明した内容に対して会話をしてくれる、つまり「話が通じる」お客様がいちばん売りやすいです。お客様にはいろんなタイプがいますから、例えば「こちらがほしいと思っているものを見抜いてこい」みたいな方もいる訳です。もしくは、「買ってほしいならその額以上に汗水流さんかい」という方もいる訳です。そういったお客様はロジカルにベストな提案まで持っていく話が通じないので売りにくい。

話の通じるお客様は概して非常に厳しい。ご自身もよく勉強されている方なので、たいてい、初回の提案はこちらが歯が立たないことが多い。そこでの会話を踏まえて、先方の期待を上回る内容を考える。こうやって提案活動を繰り返していくことがもっともやりがいもあるし自分のスキルにもつながるし何より「売りやすい」。逆に、売りにくいお客様でも、業績好調な企業だからとかの理由でセールス攻勢を掛けるスタイルがありますが、一概には言えないですがなんでそんな時間の無駄な使い方するのかと思う。たいていは単なる根性主義です。大した分析ができていない。

しかしながら、たいていの営業はこういったことを理解してかせずか、提案以外の75%でどうしようもないところを提案内容で挽回することを期待します。そういう営業を見るたび、ウブだなあと思ってしまいます。

街のパン屋でパンを買う - 2014/01/11 睦実

先日、「グルテンフリーダイエット」なるものを見つけてしまい、米粉パンのお店ないかな~と検索したとこ見つかった『米粉のパンとお菓子 睦実』。実家のすぐ近くだったので寄ってみました。

「グルテンフリーダイエット」は文字通り、グルテンを摂取しないダイエットなのですが、意外とこれはメジャーなことなのか、『睦実』のHPでは成分表記に卵・乳・大豆に加えて「小麦グルテン」が明記されています。「米粉パン」とうたわれていますが完全に小麦グルテンフリーで作られているパンは、少なくともHP上の一覧ではありませんでした。でも普通のパンに比べると小麦の比率は少ないはず。僕はアレルギー対策で米粉パンを選んでいる訳ではないので全然シビアじゃなくて、「小麦が少ない」でじゅうぶん。

「おとうふぱん」を買ってきたのですが、買ってすぐ喜び勇んで食べたので写真がありません。食感は非常にもちもちで、豆腐の味は分かるくらいちゃんとします。弾力が楽しいのであっという間に食べてしまいます。あんまん肉まんの「まん」部分のイメージかな。美味しいです。

食パン代わりに一山買ってきたのですが気がついたら一食分に…。買ったとき、レシート用紙が切れたそうでレシートもらえなかったのでこのパンがなんというパンだったかもう思い出せません!こちらももちもち系なので、少し厚めに切って焼いて食べるのがおいしかったです。

市長選に際して① 国民健康保険料引き下げ?

我が市で月末に市長選があるのですが、どの候補者のビラだったか忘れましたが、「高すぎる国民健康保険料を引き下げ、やさしいあったか市政!」みたいなことが書かれていました。

「ん?」と当然思ったので調べてみました。

これまでの我が市の国民健康保険財政を大まかに掴むと、

  • 国保財政規模は約100億円で、平成15年から約3.5億円増加している。
  • うち医療費給付額は約79億円(H24)。
  • H20年度に国保財政調整基金がゼロになり、H20年度・H22年度に保険税上げを行い黒字化。一般会計からの借入も返済(http://www.city.ikoma.lg.jp/kashitsu/04200/04/documents/0202.pdf)。
  • しかし国保財政に占める保険税収入の割合は恒常的に1/4。国・県・市からの補助金に1/4を頼っている(http://www.city.ikoma.lg.jp/kashitsu/04200/04/01.html)。
  • 一人あたり医療費給付額は32万円(H24)。国民健康保険加入者数は市民の約22%。

私は会社員なので、国民健康保険の財政のために市税が流用されないかをチェックしたいと思います。市税は国民健康保険の恩恵に関わらない我々も支払っているものなので、それが転用されるのは所謂「受益者負担の原則」に反すると言える訳です。

まず、国保財政に対する「国・県・市からの補助金」が全体の約25%、25億円を占めています。詰まるところこれは税金なのですが、国保財政の来歴のページで、「一般会計からの借入も返済、黒字化」と書かれていたので、現状、一般会計からの借入はないものと認識します。この「国・県・市からの補助金」は法律上定められている補助金で、別の角度からみた公平性を期すために已むを得ない税金の転用と理解します。

次に、では国保税を引き下げて、その分の財政をどこから持ってくる?例えば現在、国保税収入で賄えているのは国保財政全体の1/4である約25億円。仮に国保税を1/4引き下げます、とすると、単純にこの国保税収入は約1/4に、つまり18.75億円となり、6.25億円不足する。この6.25億円の財源をどこで確保する?

http://www.city.ikoma.lg.jp/kashitsu/04200/04/01.html によると、国・県・市からの補助金以外に、「退職者医療の交付金」「他の健康保険からの交付金」というのがあります。この2つで国保財政の1/2が賄われています。この「他の健康保険からの交付金」の「他」が何で、それぞれどの程度の額なのか、それが何に基づいて決められているのかが調べきれないのですが、交付金なので市政側で額を変更できるものではないと思われます。

そうすると、国民健康保険税(料)を引き下げるための財源約6億円は、

  • 医療費給付を抑制する
  • 一般会計から借入れる

のいずれかの方法での捻出になります。生駒市の国保医療給付額の増加の主たる要因は「医療費が高い高齢者率が高い(65歳以上の率が37.2%で県内市1位)」、つまりこの層の多くは定期収入を得ていないでしょうから、市税の使われ方、つまり一般会計に興味を持たないとすれば、この政策は「ひとかたまりの投票集団を狙った」政策だと思われます。

よって、医療費給付の抑制策を伴っていない限り、会社員であり国民健康保険に依存しない私としては、この政策を掲げる候補者は支持しないのが妥当と考えます。