『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』/ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール

 はじめて電子書籍をリリースして、実感も伴ったところで。

 基本的に僕は紙の書籍が無くなるとは思ってないし、紙の書籍がいいなあという思いも持ってるけれど、盲目的に「本と言えば紙だ」みたいなことを言う人には少し白けてしまう。電子書籍の利便性というのは間違いなくあるし、そもそも、本と言うものが歴史に登場するまでは知は口承だった訳で、その時代には「本って何だよ本って。口承だろ、口承」と思われていたはずなのだ。ノスタルジーにしがみつく姿勢は好きになれないです。

 本著は言わずと知れたウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールが、お互いの家を行き来して行われた対談だそう。「もうすぐ絶滅するという」というタイトルは原タイトルに忠実な訳ではないようだけど、「そんなことちっとも思ってないよ」という空気が出てて、本著によくマッチしてると思います。

 印象に残ってるのは、図書館が全焼するという話がしょっちゅう出てくること。書籍が燃えてしまうということのイメージと、それの象徴的な意味と、そんなこと全然厭わないよ、という3つの軸が展開されるところが面白い。書籍と言えば知、というシンボルと、収集対象、という観点とがあって、めまぐるしく入れ替わる。それと、書籍で興味のあるのは、愚説や嘘の類が書かれているものだ、という箇所。美しいものや優れたものを追いかけていては、人間の知的営みのごく一部しか触れられない、という角度にははっとしたけれど、後半になるにつれて、徐々に若干インテリのスノッブな感じが出てきて語るに落ちたかな、という感じでした。

 でも、書籍の何たるかを考えるには好著だと思います。

4484101130 もうすぐ絶滅するという紙の書物について
ウンベルト・エーコ ジャン=クロード・カリエール 工藤 妙子
阪急コミュニケーションズ 2010-12-17

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『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』/J・K・ローリング

現代の現実社会が舞台でありながら、『ハリー・ポッター』よりも娯楽小説な読後感でした。

と言いながら、実は『ハリー・ポッター』シリーズは、本で読んだことないんです

ストーリーとは別に(やはりストーリーテリングが巧みなので、筋を見失うことなく読み続け読み進められますが、起伏が激しい訳ではなく、ラストも静かに幕を引くような印象があります)、非常に興味深かったのが、各章の始めに書かれている、『地方自治体・自治組織の運営』という書籍?からの引用。

Ⅱ:
p355「自発的な団体の弱点 そのような団体の主たる弱点は、設立時の困難に加えて分裂の可能性が少なくないことである」
p379「貧困の救済 生活困窮者の利益になる贈与は・・・慈善行為と解釈される。また生活困窮者への贈与は、たとえ付随的に富裕者の利益になる場合においても、慈善行為と解釈される」 

チャールズ・アーノルド・ベイカーで検索しても『地方自治体・自治組織の運営』で検索してもなーんも出て来ないので、学の無い僕にはこれが実在なのかフィクションなのか区別がつかないんですけど、それにしてもよく書かれた文章だと思います。

「自発的な団体の弱点は、分裂の可能性が少なくないことである」これは、地方議会等を思い描いて堅苦しく考えなくても、身近で作ったサークルとかグループとか、作らなくとも自然発生した集まりなんかでも容易に思い当たる。これを、どうやれば維持していけるか、と考える方向もあれば、以前読んだ『来たるべき蜂起』のように、コミューンは必ず分裂されてしかるべきものだ、と、コミューンの本質を大事にする方向もあれば、僕のように端から単独に重きを置くという方向もある。どれかが何かから逃げている、という訳ではないと思う。

「生活困窮者への贈与は、たとえ付随的に富裕者の利益になる場合においても、慈善行為と解釈される」 これなんかは流石によく考え抜かれているなあとほとほと感心しました。日本だと、行為の結果がどうあれ、それを行うに至った考え方がヨコシマなら許されないとか、「付随的に利益」があるなら「汚い」とか言い募る風景がすぐに思い浮かぶ。全方位的に、抜け穴なく評価する姿勢はとても大事なことだけど、全方位的に評価した結果、総じて「どう」なのか、ということを判断する意識が、日本の民主主義には欠けていると思う。

4062180227 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 1
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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4062180235 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 2
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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友を訪ねて二十五里

大学時代からの親友に会いに、津まで走ってきました。一里=3.9kmなので二十五里だと若干少な目ですが、語呂がいいのと謙虚に行こうということで。

 

彼は桑名在住で、走ったことないルートだし丁度いいかと思っていたのですが、奥さんの出産があって週末は津にいるということで目的地は津。正直、津に向かうルートは結構走ってて飽きてたのですが、伊賀上野から津への163号は走ったことがなかったのでこのルートを選択。伊賀上野までは、前回の伊勢行で走った369号→県道4号から25号というルートを。月ヶ瀬梅林を通るからなんですが、やっぱりちょっと早かったです。

 

15km地点。朝8:30くらいの太極殿。

 

27km地点。たぶん、369号のピーク、円成寺手前だと思います。下りで路面に雪はちょっと怖いですが、身に染みる寒さの中を走るのは嫌いではないのです。

ただ、足先の冷えはやはり厳しい。太腿や脹脛の冷えはスパッツ等で改善できるけど、足先の冷えはなかなかよい方法がありません。シューズカバーも買いましたが、あんまり効果が感じられず今回はしなかったのですが、しないよりはしたほうがましだったかな~と後悔。柳生に着いたところでシューズ緩めて陽に当てて休憩して冷えと痺れを取りました。

 

42km地点。月ヶ瀬梅林は(いちおう事前にHPでまだ蕾というのは見てたのですが)やっぱり蕾でした。369号のアップダウンを終え、10:40位。だいぶ陽が射しコンディションがよくなってきた頃です。

しかし、ここから県道4号に入り、名張川沿いを走って25号に合流して伊賀上野まで出る、平坦の約20km、今回のルートでいちばんフラットと思っていたこの区間がいちばん辛かった。GARMINの走行ログを見ると、アベレージスピードが他の区間に較べて著しく低い訳でもないので、疲労感だけかも知れないけど、回せなくて辛いと感じてたのは事実で、太腿の前の痙攣が収まらなくなったこともあって一度停車してサイクルチャージを摂取。サイクルチャージはほんと短時間で覿面に効きます。

 

60km地点。お昼は伊賀上野の「文雅堂」の白かげラーメン。醤油豚骨です。走り疲れてるとラーメンは避けたいと思うときもありますがこの時は行けました。でも、胃腸も疲れていることは経験上よく知ってるのでよくよく噛んで食べるよう心掛けました。あと、水分で胃が膨れるのも辛くなると知っているので、スープを飲みたいのも我慢。12:00頃出発、後半戦!

 

伊賀上野から163号に入り、新大仏寺まで3%~4%の登りが約20km続くので、この区間がヤマと思ってたのですが、サイクルチャージとラーメンでエネルギー補給したからかお昼休憩をはさんだからか、全く辛さもなく退屈感もなく走り切れました。足が回転についていけずペダルをカンカン言わせることもなく。ただ、お尻がめちゃくちゃ痛かった!インナーパンツのパッドが大分へたったことを痛感。

 

78km地点。新大沸寺です。新大佛寺は真言宗智山派のお寺で、全国七か所の東大寺別所の一つだそうです。大門には真っ赤ですがちゃんと阿形・吽形がいます。

 

向かって右が大仏殿。中にはちゃんと縮小版の大仏様が。お参りしましたがもちろん撮影は遠慮させて頂きました。御朱印帳持参でしたので、初めて県外の御朱印を頂きました。それが東大寺別所というところにちょっとご満悦。

ここまで来たら、後は下るだけ!163号をひたすら下ります。長野峠越えでは寒さにびっくり。積雪もあり、登ってきたのに体が瞬時に冷えていくのに驚いたのを覚えています。津市街に出ると海が近いからか吹きさらしでは猛烈な向かい風でちょっときつかったりしますが、既にお昼過ぎで温かいので気持ちよく走れました。

 

102km地点。津に到着!学生時代もあんまり行ったことのない(笑)津城跡で記念撮影。振り返ってみると、津に出るならこのルートがいちばん楽かも。

 

という訳で、ツーリングについての箇条書き:

  • 50km前後で足が止まるのは、スタミナの問題もあると思うけど、朝ご飯の量が足りてないからではないか。
  • シューズカバーはないよりあったほうがましかも。
  • ハンドルが若干送り過ぎのような気がする。調整。
  • 登りを楽にするためにリアの空気圧を、履いているタイヤでは固めの90psiまで入れたが、平地ではやっぱり響いて厳しかった。
  • 太腿が冷えることに関してはやっぱりこれといって解はない。冷えるもんはしょうがない。強いて言うと、引き足のときに攣るので、今はサドル高をロングライド用に低めの楽なポジションにしてるのをちょっと上げてあげるくらいか?

 

そして再会したツレと、母校を見学するも冬休み中だし学食系はまったく空いてないし学部校舎も受験中とかで入ったものの追い出されるしで、毎度毎度母校訪問は散々な目に。

ツレは少し時間を取ってくれるということで、近くのファミレスで晩飯。まあ細かいことを改めて書くのも骨が折れるので書かないけど、最近自分に言い聞かせる言葉として、ツレが「キれるな」、オレが「謙虚に」と言ったのがいちばん印象に残った。表現は違えど、そのエッセンスは同じだと思う。考え抜くこと、容易に投げ出さないこと、自分自身を知ること・判ること。同じように歩みを進めている、気心のあう人間がひとりどこかにいるというのはこの上なく幸せなことです。

 

 

無知は無精、それでもつとめよやと不動

近所の神社寺院をあまりにも知らないな、と検索してみて見つかったHPがあまりに格好良かった長弓寺まで走ってきました。

独走会」という、「犀の角のようにただ独り歩め」という仏陀の言葉を引用したfacebookグループを作るほど、独りで黙々と走るのが好きで(大勢で走るのが嫌いという意味じゃありません、独りで走る愉しみも感じるのです)、暫く走ってなかったので今日は近場だと、前々から行きたかった長弓寺に行ってみました。

あまりに格好良いHPが、「長弓寺 薬師院」と書かれていて、わざわざ薬師院を記しているのにちょっと引っかかりを覚えつつ訪れたのですが、訪れて謎が解けました。長弓寺は本堂の他に薬師院、円生院、法華院、宝光院の塔頭からなる塔頭寺院でした。

富雄川からの入口。伊弉諾神社の鳥居です。生駒は神宮寺あるいは寺院の鎮守である神社がとても多いと思います。写真を撮っていると、向こうから歩いてきたおじさんに「どこから?」と尋ねられ、「近所です」と答えると、「今たくさんお参りきてはるわ、名古屋からと言ってた」と教えてもらい、「名古屋!?」と驚き。名古屋から団体で大勢お参りに来られる程、名の知れたお寺だったんだと驚き。

 

門。寺院の門とロードバイクはとても似合う。

 

蓮池。

 

本堂。国宝です。鎌倉時代の様式の典型的な建築とのことですが、軒のせり上がり具合の迫力が好みです。

 

本堂には「御朱印は各塔頭にお越しください」と書き置きがあったので、まずいちばん近くの法華院に行ってみたのですが、「納経所」と札が置かれた窓口は閉ざされていて、屋内に人がいる気配なし。声を出してみる勇気もなかったので、他の塔頭に足を運ぶことに。

 

蓮池のすぐ近くの円生院。「努力」の文字が僕を迎えます。円生院は不動明王が御本尊だそうですが、この掲示をしげしげと眺めてみると、「初不動 一月二十八日 十時~二時半 どなたでもご参加ください」の文字が。鳥居のところでおじさんが言ってたのはこれのことだったんだ。僕は近所なのに何にも知らずやってきて、たまたま出会えたけれどちょうど時間切れで着いてしまったのだ。

何も決めず、ふらっと立ち寄ることの身軽さ、面白さは好きだけれど、知ろうとしなかった無精ゆえの無知で機会を逃すというのはなんとも情けないことだと落胆。行事ごとで忙しくされている納経所に、御朱印を願い出る気持ちにもなれず。「つとめよや」の不動さんの言葉を胸に、今日は静かに引き上げたのでした。

割引券の行方

 浅草に宿を取っているというのになぜか喜多方ラーメンを食べに行った夜、近くの席に座った同世代くらいの女性が、ねぎラーメンの割引券を持ってくるのを忘れたんだけど、と店員に投げかけていた。女性の手元にはねぎラーメン以外の割引券がいくつかあったみたいなんだけど、そう言われてもないものはない訳で店員も困って、ダメですねえと答えるしかなくて、結局そのやり取りがどうなったのかはわからなかった。

 そのやり取りを聞いててふと思い出したのが、なぜか大学生の時、当時つきあっていた彼女に回転寿司を奢ってもらったこと。彼女の友達がその回転寿司屋でバイトをしていて、会計をごまかしてあげるから食べにおいで、と誘われたとかでそのお店に行った。回転寿司はなかなかおいしくて、たらふく食べて、確かに一人1,000円ちょっととかそんなもんだったと思う。彼女の友達が適当にレジを叩いてウィンクしていたのを妙にはっきり覚えている。

 もちろん許されることではないし、こんなことが横行してたらお店に損害が溜まる。というか、厳密であれば帳簿上で発覚する。店員ひとりの、ましてはバイトの独断でやっていいことじゃ、絶対ない。でも、僕らが学生の頃は時代が牧歌的だったのか僕が暮らしていた地域が牧歌的だったのか、これくらいのことはバイトでもやっていた印象があるし、これくらいの権限はバイトでも持っていいという雰囲気だったように思う。
 翻って今自分が勤めている会社では、僕は営業じゃないので見積を出す権限がないけれど、営業の人ですら、自分の家族なんかに破格値でパソコンを売ったりすることはできない。自分が担当している企業じゃなければ見積が出せないというのもあるし、コンプライアンス云々というのもある。詰まるところ、会社が大きくて、個々人の裁量を制限せざるを得ないということ。

 なぜこんなことを思い浮かべたかというと、このラーメン屋の店員さんも、自分のお店じゃないから、割引券を忘れてきたというお客さんに、「じゃあいいですよ、今回は喜多方ラーメンの割引券でねぎラーメン食べてもらって」と簡単に言えないんだろうなあと思ったから。ルールをきちんと守って働くことはもちろん重要なこと。でも、知り合いが来たからちょっとオマケしてあげるとか、割引券忘れたけど違うのでまかなってあげるとか、そういう部分が損なわれて汲々としたほうが、業績が伸びていくものだというふうにはどうしても思えなかった。もちろん横領とかはダメだけれど、意外とここには、働いて稼ぐうえでの大事なことが潜んでいると思った。

街の本屋で本を買う - 2013/01/24 三省堂書店 東京ソラマチ店

 浅草界隈には全く御用がなかったのですが、前後のスケジュールの都合上、浅草に泊まるのが最も効率的のようだったので、浅草にホテルを取り、仕事を終えて引き上げる途中、折角なのでと押上に。

 まだ建築中だったときに押上に来て見上げたことはあったんだけど(確か、ちょうど高さ日本一を更新したくらいの頃)、完成したスカイツリーを間近で見るのは初めて。圧倒的な存在感って、ああいうのを言うんですね~。くらくらしました。

 折角なので登ってみようかなと思ったんですが、雰囲気があまりにもデートスポットな感じで怖気づき、取りあえず本でも買うかと(笑)東京ソラマチ内の三省堂へ。ここは売り場面積自体も広いですが、棚と棚の間の通路もちょっと幅広な感じで動きやすかったです。最近の書店でよく見かける、文具や雑貨の取扱いも、かなりの面積を割いていて、「書店の副業」感がなくてよかったですが、東京だとあのくらいの規模で当たり前なのかな?BookLive!Readerを思いっきりフィーチャーしてたのには驚きというか何とも言えないものがありました。

 出張に合わせて読もうと思ってる本を一冊持ってきてたので、改まって読む本ではなく雑誌を買う気分かなと雑誌棚をぐるぐる回ったり、浅草ってロードバイクの人多いし自分も機会があれば走ってみたいと思ってるし、ここは自転車本を買うかなと思ったりしたのですが、今一つこれだと思うものが見つからず、やっぱりここに来たら建築繋がりかなということで、買ったのは『新建築』でした。¥2,000。

B00AN570E6 新建築 2013年 01月号 [雑誌]
新建築社 2012-12-29

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風邪をひく

 今冬は例年以上によく風邪をひく。2009年の新型インフルエンザ騒動以来、冬場は帰宅時はもちろん、出社時もオフィスについたら手洗い嗽を徹底しているものの、風邪をひいてしまう。もともと風邪に弱いことは自覚しているので、数年前から、風邪を引いたかな?と思ったら早めに市販薬を飲んで鎮めるようにしているんだけど、先月風邪をひいて薬を飲んだ際、治るのは治ったんだけど、数日、寝ても寝ても寝たりないし、目が覚めたとき「ここはどこだ?」という記憶が飛んでるような状態になるし、何をやるにも気力が湧かなくなるし、変だなあと思っていて、これは薬の影響じゃないかと考え、今回の風邪は薬を使わないでおこうとしてみた。

 だいたい、体というのは与えられるものに徐々に慣れてしまうものなので、薬も使えば使うほど効かなくなるということを、病気がちだった僕はよくよく知っている。ここ数年、風邪の治りが悪いのも、薬を使うことに体が慣れてしまったからかと、そういう意味でも一度きっちり風邪をひいてみるか、と思ったのだ、が。

 少し寝不足で目の覚めた16日の朝、のどが痛い。「これは引き始めだな」と思いつつ、そのまま博多に出張。日帰り。翌日17日の朝、いつもの時間に起きられず。普通に活動はまだ出来るものの、どれだけ着てもどこにいても冷えが止まらない(悪寒ではない)。その翌日18日は朝なんとか起きれたものの、仕事をしているうちに徐々に体力が削れていき、気力もなくなる状態に。帰宅早々寝てしまう。

 土曜はしんどいながらも普通に過ごし、日曜の今日はほぼ回復。鼻と痰が続く体質なので息苦しさはあるけれど、普通の活動には支障ない。だいたい、発症してから回復するまで4日。土曜日、辛抱ならずに葛根湯を飲んだけれど薬は使わず。

 予定ややりたいことが溜まっているときに限って風邪をひいたりするものだけど、風邪に平常心を乱されてしまうことで余計なロスをするほうがいけないので、割り切って次のチャンスを手にするように、やるべきことをやるように切り替える。それくらいのことは、さすがにできるようになった。

「言動一致」など造作ないことだ、「心言一致」の難さに較べれば

 「有言実行」が持てはやされ、もはやもともとこの言葉がこの形の四字熟語として昔から存在しているようになったのは何時頃のことだろう。世の中は生活とビジネスがニアリーどころかイコールで結ばれるようになり、晩御飯のメニューにまで説明責任が求められ、グローバル化の掛け声のもと、「言わなきゃわからない」が不滅の真理のように崇められるようになった。

 僕は子どもの頃から信じている。言わなきゃわからないヤツは、言ってもわからないのだ。そして、それなら言わないほうがマシなのだ。自分の言ったことに責任を持ち、その通りに行動することなんて、訳もないことだ。自分が思ったことを、思った通りに伝える言葉を紡ぎだすことの途方もない難しさに較べれば。

 自分が思ったことを、思った通りに伝える言葉を見つけることを放棄した人たちを今までに夥しい数見てきた。こういうときにはこういうふうに思うものです、という習俗的習慣や、今の時代はこういうふうに反応するのが当然です、という時代的迎合に、そしてそれは取りも直さず「言葉」から出来ている、そういう「言」を自分の「心」に取り込んで、それを「心」としている人たちを。

 自分の思ったことを、思った通りに伝えようと必死になるとき、そこで直面するのは嘲笑と蔑笑だった。なぜそんなことに一生懸命になるのかと笑われ、必死になればなるほど伝わらないことで笑われた。

 猫も杓子もプレゼンテーションに明け暮れ、「どう話すか」「どう表現するか」ばかりが追及されるが、もし本当に「言わなきゃわからない」と思っているなら、必要なのは「どう話すか」ではなく「どう聞くか」だ。聞く力をどう養うか。相手が話していることの本意を、言葉の枝葉末節に捉われることなく掴み取ろうとする意志。それこそが、「言わなきゃわからない」状況で必要とされる。今のプレゼンテーションばやりは、コミュニケーションの本質を忘れさせている。コミュニケーションは双方向だ。そして、大事なのは「聞く力」だ。

 芸術家の神髄は、表現力にあるのではなくて、これまでの芸術が歩んできた歴史を知っていて、その文脈の中で各芸術家が何を言おうとしているかを読み取れることにある。だからこそ、自分の表現がどのように伝わるかを考えて、自分の思いを表現できるのだ。自分の言葉の範疇でしか、相手の言葉を理解できないような、そんな「有言実行」は要らない。

言葉ひとつ足りないくらいで
全部諦めてしまうのか 

kindleストア日本版をどう活用するか試行錯誤中-『[速習!]ハーバード流インテリジェンス仕事術 問題解決力を高める情報分析のノウハウ』/北岡元

B0079A3GX2 [速習!]ハーバード流インテリジェンス仕事術 問題解決力を高める情報分析のノウハウ
北岡元
PHP研究所  2011-01-31

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 kindleストアの日本版がオープンしたので、何か1冊買ってみようと思い、選んだのがこれ。よく言われるように、日本のkindleストアは紙書籍に比べて大きく安価な訳でもないし、新刊が多くある訳でもないので、「kindleでなければ」という本を選ぶのは結構難しかった。敢えて「kindleで読む」ということを想定すると、僕の場合、kindleで読むのは概ね通勤時間が最適と言える。なぜかというと、特に行きの通勤時間は混んでいるので、鞄から本の出し入れをするのが大変だから。そして、30分弱の時間は、長めの小説を読むのには不適と経験上判っているので、ビジネス本等が向いている。そこで、少し古めで、1,000円前後のビジネス本を買うのがよかろう、という結論に。
 ところが盲点がひとつあった。僕の持っているkindle 3は、日本のkindleストアで買った書籍をダウンロードできない。日本のアカウントに、kindle 3を紐付できないのだ。アカウント結合したら解決なのかも知れないけど、洋書は洋書で入手できる道を残しておきたいので、androidにkindleアプリを入れてそちらで読むことにした。

 結果を言うと、「ビジネス本」をケータイkindleで通勤時に読む、というのは悪くない。ビジネス本は基本的にはノウハウを吸収するものなので、机に向かうような状況じゃないところで読むほうが頭に残ったりする。読み直したいときに、片手ですぐ読み直せる。小説は、小さい画面でページあたりの文字数が少ない状態で読むとストレスがあるが、ビジネス本はフィットすると思う。

 ところで本の内容自体についてですが、意思決定に関するノウハウの基本が非常にコンパクトにまとまっています。しかもそれらがすべて、「エピソード」という例を元に解説されるので、理解が早いです。個人的には「盲点分析」が知っているようで知らないということが判り、使いこなせるよう読み込みました。

「ビッグデータ」x「松岡正剛」で立ち上るはずのない”物語”-『Harvard Business Review ビッグデータ競争元年』

 「ビッグデータ」と「松岡正剛」と並んでると、読まない訳にはいきません!

B00AN570UK Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2013年 02月号 [雑誌]
ダイヤモンド社 2013-01-10

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 松岡氏は「ビッグデータがどれだけあっても、それを”編集的”に捉えられる視点がなければ有効に活用できない」として、編集工学の手法を要約して説明されている。これは、「データ・サイエンティスト」が注目されるのと同じ文脈で、それ自体は至極全うな意見だと思うけれど、「ビッグデータ」の文脈そのものを、少し捉え損なわれているように感じた。

 (主に)企業が、「ビッグデータ」に期待しているのは、正に「編集的な能力がなくても、自動的に”物語”を抽出してくれる技術」のように見えているからだ。ビッグデータそのものが、イコール物語だとはさすがに思っていない。ただ、ビッグデータから物語を抽出するのに、いちいち「仮説」を考えないといけないようだと、(商用)ITとしての「ビッグデータ」には価値がない。少なくとも、ほとんど売れない。
 そして、完璧な"物語"の抽出など求めている人も、たぶんほとんどいないと思う。今までのDWHよりは物語的な物語を、自動で抽出してくれる装置として、ビッグデータに注目している。それは完璧でなくても構わない、Web2.0以降の「ベータ社会」よろしく、自動抽出された半完成の物語、「物語ベータ」で以て一旦企業活動を回してみる。それをフィードバックする。そういうことを意図している。いわば、編集を不要化したいのだ。なぜなら、ITを頼むというのは、本来的に自動化することであり、「誰でも出来る」ようにするのがその本質だから。物語の抽出さえ、経営者は「個人のスキル」に依拠したくないのだ。

 この「IT(ビジネス)の本質」に届いていなかった分、松岡氏の稿は期待外れでした。