街の本屋で本を買う - 2015/01/25 リブロウィング新橋店『日経ビジネス2016.01.25 活力ある都市ランキング』/日経BP社

市のCMづくりに参加した身としては、こういう都市ランキングの順位に敏感になるのです!

折からの大寒波で新幹線が遅れに遅れ、東京着が110分強遅れ。それって2時間やん、そんなもんラーメンでも食わなやってられへんわ、と何でも言い訳にして新橋駅からそれほど遠くないところで探して直久という駅直結型ショッピングモール内に店舗を構えられるくらいメジャーなラーメン屋さんに入り、ラーメン屋さんなので食べ終わった後だらだら時間つぶしてる訳にもいかずさっと出てきて待ち合わせまで20分という非常に中途半端な時間が余りさてどうしようとウィング新橋内をうろうろしてたらリブロを見つけたのでした。

程なく目に飛び込んできた『活力ある都市ランキング』。思わず飛びつきページを捲りました。なかなか生駒が見つけられず、「香芝より下!?」とか思ってたら(香芝市に失礼)、生駒はこういったランキングではいつも定位置の奈良1位の座を守る全国49位でした。やっぱり自分の住んでいる都市が活力に溢れ魅力が高まり活気づいてほしいと思うし、住民としてそういう気持ちはいつも持っていたい。しかし、これを実現していくプロセスは自分のような一般住民にはなかなかよくわからないし、短絡的なことも思ってしまうだろうし、CM制作に関わった後、更に市の活力を高めるような活動ってどんなことが考えられるだろう?と思索を巡らせる刺激になった一冊でした。

リブロウィング高輪店  東京都港区新橋2丁目 東口地下街1号 ウイング新橋

『HHhH』/ローラン・ビネ

まるで現代日本を書き表しているかのような場面に少なくとも二度出くわす、ナチを描いたこの小説で。

ひとつめはp268.

”歴史的真実を理解しようとして、ある人物を創作することは、証拠を改竄するようなものだ。あるいは、この種のことでいつも議論を交わしている僕の異母兄弟なら、こんなふうに言うだろう。証拠物件が散らばっている犯罪現場の床に、起訴に有利な証拠を忍び込ませること・・・。”

『花燃ゆ』は、全くこれに当てはまっている。文という人物に関する史料はほぼ全くと言ってよい程に存在しないらしいのだから。その人物を創作して語り出したい歴史上の物語とは一体どんな意図がこめられるだろう?

もうひとつはp347.

”ヒトラーは、このリディツェの虐殺によって、自分がもっとも得意としている分野で惨憺たる敗北を喫した。すなわち、国際レベルの宣伝戦争において、取り返しのつかない失敗をしたのだ。”

先日、安倍首相が国連総会での一般討論演説で、「難民問題は人口問題」「難民受け入れよりも女性・高齢者の活躍が先」と答えたことを思いだす。アメリカ議会での演説やオリンピック開催地決定のプレゼンテーション等々、海外での宣伝戦争に熱心な首相が、国連総会で取り返しのつかない失敗をしたのだ。

ロジ・コミックス ラッセルとめぐる論理哲学入門』/アポストロス・ドクシアディス,クリストス・パパディミトリウ,アレコス・パパダトス,アニー・ディ・ドンナ

「あなたの答えは?」僕にはこれで十分でした。「わたしの”あなた”と、あなたの”あなた”は違う」と言い続けている僕にとっては。

論理学でも解答不可能な問題が必ず存在すると知れてしまった世の中でやれることはただ一つ、真に困難な状況ではそれぞれが解答を考え抜かなければならないということ。その解答を持ったうえでの対話が必須ということ。

もう一つ、自由を蔑ろにするのはすでに自由を手に入れている人間の愚行だという指摘。状況がどんなふうに変わっても、自分の自由は変わらないとただ漠然と信じているから、どんな状況にも変えようとする。

「これが実在の大きな不都合の一つだ。間近で見るのと”映像”は全くちがう」

もちろん、戦場について述べられている一文。

448084306X ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 (単行本)
アポストロス ドクシアディス クリストス パパディミトリウ アレコス パパダトス アニー ディ・ドンナ 高村 夏輝
筑摩書房 2015-07-23

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『聖の青春』/大崎善生

久し振りに読書で泣きました。
最近ビジネス書ばかり読んでいて、そもそも読書量も落ちているなあと思い、無理にでも小説を読もうと思い、何のきっかけで買ったのかも忘れてしまったくらい前に買ったまま本棚の未読コーナーに立てて読んでいなかった本著を手に取りました。大崎善生氏は、『パイロットフィッシュ』を単行本で読んだことがあって、その印象は都会っぽさを出した超ライトな純文学というものだったので、29歳で逝去した天才棋士のノンフィクションだそうだけどどうだろう?と思いながら読んだのですが重厚さと迫力に心が揺さぶられるまま、あっという間に読み切ってしまいました。作中で初めて知ったのですが大崎氏は将棋雑誌の記者からの作家転向だとかで、将棋のシーンは詳細で、そこがノンフィクションに迫力を更に加えています。

村上聖氏が亡くなったのは1998年、作中には谷川氏も羽生氏も登場するし、棋界は全く知らない私でも谷川氏や羽生氏は知っているのに村上氏のことは全く知りませんでした。幼い頃に難病ネフローゼを患い、病状が悪化すれば立つこともできなくなり高熱で数日何もせず考えることもせず寝続けるしかないような体で、一直線に名人を目指して生きていく姿。何かに取り組むというのはこれくらい徹底しなければならないということを再認識しました。それとともに、勝負に拘るのであれば何を捨てなければいけないのかも。そして、そうすることを「強さ」だと身近な人が認めてくれる環境が最もありがたいものだと言うことも分かります。

そして何より涙を流してしまうのは、聖氏の両親の献身です。難病を背負った我が子に対して、すべてを聞き入れようとし、自分の体を酷使しても息子の希望をかなえようとする。愛というものが何なのか、例え自分の周囲がそれに賛同しなくても、自分は貫き通すだけの強さを身につけなければいけないと強く思いました。自分のことは認めてもらえなくても構わないと思えるようになり、そして、誰かの強さは必ず認められるように生きなければならない。本作は多分、今年一番の読書になると思いますし、生涯のベスト5に入る気がします。

聖の青春 (講談社文庫)
 大崎 善生

講談社 2002-05-07
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『サラバ!』/西加奈子

思いも掛けず「”信じる”とは?」というラストに驚き。

宗教とは何か、と言う問いが凄く難しい。宗教はそれ自体人間を救うための尊いもののはずなのに、世界において宗教が関係して起きる凄惨な出来事の余りの多さに、宗教に対する嫌悪感・警戒感を抱かずにおれないから。しかしこれはよく無宗教と言われる日本人だからなんだろうか?本著のラストで、歩の親友であるヤコブが、

信じることがどういうことかなんて、考えたこともなかった。僕にとって信仰は、息をするのと同じことなんだ

というように、多くの世界の国々では人は信仰する宗教を持ち、少なくとも自分が信仰する宗教に対して嫌悪感・警戒感を抱くことはないんだろうか。もちろんそうなんだろう。嫌悪したり警戒したりするものを信じれるはずはない。

でも、宗教を持たなければ生きていけないかというと、そんなことはないと思う。大前研一氏だったと思うけど、世界の人々と渡りあうための常識の一つとして、無宗教だと言ってはいけない、信じる宗教がないというのは、グローバルな観点では自分を律する価値観を持たないと表明しているのと同じだ、と書いていて、上記のヤコブの言葉と照らし合わせても、なるほどと思える。けれど、それは人間の歴史の経験から生まれた慣習としてそうなのであって、世の中には宗教を持たず自分を律している人もたくさんいる。それを世界の人々に伝えることができるかどうかが一大課題であって、本著はコプト教信者のエジプシャン・ヤコブと無宗教の代表のような日本人・歩が心を通わせあうところに、伝えることができるという確信があるように感じる。

作中にはもう一つ、サトラコヲモンサマという、ある意味で理想の共同体の宗教が登場するんだけど、これも有り勝ちな形で崩壊する。この崩壊の事件で思い起こすのは、日本人にとっての宗教は、「縋る」とほとんど同意なんじゃないの?ということ。信仰というのは、自分が信じるその宗教の考え方というか理念というか、そういう魂のようなものを自分自身すっかりそのように考え振舞えるようになることだと思うのだけど、日本人にとっての宗教に対する態度はほとんど、「縋る」に二アリーイコールだと思う。自分ではどうしようもない事柄に対して、人間ではない大きな力にその解決を頼み込む、というのが宗教の姿なように思う。なので、ただひたすら念仏を唱えるとか、ただひたすらお参りするとか、そういう行為が認められているのだと思う。でも、仮にひたすら念仏を唱えるという行為を取るにしても、どういうつもりでその行為を行っているかで、意味が全く変わってくるはずではないかと思う。それは、「縋る」では駄目なのではないか。一見、無心のように見えて、その無心はほんとうの無心を穢してしまう無心なのではないか。その行為は、報われなかったときの態度に跳ね返って現れる。この観点、先日読んだ『沈黙

宗教は自分にとって縁遠く疎いテーマで、今まで関心を持って読んだことがあるのは親鸞についてくらいなんだけど、親鸞の悪人正機もその修辞の難しさで誤解してしまう。親鸞に関する書籍も再読してみよう。

そして、西加奈子氏出演の「あさイチ」の録画を観る。「現代ってすごく共感文化じゃないですか。私は共感できないものにどう接するか、その先が大事なんだと思います」。撃沈。ど真ん中。そこに共感してしまいます。

『図書館奇譚』/村上春樹

正直、ストーリーは面白くてずんずん読み進めて没頭して文句なしなんだけど、何を読み取ったらいいのかは全く分かれませんでした。

図書館で老人に捕まえられる不条理はなんとなく現代社会の不条理そのもの、「一か月間知識を詰め込みに詰め込んだ脳みそを、頭をのこぎりで開けられてちゅうちゅう吸われる」というのに「それでもわざわざやってくる人がいる」というのは知識欲の禁断の快楽みたいなもの、誘導する少女は成長で、無事図書館を脱出できたのに母親が死ぬのは少年は不条理を経験したことによって自立への道を歩かなければならないということ、図書館の地下に残してきた靴は母親からもらった愛をどこかで捨てなければ少年は自立できないということ、いろいろこじつけられなくはないけれど全然すっきりしない。

ドイツで出版された絵本版の日本語版、絵本だからストーリーはそういうものか、と納得しようとしても、あとがきでこの『図書館奇譚』の文章はバージョン1が元になっているということで絵本用のものではないらしく、もう読み取ろうとか考えずに「ずんずん読めておもしろかった」という読書がたまにあってもいいじゃない、で終わることにしました。

『沈黙』/遠藤周作

マーティン・スコセッシが映画を撮影中と聞いて、『沈黙』を読みました。今年はこれまで以上に、宗教に関する著作を読まねばなるまい。

換骨奪胎?和魂洋才?良く言えばこういった四文字熟語が宛がわれるのだろう、この部分が一番鮮烈に印象に残る。

デウスと大日を混同した日本人はその時から我々の神を彼ら流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。

日本人は人間を美化したり拡張したりしたものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない

日本は過去にキリスト教を受け入れなかった歴史のある国であり、その当時キリスト教徒に対して行った仕打ちというのは現代の反キリスト教集団の仕打ちと比べて勝るとも劣らない。だから、現代起きている事態を、我々日本はこの現代にはもう起こさないと考えるのは浅はかであると思う。日本は歴史の始まりから美しく賢明な国だと思いこむ風潮があるけれど、あまりにも浅はかだと思う。

そして先に引用した部分。世界のどこかにこの日本と同じような性質の国があるのかどうか知らないが、日本は輸入してそれを自分たちに適するようにカスタマイズすることにかけて随一の能力は持っているように思う。問題は、それが「何のためにそうするか」という点が全くないことだ。ほとんどすべての場合において、それは「自分たちの都合」のためになされる。どこそこの国ではこれが一番よい、という物品でも概念でも、それ自身どういった目的を帯びているか、そういう点はほとんど考慮されない。自分たちの都合だけが最優先される。日本式なやり方、日本式の外国の文化を国内に取り入れる際のカスタマイズの仕方、手法の最大の問題点はここにあると思う。どういった目的を成し遂げるために生み出された文化であるかを蔑ろにして、自分たちの「都合」に合わせてそれを利用してしまう。現代でも「xx(国名)ではこれが昔からの・・」とか「xx(国名)のライフスタイルでは・・・」と言ったような紹介の仕方は、自分たちのいいように部分を摘まんで自分たちの「都合」に合わせて利用している。私は外資系に勤めているが、この業界の外資系の多くは、部分的には外資系の数字に対する厳格性を振りかざして社員を統制する傍ら、日本は日本の独自の文化があるという体で、接待で癒着しろと言ってしまうような会社もあるくらいだ。

日本人が作り上げた神と教会の神の違いを考えるのも面白い。けれど今の私に最も通説な課題として残ったのは上記の二つ。
4101123152 沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社 1981-10-19

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Kindle for PC 出たけれど…

Kindle for PCがいつの間にかリリースされてたので早速手ごろなNewsweek買って試してみましたが致命的な弱点が。それは「ピンチできない」!

今まで、「PCで読めない」という理由ただ一点で(実際にはKindle Cloud Readerというウェブサービスがあるので読めなくはないのだけど)amazonでは電子書籍を買わず、honto!というサイトで買ってたのですが、kindleがPCで使えるなら話は変わってくるぞ、と喜び勇んでKindle for PCインストールしてNewsweek買ったのですが、なんとピンチができない。

PCとは言え、Windos8環境でピンチが出来ないのは痛い。Surfaceなんでピンチ操作に慣れているのです。これはないかな、ということで電子書籍はhonto!維持で決定。honto!のビューアも、ピンチしててもページ繰ったら元に戻るとかいろいろ文句言ってたんですけどね。

『日本人のためのピケティ入門』/池田信夫

どこがいちばん問題意識として頭に残るかって「ストックに対する累進課税」、ここでした。言われてみると、と思って読書記録手繰ってみると、「ストックへの課税強化」をこれからの課題として上げている書籍がやっぱり複数あった。

稼いだおカネは貯めずにぱーっと使いなさい、という世の中を目指すような感じがして、従来の道徳観と合わずに若干躊躇するかも知れないけれど、格差拡大の元凶がそこなのだとすればこの転回は早く受け入れなければいけないことなんだろうと思う。それに、おカネをじゃぶつかせれば景気がよくなるんですという言説が本当だとすれば、富裕層に対してストックさせずにどんどん消費させる政策が間違っているはずがない。

しばらく前、「貯蓄から投資へ」みたいな喧伝がなされた時期があったけれど、あれは結局、証券の持ち手が、売り先がなくなり商売が行き詰まったのでカモの買い手を求めて繰り広げられた一大キャンペーンみたいなものと思っていて、だから「投資」とは言っても、純粋に事業に資金が巡る効果よりも資産としての証券を持っている人が売却(と更なる購入とのサイクル)で利益を維持していっただけだと思ってる。

一方で、その「証券を持っている」側の人なんかは、『ヤバい日本経済』のように、「不動産価格の回復が必要」みたいに、ストック擁護になっていてある意味おもしろい。

今回は相続税もテコ入れされているし、ストックに対する課税強化という方向に進むのかなと見えても、直感的には今現在巨大なストックを持っている層が、そう簡単にその政策を実現させるとは思えない。基本、ストックを持っている層が、政治においても大きな力を持つのは現実。なので、これはやっぱり「革命」が必要なことなんだろうなあと思う。

4492444149 日本人のためのピケティ入門: 60分でわかる『21世紀の資本』のポイント
池田 信夫
東洋経済新報社 2014-12-12

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『つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』/ダナ・ボイド

”ソーシャル"ネットワークってそういうことだったのか。日本じゃmixiもGREEも、"ソーシャル"ネットワークの本義は教えてくれなかったな。

mixi始めたときも、「なんでこれ”ソーシャル”ネットワークなんかなあ」と、なんとなく分かるけどちょっとよく分からん感を持ち続けてたんだけど、この本を読んでかなり理解できた気がした。匿名性の議論とかあったけど、米国でのソーシャルネットワークの本質はそこではなく、若者にとっては、過干渉と過保護が常態になった米国社会では現実世界で友達と会い遊ぶことがままならず、友達付き合いを維持していくために(実際に会うための連絡手段としても)ネットワークの必要性があるということだった。それが米国のどの程度のエリアに該当することなのかは分からないけれど、輸入された”ソーシャル・ネットワーク”からは感じ取れなかった本質だった。

デジタル・ネイティブについての警鐘も括目だった。私はWIndows95が世に出回る少し前、インターネットが爆発的に普及する少し前、携帯電話が普及する少し前に社会人になった世代なので、子どもの頃から携帯やインターネットを使いこなしている世代というのは、新聞は紙で読むもの辞書は手で捲るものという我々とは、一様にデジタルに対する習熟度が違うと思いこんでいるが、本著の言う通り、

情報への新しいタイプのアクセスを可能にするが、人々がそのアクセスをどう経験するかはどうしても不公平
なのだ。そしてそこに新しい格差の種が芽生える。言ってみれば、投資家の子どもは自ずと投資に親しみ投資の基礎知識は持ち合わせ投資に抵抗なく大人になるだろうし、不動産業の子どもも同じくそうだろう。もちろん、大人になってからキャッチアップする機会はあるにはあるが、そこまでに得る経験はどうしても不公平なのだ。だから、若い世代をひとまとめにして「デジタル・ネイティブ」と見做すのは、本著の言通り「害悪」である。

社会学者ピエール・ブルデューは、『ディスタンクシオン』で、ある人の教育と階級における位置づけがいかにその人の趣味の在り方を形作るか」

たとえ米国であっても、見たことのない風習に対して大人ー古い世代は不寛容であり同一視してしまうものなんだというのを知れたのが、最大の読みどころだったかも知れない。文章が洗練されていること極まりなく、個別事例を引用して状況を説明するまでの流れがこれ以上なく滑らかで読んでいて爽快感さえあった。