BANKSY'S BRISTOL:HOME SWEET HOME スティーヴ・ライト 小倉 利丸 作品社 2014-02-28 by G-Tools |
先日、中之島図書館に返却ついでにいつものように10分程度雑誌を読んでいて、ユニクロの経営方針転換を報じた『日経ビジネス3/24号』が(「食卓ルネサンス」という記事も含めて)非常に面白くて通しで読んでしまいました。その非正規社員の正社員転換策を読んでいると、こないだウェブで読んだドワンゴの川上会長が就活を批判している記事を思い出しました。そしてそれが『WEDGE』に掲載されているのを広告で見て、何故JR肝煎りのWEDGEがリクルートを名指しで喧嘩売ってるんだろう?原発大賛成というプロパガンダを掲載するようなレガシーエスタブリッシュよりの雑誌が?と疑問を抱いてしまうと、この就業に関する記事に立て続けに出くわした状況を無視できません。『日経ビジネス3/24号』と『WEDGE2014/4号』を買ってじっくり並べて読みたい!しかしながら『日経ビジネス』は定期購読誌。普通の書店では買えないしと思いとりあえず『WEDGE』を探すけどこれもJRの駅に絡む本屋じゃないとなかなかない。いっそ両方電子書籍で買うか、と思いながらジュンク梅田店でWEDGE探してたらなんと単体売りされている日経ビジネスを発見!ジュンク難波ては見つけられなかったのに。喜んでバックナンバー棚を漁るけどお目当ての号はない…。ジュンク難波でも端末で探してみたんだけど、『日経ビジネス』という、いろんな書籍に被せられる名前のついた雑誌を検索するのは難しく、単体売りが確認できているジュンク難波でも端末で『日経ビジネス』を見つけることはできませんでした。
出張で新幹線に乗る予定があったので、Wedgeは駅で買うことに、日経ビジネスは電子書籍で買って、新幹線で読み比べようと考えましたが、例によって出版社独自の電子書籍のひどいこと。日経ビジネスはNIKKEI BP STOREという電子書籍フレームなのですが、まずもってひどいのはオンラインじゃないと読めない!
オンラインじゃないと読めないということは、どのくらいでタイムアウトになる設定なのかまだ調べてないですけど、あるページじっくり読んでてさあ次のページ、とめくると「ログアウトされました」みたいなメッセージが現れて再ログインさせられる訳です。読んでられるかこんな本!
コンテンツ盗用を防ぎたい意図は重々承知しているんですが、「読めない本」を売るというのはどうにも理解できません。ましてSurfaceの画面サイズに合わせた見開き表示すると本文記事の文字は全然読めません。なので頻繁にピンチしてスライド、を繰り返すことになって煩わしい。それを解消するためなのか、「テキスト」というウィンドウがあって、文字通り記事が標準のテキストファイルのイメージで表示されるウィンドウを表示させることもできますが、そうなると電子書籍である必要ゼロ。記事の内容を組み替えてメールで配信するメルマガモデルに戻ってくれたほうがまだまし。
一時間前後で手ごろなライドと言えば、私の住む生駒には「宝山寺」と「暗峠」という、泣く子も黙る二つのヒルクライムコースがあるのですが、さすがに登りきる自信がありませんでしたので、控えめに生駒総合運動公園まで登ってきました。
控えめとは言え、GARMINを見るとときどき斜度12%だったりしてリハビリにはもってこいでした。先週から時間があれば少しでもと、できる日はローラーを10分でも回していて、追い込んでも全然心拍も息も上がらなくて、「なんか調子よくなってるのかも」と喜んでましたが実走は甘くはありませんでした(笑)。向かい風でぜんぜん進まなくなる貧弱な脚。
ロングライドが大好きな自分ですが、この1時間足らずのご近所ライドで心底思ったのは、「自転車乗るのがほんとに好きだなあ」ということ。少しの時間でも、特に変わり映えのしないコースでも、ゆっくりでも休み休みでも、自転車で走るということが自分にとって無上に楽しいことなんだと改めて実感したライドでした。
帰りはHannaに寄り道して食パン買って帰りました。奈良はパン屋が多くて、それがライドの目的にもなって楽しい限りです。
ACTION B’z VERMILLION RECORDS(J)(M) 2007-12-04 by G-Tools |
ROCK AND SYMPATHY -tribute to the pillows- V.A. avex trax 2014-02-25 by G-Tools |
中でもいちばん鮮烈だったのはカミナリグモの『開かない扉の前で』!さすが山中さわおプロデュースバンドというべきでしょうか。あの曲がリリースされたときのピロウズの状況の上に更にあの歌詞の持つ普遍的な孤独感を上乗せしたような、胸に迫るカバーでした。
3/11が来てニュースにたくさん触れる。たくさん触れる中で頭の中にかすかに違和感を残したのは「自分なりに」という言葉だった。被災地を訪問した学生、被災者によるイベントへの参加者、ボランティア参加者、いろんな人がインタビューに答えて「自分なりに」という言葉を使っていた。「自分なりに被災者の方の気持ちを受け止められたと思うので」「自分なりに震災の甚大さを理解できたと思うので」等々。
思うことというのは本来どれも「自分なり」だと思う。自分なりの考えでないものは、誰かの考えに他ならない。何かを見聞きして感じ思うことは必ずすべて「自分なり」のはずだ。だからいちいち「自分なり」と断る必要はないはずだ。なのになぜこうも誰もが判で押したように「自分なり」と言うんだろう?言ってしまわなければならないのだろう?
日本語は、「こう思わなければならない」という規範の塊でできているからではないか。そして、「あなたのやっていること考えていることは、全く不十分なものなのだ」と常に誰かから言われるような環境にある言語なのだ。どこかに到達すべき頂点があって、常にそこを目指すことを強いられる言語。それが日本語。だから、何をどう感じるかは個々人でそれぞれなんだという「自由」がいつまで経っても受け入れられない。だから、震災の記憶に触れて、被災者の方がどういう思いでいるのかに思いを巡らせてみて感じたことも、わざわざ「自分なりに」と断っておずおずと差し出さないといけない。そんなこと「自分なり」に決っているというのに。
わざわざ「自分なりに」と前置きをさせる言語というのは、自立を妨げる言語であるような気がする。知らない間に日本語の巧妙な業に操られて、誰かの自由な思いを妨げるような発想をしていないか、3/11に改めて自省しようと思う。
長い間興味を持ち続けているテーマが、ひとつは「過ぎたるは尚及ばざるが如し」で、もう一つが「美」。過ぎたるは尚及ばざるが如しというのは、人間の活動はビジネスにしてもスポーツにしても高みを目指して努力を続けるものだけれど、特にビジネスに関しては青天井という訳にはいかないし、利潤追求の結果いつかはたいてい破綻してしまうので、サスティナビリティと言った概念が登場したりする、でも本当に持続性を実現しようとするのであれば、どうやって「やり過ぎない」で住むような仕組みを構築するかを考えなければならない、その心得としての「過ぎたるは尚及ばざるが如し」。これを「確かに経済的にも、過ぎたるは尚及ばざるが如しだね」と納得できるだけの言葉を持ちたい。もう一つの「美」は、ニーチェが終盤たどり着いたのが「美」だと読んだことがあって、金銭とか数値とか理屈とかではない、というよりもそういうもので表しきられることのないモチベーションは「美」なのだろうと思っていて、「美」を何か差別的な特権的なポジションではなくて、人がよりよく生きるためのモチベーションというポジションに位置づけるような言葉を持ちたい。この2つの「言葉を持ちたい」という願望を長い間持っています。
そこに現れたのがこの『限界芸術論』でした。
今日の用語法で「芸術」とよばれている作品を、「純粋芸術」とよびかえることとし、この純粋芸術とくらべると俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品を「大衆芸術」と呼ぶこととし、両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品を「限界芸術」と呼ぶことにしてみよう。
この三元論は衝撃でした。数直線状だった僕の「美」に対する意識を否定されました。芸術の尺度を単純に「美」だけで言ってはいけないとは思いますが、少なくともその「尺度」が三種類あることを肯定した文章に初めて会いました。
生活の中に芸術を置く試みというのは、僕個人の感覚としては相当難しいことです。その理由は3つあって、1つは、生活の中の芸術だとしてもある一定のレベルに達していなければ芸術として成り立たないということ。だから大抵は、学生時代の部活で馴染んだジャンルを生活の中でやるか、相当程度時間に余裕のある社会人が時間をかけて習得するかのどちらかになる。2つは、その結果、勢い社会全体が「生活の中に芸術を置く」という価値観を共有できないので、「生活の中に芸術を置く」という行為が「とあるムーブメント」以上にならないので、それは「社会」にならないということ。3つはやはり「限界芸術」は「職業」ではないので、それで生活を成り立たせず、その結果、いつでも脇に置かれてしまう性格にならざるを得ない、ということです。
本著でも柳宗理の「民芸」について取り上げられていますが、「限界芸術」が規定する、「生活との境界線にある」という点は、「美を極め(られ)ない中途半端な取り組み」の「言い訳」として機能してしまわざるを得ない、という決定的な弱点を持ちます。その弱点を自覚した上で「限界芸術」として取り組むのか、それともその「言い訳」を巧妙に駆使して、「天井」を回避するような楽なやり方に逃げこむのか。
すでに見てきた柳田国男の小祭の復興という理念は、ここに見事に生かされているのではないか。柳田・柳両氏に見られる復古主義的心情は、宮沢においては、遠い未来のほうをむく新しい革新的意思によっておきかえられている。
これを具現せんと活動していたのが宮沢賢治であるとし、彼の著作から「限界芸術」の理念を言語化していくところは圧巻です。賢治を読む人は誰しもが感じる無垢のループ。それが「限界芸術」のキーであるという説には厚みがあります。ただし、柳田國男を引いている点については、この後読んだ『現代日本の民俗学 ポスト柳田の50年』によって感想が大きく歪むことになりました。
限界芸術論 (ちくま学芸文庫) 鶴見 俊輔 筑摩書房 1999-11 by G-Tools |
さすがに東洋経済はなかったですが、日経ビジネスやCOURRIER JAPONは置いていて少しびっくりしました。
昼休み、中之島図書館に返却と貸出に行った際、目に入った東洋経済。表紙に「70歳まで働く 45歳から考える「次の仕事」」。これは買ってよもう、電子書籍版がいいかと思ったけれど読みにくいことは判っていたので、これは紙の書籍で買うことに。
で、売ってる訳ないと思いつつ、ルート上行きやすかったスタンダードブックストアへ。かなり久し振り。スタンダードブックストアにビジネス書買いに来ることなんてなかったので気付かなかったけれど、意外にも「Business」というラベルが貼られた書棚が結構多いです。ビジネス系の雑誌なんて見たことなかったと思ってたのですが、冒頭書いた通り幾つかはありました。Businessの棚はやはりIT絡みのものが多かったです。気になっていた『Yコンビネーター』を見つけたのでしばし立ち読み。有限責任が理解できてなかったドイツ人学生とか、意外と普通にいるんだな~となぜか少し安心。そう言えば、いかにもスタンダードブックストアに来そうな雰囲気の女の子二人組がホリエモンの新刊を手にしてたのをみて結構な衝撃を受けました。サブカルチャーなのかカルチャーなのか、そういう意味でポップになり浸透していくというのはあまり良いことではない気がしました。これは少しきちんと考えたいなと。
店を出てここから最寄りのビジネス誌売ってそうな本屋どこだ?と思い浮かべてみたらこないだ行った天牛堺書店ekimoなんば店が。なんばは四ツ橋筋がジュンクとBook 1stが並んでて便利だと思ってたんですが、やっぱり御堂筋側にあるのは強いですね~。今後はこちらのほうが利用頻度が高そうな気がします。
週刊 東洋経済 2014年 2/15号 [雑誌] 東洋経済新報社 2014-02-10 by G-Tools |