2012年にROMANTIC TASTEは要らない

THE YELLOW MONKEY、11年8ヵ月ぶりシングル発売イベントにヒーセ&エマがサプライズ登場!エアベース&エアギターも披露

THE YELLOW MONKEYの11年8ヵ月ぶりのシングル「Romantist Taste 2012」のリリース日となった10月10日(水)。渋谷O-EASTにてリリースパーティが行なわれ、元メンバー2人がサプライズ登場し、多数の応募の中から選ばれた来場者700人と、ニコニコ動画での生中継を見ていた全国のファン4万人以上を熱狂させた。

◆「Romantist Taste 2012」リリースパーティ画像

こんなこと言うのも無粋なので言いたくないけど自分の立場をきちんと言っておくと、吉井のソロは『AT the WHITE ROOM』からちゃんと買って聞いているし、アルバムツアーも『AT the WHITE ROOM』だけ行けなかったけどそれ以降は毎回観にいっているし(だから、ソロになって初めてイエモンの曲をやったあの伝説の城ホール公演にももちろん立ち会っている)、『COMPLETE SICKS』も持っている。イエモンはメジャーデビューの『THE NIGHT SNAILS AND PLASTIC BOOGIE』からだし(ただ、イエモンを知ったのはpati-patiだったと思う…)、『GOOD ROCK!』や『bridge』に吉井のインタビューが載れば買って読んできたし、『失われた愛を求めて』ももちろん読んでいる。掛けたお金の多寡でファン熱の度合いははかれないと思うけど、長い間ずっと熱を持ってイエモン解散後も吉井を見続けてきたとは言っていいんじゃないかなと思います。

なので、吉井が有料のモバイル・オフィシャル・サイトを運営して、そのサイト限定のイベントをやり出した頃から、ちょっとなんかマズいかなあと変調を感じていました。誰もが知っての通り、吉井というのは(悪い意味じゃなく)非常に商売のうまい男なので、iモードでモバイル・オフィシャル・サイトをいち早く準備したときには「さすがだなあ」と思いました。課金があれほど容易なサイトの仕組みはなかなかないですしね。確実な定期収入の得れる仕組みをいち早く築いた訳です。そして、モバイル会員専用のイベント・コンテンツを準備して、会員になるインセンティブを準備していく。これはなんら間違ってないと思います。

ただ、去年、配信限定をやり始めた頃から、感じる変調がちょっと大きくなっていった。今後、音楽の在り方は配信に向かっていくのは間違いない。どんなノスタルジーがあったとしても、メディア(媒体)が変容していくのは避けられない。全部が置き換わるのではなく、主流が変わるのは避けられない。吉井はそういう変化を掴むのがうまいから、配信にしたほうが取りこぼしが少ないかどうかも、きちんと計算しているように思う。

ただ、6年ライブを観てきて、「やっぱりイエモン時代の曲のときが会場は一番ヒートアップしてるんじゃないか?」という、違和感と言うか不安感と言うか、そういう静まらない気持ちがずっと続いていて、『COMPLETE SICKS』は20周年記念の作品ということでよかったけれど、この先、また(解散したと言った)イエモンを引っ張り出すことがあるんじゃないかな、と危惧してました。

僕にとっては、今の吉井の状況で、イエモンを引っ張り出すと言うのは、過去の財産の有効活用に思えてしまう。吉井だけではなく、各メンバーにとってもそうかもしれない。

ファンとしては、吉井のライブで2,3曲イエモンの曲が聴けるというのは堪らないし(『ROCK STAR』とかめちゃめちゃ楽しかった)、全然悪いことではないと思う。吉井がアーティストとしてやっていくために、いろんな収入源があっていいと思う。今はただの転換期なのかも知れない。でも、吉井が商売のうまい男というのを認めているだけに、その器用さが吉井を埋没させてしまわないのかなと、心配してしまうのです。

吉井の熱情の何たるかに思いを馳せは決してしない人たちによって、「イエモン」と名のついた作品群が登場することによって、それらの作品が猛烈な勢いで消費され、消費されるだけで、燃やし尽くされた数か月後にはまた一段小さい存在感になってしまっているんじゃないかと。結局、彼らは「消費」しているだけなのだと。

なので、2012年にROMANTIC TASTEは要らないのです。

五味さん個展『NAGISA』で考えた、生業と収入について

天満橋ART Lab OMMで開催中のLOSTAGE五味岳久個展『NAGISA』に行ってきました!

五味さんのイベントモノは、8/7のdigmeout ART&DINNERでのアコースティックライブ以来。あんときはトークショーは観られず、FLAKE購入特典だったのにもったいないことしたな~と思ってました。五味アイコン展も一回も行けたことないので、絵を観にいくのは初めて。ただ絵をぱらぱら~と眺めるだけなのかな~とちょっと心細くなりながら行きました。

天満橋OMMビルB2FのART Lab OMMはこの夏?スタートだそうで凄く綺麗な場所でした。壁一面に五味画伯の直筆作品が張り巡らされていて、中央のテーブルには五味画伯の作品帖(Adam et Ropeとか書かれてた)が5,6冊置かれていたり、かなりの量を楽しめます。

グッズもいくつか置かれていて、アチコさんキーホルダーとかTシャツとかレコードとか販売してたのですが、せっかく来たからには鑑賞料代わりじゃないけれど何か買って帰ろうと思いつつ、あのTシャツだったらTAKAHISAGOMI.comで買った方が、ここで買うより、五味さんの取り分は大きくなるんだろうしなあとか、でもTAKAHISAGOMI.comは送料が一律で高めなので、ここで買うほうが安く帰るよなあとか、そんなことを悩みながら、結局、TAKAHISAGOMI.comでも買えるアチコさんキーホルダーを。

レジに持っていく直前に、壁に貼られた「ASK PRICE」の字が気になって、番の人に聞いてみたら、「売ってるんですよ~。¥3,000とか、値段はほんとにお客さんと決めてくださいって五味さんはゆってて、そういうゆる~い感じで」とおっしゃる。僕はこういうの買ったことないので相場とかわかんないけれど、LOSTAGEというバンドがバンド活動を続けていく上で、別の形での収入源があるというのはいいことだと思うし、五味さんはそのあたりのことで若干迷ってるようなこともブログで書いていたような気がするし、だから値段を明確にせずに販売しているような気もしたりして、相変わらずバカ正直というか不器用というか何というか、でもやっぱりとにかく応援したいので、直感で気になってた一枚を売って頂きました。

それがこちら:

サインも入ってるし、いかにも作品ぽい(笑)。

音楽を続けていくのに音楽だけで食べていかなければいけないというのは、実は思い込みなのかなっていうのを少し実感しました。売れるまではバイトと掛け持ち、とか言うけど、そして、仕事しててときどき何かやるのは趣味、みたいな通念だけど、意外とこれからはそうでもないのかな、ほんとに、そのプロの領域と趣味の領域のにじり寄りと交接、みたいな瞬間に立ち会ったようでした。

DJブース・・・コーナー?映えてました。

8otto vs lostage!!

明日までです、是非!

「五味さんって誰?」という向きには、この本が参考になるんじゃないかと。ツイッターで、見たことあるでしょ?そうじゃないけど(笑)

4860204360 五味アイコンブック #oshare in DICTIONARY (P-Vine Books)
五味岳久(LOSTAGE)
ブルース・インターアクションズ 2011-09-23

by G-Tools

通貨スワップを巡る読み方-Chosun Online | 朝鮮日報

ウォンの通貨としての価値が低下することも知らないまま、自動車、半導体の輸出を最優先してきた結果だ。国の経済がこれだけ大きくなった以上、そろそろウォンを金塊のように堅固な通貨に成長させるという指導者が現れてもよい時期ではなかろうか。

朝鮮日報の別のコラムでは「通貨スワップはもはや不要」という記事もあるし、この記事が韓国国内でも伝えられているものなのか日本向けだけなのかというところもあるけれど、韓国サイドの状況の読み方として、「日本はどの急所をつけば、韓国が地の涙を流すかを熟知している」とする読み方も存在していることを知るのは悪いことではないと思う。

何より本当にいちばん怖いのは、この記事が事実だとして、日本が他国に対してこういうスタンスを取れていることを、日本国内の報道ではほとんどまったくと言っていいほど伝えられず、国民がそれを実感できていないことだ。世界で自国がどう振る舞っているか、それを知らされない時に危うい事態は起きてきたと思う。

大和から伊勢参りライド 132.8km

どこでも行ける、きっと行ける。
200km走破する自信が完全についた、そんな伊勢行でした。 

あわよくば200km走ろう、そう目論んで考えた行先が、三重・伊勢志摩方面。大王崎まで走ると200km。50km以上走れるチャンスが月に2回あるかないか、で2年間ロードバイクを続けてきたくらいの僕の実力にとって、過去の経験を踏まえるとこれはかなりのベストコースで、

  • 後半に登りが来ない。100km以降はほぼ平坦。
  • 100kmまでは信号のほとんどない道で、ペースを保ちやすい。
  • 100km以降、松坂・伊勢・鳥羽・志摩・大王崎と、小刻みにマイルストーンがある。
  • 帰りが近鉄で帰れるので、交通費が安くすむし早い。

しかも天気も願ってもない秋晴れ。もし、200km走るとするとどう考えても10時間+休憩1時間かかる。賢島からの最終が19時過ぎなので、2時間余裕を見て朝6時出発でいいのですが、更に余裕を見て5:30出発。前日から朝早く起きて、睡眠サイクルを少しずらす念の入れよう。

コースはこんな感じ:

高低差はこんな感じ:

春日山を越えて柳生に至る斜度5%・5kmと、伊賀上津から青山高原までの4%・7kmが、ホビーライダーの僕にとってのヤマ。

走るにあたって、経験上肝に銘じたのは:

  • 青山高原を10時(4時間30分)までに下り切る。
  • 最初の100kmを11時30分(6時間)で走り切る。
  • 休憩は5分以内に留める。
  • 携帯カメラで撮影したりチェックインしたりは出来るだけ手早く済ませる。

特に信号同様、携帯カメラの操作は意外と時間を食うもので、1時間に1回、5分食うと、6時間で30分も走ってないことになる。それ以外にも休憩をする訳だから、出来るだけ手際よく済ませるように気を付ける。

 

まずは大極殿。6時前。朝焼けが綺麗で一枚。

 

最初の関門、369号を登り切ったあたり。

 

柳生焼、知りませんでした。「柳生焼窯元井倉」。隣に喫茶店も併設されてて格好良かったので一枚。さすがに朝7時は開いてませんでした。


大きな地図で見る

 

月ヶ瀬に入り、名張川沿いを走ります。月ヶ瀬は梅の名所ですが、柳生からの道中、ときおり金木犀が香り、早朝の冷えた空気と相俟って爽やかに走れます。オートバイのツーリングの方もたくさん見かけました。びっくりしたのは、道路脇のちょっとした休憩所のようなところに、猪が寝ていたこと!!引き返して写真撮ろうかと思いましたが起こして追いかけられたら大変なのでやめました。


高校三年間を過ごした土地のローカル線。

 

8:45頃、伊賀上津手前のふるさと市場のようなところで休憩。手前の斜度8~10%の短めの登りを終えて一息。東大寺前を越えてからここまで、コンビニはひとつもありません。自販機もほとんど見なかった気がします。

ここから青山高原越えが始まるので、9時まで休んで補給食食べようとしたら、市場の人が車止めのチェーンを開けにきて中に入れてくれました。

「どっから来たの?」「どこまで行くん?」「まあ中に入って食べてもろたらええさかい」ありがとうおじさん、と思いつつ、この体のおじさんを「おじさん」と思ってるのは、たぶんオレがこの辺で過ごした中高校生の頃から変わってないよな、あの当時もこんな感じの人を「おじさん」と思い、それはたぶん40代だよな、この方はどう考えても50代ではない、ということはたぶん、オレとそんなに年は違わない、けれどオレはあの頃から20歳も年を取っている。そんなことを思いながら、青山高原に挑みました。

 

途中でなんどかイヤになりそうでしたが、回し続けることが出来、無事登頂。そして一気に下る!この下りは相当楽しいです。キツいコーナリングはないし、交通量も多くないし。

登りは、柳生越えの時に気付いたことがあり、右手はブラケット、左手はアップバーにすると、すごく楽になる。 それに気づいて、青山高原の登りでも、きつくなったらときどきハンドルの位置をそうしてました。体が歪んでいるのか、ペダリングがなってないのか、足の長さの違いのせいなのか、いずれにしても困ったときに楽にできるポジションを知っておくと良いと思いました。

青山高原を下り切ったところでファミマ発見。9:45くらいで、起きてから時間は経ってるもののそんなに空腹感はなかったのですが、冷たい飲み物で水分補給を続けてるので胃が少し冷えた感じがして、温かいものを取った方がよさそうだと感じて、ミニどん兵衛を調達。駐車場の車輪止めに座って5分待とうとしたら、ガタイのいいおじさんが「これから登るんですか?」と声をかけてくれました。

「いや、向こうから登っておりてきたとこなんです」おじさんは何でも昔体操をやってたそうで、短時間で最大出力を出すトレーニングと、自転車とは違うんやろなあ、でも登りは出力要るやろしなあ、みたいな談義で盛り上がりました。トレーニング談義で盛り上がりながらどん兵衛で胃を温め、思わぬ形で15分休憩を取り、登りの疲れを癒して再出発。

 

今回のツーリングのベストルートを挙げるならば、近鉄大三駅近くから入る県道661号線、雲出川沿いのこの道を挙げたいと思います。亀ヶ広と言われるこのあたりは桜の名所だそうですが、枝だけの桜並木の足元に居並ぶ鮮やかな曼珠沙華。川土手らしく素直に平坦で、見通しもよく、どこまでもどこまでもこのまま足を伸ばしていきそうになる、至極のルートでした。ここを走りにもう一度行きたいと思っています。


松崎浦町の、三渡大橋のたもとで100km越えの休憩。目標としていた11:30に100km越えができ、途中で十分休憩も取れていたので余力もあり、大王崎を目指せるかな?と思っていたところ。

100km越えでちゃんとした昼食を取ろうと思ってたのですが意外にコンビニがない。いわゆるファーストフードもない。ようやく見つけたミニストップで糖分を取ろうとアイスクリームを食べ、取りあえず松阪には寄らずに伊勢に着こうと23号を走り始めた僕に最初の試練が!


パンク!右に曲がれば松阪駅近辺、という交差点を越えて2,3kmの養川交差点で後輪がパンク。調べてみたら、長さ5mmにも満たない太いホチキスの針のような針金が見事に刺さってました。写真がそれ(右上のは輪ゴムです)。交換を済ませ、側にあった自販機でリアルゴールドを飲んで再び走り始めた僕にすぐさま二つ目の試練が!

ガーミンがバッテリーロスト!!

最近、バッテリーが持たないので、ルートガイドとか極力させないように走ってたんですが、これから伊勢によったり鳥羽によったりと思ってたところでまさかのバッテリーロスト。国道を走ってると、出てくる案内が車向けなので意外と曲がるところが判らなかったりで、ここにきて結構テンションが落ちる。

ともかく、伊勢までは20km少しだし、そして、久居からこっち、平地ということもあって不思議なくらい足はよく出るんだけど、心臓も別に苦しくはないんだけど、痛みとまでは言わないけど微妙な違和感もあったりして、これは今日はこのくらいで切り上げろということかと思い、伊勢神宮はお参りして、伊勢うどんは食べようと気を取り直し、さっそく曲がるところが判り辛く、路地に入ると途端によく判らず、ケータイを使いながら伊勢市駅前の開けたところを目指そうと走った僕の眼に飛び込んできたのは・・・

 

 「伊勢まつり」で歩行者天国になっている大きな道路でした!

その道路の先で踊りを踊りながら進む着物姿の女性の列を見、なんだろうあれはと近づいて写真を撮っていたら脇のおじさんに「兄ちゃんは大学生か?」と恐ろしい間違われ方をし、そうこうしているうちに気持ちは外宮・内宮参りをしておかげ横丁回って帰ろうと言う気持ちになり、伊勢うどんを食べて家路についたのでした。

 

僕を大学生と間違えたおじさん(笑)

 

自転車は神社に入ってはいけないともちろん知ってますので、外宮も内宮も敷地の外から覗かせてもらいました。伊勢うどんはやっぱりおいしかったです。

200kmを走るための残りの課題は、ずっと課題として判ってはいることですが、

  • 体力的に問題なくても、100kmを越えるとどうしても飽きてくる。5,6時間同じことをしているので。
  • なので、より早く走るためには、平地の速度を上げる必要がある。できるだけ信号のないルートで、巡航を上げる。

この二つを頭において、近いうちに200kmにトライしたいと思います!

    街の本屋で本を買う - 2012/10/05 ABCブックセンター京田辺店

    「ABCブックセンター」という書店のホームページがどうしても見つからない!青山ブックセンターとは違うのは間違いないみたい。

    仕事の待ち合わせで15分くらい早く着いたので、時間潰しに駅前の「アルプラザ京田辺」の中の「ABCブックセンター」へ。スーパーに入っている本屋は、だいたい雑誌メインのつくりをしてるので、こういう時間潰しのときの本探しにはいいのだけど、残念ながら雑誌を買うような気分でもなく。かと言って文庫本は探して周りにくいんだよな~このタイプの陳列だと・・・

    と思ってたら、平積みコーナーに『ソハの地下水道』発見!日経夕刊の映画評を読んで猛烈に惹かれていたので迷わず購入。スーパーの平積みコーナーに置かれている本なんて、たいてい何かのキャンペーンとかタイアップとか、マスでよく名の通った売れやすいものでしょと思ってて、まさかこんな本が置かれてるとはゆめにも思いませんでした。見やすいところはちゃんと見て回るものだと反省。映画を先に観ることになったので、この原作はじっくりと読んでみようと思います。


    大きな地図で見る

    4087606503 ソハの地下水道 (集英社文庫)
    ロバート・マーシャル 杉田 七重
    集英社 2012-08-21

    by G-Tools

    『ソハの地下水道』

    僕の日常というのは、なんと腑抜けた日常なんだろう。
    「命の大切さ」なんて軽々しく言っていい言葉ではない、そう思った。

    第二次大戦中、ナチスドイツの占領下にあったポーランドが舞台。もともと多民族主義の伝統のあるポーランドは当時ヨーロッパでもユダヤ人が最も多く居住する国のひとつ。ホロコーストを恐れ下水道に逃げるユダヤ人が、その下水道で、下水修理を生業とするポーランド人のソハと鉢合わせする。通報を恐れるユダヤ人。しかし空き巣を副業としている俗物のソハは、通報しない代わりに金銭を要求する-。

    まず「死」のあまりにありふれた光景に脳天がくらくらする。下水道に大勢のユダヤ人が逃げてきた後、現実的に匿い続け切れないと判断したソハは、「11人選べ」とユダヤ人達に言い放つ。ユダヤ人達はいったい誰を選ぶのがいいか言い合いになり、せめて12人と言い、そういううちに14人、15人となり、ソハは「ユダヤ人というヤツは命まで値切るのか」と怒鳴る。そうして、匿われる11人が決まり、移動を開始する。

    え?え?残りの多数のユダヤ人は、地下水道で見殺しになるのか?-なるのだ。そして、当然のように餓死し、ソハは「遺体は隠さないといけない」といって、地下水道から出た川に遺体を投げ込む。なんの造作もないように。

    ソハは全く善人じゃない。盗人だし、命と引き換えにユダヤ人から金を巻き上げる。しかし、その巻き上げた金で彼は食糧を買い、危険を冒し、地下水道を通りユダヤ人に食事を運んであげる。そういうソハの日々を観ながら、観ている僕の胸は常に不安が支配する。「ユダヤ人も、無尽蔵にお金がある訳ではないだろう」「この地下水道生活が、いったい何カ月持つというのだろう」。

    事実、ユダヤ人のお金は尽きてしまう。ユダヤ人グループのリーダー各の老人がソハにそのことを打ち明けると、ソハは言う。「そのことは皆に言ったのか?」いや、と老人が首を振ると、ソハは自分のポケットから札を取り出し渡していう、「いいんだ。みんなの前でこれを渡せ。お金も貰わず支援するヤツだと思われたくない。」

    簡単に人が死に、人が殺される状況のポーランドの中で、家族さえ巻き込んでまでユダヤ人を匿おうとする俗人の心の葛藤なんて、僕にはスカイツリーから飛び降りたって多分ちっとも理解することはできない。僕はあまり映画を観る生活を送ってないので、もしかしたら、この映画の描写に勝る映画もたくさんあるのかも知れない。でも僕にとってはこの映画は、今の僕の日常や、目に飛び込む日本国内の数多のニュースになる出来事や人びとの、ほとんどすべてを、特に自らが「大変なことです」とぬけぬけ言ってる出来事を「ばかばかしい」と思わせるに十分な衝撃力だった。この、ソハという「ただの人」が、実際に命を賭してやり切ったことはいったい何なのか。彼は決して善行を果たそうとして、自らの行いを善としてやり続けていたのではないと思う、そういう意識ではないと思う、でもだったらいったソハの行動はなんだったのか。もうどうしても僕はこのソハの心理の深層に迫りたい。映画が何かを言えるのだとしたら、僕はこの映画のようなことを言ってほしいと切に思う。

    それにしても、日本ではテアトル梅田という比較的小規模な劇場で上映されるような作品に、こんな凄まじい映画が出てくるなんて、ほんとに率直に言って日本の映画というのは大半が暇つぶしみたいな、せせこましい、突き詰めてないうわっすべりなものなんだな、と思いました。

    一生モノ

    最近つくづく思うのは、「一生モノの哲学なんてないんだなあ」ということ。 哲学は「考える」ことなんだから当たり前なんだけど、時代によって常にアップデートされる。

    4309463754 哲学とは何か (河出文庫)
    G・ドゥルーズ F・ガタリ 財津 理
    河出書房新社 2012-08-04

    by G-Tools

    変化を織り込んだ、「メタ」な哲学を振り回せばそれも回避できるけど、いつの時代も切れ目なく思想家・哲学者が現れるということは、哲学は不易ではないということだし、死ぬまで自分の知らない世界があるということ。

    ある個人はひとつの哲学を金科玉条として生き抜けるかも知れないけど、古臭い哲学を振り回すことが、世の中には悪影響を与えてるかも知れない。もちろん受け継ぐべきものはたくさんあるけれど、アップデートを止めることは往々にして胡坐をかくことになっていて、それは本人はなかなか気づけない。

    2012/10/04

    誘われないのに断るセリフを覚えて

    • 熱意を持って頑張る人、何かをなし遂げた人の努力を虚仮にするヤツを、僕は何があっても絶対に許さない。
    • 同じように、真摯なスタンスを不用意に足を引っ張ったりそれを称賛したりする行いを、僕は何があっても完膚なきまでに叩き潰す。表に出て来ればいい。
    • 出て来れないなら、つべこべ言うな!陰でぐちぐち傷をなめ合うように生き延びているだけの連中に時間をとられていられない。
    • 今のポジションは今のポジションとして、当たり前の気は配りながらも、人にどう思われようと、やるべきこと自分がよいと信じることを地に足をつけて実行するのみ。

    どこに居てもミスキャスト
    独り言が増えたロストマン
    誘われないのに断るセリフを覚えて 

    お勧め奈良サイクリングルート - 奈良盆地一周・大和三山と三輪山を拝む80km!

    奈良好きのサイクリストの僕が絶対の自信を持ってお勧めする気楽で楽しいツーリングコース!!
    今度の三連休、どこ走ろうかな~と決めかねているホビーサイクリストの方、ぜひ走ってみてください!
    大阪からなら生駒まで輪行でスタート・ゴール、京都からなら西大寺まで輪行でスタート・ゴールにすると楽々です。


    より大きな地図で 大和三山+三輪山周遊80km を表示

    奈良盆地のほぼ外周に沿ってぐるっと一周するルートです。厳しい登りはありません。気持ちよく楽しめると思います。ルートにはコンビニも潤沢にあって、休憩ポイントには困りません。初めて100km走破に挑戦しよう、という方にも、少しルートを伸ばして100kmにできる(例えば畝傍から明日香を訪れた後、香久山に向かう)、お勧めルートです。

    ちょうど走るのに飽きがくる40km越えあたりで、大和三山を拝めます。ここで、橿原神宮に立ち寄るのもよいです。ツーリングのメインを大和三山・三輪山・大神神社というちょっとシブめのポイントにしていますが、有名どころの法隆寺や明日香村、東大寺・薬師寺・唐招提寺や春日大社にも立ち寄れる、ほんとに奈良を満喫できるルートです!

    奈良を走ったことがある方にも、走ってみようと思っている方にも、参考になれば嬉しいです!

    「主」なき御宣託 または 転向への反抗: 村上春樹氏の領土問題に対するエッセーを読んで

    朝日新聞デジタル 村上春樹さん寄稿 領土巡る熱狂「安酒の酔いに似てる」

    作家の村上春樹さん(63)が、東アジアの領土をめぐる問題について、文化交流に影響を及ぼすことを憂慮するエッセーを朝日新聞に寄せた。村上さんは「国境を越えて魂が行き来する道筋」を塞いではならないと書いている。

    今は会員ログオンしないと読めないけど(「朝日新聞はケチだ」みたいなコメントをときどき見たけれど、当日記事は無料、バックログは会員ログオン必要、というのはニュースサイトでは普通だと思うし、当日ニュースが無料で見れるのが一般的になったこと自体恵まれたことだと思う)、僕は当日、全文を読むことができました。読んだその時は、「同じような主旨でも、言い方と表現でずいぶん説得力が変わるものだなあ。学ばなければ。」と思ったのですが、しばらくして結構大きな違和感が、やっぱり沸々と湧いてきました。

    僕は、尖閣諸島は日本固有の領土だと思っています。その前提で考えているということをまず書いておきます。

    村上春樹氏のエッセーは、「これはやはり、日本人固有の”お上精神”の発想だな」と、つくづくと思ったのです。

    尖閣諸島は日本の領土で疑いはないと思っているところに、様々な理由をつけて中国の領土だと言い募られている。そして、日本企業がもはやテロの域に達した暴動で、膨大な損害を被っている。中国では日本製品や日本の文化物が店頭から消えていっている。そんな中でも、日本は、特に、文化的な報復をするべきではない、これまでの先達が累々と築いてきた努力を無駄にしてはならない、という趣旨のことがエッセーでは述べられる。

    これはこれで確かに至極全うで、恐らく国際的にも認められる振る舞いだとは思うけれど、そういう褒められた立ち居振る舞いだけで問題が解決しないのがまた国際社会で、だから我々日本人は大きな苦しみを感じているのだと思う。北方領土、竹島、尖閣、こういう領土問題は、我々日本人が二度と侵略戦争を起こさないように過去から未来に受け継がれるシンボルとしての「問題」だという考え方を取ることもできるけれど(実際、未来に渡って我々日本人がそういう過ちをもう繰り返さないという保証はどこにもない、今この現代でさえ、何とならばやりかねない思想が見え隠れするくらいだから)、それはまた別の問題、別の文脈なのでここでは置いておきたい。

    尊敬に値するような振る舞いを続けて耐え忍ぶことで、いつかそれが報われる日が来る。村上春樹氏のエッセーを、「問題解決」の観点で読むならばこういうことになる。繰り返しになるけれど、国際社会というのは、正しいことを正しいと言い続けるだけでその正論が通るような世界ではない。国際社会どころか、日本の、日常の社会だってそうじゃないか。だから、「問題解決」するためには、何らかのやり方が必要になるのだ。我々の考え方を判ってもらうための、何らかの「やり方」が必要になる。その「やり方」が褒められたものではないからとこちら側は控えていたとしても、相手側はその「やり方」を行使し、それが十分効果的で、そちらのほうが優勢になり、「正しい」ことになることも、充分あり得るのだ。

    そんな中でも「正しい振る舞いを取りなさい。そして、時が来るのを待ちなさい」というのは、「お上がすべて見てくれていて、いつか正しい裁きを下してくれる」という、日本人の「お上思想」独特だと思う。同じように「神」を信じている文化圏でも、その対象が(人ではなく)「神」である国の人びとは、現実社会では相互理解のために「相手」に対して必死で言葉を、「やり方」を繰り出す。

    だから、我々日本人の「やり方」のためには、ほんとは、その耐えている一般国民の姿に応える、問題を解決する「お上」がいてこそ成り立つものなのだ。相手は、「問題解決」するために、詭弁も使えば「デモ」も使う、ありとあらゆる「やり方」を使ってくる、でも我々は「正しい振る舞い」を強いられる、その我々の苦労に報いてくれる「お上」は政府なのか何なのかは判らないけれど、とにかくそういう存在があって初めて「問題解決」に繋がる「やり方」なのだ。

    そして、村上春樹氏のような「大きな声」を持っている人は、その声を、こういうエッセーのような内容を、国内に向けるのではなく、国外に向けて使うべきで、つまり、「お上」にならなければならない立場の人だと思う。僕はまだ調べていないので、村上春樹氏が中国や国際社会に対して、どのようなメッセージを発しているのかは判らない。もし、氏が、我々の「お上」になるようなメッセージを発していないとしたら、それは、「大きな声」を持つ者としての自覚に欠ける、と思う。

    そう、戦後の日本というのは、ある意味で、「大きな声」を持つ者が、その「大きな声」を持つ者の自覚を持たず、あるいは敢えて気付かない振る舞いで、そうすることで利得を得続けてきた歴史だったと思う。村上春樹氏のエッセーも、自著は多く東南アジア各国の言語に翻訳され、かつては海賊版が横行したこれらの地域も近年では市場が確立し、緊密な文化交流圏が成立している、と語っているが、自らが「お上」になることなく、我々に忍耐を強いるというのは、自分の経済的基盤の保護を優先していると思うことさえできる。

    中国マーケットを無視することは、経済的にはできない。それは重々承知している。けれども、経済的な「痛み」を避けて通ってきたことで、数々の「筋」を滅茶苦茶にしてきてしまったことを、少なくとも僕たち団塊ジュニア世代は知っている。自分たちの親たちが、転向に転向を重ねて「経済」のみの価値観を築き上げてきたことによって。そして僕たちはオウム事件と小泉政権を通過して、大切なもののためには必ず「痛み」が付きまとう、という言説に潜む危険性にも十分自覚的になっている。その上で、僕たちは「正しく」振る舞わなければならないのだ。