第3期いこま塾 第2回"“「あったらいいな」を形にする” 関西ワンディッシュエイド協会理事長 樽井雅美氏 に参加しました

詰まる所、「仕事をしている人は、市民活動などしなくてよい」ということか。

参加者6人でのワークショップの際、「樽井さんが自分と違うと思うところは何か」という問いに対して、「端的に主婦だということ。私は会社員でそれだけの時間がない」と言ったところ、「あなたぐらいの年齢の男性は仕事で脂がのっている時期だから、樽井さんと同じようなことはできないと思います。身近なところから始めればよいと思います」と、初老と見える女性が仰った。

その内容自体は全く私も同意見なんだけど、このやり取りに2つの違和感を持った。1つは、私の発言が、「何か大きなことを成し遂げたいと思っている」と前提されて受け取られていたこと、もう1つは、身近なことを何もしていないと前提されていたことだ。

私がこの「いこま塾」に参加しようと思った動機の中で最も大きいのは、「地域のことをほとんど知らない、地域活動に参加できていない」という反省。だいたいの中年サラリーマンは「地域のことをほとんど知らない、地域活動に参加できていない」という批判に当てはまると思う。確かに、仕事に24時間すべて注ぎ込むのは大変だけどやりやすいことだし、そのほうが仕事上の成果も上がるけれど、自分が住んでいる地域のことを何も知らない、地域に何も貢献できていないというのは生活者として不完全と確かに思うので、自治会やその行事や市のイベントにできるだけ参加するようにするようになった。この「いこま塾」への参加もそのひとつ。

今日の内容は全国的にも注目されている活動の主催者の方の話だったけれど、内容はともかく、私のような中年サラリーマンがこういったイベントに参加するだけでもかなり珍しいことだと思う。私はその「中年サラリーマンがこういったイベントに参加することが珍しい」という状況そのものを改善していかないと、市民の成熟というものはないと考えていた。

ところが、このイベントに参加している人の意識も大半は、「中年男性サラリーマンは、身近なことですら、地域活動には参加していなものだ」という前提を持っているという印象を受けた。仕事を持っている人は、仕事をしていればいいというのが大半の意識なのだ。

私はここで大きく落胆したが、更に一歩進めて樽井さんの言葉を思い返した。「育児のストレスが重なって、自分が社会と繋がっていないような感覚になって、何か少しでも社会と接したい一心で」。市民活動というのは、こういうことなのかも知れない。行政では不足する仕組みやサービスの遂行とか、いろいろなメリットは言われるものの、最大のメリットは社会との接続を生み出すということなのかも知れない。そう考えると、主婦や退職世代が市民活動の中心というのは改めて自然だと思える。そして、仕事をしている人間は、仕事によって社会と接続できているので、改めて市民活動で社会と接続しなくてもよいと言われているように思える。

そう言えば最近、会社で子持ちの男性3人が続けさまに「自分は仕事でおむつ代を稼がないと」「自分の稼ぎがなければ子どもを食べさせていけないのだから」と、仕事に没頭することを肯定するための「常套句」を言うのを聞き、なんと旧態依然としているのだろうと驚いたことを思い出す。最初に書いた通り、24時間フルに仕事に注ぎ込むのがいちばん容易いこと、けれど現代の我々は、そうではないやり方の実践を求められている。ルールがないからといって遮二無二時間を仕事に費やすことを当然視できない環境にいるのだ。もうひとつ、新聞の夫婦お互いに対する不満、といった特集で、「喧嘩の最後には「誰のおかげで食べていけるんだ」と言われる」という20代女性の声があって驚いた。その言葉は今や言ってはいけないものとして同意がとられている言葉と思っていたから。世代を超えてまだ使われているとしたら、国民性というのはそうそう変わらないということなんだろうか。

いろいろ考えたけれども、やはり地域活動に参加する市民は、老若男女まんべんなく参加している状態が自然であり理想だという考えは変わらない。だから、中年サラリーマンが地域社会に参画できるようなスケジュールや取組を真剣に考えないと、地域が歪になる時代がすぐそこまで来ていると思う。市民活動が助成金で育てられるとしたら、その助成金は誰が支払っているのか。市ではなくて、市民なのだ。税金なのだ。

『Hurt』/syrup16g

初めて聴いたシロップは802でヘビーローテーションだった"Reborn"。


"DELAYED"聴いて"HELL SEE"聴いて"Mouth to Mouse"聴いて。"HELL SEE"の"吐く血"で完全にすぶすぶでした。人生いいことばっかじゃないというのが真理というような、冷めたというか拗ねたというか高校卒業とともにバブル崩壊した世代によくある人生観を頑なに守っていた人間にはぴったりフィットして。わざわざ、人生の暗い部分、どうにもならない部分に浸りたがるというか嵌りたがるというか、そういうのがあるんだからそこから目を背けたらダメ、それは逃げだ、というようなスタンスで。

けれどいつからかいつの間にかそういう感受性も流石に衰えて、「わざわざ目を向けなくったってそういう辛いことは起きるんだから、今起きていない状況に素直に感謝していいことだけを考えて生きるほうが建設的」「いいことだけに目を向けて生きるほうが、いいことが起きる状況を引き寄せる」という考え方にだんだん靡いて、そうするとシロップのような、否定しきれないダメ部分をこれでもかとぶつけてくるような音楽を聴いてそこにどっぷりはまっていくのに怖気づいてしまって。入ってしまうと戻ってこれないような、あのどっぷり感は抗いがたい魅力があるけれどあるが故に近づいてしまうことに怖れもあって。

だから"Hurt"のリリースを知ったとき、”聴きたい!”というのと同時に”怖い!”という気持ちも湧き上がって相当躊躇した。けれど結局抗いきれず買った。買ったけど聴くのに一週間かかった。そして聴いた。

確かにいろんなレビューで書かれてたように、かつてのシロップのような破壊力がないような気がするし、かつてのシロップから何か劇的に進化したり変化したりしたところもないような気がする。”生きているよりマシさ”なんていう、タイトルそのまんまで”死んでいるほうがマシさ 生きているよりマシさ”と歌う曲があるにも関わらず、かつてのシロップのような胸を締め付けられる高揚感はそれほどきつくない。”Stop Brain"の、思い切りキャッチーな明るい曲調で”Stop Brain 思考停止が唯一の希望"と歌うサビも、割と気軽に口ずさめてしまう。

これは自分の感受性がいよいよ地に落ちたのか、恐れていたよりも安易にどっぷりはまってしまったのか、それともシロップが元の復活も果たせてないのか。でも何度も聴いて、そのどれでもないと。シロップは、解散前と同じように、日本のザ・スミスと言われるような、ダメ人間がダメ人間としてダメ人間を歌っているようで、実はそこから飛躍して今の姿で帰ってきたんだと思った。”ゆびきりをしたのは”で”勇気を使いたいんだろ”と言っているのが、変にひねくれただけじゃなくて言葉通りの意味を言ってるんじゃないかと思うくらいに。暗い部分を目にして暗い部分を扱ってそこに溺れたとしても、ただそれだけでいいじゃないかとはならないし、ならなくてもそういう人生にとって大切な暗い部分を侮辱も冒涜もしたことにならないんだよと言えるところまで来たんじゃないかなと。そうじゃなけりゃ、年食う値打ちもないでしょと。

聴いてよかった。

B00LBX5X4I Hurt
syrup16g
DAIZAWA RECORDS/UK.PROJECT 2014-08-26

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街のサテンで豆を買う - (iL) Soigneur

ドリップももう暮らしのひとつになったと言っていいかなと思えるようになったので、いよいよ豆買いしてみました。
初豆買いは、以前、サイクリングアイテムをネットで探してた時偶然行きついて知った”(iL) Soigneur”というブリストルのショップの豆をネット通販することにしました。

"(iL) Soigneur"はサイクリングアイテムを扱ってるんですが、ミュゼットがメインプロダクトのようで、オンラインでカスタムミュゼットがオーダーできたりします。About Usにも、自転車を生活の一部とするポリシーが謳われているところに惹かれます。

その(iL) Soigneurのコーヒーは、彼らのお気に入りの店の豆を販売することにしたもののようで、250gから購入できます。豆でも挽いてもくれます。豆は10%のMonsooned Malabarが含まれたSumatraとBlazilのブレンドと説明がありました。

遂に出番を迎えた、見た目のカッコよさだけでこれにしたカリタの電動コーヒーミル。

パックを開けてみたところ。

量の説明は特になかったので、いつもやっている、水500cc・豆30gで淹れようと、豆30gをミルに入れたところ。30gで結構満杯気味です。


30gは12秒、説明書通り挽いたところ。結構荒い?こんなものなんでしょうか。

ドリッパーにセットして、

淹れる!

アイスで淹れてみました。

味はベリーストロング!リラックスするためというよりも気つけ?カフェインの本性、みたいな味わいだと感じました。この豆を焙煎しているお店はカフェだということなので、(iL) Soigneurのメンバーは、お店でいつも飲んで気に入ったはずですから、特別な状況で飲むのではなく、日常で楽しんでいるコーヒーだと思うんですが、サイクリストにはストロングなコーヒーが合うというのはその通りかなと思ったりします。

他の海外のサイクルショップサイトでもコーヒー豆を販売しているサイトを2,3見たことがあるし、国内でもラファは確か豆を販売していたと思いますし、自転車とコーヒーは相性のいい組み合わせじゃないかと思います。どんどん突き詰めていきたいなと思いました。

独走会 2014/09/14 周南ー宮島

まるで夏が戻ってきたかのような超好天だった敬老の日絡みの三連休、周南市から岩国錦帯橋を経由して宮島・厳島神社まで50kmちょっとの山あり海ありのホリデーライドを満喫しました!


周南から岩国までは、JR岩徳線沿いの県道144号を走りました。
これがかつての山陽道だそうで、昨年伊勢本街道を走ったときにも思いましたが、今の私には自転車で走るにも少し不安を覚えるようなこの細い道が、昔の人にとっては大切な表通りだったんだなと思いを馳せると同時に、百年後二百年後千年後の道や鉄道はどんなふうになり、今の私たちが最新と思っている道や鉄道はどんなふうになっているのだろうと未来にも思いを馳せます。


岩国まで、山陽道は上りあり下りあり、途中3箇所の欽明路トンネルありというなかなかの山道20kmですが、早朝だったこともありほとんど交通の往来がなく、とても気持ちよく走れました。
モーニング錦帯橋。補修工事は定期的に行われているそうです。


岩国から宮島までの2号線は正直退屈です。まったく海沿い走れませんし、信号は多いですし。
宮島口から宮島へは10分間隔で渡船があります。自転車は車同様、そのまま乗り込めて便利。


宮島には鹿がいます。奈良県人としてはなぜかライバル心が。


大鳥居と愛車。


厳島神社境内。神社ぎりぎりまで自転車で来れます。駐輪場もちゃんとあります。しかし、順路に沿って拝観し、正しい出口から出ると、駐輪場に戻るまで結構歩きます。ビンディングシューズなのでちょっとツラい。


御朱印。「厳島」という文字のイメージにぴったり嵌る素晴らしい字だと、書いて頂いているのを見てる時から感動してました。


『岩村もみじ屋』。厳島神社のすぐ近くです。出口を出ての戻り道でちょっと見かけて、なんかよさそうだったので、せっかくだからあそこでもみじ饅頭買おうと、駐輪場まで行ってわざわざ引き返しました。お店のおじさんはロードバイクに興味持ってくれて、饅頭そっちのけでフジやらミヤタやら、ロードバイク談義しました。もちろんもみじ饅頭は買いました。


これを見たご高齢観光客の方々は口々に「乗ってみるか」と言い合ってました。


宮島は旅情に溢れてました。山登って下って海を渡って神社に参って、この上ないライドでした。恒例の箇条書き:
  • 好天とは言え、9月中旬の6時は相当冷える。アームウォーマー、ニーウォーマーは必要だった。
  • 岩国までの20km(1時間)と岩国からの20km(1時間30分)のペースが違い過ぎる。最も大きいファクターはやはり信号。GARMINのログを見ると、トータル3時間のうち、moving timeは2時間。
  • コースの把握。あとどれくらい、と言うのが感覚と合致しないとどうしてもストレスになる。
  • 25km/h走の維持。

街の本屋で本を買う - 2014/08/17 ジャパンブックス生駒南店 『ハーバード・ビジネス・レビュー2014年9月号』

近鉄百貨店の中に啓林堂が出来て、そう言えばジャパブ(奈良ではみんな知ってる”ジャパンブックス”の略称)はどうなってんだろ?と思って立ち寄ってみたら、”Honya Club"なるものに加盟してました。

「そう言えば啓林堂のポイントカード制度ってどうなったんだろう?」と思って調べてみたら、サイトには記載がなくって、"e-hon"という書店ネットワークに加盟しているのと、近鉄百貨店内にあるので、KIPSポイントが使えるというメリットがあります。対して老舗のジャパブはいったいどういう手を打つのだろう?そもそも何か手を打つのだろうか?と思いながらジャパブに寄ってみると、”Honya Club"に加盟したことを知りました。

"Honya Club"は全国の書店が独自に加盟するオンライン書店で、その特徴は、ネットで注文して近くの書店で受け取れるので送料がかからないということと、ネットで注文しても登録した最寄り書店で購入してもポイントがつくこと。厳密にはネットで購入したポイントと書店で購入したポイントは別なんですが、振り返られるので現実的には共通と言ってよいと思います。

このポイント制度の有効性ですが、正直言ってamazonに勝てていないかなと思います。もっとも大きい理由は、単純にオンライン書店のインターフェースです。ネットで本を買おうと思って最初に出会ったのがHonya Clubでない限り、使おうという気になる人はごく少数だと思います。オンラインのインターフェース設計を甘く見ていると思います。清潔で見やすい本屋に人はリピートするように、使いやすいインターフェースのネット書店に人はリピートするんです。今のところ、Honya Clubは、「時前でポイントサービスを構築できない小規模書店にとってのクラウド型ポイント管理サービス」としてしか機能していないと思います。

そんな書店ネットワークサービスが、少なくともHonya Clubとe-honの2つもあるというのが頂けないな、と思います。小規模書店がネットやメガ書店に本気で対抗してくのなら、もっと結託して必要なコストを圧縮した上で、カラーを出していかないといけないと思います。

そんな「地元の本屋」でぶらっと何を買うか・・・とかなり逡巡したのですが、最近、ニュースでもネットでも何を見るにつけ「働き過ぎ」とか「そこそこで十分」とか、そういう主張ばかりを眼にしてたんですが、結局、やれるようになるためにはやるしかないだろう、と思うところがあって、かと言って単に「天井知らずで遮二無二働け」というイデオロギーは変えられるだけのロジックを立てないと、と思っていたところに「ハードワーク」をタイトルに持ってきた「ハーバード・ビジネス・レビュー」。働きと地元は切り離せない。ということでこちらを購入したのでした。

B005FAPEDI Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2014年 09月号 [雑誌]
ダイヤモンド社
ダイヤモンド社 2014-08-09

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『Guitar』/LOSTAGE

いい感じで「ねじれた」アルバムやなあ、と言うのが二周聴いた時点での感想です。そしていい意味で聞き流してます。
発売からまるまる一ヶ月遅れでやっと買えました『Guitar』。どうしてもthroat recordsで買いたいもんで、そしてthroat recordsは土日平気で休業するサラリーマン泣かせな(笑)レコードショップなのでなかなかタイミングあいませんでしたが遂に買いに行けました。五味さんにしたら、店で買われたら袋もいるしレシートも減るしコスト掛かるからネット通販で買ってくれってなものかも知れません、僕は音楽業界の中間マージンのことよく判ってないので見当違いかも知れません(笑)。

ライブで聴けた『Good Luck/美しき敗北者たち』と802で聴いた『Flowers/路傍の花』、レビュー記事のどれもが書いてた「歌もの」という表現通りの印象だったのだけど、いざアルバムを通して聴くと、「歌もの」というにはギターも目立ってる。僕は音楽はとても狭い範囲で好きなのを聴いているだけのただの素人なのだけど、メロディラインはどの曲もとても美しいけどそれは今までのハードなLOSTAGEの曲でも同じく美しいと感じてて、それよりもギターが歌ってるような、そこのほうが「歌もの」という言葉が当たるような気がしました。それで、「歌ものと言いつつ、人間の声というボーカルだけじゃなくて、ギターも主役ということかな」、とそう考えるといい意味でずいぶん「ねじれた」タイトルのアルバムやなあ、と思ったのでした。

いつもは歌詞カードとにらめっこでどういうこと言ってるのか理解しようとするのに、このアルバムはずーっと流してずーっとボーカルも含めて「音」を聴いてます。

throat records。五味さんはいつも驚くほど丁寧で感じがよいです。

B00KYMEREO Guitar
LOSTAGE
SPACE SHOWER MUSIC 2014-08-05

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街のサテンで豆を買う - スターバックスイオン東大阪店

まだまだ豆を買う修行中です!意外とディカフェって売ってるものです。スタバにもありました
ディカフェ コモドドラゴンブレンド」。コモドドラゴンはインドネシア生息のトカゲ。原産国がアジアなので、アジアを思わせるコモドドラゴンを名づけたのでしょうか。
 これまで会社の帰りにタリーズで買ってたんですが、買うときいつも「200gでよろしいですか?」と聞かれてたので、今日は店員さんに「何gから買えるんですか?」と250gのパックを手にして聞いてみた。回答は何gからかは忘れたけど、とにかくそのパックの量で買う必要はなくて指定できるという答え。250g買っても全然よかったんですがせっかくなので200gと指定。次はわざわざパックを持って行かなくても、レジで「ディカフェ200gお願いします」で買えるのかにチャレンジしてみよう!(大袈裟)

タリーズと同じく、「ペーパーフィルタ用でお願いします」と頼んだんですが、タリーズのに較べてかなりしっかり粉末になっていると思われます。

一口目の感想は、結構苦味を感じられるな、でした。タリーズの「デカフェ エチオピアモカ」は甘味がありましたけど、こちらはかなりロースト感が感じられます。焦げ感?香りもスモーキーです。あと、タリーズが今をときめくサードウェーブよろしくエチオピアのシングルオリジン(タリーズでは”バライエタル”(=ストレート)と呼び習わすそうです)なので味がストレートに感じましたが、こちらは「コモドドラゴン”ブレンド”」なので、交じり合いの感じはあります。

しかしディカフェでもしっかりしたコーヒーが味わえて、いい時代になったもんです。いよいよ、普通の喫茶店で豆をオーダーしてみよう!

ガー・レイノルズさんの「プレゼンテーションの極意」@生駒オンリー・ワン講座を聴講しました

プレゼンを「する」能力をあげるべきなのか、「聞く」能力をあげるべきなのか。

ガー・レイノルズさんと言えば『プレゼンテーションZEN』の著者の方です。

「プレゼンテーション」という言葉に、多少なり躊躇いとか抵抗とかを覚える人がいて、その理由の最も大きなところは「中身よりも見栄えが優先されるような気がする」というものだと思います。逆に、プレゼンテーションの重要性を伝える側は、「よいものであっても、伝え方が効果的でなければ、よいものが活かされない」という危機感から来ています。この双方のすれ違いを踏まえた上で、私が今回、受講しながらずっと考えていたのが、冒頭の、「プレゼン”する”能力をあげるべきなのか、”聞く”能力をあげるべきなのか?」という問いです。

今回のセミナーでも引用されていたTEDは、オーディエンスも優れているので、プレゼンターが中身のないプレゼンを準備することはありません。演者と観客の双方向の牽制が効いているので、高いクオリティが維持可能になっています。

PowerPointの「箇条書き」「テンプレート」はあまりにもわかりやすい例で、プレゼンテーションの話では常に攻撃対象に利用されますが、あの方式はバーバラ・ミントに従ったブレイクダウン・ストラクチャーで、型を守ることで誰でも一定のクオリティを保ったプレゼンテーションを作成することができるし、自分の意見を他人に理解してもらう上で、ブレイクダウン・ストラクチャーに則った「論理的な」記述が有効であるのを、否定できる人はいないと思います。

ブレイクダウン・ストラクチャーは、「論理的な考えは、認めなければならない」という、議論の大前提、暗黙のルールがあるからこそ活きています。だから、論理的に考える訓練を受けていなくても、「テンプレート」という「型」、つまりフォーマットに従うことで、誰でも容易に、比較的短時間で、他人を納得させることのできる、論理的に組み立てられたプレゼンテーションをつくることができます。

ということは、パワーポイントの「箇条書き」「テンプレート」への攻撃は、「論理的」な展開への攻撃と言い換えてもいいと思います。確かに、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの中では、「共感」ということが繰り返し強調されました。パッションを持って、共感を呼び寄せよう、感情に訴えかけよう、と。

ここまで考えて、私にはこのプレゼンテーションの二つの流儀は、コミュニケーションにおける神学論争ではないかと思いました。つまり、論理で理解するのか、感情で理解するのか、という神学論争。我々人類は長い間、人間は感情任せであると大きな間違いを招く危険性がある、だから理性的・論理的でいなければならないと思ってきました。しかし、現在のところ、プレゼンテーションにおいては、論理よりも感情が優先するというのが潮流のようです。つまり、「論理」という、時間を大量に必要とする形での相互理解ではなく、「感情」によって、瞬間的直観的に理解するのを是としようとしています。

ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションルールの要点のひとつは、「何を残して、後を捨てるか」ということ、これはつまり、人間の認知の限界と、世がスピード社会化していて時間が足りない、という現実を予め受け入れた上で、次善の策として、要点だけをピックアップして伝える、という解釈をすることもできるのではと思います。。もちろん、ガー・レイノルズさんのプレゼンテーションの組み立てが、非論理的だとは思いません。けれども、根底の哲学がそういうことになると思います。

そして、このルールが牧歌的だと思うのは、それはあくまでも「聞き手」のスキルも高いときにしか成り立たないと直感的にわかるから。聞き手のスキルがそれほど高くない時、感情に訴えかけるプレゼンテーションが主流になって、その中に中身がないものが紛れ込んだとき、どんな悲劇が起きるかは簡単に想像できてしまいます。

ガー・レイノルズさんの『プレゼンテーションの極意』の要諦のひとつは、「聞き手に何かを得てもらうこと、それがプレゼンテーション」ということだったと思います。であれば、聞き手に応じた「型」を選択するところから、プレゼンテーションは始まっていると思います。どれだけ、動画も盛り込みフォントサイズも大きくしたピッチを準備しても、事業計画を説明する相手にとっては「プロトコル」があっていないということになるでしょう。その時点で「相手の立場に立てていない」ということになります。そこを踏まえた上で、今の自分にできることは、プレゼンテーション「する」能力を高めることも大事ですが、このセミナーが「生駒市民」に向けて行われた意義を顧みるとすると、市のさまざまな場面でこれから起きてくるであろうプレゼンテーションを「聞く」能力を高める努力を続けないといけないと思いました。

『弱いつながり』/東浩紀

ぜひ、電子書籍で読むことをお勧めします!(気分的に)

「弱いつながり」というのは、私は「偶然」という言葉と重ねあわせながら読みました。本著は、「人は、自分を変えることはできない」と宣言しますが、それは「自分で自分を変えることはできず、自分で変えることができるのは自分が身を置く環境。人間は環境に規定されるので、環境を変えることで自分を変えることしかできない」というふうに私は読みました。

ネットは見知らぬ何かを知ることのできるツールではもはやなくなっていて、知っているものをより知ることしか、すでにつながっているものとのつながりを強化することしかできないツールになっている。検索があると言っても、検索ワードは自分がすでに知っていることだから、結局、自分が知っていることをより知るだけ、すでにつながっているものとより強くつながるだけ。だからネットは「強いつながり」。しかし自分を変えるためには未知が必要。例えばいつも仕事で会話するよく知った関係者ではなく、自分のことをあまり知らない、パーティで知り合った人のような。その「未知」に出会うためには新しい検索ワードを手に入れる必要があり、新しい検索ワードを手に入れるためには環境を変える必要があり、その具体的な手段は「旅」だと。

ものすごく納得させられました。「自分を変えることはできない」と言われると反発したくなるのが自然な反応だと思いますが、環境に規定されるというのは一旦は認めなければいけない事実だと思います。そして、意図的に変えることができるのは環境なのだから、自分を変えるために、環境を変えようという方策は非常に力強いと思います。そして、リアルに対して「弱いつながり」という、一見するだけではネガティブに映る言葉を当てたところが良いなと思います。

私はamazonを長く愛用してますが、レコメンドが始まった頃から、「なんであれ、今までの自分の行動をベースにしたレコメンドなんてつまらないし興味ない」と無視して来ました。その天邪鬼の奥底にあるのは本著のこういうスタンスではないかなと思います。どうやって「偶然」を手にするか。どれだけビッグデータが進展してもデータがリアルに勝てないのは、「偶然」はリアルにしか存在しないと言えるからじゃないでしょうか。

もうひとつ、私にとって大きい箇所はここでした:

 そこらあたりから、人生のリソースには限りがあって、ずっと最先端の情報を取り続けるのは無理なんだな、と思うようになりました。単に体力勝負ではない、別の方法での記号の広げかたはないのかと考えるようになりました。

 年齢的には早いですが、それは「老い」について考え始めたということでもあります。広大なネットをまえにしていても、年齢を重ねると、情報のフィルターが目詰まりを起こし、新たな検索ワードを思いつかなくなる、ときどきフィルターの掃除をやらねばなりません。

 そこでぼくは、本を読んだりアニメを見たりするかわりに、休暇では外国に行くようにライフスタイルを変えました。

 全く同じことを数年前から考えていて、それについてどうするのかというのを試行錯誤し、うまく行かず苛立ちながらここまで来たというのが実感ですが、同じ問題意識を読むことが出来たのは幸運でした。そして、「老い」に対する対処として、「自分は変えられない。環境を変えるしかない」という認識から「旅」が導かれたのを読めたことも。私がロングライドに惹かれたのは、この「旅」と同じなのかも知れません。外国ほど大きな環境変化を齎せませんが、日常ととてつもない切断を生み出す多大な身体経験があります。そして実際に移動を伴います。現代において本来なら掛ける必要のない時間を敢えてかけて身体経験を伴って移動するロングライドは、本著が言う「旅」の意味の何割かは共有していると思います。

何を電子書籍で買い、何を紙の書籍で買うか

hontoもamazonもクーポンが来たりカードのポイントが使えたりで、本を買うとき電子書籍にするか紙の書籍にするか、そして紙の書籍ならそれはどこで買うか、ネットで買うのか実書店で買うのか、というので結構悩みます。

私は(なんだかんだ言っても)紙の書籍は好きなので、紙の書籍でも電子書籍でも買える本があった場合、どちらで買うかとても迷います。決め手でいちばん多いのは、「それをいつ読むか」という視点で、通勤中とか、仕事の合間とかに読むタイプのものであれば、スマートフォンでもタブレットでも読めるhontoの電子書籍購入にすることが多いです。それで、『弱いつながり』は電子書籍で買いました。

書評などで知って「これが読みたい」と目星をつけた本で、電子書籍がない場合、その日実書店に寄れれば実書店で、機会がなければネットで注文。ただ、実書店に立ち寄った際に、そこで見つけて「お、これ面白そう」と思った本は、実書店で買うようにしてます。言ってみればこの「偶然」の楽しみと有効性のために実書店に行ってます。amazonのリコメンドもhontoのリコメンドも、「これ読んだ人はこんなのも読んでます」って、そんな似たような本勧められなくても判ってるんですよ。

ただ、本好きとしてはお金と時間の許す限り本を書い漁り読み漁りたい訳で、時間も大変ですがお金も負けず劣らず大変で、そうすると最近「何を電子書籍で書い、何を紙の書籍で買うのか」の基準で出てきたのが:

  • コレクションする類の本ではなく、かつ売れそうな本は、紙の書籍で買う

amazonマーケットプレイスを使えば結構高い確率で本は売れるので、「話題の図書」の類、図書館で借りようにも予約がいっぱいでいつ回ってくるか判らず、タイムリーに読まないとあまり意味が無いという手の本は、紙の書籍で買って読んで出品して売って何%か回収する、という選択肢。先ごろの『ヤバい日本経済』『ITビジネスの原理』はこの通り、amazonマーケットプレイスで売却して2/3くらい回収しました。

電子書籍はそこが盲点でした。転売できない。amazonは米国でそれに近い仕組を構築したとかするとかいうニュースを1,2年前に見たような気がしますが、今のところ日本では電子書籍を転売する方法はありません。紙の書籍だと読み終えたら売ることができる。買い手がつくかどうかというリスクと、マーケット価格が1円だったりしないかというリスクはあるものの、話題の本なら中古ゲーム市場と同じで、早く終えて早く出せば結構な率を回収できます。

最近思った電子書籍の欠点はあと2つ。

  • 複数冊開くことができない。見比べられない。
  • 「本棚」の整理ができない。リストで纏められない。まだ20冊前後だからいいけど、この後の管理性に不安。

とは言え、何冊買ってもスマートフォンかタブレットがあれば全部読める電子書籍の利便性の高さもメリットなので、試行錯誤しながら本を読み続けます。