街の本屋で本を買う - 2013/09/27 紀伊國屋書店梅田本店

紀伊國屋の梅田本店と言うのは、デカいだけでごちゃごちゃしてて人も多くて見づらくて見づらいのに本の「姿」はあまり感じられなくて好きじゃなくなって当分行ってなかったんだけど、機会があって入ってみたら、僕は今回北西側の入り口から入ったんだけど、そこからビッグマン側の出入り口までほぼ斜めに店内を突っ切れるレイアウトは結構目に飛び込みやすくなっていて好印象だった。

でも特に何を買うこともなくビッグマンから出ようと思った最後の最後に目に飛び込んだ、よしもとばなな。続いて村上春樹も目に飛び込んだんだけど、府立図書館で『魔の山』借りてきたとこなんだけど、やっぱりその魅力にはあらがえずよしもとばなな『スナックちどり』お買い上げ。

好きな作家の新刊はもちろんチェックしているつもりなんだけど、やっぱりたまにチェックできていないことがあって、おまけにチェック漏れてたものの発売日に偶然出くわしてしまうとそりゃやっぱり買わない手はないよね。

416382510X スナックちどり
よしもと ばなな
文藝春秋 2013-09-27

by G-Tools

誰かが追いかける背中になること

この業界、あまり詳しくは書けないけれど、会社を辞める人が立て続く時期というのがある。今、まさに立て続いているんだけど、その中に、私とほぼ同じ頃に入社して、3,4年同じチームで仕事をしていた、とても仕事の出来る5歳ほど年下の男性がいた。先週一杯で退職で、辞めることを知ったのは先週の火曜日、それも人づてだった。

彼と同じチームで仕事をしていたときは本当に飛ぶ鳥を落とす勢いというか、物凄くうまく行っていたチームだった。私は転職して1,2年の頃で、まだもう一つ社内組織も事情もワークフローもそれどころか製品さえ万全に把握できておらず、そんなところを一から十まで細かく丁寧にフォローしてくれたのが彼だった。何かにつけ細部まで完璧で、私はお客様のところで案件をどういう方向で進めれば満足して頂けるか、大枠の方向性を間違えないようにすることに集中すればよかった。とても信頼できるチームメイトだった。

それで、「辞めるって聞きましたよ」とメールしたら、彼から丁寧な返信がもらえた。だいたい、そういうときのメールに書かれる内容というのはマイナスなことはないものだけれど、彼がそのメールに、私の仕事ぶりに影響され、同じ職種を目指してみたいと思っていました、と綴られていて、話半分でも非常に嬉しかった。自分の仕事ぶりが、誰かの励みになれたのなら、それによってチームメイトとしてのその人を失うことになるとしても、自分のやっていることは間違っていないと自信を持てるありがたいことだ。

自分の背中が、誰かにとって追いかける目標になれていた自分は、少し誇りにしてもいいんじゃないかと思った。これは自分にとってとても励みになる。サラリーマンとしてこの年になって、こういった励みはなかなか巡り合えるものではない。だからこそ、胸に大事に灯しながら明日からも努力しようと思う。

街の本屋で本を買う - 2013/09/24 ブックスキヨスク新大阪駅店

flipboardをパラパラ捲っていたら、アスキークラウド最新号の紹介が。使うアテはないけれど無闇に気になっている決済サービス"Square"の特集で、翌日振込等の常識破りのサービスを展開しつつ、カード会社への手数料支払等を考えると実際に利益を出せるビジネスなのか?というところに踏み込んでいる内容とあり、これは買いだと新大阪駅で降りると同時に即購入。

しかし雑誌はどこでも置いているしどこでも買えるから、こういうのこそ地元の本屋で買うべきといつも思うけど、買いたいと思った時に買わないとそびれたり忘れたりするし、だいたい帰宅時はすでに閉店してる時間帯。やっぱり利便性は優先。

B00F2L44JK アスキークラウド 2013年 11月号 [雑誌]
アスキー・メディアワークス 2013-09-24

by G-Tools

クラウドファンディングとサスティナビリティとアート

前から、クラウドファンディングについてきちんと考えようと思っていました。クラウドファンディングとは、wikipediaによると、

クラウドファンディング(英語:crowd funding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。

となっています。大雑把に言うと「インターネットを使って幅広く事業資金を調達すること」で、その特徴は小口出資が主体で、ベンチャー的に個人で起業する人にとって有力な資金調達手段であり得ることだと言えると思います。

数か月前、このクラウドファンディングのことを、「素晴らしい事業を行っていれば、インターネット上で世界中から報酬を支払ってくれる人を集められる、素晴らしい仕組みだ」と書いているブログを読んで、「何を寝言を言ってるんだ」と思ったのがクラウドファンディングについて考え込むきっかけでした。

クラウドファンディングは、文字通り「ファンディング」です。「報酬」ではない。これから何かを始めたい、だけれでもその元手がない、銀行に出資を願うほど多額も要らないしそこまでの信用力もない、そういう「企業家」が、自分の事業計画をネット上で公表して、ネット上の不特定多数に出資を募る。つまり、クラウドファンディングで調達したお金は「出資」ですから、「償還」しなければならない。利子つけて返さないといけない訳です。

では私はクラウドファンディングのサイトを見て、「これは」と興味をひかれた、おもしろそうな事業に出資するだろうか?答えはノーです。その理由は、今見聞する限り、投資に見合うリターンのある案件は存在しないからです。

クラウドファンディングの出資者に対するリターンは、聞くところによるとほとんどがその事業で生み出される成果物みたいです。たとえば10,000円出資して、よくわからない発明品が手に入ってもしようがない。これは、儲けたいか儲けたくないか、ということとは違います。これがはっきりと「寄付を募る」というのだったら、興味をひかれたおもしろげな案件に、喜んでお金を出すと思います。「ファンディング」と名乗っているのにこれだから、出資する気にならないのです。

銀行の融資の仕組も、株式会社の仕組も、経済活動上その必要性があるからああいう形態になっている訳です。その多くは「信用」に関わるところだと思います。だから、融資の仕組も株式の仕組も長続きしている。でははたして、クラウドファンディングの仕組が長続きするか?今のところ、日本では私はノーだと思います。物珍しいから面白がってお金を出している人が多くいるうちは続くと思いますが、面白がって出すお金には限度があります。それに面白がる鮮度も限度があります。おまけに、そうそう面白い案件が出てくることはないですし、真に面白い案件であれば銀行から出資を受けることもできるはずです。そう考えると、リスクは高いのに満足なリターンのないクラウドファンディングが続けば、そこにサスティナビリティがあるかないかは明白なように思います。

このクラウドファンディングをアートに応用している活動もいくつかあるようですが、出資が必要なアート活動というのはどういうものなのか考えてみました。例えば映画を創る。そのための資金が必要である。ならばその調達資金は当然、上映の売上から返すべきお金になる。こういうことならわかる。しかし、調達したお金は芸術家の食い扶持で、出資に対するリターンは展示会のチケット。こういうのはおそらく続かないと思う。なぜならチケットを買う方が早いし、それのほうが断然全うだから。まず努力するべきは、アウトプットに対する対価を得られるように努力することで、出資を得ようとすることではないと思います。

だから、クラウドファンディングにも寄付型があって、寄付型であれば私は納得できると思います。この筋はきちんと通すべき筋ではないかなと覆います。

独走会 - 酬恩庵一休寺

一休も600年前、この隙間からの秋晴れを眺めたということか。
独走会と言うのは富雄の超絶カッコいい自転車屋TRANSITの走行会「おいしいポタリング」の参加者の(すごくカッコよく言うと)スピンアウトで、「独りで走る愉しさ」を知る大人の集団、ということにしています。その独走会の走行会、「独走会(どくそうえ)」というのをやってまして、集合時間と場所だけ決めて、途中輪行でも何でもいいからそこまでやってこい、という、自転車でやるフラッシュモブ的なことをしてます。先週予定していたのですが台風で取りやめたので、この21日に行ってきました。目的地は酬恩庵一休寺。あの一休さんが晩年を過ごし、お墓もあるお寺です。JR京田辺・近鉄新田辺からほど近いところにあります。

僕の当日のルートはこんな感じ。


行きは生駒から北上し、くろんど池の東・陸上自衛隊祝園駐屯地のすぐ西の山を縫っていくルート。これがたぶん最短距離だと思います。帰りは、行きのルートがずいぶん下りだったことを判っている分、そのルートを引き返す気になれず、近鉄沿いに南下して163で帰りましたが、GARMINのログを見ると、それでもまあまあ登ってる・・・。

今回、若干病み上がりということもあって調子どうかなーと思ってはいたのですが、走りだし当初は「大丈夫かオレ」と思うくらい回らず、心拍数も上がってないし足が痛い訳でもないのにとにかく回すのが辛くて、「あーこれは帰りは輪行決定だな」と思ってたのですが、ちょうど鳥谷を超えて京田辺に入って下りに入ったくらいからだんだん回復し、その後は快適にサイクリングを楽しむことができました。しばらく鈍ってる体を起こすためのウォーミングアップは大切と痛感しました。

それにしても前回の多度ツーリングのときから課題だなと思ってるのが、
  • 2~4%くらいの、普通の速度で走れないといけない坂が異様にきつい

これの解消が目下の課題。何が悪いんだろう?5%を超える坂だと、「坂!」と目にもわかるし体もそれに対応するんだけど、緩い坂のとき、異様にきつく感じる。もうちょっと楽に上れるはずなんだけどな。

ゲームと複雑な感情

携帯電話向けゲームの先駆者、グリーが急失速した。スマートフォン(スマホ)時代についていけず、業績は悪化。一時は任天堂をおびやかすほどの栄華を誇りながら、その天下はわずか3年で終わった。グリーにとって生き残りをかけたサバイバルゲームが始まっている。
グリーの「三年天下」、熾烈なゲーム生存競争  日本経済新聞Web刊 2013/9/2 7:00

 私は就職活動時、第一希望がゲーム業界で、当時で言うところの「ゲームデザイナー」になりたいと準備をした人間で、心からゲームを愛していたので、グリーやディー・エヌ・エーを苦々しく思っていた。小説や漫画や映画と同じように、芸術的要素も持ちうるひとつの娯楽として成り立とうとしていたゲームを、プレイヤーの知恵も工夫も技巧も何も関係ないただの「ボタン押し」に成り下げた主犯格として。ゲームをその程度に矮小化しただけならいざ知らず、「カネを出せば強くなる」式の仕組を持ち込み、おまけにそれをゲームのおもしろさを左右する要素よりもゲームの収益源としての役割を優先させたからだ。言わずと知れた「コンプガチャ」だ。おもしろいゲームがまだまだ世の中にはあるなかで、猫も杓子もゲームと言えばグリーかディー・エヌ・エーかでやるもんだという認識に染まっていくのを、本当に悲しい思いで見ていた。

 しかし一方で、彼らも判っていたように、私たちもグリーやディー・エヌ・エーのモデルが未来永劫に続くとは思っていなかった。なぜならグリーやディー・エヌ・エーのモデルはプラットフォームビジネスだったから。世間のビジネスモデル指南書では「プラットフォームを握る者が世界を制す」とよく書かれていて、それは確かに正しいのだけど、プラットフォームをプラットフォームとして維持し続けることは並大抵のことではない。スマートフォンがシェアを拡大して、アプリというものが各スマートフォンのアプリ購入サイトから購入するのが当たり前になったとき、グリーやディー・エヌ・エーに存在価値はあるだろうか?

 そして満を持したかのように届いたニュースが、「セガなどゲームソフト15社がスマホ向けゲームのユーザー開拓で連携する」というものだった。もちろんグリー、ディー・エヌ・エー外し。

 もちろん、「いい気味だ」という気持ちは禁じ得ない。心から愛するゲームを、ただの「商品」として扱った罰だ。利殖の道具として。ゲームという様式の中でのおもしろさを追求したのではなく、条件反射と禁断症状を利用して釘づけにすることを追求した彼らに「ざまあみろ」と言いたい気持ちはもちろんある。しかしながら、グリーの田中良和氏は如才ないし、経営スキルは高いものを持たれていると思うし、何よりもともとSNSを運営していたところに「商材」としてゲームを扱ったように、扱うものに強いこだわりを持つのではなく、ビジネスの対象として扱うことのできるスキルを持っているので、会社としてのグリーは必ず復活してくると思う。

 なぜ、グリーやディー・エヌ・エーに対して、「ざまあみろ」と散々罵倒すればいい、という気持ちになりきれないのだろう?それは、グリーやディー・エヌ・エーを「利用」してきた外野のほうが、よほど罪深いのではないか、と思うからだ。投資家についてはそうは思わない。うまくリターンを得て勝ち抜けた人はそれだけの才覚があったのだと思うし、そもそもゲーム会社を投資の対象にすること自体に、ゲーム業界を志していた身としては違和感を感じざるを得ない。それが、ゲーム業界が未熟で不安定だという意味ではない。だいたいの世間の人は、ゲームとは何か、ゲーム業界とは何かなんて、ちゃんと理解しようとはしていないと思うからだ。

 ではグリーやディー・エヌ・エーを利用してきた「外野」とは誰か?それは他ならぬ我々IT業界だと思う。言うまでもなく、ゲーム業界は大量のサーバ、ストレージ、高速のネットワーク等々、非常に高性能なIT機器やシステムを必要とする。ある意味で、テクノロジーの最先端業界なのだ。我々IT業界も他の産業界と違わず、最新テクノロジーはどこかで「実験」し、その知見を以て安定化させて一般化し賞品として普及させなければならない。他の業界がどうなのかはよくわからないけれど、我々IT業界ではこの「実験」先は、パブリック・セクター(大学か、公共投資が行われる事業-たとえば「京」)かゲーム業界だ。こういう「実験」が行われるところでは、「先行投資」が行われているので、リターンに対する厳しい目よりは、「絶対価」の高低だけで採用される節がある。かくして我々は、自分たちのノウハウを蓄えるための「実験場」として、最新テクノロジーをゲーム業界に売りつける。

 企業活動においてはどうしても金で時間を買わなければならないフェーズがあるのは承知していて、だからこそ先行投資の必要があることも理解している。けれど、グリーが本当に記事で書かれているほど破綻しているのであれば、そこまで倫理を失わせたのは無暗に車輪を回させた我々にも責任の一端があると言えるのではないか。結局、その果実を手にしているのはやはりクレバーにその場を乗り切っているIT企業だけなのだ。それに最も憤る。ソニーのセルのときもそうだった。

街の本屋で本を買う - 2013/09/16 生駒駅売店

9/14発売だったことを9/14の夜に思い出し、慌てて近所の本屋に駆け込んだけれど在庫なし。昨日は風邪気味で一日おとなしくしていて、今日、散歩がてらに外に出てみて「ひょっとしたら駅の売店にあるかも」と思って覗いたら運よくありました。本屋じゃないですけど。こんな買い方もあるということで。

AERA (アエラ) 2013年 9/23号 [雑誌]
AERA  2013 923
朝日新聞出版 2013-09-14
売り上げランキング :


Amazonで詳しく見る by G-Tools

B'z "LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER-" 2013/09/12@京セラドーム大阪

”正解が欲しい それが幸せ?
その寂しさを僕らは生きる”
(『Q&A』/B'z)

25周年記念ツアーということで、内容はもう正に"Pleasure"ツアーそのもの。20周年のときの神戸ユニバーのほうがスケール感が大きかった印象ですが、きっとトリの日産スタジアムは20周年のときと負けず劣らずの規模感で展開されるんだろうな~と思うと羨ましい。今、関西で屋外で苦情少なく交通の不便も少なくやれるところって少なそうだもんな~。ユニバーなんて21:30過ぎに終演されて規制退場だと、関西圏でも帰るに帰れない人続出だったもんね。

座席はいつものように当日までわかりませんでしたがアリーナ10列だったので満足。Circle of Rockの次くらいに近いかな?Pleasure 2008のときもまあまあ前方だったので、さすがにX周年記念のPleasureはファンクラブ優先を考慮してくれてるのかも。通常ツアーのときはファンクラブ優先でスタンドはおろか落選することあるもんな…。

さて今回のライブですが、振り返っていちばん最初に思い出すのは「やっぱり『C'mon』は名曲だな~」ということ。未だに泣ける。”C'mon"ツアーのときはもうこの一曲だけで十分という感想だったんですが、その想いは変わらないですね。東日本大震災の直後に創られて、アルバムタイトルにもなってリリースされたこの曲。今後ずっとライブで聴きたいと思います。

もう一つは「正しさ」についての一連の流れかな。

"何をどこまで信じればいいか 君が僕に教えてよ"
(『ZERO』/B'z)


"いつでも正しい人なんているのかな"
(『あいかわらずなボクら』/B'z)


暗闇にうかんでるその頬に触れる
誰もがゆずれない正義を抱いて"
(『Q&A』/B'z)



いや、それよりも、「それは年齢とは関係ない」と思わされたこっちかな。

"いつのまにかこの街に 丸め込まれるのは誰?
くだらなかったあの頃に 戻りたい戻りたくない"
(『Pleasure 2013』/B'z)

街の本屋で本を買う - 2013/08/13 ブックスキヨスク小倉駅店

久し振りに小倉に行きましたので、積極的に本を買おうと思ってたのですが、予定が押して駅ビルに立ち寄るヒマさえなく、新幹線駅校内のブックスキヨスクにて。

去年から「街の本屋で本を買う」ってことをやってるのですが、傾向を見ると、出張先で本を買っている比率が高いです。出張時は荷物は多いので、そこに一冊本を増やしたりすると重くて帰り余計に疲れるのは分かってるんですけど、なぜか出先は本を買いたくなる衝動が大きいです。旅と(出張なので旅じゃないけど)本の相性はやはり相当高いのでしょうか?

今回は乗車予定の新幹線まであと30分ない、という状況だったので、とりあえず新幹線に乗る前にwifiコーナーでメールはダウンロードしておきたいし(山陽新幹線は圧倒的にトンネルが多いので、受信済みのメールはできる限り乗車前にダウンロードしておかないとストレスになる)、それほど時間がない中、ディスプレイをぐるっと。売り場面積はそれほど広くないし、雑誌メインのよくある「駅の本屋」なので、却って買う本が決められません。世の団塊世代は、こういうときに新書の豆知識本を買って雑学を増やしていったのか、とかどうでもいいことを考えたり。

そんな中、売上ランキングディスプレイの第一位は当然ながら『オレたちバブル入行組』。出版されたとき、書評を見て絶対おもしろいだろうと思ったんだけど、「バブル入社世代」に猛烈な反発を抱く((笑))バブル崩壊後入社世代である団塊ジュニア世代の私は、バブル入行組が祭り上げられるその筋書きへの嫌悪感にどうしても耐えられず手を伸ばせなかったという過去。もちろん、彼らも大変なことはあったと思いますし、私たちよりも後の世代でも活躍している世代はありますから、時代のせいにはできないのですが、得も言われぬ嫌悪感というのは払拭できんのです。この辺の「魂」の部分というのは、おいおい整理していきたいと思い続けてます。

で、『オレたちバブル入行組』は買わなかったんですが、ドラマについてのニュースや記事を読む中で、主演の堺雅人氏が『文・堺雅人』という書籍を出したことを知っていたのでそちらを購入。最近の刊行かなと思ったら、2009年だったんですね。やっぱり仕事をきちんとやる人というのは、波が来た時に嵩にかかるやり方ではなくて、やるべき時にきちんとやってきてるんですね。

文・堺雅人 (文春文庫)
 堺 雅人

文藝春秋 2013-07-10
売り上げランキング : 808


Amazonで詳しく見る by G-Tools

独走会 - 生駒-宇治田原-水口-日野-永源寺-八風街道-多度

自分史上最悪の苦戦。最低の出来。それでも多度まで行き着いた達成感は次の自信になりそう。
初秋と言っていい気候になってきたので、いよいよツーリングの季節の本番入り。ということでまずは前々から考えていた岐阜行きにトライしてみることに。NHKBSで隔シーズンで放送している火野正平の「こころ旅」で、養老鉄道というのが日中の一部の便がサイクルトレインというのを見て一度乗ってみたいなと思い、ルートをあれこれ調べて考えたのが:
  • 養老鉄道のサイクルトレイン体験。桑名行サイクルトレインの最終が桑名16時頃着なので、それまでに養老鉄道に乗れるように走る。
  • できれば養老の滝に。でも生駒から150kmを超えるので、養老鉄道のことを考えると厳しいかも。
  • 日野から八風街道で鈴鹿峠越え。途中に永源寺、永源寺ダム、4kmの石槫トンネルというのがあって、それが結構な名所らしい。
その結果がこのルート:

 

約130kmを8時間。想定より1時間以上遅い。総獲得標高1,384m。まあまあ良く登ったとは思いますが、これまでのロングライドに比べて大幅に高いという訳ではないです。水口でご飯を食べる70kmくらいまでは約3時間半で想定通り、それほど疲れも感じず順調だったのに、水口を出て日野水口グリーンバイパスに入ってぱたっと足が止まりました。なんでもない傾斜と思うのに、全然足が回らない。このコース、苦しいのは100km前後にある鈴鹿峠越えの傾斜7% 4kmだけだと思ってたので、そこまであと30kmも残した状態でそれだと、精神的にもかなり参ってきます。

家に帰って再度コースを精査して得た教訓:
  • かなり入念に調べたつもりだけど、ルートラボで100km超えるルートを描いて傾斜を調べると、特に今回のように一点でかなり高い標高があると、途中に細かく点在するきつい登りが全然拾えない。区間を絞って引き直してみたら、日野水口グリーンバイパスから八風街道に入るまでの間、傾斜10%~15%が何度も現れてた。
  • なんと言っても山あいの田舎道は厳しい。アップダウンが頻繁にある。いっそ登りっぱなしのほうが楽だったりする。
  • 「そのルートがロードで走れるかどうか」というのを、ネットで予めいつも調べて大丈夫というのを確認してコースに組み入れるんだけど、そこに行き着くまでに自分がどれくらいの距離走ってるか」というのを今まで全く考慮してなかった。

それにしてもあの疲れ方は初めて。登り、心拍は全然辛くないんだけど足が全く回らない。愛用のメイタン・サイクルチャージもあんまり効いてくれない。疲労回復力が弱いのか、そもそもペダリングがまずくて速筋ばかり使って回してるのか。きちんと分析して練習しよう。

なんとか永源寺に辿り着いて、もう日野に引き返して電車で帰ってしまおうかと思ったけれど、ここまで来て引き返してたまるか、養老の滝は行けなくても養老鉄道までは絶対に行って見せる、と意地を出せたことは覚えておいていいかな。


永源寺入り口のちょっとした滝。これで滝を見たつもりでお茶を濁しそうになったところ。


永源寺に向かう階段。もうまったく登る気力体力なし。御朱印帳持参でしたが全く気力なし。地べたにへたり込んでリアルゴールド飲んで15分休憩を決め込んだ後、「とにかく養老鉄道までは行く。多度までは行く」と奮い立つ。


鈴鹿峠越えの途中、心拍も息もまったく問題ないのにどうしても足が痛くて回せず、ちょっと止められるところがあったので止めて座って途中のコンビニで買ったローヤルゼリー入りの流動食食べてたらスズメバチに集られる!ぜんぜん休憩にならず慌てて再び走り出す。


八風街道の名所、石槫トンネル。元は「酷道」として中部地方で名高い石槫峠が名所だったそうで、その峠道を通らずして鈴鹿峠を越えられるトンネル。しかし、4kmの間、それほど路肩が広くないトンネルを走るのは結構な恐怖。下りでよかった。八風街道で何人かロードとすれ違ったけど、彼らはあのトンネルを登ってきたのか…でも登り側は路肩がちゃんとあったな。


養老鉄道多度駅。近辺に大きな鳥居の多度大社がありましたが目もくれず。いなべに辿り着いたとき、位置確認してると目の前を黄色いかわいらしい車両の三岐鉄道が走って行ってあれに乗るのもいいかな、とか、どうせ桑名から乗るんだからこのまま南下して桑名に行こうか、とか過るものの、意地を通して多度へ。このラスト10kmもなかなか堪えました。なんどアップダウンさせるのかと・・・。


ただ、総じてルート的には川辺あり、峠あり、抜けた後は平地だし、余裕をもってツーリングするにはうってつけだと思います。苦しければ苦しかったほど、振り返ると楽しかったと思うのがロングライドの不思議です。