![]() |
超・反知性主義入門 小田嶋 隆 日経BP社 2015-09-15 by G-Tools |
![]() |
超・反知性主義入門 小田嶋 隆 日経BP社 2015-09-15 by G-Tools |
『つながりっぱなしの日常を生きる』の訳者が手掛けられた新刊、とてもエキサイティングでした!
いつもアクセスの全然ないこのブログが桁違いのアクセスログを残したことがあって、Google Analyticsを追いかけてみたら『つながりっぱなしの日常を生きる』のエントリにアクセスが多数あったことがわかり、更に解析してみたら、なんと!訳者の野中モモ氏がご自身のツイッターで取り上げてくださってそこから多数のアクセスに繋がってたことが分かりました。それは『暇と退屈の倫理学』以来の出来事で、ウェブってつくづく面白いなあと思う出来事でした。それから数か月後、Raspberry Piを買って、何を作ろうか何が作れるか参考にしようとジュンク堂書店難波店に行ってメイカー系の書籍集まる棚を何気に眺めてたら、O'REILLYの新刊案内冊子に「野中モモ」の文字が!そのときは確か「11月下旬発売予定」と書かれていた気がするんだけど、来る日も来る日もGoogleで検索したりamazonで検索したりしても一向に現れず、いつ出るのかなあと思ってたらamazonからrecommendationが届き、「来た!」と速攻注文したのでした。マシンラーニング偉大。
もう2,3年前のことになるんでしょうか、3Dプリンタが普及価格帯に入りだし、誰でも個人でモノづくりできる時代が到来する!とかなんとか「ほらほらまた出たよそのパターン」と、IT業界に身を置く立場としては飽き飽きしている言説が流布され”メイカー”という言葉が持てはやされて、それから数年、案の定誰でもモノづくりするような状況にはなってないじゃないか、メイカーとか例によってバズワードじゃん、と白けてたんですが、本著を読むと「メイカー」というムーブメントは「誰でもモノづくりできる」というのが本質じゃなく、アメリカでは確かに今もメイカームーブメントが進行中であることがとてもよくわかります。その本質は「誰でも」という粗いものではなくて、「モノづくりをしたいと思った個人が、個人でその事業を立ち上げるためのハードルが、技術革新によって著しく下がった」ということです。サプライチェーンの話なんかそれが特によくわかります。気楽に始められる、ということではなくて、真剣に勝負しようと思っている個人が、個人のままで戦える、それがメイカームーブメントの本質ということじゃないかなあと思いました。
本著の出色なのは、日本のメイカーのインタビューも6件収められていることです。DMM.makeの動静なんかも読み取ることができて、日本のメイカームーブメントの現状と先駆者の考えを読めるのは素晴らしいことと思います。メイカームーブメントに興味はなくても、働き方生き方を考えるのにたくさんの刺激と知識を与えてくれる良書だと思います。オススメです。
![]() |
物を作って生きるには ―23人のMaker Proが語る仕事と生活 (Make:Japan Books) John Baichtal オライリージャパン 2015-12-26 by G-Tools |
市のCMづくりに参加した身としては、こういう都市ランキングの順位に敏感になるのです!
折からの大寒波で新幹線が遅れに遅れ、東京着が110分強遅れ。それって2時間やん、そんなもんラーメンでも食わなやってられへんわ、と何でも言い訳にして新橋駅からそれほど遠くないところで探して直久という駅直結型ショッピングモール内に店舗を構えられるくらいメジャーなラーメン屋さんに入り、ラーメン屋さんなので食べ終わった後だらだら時間つぶしてる訳にもいかずさっと出てきて待ち合わせまで20分という非常に中途半端な時間が余りさてどうしようとウィング新橋内をうろうろしてたらリブロを見つけたのでした。
程なく目に飛び込んできた『活力ある都市ランキング』。思わず飛びつきページを捲りました。なかなか生駒が見つけられず、「香芝より下!?」とか思ってたら(香芝市に失礼)、生駒はこういったランキングではいつも定位置の奈良1位の座を守る全国49位でした。やっぱり自分の住んでいる都市が活力に溢れ魅力が高まり活気づいてほしいと思うし、住民としてそういう気持ちはいつも持っていたい。しかし、これを実現していくプロセスは自分のような一般住民にはなかなかよくわからないし、短絡的なことも思ってしまうだろうし、CM制作に関わった後、更に市の活力を高めるような活動ってどんなことが考えられるだろう?と思索を巡らせる刺激になった一冊でした。
リブロウィング高輪店 東京都港区新橋2丁目 東口地下街1号 ウイング新橋
まるで現代日本を書き表しているかのような場面に少なくとも二度出くわす、ナチを描いたこの小説で。
ひとつめはp268.
”歴史的真実を理解しようとして、ある人物を創作することは、証拠を改竄するようなものだ。あるいは、この種のことでいつも議論を交わしている僕の異母兄弟なら、こんなふうに言うだろう。証拠物件が散らばっている犯罪現場の床に、起訴に有利な証拠を忍び込ませること・・・。”
『花燃ゆ』は、全くこれに当てはまっている。文という人物に関する史料はほぼ全くと言ってよい程に存在しないらしいのだから。その人物を創作して語り出したい歴史上の物語とは一体どんな意図がこめられるだろう?
もうひとつはp347.
”ヒトラーは、このリディツェの虐殺によって、自分がもっとも得意としている分野で惨憺たる敗北を喫した。すなわち、国際レベルの宣伝戦争において、取り返しのつかない失敗をしたのだ。”
先日、安倍首相が国連総会での一般討論演説で、「難民問題は人口問題」「難民受け入れよりも女性・高齢者の活躍が先」と答えたことを思いだす。アメリカ議会での演説やオリンピック開催地決定のプレゼンテーション等々、海外での宣伝戦争に熱心な首相が、国連総会で取り返しのつかない失敗をしたのだ。
「あなたの答えは?」僕にはこれで十分でした。「わたしの”あなた”と、あなたの”あなた”は違う」と言い続けている僕にとっては。
論理学でも解答不可能な問題が必ず存在すると知れてしまった世の中でやれることはただ一つ、真に困難な状況ではそれぞれが解答を考え抜かなければならないということ。その解答を持ったうえでの対話が必須ということ。
もう一つ、自由を蔑ろにするのはすでに自由を手に入れている人間の愚行だという指摘。状況がどんなふうに変わっても、自分の自由は変わらないとただ漠然と信じているから、どんな状況にも変えようとする。
もちろん、戦場について述べられている一文。「これが実在の大きな不都合の一つだ。間近で見るのと”映像”は全くちがう」
![]() |
ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 (単行本) アポストロス ドクシアディス クリストス パパディミトリウ アレコス パパダトス アニー ディ・ドンナ 高村 夏輝 筑摩書房 2015-07-23 by G-Tools |
聖の青春 (講談社文庫) | |
![]() |
大崎 善生 講談社 2002-05-07 売り上げランキング : 2611 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
思いも掛けず「”信じる”とは?」というラストに驚き。
宗教とは何か、と言う問いが凄く難しい。宗教はそれ自体人間を救うための尊いもののはずなのに、世界において宗教が関係して起きる凄惨な出来事の余りの多さに、宗教に対する嫌悪感・警戒感を抱かずにおれないから。しかしこれはよく無宗教と言われる日本人だからなんだろうか?本著のラストで、歩の親友であるヤコブが、
信じることがどういうことかなんて、考えたこともなかった。僕にとって信仰は、息をするのと同じことなんだ
というように、多くの世界の国々では人は信仰する宗教を持ち、少なくとも自分が信仰する宗教に対して嫌悪感・警戒感を抱くことはないんだろうか。もちろんそうなんだろう。嫌悪したり警戒したりするものを信じれるはずはない。
でも、宗教を持たなければ生きていけないかというと、そんなことはないと思う。大前研一氏だったと思うけど、世界の人々と渡りあうための常識の一つとして、無宗教だと言ってはいけない、信じる宗教がないというのは、グローバルな観点では自分を律する価値観を持たないと表明しているのと同じだ、と書いていて、上記のヤコブの言葉と照らし合わせても、なるほどと思える。けれど、それは人間の歴史の経験から生まれた慣習としてそうなのであって、世の中には宗教を持たず自分を律している人もたくさんいる。それを世界の人々に伝えることができるかどうかが一大課題であって、本著はコプト教信者のエジプシャン・ヤコブと無宗教の代表のような日本人・歩が心を通わせあうところに、伝えることができるという確信があるように感じる。
作中にはもう一つ、サトラコヲモンサマという、ある意味で理想の共同体の宗教が登場するんだけど、これも有り勝ちな形で崩壊する。この崩壊の事件で思い起こすのは、日本人にとっての宗教は、「縋る」とほとんど同意なんじゃないの?ということ。信仰というのは、自分が信じるその宗教の考え方というか理念というか、そういう魂のようなものを自分自身すっかりそのように考え振舞えるようになることだと思うのだけど、日本人にとっての宗教に対する態度はほとんど、「縋る」に二アリーイコールだと思う。自分ではどうしようもない事柄に対して、人間ではない大きな力にその解決を頼み込む、というのが宗教の姿なように思う。なので、ただひたすら念仏を唱えるとか、ただひたすらお参りするとか、そういう行為が認められているのだと思う。でも、仮にひたすら念仏を唱えるという行為を取るにしても、どういうつもりでその行為を行っているかで、意味が全く変わってくるはずではないかと思う。それは、「縋る」では駄目なのではないか。一見、無心のように見えて、その無心はほんとうの無心を穢してしまう無心なのではないか。その行為は、報われなかったときの態度に跳ね返って現れる。この観点、先日読んだ『沈黙』
宗教は自分にとって縁遠く疎いテーマで、今まで関心を持って読んだことがあるのは親鸞についてくらいなんだけど、親鸞の悪人正機もその修辞の難しさで誤解してしまう。親鸞に関する書籍も再読してみよう。
そして、西加奈子氏出演の「あさイチ」の録画を観る。「現代ってすごく共感文化じゃないですか。私は共感できないものにどう接するか、その先が大事なんだと思います」。撃沈。ど真ん中。そこに共感してしまいます。
正直、ストーリーは面白くてずんずん読み進めて没頭して文句なしなんだけど、何を読み取ったらいいのかは全く分かれませんでした。
図書館で老人に捕まえられる不条理はなんとなく現代社会の不条理そのもの、「一か月間知識を詰め込みに詰め込んだ脳みそを、頭をのこぎりで開けられてちゅうちゅう吸われる」というのに「それでもわざわざやってくる人がいる」というのは知識欲の禁断の快楽みたいなもの、誘導する少女は成長で、無事図書館を脱出できたのに母親が死ぬのは少年は不条理を経験したことによって自立への道を歩かなければならないということ、図書館の地下に残してきた靴は母親からもらった愛をどこかで捨てなければ少年は自立できないということ、いろいろこじつけられなくはないけれど全然すっきりしない。
ドイツで出版された絵本版の日本語版、絵本だからストーリーはそういうものか、と納得しようとしても、あとがきでこの『図書館奇譚』の文章はバージョン1が元になっているということで絵本用のものではないらしく、もう読み取ろうとか考えずに「ずんずん読めておもしろかった」という読書がたまにあってもいいじゃない、で終わることにしました。
マーティン・スコセッシが映画を撮影中と聞いて、『沈黙』を読みました。今年はこれまで以上に、宗教に関する著作を読まねばなるまい。
換骨奪胎?和魂洋才?良く言えばこういった四文字熟語が宛がわれるのだろう、この部分が一番鮮烈に印象に残る。
デウスと大日を混同した日本人はその時から我々の神を彼ら流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。
日本人は人間を美化したり拡張したりしたものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない
![]() |
沈黙 (新潮文庫) 遠藤 周作 新潮社 1981-10-19 by G-Tools |
Kindle for PCがいつの間にかリリースされてたので早速手ごろなNewsweek買って試してみましたが致命的な弱点が。それは「ピンチできない」!
今まで、「PCで読めない」という理由ただ一点で(実際にはKindle Cloud Readerというウェブサービスがあるので読めなくはないのだけど)amazonでは電子書籍を買わず、honto!というサイトで買ってたのですが、kindleがPCで使えるなら話は変わってくるぞ、と喜び勇んでKindle for PCインストールしてNewsweek買ったのですが、なんとピンチができない。
PCとは言え、Windos8環境でピンチが出来ないのは痛い。Surfaceなんでピンチ操作に慣れているのです。これはないかな、ということで電子書籍はhonto!維持で決定。honto!のビューアも、ピンチしててもページ繰ったら元に戻るとかいろいろ文句言ってたんですけどね。