去年辿り着けなかった洞川温泉、「いつかまたチャレンジできる時が来る」と言ったのを果たすべくアタックしましたが、(下調べ不足で)あと1kmで頂上というところで無念の通行止め断念でした。
これが今回のルート。なぜかマイル/フィート表示ですが。
去年辿り着けなかった洞川温泉、「いつかまたチャレンジできる時が来る」と言ったのを果たすべくアタックしましたが、(下調べ不足で)あと1kmで頂上というところで無念の通行止め断念でした。
これが今回のルート。なぜかマイル/フィート表示ですが。
素人の僕にも、ギターの音がよいということは判ったのでした!
先月のpangeaに続いてのLOSTAGE。前日はインターネット放送のDEERs NARA Channelというのに兄弟揃って出てはったんですが、疲れの溜まってた僕は0:30でリタイア。寝ちゃいました。視聴者500名を目指そう!と(DJの人が)言ってましたが(笑)どうなったんでしょう。
この日いちばん印象に残ってるのは、オープニングのエフェクト!僕が行ったライブでああいうオープニングから曲に入ったことないような気がするんだけど、どうだろう?おとぎ話との対バンに合わせてキラキラした音から入ったとか?そんなことないか(笑)。『僕の忘れた言葉達』『あいつ』、あの流れ良いです。
途中、MCで「今日はええ曲いっぱいやるよ」と兄さんが言ってましたが、ほんとにいい曲目白押しでした。「いい曲」というのは言い回しが難しいけれど「聴かせる曲」と言えばいいのか「メロディアスな曲」はちょっと違うな、とにかく大音量感で盛り上がっていくというのではなくて聴き惚れるというか酔いしれるというか、そういう面のある曲をずらりと並べられたように感じました。いつもはNEVERLANDで聴くと他より小さいうえにお客さんが少ないこともあって音圧を感じまくるのが高揚感だったのですが、この日は音が個々の音がすごくくっきり聴こえて、「大音量なのに耳を澄まして聴く」という、不思議な体験をしました。神経を研ぎ澄ませて一音一音聴くのが楽しかった。
そういう意味ではやっぱり『SURRENDER』がベストアクトかな~。pangeaのときとは全然違うと素人の僕でも判るくらい、ギターで変わるもんなんですねえと。めっちゃ聴き入りました。レコードされた音がその曲のあるべき姿の音だと思ってる訳ではないので再現性云々はないですけど、率直に言ってpangeaのときよりこの日の音のほうが好きでした。pangeaのときの、今のLOSTAGEが出している『SURRENDER』も感慨深かったんですが、純粋にこの日の『SURRENDER』はよかったです。美しくて。
さてやっぱり途中五味さんがMCで語ったことについて感想を書かないわけにはいかない訳で。
この日の前日、五味さんのお友達が何かの事故で(兄さんの言葉をそのまま借りると”悪さして”)亡くなったそうで、そのことに思いを馳せながら曲をやります、と言ってました。誰かの死に出くわすたびに、生きていることがありがたいこと、自分に残り時間がそれほどないこと、をつくづくと思いしるし、五味さんもその感情をとても言い表しにくくしているふうでしたが、僕も去年とある出来事があって、残り時間はそんなにないんだと思うようになって、やり方や流儀や新しいメソッドの取得なんかに夢中になるより何をどれだけ実施し何をどれだけ経験するかだろうというふうなスタンスに変わりつつあります。ほんとに残された時間は少ない。その少ない残された時間を、対して思い悩みもせずできるだけ気楽に楽しく過ごすように生きるのもいいし、ただただ経済的充足のためにまっしぐらになって生きるのもいい。でも僕はどうしても、何をどれだけ考えられたかが充実感に繋がる。だからできる限り、残り時間が少ないんだという危機感が、本能的な危機感であり続けるように生きていきたい。
ただ困ったことに、「その間際」の恐怖をふとした瞬間に実感してしまうことが、その危機感に少し鈍感にしているような気がする。
原爆の日の今日、この本を紹介します。ひとりでも多くの人に読んでほしいから、印象に最も残る日だと思うから。
「チェルノブイリ」と「ツーリズム」が、「原発事故跡地」に「観光地化」が結びつくその様は、最初は強烈な違和感を持つかも知れません。不謹慎、という言葉が出てくるかもしれません。しかし、アウシュビッツや広島が観光地化していることを思い返すと、チェルノブイリが観光地化していることはけして不謹慎なものではないと理解できるようになります。それは、チェルノブイリ周辺に暮らす人々の収入源を生み出すという実利的な理由だけでなく、「歴史」を実在のものとしてこの地球上に残存維持していくことの意義を理解できるからです。そういった、歴史の悲劇の面・負の面を見れる場所への観光を、「ダークツーリズム」と呼ぶのだそうです。
本書の「はじめに」でこう語られます。
原爆ドームがあってさえ、今このような状況に進もうとしている現代です。もし、福島を「歴史」として残存維持する努力を怠ったならば、我々には「進歩」はないということになるでしょう。福島第一原子力発電所の事故は、けっして例外的なものではありません。その二十五年前にはチェルノブイリがありました。そしてまた、二十年後、三十年後には(あってはならないことですが)、アジアかアフリカか世界のどこかで同規模の事故が生じるかもしれません。わたしたちは、福島を、そのようなグローバルな事故の連鎖のなかに位置づける必要があります。
じっとしているだけならそれも大きな罪。一般庶民の私にとって、「お題目を唱える以外に」チェルノブイリまで行くことはできないから、例えばこの本を隅々まで読み、チェルノブイリの今を知ることが、「歴史」の残存維持のために私にできることのひとつであり、やらなければならないことのひとつであると思います。チェルノブイリの、福島の記憶は未来に受け継ぐために、「忘れてはならない」とお題目を唱える以外になにができるのか。それが本書を貫く問題意識です。わたしたちは、そのひとつの回答を探るためにチェルノブイリまで行ってきました。
「全国の待機児童25,000人を2017年度までに解消を目指す」というニュースが流れた後のCMで、「禁煙外来は健康保険が利用できます」というのが流れて、うーん、と考え始めたのです。
勝手にタバコ吸い始めてそれで依存症になったりして、それを治すのに健康保険からお金が出るというのはどういうことだ。そもそもタバコを吸わない私などはそう思ってしまう。タバコを止めるというのは、病気を治すのとは違うではないか。しかしアルコールもそうだが依存症にまでなってしまった人は、それを治すために高額な医療費を払ってまでやるとは思えない。だから保険適用を認める。タバコを吸い続けた人が肺癌になったり副流煙で周囲の人が健康を害したりすることによって膨らむ医療費が健康保険支出を増大させているなら、それよりも禁煙外来にかかる保険費用が少ないなら、禁煙外来に保険適用を認めるのが、費用対効果としては正しい。
いや、なんか納得いかん。
そもそもタバコを売らなければいいのだ。そうすれば、肺癌になったり副流煙で周囲の人が健康を害したりすることで発生する医療費がそもそもチャラになるのだ。と言うと、「タバコを吸うことも個人の権利であり自由のひとつである」となる。副流煙が公共の福祉に反しないのかどうかというのは置いておいて、確かにタバコを吸うのは個人の自由なので、「タバコ保険」をつくればよろしい。taspoがあるのだから、タバコ1箱に自動的に「タバコ保険」料を上乗せして、万一喫煙者が肺癌にかかろうものなら、taspoを提示すれば「タバコ保険」が適用されるようにすればよろしい。これがITの正しい使い方だ。我々非喫煙者も支払っている健康保険の勘定丼の中から賄われるというのは誠に受容しがたい。
そういうと「保険の精神に反する」「互助精神が云々」「細分化は社会格差をかんぬん」となる訳ですが、勝手にタバコを吸い始めて、肺癌になって治療をというのはまだしも、禁煙するのに保険適用というのはやっぱり変だと思う訳です。それを解決するためにtaspoと「タバコ保険」による仕組を導入するためにかかる費用が禁煙外来に使う保険費用よりも莫大にかかるというならこればっかりは目を瞑るしかないかと思いますが、そこそこええ線でやれまっせ、ということなら、歯を食いしばってでも防ぐべきモラルハザードがそこにはある、と思わなくもない。
そんなことを財政負担するくらいなら、待機児童解消に予算を回せたほうがいいんじゃないの?と、そのCMを見ながら思って、25,000人ってどのくらいの割合なのか?と思っていろいろ統計を見てみると、wikipediaによると保育所利用数は約220万人。待機児童25,000人というのは約1.1%ということになる。1.1%を解消するためにどれくらいの労力を割くべきなのか?いや、パーセンテージの過多に関わらず、これはゼロにするべきものなのか?とかいろいろ考えていると、テレビのニュースは「社内保育所の閉鎖相次ぐ」と言いだした。
なぜ?待機児童は解消されてないのに?
要は、「児童は増減するが、保育士は常に児童の定員最大に対応できるように雇用しなければいけないので、収支がどうしても合わない」ということだった。これは社内保育所に限らず、公的私的含めて、日本全国で起きている、待機児童問題の根本なのだろうなと思った。
グローバル化が進めば、人は移動しやすくなるし、移動しなければならなくなる。
居住のフレキシビリティが高まるということは、人口の増減も活発になるし、もちろん児童の年次変動も活発になるということ。あたかもゲリラ豪雨のように、ある年はこの地方に人が集まり、ある年は別の地方に人が、というのが当たり前になっている。じゃあ保育所の体制もそれに合わせて柔軟に、とはいかない。保育士さんを減らして、来年子ども多そうだからまた増やす、なんて簡単にいかない。保育士数も不足しているのだから。
クラウドが世間を席巻しているように、なんでも「必要な時に、必要な分だけ」利用できたらそれがいちばんいいに違いない。けれどそうは行かないから冷蔵庫に食料品貯めたり、貯金したり、蓄電したりする訳です。人が動きやすくなったからと言って、じゃあ保育所とか学校とかもフレキシブルに、と、そういう訳にはいかない。フレキシビリティを高められる部分と、フレキシビリティを高めるからこそ、安定的にサービス供給できなければいけないサービスというのがあって、保育所は恐らくその一つに数えられるものだろうと思う。だからやっぱり、禁煙外来に保険を使うよりも、優先順位としてはこちらなんじゃないの?と思う。別に禁煙外来のほうがハイプライオリティです、とニュースで言ってた訳では、ないけれど。
もちろん自分も含めて、今の奈良に最も必要なのは「丁寧な言葉遣い」。だな。
先日、ならまちを巡った際、お店の人とかいろんな人と通りすがりに一言二言話すことになったんですが、奈良の人というのは、けして無礼な言葉遣いではないんだけど、気持ちよい言葉遣いでもない。と一概に決めてかかるのは危険だけど、奈良生まれとしては前々から思ってて、奈良県人というのは若干後ろ向きな話し方をする。つっけんどんというか。そしてちょっとキツい。少し上から見ているようなトーン。
あれはやっぱり奈良県人の内向性というか閉鎖性というか、閉ざしてバリアを張る修正が、言葉遣いに出てるのだと思う。かく言う僕もそういう話し方をする。おまけに僕の場合厄介なのは生まれは奈良だけど小学生になる前から大学卒業するまで三重に住んでて、三重は結構フレンドリーで温かい話し方をするので、それに慣れてしまっていて(笑)奈良に戻ってきたら自分は奈良県人らしい、キツい話し方をするのに同じ奈良県人に話されたら「なんかキツい」と感じてダメージを受けるという(笑)。
NHKBSの「こころたび」でも、他県の方がほがらかに話す中、奈良の週だけはなんかなんというか・・・という感情を抱きながら観てた。決して悪い人間じゃないんだけど奈良県人って、でもフレンドリーじゃないんだよなあ。
言葉遣いというのは心の有り様が現れる、というけれど、言葉が心を規定するというのもまた事実で、使う言葉を意識することで、心の有り様が変わるのも事実だと思う。この試みは口で言う何万倍も大変で、頭の中を流れる言葉の一群というのは自然に流れて行ってしまうので、既にもう完全に規定され言葉遣いとがっちりリンクした枠組みなので変えるのは大変だけど、心持を変える方法というのはこれしかない。言葉遣いを、変えよう。
先週の話になりますが、7/21は第三回独走会(どくそうえ)、おふさ観音でした。
独走会は一回目が長谷寺、二回目が朝護孫子寺と、少しハードめの目的地だったので、今回はド平坦で、あまり遠すぎないところを選んでみました。
おふさ観音は富雄・生駒界隈からだと往復50kmちょっとくらい、近鉄八木駅から2,3kmのところで、夏の間は「風鈴まつり」やってます。境内に「おふさ茶房」があって、風鈴があまた飾られた庭園を縁側越しに眺めながらかき氷を頂けます。奈良の夏のツーリングにお勧めできる目的地です。
境内では、「おふさ観音アートフェスティバル」が開催されているそうです。僕は時間なくて観させて頂けませんでしたが、貼られていたポスターがとてもカッコよく、興味惹かれるものでした。
http://www.ofusa.jp/artblog/2013/07/post-8.html
ルートはこんな感じ。田原本あたりから走った24号大和御所道路がとてつもなく超快走路でした。お勧めです。
教訓:身分証明書は二か所に分散して所持すること。
確か去年の夏、何かのフリーペーパーで「稲妻温泉」というのを見て、「銭湯!なるほど!銭湯に入りに駆けるってのもいいな!」と密かに温めていたライド。のんびりゆっくり、いつもの奈良へ。
ひさしぶりの朱雀門。いつ行ってもそんなに人気がない、そこがお気に入り。
稲妻温泉。ならまちは結構銭湯いっぱいあります。いい感じでアップの終わった体の汗を流して、桶で頭から冷水何倍も被って(シャワーなんて当然ないので)、最後に水風呂入ってシメ!脱衣所で涼んでファンタオレンジ飲んで、せっかくなのでヘルメット被らず歩速でならまちを流してみる。気持ちいい!
そして更に涼みに「なかにし」へ。今年二回目の「なかにし」の氷。ここの氷はしっとり系です。マイルドで優しい冷たさ。
山本あつしさんが個展をやっていらっしゃるというので、藝育カフェ sankakuへ。その名も「ザ」。facebookでちょくちょく「ザ・」から始まるタイトルの写真をアップされてて、おもしろいな~と思ってたので、「画廊ごっこ」と仰ってるし、それならズブの素人がお邪魔してもよかろうと足を運ばせて頂きました。
最初、一週して「ザ・スタチュー・オブ・リバティ」がおもしろくていいなあ、と思ったんですが、意味がわからなかったこの単語を山本さんに聞いてみたらこの一枚が僕の中では一等賞。おもしろいです!
ひとしきり休日のならまちを満喫して、さあ帰ろうと思ったら・・・財布がない!厳密には定期入れなんだけど、そこにお金とカードと免許証(ほんとは保険証を入れたつもりが免許証入れてた)が入ってる。参った・・・とりあえずポケット再確認、鞄再確認。やっぱりない。
「なかにし」でお金払って、ジャージのポケットに入れたところまでは覚えてる。だから、「なかにし」から「sankaku」までのルートで落としてるはず。と思ってもう一度そのルートを辿ってみるけど(実際のところ、「なかにし」から「sankaku」は直線で100mないくらいだけど、ちょっとだけ遠回りした)、やっぱりない。
観念して、まずはカードの停止にかかる。立ち止まれるところないかなあ・・・と探して、元興寺の入口にへたり込んで、クレジットカード、キャッシュカード、PiTaPaの順で停止。こういうとき、スマホって本当に便利だなあと思う。スマホなかったら、紛失連絡の番号調べるだけでも一苦労だし、そもそも電話するのも大変。だって財布落としてるから公衆電話からもかけられないし。昔、一度財布落としてカード停止手続きしたことはあるので雰囲気は判ってたけど、どの窓口も非常にスムースに対応してくれます。
一通り手続き終えたので、警察に紛失届を・・・と、いちばん近い交番をスマホで調べて(こういうときも便利ですよね~)、「ならまち交番」へ。鍵かかってたんだけど中に人がいるっぽいので相図してみたら出てきてくれて、財布落とした旨伝えたら、届いてるとのこと!
なんでもならまちを巡回している係りの人が拾ってくれたそうで、免許証入ってたから名乗ったら一発で判ってもらえました。ただ、財布は既に本署(とおまわりさんは呼んでいた)に持って行ったとのことで、そちらに向かいました。
本署では先にならまち交番に行ったことも伝わっていて、書類の記入だけでスムースに返却してもらえたのですが、最後にいちおう本人確認の手続きがあって、財布ごと落とした僕はこれで結構困りました。ケータイに自分の名前を登録してたりするばよかったんでしょうが、それはそれでケータイを落として悪意ある人に拾われた際困るから登録しないという考え方もあって、僕の出した結論は、「身分証明書の分散」でした。荷物が増えればそれだけ忘れるリスクも高くはなるんですが、鞄の中に入れっぱなしにするなら大丈夫でしょう。
ならまちを巡回しているというその人は、ならまち交番のお巡りさんは知り合いのような感じでしたが、「お礼の権利も放棄されて名乗らなかったので」ということで教えてもらえませんでした。親切な方に拾って頂いて本当にありがたかったです。お礼を直接述べることが叶わぬ中、ここでお礼を申し上げさせて頂きます。
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150kmを目指して走ったものの雨に打たれて115kmでリタイアしましたが、いろいろ多くの課題点が見つかったツーリングでした。
7/7の「轍」さんのツーリングに参加した際の課題点を踏まえて、巡航速度を上げることをいちばんの課題に走りました。生駒を出て三山木・宇治田原を経て石山、そこから琵琶湖沿いに米原へ。石山までの50kmで軽くアップダウンを熟して、湖岸の平坦道をひたすら走りました。
数値的には巡航速度は25.4km/h。ただ、6:00に生駒を出て米原着は12:00。休憩も含めた移動速度は17.8km/h。合計2時間くらい停まってる計算になる。石山までの50kmまでは1度休憩しただけ、途中落石で交互通行になってる箇所が3か所くらいあって、合計しても15分くらいしか停まってないと思う。石山で雨宿り含めて15分休憩して、残りの65kmを3時間15分。単純に割ると20km/h。石山からの65kmはド平坦で湖岸道路で信号も少ないけど70km越えたあたりから腰が痺れ、太腿も辛くなり、休憩の頻度が増えたにも関わらず20km/hで、今の私の体力はこの速度が限界。前半は走行中は概ね30km/h、後半は27km/hを維持していたので、これ以上のスピードで、足を疲れさせずに走るために何が必要なのかを理解してトレーニングする必要がある。
昨日から雨の心配はあったのだけどうまい具合に降られずに済みながら走ってこれたものの、近江八幡を過ぎたあたりで豪雨に降られ、その後はもう延々雨。彦根に入ったあたりで更に強まり、もう全然気持ち立て直せず。米原について、この先、山道に入るのにこの雨が続かれるとさすがに危険だしということで切り上げ。動画は、まだ雨に降られる前、ひまわりじゃないけど黄色い花が咲いてるので気分ツールドフランスごっこで盛り上がってたエリアです(笑)。
以下、恒例の箇条書き:
雨に降られ完全に心が折れた図(笑)。