超オススメ - 『開店休業』/吉本隆明・ハルノ宵子

激推薦。ただただ読んでほしい。僕にとっては今年度No.1決定です。

僕は大学生のときに『共同幻想論』に出会って以来、吉本隆明思想の大ファンで、難しくて理解できないけれどできるだけ氏の著作には触れるようにしてきました。難しくて理解できなくても、読んでいて「おもしろい」と興奮状態になるのが不思議なのです。

その吉本隆明の「最後の仕事」、雑誌『dancyu』での連載を纏め、更に氏の長女のハルノ宵子がコメントを付けた本が出版されたと聞いて即買いに行きました。

読んでいる最中、何度も涙ぐむ。某調味料メーカーのCMで有名になったと思っていた「白菜ロース鍋」が吉本家で古くから「名物」として食卓に上がっていたこととか、そういう意外でおもしろい話も挟まりながら、確かに「味」をテーマに一章一章書かれているのだけど、日々を行きつ戻りつする自由な味わい、それが本著の最大の魅力だと思います。

読んでいるときは、すっと頭に入ってくるのはハルノ宵子の解説文で、吉本隆明の文章は少し読みづらく、活字と配置もあって頭に入って来ず、字面を眺めているだけになっては数行後戻りして読み直す、ということが何度となくあったのに、頭の中に残る「読んだ」という残像・イメージは圧倒的に吉本隆明の文章のほう。ハルノ宵子のは解説文なんだから、と思えば当たり前なんだけど、読みやすさ=残像ではないことの驚きと、解説文という立ち位置を弁えつつもあんなに読みやすい文章を書ける力量をひたすら尊敬し、憧れます。

父親に対する視線。衰弱して記憶が怪しくなっているのに平然と間違いを書いてのける吉本隆明と、それを読んで「この頃の父はだいぶ記憶が怪しくなっている」と切って捨てるハルノ宵子。ひとつの生が終焉に近づいていく、一定の期間における変遷が克明に読める書物はそんなにないです。それだけでも買って読む値打ちが十二分にあると断言できます。

「味」についてのエッセイなのに、『開店休業』という、全然「食」を前面に出してない、それでいて「店」という言葉の入る、判るような判らないような絶妙なネーミングも、実は深い深い意味が隠されているのですが、さすがにそれは書けません。是非、手に取って読んでほしいです。

4833420422 開店休業
吉本 隆明 ハルノ宵子
プレジデント社 2013-04-23

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独走会 - 唐招提寺 幻うちわまき

早朝駆け出して、一時間並んで参加券までゲットして中止だって、それもまた一興、なのです。

うちわまきは覚盛上人の逸話に由来する、ちょっとユニークな行事。鼓楼の二階からハート形のかわいらしい形のうちわが撒かれ、それを皆で競い合うように受け止める、というもの。近年は危険なく行事を後世に残せるよう、やり方が様々工夫されているようで、今年は参加するための「参加券」を朝9時に先着400名に配布、うちわまきは400本撒かれるので、参加できれば必ずうちわはゲットできます。そのほか、色札の「抽選券」、あるいは1,000円で買うこともできます。買える、ということは、うちわまきと抽選券でもらえるのは、拝観料以外は要りません。

この日は午後から大雨になることは分かってたので、朝、参加券ゲットしたらその足で家に帰って、バイクは置いて唐招提寺へ。案の上雨はごうごうと降り、決行か中止かの発表時間だった14:30を待たずに中止のアナウンス。でも、鼓楼の周りで待ってた参加券持ちの人びとも特段何か不満を言うでもなく、じっと傘をさして、「形だけ」うちわまきするというのを待ってました。

時間は自分の為にある。忙しい、忙しいと思うのは、やれるときにやれることをやらずに過ごしているから。時間を浪費することも一種の興だという感覚はどうしても拭いがたいんだけど、やりたいことがたくさんあるからという言い草よりも、手抜きの無い時間を過ごしたいと、もし何もしない時間が必要でそれがあったとして、もし手抜きの無い時間を過ごしていれば、その何もしない時間さえも平穏に過ごせるはず、そうじゃないから何かしないと居心地が悪いんだと、雨に打たれた一時間半を思い返すとじんわり脳裏に浮かぶのです。

地元で遊ぶということ

”絶望感の暗闇を 何度も抜け出したはずだ”

(the pillows/トライアル)

地元で遊ぶのが楽しくて堪らなくてどうしよう。金曜の夜、五味さんがソロライブするというので藝育カフェSankakuに出向き、そこでそのソロライブがオープニングパーティだった個展のアーティストのカワかわワイわいさんと知り合いになったりSankakuの山本さんに僕のことを思い出してもらったり、夜、興福寺界隈を無意味に少し散歩したり、通りすがりにSILM STYLE GARAGEの安川さんに会ってジッタリンのライブを実現させたい!と盛り上がったりTRANSITの大将の向井さんと修理中のロードバイクをあーだこーだ言ったり、仮退院したその愛車で春日大社行ったり唐招提寺行ったり、pechakuchaで通ってたcafe WAKAKUSAで初めてマスターのクレープを食べたり。地元で遊びまわるのが楽しくて仕方ない。

でも、地元で遊び回っているだけでは、生きていくことはできない。

奇しくも五味さんがMCで「外からはアクセスできない、悪い言い方をしてしまえば自分の身の程を知らない、そういう人たちが地域で何かを初めていて、僕はそれがおもしろいなあと思ってやっている」と言ったように、確かに感度の高い人たちが集まって、おもしろいことが生まれる素地は現代の日本なら多くの郊外都市でもそのチャンスがあり、我らが奈良もそんなチャンスがある街で、ここ数年実際にそうなってきていると肌で感じてる。そういう感度の高い人たちのネットワークが広がり、強くなって、「外からはアクセスできない」一種の経済圏が出来て、その中で、それぞれがそれぞれの得意技を仕事にしながら、持ちつ持たれつでやっていく。

それは夢のような日々だけど、それを実現するには奈良は規模が小さい、小さすぎると思う。

僕には、先に挙げた人びとのような、手に職もなく、アーティスティックな能力もない、ほんとに唯の会社員に過ぎない。だから、「外からはアクセスできない」一種の経済圏の仲間入りをするのは気持ち的にも若干ハードルがあったりする。でも、そういう「おもしろい」ことが、この地元奈良でこれからも続いていくような、そんな土地になるためには、その「経済圏」の外側にいる、僕らのような一般市民が、その「おもしろい」ことに「お金を払」わないと、そういう土壌ができないと、実現しないと思う。息切れすると思う。

だからこれは僻み根性かも知れないけれど、「おもしろい」と思ってお金を払って参加する側の人間も、おもしろいことをやっている側と対等だと認識してほしいのです。自分達のネットワークだけで閉じてしまうのでなく。もちろん、徹底的にハードルを下げて、誰でも彼でもとは言わないです、でも、一般市民でも、それほど詳しくなくても、共鳴する、お金を払ってくれる人は少なくないはずです。そういうところを大事にしようと思ってほしい。

地元で遊ぶために、お金を稼ぐために働く。それは僕の人生のごく一部かも知れないけれど、大切な考えの一つでもあると思う。

独走会 - 春日大社

事故からの復帰第一走は、やっぱり春日大社。

縁石乗り上げで落車したり、パンクしたり、なんでもないところで転倒したり、挙句はトラックに轢かれたり。

ちょっとずっと気になってたのは松尾山に行ったことで、実は我が家系は松尾山に参詣するとあまりよいことがない。今年は本厄だしと思って行ってはみたものの、気に病むくらいならやはりここだと決めている春日大社に行って交通安全のお守りを買ってこようと、これが復帰第一走。

復帰といってもホイールがまだ本番仕様ではなくて、ちょっと出かける用に準備した、SHIMANO WH-R500にSERFASの700-25Cを履かせたホイール。いちおうセミディープに当たるそうですが、確かになんだか地面からカンカン突き上げられるというのか突き立ててるというのか、そういう乗り心地。あと、カセットもSHIMANO 105にしているのですが、カシャカシャ音が気になる。ULTEGRAの素材の良さというのを改めて感じた次第、なのでした。

春日野から春日大社に向けて走る小路には修学旅行生と思しき群れ、春日大社には大型バスがと思ったら結婚式。交通安全のお守りは緑に赤の差色という伝統的な神社カラーで僕のロードバイクには全くそぐわない配色なんだけど、それが注意喚起のシンボルなんだと思うと有難く、春日大社により愛着が湧いたのでした。

小鹿も公園デビューしてたらしいし、東大寺の法華堂がちょうど公開再開だったけれど、なんでもいっぺんに行ってしまおうと思うのが無粋。今度と思って今度これなくてもまた来年も生があれば。それくらいが奈良の愉しみ方にちょうどいい。そしてそれは、決して鈍らな訳でも消極的な訳でもないのだ。


独走会 - 南山城村26.6km地点 被轢過リタイア

今日の最大の教訓は、事故に遭ったときは何があっても救急車を呼べ。警察ではなく。

僕は常々、「成功談ではなく、失敗談をこそ語るべし」と思っているし言い続けてますので、今回の顛末もできる限り詳しくシェアしようと思います。成功談ももちろん大切ですけど、失敗の中にも大切なことがあると思っています。日本が安全に自転車で走れる国になるように、顛末をシェアしようと思います。

事故にあったのは4:40頃、国道163号線を大河原駅から数km東に進んだ地点。追い越しのトラックのサイドミラーに後頭部を撥ねられました。そのまま路肩に転倒。後頭部に衝撃を受けた瞬間、「ミラーか?」と浮かんだので、その後は割と冷静に転倒できましたが、下手をすると、トラックの後続に轢かれていたかもしれない状況でした。

かなり偶発的で防ぎようがないように思う事故ですが、不幸中の幸いで、CONTOURで走行中の動画を撮影してたこともあり、事故の瞬間を動画で確認しながら振り返ってみると:

  • まず、反省するべき点があるとすれば、時間。深夜出発なので、暗さ対策はかなり入念に行い、フロントライトx2、リアライト点灯x1、リフレクター類満載にしていて、ドライバーから見えるように対策していたけれど、ドライバーが疲れや眠気で注意散漫になっていてはどうしようもない。深夜はもちろん眠いと思うし、事故にあった、夜が明け始めて明るくなってくる時間帯は、視界がよくなってくるので気が緩む時間帯でもある。今回は計画上、どうしても3:00出発でなければ間に合わない旅程だったのでそうしたが、出発地点をずらすか、より車の少ないルートを選ぶかの余地はあった。ただ、より車の少ないルートとしては369号線→県道4号があるが、・いきなり登りが多く、序盤で体力が削れるのは危険 ・鉄道も全く通らず、万が一の際、全く打つ手がなくなる 等を考えてルートから外している。
  • 追い抜くヘッドライトがあまり右側に逸れない際は緊急体制を取る。事故の際、確かに「あんまり避けていかない車だなー」とは思っていた。結構すれすれ通るな、と思っていたら後頭部に衝撃が走った。だからと言ってどういう緊急体制が取れるのか?とは思うけど、追い抜くヘッドライトの近づき具合は気を払っていてよかったので、これは頭に入れておくのがお勧め。
  • とにかく左に倒れること。
  • 夜はできることなら歩道を走ったほうがいい。田舎の歩道はガラス片とかが落ちていることもあるし、そちらのほうがリスクではあるけれど、車はガラスの比ではない。

そして一番最初の「警察ではなく救急車を呼べ」ですが、当初、転倒したとはいえ、それほど強く落ちてなく、撥ねられた頭も、撥ねられたというほどの痛みもなく、「このまま走り続けるか?」と思ったくらいの怪我だったので、取りあえず救急車ではなくて警察を呼んだのですが、救急で病院に行かないと、後で病院に行くのは結構大変です。だいたい休みの日にツーリングすると思うので、救急を自力で探さないといけないし、何より保険の話が面倒になります。仮に怪我は全くなくて物損対応だけだったとしても保険会社が関与したほうが円満なことが多いので、どんなに大したことなくても、絶対救急車を呼ぶことです。救急車を呼べば自動的に警察も来ます。警察に届け出ていないと、後遺症等も請求できなくなります。

駆けつけてくれた京都府警の方々は、現場に落ちていたパーツが、トラックのサイドミラーのパーツであることを発見してくれたり(証拠になる)、木津駅まで送り届けてくれたり、大変親切にして頂きました。

という訳で、トラックのサイドミラーという危険と、何かあった際は救急車を呼ぼう、という纏めなのですが、大事なのは、仮に事故にあったとしても対処できる備えをしているということ。独走の心得というか。僕は輪行袋はもちろん持ってましたし、保険証・自転車保険の保険証・バンドエイド類、それと履き替え用の靴も持ってました。靴は帰りの輪行時のことを考えてですが、結果的に靴があることでずいぶん楽でした。

ちなみに僕が使っているのはこれです:

B004P1A5YG Timberland(ティンバーランド) RADLER TRAIL Camp
Timberland(ティンバーランド)

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ぐるりとファスナーがついていて、真ん中で折れるパッカブル。軽くて小さくなるのでバッグに入れてもそれほど荷物になりません。お勧めです。


さて辛い経験談はこれくらいにして、今回のツーリングについて。

今回、以前から目的地に考えていた蒲郡を目指す旅程を組みました。距離にして180km前後、僕の足ではどう頑張っても12時間欲しいところです。ただ、目的地の都合上、蒲郡に15:00には絶対到着しなければいけなかったので、余裕を見て14:00着で考えても夜中の2:00には出発しないといけない。ただ、帰りは輪行で決めていて、蒲郡からはJRで帰ってくることになりそうなので、疲れ切って帰ってきてJR奈良→近鉄奈良を自転車担いで歩くのは嫌、だったらスタート地点をJR奈良にして3:00スタートにすればいい、と考え、車でJR奈良まで自転車持っていってそこからスタートしました。

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意気揚々とJR奈良駅を出発したところ。

163号線沿いのサークルK笠置店。20km弱を50分くらいで、ペースはそれほどよくはないけれど、夜道なので慎重に走っていたこともあり、予定通りと言えば予定通り。ここに4:00過ぎに到着できたので、伊賀上野を6:00に出れたら予定通り行ける、と思ってたので順調順調と思ってました。

冒頭の動画は、このコンビニに到着する直前くらいです。交通量の少ない、民家もほとんどない夜道を走るのはなかなかに心細いものがありましたが、少し明かりがあるところのナイトライドは、それだけで非日常を味わえ、走っているとき以上に振り返って「刺激だった」と思える経験になるので、事故に遭ったのに言うのもなんですが、お勧めではあります。都市部のナイトライドならいいのではないでしょうか。

繰り返しですけど、「独走」というのは、何かあっても何があっても自分の責任と覚悟を決めて走る態度です。もちろん、僕を轢いたドライバーは悪いのは悪いですからその補償をしてもらわなければいけないですが、そういう「責任」ではなく、自分で「やりたい」と決めてやっていることなんだから、運の悪ささえ独り背負い込むような、そういう態度のことです。だからこそ、単に自由気ままに走るというのではなくて、「孤独の愉しさ喜び」が判るし、判った上で、人と一緒に走る楽しさも判るのだと思います。

”悲しみを知り 独りで泣きましょう”

また転倒

また転倒。これだけコケると自分の運動神経を疑わざるを得ないんだけど、コケるのは決まってなんでもないライドの時。油断していると言えば油断してるけど、今日のに至ってはたぶん15km/hも出てないような走りでハンドルを失って転倒。幸い、TRANSITの皆さんと走ってたので助かりましたが、落ち着いた今、冷静に原因を考えてみると: 
  •  前回もそうだけど、なんでもないとこでハンドルを失ってる。もしかして、緩くなっててハンドルが動いている?→今日、向井さんに締めてもらったのでここは安心。
  • フラットペダルで感覚が狂った。でも前回はビンディング履いてたので、これは今回に限る。
  • 睡眠不足。でもこれも今回限り。
  • タイヤの異常。前回と今回はタイヤは入れ替えているので直接的には関係ないけど、そろそろ新調したほうがいいのか。タイヤの異常とはどういうものがあるのか、どういうときに変えるべきか調べる。
  • リアフレームの異音。今回、今まで室内用で使っていたリアを初めて外で使ったんだけど、段差を踏むたびに気になる音がした。それに気を取られていた気もする。

総じて、油断していることは間違いない。でもあまりに気を張り詰めすぎていると楽しくないし、長く走れない。この辺はいつも課題。とにかく、大怪我せずに済んだことと、TRANSITの皆さんが一緒にいて助けてもらえたことに感謝です。

街の本屋で本を買う - 2013/04/26 紀伊國屋書店グランフロント大阪店

posthaven移行初めてのエントリは、紀伊國屋書店グランフロント大阪店。

まず最初にどうしても書いておきたいことがあって、これはたぶん開店初日だった昨日だけのことだと思うけど、書店関係者の方と出版関係者の方と思しき方々が、方々で書店の通路を塞いで名刺交換しているのに出くわした。そうでなくても大混雑している初日に、客を押しのけて名刺交換してどうもどうもとやっているのは見苦しいし迷惑だし紀伊國屋書店の店員に対してはいったい誰を見て商売しているのかと言いたくもなります。

今回はたまたま、日経夕刊のプロムナードで小林秀夫と河上徹太郎の上機嫌対談が収録されたCDが『考える人』についてくると知って買おうと思っていたところにグランフロント大阪が今日からオープンというニュースが目に入り、それならとグランフロントの紀伊國屋書店に。

しかし確かに噂に違わぬデカさでした。メガ書店はもう慣れっこですが、それでもこのデカさは凄いな~と思ったのと、好感も持ちました。それはたぶんワンフロアだったからで、このつくりはMARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店のような複数階より良いと思います。延べ床面積はあちらのほうが広いかも知れませんが、メガ書店の良さというのはワンフロアでつくることによって出るんじゃないかと感じました。保有する書籍の数は同じでも、むしろ複数階のほうが多くても、ある一定量を超えたら書籍数自体はそれほど問題ではなく、「すべてを見通せている」という、視覚的な満足感が来店満足度を上げる気がします。これは複数階店だけでなく、ネット書店でも味わえないことです。

目標の書籍にすぐ辿り着けるか、というと、これだけのデカさなのである程度配置を知らないと難しいですが、概ね判りやすい配置だと思います。エスカレーターから上がってきたらすぐ雑誌コーナーになり、その流れで文庫本コーナーになるのは親切かも。たいてい、単行本コーナーを前面に出してると思うんですが、文芸単行本コーナーはそんなに押し出しの強い場所ではなかったです。もちろん新刊コーナーは目立つ位置にありました。それと、同じ本を大量に表紙を見えるように棚に並べ尽くす陳列、あれは意外と効果ありだと思いました。

KINOナビ。しばらく紀伊國屋には行ってなかったので、KINOナビが既存店舗には既にあるものなのか新しく登場したものなのか知らなかったですが取りあえず使ってみました。小林秀夫を買おうとして丸谷才一を思い出すという。しかしなぜかその時、「丸谷才一」という名前も『エホバの顔を避けて』という署名も思い出せず、「河出書房新社」だけしか思い出せなかったので「河出書房」で検索したのですがもちろん大量過ぎて全然見つけられず。仕方なくケータイで自分のメモを見直して、「丸谷」で検索し、出てきた一覧から「丸谷才一」の著者名で絞り込みにしたら、なぜか『エホバ~』が出て来ない。今度は『エホバ』で検索したら、3冊目くらいに『エホバの顔を避けて』が出てきた。なんだろう?と思いつつ、所在地を調べてそこへ。

KINOナビの操作性自体は反応もよく、速くてよい端末だと思います。なにせ店舗がデカいので、状況によってKINOナビを有効に使ったほうがよいかなと思いました。

4309021735 エホバの顔を避けて (KAWADEルネサンス)
丸谷 才一
河出書房新社 2013-02-23

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首尾よく見つけることができて、レジに向かう途中、平積みになっていた本に反応。思わず買ってしまう。

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版 2012-12-06

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店舗が大き過ぎて、エレベーターの周囲の通路も跨いだつくりになってるので、レジの済んでない本も一旦店舗の外に持ち出さざるを得ない場所があるんだけど、特に問題なく買い歩くことができました。メガ書店はどこも一緒だと思ってたけど、ここは意外と気に入るかも知れません。 

しかしposthaven... 意外と使いにくい。

  • 貼り付けた写真がエディット中に見えない。
  • Googleと連携してない。
  • facebookとも連携してない(autopostはできる)。
  • タグが自動入力されない。

永久保証の代償がこれか・・・。仕方ないのか。

独走会 - 興福寺南円堂・北円堂

これ見たら行っちゃうでしょう!金曜、東京出張の新幹線でこのポスター見て、品川駅の通路脇両サイドにずらーっと並ぶ液晶モニタ全部が映し出すこのヴィジュアル見て感動。朝8:00に出発して繰り出したのです。

 

ほんとはその興福寺も含む南都仏教の堕落を嫌って興福寺から笠置寺に移ったと言われる貞慶が最後に移った海住山寺まで行こうと思ってたのですが時間がなくそれはまた次回。ラストに20%越えの激坂が2,3km続く難コースらしい。

 

久し振りに鹿せんべい買いました。このバンビのほうに気づけなくて、たぶんせんべいにありつけてないと思う。ありつけた親に対して怒ってるのか、そっぽ向いてます(笑)

 

謝る親(笑)


興福寺の駐輪場は、国宝館の真ん前にあります。駐輪場というか、なだらかな丘になってる芝生?地なので、「ほんとにいいの?」とちょっと思います。


8:40くらいに着いて、鹿と戯れたりして、そろそろ9:00かな~と拝観券売り場探してうろうろしたら、もうすでに長蛇の列!いつも思うんだけどそんなに興味ある人いるの!?って。

ICOCA/SUICA/PiTaPaを持ってると100円引きでした。たぶん、車で来てないからということのような気がするけど、僕、自転車です。


南円堂は通例年一日しか公開日が無いそうです。本尊は不空羂索観音坐像。真正面の御姿は非常に迫力があります。自分の視界をすべて埋め尽くしてくるような押し出し感があります。でも威圧感ではないところが素晴らしいです。

 

南円堂から拝む三重塔。意外な撮影スポットでした。

 

北円堂へ。

 

南円堂も北円堂も四天王像があるのですが、南円堂と北円堂でも四天王像の趣ががらっと違っていて、その見比べだけでも楽しめます。

 

「よく観察しましょうね」と子どもに話してる親がたくさんいて、スケッチの課題かなんかが出る学校が多いんでしょうか?堂内は写真はもちろんスケッチも禁止で、あの子たちは自分の記憶を頼りに像を描くんだね~。凄い。


チケットもカッコ良い。一角は最初の段階で切られてたのかな?南円堂・北円堂がそれぞれ左上・右上の角になってました。おまけの「にほひ袋」もかわいい。あと、南円堂は土禁なので、靴袋をくれるのですがこれもまたかわいかったです。

 

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おまけは、興福寺を出て、お気に入りのパン屋「ノモケマナ」に向かうルートです。奈良ホテルをかすめます。

2012/04/15-2012/04/21の振り返り / 独走会 - 醍醐寺

本エントリがこのposterous最後のエントリ。

花粉症の時期も終わり、気候もよくなり、いよいよツーリングにもってこいの季節になってきたというのに、天気予報は土曜の午後から雨!ということで、早朝出発して大津まで走って、その後京都まで戻ったら13:00くらいなのでそこから輪行で帰ろう、という予定だったのですが、ルート確認が曖昧で途中で大幅に時間を食いつぶし、挙句GARMINにガイドさせてみたら、醍醐山を横断せよというルートを案内されていることに途中で気が付き、引き返して大通りに出ようとした醍醐寺境内でリアがパンク、もうムリ、と大津は諦めたのでした。

でも、通り掛からなければ知らなかったし、走りに来ようという候補になかったお寺なので、これもいい機会。コースも行先も気の向くまま、偶然を楽しめるのがツーリングのいいところ。走ってるときは「なんでだよ~GARMIN!」と苛立ってましたが(笑)。

 

仁王門。既にパンクは修理済み。この近くでパンク修理してたら、結構貫禄のある高齢のお坊さんが「パンクですか?」と声をかけてくれました。「すみません、こんなところで」「いえいえ、構いませんよ。ゆっくりなさってください」後で遠目にお坊さんを見かけたとき、追いかけて声を掛けさせてもらえばよかったです。


金堂。意外と金堂に近づく人が少なかったです。


五重塔。なんかちょっとスマートな感じ。五重塔で淡い朱色はあまり見たことがなく、珍しかったです。

 

観音堂。中には後から入れます。観音堂の中で、御朱印を頂けます。3種類ありますが、御本尊と観音様を頂きました。

醍醐寺は世界遺産で、上醍醐・下醍醐・三宝院と境内も広くみどころたくさんで、今回見て回ったのはほんの少しだったのですが、少し立ち寄ったというのもまた悪くないもんだと思っています。


動画は、醍醐山を引き返してきて醍醐寺の境内に入り、パンクして落胆するまで(笑)。

  • 一週間がやたらに早い。
  • ひとつの物事について、要・不要に関わらず探りまくる。
  • 腹の立つこと、面白くないことが続くときは、一旦無神経になる。
  • 責任感を悪用されないように立ち回る。
  • まだまだ足りないとは言え、瞬発的にカウンターを出せたことは自分で評価できる。
  • 固有名詞。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』/村上春樹

何と言っても最大の特徴は「短さ」だと思います。

最近、海外文学の翻訳を読んでいてつくづく思うのは、「長い」ということ。長い小説が嫌いな訳ではないけれど、時間が掛かるのです。電子書籍のいちばん有難いのは「可搬性」で、持ち物の多い通勤時、重くてかさばる本を持ち歩かなくても、電子書籍ならいつでも読めるというのがいいんだけど、それはさておき、「一定の塊の時間でもって物語を通読する」ことが難しい現代の現状をきちんと把握してなのか、本作はとにかく短いです。そして、読み進めるにあたっての勘所を丁寧に解説しながら物語を展開してくれます。基本的な線では読み間違えようがないくらい、丁寧に展開してくれます。

個人的に気になっているのは、「沙羅」が何色なのか?ということ。作中でもきちんと語られる通り、主人公である多崎つくる以外の登場人物は、すべて名前に色が含まれる。親友四人だけでなく、灰田も緑川も。でも、つくるが今現在の時間で向き合っている女性である沙羅は、直接的には色がついていない。敢えてこじつけて沙羅双樹で引っ張ってみれば白色か。または白色と黄色?しかし白と言えばつくるが惹かれていて、五人のバランスを壊す引き金となって、なおかつ殺されてしまったシロと重なってしまう。つくるが、つまりは人が惹かれるのはシロだということなのか?そうすると三日後、沙羅はどんな答えを用意するのだろうか?最後に救いがあるようで、また繰り返されるのだろうか?

もうひとつ、「そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ」。それが何故起こったのかと言えば、「我々が暮らしている社会がどの程度不幸であるのか、あるいは不幸ではないのか、人それぞれに判断すればいいことだ」。なぜ、僕たちは「自分達でそれぞれに」判断できないのだろう。誰かの判断を奉ってしまうのだろう。ナントカ系とかいうレッテルを、好き好んで自分に張り付けて、誰かの判断を受け入れてしまうのだろう。そうして、自分の判断を誰かに押し付けてしまうのだろう。自分がどんな色であるか、誰かがどんな色であるかは、それぞれ自分自身で決めればいいことだ。同じ色同士で集まるところには、「一九九五年の春に東京で実際に起こった」悪夢に通じる何かが潜んでいることに、もっと鋭敏にならないといけない。繋がりを重んじる前に、それが「繋がらない」を生み出していることや、まずは己が自分を判断できないのならそれだけで害悪であることに自覚的にならなければいけない。

4163821104 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹
文藝春秋 2013-04-12

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