『フランシス子へ』/吉本隆明

みんな本当に「めんどくさがり」になっちゃったんだな、と思います。わかりやすくないとダメなんだなって。

 何か大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるって今の考え方は自分も含めて本当じゃないなって思います。

 何かを抜かして原因と結果をすぐに結び付けて、それで解決だって思おうとしてるけど、それは違うんじゃないかって。

これは、「絆が大事」とか「日本人のこころ」とか「おもてなし」とか「ものづくりバンザイ」とか、そういう心性と結び付いたもんじゃないってことがいちばん大事だと思う。これはまず、すごく科学的な思考方法のところから出てきているもので、決して情緒的とか道徳的とかそういうことじゃない。
そのうえで、僕は最近、「時間のかかること」を大事にしようと考えている。どうしてもこれだけの時間がかかってしまう、というようなこと。コーヒーを淹れはじめたのもその一つ。ロングライドなんてその最たるもの。「どうしたってこれだけの時間がかかる」ということに、これからの未来の価値観の切れ端を見出せる気がするから。
思考もそう。すっと耳に入ってくるわかりやすい論旨にそうだそうだと言っているときに、だいたい群衆というのは間違うもので。
そういう意味では、1年くらい前か、セレブの間で会ってる間はスマホをテーブルに出して使わない、みたいなのが流行ってるというの、やっぱり成功する人は何が問題かに気づき、それに対処する実行力と意志力を持ってるんだなあと感嘆したなあ。

上の世代のつぶれそうな反乱軍に行くまでも気持ちもなく、そうかといって、下の世代のように「時代は変わった」と言うわけにもいかない。

街のサテンで豆を買う 工場跡

自分でドリップするようになって新しく自分に生まれた考えというのが、「効率的にやってはいけないことがある」ということ。

ペーパードリップは、豆を計量して、挽いて、サーバを温めて、ペーパーフィルタにお湯をかけて、お湯を沸かして、まず蒸らして…とたくさんの手順を踏むので、職業がSEの私は、どうやったら段取りよく最短時間で淹れらるか?と考えて工夫をし始めていました。そうやって何回か淹れていて、味に違いが出たのか出ていないのかなんて分からないんですが、でも、「あ、コーヒーってこうやってせかせか淹れるもんじゃないな」というのはふっと心底思ったのです。コーヒーを淹れるというのは、ひとつひとつの所作を落ち着いてゆったりやるということ。強いて言えば、落ち着いてゆったりやるだけの時間をきちんと確保するために、他の日常事をだらだらせず手際よく済ませていくこと。これがコーヒーを淹れるという生活かと思い至りました。だいたい、効率を追及しだしたら、豆だって大量にまとめ買いしたほうがいいということになるし。もちろんそんなことできません。直近で飲むだろう適量を都度買わないと。

それからは、お湯を沸かしながら豆を計量して…とか、何と何を並行させられるかとかは止めました。落ち着いてコーヒーを淹れることがひとつの瞑想になるようにしたいというところです。

さて今日は先日、東大寺戒壇院そばのお気に入りのカフェ工場跡で買ってきた豆で淹れました。工場跡でカフェオレ飲んで支払のときに豆が売られているのに気付いて、「どんな味ですか?」とお店の人に聞いてしまう自分も間抜けですが(今飲んだのがその豆で淹れてるだろうっていう)、「飲んだ後はすっきり」とお店の人が教えてくれた通りでした。ブレンドですがクリアで飲んだ後は確かにすっきりです。強い後味を残しません。ちょっと苦味が長続きするかな?という程度です。パッケージに「by 香豆舎」と書かれていたので、香豆舎の存在も知れました。今度足を延ばしてみようと思います。

街のパン屋でパンを買う - 2014/11/02 こはく。

久し振りに初めてのパン屋で買いました。馴染みのルート上にあるのに一度も行ったことのなかった人気のお店「こはく。」。

JR関西本線の法蓮の踏切近く、というよりも「くるみの木」の道向、というほうが通りがよさそう。こじんまりとした佇まいですが、店に入った際の目移り具合は富雄の「ブランジェトミオ」に匹敵でした。

相変わらず写真を撮るという意識が徹底できず、一個(栗あんぱん)食べてしまってから思い出して慌てて撮るという体たらく。しかもパンの名前を全然覚えらず。左上から時計回りにチーズ(見ればわかる)、ぶどうパン(これだけは覚えてる)、ブルーベリー(だけじゃなかった)。ぶどうパン以外は、メインの食材以外の組み合わせが豪華。高揚します。

味はハードにもソフトにも寄りすぎていない絶妙なところをついてると思います。そして値段も至ってスタンダードです。これであれだけバラエティに富んだ品ぞろえされると、片っ端から買って帰りたくなるというもの。このタイプのパンを買うなら今後確実に候補に入りそう。行ってよかった。

『MOONDUST』/the pillows

”僕は後どれくらい キミと会えるだろう"

(『MOONDUST』/the pillows)

同世代のアーティストが現役でやり続けてくれるというのは本当にありがたいことだと思います。35歳になったとき、70歳まで生きれるとして人生半分過ぎたんだなあと思ったときの寂寥感なんてまがい物だったと思うくらい、42歳の今、人生の残り時間はどのくらいなんだろうと思う真剣さは鋭い。いろんなことの残り時間が少なくなっていて、あと何回できるんだろうという事態に陥っていて、この真剣さを分かち合えない世界のもどかしさにもんどりうっている。

残り時間が少なくなって年を取って忙しくなって時間をかけるところも興味の対象も情熱の質も中身も変わり、好きなバンドの新譜のタイトルが青いカーネーションのことを指していてその花言葉が「永遠」だから今の自分たちに相応しいと思ってなんて由来を調べることもしなくなり、20周年のときは武道館まで行ったけど25周年の今、どんな記念イベントが開催されているのか全然知らなかったり。

だけどそれはそういうもんなんだろうと最近では認められるようになってきている。決してそれは老いではないし後退ではない。たとえどんなに理解を得れない世界に住んでいたとしても、腐らずに成熟していく道を歩まないといけない。知ったことが多い分だけ、できることも増やせるはずだ。仮に残り時間がなくなってしまったとしても。稀有なアルバムでした。

"The Last Period 
破れかけた飛行船で行こうぜ"

(『Clean Slate Revolution』/the pillows)


B00MUP8IVQ ムーンダスト (CD+DVD)
the pillows
avex trax 2014-10-21

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(iL) Soigneur Harris Tweed Musette Bag

先日豆を買った(iL) Soigneurのハリスツイードミュゼットバッグ。

豆を買うときにサイトで目に入ってたバッグ。(iL) Soigneurはミュゼットバッグのカスタムオーダーがオンラインでできる他にあまり見ないお店なんですが、オフザシェルフ、つまり既製のミュゼットバッグもありまして、ハリスツイードのサコッシュってなかなか良いなあ、実はあんまりサコッシュって使う機会ないけど、これはあったら重宝しそう、と買ってしまいました。冬場のお使いにはたいへん重宝しそうです!

(iL) SoigneurはPayPalでの支払いができるんですが、注文の際、選択を間違えて日本語表記の住所のままで注文してしまい、BristolのPCで日本語フォントは入ってないよなあ~どうなるかなあ~と思いつつ待っていたら、ばっちり漢字を印刷した紙を貼りつけて送ってくれました。おまけにVUELTA woven patch、いわゆるワッペンも同封してくれました。(iL) Soigneur、いいヤツです。

独走会 2014/10/18 生駒-めえめえ牧場ラウンドトリップ ヴィア鉢伏峠

最高の秋晴れの中、遠足よろしく山添村にある「めえめえ牧場」までツーリングしました!牧場入り口まで…

14日の火曜から毎日、「週末どこ走ろう」と思いを巡らせ、おぼろげに「林道がいいな」と、過去に走った山間部の光景が頭に浮かんだのと、なるべく自走で距離を走りたいというのと、走ったことのない道で行ったことのないところに行きたいというのとで、Google Mapをぐるぐる回して思いついたのがめえめえ牧場。今年の夏は県内の鉄道沿線の草刈に大活躍したというニュースで有名になったし、一方で、布目ダムのように自転車ツーリングの目的地としてはあまり聞かないし、よし、めえめえ牧場に行こう!と思い立ったのでした。

ただ、県道80号は以前太安万侶の墓までツーリングした際に走ったので、今回は県道80号の少し南を走る林道、鉢伏峠を越えることにしました。

県道80号だとこんな感じで、

鉢伏峠越えだとこんな感じ。

ヘリポートあたりで合流してその先は80号。距離にすると80号のほうが1.2km長く、平均斜度は鉢伏峠のほうが1.8%きつい。5~6kmの距離で平均斜度1.8%変わるとこんなに違うのかというくらいきつかったです。途中、二回目の20%超の劇坂区間は、茶畑が広がってとても麗しい景色なんですが脚ついてしまいました。

この後、水間トンネル前も登らされ、布目ダム脇を通過した後もまた登らされ、「めえめえ牧場」という看板を見つけて右折した後も斜度8%前後の登らされ、

やっと「めえめえ牧場」入り口に到達したのに、

その先まだこんな坂登らされることを目の当たりして、もういいやここで、と完全に心が折れたのでした。

しかしさすが標高約500m、見晴は素晴しかったです。

でも登って下ったということは当然また登らないといけない訳で…。本当に這う這うの体で帰ってきました。ヘリポートにたどり着いて80号を下るだけになったときどれだけ安堵したことか。

なので下った先に待ち受けているノモケマナには寄ってしまう訳です。

獲得標高1,454m。自分的にはこれでも十分きつい数字ですが、その数字以上にきつい峠越えでした・・・。以下、箇条書き:

  • もうこの時期はショート+ニーウォーマーではダメだった。
  • 登り始めに足が攣る。これは以前からの課題。意識していないと登りで無暗に踏んでいる。
  • 左足のクリートが緩んでいるので直す。右のクリートの遊びを締めたのは良かった。
  • 下りでスピードを稼ぐとき、自信がないのか心拍が落ち着かないので休憩になっていない。下りの練習も必要。
  • 水分補給をもっと積極的にすること。

第3期いこま塾 第2回"“「あったらいいな」を形にする” 関西ワンディッシュエイド協会理事長 樽井雅美氏 に参加しました

詰まる所、「仕事をしている人は、市民活動などしなくてよい」ということか。

参加者6人でのワークショップの際、「樽井さんが自分と違うと思うところは何か」という問いに対して、「端的に主婦だということ。私は会社員でそれだけの時間がない」と言ったところ、「あなたぐらいの年齢の男性は仕事で脂がのっている時期だから、樽井さんと同じようなことはできないと思います。身近なところから始めればよいと思います」と、初老と見える女性が仰った。

その内容自体は全く私も同意見なんだけど、このやり取りに2つの違和感を持った。1つは、私の発言が、「何か大きなことを成し遂げたいと思っている」と前提されて受け取られていたこと、もう1つは、身近なことを何もしていないと前提されていたことだ。

私がこの「いこま塾」に参加しようと思った動機の中で最も大きいのは、「地域のことをほとんど知らない、地域活動に参加できていない」という反省。だいたいの中年サラリーマンは「地域のことをほとんど知らない、地域活動に参加できていない」という批判に当てはまると思う。確かに、仕事に24時間すべて注ぎ込むのは大変だけどやりやすいことだし、そのほうが仕事上の成果も上がるけれど、自分が住んでいる地域のことを何も知らない、地域に何も貢献できていないというのは生活者として不完全と確かに思うので、自治会やその行事や市のイベントにできるだけ参加するようにするようになった。この「いこま塾」への参加もそのひとつ。

今日の内容は全国的にも注目されている活動の主催者の方の話だったけれど、内容はともかく、私のような中年サラリーマンがこういったイベントに参加するだけでもかなり珍しいことだと思う。私はその「中年サラリーマンがこういったイベントに参加することが珍しい」という状況そのものを改善していかないと、市民の成熟というものはないと考えていた。

ところが、このイベントに参加している人の意識も大半は、「中年男性サラリーマンは、身近なことですら、地域活動には参加していなものだ」という前提を持っているという印象を受けた。仕事を持っている人は、仕事をしていればいいというのが大半の意識なのだ。

私はここで大きく落胆したが、更に一歩進めて樽井さんの言葉を思い返した。「育児のストレスが重なって、自分が社会と繋がっていないような感覚になって、何か少しでも社会と接したい一心で」。市民活動というのは、こういうことなのかも知れない。行政では不足する仕組みやサービスの遂行とか、いろいろなメリットは言われるものの、最大のメリットは社会との接続を生み出すということなのかも知れない。そう考えると、主婦や退職世代が市民活動の中心というのは改めて自然だと思える。そして、仕事をしている人間は、仕事によって社会と接続できているので、改めて市民活動で社会と接続しなくてもよいと言われているように思える。

そう言えば最近、会社で子持ちの男性3人が続けさまに「自分は仕事でおむつ代を稼がないと」「自分の稼ぎがなければ子どもを食べさせていけないのだから」と、仕事に没頭することを肯定するための「常套句」を言うのを聞き、なんと旧態依然としているのだろうと驚いたことを思い出す。最初に書いた通り、24時間フルに仕事に注ぎ込むのがいちばん容易いこと、けれど現代の我々は、そうではないやり方の実践を求められている。ルールがないからといって遮二無二時間を仕事に費やすことを当然視できない環境にいるのだ。もうひとつ、新聞の夫婦お互いに対する不満、といった特集で、「喧嘩の最後には「誰のおかげで食べていけるんだ」と言われる」という20代女性の声があって驚いた。その言葉は今や言ってはいけないものとして同意がとられている言葉と思っていたから。世代を超えてまだ使われているとしたら、国民性というのはそうそう変わらないということなんだろうか。

いろいろ考えたけれども、やはり地域活動に参加する市民は、老若男女まんべんなく参加している状態が自然であり理想だという考えは変わらない。だから、中年サラリーマンが地域社会に参画できるようなスケジュールや取組を真剣に考えないと、地域が歪になる時代がすぐそこまで来ていると思う。市民活動が助成金で育てられるとしたら、その助成金は誰が支払っているのか。市ではなくて、市民なのだ。税金なのだ。

『Hurt』/syrup16g

初めて聴いたシロップは802でヘビーローテーションだった"Reborn"。


"DELAYED"聴いて"HELL SEE"聴いて"Mouth to Mouse"聴いて。"HELL SEE"の"吐く血"で完全にすぶすぶでした。人生いいことばっかじゃないというのが真理というような、冷めたというか拗ねたというか高校卒業とともにバブル崩壊した世代によくある人生観を頑なに守っていた人間にはぴったりフィットして。わざわざ、人生の暗い部分、どうにもならない部分に浸りたがるというか嵌りたがるというか、そういうのがあるんだからそこから目を背けたらダメ、それは逃げだ、というようなスタンスで。

けれどいつからかいつの間にかそういう感受性も流石に衰えて、「わざわざ目を向けなくったってそういう辛いことは起きるんだから、今起きていない状況に素直に感謝していいことだけを考えて生きるほうが建設的」「いいことだけに目を向けて生きるほうが、いいことが起きる状況を引き寄せる」という考え方にだんだん靡いて、そうするとシロップのような、否定しきれないダメ部分をこれでもかとぶつけてくるような音楽を聴いてそこにどっぷりはまっていくのに怖気づいてしまって。入ってしまうと戻ってこれないような、あのどっぷり感は抗いがたい魅力があるけれどあるが故に近づいてしまうことに怖れもあって。

だから"Hurt"のリリースを知ったとき、”聴きたい!”というのと同時に”怖い!”という気持ちも湧き上がって相当躊躇した。けれど結局抗いきれず買った。買ったけど聴くのに一週間かかった。そして聴いた。

確かにいろんなレビューで書かれてたように、かつてのシロップのような破壊力がないような気がするし、かつてのシロップから何か劇的に進化したり変化したりしたところもないような気がする。”生きているよりマシさ”なんていう、タイトルそのまんまで”死んでいるほうがマシさ 生きているよりマシさ”と歌う曲があるにも関わらず、かつてのシロップのような胸を締め付けられる高揚感はそれほどきつくない。”Stop Brain"の、思い切りキャッチーな明るい曲調で”Stop Brain 思考停止が唯一の希望"と歌うサビも、割と気軽に口ずさめてしまう。

これは自分の感受性がいよいよ地に落ちたのか、恐れていたよりも安易にどっぷりはまってしまったのか、それともシロップが元の復活も果たせてないのか。でも何度も聴いて、そのどれでもないと。シロップは、解散前と同じように、日本のザ・スミスと言われるような、ダメ人間がダメ人間としてダメ人間を歌っているようで、実はそこから飛躍して今の姿で帰ってきたんだと思った。”ゆびきりをしたのは”で”勇気を使いたいんだろ”と言っているのが、変にひねくれただけじゃなくて言葉通りの意味を言ってるんじゃないかと思うくらいに。暗い部分を目にして暗い部分を扱ってそこに溺れたとしても、ただそれだけでいいじゃないかとはならないし、ならなくてもそういう人生にとって大切な暗い部分を侮辱も冒涜もしたことにならないんだよと言えるところまで来たんじゃないかなと。そうじゃなけりゃ、年食う値打ちもないでしょと。

聴いてよかった。

B00LBX5X4I Hurt
syrup16g
DAIZAWA RECORDS/UK.PROJECT 2014-08-26

by G-Tools

街のサテンで豆を買う - (iL) Soigneur

ドリップももう暮らしのひとつになったと言っていいかなと思えるようになったので、いよいよ豆買いしてみました。
初豆買いは、以前、サイクリングアイテムをネットで探してた時偶然行きついて知った”(iL) Soigneur”というブリストルのショップの豆をネット通販することにしました。

"(iL) Soigneur"はサイクリングアイテムを扱ってるんですが、ミュゼットがメインプロダクトのようで、オンラインでカスタムミュゼットがオーダーできたりします。About Usにも、自転車を生活の一部とするポリシーが謳われているところに惹かれます。

その(iL) Soigneurのコーヒーは、彼らのお気に入りの店の豆を販売することにしたもののようで、250gから購入できます。豆でも挽いてもくれます。豆は10%のMonsooned Malabarが含まれたSumatraとBlazilのブレンドと説明がありました。

遂に出番を迎えた、見た目のカッコよさだけでこれにしたカリタの電動コーヒーミル。

パックを開けてみたところ。

量の説明は特になかったので、いつもやっている、水500cc・豆30gで淹れようと、豆30gをミルに入れたところ。30gで結構満杯気味です。


30gは12秒、説明書通り挽いたところ。結構荒い?こんなものなんでしょうか。

ドリッパーにセットして、

淹れる!

アイスで淹れてみました。

味はベリーストロング!リラックスするためというよりも気つけ?カフェインの本性、みたいな味わいだと感じました。この豆を焙煎しているお店はカフェだということなので、(iL) Soigneurのメンバーは、お店でいつも飲んで気に入ったはずですから、特別な状況で飲むのではなく、日常で楽しんでいるコーヒーだと思うんですが、サイクリストにはストロングなコーヒーが合うというのはその通りかなと思ったりします。

他の海外のサイクルショップサイトでもコーヒー豆を販売しているサイトを2,3見たことがあるし、国内でもラファは確か豆を販売していたと思いますし、自転車とコーヒーは相性のいい組み合わせじゃないかと思います。どんどん突き詰めていきたいなと思いました。

独走会 2014/09/14 周南ー宮島

まるで夏が戻ってきたかのような超好天だった敬老の日絡みの三連休、周南市から岩国錦帯橋を経由して宮島・厳島神社まで50kmちょっとの山あり海ありのホリデーライドを満喫しました!


周南から岩国までは、JR岩徳線沿いの県道144号を走りました。
これがかつての山陽道だそうで、昨年伊勢本街道を走ったときにも思いましたが、今の私には自転車で走るにも少し不安を覚えるようなこの細い道が、昔の人にとっては大切な表通りだったんだなと思いを馳せると同時に、百年後二百年後千年後の道や鉄道はどんなふうになり、今の私たちが最新と思っている道や鉄道はどんなふうになっているのだろうと未来にも思いを馳せます。


岩国まで、山陽道は上りあり下りあり、途中3箇所の欽明路トンネルありというなかなかの山道20kmですが、早朝だったこともありほとんど交通の往来がなく、とても気持ちよく走れました。
モーニング錦帯橋。補修工事は定期的に行われているそうです。


岩国から宮島までの2号線は正直退屈です。まったく海沿い走れませんし、信号は多いですし。
宮島口から宮島へは10分間隔で渡船があります。自転車は車同様、そのまま乗り込めて便利。


宮島には鹿がいます。奈良県人としてはなぜかライバル心が。


大鳥居と愛車。


厳島神社境内。神社ぎりぎりまで自転車で来れます。駐輪場もちゃんとあります。しかし、順路に沿って拝観し、正しい出口から出ると、駐輪場に戻るまで結構歩きます。ビンディングシューズなのでちょっとツラい。


御朱印。「厳島」という文字のイメージにぴったり嵌る素晴らしい字だと、書いて頂いているのを見てる時から感動してました。


『岩村もみじ屋』。厳島神社のすぐ近くです。出口を出ての戻り道でちょっと見かけて、なんかよさそうだったので、せっかくだからあそこでもみじ饅頭買おうと、駐輪場まで行ってわざわざ引き返しました。お店のおじさんはロードバイクに興味持ってくれて、饅頭そっちのけでフジやらミヤタやら、ロードバイク談義しました。もちろんもみじ饅頭は買いました。


これを見たご高齢観光客の方々は口々に「乗ってみるか」と言い合ってました。


宮島は旅情に溢れてました。山登って下って海を渡って神社に参って、この上ないライドでした。恒例の箇条書き:
  • 好天とは言え、9月中旬の6時は相当冷える。アームウォーマー、ニーウォーマーは必要だった。
  • 岩国までの20km(1時間)と岩国からの20km(1時間30分)のペースが違い過ぎる。最も大きいファクターはやはり信号。GARMINのログを見ると、トータル3時間のうち、moving timeは2時間。
  • コースの把握。あとどれくらい、と言うのが感覚と合致しないとどうしてもストレスになる。
  • 25km/h走の維持。