AERA (アエラ) 2013年 9/23号 [雑誌] | |
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”正解が欲しい それが幸せ?
その寂しさを僕らは生きる”
(『Q&A』/B'z)
25周年記念ツアーということで、内容はもう正に"Pleasure"ツアーそのもの。20周年のときの神戸ユニバーのほうがスケール感が大きかった印象ですが、きっとトリの日産スタジアムは20周年のときと負けず劣らずの規模感で展開されるんだろうな~と思うと羨ましい。今、関西で屋外で苦情少なく交通の不便も少なくやれるところって少なそうだもんな~。ユニバーなんて21:30過ぎに終演されて規制退場だと、関西圏でも帰るに帰れない人続出だったもんね。
座席はいつものように当日までわかりませんでしたがアリーナ10列だったので満足。Circle of Rockの次くらいに近いかな?Pleasure 2008のときもまあまあ前方だったので、さすがにX周年記念のPleasureはファンクラブ優先を考慮してくれてるのかも。通常ツアーのときはファンクラブ優先でスタンドはおろか落選することあるもんな…。
さて今回のライブですが、振り返っていちばん最初に思い出すのは「やっぱり『C'mon』は名曲だな~」ということ。未だに泣ける。”C'mon"ツアーのときはもうこの一曲だけで十分という感想だったんですが、その想いは変わらないですね。東日本大震災の直後に創られて、アルバムタイトルにもなってリリースされたこの曲。今後ずっとライブで聴きたいと思います。
もう一つは「正しさ」についての一連の流れかな。
"何をどこまで信じればいいか 君が僕に教えてよ"
(『ZERO』/B'z)
"いつでも正しい人なんているのかな"
(『あいかわらずなボクら』/B'z)
暗闇にうかんでるその頬に触れる
誰もがゆずれない正義を抱いて"
(『Q&A』/B'z)
"いつのまにかこの街に 丸め込まれるのは誰?
くだらなかったあの頃に 戻りたい戻りたくない"
(『Pleasure 2013』/B'z)
久し振りに小倉に行きましたので、積極的に本を買おうと思ってたのですが、予定が押して駅ビルに立ち寄るヒマさえなく、新幹線駅校内のブックスキヨスクにて。
去年から「街の本屋で本を買う」ってことをやってるのですが、傾向を見ると、出張先で本を買っている比率が高いです。出張時は荷物は多いので、そこに一冊本を増やしたりすると重くて帰り余計に疲れるのは分かってるんですけど、なぜか出先は本を買いたくなる衝動が大きいです。旅と(出張なので旅じゃないけど)本の相性はやはり相当高いのでしょうか?
今回は乗車予定の新幹線まであと30分ない、という状況だったので、とりあえず新幹線に乗る前にwifiコーナーでメールはダウンロードしておきたいし(山陽新幹線は圧倒的にトンネルが多いので、受信済みのメールはできる限り乗車前にダウンロードしておかないとストレスになる)、それほど時間がない中、ディスプレイをぐるっと。売り場面積はそれほど広くないし、雑誌メインのよくある「駅の本屋」なので、却って買う本が決められません。世の団塊世代は、こういうときに新書の豆知識本を買って雑学を増やしていったのか、とかどうでもいいことを考えたり。
そんな中、売上ランキングディスプレイの第一位は当然ながら『オレたちバブル入行組』。出版されたとき、書評を見て絶対おもしろいだろうと思ったんだけど、「バブル入社世代」に猛烈な反発を抱く((笑))バブル崩壊後入社世代である団塊ジュニア世代の私は、バブル入行組が祭り上げられるその筋書きへの嫌悪感にどうしても耐えられず手を伸ばせなかったという過去。もちろん、彼らも大変なことはあったと思いますし、私たちよりも後の世代でも活躍している世代はありますから、時代のせいにはできないのですが、得も言われぬ嫌悪感というのは払拭できんのです。この辺の「魂」の部分というのは、おいおい整理していきたいと思い続けてます。
で、『オレたちバブル入行組』は買わなかったんですが、ドラマについてのニュースや記事を読む中で、主演の堺雅人氏が『文・堺雅人』という書籍を出したことを知っていたのでそちらを購入。最近の刊行かなと思ったら、2009年だったんですね。やっぱり仕事をきちんとやる人というのは、波が来た時に嵩にかかるやり方ではなくて、やるべき時にきちんとやってきてるんですね。
文・堺雅人 (文春文庫) | |
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- 養老鉄道のサイクルトレイン体験。桑名行サイクルトレインの最終が桑名16時頃着なので、それまでに養老鉄道に乗れるように走る。
- できれば養老の滝に。でも生駒から150kmを超えるので、養老鉄道のことを考えると厳しいかも。
- 日野から八風街道で鈴鹿峠越え。途中に永源寺、永源寺ダム、4kmの石槫トンネルというのがあって、それが結構な名所らしい。
- かなり入念に調べたつもりだけど、ルートラボで100km超えるルートを描いて傾斜を調べると、特に今回のように一点でかなり高い標高があると、途中に細かく点在するきつい登りが全然拾えない。区間を絞って引き直してみたら、日野水口グリーンバイパスから八風街道に入るまでの間、傾斜10%~15%が何度も現れてた。
- なんと言っても山あいの田舎道は厳しい。アップダウンが頻繁にある。いっそ登りっぱなしのほうが楽だったりする。
- 「そのルートがロードで走れるかどうか」というのを、ネットで予めいつも調べて大丈夫というのを確認してコースに組み入れるんだけど、そこに行き着くまでに自分がどれくらいの距離走ってるか」というのを今まで全く考慮してなかった。
それにしてもあの疲れ方は初めて。登り、心拍は全然辛くないんだけど足が全く回らない。愛用のメイタン・サイクルチャージもあんまり効いてくれない。疲労回復力が弱いのか、そもそもペダリングがまずくて速筋ばかり使って回してるのか。きちんと分析して練習しよう。
なんとか永源寺に辿り着いて、もう日野に引き返して電車で帰ってしまおうかと思ったけれど、ここまで来て引き返してたまるか、養老の滝は行けなくても養老鉄道までは絶対に行って見せる、と意地を出せたことは覚えておいていいかな。
永源寺入り口のちょっとした滝。これで滝を見たつもりでお茶を濁しそうになったところ。
永源寺に向かう階段。もうまったく登る気力体力なし。御朱印帳持参でしたが全く気力なし。地べたにへたり込んでリアルゴールド飲んで15分休憩を決め込んだ後、「とにかく養老鉄道までは行く。多度までは行く」と奮い立つ。
鈴鹿峠越えの途中、心拍も息もまったく問題ないのにどうしても足が痛くて回せず、ちょっと止められるところがあったので止めて座って途中のコンビニで買ったローヤルゼリー入りの流動食食べてたらスズメバチに集られる!ぜんぜん休憩にならず慌てて再び走り出す。
八風街道の名所、石槫トンネル。元は「酷道」として中部地方で名高い石槫峠が名所だったそうで、その峠道を通らずして鈴鹿峠を越えられるトンネル。しかし、4kmの間、それほど路肩が広くないトンネルを走るのは結構な恐怖。下りでよかった。八風街道で何人かロードとすれ違ったけど、彼らはあのトンネルを登ってきたのか…でも登り側は路肩がちゃんとあったな。
養老鉄道多度駅。近辺に大きな鳥居の多度大社がありましたが目もくれず。いなべに辿り着いたとき、位置確認してると目の前を黄色いかわいらしい車両の三岐鉄道が走って行ってあれに乗るのもいいかな、とか、どうせ桑名から乗るんだからこのまま南下して桑名に行こうか、とか過るものの、意地を通して多度へ。このラスト10kmもなかなか堪えました。なんどアップダウンさせるのかと・・・。
ただ、総じてルート的には川辺あり、峠あり、抜けた後は平地だし、余裕をもってツーリングするにはうってつけだと思います。苦しければ苦しかったほど、振り返ると楽しかったと思うのがロングライドの不思議です。
この写真のように、チェルノブイリの第一中央制御室は2013年の現在も現役で、作業員が働いている。諸外国が福島を大雑把に捉えるのに憤りを感じていても、自分もチェルノブイリはチェルノブイリという都市ごと荒廃していて、発電所など既に機能していないと思い込んでいた。
「日本の戦争関連の博物館やドイツのアイシュヴィッツなどでは、しばしば責任の所在が裏テーマになっている。それは、日本の軍国主義や帝国主義であったり、ドイツのナチスだったりするしかし、ここではそのような責任の所在、絶対的な悪の存在が感じられない。責任の所在はどこにあるのか」
彼女の答えは明快だった。
「全員だ」「フクシマ」をめぐる二年間の議論においては、「わかりやすい議論」「カタルシスを得やすい結論」をメディアが描き、あるいはそれを少なからぬ人々が求めていた状況の中で、「敵」を探す形での描写が行われてきたのではないか。
チェルノブイリ博物館は、抽象的でアーティスティックで、感情や主観に訴えかける展示がなされているとのこと。日本の博物館は、物や数字をドキュメンタリー的に客観的事実として提示して、その受け取り方は観る側に委ねる形が大多数で、それが正であると思われている。
どうして、(少なくとも)日本では、客観的な展示の仕方が「正」なんだろう?展示に感情を交えることに対して確かに拒絶感はある。その拒絶感を手繰っていくと、「ウェットな日本人のメンタリティ」という否定的な言葉に辿り着いた。どうして「ウェット」であることに、否定的なニュアンスを含めるのだろう?それは、「同質性の強要」を感じさせるからだと思う。ウェットであるというのは「あなたとわたしは同じ」という感覚。展示に感情が混じっていると、その発信者側は、その感情に対して異論を挟むことを拒んでいるように感じる。この「同質性の強要」が、当たり前だけど人それぞれの受け取り方を許さない発信方法を日本では助長しているのだと思う。
責任の所在をまず探し求めるというのも、同じところが出発点ではないかと思う。「責任は全員にある」という考え方は、特に、フクシマについて語っている外国人のブログ等で時々見かけるけれど、自分も含めて日本ではあまり見かけない。日本では「責任は全員にある」ということを、本来責任を取らなければいけない立場にある者が平然と使ってしまうところがある。それを封じるためには、「責任は全員にある」という考え方をタブーにするしかなかったのかも知れない。けれども、「責任は全員にある」という認識から出発する思考を少しでも多くの人が持つように広げていかない限り、福島原発事故を歴史の中に位置づけることができないと思う。
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チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1 東 浩紀 津田 大介 開沼 博 速水 健朗 井出 明 新津保 建秀 ゲンロン 2013-07-04 by G-Tools |
「ホウ・レン・ソウ」というのは基本的にはピラミッド型組織のより上の階層が、より下層での活動の状況を逐一把握したいという「欲求」から来るもので、「ホウ・レン・ソウ」はビジネス上当然のことと下層の立場が思ってしまう背景は、不都合な事実はできれば隠しておきたいという「欲求」と、本来それは説明できなければいけないことだという「倫理観」と、上の立場からの監督がなければ怠けてしまうということを認めているところから来るのだと思う。だから、「ホウレンソウは人の成長の芽を摘む」というのは正しい指摘だと思う。「ホウレンソウ」と監督のセットでなければ怠けてしまうというのは自律性がないということで、そこには成長はない。成長のない社員の組織に成長はない。その仕組みを、下層の状況を逐一把握したいという上層部の「欲求」が助長してしまう。ホウレンソウによって下層の状況を逐一把握したいという「欲求」に負けてしまうのも、上層部の「怠惰」と言っていいような気もする。「決まったことを、決まったとおり、キチンとやる」だけで生産性は3倍になるという。13分冊、計1994ページの店舗マニュアル(MUJIGRAM(ムジグラム))の秘密を公開した。
夏らしい夏のポタリングおさめ。
朝の涼しい6時台から走ろうと思いつつ日頃の寝不足で目覚まし通り起きても二度寝、うだうだいうのも気持ちよくてのろのろ準備して漕ぎ始めたのは8時前、行先決めずにふらっと走るときの行先は決まって平城宮跡、太極殿と朱雀門を回りつつ、9時にならまちに着けば朝一番で樫舎の氷が食べられるなと、猿沢池の周りをくるくるしたのちにお目当ての氷。
また来年もあるさという気持ちと、もう今年で最後かもという気持ち。ちょうど良いバランスの今しか湧き上がらない感情と言葉を大切に。
「わたしのわたし」と「あなたのわたし」は違う。という当たり前のことをいつもくどくどと言ってしまうのですが、そういう当たり前のことをつい言ってしまう気持ちの理由というのを、改めて深く考えてしまいました。
「当事者」というのはとても困難な問題です。「当事者」の要望は、「当事者」が表明するだけでは叶えられないことがある。だから、「当事者」ではない人間がそれを拾い上げるという行動が起きますが、この「拾い上げ」が、「当事者」の意に沿っている場合といない場合があり、更に、純粋に意を汲み損ねている場合と意図的に沿っていない場合があります。「当事者の気持ちを考えてみたことがあるのか」という、一見反論しようのない言い方で意見を通そうとする人々は、非常に危険であり、意見を表明する立ち位置としてこれは絶対的に間違っているということを明確にしたほうがいいように思います。「当事者の気持ちを考えてみたことがあるのか」という言い回しを使う心性には、「どこまで行っても相手方の気持ちを100%正確に理解することなどできない(かもしれない)」という想像力が働いていないことが明白だからです。我々は、「当事者」の代理で発言することは、本来ほぼ100%不可能なことだという謙虚な姿勢がどうしても必要になると思うのです。過度な当事者主義の横行も、異常な放射線忌避による風評被害も、震災遺構をめぐる問題も、すべてに通底しているのは問題の「腫れ物」化だ。紛糾を恐れ、デリケートな問題の議論を先延ばしにしてきたことが我々から「当事者意識」を奪ってしまったのではないか。
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チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1 東 浩紀 津田 大介 開沼 博 速水 健朗 井出 明 新津保 建秀 ゲンロン 2013-07-04 by G-Tools |
データ・サイエンティスト関連のムック本、もしかしたら売ってるかな、と思ってちょっと行ってみたけれどやっぱり無くて、折角行ったので芥川賞受賞作を読もうと『文藝春秋』を買って帰りました。
の書き出しが有名になったように、この小説は「あなた」を主人公にした二人称小説で、この「あなた」と「わたし」の倒錯のややこしさと面白さが肝だと思うのですが、私にはどうしてもこの「あなた」を、読んでいる私に作品が向けているように取ってしまって仕方ありませんでした。はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。