Surface Pro 2の使い心地 その4

仕事では二台持ちしてます。二台持ちする(できる?)最大の理由は「軽い」につきます。

会社からはノートPCが貸与されていますので、当然メインマシンは貸与PCになります。資料作成の素材などはそのPCに保存されていますから、そのPCじゃないと出来ない業務は多々あります。だからいくらBYODでSurface Pro 2があればメールはできるからと言っても、貸与PCを持たずに外出するというのはありえない選択肢です。

逆に貸与PCがあればすべてが(当たり前だけど)できる訳だからわざわざSurface持ち歩く必要ないんじゃ?という疑問が出てくるんですが、私も購入するまではそう思ってました。iPadが出て「ほしい!」と思った時も、最終的に踏みとどまったのは「平日5日は鞄の中に貸与PCが入ってるのに、iPad持ち歩くか?もし平日は持ち歩かないとしたら、持ち出すのは土日だけ。だけど土日のどちらかはロードバイク乗ってることが多い。実質一日・・・買う意味ある?」ということでした。なので、Surfaceを持ち歩くのは考えてもいなかったのですが…

やっぱり起動時間が早いというのは強烈な武器です。外出の多い日だと、駅とかちょっとした待合とかで10分程度の細切れ時間が結構溜まります。この10分をどう使うか。普通のノートPCで、起動してログオンしてHDD回って落ち着いて使えるのに3分からひどいと5分くらいかかって、そうするともう残り5分を切ります。そうなるとゆっくりメールも見れない、という感じなんですが、Surfaceはすぐ立ち上がるのですぐメールチェックできます。それ以外にも少しの調べものなんかにも迅速に着手できる。

おまけに軽い。だから一緒に入れておこう、となります。傍から見たら変な感じかもしれませんが、二台持ちする十分な理由があると思います。

『人びとのための資本主義』/ルイジ・ジンガレス

自分が生きてきた時代の中で見聞きしたアメリカの印象は強欲で堕落した金銭至上主義者なのに、アメリカ文学、ポストモダンくらいまでのアメリカ文学からの印象は勤勉で実直で礼儀を重んじる姿ばかりを感じて違和感を抱えてきたことを思い出した。

「助成志向の市場は、最も効率よく生産する企業ではなく、最も手際よく公的資源を吸いとる企業を選ぶ。どうしてこのチャンスの国は、レント・シーキングの国と化してしまったのだろう?」

ここを読んだとき、ネットで「行政機関関係者の方、私に1,000万円くらい助成しませんか?おもしろいことができると思いますよ」とアピールしていたある著名人を思い出した。日本は助成大国だ。手早く稼ぐどころか、まず稼げるポジションを得るためには助成は欠かせないようにさえ見える。助成は様々な種類があるとは思うが一般的に投資のようにシビアではない。返さなくていいのだ。ある程度の財を成す者は、どうすれば公的資源を吸いとることができるのかを熟知している。助成を得たり、補助金を得たり、税金を免除してもらったり、免除どころか踏み倒して知らん顔をしたりする。

助成を得ることにあけっぴろげであれるというのはまともなことではない。過去の実績はどうあれ、これから何を成そうとしているかに対して資金は提供され、その出来栄えによって利得を得る。先の著名人の発言は、成す前から利得を得ることに疑問を感じていない、しかもその金銭の出処が税金であるということを忘れているとしか考えられない。

本著の前半くらいまで読み進めて頭に最も浮かんでいるのは、アメリカは「勤勉が報われるべき」という価値観の国だということ。いや、「国だった」かも知れないけれど、とにかく、アメリカはヨーロッパのように家系に依存したり、ブラジルのように財をなせるかなせないかはほとんど運だ、という価値観ではなく、「勤勉であることが報われるべき」という強固な価値観を持った国なのだ。我々日本人が我々日本人の美徳だと思い込んでいる、そしてアメリカ人は持ち合わせていないと思い込んでいる「勤勉」という価値観はアメリカ人も持ち合わせている。勤勉が報われる国だからこそ、苛烈に働き圧倒的な競争力を持った国になったと考えるのが自然だと思う。けして自分たちの都合のいいようにルールを制定するために「グローバルスタンダード」という概念を振り回すだけで勝ってきた国ではない。最初に書いたように、それがいつのまに日本が勤勉で、アメリカ人は怠惰で、楽して儲けたいから勤勉の日本人に働き過ぎだとケチをつける国だという印象になっていったのか、そこに興味がある。
4757123078 人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す
ルイジ・ジンガレス 若田部 昌澄
エヌティティ出版 2013-07-26

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独走会 - 街のパン屋でパンを買う - 竜田川・樸木・春日大社

これ以上ない冬晴れの下、今までのもやもやも雲散霧消する心地良いライドでした!
先月くらいから、毎週ロングライドを計画するのに直前になって気持ちが落ちてしまったり、ロングでなくとも奈良公園くらいまで乗ってこようという程度でもなぜかぐずぐずしてやる気が出ずに乗らず終いで休日が終わり、「あーなんで出なかっただろう?」と自分を嫌悪する繰り返し。疲れてるのかな、とか思いつつ、目先を変えて先週パン屋を巡ってみたら少し乗る気が蘇ってきたので、この日曜もパン屋に行ってみようと愛用の「食べログ」で奈良のパン屋再検索。先週、候補に上がってはいた『樸木』が第一日曜は営業してるということなので、たぶん紅葉がちょうどいい頃合いと思われる竜田川沿いを駆けて『樸木』へという行程でいざ。

竜田公園の紅葉。予想通り見頃でした。ハイカーの方もたくさん。ご近所散歩と思しきかたもたくさん。

『樸木』。場所はなかなか難易度高いです。blogに書かれている住所でgoogle mapで検索かけると、微妙に違う場所を教えられてハマります。「天然酵母パン樸木」で検索すると正しい位置を教えてくれます。

入り口。リースも鮮やかですが木の扉とトタンのコントラストも鮮やかすぎる。

お店構え。この可愛らしさ。席は結構たくさんありましたが埋まってました。予約で来店の若いカップルが僕の後に二組も。大盛況です。

そう、このお店、バイクスタンドがあるんです!blogで見て知ってたのでちょっと楽しみにしてました。

ちゃんと「ロードバイク専用」と書かれてます(笑)。

野菜パン3個入りと玄米食パンとよもぎあんパンを買って、お昼ごはんに早速よもぎあんパンを。よもぎの味もあんの味もほのかです。薄いでもかすかでもなくほのか。しっかりした弾性のある噛みごたえあるパン。これは旨い。ここ目的地で走る価値あると思います。場所もお店もルートも(なにせ法隆寺を掠める位置取りです)全部がツーリング向きです。激賞。

そして朔日参りに春日大社へ。春日大社に朔日参りの習わしなんてないと思うし、家の近所の宝山寺ではまさしく朔日参り、それも12月は年に一度の「厄除け大根炊き」の日なんですが、僕は春日大社が大好きで、春日さんにお参りするのがゲンなので、お昼過ぎになっちゃいましたが朔日参りということで。

結婚式に遭遇。結構な頻度で見かけてる気がします。

もちろん御朱印頂きます。僕が今持っている御朱印帳をここ春日大社で買って初めて御朱印を記して頂いた方でした。鋭くてすごく格好良いのです、春日大社の御朱印。


ほんとにこの日の天気は素敵すぎて、日差しの暖かさ、眩しさ、空の薄青さ、雲の疎らさ、空気の澄みきりと適度な冷え、何もかも冬のライドを満喫させる出来過ぎの日で、気分を一新してくれました。めぐり合わせに感謝です。

グラジェネ嫌悪感

二十代の頃には「少しでも社会が良くなるように考えなくなることなんて考えられない」と思っていたけれど、四十を超えた今、ふとそういうことを思っている自分に気づいて驚く訳です。「もうたぶん、自分が生きているうちに、この社会が劇的によくなることなんて多分ないんだろうな」と。


心のないやさしさは
敗北に似てる
(『青春』/ザ・ハイロウズ)

八十歳まで生きられたとしてあと四十年、戦後六十八年経ってまだこの程度なのにあと四十年で素晴らしい社会に成長成熟してるなんてどう考えてもありえないと、冷静な頭ではとうにわかっていたはずだけれど、それでも少しでも良くなる方向に個々人が考えて行動しなければ何も変わらないと律儀に考えてニュースを見て考えたり選挙も真面目に投票したりしても、一票の格差裁判とか特定秘密保護法案とか政治献金とか見てるともう萎えるしかない訳です。これをまたチャラにするのに何十年かかってその頃はもうほんとに老い先見えてる頃だしな、とかリアルに時間間隔が見えてしまうので、前向きなエネルギーが萎んでいくのです。

じゃあ自分はどうするのか?かつて十代の頃の自分たちがそうだったように、冷めた醒めた目でシニカルにアイロニカルに世の中を見ながら過ごすのか?よりよい社会なんてことに興味持たずに、自分は自分の楽しみのために日々を暮していくのか?いや違う。今この現時点で二十代の若者たちの中には、よりよい社会、これから求められるよりよい社会像を追及して活動している人たちがいるだろう、年を取った者は、そういう未来のある若い世代を応援・支援するのが勤めじゃないか。古臭いご隠居像かもしれないけれど、やっぱり世代を繋ぐことに意味を見出す。

今の私はもちろんまだまだ現役なので、若い世代の応援なんて言っていられなくて、まだまだやらないといけないことがたくさんあります。でも悲しいかな少しずつ先が見え自分が何者か知り限界もわかりつつあるなかで、自分が直接何かをやるだけではなく、誰かの役に立つことも考えていかないといけないと思います。しかしながら現代の日本は、未来ではなく、現在のマジョリティである「団塊の世代」という老年世代に対するアクションばかり。そこがお金を持っていて、そこが大多数だからと、「グランド・ジェネレーション」とシニアを呼び換え、おだて上げ、盛んに消費を煽り立てている。それこそ隠居、という消極的で日陰を強いられるようなイメージを嫌った現代の老年世代に「グランド・ジェネレーション」は熱狂的に受け入れられているみたいだけど、本当にそれは年を取った人間がとるべき振る舞いなんだろうか?もちろん老年は一線を退いて質素に暮せとは思わないけれど、死ぬまで自分が主役という顔で生き続けるというのは違うと思ってしまうのだ。それは社会の未来=若者を食いつぶし、自分たちが生きている間は未来は全部自分たちのものにしているのと同じことだと思う。グランド・ジェネレーションには、消費以外にやるべきことが他にたくさんあるだろうと思う。グランド・ジェネレーションが消費するから、若者の仕事がたくさん生まれ経済が回るんだよと言われれば、その「経済主義」を乗り越える思想を生み出すのが高度経済成長の恩恵を受けるだけ受けて今だ恩を返せてはいないあなた方の仕事だろうと返してみる。何十万というお金を出して「ななつ星」で過疎の地を巡っている場合ではないでしょうと。


街のパン屋でパンを買う - 2013/11/23 トゥールブランシュ

奈良はパティスリーとパン屋の名店が多いと思うのです。と書こうとして一応パティスリーの意味を調べたら「ケーキや洋菓子を専門に扱うベーカリー」とあって「え、じゃあベーカリーってどういう括り?」と深みにはまってしまいました。

ロードバイクとパンって全然あわない感じするんですが、奈良に住んでる者として、いわゆる日々のポタリングの行き先が神社仏閣なのはあまりに身近なので、目的地をパン屋にしてみよう!という安易な発想。

トゥールブランシュ」は住所で言うと六条なんですが、六条って奈良市内だと一般的に「あああの辺」って通じる住所なんでしょうか?九条はピンと来るんですが僕は六条は正直ピンと来ません、なので最寄り駅で言うと敢えて言うなら西ノ京ですが西ノ京からでも結構歩く、ので、ロードバイクで行くのにいい目的地だと思います!パン屋さんって地元密着と言うか、交通の便がよいところにあるものではないので、もう少し広い「地元」ー僕の場合は奈良県ーで見たときに、ロードバイクというのは都合のよい移動手段だったりします。電車でパン買いに行くといっても最寄駅から15分20分歩くとかたいへんだし、車で行くにも駐車場が、というケースもあるし。

そんな訳で「トゥールブランシュ」では一番人気と謳われていた「メープルラウンド」を買いました。「これ一本売り!?ハーフサイズでも結構なサイズやで!?」と思ってたら「焼き立てです~」とハーフが登場。あまりにいい匂いにつられてハーフサイズ買いました。持ち帰りにしたんですが「まだ口開けてますし焼き立てなのでよろしかったらどうぞ」と促され、併設の席に座って少しちぎって食べてみたら、めっちゃふわふわでした!メープルにつられてかぶりついたらめっちゃうまいんだろうな~、と思いつつ、昼飯に買った「味噌メンチバーガー」を頬張りました。

街の本屋で本を買う - 2013/11/19 MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店 『福島第一原発観光地化計画』/ゲンロン

すごく楽しみにしていた一冊。無事出版されてよかったです。

まず一通り流し読みしてみて意識したキーワードは「欲望」と「動員」。僕にはこの二つとも、「風化させない」という意思と繋がります。そもそも観光地化すること自体、いかに「記憶を繋いでいくか」という、「非風化」の試みだと思っていますが、それを更に深めるキーワードとして「欲望」と「動員」があるのかなと思ってます。

特に「動員」は、福島第一原発に関わってだけでなく、ここ最近の現代社会で気になっているキーワード。「関与する」「参加する」というのはどういうことなんだろう?という疑問。ネットでのコミュニティやコミュニケーションはもはや当然、という風潮と、ネットなどというバーチャルな関係性ではダメだ、というアンチネットな風潮がある中、そういう「ネットに対する反発」の感情が若干混じった形でのリアル重視ではなくて、やっぱり生身の身体が実際にその場にいることの重要性を最近改めて信じ始めているので。それは単純に、「安易なことは価値を失っていく」という法則に則っているだけなんだけど、ウェブのクリックで簡単に示せる意思表示というのは、クリックするだけの簡単な意思表示だからその「ありがたみ」は当然減少し、苦労なくしてできることはもはや価値を失ってしまう。でも、実際にその人が行動で示すことというのは、それだけの時間も労力も使うもので、その分有効性は保たれるのではないかなと思う。だから、福島第一原発を観光地化する際にその目的として「動員」が取り上げられるのはとても納得がいくのです。

4907188021 福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2
東 浩紀 開沼 博 津田 大介 速水 健朗 藤村 龍至 清水 亮 梅沢 和木 井出 明 猪瀬 直樹 堀江 貴文 八谷 和彦 八束 はじめ 久田 将義 駒崎 弘樹 五十嵐 太郎 渡邉 英徳 石崎 芳行
ゲンロン 2013-11-15

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御上至上主義で特定秘密保護法案は葬れない

ここには重篤な「御上至上主義」「御上依存」が染みついていて、何かを動かす力はほとんど宿っていない。

"なんと愚かな人間を、政治家などという仕事に就かせ、それをわざわざ身銭を切って養う事の哀しさよ!

言うても仕方が無いことやけど言う。
こういう動きが、せめて半年前ぐらいから始まってたら……。
マスコミや著名人が、せめて半年ぐらい前から声を上げてたら……。"
(ふくしま集団疎開裁判の会)

政治家と自分たちが繋がっていることを棚に上げているし、声を上げるのは「マスコミ」や「著名人」という「お上」がやってくれるべきだ、という「他人任せ」根性が染みついている。特定秘密保護法にアラートを上げるのは、別に個人だってできたはずだ。たとえ、それが近場の数人にしか伝わらなかったとしても。どこかの優れた一握りおスーパーヒーローが「政治家」や「マスコミ」や「著名人」となって、我々庶民の暮らしを守ってくれる、そういう発想こそが独裁に繋がるのだ、独裁を招く特定秘密保護法の成立に加担する意思なのだ、ということに気づいていない。「お上はダメだから我々で」では遅いのだ。お上はお上で動かし、自分たちは自分たちで動く。相手がどれほど「上」に立つ相手であれ、そいつのせいにするのなら自分の自由と引き換えになることを忘れてはならない。オマエは何を成し遂げたんだ?といつも返す刀で聞かれているのが人生。

ただ、僕のこの考え方は、現代のマスコミの怠慢に繋がっていることも理解するようになった。マスコミは我々一般大衆の合わせ鏡であるだけではなく、体制側の拡声器でもあり、なおかつ一般大衆が努力するときには自分たちの役割をサボることもあるからだ。マスコミに対してどうやって継続的な牽制を続けるか?かつてTVがほぼマスコミだったころは、なんだかよくわからないけれど「世論」というものが大反対しているので法案を通すのを取りやめよう、みたいなことが実際に起きた。情報流通がこれほどまでに簡単になった現代のほうが、そういう一般大衆の「大きな力」をマスコミが反映しなくなってきていると思う。

ファーストフード店での品格

とあるマックでMサイズのホットコーヒーを頼んで仕事をしていると、それは起きた。

二十代と見える男性店員が、少し離れた席に座っていた五、六十歳の男性に話しかけた。話しかけるというよりは詰め寄った。

「お客様。お客様。お客様!」

机をコンコンとノックもするのだが反応がない。客の男性はイヤフォンをしていて何か聞いているようだが、あれだけ人が詰め寄ってきたら普通気づくと思うので、寝ているようだ。

とうとう店員がその男性客を揺すって気づかせた。

「お客様!これ、持ち込みですよね?持ち込みは困るんです!お済でしたらお帰り頂けますか!」

男性客のテーブルの上のトレーには、コンビニのサンドイッチと思しき包みの屑、バナナの皮、飲みさしのいろはす。Sサイズのコーヒーが申し訳のように隅に置かれていた。

どうもやり取りを聞いていると、男性客は以前から繰り返し持ち込み・長時間滞在をやっているらしい。それを不快に思っていた若い店員が、溜まりかねて爆発した、という感じだった。

男性客のほうは「チーフを出せ」とか「まだコーヒー飲んでるんやわ、他の人もたくさん居てるでしょう、コーヒー長い時間飲んでる人」とか「マックってこんな怖いとこやったけなあ」とか、のらりくらりと躱している。

僕は非常に複雑な気分になった。これは今はやりの「お客様は神様か?」文脈に通じることだと思った。

  • コーヒー一杯で長時間滞在することの是非
  • 持ち込みすることの是非
  • 長時間滞在の上、座席で眠ることの是非

「ちゃんと商品を買って入店していて、滞在時間に制限がないんだから、何しても構わない」というスタンスの「客」という存在が増えて半ば当たり前みたいになったのはいつからなんだろう?やりはしないけどもし僕があの男性客と同じことをしたとして、注意されたら恥ずかしくて退店する。それがまっとうな感覚というものだろう。園遊会で陛下に手紙を渡してはいけないなんて「いちいち書くことではない」という以上に、いちいち明文化しなくても分かってないといけないことだろう。「書いてないじゃないか」という言い草がいかに下劣な人間性なのかということを、僕たちは改めて世に浸透しなければいけないと思う。

正直に言って、あの店員は、もう少しうまい言い方は確かにあったと思う。人を、とりわけ客を思うように動かしたいのなら、言い方は非常に大事だと思う。しかしそれは、あくまで「結果」にフォーカスした行動方針だ。言い換えると、自分が手に入れたい「結果」のために、自分をある意味で「曲げている」ということもできる。自分の常識に照らしてあってはならないことをやっている相手に対して、今後の店の売上とか自分の雇用とかそういうのを算盤に入れた結果、「下手に出たほうがいい」という判断でやっていることだ。果たしてそれは褒められたことだろうか?ここで、「お客様は神様なのか?」という命題が登場する。僕は、客であればいかなるときでも丁重に扱われなければならないという常識はそろそろ終わりにしていいと思っている。第一、「お金を払っているから」という論法は、「じゃああなたよりもお金を払っている方をより優遇します」と言われたらぐうの音もでないロジック、のはずなのだ。

男性客も店員もどっちもどっちで片づけるのは簡単だけど、僕は、どんなときでも言葉遣いというのは最重要だという基準を当てはめたとしても、やはりこの件は男性客が間違っていると思う。こういう状況があった際、「あれはあの客が悪い」と誰もが思う状態がまっとうだと思う。

街の本屋で本を買う - 2013/11/17 ジャパンブックス生駒南店

本を読むのも、ただなんということもなく楽しみに感じなくなっている昨今。なんだろうこの気分。

書評を読んだり本屋で見かけたりして、気になっているタイトルは溜まっているけれど、なぜか今一つどれも手に取る気になれない。手に取ろうと思うと頭に浮かぶどんよりとした気分。それが何なのか何が原因なのかわからない、読もうと思ったら休みがだいたい一日潰れてしまってこれで良かったのか?と落ち込んでしまうのを思い起こしたからなのか、読書という行為をちゃんとやっているのに何か無駄なことをしたと思ってしまうことに自分自身幻滅してしまうことを思い出すからなのか、よくわからないけれどとにかくどんよりする。

なんとか打開したいのでとりあえず有益無益を一切考えず、いちばん今自分が興味の持てる『動きすぎてはいけない』を買おう、と近所のジャパンブックスに行ってみたけれど、薄々分かってはいたけれど、さすがに近所の小型の本屋さんにそんなゴリゴリのドゥルーズ哲学本置いてる訳ありません。本棚をくまなく探してみて偶然見つけたのがよしもとばななの『すばらしい日々』。知らないタイトルだな、いつの刊行だろ?と手に取ってみたら帯には「震災、放射能、両親の死ー」と書かれているし、これはそんなに古い本ではないと思ったら2013年10月25日初版。せっかく出会ったのでそのままご購入。だいたいこんな塞ぎ込んだ気分のときにはよしもとばななに助けられることが多いな。有難い。気楽にさっと今日読んでしまおう。

すばらしい日々
よしもとばなな

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街の本屋で本を買う - 2013/11/15 ジュンク堂書店 梅田ヒルトンプラザ店

2か月前、「今こそ原子力推進に舵を切れ」と謳った雑誌が、「福島の被災者が見たチェルノブイリ」とは。

B00EQ5H72O WEDGE 2013年9月号 今こそ原子力推進に舵を切れ
岡本隆司 竹本三保 原田 泰
株式会社ウェッジ 2013

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チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』は過去の原発事故の歴史に学ぶという難しい課題を詳細に伝えてくれた本でした。『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』と、WEDGEの2013年11月号「福島の被災者が見たチェルノブイリ」とは、どちらもチェルノブイリの現地を取材し、現実に学ぶというスタンスと思われるのに、なぜこうも受ける印象が違うのだろう?『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』が言うことは真摯に受け止め自分なりに考えてみようと思うのに、WEDGEの言うことは最初から反発する気満々になってしまう。

WEDGEを出版しているのが株式会社ウェッジという会社だけど、株式会社ウェッジはJR東海の関連会社で、WEDGEはびっくりするくらい正直にJR東海の意向を反映したような記事を前面に出してくる。その最たるものが2013年9月号の「今こそ原子力推進に舵を切れ」だった。原子力を封印していることで燃料費4兆円という国富が海外に流出しているとか、なかなか言い返しようのない論法で原子力推進を押してくる。WEDGEはグリーン車で無料配布なので、読者ターゲットもアッパーミドル以上、経営者層なので、「一般世間は原子力反対なのでおおっぴらには言いにくいけれど、事業コストを考えれば電力費は安価なほうがいいから早く原発再稼働してもらいたい」と思っている層にうまく取り入る記事を掲載している。

そんなWEDGEだから、これにお金を出して利するというのは、僕一人が買おうが買うまいが態勢に影響はないんだけど、態勢に影響がないからといって自らの行動をいい加減にするのが最もよくないと常日頃言っているので、ここはひとつ、WEDGE2013年11月号が何を言っているかは、買うのではなく立ち読みで調べようとと、ジュンクヒルトンプラザで立ち読みした。

結局、WEDGEのチェルノブイリ特集から感じるうさん臭さというのは、「自分たちに都合のいい結論ありき」で、それを補強するために、あたかも過去の歴史に学ぶ姿勢を持っているとアピールするのにこれ以上ない「チェルノブイリ」を持ち出しているところだと思う。『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』は原子力発電をどうするかについては保留して、チェルノブイリの現状から正しい知識を学ぶことと、福島原発を「観光地化」するという案の説明に徹している。開かれたジャーナリズムというのは、決して中間で客観的な意見を伝えるということではないのだとすると、JR東海の意向を如実に反映するWEDGEもひとつの役割を持っていて、努めて客観的な記載にし、原発をどうするかについて明確なスタンスを出していない『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』はジャーナリズムとしては中途半端ということになってしまうのだろうか?