独走会 - 酬恩庵一休寺

一休も600年前、この隙間からの秋晴れを眺めたということか。
独走会と言うのは富雄の超絶カッコいい自転車屋TRANSITの走行会「おいしいポタリング」の参加者の(すごくカッコよく言うと)スピンアウトで、「独りで走る愉しさ」を知る大人の集団、ということにしています。その独走会の走行会、「独走会(どくそうえ)」というのをやってまして、集合時間と場所だけ決めて、途中輪行でも何でもいいからそこまでやってこい、という、自転車でやるフラッシュモブ的なことをしてます。先週予定していたのですが台風で取りやめたので、この21日に行ってきました。目的地は酬恩庵一休寺。あの一休さんが晩年を過ごし、お墓もあるお寺です。JR京田辺・近鉄新田辺からほど近いところにあります。

僕の当日のルートはこんな感じ。


行きは生駒から北上し、くろんど池の東・陸上自衛隊祝園駐屯地のすぐ西の山を縫っていくルート。これがたぶん最短距離だと思います。帰りは、行きのルートがずいぶん下りだったことを判っている分、そのルートを引き返す気になれず、近鉄沿いに南下して163で帰りましたが、GARMINのログを見ると、それでもまあまあ登ってる・・・。

今回、若干病み上がりということもあって調子どうかなーと思ってはいたのですが、走りだし当初は「大丈夫かオレ」と思うくらい回らず、心拍数も上がってないし足が痛い訳でもないのにとにかく回すのが辛くて、「あーこれは帰りは輪行決定だな」と思ってたのですが、ちょうど鳥谷を超えて京田辺に入って下りに入ったくらいからだんだん回復し、その後は快適にサイクリングを楽しむことができました。しばらく鈍ってる体を起こすためのウォーミングアップは大切と痛感しました。

それにしても前回の多度ツーリングのときから課題だなと思ってるのが、
  • 2~4%くらいの、普通の速度で走れないといけない坂が異様にきつい

これの解消が目下の課題。何が悪いんだろう?5%を超える坂だと、「坂!」と目にもわかるし体もそれに対応するんだけど、緩い坂のとき、異様にきつく感じる。もうちょっと楽に上れるはずなんだけどな。

ゲームと複雑な感情

携帯電話向けゲームの先駆者、グリーが急失速した。スマートフォン(スマホ)時代についていけず、業績は悪化。一時は任天堂をおびやかすほどの栄華を誇りながら、その天下はわずか3年で終わった。グリーにとって生き残りをかけたサバイバルゲームが始まっている。
グリーの「三年天下」、熾烈なゲーム生存競争  日本経済新聞Web刊 2013/9/2 7:00

 私は就職活動時、第一希望がゲーム業界で、当時で言うところの「ゲームデザイナー」になりたいと準備をした人間で、心からゲームを愛していたので、グリーやディー・エヌ・エーを苦々しく思っていた。小説や漫画や映画と同じように、芸術的要素も持ちうるひとつの娯楽として成り立とうとしていたゲームを、プレイヤーの知恵も工夫も技巧も何も関係ないただの「ボタン押し」に成り下げた主犯格として。ゲームをその程度に矮小化しただけならいざ知らず、「カネを出せば強くなる」式の仕組を持ち込み、おまけにそれをゲームのおもしろさを左右する要素よりもゲームの収益源としての役割を優先させたからだ。言わずと知れた「コンプガチャ」だ。おもしろいゲームがまだまだ世の中にはあるなかで、猫も杓子もゲームと言えばグリーかディー・エヌ・エーかでやるもんだという認識に染まっていくのを、本当に悲しい思いで見ていた。

 しかし一方で、彼らも判っていたように、私たちもグリーやディー・エヌ・エーのモデルが未来永劫に続くとは思っていなかった。なぜならグリーやディー・エヌ・エーのモデルはプラットフォームビジネスだったから。世間のビジネスモデル指南書では「プラットフォームを握る者が世界を制す」とよく書かれていて、それは確かに正しいのだけど、プラットフォームをプラットフォームとして維持し続けることは並大抵のことではない。スマートフォンがシェアを拡大して、アプリというものが各スマートフォンのアプリ購入サイトから購入するのが当たり前になったとき、グリーやディー・エヌ・エーに存在価値はあるだろうか?

 そして満を持したかのように届いたニュースが、「セガなどゲームソフト15社がスマホ向けゲームのユーザー開拓で連携する」というものだった。もちろんグリー、ディー・エヌ・エー外し。

 もちろん、「いい気味だ」という気持ちは禁じ得ない。心から愛するゲームを、ただの「商品」として扱った罰だ。利殖の道具として。ゲームという様式の中でのおもしろさを追求したのではなく、条件反射と禁断症状を利用して釘づけにすることを追求した彼らに「ざまあみろ」と言いたい気持ちはもちろんある。しかしながら、グリーの田中良和氏は如才ないし、経営スキルは高いものを持たれていると思うし、何よりもともとSNSを運営していたところに「商材」としてゲームを扱ったように、扱うものに強いこだわりを持つのではなく、ビジネスの対象として扱うことのできるスキルを持っているので、会社としてのグリーは必ず復活してくると思う。

 なぜ、グリーやディー・エヌ・エーに対して、「ざまあみろ」と散々罵倒すればいい、という気持ちになりきれないのだろう?それは、グリーやディー・エヌ・エーを「利用」してきた外野のほうが、よほど罪深いのではないか、と思うからだ。投資家についてはそうは思わない。うまくリターンを得て勝ち抜けた人はそれだけの才覚があったのだと思うし、そもそもゲーム会社を投資の対象にすること自体に、ゲーム業界を志していた身としては違和感を感じざるを得ない。それが、ゲーム業界が未熟で不安定だという意味ではない。だいたいの世間の人は、ゲームとは何か、ゲーム業界とは何かなんて、ちゃんと理解しようとはしていないと思うからだ。

 ではグリーやディー・エヌ・エーを利用してきた「外野」とは誰か?それは他ならぬ我々IT業界だと思う。言うまでもなく、ゲーム業界は大量のサーバ、ストレージ、高速のネットワーク等々、非常に高性能なIT機器やシステムを必要とする。ある意味で、テクノロジーの最先端業界なのだ。我々IT業界も他の産業界と違わず、最新テクノロジーはどこかで「実験」し、その知見を以て安定化させて一般化し賞品として普及させなければならない。他の業界がどうなのかはよくわからないけれど、我々IT業界ではこの「実験」先は、パブリック・セクター(大学か、公共投資が行われる事業-たとえば「京」)かゲーム業界だ。こういう「実験」が行われるところでは、「先行投資」が行われているので、リターンに対する厳しい目よりは、「絶対価」の高低だけで採用される節がある。かくして我々は、自分たちのノウハウを蓄えるための「実験場」として、最新テクノロジーをゲーム業界に売りつける。

 企業活動においてはどうしても金で時間を買わなければならないフェーズがあるのは承知していて、だからこそ先行投資の必要があることも理解している。けれど、グリーが本当に記事で書かれているほど破綻しているのであれば、そこまで倫理を失わせたのは無暗に車輪を回させた我々にも責任の一端があると言えるのではないか。結局、その果実を手にしているのはやはりクレバーにその場を乗り切っているIT企業だけなのだ。それに最も憤る。ソニーのセルのときもそうだった。

街の本屋で本を買う - 2013/09/16 生駒駅売店

9/14発売だったことを9/14の夜に思い出し、慌てて近所の本屋に駆け込んだけれど在庫なし。昨日は風邪気味で一日おとなしくしていて、今日、散歩がてらに外に出てみて「ひょっとしたら駅の売店にあるかも」と思って覗いたら運よくありました。本屋じゃないですけど。こんな買い方もあるということで。

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B'z "LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER-" 2013/09/12@京セラドーム大阪

”正解が欲しい それが幸せ?
その寂しさを僕らは生きる”
(『Q&A』/B'z)

25周年記念ツアーということで、内容はもう正に"Pleasure"ツアーそのもの。20周年のときの神戸ユニバーのほうがスケール感が大きかった印象ですが、きっとトリの日産スタジアムは20周年のときと負けず劣らずの規模感で展開されるんだろうな~と思うと羨ましい。今、関西で屋外で苦情少なく交通の不便も少なくやれるところって少なそうだもんな~。ユニバーなんて21:30過ぎに終演されて規制退場だと、関西圏でも帰るに帰れない人続出だったもんね。

座席はいつものように当日までわかりませんでしたがアリーナ10列だったので満足。Circle of Rockの次くらいに近いかな?Pleasure 2008のときもまあまあ前方だったので、さすがにX周年記念のPleasureはファンクラブ優先を考慮してくれてるのかも。通常ツアーのときはファンクラブ優先でスタンドはおろか落選することあるもんな…。

さて今回のライブですが、振り返っていちばん最初に思い出すのは「やっぱり『C'mon』は名曲だな~」ということ。未だに泣ける。”C'mon"ツアーのときはもうこの一曲だけで十分という感想だったんですが、その想いは変わらないですね。東日本大震災の直後に創られて、アルバムタイトルにもなってリリースされたこの曲。今後ずっとライブで聴きたいと思います。

もう一つは「正しさ」についての一連の流れかな。

"何をどこまで信じればいいか 君が僕に教えてよ"
(『ZERO』/B'z)


"いつでも正しい人なんているのかな"
(『あいかわらずなボクら』/B'z)


暗闇にうかんでるその頬に触れる
誰もがゆずれない正義を抱いて"
(『Q&A』/B'z)



いや、それよりも、「それは年齢とは関係ない」と思わされたこっちかな。

"いつのまにかこの街に 丸め込まれるのは誰?
くだらなかったあの頃に 戻りたい戻りたくない"
(『Pleasure 2013』/B'z)

街の本屋で本を買う - 2013/08/13 ブックスキヨスク小倉駅店

久し振りに小倉に行きましたので、積極的に本を買おうと思ってたのですが、予定が押して駅ビルに立ち寄るヒマさえなく、新幹線駅校内のブックスキヨスクにて。

去年から「街の本屋で本を買う」ってことをやってるのですが、傾向を見ると、出張先で本を買っている比率が高いです。出張時は荷物は多いので、そこに一冊本を増やしたりすると重くて帰り余計に疲れるのは分かってるんですけど、なぜか出先は本を買いたくなる衝動が大きいです。旅と(出張なので旅じゃないけど)本の相性はやはり相当高いのでしょうか?

今回は乗車予定の新幹線まであと30分ない、という状況だったので、とりあえず新幹線に乗る前にwifiコーナーでメールはダウンロードしておきたいし(山陽新幹線は圧倒的にトンネルが多いので、受信済みのメールはできる限り乗車前にダウンロードしておかないとストレスになる)、それほど時間がない中、ディスプレイをぐるっと。売り場面積はそれほど広くないし、雑誌メインのよくある「駅の本屋」なので、却って買う本が決められません。世の団塊世代は、こういうときに新書の豆知識本を買って雑学を増やしていったのか、とかどうでもいいことを考えたり。

そんな中、売上ランキングディスプレイの第一位は当然ながら『オレたちバブル入行組』。出版されたとき、書評を見て絶対おもしろいだろうと思ったんだけど、「バブル入社世代」に猛烈な反発を抱く((笑))バブル崩壊後入社世代である団塊ジュニア世代の私は、バブル入行組が祭り上げられるその筋書きへの嫌悪感にどうしても耐えられず手を伸ばせなかったという過去。もちろん、彼らも大変なことはあったと思いますし、私たちよりも後の世代でも活躍している世代はありますから、時代のせいにはできないのですが、得も言われぬ嫌悪感というのは払拭できんのです。この辺の「魂」の部分というのは、おいおい整理していきたいと思い続けてます。

で、『オレたちバブル入行組』は買わなかったんですが、ドラマについてのニュースや記事を読む中で、主演の堺雅人氏が『文・堺雅人』という書籍を出したことを知っていたのでそちらを購入。最近の刊行かなと思ったら、2009年だったんですね。やっぱり仕事をきちんとやる人というのは、波が来た時に嵩にかかるやり方ではなくて、やるべき時にきちんとやってきてるんですね。

文・堺雅人 (文春文庫)
 堺 雅人

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独走会 - 生駒-宇治田原-水口-日野-永源寺-八風街道-多度

自分史上最悪の苦戦。最低の出来。それでも多度まで行き着いた達成感は次の自信になりそう。
初秋と言っていい気候になってきたので、いよいよツーリングの季節の本番入り。ということでまずは前々から考えていた岐阜行きにトライしてみることに。NHKBSで隔シーズンで放送している火野正平の「こころ旅」で、養老鉄道というのが日中の一部の便がサイクルトレインというのを見て一度乗ってみたいなと思い、ルートをあれこれ調べて考えたのが:
  • 養老鉄道のサイクルトレイン体験。桑名行サイクルトレインの最終が桑名16時頃着なので、それまでに養老鉄道に乗れるように走る。
  • できれば養老の滝に。でも生駒から150kmを超えるので、養老鉄道のことを考えると厳しいかも。
  • 日野から八風街道で鈴鹿峠越え。途中に永源寺、永源寺ダム、4kmの石槫トンネルというのがあって、それが結構な名所らしい。
その結果がこのルート:

 

約130kmを8時間。想定より1時間以上遅い。総獲得標高1,384m。まあまあ良く登ったとは思いますが、これまでのロングライドに比べて大幅に高いという訳ではないです。水口でご飯を食べる70kmくらいまでは約3時間半で想定通り、それほど疲れも感じず順調だったのに、水口を出て日野水口グリーンバイパスに入ってぱたっと足が止まりました。なんでもない傾斜と思うのに、全然足が回らない。このコース、苦しいのは100km前後にある鈴鹿峠越えの傾斜7% 4kmだけだと思ってたので、そこまであと30kmも残した状態でそれだと、精神的にもかなり参ってきます。

家に帰って再度コースを精査して得た教訓:
  • かなり入念に調べたつもりだけど、ルートラボで100km超えるルートを描いて傾斜を調べると、特に今回のように一点でかなり高い標高があると、途中に細かく点在するきつい登りが全然拾えない。区間を絞って引き直してみたら、日野水口グリーンバイパスから八風街道に入るまでの間、傾斜10%~15%が何度も現れてた。
  • なんと言っても山あいの田舎道は厳しい。アップダウンが頻繁にある。いっそ登りっぱなしのほうが楽だったりする。
  • 「そのルートがロードで走れるかどうか」というのを、ネットで予めいつも調べて大丈夫というのを確認してコースに組み入れるんだけど、そこに行き着くまでに自分がどれくらいの距離走ってるか」というのを今まで全く考慮してなかった。

それにしてもあの疲れ方は初めて。登り、心拍は全然辛くないんだけど足が全く回らない。愛用のメイタン・サイクルチャージもあんまり効いてくれない。疲労回復力が弱いのか、そもそもペダリングがまずくて速筋ばかり使って回してるのか。きちんと分析して練習しよう。

なんとか永源寺に辿り着いて、もう日野に引き返して電車で帰ってしまおうかと思ったけれど、ここまで来て引き返してたまるか、養老の滝は行けなくても養老鉄道までは絶対に行って見せる、と意地を出せたことは覚えておいていいかな。


永源寺入り口のちょっとした滝。これで滝を見たつもりでお茶を濁しそうになったところ。


永源寺に向かう階段。もうまったく登る気力体力なし。御朱印帳持参でしたが全く気力なし。地べたにへたり込んでリアルゴールド飲んで15分休憩を決め込んだ後、「とにかく養老鉄道までは行く。多度までは行く」と奮い立つ。


鈴鹿峠越えの途中、心拍も息もまったく問題ないのにどうしても足が痛くて回せず、ちょっと止められるところがあったので止めて座って途中のコンビニで買ったローヤルゼリー入りの流動食食べてたらスズメバチに集られる!ぜんぜん休憩にならず慌てて再び走り出す。


八風街道の名所、石槫トンネル。元は「酷道」として中部地方で名高い石槫峠が名所だったそうで、その峠道を通らずして鈴鹿峠を越えられるトンネル。しかし、4kmの間、それほど路肩が広くないトンネルを走るのは結構な恐怖。下りでよかった。八風街道で何人かロードとすれ違ったけど、彼らはあのトンネルを登ってきたのか…でも登り側は路肩がちゃんとあったな。


養老鉄道多度駅。近辺に大きな鳥居の多度大社がありましたが目もくれず。いなべに辿り着いたとき、位置確認してると目の前を黄色いかわいらしい車両の三岐鉄道が走って行ってあれに乗るのもいいかな、とか、どうせ桑名から乗るんだからこのまま南下して桑名に行こうか、とか過るものの、意地を通して多度へ。このラスト10kmもなかなか堪えました。なんどアップダウンさせるのかと・・・。


ただ、総じてルート的には川辺あり、峠あり、抜けた後は平地だし、余裕をもってツーリングするにはうってつけだと思います。苦しければ苦しかったほど、振り返ると楽しかったと思うのがロングライドの不思議です。

感情の展示 - チェルノブイリから「フクシマ」へ-開沼博/『チェルノブイリダークツーリズムガイド』

この写真のように、チェルノブイリの第一中央制御室は2013年の現在も現役で、作業員が働いている。諸外国が福島を大雑把に捉えるのに憤りを感じていても、自分もチェルノブイリはチェルノブイリという都市ごと荒廃していて、発電所など既に機能していないと思い込んでいた。

「日本の戦争関連の博物館やドイツのアイシュヴィッツなどでは、しばしば責任の所在が裏テーマになっている。それは、日本の軍国主義や帝国主義であったり、ドイツのナチスだったりするしかし、ここではそのような責任の所在、絶対的な悪の存在が感じられない。責任の所在はどこにあるのか」
彼女の答えは明快だった。
「全員だ」

「フクシマ」をめぐる二年間の議論においては、「わかりやすい議論」「カタルシスを得やすい結論」をメディアが描き、あるいはそれを少なからぬ人々が求めていた状況の中で、「敵」を探す形での描写が行われてきたのではないか。

チェルノブイリ博物館は、抽象的でアーティスティックで、感情や主観に訴えかける展示がなされているとのこと。日本の博物館は、物や数字をドキュメンタリー的に客観的事実として提示して、その受け取り方は観る側に委ねる形が大多数で、それが正であると思われている。

どうして、(少なくとも)日本では、客観的な展示の仕方が「正」なんだろう?展示に感情を交えることに対して確かに拒絶感はある。その拒絶感を手繰っていくと、「ウェットな日本人のメンタリティ」という否定的な言葉に辿り着いた。どうして「ウェット」であることに、否定的なニュアンスを含めるのだろう?それは、「同質性の強要」を感じさせるからだと思う。ウェットであるというのは「あなたとわたしは同じ」という感覚。展示に感情が混じっていると、その発信者側は、その感情に対して異論を挟むことを拒んでいるように感じる。この「同質性の強要」が、当たり前だけど人それぞれの受け取り方を許さない発信方法を日本では助長しているのだと思う。

責任の所在をまず探し求めるというのも、同じところが出発点ではないかと思う。「責任は全員にある」という考え方は、特に、フクシマについて語っている外国人のブログ等で時々見かけるけれど、自分も含めて日本ではあまり見かけない。日本では「責任は全員にある」ということを、本来責任を取らなければいけない立場にある者が平然と使ってしまうところがある。それを封じるためには、「責任は全員にある」という考え方をタブーにするしかなかったのかも知れない。けれども、「責任は全員にある」という認識から出発する思考を少しでも多くの人が持つように広げていかない限り、福島原発事故を歴史の中に位置づけることができないと思う。

4907188013 チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1
東 浩紀 津田 大介 開沼 博 速水 健朗 井出 明 新津保 建秀
ゲンロン 2013-07-04

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作文

「決まったことを、決まったとおり、キチンとやる」だけで生産性は3倍になるという。13分冊、計1994ページの店舗マニュアル(MUJIGRAM(ムジグラム))の秘密を公開した。

「ホウレンソウ」は、人の成長の芽を摘む
松井忠三・良品計画会長に聞く

「ホウ・レン・ソウ」というのは基本的にはピラミッド型組織のより上の階層が、より下層での活動の状況を逐一把握したいという「欲求」から来るもので、「ホウ・レン・ソウ」はビジネス上当然のことと下層の立場が思ってしまう背景は、不都合な事実はできれば隠しておきたいという「欲求」と、本来それは説明できなければいけないことだという「倫理観」と、上の立場からの監督がなければ怠けてしまうということを認めているところから来るのだと思う。だから、「ホウレンソウは人の成長の芽を摘む」というのは正しい指摘だと思う。「ホウレンソウ」と監督のセットでなければ怠けてしまうというのは自律性がないということで、そこには成長はない。成長のない社員の組織に成長はない。その仕組みを、下層の状況を逐一把握したいという上層部の「欲求」が助長してしまう。ホウレンソウによって下層の状況を逐一把握したいという「欲求」に負けてしまうのも、上層部の「怠惰」と言っていいような気もする。

最近、その「ホウレンソウ」にしても、これはまるで「作文」だな、という報告書がたくさんある。ビジネス上のレポートとは思えないような言葉づかいと感情丸出しの長文の羅列。まだできてもいないのに「素晴らしい経過で順調です」という自画自賛。とてつもないことをやっているという印象付け。本来、日報や週報や月報の類は、作文ではないと思う。あまりに内容のない2,3行の報告もどうかと思っては来たけど、無駄な作文もどうかと思う。

評価基準

新・ルソンの壺、人を育て 技を伝える~中小企業の生き残り戦略~を観て、評価基準について考えた。山岡製作所では「スーパー職人」という一種の認定制度があり、かつ、弟子の成長度合が師匠の評価に反映される仕組が構築されている。これと、部下のノルマ達成率の総計が上司の評価である仕組とは、似ているようで確かに何かが違う。もう一つ、等級が決まっていても、その等級が「取引」に利用されることが常態化すると、職場のモラールを崩壊させる。達成率が唯一のメトリックとなっているような企業で、それ以外の要因で給与が上昇するようなことがあると不公平感以上の悪影響が広がる。

 『新・ルソンの壺』を観てそこまで考えたのは、先週に米マイクロソフトのバルマーCEO、1年以内に退任というニュースがあったことが若干影響していると思う。バルマーCEOの退任は、マイクロソフト社内における従来型のWindowsビジネスの地位低下を明確に表していると思う。これは、PC・スマホ・タブレットにおけるマイクロソフトのOSシェアが22%に過ぎないという事実を受け止めている。これは、現在の足を引っ張る過去の功績と決別するという必要であり大切な決断だ。将来の主要事業ではないことがはっきりしている事業の現在の業績が前年度比や前四半期比で華々しかったからと言ってそれが高く評価されると、企業内での士気は下がる。有体に言うと「白ける」。過去の功績を振り回す事業部の存在や、「そうは言え、現在の収益の過半がこの事業から生み出されている」という強弁。これらを意図的に継続的に抑制するのは容易いことではないということだろう。

独走会 - 平城宮跡、猿沢池、樫舎

夏らしい夏のポタリングおさめ。

朝の涼しい6時台から走ろうと思いつつ日頃の寝不足で目覚まし通り起きても二度寝、うだうだいうのも気持ちよくてのろのろ準備して漕ぎ始めたのは8時前、行先決めずにふらっと走るときの行先は決まって平城宮跡、太極殿と朱雀門を回りつつ、9時にならまちに着けば朝一番で樫舎の氷が食べられるなと、猿沢池の周りをくるくるしたのちにお目当ての氷。

また来年もあるさという気持ちと、もう今年で最後かもという気持ち。ちょうど良いバランスの今しか湧き上がらない感情と言葉を大切に。