『新・戦争論』/池上彰・佐藤優

期待通りの面白さで一気に読みました。最も関心を持ったのは、安倍政権が北朝鮮に対する制裁を緩和していることに言及している部分で、最近の右翼的な人たちは、この点をどう考えているのだろう?
  ①北朝鮮国籍保有者の日本への入国禁止、日本から北朝鮮への渡航自粛などの規制、②10万円超の北朝鮮への現金持ち出しの届け出と300万円超の北朝鮮への送金報告の義務付け、③人道目的の北朝鮮籍船舶の入港禁止、の3項目を解除

単純に考えると、これは「右翼」的な考え方に照らすと100%批判の対象にしかならないと思う。日本人を拉致しており、その解決を図らない国に対する制裁を緩和するというのは、完全に「反日」な政策に違いない。けれども、「右翼」的な考え方の筋から、あくまでネット上で見るだけでだけれども、安倍政権をこの点で批判する意見には出くわさない。これは、

  • 北朝鮮は、「右翼」的な人々から見た場合、日本の同盟国的な扱いで、制裁はどんどん解除すべきと考えている

か、もしくは、

  • 拉致などそもそもないか、もしくは解決しているというのが「右翼」的な人々の認識

のどちらか、ということになると思うけれど、ちょっとすぐには納得ができない。

4166610007 新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)
池上 彰 佐藤 優
文藝春秋 2014-11-20

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2014年の振り返り

  • 不可避的な停滞と、意図的な停滞。
  • 30分が作れない。
  • 自分が否定していたやり方とスタンスを、その立場になって「しょうがないだろう」と言ってやってしまうとしたら、得たのはその立場だけで、人間的にもプロフェッショナリズム的にも退行になる。
  • どれだけうまく話せるか。
  • 自分のやっていることがこの上なく大変なことだ、と言ってしまう時点で、その人間は周囲に害悪を及ぼす。大変さに上下はない。
  • 協力は得られない。
  • 質より量。
  • 愛想。
  • いざとなったら捨てる。

独走会 2014/12/30 生駒-交野-京田辺松井-東寺-出町-山中越-園城寺(三井寺)-宇治-大久保

2014年の走り収めは、文句なしに愉しめた80kmでした。

年末、まとまった走れる時間が取れて、さてどこを走ろうか、地元を巡りたい気持ちもあり、ハードに遠出したい気持ちもあり、でもあんまりハードなルートだと最近練習できてないので鉢伏峠の悪夢が蘇るし、かと言って自走だとここからだとどこに行くにも山越えは避けられないし、と考えに考え抜いたルートが、交野経由で京都へ北上し、出町から大津へ比叡山の麓の山中越をアップダウンし、園城寺に詣でて宇治・木津経由で帰る、という約110kmのプラン。これなら山中越以外はほぼフラットで100kmオーバーが走れるし、道中、憧れの鴨川ライドを挟んだり見どころもたくさんあって飽きないでしょう、と思ってたのですが、出町で立ち寄った「ふたば」が予想以上の行列で1時間かかったのと、帰りのルート設定が甘くてかなり生活道路を組み込んでいた揚句小雨と強烈な突風で萎えに萎え、時間がなくなり切り上げざるを得なかったのですが、それでもこのルートはもう一回走ろうと思うくらい良いルートでした。山中越を組み込むのはほんとにおススメです。


東寺です。写真撮ってたらそばのおじいさんに「ここから斜交いに取るのがいい」と教えてもらいました。
今回のツーリングは、先日、行きつけの富雄のウルトラかっこいい富雄の超絶カッコいい自転車屋TRANSITで購入した175mmクランクの効果を確かめる目的もありました。クランク長の適性というのはいろいろ調べても諸説あるみたいで結局「自分にあったものを」ということみたいなんですが、基本的には身長の1/10だそうで、私は身長178cmなんですが今まで完成車で組み上げられていた170mmで走っていて、最近なんとなくせせこましいと思い始め(3年乗ってて最近初めて自覚した)、それで175mmに変えてみたのですが、実感としては平地は十分効果があるのではと思いました。今までどう頑張っても平地で28km/hでしか走り続けられなかったのが、30km/h以上で走り続けられたと思います。出発から当時まで約40km、かなり順調でした。

出町柳。奈良県人としては京都には憧れと僻みが入り混じるのですが(笑)鴨川沿い、素直にいいところです。

出町橋に「鯖街道入口」という石碑があったのですが、そこから東に進むと比叡山の麓を横断して大津に出れます。距離にして約10km。途中、比叡山ドライブウェイの入り口が頂点です。京都側からは約4.4km、平均斜度5.5%の登りです。この登りがあることで、コース全体に起伏が出来て良かったと思います。写真は比叡山ドライブウェイから少し下った地点から大津市街を見下ろした景色です。

園城寺。なんとお寺がお休みのようで御朱印貰えませんでした・・・・

この通り、拝観料も不要でした。


これが今回想定していたルート。時間が残れば東大寺も詣でる予定でした。

最後に今年最後の箇条書き:

  • 帰りのルートもしっかり考える。地図を見ているだけだと、描画されている道の太さで考えてしまうけど実際走ったら超生活道ということが多々ある。
  • 水分をしっかり取ることで、足の吊りは抑えることができた。
  • 温かめの補給食をどう取るかを考える。
  • 冬は昼を過ぎると風が強くなるのでそれは計算に入れておく。

来年から、ウチは新聞紙で窓を拭けません

新年から、遂に電子版にすることにしました。

決定打はやっぱり「紙は過去記事の検索どころか参照もできない」ですが、真剣に電子版を検討しだしたきっかけは、日経産業新聞の購読を考え出したことでした。電子版だと、1,500円のオプションで、スマホで過去10日分の日経産業新聞の紙面イメージを閲覧できるオプションをつけられる。

それに加えて、

  • いよいよ、通勤電車で紙の紙面を読みづらくなってきた
  • 仕事上、ほぼ丸一日PCのスクリーンを見てる訳だから、同じスクリーン上で新聞見れるほうが有益

ということで、電子版に移行する腹を固めました。

既に申込みしたので電子版を見れてますが、あの紙ベースの大きさがなくなって視認性が落ちるのでどうかな、と思ってましたが案外問題ありません。得られるメリットのほうが大きいです。

新聞紙で窓を拭くときれいになるというのは年末になるとサザエさんが繰り返ししゃかりきに言う暮らしの知恵だし、雨で靴が濡れてしまったら新聞紙を突っ込んで乾かすとか、そういう暮らしの知恵的なものが遠ざかってしまうのは寂しいですが、変化しないところに未来はないと信じて。

コンテキストと天気予報

池上彰さんの気象予報の歴史に関する解説をTVで観て、コンテキストの時代に対する捉え方がちょっと変わった。

「日本はハイコンテキストの国だ。それはビジネスにとっては時間を多く消費するので不利。コミュニケーションは簡潔に。」みたいなことを喧しく言われる外資系に勤めているので(もちろんそれに対する反発心もありますが)、外国人から「コンテキストの時代」なんて言われる時が来たことに一種の感慨があります。大量の非構造化データの保持と短時間での解析によってこれまでなかった知見とアクションが取れるのがコンテキストの時代ということですが、もちろんこの業界に勤めてるのでそれ自体は理解してますが、陳列棚であっち見たお客様が最終的にこっち手にしてそっち買ったりとか、スマホゲームでどのタイミングで強敵だしたらアイテム買う確率が高いとか、店に入っただけで来店回数でクーポンくれるとか、そんなことできたとしてそれってビッグデータインフラの投資に見合うリターンあるの?(ゲームは確かにあるけど)とちょっと眇めで見てるところがあったんですが、池上さんのTVで「1960年代以降、気象予報の技術が向上した結果、台風による被害者が激減した」という解説を観て、なるほどなーそういうことか、と思ったのでした。

富士山頂に気象レーダーを設置したりして、日本の気象予報界は猛烈な努力で気象に関する多数のデータを集められるようインフラを整備し、その結果、今までは「来なければ知る由もなかった」台風という事象について、早期検知し、予想し、対策を立てられるようになった。その結果、台風という天災に対する被害を未然に防げる力が大きく上昇した。

今、世を騒がせているビッグデータも、誰が何のためにビッグデータを解析し、コンテキストを把握するのかはさまざまだけど、知りようのなかった事象を知れるようになることが「当たり前」になっていくのだなと。私の世代は物心ついたころから台風は進路予報できるのが当たり前と思っているけれど、親の世代はそうではなくて、だからその親の感覚を引き継いで、なんとなく台風は非常に恐ろしいものだという感覚はもっている。でもたいていの人にとっては確かに怖いものだけど予測できるものだというのが常識になっている。コンテキストの時代は、こういうことがもっと増えていく「だけ」と言えば「だけ」なんだろうなあと思う。そしてそうやって予め知れることが増えた結果、次に何に時間を割く社会になるのかが重要と思う。

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「チャリロゲ生駒」参加してきました!

教訓:ビンディングは偉大。


先週の12/21、チャリロゲ生駒に参加しました。チャリロゲとはフォトロゲイニングを自転車でやるイベント、じゃあ「フォトロゲイニング」って何?と言うと、配布される地図を頼りに制限時間内にチェックポイントを回り写真を撮り、各チェックポイントに割り当てられたポイントの合計で順位を競う、というイベントです。詳しくはこちらhttp://photorogaining.com/event/kinki/2014-12-21.html。地元生駒で自転車イベント開催とあって、喜び勇んでエントリしました。

でも、「フォトロゲイニングってどんなもんやろ?」とサイトを見てみた感じ、結構アットホームな感じのイベントだったので、参加する人みんなリラックスムードで、中にママチャリとかあったらどうしよう・・・対して走れもしないのに格好だけ本気なのカッコ悪い・・・とうだうだ悩み、結局、スピードプレイにはフラット変換を履かせて会場に。


9:00受付開始で9:00に飛び込んだんですがもうほぼほぼ参加される方は到着しているような状況。車載で現地入りされてたり、もうやる気満々な感じでみんなビンディングでした・・・。

肝心のフォトロゲイニングは、渡される地図がこんな感じ:

普段、自分がいかにグーグルマップに頼りっきりかが判ります。

なんにもランドマークのない地図ってほんと見るのが大変。今回、まだ自分の地元だったので、確実に場所のわかるスポットに行ってそこからの相対位置で進めていけたけど、知らない土地だと難しそう。地元でも、この辺なのに~と思いながら見つけられなかったスポットがあるし、徒歩と違って自転車って結構進んでしまうので、微調整が難しいというところもあってその難しさが面白さに繋がってました。


チェックポイントの案内はこんな感じ。これと同じ写真を撮ります。ゴール後、写真を見せてチェックポイント通過証になります。

自転車ということで一番難しかったのは、地図をどう扱うか、じゃないかと思います。あんなでっかい地図と思わなかった。ブルべでよく使われるような地図台をハンドルに取り付けていた人がいて、あれが最善かなと思いました。どのくらい進んだかも分からない中、進んでは地図を出して見、とかしてると自転車なのに歩いてるくらいのスピードになってしまうので。


最初の作戦は、とにかく脇目も振らず、帰ってこれそうな一番遠くのポイントまで走っていき、そこから戻る過程でチェックポイントを通る、だったんですが、途中、総合公園の歌碑というのがちょっと寄るだけで通過できそう、と思ったのが失敗で、どんなに探しても見つけられず、これだけで30分くらいロス。仕方なく方針を切り替えて、総合公園から至近距離で絶対わかる稲蔵神社を出発点に、宝山寺に向かう途中のチェックポイントを通過して宝山寺に行き、暗峠関連のチェックポイントを熟して後はゴールまでの道中にあるチェックポイントを通る、という方針にしました。

スタート10時で5時間制だったんですが、もともと5時間やりきるつもりはなく、14時で帰る予定だったので、この方針でちょうどいいくらい。


いくつかのチェックポイントは特典があったんですが、「あんぱん」では好きなパンを貰えるということで、あんぱんを貰って宝山寺登って生駒市街を見下ろしながら食べました。地元民ならではの発想です。

それにしても宝山寺、暗峠、フラットペダルだとあんなにきついのか~と思いました。昔はトゥーストラップであそこ登ってたことあるのにな~と思うと自分の衰えと、道具に頼ってしまっているふがいなさを嘆きます。暗峠は大阪側への下りのほうがよほど怖かった。下りを押して歩きました。足中攣ってたいへんでした。

「意外と場所が分からない感」がすごく楽しくて、チームで出たら燃えるだろうなあと思いました。主催の方と話をしたら、生駒はフォトロゲは5月で定着していて、チャリロゲも冬開催で定着させたいとのことで、次回もぜひ参加したいなと思いました。


『依存症ビジネス-「廃人」製造社会の真実』/デイミアン・トンプソン

オレは絶対にスタンプを押せるサルになんかならないのだ。
2,30年前の10代の頃、ゲームに明け暮れていたけれど、ケータイゲームが大流行した頃は、「あんなもんの何が面白いんだろう?」と全く小バカにしてました。電車を待つホームで、なんとなくスマホ出してスワイプしてしまうのは自分もやるのでわかるものの、ケータイゲームに関してはあんな単純なゲームに何をそんなにお金まで注ぎ込んで、と見下してたのですが、その反面、あれは「意地になる」人間のタチをうまく利用しているんだろうなあと直感的に感じてたことを詳細に解説してくれているのが本著です。

「癖」と「依存症」はどこで線引きできるのか、という問いに対し、本著は「他人に迷惑をかけたり自分を損なったりするにも関わらずその行為をやめられないのは依存症」と定義するんですが、そこまででない、軽いものも軽いだけに逆に厄介だったりするなあと思いました。歩きスマホもそのひとつの典型じゃないでしょうか。歩いてるときに前を見ずにスマホ見るなんて危ないに決まってる。けど依存してるので脳がそれを止めさせてくれない。

アルコール依存はみっともないことだという共通認識が社会にあるのだから、スマホ依存もそういう目で社会が見るようになれば状況はちょっと変わるのかも。この話になるといつも思いだすのが、一時セレブの間で流行したという、「パーティとか、実際に会ってるときはテーブルの上に自分のスマホを出してしまう」というヤツ。セレブのような社会的に成功を収める人は、スマホに気を取られすぎるというような、問題行動を自分で把握していて、それに対処する強い意志を持ってるんだなあと。

とまれかくまれゲームをほんとにただの金儲けの仕組みにしてしまった輩が許せません。

4478022925 依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実
デイミアン・トンプソン 中里 京子
ダイヤモンド社 2014-10-10

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『フランシス子へ』/吉本隆明

みんな本当に「めんどくさがり」になっちゃったんだな、と思います。わかりやすくないとダメなんだなって。

 何か大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるって今の考え方は自分も含めて本当じゃないなって思います。

 何かを抜かして原因と結果をすぐに結び付けて、それで解決だって思おうとしてるけど、それは違うんじゃないかって。

これは、「絆が大事」とか「日本人のこころ」とか「おもてなし」とか「ものづくりバンザイ」とか、そういう心性と結び付いたもんじゃないってことがいちばん大事だと思う。これはまず、すごく科学的な思考方法のところから出てきているもので、決して情緒的とか道徳的とかそういうことじゃない。
そのうえで、僕は最近、「時間のかかること」を大事にしようと考えている。どうしてもこれだけの時間がかかってしまう、というようなこと。コーヒーを淹れはじめたのもその一つ。ロングライドなんてその最たるもの。「どうしたってこれだけの時間がかかる」ということに、これからの未来の価値観の切れ端を見出せる気がするから。
思考もそう。すっと耳に入ってくるわかりやすい論旨にそうだそうだと言っているときに、だいたい群衆というのは間違うもので。
そういう意味では、1年くらい前か、セレブの間で会ってる間はスマホをテーブルに出して使わない、みたいなのが流行ってるというの、やっぱり成功する人は何が問題かに気づき、それに対処する実行力と意志力を持ってるんだなあと感嘆したなあ。

上の世代のつぶれそうな反乱軍に行くまでも気持ちもなく、そうかといって、下の世代のように「時代は変わった」と言うわけにもいかない。

街のサテンで豆を買う 工場跡

自分でドリップするようになって新しく自分に生まれた考えというのが、「効率的にやってはいけないことがある」ということ。

ペーパードリップは、豆を計量して、挽いて、サーバを温めて、ペーパーフィルタにお湯をかけて、お湯を沸かして、まず蒸らして…とたくさんの手順を踏むので、職業がSEの私は、どうやったら段取りよく最短時間で淹れらるか?と考えて工夫をし始めていました。そうやって何回か淹れていて、味に違いが出たのか出ていないのかなんて分からないんですが、でも、「あ、コーヒーってこうやってせかせか淹れるもんじゃないな」というのはふっと心底思ったのです。コーヒーを淹れるというのは、ひとつひとつの所作を落ち着いてゆったりやるということ。強いて言えば、落ち着いてゆったりやるだけの時間をきちんと確保するために、他の日常事をだらだらせず手際よく済ませていくこと。これがコーヒーを淹れるという生活かと思い至りました。だいたい、効率を追及しだしたら、豆だって大量にまとめ買いしたほうがいいということになるし。もちろんそんなことできません。直近で飲むだろう適量を都度買わないと。

それからは、お湯を沸かしながら豆を計量して…とか、何と何を並行させられるかとかは止めました。落ち着いてコーヒーを淹れることがひとつの瞑想になるようにしたいというところです。

さて今日は先日、東大寺戒壇院そばのお気に入りのカフェ工場跡で買ってきた豆で淹れました。工場跡でカフェオレ飲んで支払のときに豆が売られているのに気付いて、「どんな味ですか?」とお店の人に聞いてしまう自分も間抜けですが(今飲んだのがその豆で淹れてるだろうっていう)、「飲んだ後はすっきり」とお店の人が教えてくれた通りでした。ブレンドですがクリアで飲んだ後は確かにすっきりです。強い後味を残しません。ちょっと苦味が長続きするかな?という程度です。パッケージに「by 香豆舎」と書かれていたので、香豆舎の存在も知れました。今度足を延ばしてみようと思います。

街のパン屋でパンを買う - 2014/11/02 こはく。

久し振りに初めてのパン屋で買いました。馴染みのルート上にあるのに一度も行ったことのなかった人気のお店「こはく。」。

JR関西本線の法蓮の踏切近く、というよりも「くるみの木」の道向、というほうが通りがよさそう。こじんまりとした佇まいですが、店に入った際の目移り具合は富雄の「ブランジェトミオ」に匹敵でした。

相変わらず写真を撮るという意識が徹底できず、一個(栗あんぱん)食べてしまってから思い出して慌てて撮るという体たらく。しかもパンの名前を全然覚えらず。左上から時計回りにチーズ(見ればわかる)、ぶどうパン(これだけは覚えてる)、ブルーベリー(だけじゃなかった)。ぶどうパン以外は、メインの食材以外の組み合わせが豪華。高揚します。

味はハードにもソフトにも寄りすぎていない絶妙なところをついてると思います。そして値段も至ってスタンダードです。これであれだけバラエティに富んだ品ぞろえされると、片っ端から買って帰りたくなるというもの。このタイプのパンを買うなら今後確実に候補に入りそう。行ってよかった。