晩秋の遠足、若草山と古の墓参

太安万侶は、日本最古の歴史書である『古事記』を編纂した人物です。古事記編纂1,300年を思い出し、これを好機と遠足の行先に太安万侶墓を選びました。

最初はCYCLE SPORT.jpの「まんま・AO-HANI Cycling Team誕生」という記事を見て青葉仁会のことを思い出し、いつか行こうと思っていたハーブクラブに行こうと思ったんですが、若草山に登りたいとも思ってて、ハーブクラブまで行くとちょっとキツいかなと思い、その途中にある太安万侶墓を行先に選びました。

 

若草山へは春日山遊歩道で登ります。今日は春日大社で七五三があるようで人出が多かったんですが、春日山遊歩道もボーイスカウト風な集団や写真愛好家のご老人集団といった方々がたくさん登っていました。自転車も結構見ましたが、なにせ昨日の雨で、塗れ落ち葉がびっしり敷き詰められていて、スリップして大変でした。

 

若草山は何度来てもよい眺めです。今日もたくさんの人が登頂してきましたが、30歳前後と思われる、体格の良い男性二人(恐らく、バイクツーリングしてきたと思われる格好でした)が、「ええなあ」「な、結構ええやろ?」と言ってたのが嬉しかった。若草山に馴染みのある一方の人が、もう一方の人を連れてきたのでしょう。

 

登りも大変ですが、下りも大変。スリップしないよう気をつけながら下ります。途中、トレッキングをしている中年?女性にすれ違うときに「登り大変やったやろ?私もロードもってるけどなあ」とおっきな声で話し掛けられました。

 

お昼は、昨日なにげなく「食べログ」を見ていたら奈良のベストレストランの第3位だった「タリカロ」。注釈に「激辛カリー」と書かれていて、激辛好きとしては見逃すわけにはいきません。本日のスペシャルカレーを頂きましたが、確かに辛い。納得できる辛さです。周りを固めている豆カリーや豆せんべいが、その辛さを和らげるように、ごはんに混ぜて食べるということを教えてくれました。辛さも満足ですが、店員さんの説明や、席に書かれている説明なども親切で、よりカリーを味わえると思います。

 

高畑から県道80号で太安万侶墓を目指します。約7km、平均勾配6%の坂が続きます。最近、余りトレーニングをしていないので、心拍数がすぐ上がってしまうのと、どうも太腿の筋肉が疲れやすく疲れが抜けにくくなっていて、全然登れず、走り慣れたライダーに「こんにちは!」と元気に声を掛けられパスされました。

 

坂を上り切り、183号線に入ってからは、ロードバイクはおろか、通行人も車も全くありません。のんびり、山道を走ります。

 

「太安万侶の墓は茶畑の中にある」ということを読んでいたので、茶畑の広がるところが来たら注意しようと思っていたのですが、左手に茶畑が見えると同時に右手にトイレと思しき建物があったので、ちょっと休憩しようと停止したら、そこに「太安万侶墓」の文字。

 

こんな高台にそれはあります。

 

近くの茶畑で何かの作業をしているおじさんひとりだけ、後はほんとに人の気配は全くなし。太安万侶の生きた時代は人も少なくこんな気配だったのか、それともこの辺りも平城京周辺同様の賑わった場所だったのか。古事記が記しているのはそれよりももっとずっと過去のことな訳です。

 

途中、こんなダムがあるんですが、行きは寄ってみる気力もありません。

 

下山。見晴らしの良い下りの先に、馴染の盆地。

コースはこちら。

 

この後、春日野園地に立ち寄り、はっとして写真を撮り、フロレスタに寄り、TRANSITに寄ってコーヒー奢ってもらって、スペアチューブ買って帰ってきました。総獲得標高1,000km余り。まあまあ登った、晩秋の遠足でした。

お客様を持つということ

 今の会社に転職して1,2年経った頃、昔勤めていた会社と仕事をすることがあり、その担当者の方が先輩で、一頻り転職の経緯などを話した後、その先輩が「これからはどこかのお客さんと強い関係を築いてやっていくことになるんやろねえ」ということを仰った。そのときは、その言葉の意味を、よく判ったつもりでいたのだけど、今、ふと思い出した。

 お客様を担当するというのは、そのお客様に自社との取引をする気持ちになって頂けるのが大前提だから、お客様に信頼してもらえなくてはならない。一方、自分の会社が存続するためには、存続している間は継続的に売上がなければならない。つまり、長期に渡って自社を信用してくれるお客様を持つか、自社と取引してくれる会社を次々と見つけていくか、ということに大雑把に分けられる。

 信用してもらうためには、一定の時間がかかる。一時期だけなら信用してもらうのは容易い。続けられそうもない許容量オーバーなサービスと努力を集中すればいい。そうすれば、とっかかりの信用は得られる。でもそれは、会社として継続可能なものではない。なぜなら「個人営業」だから。
 こういった許容量オーバーなサービスを欲する会社というのは、成長企業であることが多いから、金払いもよいことが多い。成長途上ということは会社としてもまだ小規模で小回りが利く。しかし、成長企業の金回りの良さというのは、それらの企業群のうちの多くが消えてなくなる。つまり、信用してもらうための努力を続けても無駄になる可能性が高い。それを承知で、多数の会社を相手に取引相手を次々と見つけていくやり方になる。この戦法は、続かない。なぜなら、もともと許容量オーバーなサービスと努力を集中しているから。それは、会社として提供できるサービスではないからだ。

 目下、スタートアップとかベンチャーとか企業とか、新興企業が持てはやされて久しいけれど、それらの企業は多くが消えてなくなるというリスクを、取引相手として見たときに忘れてしまっている会社は結構多いと思う。長く続いている業種業界は、長く続いているだけの理由がある。そういった会社と取引をするためのスタンスというのは、いかに信用してもらい、それが長期的に継続できるものかという、非常に高度なものになる。それこそが「お客様を持つということ」だと思う。

『火口のふたり』/白石一文

震災・自然災害、原発、男女の違い、セックス、テーマは括り易く、括り易いと言えど幾重にも折り重なっているのだけど、最も強く迫ってきたのは「この国はいまや東と西で真っ二つに割れてしまったのだ」というものだ。

肌で感じていることだけど、自分達を含めて西日本の人間は、震災被害に関して全くもって鈍感で、被害を実際に受けていないとはいえ、意識は持たないといけないのではないかという僕の問い掛けに、真剣に答えてくれた人はひとりもいなかった。だいたい一様に、「実際に被害を受けていないんだからどっちみちわからない、そんなこと四六時中気に病んで生きていく必要はない」という答えだった。本著で書かれている通り、今や西日本で、スーパーで野菜を買う際に放射能に神経質になる人はいないだろう。何故なら、地元産の、つまり、放射能汚染の心配がほぼない野菜が並んでいるから。東日本にとって、地元産が並ぶと言うことはその正反対のことを意味するのだ。

本著が秀逸なのは、このことを、「今や国民の関心はブラジルワールドカップ。原発は気を引くネタではなくなった」と表現するところ。つまり、本著は東日本大震災から三年後、2014年を舞台に描かれている。この「超近未来」な舞台設定は、今の自分の意識を浮き彫りにする。つまり、「如何に自分の中で、震災が風化しているのか」を、2014年にどうなっているかという描写を通じて、たぶん自分もそうなってしまうだろうと思うところから、今の自分もすでにそれに近づいている、ということに気づいてしまう。

2014年の日本は、明らかに危機に近づいている。近くない将来、首都圏に直下型地震が来ると言われているのだ。2012年の僕たちよりも、2014年のほうがそれに近づいている。そして、福島原発がそのままなら、巨大地震が来た時に国は終わると言っていいのだ。つまり終焉に近づいて行っている。そこに疑問の余地はない。映画「ハルマゲドン」の比じゃないのだ。なのに、特に西側の僕たちは、そんなことなかったことのような生活を送ってしまっている。これは、問題を引き延ばして考えれば、国は終わらずとも国は終わる。自分が死んだとき、自分にとっての国は終わる。だからと言って、日々「明日俺は死ぬかもしれない」と本気で思って行動出来ている人はごく稀。それと同じことを起こしているのが、事故を起こした原発を抱えた今の日本なのだ。

終局をついに知ったとき、主人公の「賢ちゃん」は、「どうせ終わりなのだから、好きなことをやって生きて行こう」と開き直る。それに対して直子は、「こんなになっても、まだそんないい加減な生き方をするの?」と突き刺してくる。この対比に、「これまでは積み上げていくのが倫理観だったが、不確実性が増す中で、明日を予測して生きるより、その都度その都度で生きていくのが倫理観になる」という、俄かには受け入れがたいけれども的確な反論をすることのできないテーマが絡んで、余韻が尽きない。これは『スイート・ヒアアフター』を読んだ際にも思ったけど、西日本に住む僕たちは絶対に読むべきで、ひとつだけ確かなことは、原発問題に対処するためには、facebookなんかで声を上げていても効果がないということだ。

4309021425 火口のふたり
白石 一文
河出書房新社 2012-11-09

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街の本屋で本を買う - 2012/11/11 三省堂書店 ルクア大阪店

読みたい、読みたい、読みたい、小説が読みたい、おもしろい小説が、それも現代日本作家の小説が読みたい。小説に飢えに飢え、とうとう禁断症状のように本屋に。

図書情報館の乾さんに、丸谷才一を読んだことがなかったので、お勧めをお伺いしていたので、まずはそれを買おうかと思ったら、なんと丸谷才一著作が一冊もない。あんまり使いたくないタチなんだけどやむなく蔵書検索機で調べてみたらやはり在庫欄には「X」のマーク。

これは致し方ないと、文庫棚に行く途中で通りすがった小説新刊コーナーで目にしていた好きな三作家-白石一文、島本理生、小手鞠るいの三冊と睨めっこ。もうここは直感です、白石一文の『火口のふたり』を手に取ってレジへ。たぶん、次に読むのは小手鞠るい。いや、多分ではなく決定事項。運命論的決定事項。

4309021425 火口のふたり
白石 一文
河出書房新社 2012-11-09

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社内尊敬

会社には、どうしても尊敬されない、というタイプの人が必ずいる。あれはなんなんだろう?と思って少し考えてみた。

どうしても尊敬されない、ということが問題になるのは、人事上、管理職に就いている人たちだ。なぜかと言うと、我々一般平社員は、自分の仕事をしていればいいからで、尊敬される・されないはあまり関係がない、というか「尊敬される」とプラスになるけれど、されてないからといってマイナスではない。それが「ゼロ」の状態。
しかし、人事上の管理職についている人はそうではない。誰だって、尊敬できない人物に管理されたくはない。だから、「尊敬される」がゼロで、「尊敬されない」とマイナスだ。なのに、「尊敬できない」状態のままで、それを別に改善しようとも思わないタイプの人が、結構いるということだ

我々一般平社員も、自分がやりやすい環境をどうしても好む傾向にあるので、「甘い」環境を作る管理職を好みがちで、それを「尊敬」と取り違えては困る。まあそういうバカな過ちは流石に犯さない、という前提で、どういうタイプが「尊敬されない」のかな、と考えてみると、とどのつまり、会社の中での役割とか関係なく、一般社会の人間としての「人格」の出来・不出来で、尊敬できる・できないってやっぱり決まっちゃうんだな、という結論に至る。言葉づかいが粗野な人は人気は出ても尊敬はされないし、威張る人は畏怖はされても尊敬はされないし、嵩に掛かる人も諂われたとしても尊敬はされない。それらはすべて、企業というところの論理だ、ということは重々承知しているし、そういう「尊敬されない」人たちは、ひとたび状況が逆転して自分のポジションがダメになったらそれまでだという腹を括って仕事をされているのでそれはそれで大したものだなあと感心する。

けれど、自分はやはり人間的な成長を伴いたいので、それを範とすることはできない。社内での尊敬を集めたいなんて烏滸がましいことは思わないけれど、一般社会でも通じる人格を、年齢に相応しい人格を磨く努力は続けたいと思う。それにはやはり、それに相応しい言葉を語れることだと思う。 

海龍王寺、奈良公園でマハラジャ

秋の散歩ライド。ちょっと奈良まで。今シーズン初ロングスリーブ・ロングパンツライドでもあります。寒くなったね。

特にどこに行こうとも決めず、頑張って飛ばすつもりもなく、いわゆる「街乗り」したい、という気分で。思い切り長い距離走りたいのと、散歩みたいに走りたいのと、代わる代わる気分がやってくる。ま、とりあえず平城宮跡へ、という感じで。

平城宮跡では平城宮天平祭やってましたがスルー。なぜかと言うと、THROAT RECORDSの現地を確認しに行きたい、と思ってたのを思い出したから。で、みやと通りを通ってるとき、「これ、そのまま369に出ずに、あそこで左に曲がった方がいいんじゃないか?」と思ってた平城宮跡の南端の道へ。この道を出来る限り東に進んで奈良市役所に当たってから369に出るのがいちばんスムースと発見。収穫。

さて小川町への道。JR奈良駅前から三条通に入り、アミューズメントCUEを越えたところで左折したんだけど、なんとまあ三条を一本入るだけでこんな普通の住宅街が溢れてるなんて、知りませんでした。普通にブランコや滑り台のある公園がいくつもあって。

こんな近未来SF的な、あるいは古びた工業団地みたいな、不思議な景色に出くわしたり。

お目当てのTHROAT RECORDSは11/20オープンだそうでした。中に人がいたので、正面からアップで写真撮る勇気がなくてこれが限界。

特にアテもなくふらふら走ってたら、県庁前の奈良公園でC'festaに遭遇。奈良の著名店・人気店のメニューが楽しめる、今風に言うと野外バル、といった風情です。折角だからなんか食べようかな~と思って一周してみたら、なんと!!

「摩波楽茶屋」に再会!「あっ」と思って、僕のほうは店員さんも知ってる~って判ったんですが、行ってみたら「顔覚えてました」って店員さん言ってくれて嬉しかった(笑)。ここはほんとに旨いんです。

ココナッツチキンカレーヌードル。隠れちゃってますけど、大和肉鶏のおっきなツミレが入ってて、麺はフォーで、ちょっと辛めでおいしいです。散歩してきたおじさんにちょうどいい。店員さんに「また行くわ~」と言ってごちそうさま。

食後のコーヒーにcafe WAKAKUSAに、と覗いてみたらお客さん一杯だったので泣く泣く諦めて家路に着いたのですが、ふと思いついて、いつも通ってて気になってて行ったことのない海龍王寺へ。海龍王寺、ホームページもブログもfacebookページもツイッターもある、凄いIT先進寺院でした。びっくり。

これが気になってた表の看板?と言っていいのか。今年が辰年ということで名前に因むから建てられたのかな。

偶然、十一面観音菩薩の特別公開期間でした。この十一面観音、物凄く整った仏像です。顔も整っていれば、全体のフォルムも、装飾なんかも、とても整っていて美しいです。その整い加減から、現代に違和感がないので逆に親近感が湧くくらいです。偶然に身を任せていいものを観ることができました。

帰り際、「自転車ですか?」と話し掛けてくる女性が。聞くと、ボランティアで土日にお手伝いをしている学生さんだそうで、僕が手に取ったフリーペーパー「こしゃじ便り」も創っている「南都古社寺研鑽会」の方でした。このフリーペーパー、レイアウトがすっきりしていて、かつ、時流に乗って古社寺に惹かれた人が創ってるのではなくて、なんか地味に古社寺趣味な人が真面目に創ってる感じがとても良く出てます。ブログで見る限り第四号まで出てるみたいなので、各寺回って手に入れようかな。

本堂。びしっ と決まってるところと、若干田舎っぽさに通じる古風な感じが混じってるようで格好良い。

往復25kmあるかないか、たかだか3時間くらいの散歩でしたけど、ふらっと走るだけでこんなにいろんなことに出くわし、リフレッシュできるものです。今日は晴れてくれた天気に感謝。今度はどこに行こうかな~。

ロングスパン-長い目

アメリカ大統領選を見るたび、いつも、「アメリカは物事を短期的にしか見ない、日本は何事も長期的視野に立って考える」っていうの、嘘だろうと思う。

僕は外資系に勤めているので、世間が「外資系は短期的なモノの見方をする」と見ているのが判っているし、自分もそう思うところはあるけれど、アメリカは何と言ってもその国の根本のところである大統領は、4年に1度選挙かつ三選禁止。だから、アメリカは国の方向性をいったん選んだら、とにかく4年はそれでやり続ける。そして、腐敗を避けるため、三選は禁止している。それに引き替え、日本は、気に入らなかったらすぐにも辞めさせるし、気に入らないと言ってすぐに辞める人も出てくる。こんなんで、日本は長期的視野に立つ国民性なんて、恥ずかしくて絶対に言えない。

長い目かどうかは、絶対的な日数年数ではなくて、それぞれの物事に対して適正な期間というのがあって、それに対しての相対的な評価のはず。日本の「長期的視野」というのは、往々にして、やっていることが成功するアテもないけどそのアテを真剣に考えるのも面倒だから、単に時間稼いでるだけじゃない?ということが多いんじゃないか。要は、「いつ見切るか?」という判断がない。あたかも何事も永遠に続くと思ってるかのように。

でも、そうじゃない。国のトップは8年以上続くと硬直するし、知事が何回でも再選できるなんて、腐敗に対する自衛意識が低い国ということだと思う。「問題だと思うなら、選挙人がその候補者を当選させないはず」なんて言うのはほとんど詭弁だと思う。そんなこと言いだしたら、ほとんどの法律が要らなくなる。どんな犯罪にだって、犯す側にも応分のリスクがあるのだから。その一方、ビジネスマンは年単位ではなく一刻も早く成果を出すことを要求される。これもまた、時計の針が違うことを意味している。

イオンバイクは文化か?

1万円台の激安シティサイクルを買ってあまりメンテもせず錆だらけにする人と、高級ロードバイクを買って3,4年で乗らなくなる人、どっちが自転車を愛してる?そんなに差があると言える?

僕はロードバイクに乗ってるけれど、シティサイクルを否定する物言いには懐疑的。おおよそ、「自転車文化」を語る向きは、シティサイクルを目の敵にしてる物言いで、例えば、自転車文化が成熟しているヨーロッパではママチャリに乗ってる人なんていない、とか言うけれどそりゃ嘘で、ここ数年で何度かヨーロッパに旅行しているけれど、ママチャリはごまんとあるし、自転車を愛するヨーロッパでは放置自転車なんてないって言うけど、放置自転車もごまんとありました。それに、日本で街乗りレベルで自転車を楽しむなら、シティサイクル=ママチャリがいちばん快適なはず。そんなにスピード出す必要ないし、そんなに長距離走る必要もないし、専用のシューズを履く必要もない。

「自転車文化」を語る向きの言説に影響されて、イオンバイクのような激安シティサイクルショップを、僕も少し嫌悪してたんだけど、いざ実際の店頭を見てみると、直感的と言うか本能的と言うか、そういう部分では「ええなああれ、1台欲しいな」と思っちゃう。なんなんだろうこの感覚、と思ってじっと考えてみたんだけど、これは、低価格のモノに惹かれるというよりは、社会に浸透させようとしているものに惹かれるんだろうな、と思った。僕はとても平均的日本人なので、たぶん、普通の人びとも同じような感覚なんじゃないのかな、と思う。

「自転車文化」を喧伝する人達は、1,2年前から始まった「ブーム」をけん引して、今まではロードバイク・クロスバイクをメインにして、今年はやたらとシクロクロスを推してくる。そうやって、新しいモノを紹介して、新しい高額消費を誘引する。けれど、だいたい、僕たちは、こういうのが一過性の「ブーム」だと、自転車に限らず、日本に住んでいると本能的に知っている。なぜなら、実際、今、「自転車文化」を喧伝している中で、数十年前にも自転車ブームがあって、その頃こういうのに乗っててねえ、という向きが、結局、そのブームが終わって最近のブームが起きるまで、バイクに乗り続けていない事実を知っているからだ。

定着しないものは、ブームであって文化ではない。それを承知で手を出す訳だから、価格は安いに越したことはない。そういう日本の特性を理解したメーカーは、その理解度が製品デザイン・設計に出ているんじゃないかなと思う。

「一生モノです」なんて言って売っていて、それが実際に一生モノだった現場を、日本で僕たちは恐らく見たことがないと思う。よほどの高額商品なら別だけど、そういう高額商品も文化ではあるけれど、それはその価格帯の世界の中では一定の時に耐えうる価値があるから文化と成り得ているのであって、4,5年で終わるならそれもまたただの「ブーム」。

なので、僕は、いわゆるスポーツバイクだけを偏重する胡散臭い「自転車文化」を奉る人びとよりも、イオンバイクのほうが自転車文化の育成に貢献してくれると思うようになった。ただ、それも、イオンバイクに勤めている店員さんのレベルと熱意があっての話。物凄い知識量はなくていいけれど、「たかが自転車」みたいなのが透けて見える店員が多いようなら、やっぱりイオンバイクもただの「激安」ショップで終わると思う。

初めてのパッチでパンク修理

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パンクは何回もしたことあるのですが、パッチでパンク修理したことがなく、初めてやってみました。

パッチは応急処置という思い込みがあったのですが、結局、パンクする度に毎回スペアに履き替えてパンクしたタイヤは捨ててたので、一度、パッチで修理してみようと。

上に引用した、ゴムのりで貼り付けるタイプの丸パッチでやってみたのですが、コツが判らず以外と難しい。パッチを貼って、ビニールカバーを剥がそうとしても、パッチごとくっついてくるので全然貼れない。

結局、先にパッチを剥がしてしまって貼り付けるというブサイクな結果に。なんでも練習しておくものです。