一生モノ

最近つくづく思うのは、「一生モノの哲学なんてないんだなあ」ということ。 哲学は「考える」ことなんだから当たり前なんだけど、時代によって常にアップデートされる。

4309463754 哲学とは何か (河出文庫)
G・ドゥルーズ F・ガタリ 財津 理
河出書房新社 2012-08-04

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変化を織り込んだ、「メタ」な哲学を振り回せばそれも回避できるけど、いつの時代も切れ目なく思想家・哲学者が現れるということは、哲学は不易ではないということだし、死ぬまで自分の知らない世界があるということ。

ある個人はひとつの哲学を金科玉条として生き抜けるかも知れないけど、古臭い哲学を振り回すことが、世の中には悪影響を与えてるかも知れない。もちろん受け継ぐべきものはたくさんあるけれど、アップデートを止めることは往々にして胡坐をかくことになっていて、それは本人はなかなか気づけない。

2012/10/04

誘われないのに断るセリフを覚えて

  • 熱意を持って頑張る人、何かをなし遂げた人の努力を虚仮にするヤツを、僕は何があっても絶対に許さない。
  • 同じように、真摯なスタンスを不用意に足を引っ張ったりそれを称賛したりする行いを、僕は何があっても完膚なきまでに叩き潰す。表に出て来ればいい。
  • 出て来れないなら、つべこべ言うな!陰でぐちぐち傷をなめ合うように生き延びているだけの連中に時間をとられていられない。
  • 今のポジションは今のポジションとして、当たり前の気は配りながらも、人にどう思われようと、やるべきこと自分がよいと信じることを地に足をつけて実行するのみ。

どこに居てもミスキャスト
独り言が増えたロストマン
誘われないのに断るセリフを覚えて 

お勧め奈良サイクリングルート - 奈良盆地一周・大和三山と三輪山を拝む80km!

奈良好きのサイクリストの僕が絶対の自信を持ってお勧めする気楽で楽しいツーリングコース!!
今度の三連休、どこ走ろうかな~と決めかねているホビーサイクリストの方、ぜひ走ってみてください!
大阪からなら生駒まで輪行でスタート・ゴール、京都からなら西大寺まで輪行でスタート・ゴールにすると楽々です。


より大きな地図で 大和三山+三輪山周遊80km を表示

奈良盆地のほぼ外周に沿ってぐるっと一周するルートです。厳しい登りはありません。気持ちよく楽しめると思います。ルートにはコンビニも潤沢にあって、休憩ポイントには困りません。初めて100km走破に挑戦しよう、という方にも、少しルートを伸ばして100kmにできる(例えば畝傍から明日香を訪れた後、香久山に向かう)、お勧めルートです。

ちょうど走るのに飽きがくる40km越えあたりで、大和三山を拝めます。ここで、橿原神宮に立ち寄るのもよいです。ツーリングのメインを大和三山・三輪山・大神神社というちょっとシブめのポイントにしていますが、有名どころの法隆寺や明日香村、東大寺・薬師寺・唐招提寺や春日大社にも立ち寄れる、ほんとに奈良を満喫できるルートです!

奈良を走ったことがある方にも、走ってみようと思っている方にも、参考になれば嬉しいです!

「主」なき御宣託 または 転向への反抗: 村上春樹氏の領土問題に対するエッセーを読んで

朝日新聞デジタル 村上春樹さん寄稿 領土巡る熱狂「安酒の酔いに似てる」

作家の村上春樹さん(63)が、東アジアの領土をめぐる問題について、文化交流に影響を及ぼすことを憂慮するエッセーを朝日新聞に寄せた。村上さんは「国境を越えて魂が行き来する道筋」を塞いではならないと書いている。

今は会員ログオンしないと読めないけど(「朝日新聞はケチだ」みたいなコメントをときどき見たけれど、当日記事は無料、バックログは会員ログオン必要、というのはニュースサイトでは普通だと思うし、当日ニュースが無料で見れるのが一般的になったこと自体恵まれたことだと思う)、僕は当日、全文を読むことができました。読んだその時は、「同じような主旨でも、言い方と表現でずいぶん説得力が変わるものだなあ。学ばなければ。」と思ったのですが、しばらくして結構大きな違和感が、やっぱり沸々と湧いてきました。

僕は、尖閣諸島は日本固有の領土だと思っています。その前提で考えているということをまず書いておきます。

村上春樹氏のエッセーは、「これはやはり、日本人固有の”お上精神”の発想だな」と、つくづくと思ったのです。

尖閣諸島は日本の領土で疑いはないと思っているところに、様々な理由をつけて中国の領土だと言い募られている。そして、日本企業がもはやテロの域に達した暴動で、膨大な損害を被っている。中国では日本製品や日本の文化物が店頭から消えていっている。そんな中でも、日本は、特に、文化的な報復をするべきではない、これまでの先達が累々と築いてきた努力を無駄にしてはならない、という趣旨のことがエッセーでは述べられる。

これはこれで確かに至極全うで、恐らく国際的にも認められる振る舞いだとは思うけれど、そういう褒められた立ち居振る舞いだけで問題が解決しないのがまた国際社会で、だから我々日本人は大きな苦しみを感じているのだと思う。北方領土、竹島、尖閣、こういう領土問題は、我々日本人が二度と侵略戦争を起こさないように過去から未来に受け継がれるシンボルとしての「問題」だという考え方を取ることもできるけれど(実際、未来に渡って我々日本人がそういう過ちをもう繰り返さないという保証はどこにもない、今この現代でさえ、何とならばやりかねない思想が見え隠れするくらいだから)、それはまた別の問題、別の文脈なのでここでは置いておきたい。

尊敬に値するような振る舞いを続けて耐え忍ぶことで、いつかそれが報われる日が来る。村上春樹氏のエッセーを、「問題解決」の観点で読むならばこういうことになる。繰り返しになるけれど、国際社会というのは、正しいことを正しいと言い続けるだけでその正論が通るような世界ではない。国際社会どころか、日本の、日常の社会だってそうじゃないか。だから、「問題解決」するためには、何らかのやり方が必要になるのだ。我々の考え方を判ってもらうための、何らかの「やり方」が必要になる。その「やり方」が褒められたものではないからとこちら側は控えていたとしても、相手側はその「やり方」を行使し、それが十分効果的で、そちらのほうが優勢になり、「正しい」ことになることも、充分あり得るのだ。

そんな中でも「正しい振る舞いを取りなさい。そして、時が来るのを待ちなさい」というのは、「お上がすべて見てくれていて、いつか正しい裁きを下してくれる」という、日本人の「お上思想」独特だと思う。同じように「神」を信じている文化圏でも、その対象が(人ではなく)「神」である国の人びとは、現実社会では相互理解のために「相手」に対して必死で言葉を、「やり方」を繰り出す。

だから、我々日本人の「やり方」のためには、ほんとは、その耐えている一般国民の姿に応える、問題を解決する「お上」がいてこそ成り立つものなのだ。相手は、「問題解決」するために、詭弁も使えば「デモ」も使う、ありとあらゆる「やり方」を使ってくる、でも我々は「正しい振る舞い」を強いられる、その我々の苦労に報いてくれる「お上」は政府なのか何なのかは判らないけれど、とにかくそういう存在があって初めて「問題解決」に繋がる「やり方」なのだ。

そして、村上春樹氏のような「大きな声」を持っている人は、その声を、こういうエッセーのような内容を、国内に向けるのではなく、国外に向けて使うべきで、つまり、「お上」にならなければならない立場の人だと思う。僕はまだ調べていないので、村上春樹氏が中国や国際社会に対して、どのようなメッセージを発しているのかは判らない。もし、氏が、我々の「お上」になるようなメッセージを発していないとしたら、それは、「大きな声」を持つ者としての自覚に欠ける、と思う。

そう、戦後の日本というのは、ある意味で、「大きな声」を持つ者が、その「大きな声」を持つ者の自覚を持たず、あるいは敢えて気付かない振る舞いで、そうすることで利得を得続けてきた歴史だったと思う。村上春樹氏のエッセーも、自著は多く東南アジア各国の言語に翻訳され、かつては海賊版が横行したこれらの地域も近年では市場が確立し、緊密な文化交流圏が成立している、と語っているが、自らが「お上」になることなく、我々に忍耐を強いるというのは、自分の経済的基盤の保護を優先していると思うことさえできる。

中国マーケットを無視することは、経済的にはできない。それは重々承知している。けれども、経済的な「痛み」を避けて通ってきたことで、数々の「筋」を滅茶苦茶にしてきてしまったことを、少なくとも僕たち団塊ジュニア世代は知っている。自分たちの親たちが、転向に転向を重ねて「経済」のみの価値観を築き上げてきたことによって。そして僕たちはオウム事件と小泉政権を通過して、大切なもののためには必ず「痛み」が付きまとう、という言説に潜む危険性にも十分自覚的になっている。その上で、僕たちは「正しく」振る舞わなければならないのだ。

宝山寺ミニヒルクライム1.6km +α

生駒はほんとに楽しいワンダーランドです!サイクリストにとっても!

なんてったって最難関峠の名を轟かせる「暗峠」がありますし、サイクリストにとって生駒は走りごたえ満点の土地なんですが、生駒山界隈にはおもしろいお店もたくさんあって、さながらワンダーランドなのです。

そんな生駒の駅前に住んでいながら十分活かせてなかったので、今朝、TRANSITの皆さんと宝山寺に行く予定が雨で中止になったんですが、昼から天気になったので登ってきました。生駒駅前から宝山寺まで登り、宝山寺から南進して阪奈トンネルの上あたりで東を向いて下山、第二阪奈に沿って168号に出て北進して生駒駅に戻ってくるという8.2kmのコース。登りは駅から宝山寺までの約2km。この周回コース、ちょうどいい登りとちょうどいい直線でほどよくて気に入りました。

宝山寺門前町の入口。
登り口から1.6km、10:19かけて登りました。平均速度9.5km位?まだまだです。今日はいつもよりたくさんのサイクリストを見かけました。宝山寺にアタックする人、結構いるんですね~。この写真の場所はまだ宝山寺の入口ではないんですが、僕はお昼が食べたかったので・・・

摩波楽茶屋に寄り道。

ココナッツカレーヌードルセット、めちゃめちゃおいしかったです。

バリかと思うような雰囲気、店員さんもみなインドネシアの方(と、思う、もしかしたら違う国の方もいるかも知れませんが少なくとも日本人はいないと思う)。楽しいお店でした。10分かけて山登ったらこんな店があるんだもんな~。
そして宝山寺へ。
ときどき小銭入れから出して置いておく小銭が溜まりに溜まったので、一気にお賽銭に。宝山寺では御神籤を安直に引いてはいけません、これは生駒市民の常識(笑)。
宝山寺から南に下っていくと、「ケリノスギャラリーカフェ」発見。要事前予約のお店なので、ふらっと入ったりはできないんですけど、見た目にもかわいらしくて走るのを楽しくしてくれます。
もう少し走ると、「Caito」。家の近所のお気に入りのカフェ「Cafua」が今月頭に開催したイベントのフライヤーで知ったお店。お気に入りのカフェと一緒にイベントをやるお店なので興味津々だったんですが、微妙に入れるのかどうかわからない雰囲気だったので、今回は素通り。次回また来よう。

これが周回ルート。阪奈トンネル上からの下りも急こう配で楽しい!

居続ければ尊敬に値するというものでもない - 『ラジオ深夜便 隠居大学 第一集』/NHKサービスセンター

そうか、嫌なことはわざわざ考え続けなければいいんだ、と気づいた朝。

図書情報館乾さんに勧めて頂いた一冊。最近、「お年寄に敬意を払わない世の中になった、と嘆く声をよく聞いてきたけれど、そりゃきっと昔はお年寄は少なかったから貴重で経緯を払われたのであって、これだけどこにでもいる存在になってしまったら、個々人おのおの何かひとつ光るものを持ってないと、お年寄というだけでは経緯払ってもらえなくなって当然じゃないの?」と思ってたところにこの本。

「隠居は一日にして成らず」と表紙にある通り、「隠居」って絶対、年季のいることなのだ。してみると、65歳定年だの、生涯現役だの、やっぱり現代(のご老人?)は、そう容易く年季が入らないんだな~と妙に納得。

ひとつだけ、聞き手の天野祐吉氏も、ほとんどの登場「ご隠居」も、物事に対する「遊び」のスタンスというのを大切にしていらっしゃるけれど、彼らの「遊び」のスタンスは、今では若干『逃走論』的な響きを感じる。『自由からの逃走』的な。それも大切なメソッドだけど、重さからの責任逃れだけは、あんまりあっちゃいけないことだというのは、だんだんとそういう合意が出来つつある世の中だと思う。玉砕する必要はないが、対峙することを避けて通るのは論外、なのだ。その、「軽やかにおちょくるやり口で、上手に対峙している」のと、外野から適当なこと言っているだけなのとの紙一重さ加減は、言葉で切り分けるのはあまりにも難しいけれど。

  • 小沢昭一「わかんなきゃしょうがない、お前が知らないから面白くねえだけだよっていう、居直ったような芸」
  • 富士眞奈美「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」
  • 山田太一「世の中に個人で抵抗する」
  • 森英恵「きっとそういう時代なんですよ。だから、いまに変わるでしょうね。時代が変わって、もっと大きな波が来ると思います」
  • 小山内美江子「きっと「最初から61センチと言ってください」なんて言うんでしょうね」
4871081117 ステラMOOK ラジオ深夜便 隠居大学 第一集
NHKサービスセンター
NHKサービスセンター 2012-07-18

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負け犬根性 - 『シゴトとヒトの間を考える シゴトヒトフォーラム2012』/中村健太・友廣裕一

仏生山温泉の岡さんの章が、最大級にしっくりきました。

僕はいつも本は付箋をつけながら読むのですが、本著は付箋の準備をせず、パーーーッと読みました。意図的に。それは、自分にとってはこの本はおそらく、ゆっくり腰を入れて読むよりも、パーーーッとスピード感持って読むほうが引っかかるものがあると直感してのことでした。フォーラムとして開催されたものの収録ということも、そう思わせた理由の一つかも知れません。

内容的には「場をつくる人」が圧倒的に面白かった。特に、まち塾@まちライブラリーの磯井さんと、仏生山温泉の岡さん。中でも仏生山温泉の岡さんの、

  • ボランティアではなく、利益を出して継続できるようにやるべき。
  • 補助金や助成金は使いたくない。補助金や助成金を使うと単発になるし、おのお金側の意図に自分の意図を歩み寄らせてしまうことになる。

 

この2つが、常々自分が考えていることと完全にリンクして気持ちがよかった。自分と同じ考え方の摂取は読書ではあんまり求めないようにしてるのですが、最近、あまりにもこの自分の考え方に理解をもらえない状況が多くてイライラしていたのだと思います。磯井さんの発言のほうは、過去必死で働いてきたからだとは言え、その過去の貯金で企業内にのさばる人が社会問題を産んでいることを考えると疑問をさしはさむ余地があるのですが(磯井さんのやっていることは、もちろん会社にとっても利益に繋がるものだとは思いますが)、岡さんのスタンスは完全同意でした。

僕は、前々からいつもいつも何かの折に書くんですが、パトロンありきの仕事は仕事じゃないと思う訳です。芸術だったらまだそれもありかなと思うんですが、自分の衣食住をパトロンに依存している状態でやっていることは、仕事と言ってはいけないと思う訳です。例えば、主婦が空き時間で自分の好きなことをやる。それが売上を立てていても、そりゃ仕事ではないと思うのです。自分の衣食住はダンナの金で賄って、自分のやりたいことを存分にやる。そういう考え方を根っこに持っている人というのは、僕は絶対に信用できない訳です。こういうことを言うと、「主婦がやっていることだって無償ではない」というような反論を必ず食らうんですが、僕は何もそういうことを言ってなくて、その家庭で収入を完全に折半しているならそれはどちらも仕事だと思うんです。主婦が空き時間でやっていることの収入も、すべて家計に入れてやっているなら。でも、どういう訳か、その収入はすべて自分のものとして回っているのが当たり前みたいになっていると思う。そういうのは仕事とは言わないのです。これ言うと、いつも「セコい男だ」みたいな嫌味が聞こえるんですが、そういう嫌味が成り立つ時点で、それは、男性社会を肯定化しているということが、未だに一般常識化しないところが根が深いと思います。

結局、今の企業社会がおかしい、とっくに破綻している、と言って個人で何かを起こし、行動する、それ自体は勇気のあることだし、それを伝えることで実際にいろんな人に波及していく訳だけど、実際に「できている」ことの大きさは、企業には叶わない。実現したことこそがすべてだ、としたら、個人で腕を振り回したところで、それは自己満足の域を出ていないと言ってもいいと思う。それを弁えている人と弁えられていない人とでは、説得力が大きく違うなと思ったのでした。

『ワーク・シフト』/リンダ・グラットン

要は、「今後、最も潰しが聞かなくなる職種は営業です」ということ。

Social Book Reading With Chikirin」で取り上げられていることもあって、ジュンク堂本店で目にして直感的に読まねばと思い東京出張時に丸善本店で買って帰りの新幹線で読んだのですが、正直言って、読まなくてもよかったかな…という内容でした。「未来の働き方」を考えるなら、こないだ奈良で買ってきた『チャルカの旅と雑貨と喫茶のはなし』のほうがよほどプラクティカルでためになります。もちろん、本著のように、学究的なアプローチも知り学び理解しなければいけないのですが、「生きていく」という意味での「食っていく」ためには、何より重要なのは実際的であることです。「「やる」ことは「考える」ことより大切だと思われがちだが、私はそんなことは信じていない」それはそうだし大切なことだけど、考えるだけでは食っていけない人間にとっては、「やる」ための実際的なことが優先されるのです。

そう、本著は、言うなれば「「考える」なら、「考える」の一流になれ」と説く訳です。ITが一層進展し、グローバル化が一層進展する未来の世界では、専門性に磨きに磨きをかけなければ、生き残っていけません、都市部に住んでても貧困層に落っこち、孤独な老後を迎えます、縮めていうとそういうことを言われます。それに関しては何の異存もない。けれどそれは、1990年と比べて、革命というほど大転換したことなのかな?そういうと、「変化のゆっくりさに、変化に気づけない凡庸な一般人」みたいなレッテルを貼られるけれど、1995年に社会に出たIT業界人として、例えば旅費精算一つでも昔はどうやって運賃申請してた?と思いだせないくらい、IT化が進行していることは分かっている訳です。それで、「専門性を磨け。世界と対峙せよ。」と言われて、「おおそうだ。世界と対峙だ。やるやる。」という人間が、どれだけいるのか?と思う訳です。

ましてや、専門性を磨けない今の勤務形態では、あなたは近い将来、ダメになります、と言われても、更に、専門性を磨いて事を起こすためには、今の職は残したまま、ちょっとずつお試ししてみろと言われても、「そりゃそうしたほうがいいって判ってるけどさ~」って誰もが言うと思います。なんかそれだけの中身の本、と纏めてしまいたくなります。それはもちろん、僕が昨年来、いろんな「働き方」の考えに関する書籍を読んできているからであって、今まであまり考えたことのない人にとっては、有用な内容だとは思います。

大きなポイントは、専門性を磨く=高額な金銭的報酬に繋がる、とはどこにも書かれていないこと。専門性を磨くのは、自分の充足感を高めるためだ、という、「第3のシフト」を謳っています。理想論とか空論とか言われてきたけれど、これは実際にこうならないとこの先世の中がほんとうに行き詰ってしまうと思うし、そうなっていく気配は確かに少しずつ感じられる。でも大事なのは、やはりそこには金銭という交換価値は必要で、かつ、金銭的成功を収めたいという人が、倫理観や道徳観に反することなくそれをなし遂げようとするならそれを批判したり嫉妬したりしてはならず、かつ、そうやって富が集中することに対して、富を集積した人が、社会的な活動をする人に「寄付」をすることが至極当然という社会を作っていかなければ、これはうまく回らないと思う、この考えは本著を読む前にすでに自分の中では組み上がっていたことで、本著ではこういうことには触れられていないので、やっぱり自分にとってはそれほど大事ではなかったと言ってよさそうです。

4833420163 ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
リンダ・グラットン 池村 千秋
プレジデント社 2012-07-28

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『チャルカの旅と雑貨と喫茶のはなし』/チャルカ

ならまちの『カウリ』で立ち読みして即決。

僕がハンガリーに旅したのはおととし。『放浪の天才数学者エルデシュ』を読んで以来、ハンガリーへの興味がずっと尾を引いていたから。インテルの創業者も、ルービックキューブの発明者も、そしてハンガリーの重い歴史。その旅行の際の切符とか、残しておいた品々を引っ張り出して写真撮ってみたけど、インスタントラーメンの袋とか、なんでオレこんなんなんだろうと情けなくなったりして。

カウリ』はならまち散策にとって絶妙にいい場所にあるのでつい立ち寄るんですが、映画祭ついでに立ち寄ったら、たまたま『チャルカの東欧雑貨市』というのをやってました。で、手に取った『チャルカの旅と雑貨と喫茶のはなし』、開いたページにお店の運営のことが書かれていたので、即決。買いました。

いちばん印象的だったのは、買い付け方。というか、「お気に入り箱」があって、商品として買い付けたのに売り出してないものがあるということとか、なるほど、買い付けというのはもちろん自分のアンテナで買うんだけど、完全に吟味するのではなく、可能性を信じてごっそり買い付けるんだな、というところ。

  • 創業のお二人は、当初は別にお仕事をお持ちだったこと。これはメソッドとして揺らがない鉄則。
  • やりたいことをやり続けるために、何を手ばなし、何に特化するか、その判断と実行。
  • 「本を出す」というメソッド。
  • 東欧を選ぶ、というのは、もちろんフィーリングに合致し、好きだということが大前提で、なおかつ、ビジネス上の戦略性も感じられる。
  • ウェブ上の蚤の市の発想。これは目から鱗。ロングテールなんか目じゃないと思う。

僕自身、自分の仕事のこれからに悩むところもあり、いろんな仕事のディティールを見聞しようとしてるんですが、この本は、お店を始めたいという人にも役に立つし、僕みたいな動機でも有用ないい本だと思います。

店舗、行ったことないのでさっそく行ってみたいと思います。

チャルカの旅と雑貨と喫茶のはなし
チャルカの旅と雑貨と喫茶のはなし チャルカ

産業編集センター 2009-09
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生駒-三宮61.7km

妙にご高齢の方に親しく話し掛けてもらった、そんな早朝ライドでした。

三連休の中日、あまりない機会なので、できるだけ長い距離を走ろうと思い、例によって自分の足と相談:どんなに頑張っても平均20km/hと考えると、目標を200kmにしたら10時間。200kmを自走で帰ってくるルートで考えると、未経験でメジャーなところは和歌山くらいしかなく、あまり山を絡ませたくなかったので、神戸方面をひたすら西に走ろうと決定。朝6時に出たら夜6時だけど、200km行きっぱなしで電車乗ることを考えると4時には電車に乗りたいだろう、ということで、朝4:30に家を出発することに。

真っ暗な阪奈道路を登るのは、おもしろいのとおっかないのが入り混じりでしたが、よりおっかないのはむしろ下り。夜明け前の夜景はめっちゃ綺麗なんですが、意外と街灯が少ないので、追い越す車が自分に気づいてくれるかが結構不安。

夜明けを背に、がらがらの8号線を快調に飛ばして北新地に。この時点で6時前。早朝のビジネス街は毎度いい感じ。

淀川大橋渡って、例によって43号に乗り換えるのを早まって淀川通に入ってしまい、もう嫌だと(なぜ43号に乗り換えたいかというと少しでも海に近いところを走りたい)すぐ2号線に戻って三ノ宮までは2号線で走ることを決意。したのもつかの間、歩道の段差を踏んだときに、やけに衝撃が大きい、というか、明らかにリムが段差を掴んだことに気付く。

「パンク?」

と思ったけどそこまででもない。でも気になるので止めてみたら、やっぱり薄い。これは打ってるな~と思いつつ、応急処置でハンドポンプで空気入れてたら、ママチャリのかごに小型犬を乗せてお散歩中の上品なご年配のご婦人に

「おはよう」

と声を掛けられる。

「その自転車は、やっぱりすごく軽いんですか?」

「軽いですよ。持ってみはります?」

と言って、サドルバックを外して渡してみる。

「はい、ぜひ」と言ってトップチューブ掴んで持ち上げられて「あらほんと!軽いわね~」と驚嘆。

「これで旅行されてるんですか?」「いや、今日は旅行まではいかないですよ」「どちらからお越しなんですか?」「奈良です」「奈良!何日に出られたんですか?」「いや、今朝ですよ」「今朝!そんな時間で来れるんですか~。何キロくらい出せるの?」「私は頑張って30km/hくらいですね~」「今日はどちらまで行くんですか?」「そうですね~できたら明石くらいは行きたいですね」「じゃあ淡路島も行かないといけませんね」「それがね、あそこ自転車で自力では行けないんですよ。橋渡れないですし~」「あら!そうなの?」

てな感じで僕はハンドポンプで空気入れながら、ご婦人とお話。「それじゃあ気をつけてくださいね~さようなら」とお別れした後も、また違う初老のおじいさんから「足長いね~」と声を掛けられたり。早朝だから、散歩されてるご年配の方が多いということもあったんでしょうけど、なかなか楽しいものです。

その後、2号線が43号線と合流?する岩屋交差点の右折トラップに引っかかったりして、僕はこういうので時間ロスると一気にテンションが下がってしまうんですが、それとリアタイヤのパンク気味なのと、2号線のあまりの信号の多さにもめげてしまい、ちょっと冷静に考えてみて、確かに走ってるときはド平地だし30km/hオーバーで走れてるのに、どう考えても1時間に10回くらい信号に引っ掛かってる、1回1分とられたとして10分も停止時間があることになる!30km/hで走っていても、1時間で走ってる時間は5/6、つまり25km/hしか進まない。その計算通り、北新地を6時前に出たのに、三宮についたのはご婦人との歓談もあったものの、結局7:30。

駅前のファミマでおにぎりを食べつつ、どうしたものかと考える。50km強を3時間。200km走るとなると後9時間。つまり17時。

それよりは、このガラガラの三宮近辺を適当に流す、という非日常を味わって、さっと電車乗って帰ってしまいたいな、と、突然気持ちが切れてしまい、元町界隈を適当に流して阪神三宮から快速急行に乗ったのでした。

でも、早朝出て、人けのないライドで、午前中に帰る、このプランに三宮行はすごくはまってるなと思いました。