独走会 - 米原

150kmを目指して走ったものの雨に打たれて115kmでリタイアしましたが、いろいろ多くの課題点が見つかったツーリングでした。

7/7の「轍」さんのツーリングに参加した際の課題点を踏まえて、巡航速度を上げることをいちばんの課題に走りました。生駒を出て三山木・宇治田原を経て石山、そこから琵琶湖沿いに米原へ。石山までの50kmで軽くアップダウンを熟して、湖岸の平坦道をひたすら走りました。

数値的には巡航速度は25.4km/h。ただ、6:00に生駒を出て米原着は12:00。休憩も含めた移動速度は17.8km/h。合計2時間くらい停まってる計算になる。石山までの50kmまでは1度休憩しただけ、途中落石で交互通行になってる箇所が3か所くらいあって、合計しても15分くらいしか停まってないと思う。石山で雨宿り含めて15分休憩して、残りの65kmを3時間15分。単純に割ると20km/h。石山からの65kmはド平坦で湖岸道路で信号も少ないけど70km越えたあたりから腰が痺れ、太腿も辛くなり、休憩の頻度が増えたにも関わらず20km/hで、今の私の体力はこの速度が限界。前半は走行中は概ね30km/h、後半は27km/hを維持していたので、これ以上のスピードで、足を疲れさせずに走るために何が必要なのかを理解してトレーニングする必要がある。

昨日から雨の心配はあったのだけどうまい具合に降られずに済みながら走ってこれたものの、近江八幡を過ぎたあたりで豪雨に降られ、その後はもう延々雨。彦根に入ったあたりで更に強まり、もう全然気持ち立て直せず。米原について、この先、山道に入るのにこの雨が続かれるとさすがに危険だしということで切り上げ。動画は、まだ雨に降られる前、ひまわりじゃないけど黄色い花が咲いてるので気分ツールドフランスごっこで盛り上がってたエリアです(笑)。

以下、恒例の箇条書き:

  • 天気予報が雨の心配がある際は、着替えを持って行くこと。
  • 少し大きめのサドルバックとしてCalladiceのNelsonを愛用してるが、日帰りのツーリングにはやはり若干大きいし重い。バックパックは背中が暑いし体にも負荷はかかるしということで今回はNelsonを使ってみたけれど、やはり重さが少し気になる。検討して、程よいサイズ程よい大きさのサドルバッグを購入することを考える。
  • どうしても必要な荷物というのは、履き替えの靴。輪行の際、シューズの踵を減らしたくないので。これと輪行袋が入ればよいので、それほど大きいものは要らないはず。
  • 70kmを過ぎた後、1時間走り続けられなくなるのは大きく3つ、①腰が痺れる不快感②太腿の疲れの不快感③心拍数が160を下回らない。心拍数が160以上というのは無酸素運動の域なので、やはり如何に高ケイデンスで走り続けられるようになるかが必要になる。巡航速度は高めを維持できたけれど、ギアは少し高めのものを使い続けていて、ケイデンスは平均70くらいだった。
  • ゼロスタートの練習はだいぶできたと思う。楽に走るためには、素早く巡航速度まで引き上げるほうが楽だということはよくわかった。
  • 雨で気持ちが折れたというのは、到着時間の目標を立てていることが関係してる。できれば13:00までに150kmを走り切りたかったのだけど、雨に降られてそれがかなり難しいとなったとき、切り上げてしまおうという気持ちになる。でも150km走るとなるといろんなアクシデントは考えないといけないので、基本的には後ろを気にしないスケジュール感で今後は挑みたい。そうそう、その距離を走る機会はない訳だから、途中でリタイアするのはやはりもったいない。
  • エネルギー系補給食の補給のタイミング。


雨に降られ完全に心が折れた図(笑)。

LOSTAGE "CRYPT CITY 2nd ALBUM [Defect] RELEASE LIVE" 2013/07/12@心斎橋PANGEA

6/11のw/dandylionに行けなかったので、凄く楽しみに行きましたが、完全燃焼のめっちゃええライブでした!

新曲2曲に『GO』から(であってる?)2曲と、なかなかにゴージャスなセットリストでしたが、僕にとってのベストアクトは『楽園』でした。念が籠ってるというのか無心というのか、圧倒されました。間奏あけで堪らず目を閉じて聞き入ったのですが、風圧というか音圧というか、ステージから来る圧が物凄かった。いいモノ見せてもらいました、いい場に居させてもらいました。目を閉じて聞き入ると、拓人さんのコーラスの、正にコーラスの存在感もひしひしと感じられ、全部の音が明瞭に押し寄せてくる、そんな圧でした。

・・・と思ってたら直後のMCで拓人さん、「エフェクタ全部忘れて慌てて取りに戻って19:15くらいにOPAについて汗だくで。ちょうど体あったまってコーラスも凄い声出る」なんてオチ(笑)。兄さんに「毎回そうしろ」と突っ込まれてました。

『SURRNEDER』はおおっと声出ました。2,3、ファンブログ読ませて頂くと、『X』のほうが珍しいそうですが、僕は『SURRENDER』におおっとなってしまいました。決して美麗ではないですが、あれを再現しなくても今の『SURRENDER』がこうだと言える、そういう自信持ってる感じに受け取れましたが、どうなんでしょう?最後に演奏された新曲は、言ってることは相変わらずおだやかじゃなさそうでしたけど、音像は穏やかというのとはちょっと違うけど、どっしりしたものがありました。落ち着いてるというか。安心はしてないけど落ち着いてる、そんな感じ。

後ろでRUSH BALLの話してる子がいて、こんないい演奏みせられると、年甲斐もなく見に行きたいなあと思ってしまいました。


sankakuでの五味さんのライブでお知り合いになったカワかわさんと再会、記念撮影!カワかわさん、HANARART楽しみにしてます~!

「轍」さんの「三船さんと走ろう 七夕ツーリング」に参加しました

偶然見つけた京都の自転車店、「轍」さんの「三船さんと走ろう 七夕ツーリング」に参加してきました!

とても楽しく、いろいろ感想はたくさんあるのですが、いちばん思ったのは、今回、8:30出発で戻ってきたのが16:30、8時間走った訳ですが、走行距離は以下の通り90.7km。私の足は全く遅いのですが、それでも過去実績だと8時間で巡航20kmで150~160km走れるのは判っている訳です。150kmだと敦賀に行ってお釣が来ます。私が参加した班は三班中で最も早い班だったので巡航速度が遅いのではありません。じゃあなぜこんなことになるかと言うと、要は走ってない時間が長いのです。昼食ポイントが日吉ダムだったのですが、2時間くらい休憩してました。それを取り返せる足を持ってる皆さんが僕の班だったので、それは凄いなと思うしそこまで足を鍛えないといけないと思うのと同時に、自分にとって自転車の愉しみは、自分のペースでいいからできるだけ遠くにたどり着きたいというものなので、無意味に停まってるのはちょっと性に合いませんでした。ペースが遅くても走り続けているほうが好みです。そう思うのは、休憩時間のタイムマネジメントが若干よく判らなかったからかも知れません。


日吉ダムカレー。多くは語るまい。


美山牛乳ソフト。カレーも美味でしたがこちらも美味。


「自分のペースでできるだけ遠くへ」とは言え、早く走れるに越したことはない。今日、改めて痛感した自分の弱点、それは:

  • 出足が遅い。前走との差を埋めるために余計な体力を使う。
  • 70kmを過ぎたあたりで、回せなくなる。

出足の問題は、正しいゼロスタートをちゃんと練習しないと。回せなくなるのはもっと自転車に乗るしかない。

以下、恒例の箇条書き:

  • おいしいポタリングは素晴らしいイベントです。そして独走会もかなりいいアイデアだったと思います、ほんとに。
  • 後半、主催者車がパンクし、後続の2班に抜かれたので、私の参加した班は挽回すべく飛ばしたのですがそれが44km以上。なぜなら44kmで追いつけなかったから。私はとてもじゃないですがついていけませんでした。何かあった時にリカバリできることも含めた班分けが理想だと思う。
  • 前走のペースに合わせて車間を維持するのは相変わらず難しい。
  • なんか自転車乗りってやっぱりちょっと性格悪いな、とちょっと思った日でした。


「対談 仲川げん奈良市長・堀義人グロービス代表」拝聴してきました

たまたま機会に恵まれたので、仲川げん奈良市長と堀義人グロービス代表の対談を拝聴してきました。

https://www.facebook.com/events/219725538174816/

仲川市長は日本で二番目に若い市長で、当選したときは、奈良市が若い市長を選んだということに大変驚いたことを覚えています。若ければいいという訳ではもちろんないですが、極力動こうとしない奈良という土地で、33歳の市長を立てたというのは物凄いことだったと思います。

さてこの日の対談は、オープニングの説明によると(私はたまたまネットで見かけたので、二人が対談するということだけ知って参加した)グロービスが主催で、日本各地の政治家との対談をやっているそうです。21日に市長選を控える中、絶妙のタイミングでした。

まず最初に苦言したいのは、毎度毎度というか運営の拙さ。奈良でこの手のイベントに参加してみる度、なんだこの運営は、といつもがっかりします。来場者への挨拶がない、受付はたどたどしい、開始は2,3分遅れる、そもそも建物の表にイベント会場の目印が出ていない。イベントが始まって、ビデオカメラのために参加者を移動させたこともあった。あんなの、最初からカメラチェックしてればその席を設けないようにできたんじゃないか。イベントが終わった後も挨拶がない。よく知っている人同士の集会になっている。仲川市長の後援会の方は名刺持ってひとりひとり挨拶に回っていらっしゃいましたが、こういうイベントをやって知ってるサークル内で会話するいわゆる「パーティ」にして何か意義があるのかな?と毎回思います。

では恒例の箇条書き:

  • 質問もさせてもらいましたが、堀さんの「生態系」という言葉が大切だと思った。奈良に限ったことではないかも知れないけれど、「お上が何かを授けてくれないから」「環境をお上が整えてくれないから」という姿勢の人が多過ぎると思う。
  • もうひとつは「正解なんかない」というところ。我々は、「正解がどこかに落ちている」「やり方を磨きさえすれば、成功するはず」と常々思っているけれど、正解はどこにも落ちていないし、やり方そのものが間違っているのかもしれない。
  • 一方、リーダー塾的な構想は、今の奈良に必要なのかどうかはちょっとよく判りませんでした。「自分の足で歩く」という意味でのリーダーシップを抱く人を増やす必要はあると思いますが、「トップ」という意味でのリーダーよりは、実践力のあるプレイヤーを増やす必要があるのではないか。
  • 「生態系」を作ることでの「にぎわい」の振興は、正に奈良に必要なことだと思う。問題は、「奈良府民」もその渦に巻き込めるかだと思う。「奈良県民」だけでにぎわいを作り、「奈良県民」を増やす、という方向性は、個々の生活を考える限り現実的ではないと思う。
  • ソーシャルネットワーク等のネットワークでの情報発信やコミュニケーションはコストがかからない、というのは若干時代遅れだと思う。どんなことでも、「当たり前」に近づけばコストがかかるようになる。ITの世界では特にそうだ。埋没してしまうのだ。

私は生駒市民ですが、市の内外を問わず、こういったイベントに積極的に参加してみようと思います。

独走会 - 朝護孫子寺-法隆寺-みやけ

ロードバイクと名刹と氷。これぞ日本のツーリング。奈良に住んでて良かった!

独走会と言うのは富雄の超絶カッコいい自転車屋TRANSITの走行会「おいしいポタリング」の参加者の(すごくカッコよく言うと)スピンアウトで、「独りで走る愉しさ」を知る大人の集団、ということにしています。その独走会の壮行会、「独走会(どくそうえ)」というのをやってまして、集合時間と場所だけ決めて、途中輪行でも何でもいいからそこまでやってこい、という、自転車でやるフラッシュモブ的なことをしてます。前回は長谷寺、今回は信貴山朝護孫子寺に行って参りました。

朝護孫子寺へは普通は王寺側から登るのだと思うんですが、ルートラボで下調べしてその勾配に恐れをなした僕は、168の途中、平群駅付近で西に入り、フラワーロード経由で朝護孫子寺にたどり着くことを目指したのですが…


真ん中の縦線が朝護孫子寺、下りは王寺駅側に向かって降りているんですが、正直、そんなに変わりませんでした…。ただ、フラワーロードの途中、高架になっている地点から斑鳩方面を眺める景色は壮観でした。


進行方向と逆側なんですが、向こう側は路側帯も狭く歩道もなかったので、やむなく対岸に渡って歩道で撮影です。


長谷寺からの眺めも絶景でしたが、朝護孫子寺からの眺めも負けず劣らずの絶景。長谷寺へはそれほど登らなかったですが、朝護孫子寺はかなりの登りを熟して辿り着いたので、感激もひとしおです。


せっかくですのでその足で法隆寺へ。山に建てられた朝護孫子寺を見てきたところなので、法隆寺が如何に平地に建てる良さが生きているかを感じます。配置の調和の美しさ。拝観料が1,000円なのに驚きましたが、昨今富士山の世界遺産登録で維持費が取りざたされているように、日本最初の世界遺産法隆寺も、その維持に責任を持っているということなのかと思いました。


そしてシメは富雄のかき氷の名店「みやけ」。旧鴻池邸であるこの建物、その風情は超一級です。夏のサイクリング、走り終えてクールダウンに町屋でかき氷。これ以上乙なことはなかなかありません。


という訳でこの約40kmのルート、日本の夏のツーリングの醍醐味満載と言っていいんじゃないでしょうか。お勧めです!

「やりたいこと」と「向いていること」

<大阪市>公募校長が着任3カ月で退職

直感的にいろいろ思うことがある。校長先生は辞職の自由はないんだろうか?もちろんある。けれど、校長先生が3カ月で退職するというのには何か受け入れられない感覚がある。それは校長先生だからだろうか?「公募の」校長先生だからだろうか?まず校長先生が3カ月で退職するというのはあまり聞いたことがない。聞いたことがないから、ニュースになっている訳だ。あまり聞いたことがないということは、今までに例のなかった「公募」の校長先生だからできたことということになる。公募の校長先生と、従来の校長先生の違いは何か?従来の校長先生は、たいてい、教職採用試験を受験し合格して先生となって経験を積んで数十年の後に校長先生になる。公募の校長先生は、「校長先生」として採用試験を受け、採用され、校長先生に収まる。

雇用の流動性を高めることが、高度消費社会において就業機会を広げる解のひとつとして、学校の先生も高い流動性の下にあってよいのだろうか?という疑問がある。公募校長の辞職は、雇用の流動性と、適職へのトライ&エラーという、現代社会で半ば「自明の理」扱いされている二つの真理に疑問を投げかける。自分には「教育を変えたい」という熱い想いがある。外資系証券会社という、ハードなビジネス界でのハードな経験がある。ならば「校長」公募に応募し、校長となって理想の教育を邁進しよう。そしてその結果、この現場は「自分の能力を活かせる場所ではなかった」と3カ月で見切って退職する。

向いてないことに時間を費やすことは短い人生で無駄でしかない、という風潮の中で、「石の上にも三年」などと言うこと自体、アナクロニズムに違いないが、ここには根本的な混同がある。彼は、「やりたいこと」をやろうとして校長の公募に応募したはずで、「教育現場が自分に向いている」から公募したのではない。そこまで向いていると思うなら、二十歳自分で教職の道を目指していておかしくないと思う。教職の道は目指さず、(その前にどんな経歴があったのかは存じ上げないが)外資系証券会社というキャリアを歩んでいる中で、「教育を変えたい」という「やりたいこと」を見つけて、校長に挑んだはずだ。ならば向き・不向きは関係ない。向いていないことのほうが多いだろう。「場所」がどうであるかは関係ない。自分の能力を活かせる場は、自分で作りだすのだ。

彼は、大阪市が「英語教育に力を入れる」という方針を掲げたのだから、それを金科玉条にできる環境なはずだ、と思ったのだ。そこに誰も逆らえない大義がある、と。誠に幼稚な考えだというほかない。仮にそれが大義だとしても、大義として実現させていくためには自分で行動していくしかないのだ。おぜん立てがされていて、そこに収まれば、自分の想いに沿った大義が実現していくようなら、その大義はとっくに実現されている大義だろう。

校長を「公募」すればこういうことは起こり得る。組織の長を内部からではなく外部から採用することは企業においては普通のことで、外部から採用された社長が1カ月で退任とかも珍しいことではない。では企業と学校で、分けて考えなければいけないことはあるか。企業も「継続性」が求められるが学校は企業とはけた違いに継続性が求められる場所だ。その主役は学生・生徒で、彼らは自分が所属している学校は少なくとも自分が卒業するまでは「当然そこにあって然るべきもの」という感覚で過ごすことが保証されなければならない。成長に過程にあって、学校は家庭と同じくらいに重要な居場所だ。その環境が、あまりに安易に変更されるべきではない。方針が変えられることこそあれ、個人の「自分の能力を活かせる場所ではない」というような理由で校長が変わるような事態はあってはならない自体だと思う。校長を「公募」すればこういうことは起こり得るのだから、校長を「公募」することを実現した判断それ自体がお粗末だったということになる。

教育の場というのは、学生・生徒が「やりたいことをやる」ための場であって、関わる教師や教育委員会や大人たちが「やりたいことをやる」ための場ではない。

独走会 - アヤイチ(菖蒲池一周)

ビワイチとか、アワイチとか、奈良にも一周できるとこないんかなあ~…あるやん!菖蒲池!!

ということで、アヤイチしてきました。

ルートはこんな感じ。実際にはもっと池の外周に沿って走れる道があるようです。

菖蒲池は2004年まで遊園地があったところ。今はメインは住宅地になっていますが、きれいに整備された住宅地のシンボル公園になっているので、走行は気持ちよいです。池にせり出した休憩場所があって、周回する愉しみもありそう。

途中で出会った亀。君に負けないくらい、着実に前に進んでいきますよ。これから。

痛恨事

こういうノリの話は(ウチの)会社の人間にはしてはいけないと肝に銘じてたのに、うっかり勢いで話してしまった。こないだ、東京から上司が来阪したので飲みに行き、その場で話の流れで蒲郡行きの話をしてしまったのだ。蒲郡に、10年後の自分に手紙を出せる時手紙というのがあって、そこまで自転車で行ったという話を。

この話をしてしまったのはほんとに痛恨だった。こういうことを「おもしろい」と思う感受性は、誰しも持っている訳じゃない。持っていても「おもしろい」と人前で言うかどうかも別問題だし、そういうのを持っているのは「若い間」だと決めてかかっている老年は、この話を聞いて話者の僕を「青臭い」と見做すようになる。ナイーブ扱いされてしまう。

何をおもしろいと思い、どんな情熱を胸に抱くかは個人の自由だけど、その「個人の自由」-つまり「他人の自由」を尊重できない人はただくたびれてしまっただけの枯れた人間と言い切って差支えないだろう。成熟も円熟も人生に必要なことに違いないけれど、それらすべては「たくさんの視点」を自分の中につくれるからこそ必要なことなのであって、わからないこと・できないことを増やすためのものではない。僕は視点を増やしまりいわば王道で、人間性はもちろんビジネスでも成長を続ける。


『さきちゃんたちの夜』/よしもとばなな

 よしもとばななを読むときの個人的なテーマがあって、それは「収入を得るということがどう描かれているか」ということ。初めて読んだのが『N・P』で、そこから遡って既刊作を読んで、以来読み続けている中で、僕にとってのばななの転換点だったのが『海のふた』だった。ばななの作中の人物の半ばオカルトチックな魅力は抗いがたいものの、読み続けていてどうしても残るしこりのような不満、それは、「この人たちの生活ベースは浮世離れしすぎてて、一般庶民の僕らの世界の物語ではない」という感覚だった。おじいさんの遺産が転がり込んできたのでつつましく生活すれば一生働かなくてもいいようなおとうさんから生まれてきた娘、みたいな設定の下で奇跡を起こされても、ばななの作品世界ではそれでも心を打たれてしまうものの、やっぱりそれを自分の日常生活に活かすには求められる飛躍が大きくて、どちらかというと「寓話」というか、子ども時代にしつけのために読まれて刷り込まれる昔話的にしか活かせなかった。

 それが、『海のふた』は違った。正確には思い出せないけど、かき氷屋を初めて自分で稼ごうとする主人公が登場するのだ。僕はこの作品を、それこそ胸に大事に抱くように読んだ。あらすじすら正確に思い出せないけれど、「自分で稼ごうとする主人公を、よしもとばななが描いた」というその感動は今でも全く色褪せずに胸の中で輝いている。

 そして本作なんですが、これはもう『癒しの豆スープ』に尽きる。他の四篇ももちろん素晴らしいですが、『癒しの豆スープ』はとんでもなくよいです。ばなな独特の馴染のある恋愛・家族ストーリーを縦糸に、「生きる」こと「働く」こと、つまり「仕事とは何か」という、ばなな独特の世界をともすれば曇らせてしまいそうなテーマを横糸に、これ以上ないバランスで描き切られている。金儲けに走るスタンスを否定することはなく、お金に拘らないスタンスを奇異に持ち上げることもなく、それぞれの道にはそれぞれの道の意義があり、その意義を全うするためにはそれぞれに辛く苦しいハードルがあり、その意義を全うするために進んでいる限りそれは正しい歩みであり誰に否定されるものでもないということを、全力で描き切ってある。もし、これを読んで、「収入を得る」ということに対する全方位的なスタンスがわからないとしたら、その人にはもう働く資格なんかないと言い切ってもいいかもしれない。それくらい、「それぞれにはそれぞれの道があり、それは深く意義を理解することで判り合えるもの」ということが込められた物語だと思います。

 それにしても、吉本隆明を読んで、よしもとばななを読んだら、当面、そこそこの程度の本だと読めないんだよなあ。全然おもしろいと感じなくなる。困ったもんだ。

さきちゃんたちの夜
よしもと ばなな

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独走会 - 暗峠

生駒市民たるもの、折に触れ、暗峠は登っとかなきゃならんでしょう!

とは言え、出来は散々でした・・・。平均斜度10.5%、最大斜度25%超、距離3kmの激坂、暗峠。大阪側ほどではないにせよ、普通の坂じゃないことは明明白白です。半年ぶりくらいのチャレンジで、登り方を忘れてて3回足をついてしまいました。途中、踊り場のようになだらかになるところが2回あって3パートに分かれてるイメージを持っているんですが、最初のパートでも斜度15%越えるのでそこで心拍数を持っていかれてしまいました。ただ、ラスト1kmの激坂は意外にきつくなかったというか、やっぱりアップの重要性を感じました。ちょうどいいアップができていると楽に登れるんですよね~。

正直、暗峠なんて登ったってなんにもおもしろいことないです。無闇にきついし、舗装はあれてるし、コンクリート路面とか輪っか?のスリップどめが施された路面とか、ふらふらになって辿り着いた頂きは石畳でタイヤ取られてこけそうになるし、全然見晴しもよくない。挙句、下りもあんな路面なので怖くてしょうがない。同じ県境の峠なら、十三峠のほうが距離も短いし斜度も緩いし眺めもいいし、どう考えても暗峠より十三峠のほうが登り甲斐がある。大阪側に出る目的にしても、暗峠の大阪側の下りなんてほとんど歩いてるのと同じスピードでないと危なすぎるし。

それでも時々は暗峠を登る理由、それは、ロングライドをしていてキツくなったとき、暗峠を思い出して、「アレよりはマシだろ?」と思えるから。もちろん、ツーリングに無理は禁物、適切な状況判断でリタイアすることも大事ですが、「もう少し頑張ってみよう」というエネルギーも同じくらい大事で、疲れて嫌気がさしたときに、暗峠でも諦めなかった自分を思い出すと、もうちょっと頑張ろうかなと思えるのです。厳しいトレーニングをする意味ってそこかなと思います。僕はロードバイクは趣味なので愉しめることが第一なんですが、ときどき、愉しみを広げるための努力もしておこう、というところです。