『新・戦争論』/池上彰・佐藤優

期待通りの面白さで一気に読みました。最も関心を持ったのは、安倍政権が北朝鮮に対する制裁を緩和していることに言及している部分で、最近の右翼的な人たちは、この点をどう考えているのだろう?
  ①北朝鮮国籍保有者の日本への入国禁止、日本から北朝鮮への渡航自粛などの規制、②10万円超の北朝鮮への現金持ち出しの届け出と300万円超の北朝鮮への送金報告の義務付け、③人道目的の北朝鮮籍船舶の入港禁止、の3項目を解除

単純に考えると、これは「右翼」的な考え方に照らすと100%批判の対象にしかならないと思う。日本人を拉致しており、その解決を図らない国に対する制裁を緩和するというのは、完全に「反日」な政策に違いない。けれども、「右翼」的な考え方の筋から、あくまでネット上で見るだけでだけれども、安倍政権をこの点で批判する意見には出くわさない。これは、

  • 北朝鮮は、「右翼」的な人々から見た場合、日本の同盟国的な扱いで、制裁はどんどん解除すべきと考えている

か、もしくは、

  • 拉致などそもそもないか、もしくは解決しているというのが「右翼」的な人々の認識

のどちらか、ということになると思うけれど、ちょっとすぐには納得ができない。

4166610007 新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)
池上 彰 佐藤 優
文藝春秋 2014-11-20

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来年から、ウチは新聞紙で窓を拭けません

新年から、遂に電子版にすることにしました。

決定打はやっぱり「紙は過去記事の検索どころか参照もできない」ですが、真剣に電子版を検討しだしたきっかけは、日経産業新聞の購読を考え出したことでした。電子版だと、1,500円のオプションで、スマホで過去10日分の日経産業新聞の紙面イメージを閲覧できるオプションをつけられる。

それに加えて、

  • いよいよ、通勤電車で紙の紙面を読みづらくなってきた
  • 仕事上、ほぼ丸一日PCのスクリーンを見てる訳だから、同じスクリーン上で新聞見れるほうが有益

ということで、電子版に移行する腹を固めました。

既に申込みしたので電子版を見れてますが、あの紙ベースの大きさがなくなって視認性が落ちるのでどうかな、と思ってましたが案外問題ありません。得られるメリットのほうが大きいです。

新聞紙で窓を拭くときれいになるというのは年末になるとサザエさんが繰り返ししゃかりきに言う暮らしの知恵だし、雨で靴が濡れてしまったら新聞紙を突っ込んで乾かすとか、そういう暮らしの知恵的なものが遠ざかってしまうのは寂しいですが、変化しないところに未来はないと信じて。

コンテキストと天気予報

池上彰さんの気象予報の歴史に関する解説をTVで観て、コンテキストの時代に対する捉え方がちょっと変わった。

「日本はハイコンテキストの国だ。それはビジネスにとっては時間を多く消費するので不利。コミュニケーションは簡潔に。」みたいなことを喧しく言われる外資系に勤めているので(もちろんそれに対する反発心もありますが)、外国人から「コンテキストの時代」なんて言われる時が来たことに一種の感慨があります。大量の非構造化データの保持と短時間での解析によってこれまでなかった知見とアクションが取れるのがコンテキストの時代ということですが、もちろんこの業界に勤めてるのでそれ自体は理解してますが、陳列棚であっち見たお客様が最終的にこっち手にしてそっち買ったりとか、スマホゲームでどのタイミングで強敵だしたらアイテム買う確率が高いとか、店に入っただけで来店回数でクーポンくれるとか、そんなことできたとしてそれってビッグデータインフラの投資に見合うリターンあるの?(ゲームは確かにあるけど)とちょっと眇めで見てるところがあったんですが、池上さんのTVで「1960年代以降、気象予報の技術が向上した結果、台風による被害者が激減した」という解説を観て、なるほどなーそういうことか、と思ったのでした。

富士山頂に気象レーダーを設置したりして、日本の気象予報界は猛烈な努力で気象に関する多数のデータを集められるようインフラを整備し、その結果、今までは「来なければ知る由もなかった」台風という事象について、早期検知し、予想し、対策を立てられるようになった。その結果、台風という天災に対する被害を未然に防げる力が大きく上昇した。

今、世を騒がせているビッグデータも、誰が何のためにビッグデータを解析し、コンテキストを把握するのかはさまざまだけど、知りようのなかった事象を知れるようになることが「当たり前」になっていくのだなと。私の世代は物心ついたころから台風は進路予報できるのが当たり前と思っているけれど、親の世代はそうではなくて、だからその親の感覚を引き継いで、なんとなく台風は非常に恐ろしいものだという感覚はもっている。でもたいていの人にとっては確かに怖いものだけど予測できるものだというのが常識になっている。コンテキストの時代は、こういうことがもっと増えていく「だけ」と言えば「だけ」なんだろうなあと思う。そしてそうやって予め知れることが増えた結果、次に何に時間を割く社会になるのかが重要と思う。

コンテキストの時代―ウェアラブルがもたらす次の10年
10 ロバート・スコーブル シェル・イスラエル 滑川 海彦

日経BP社 2014-09-20
売り上げランキング : 7147


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『依存症ビジネス-「廃人」製造社会の真実』/デイミアン・トンプソン

オレは絶対にスタンプを押せるサルになんかならないのだ。
2,30年前の10代の頃、ゲームに明け暮れていたけれど、ケータイゲームが大流行した頃は、「あんなもんの何が面白いんだろう?」と全く小バカにしてました。電車を待つホームで、なんとなくスマホ出してスワイプしてしまうのは自分もやるのでわかるものの、ケータイゲームに関してはあんな単純なゲームに何をそんなにお金まで注ぎ込んで、と見下してたのですが、その反面、あれは「意地になる」人間のタチをうまく利用しているんだろうなあと直感的に感じてたことを詳細に解説してくれているのが本著です。

「癖」と「依存症」はどこで線引きできるのか、という問いに対し、本著は「他人に迷惑をかけたり自分を損なったりするにも関わらずその行為をやめられないのは依存症」と定義するんですが、そこまででない、軽いものも軽いだけに逆に厄介だったりするなあと思いました。歩きスマホもそのひとつの典型じゃないでしょうか。歩いてるときに前を見ずにスマホ見るなんて危ないに決まってる。けど依存してるので脳がそれを止めさせてくれない。

アルコール依存はみっともないことだという共通認識が社会にあるのだから、スマホ依存もそういう目で社会が見るようになれば状況はちょっと変わるのかも。この話になるといつも思いだすのが、一時セレブの間で流行したという、「パーティとか、実際に会ってるときはテーブルの上に自分のスマホを出してしまう」というヤツ。セレブのような社会的に成功を収める人は、スマホに気を取られすぎるというような、問題行動を自分で把握していて、それに対処する強い意志を持ってるんだなあと。

とまれかくまれゲームをほんとにただの金儲けの仕組みにしてしまった輩が許せません。

4478022925 依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実
デイミアン・トンプソン 中里 京子
ダイヤモンド社 2014-10-10

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『フランシス子へ』/吉本隆明

みんな本当に「めんどくさがり」になっちゃったんだな、と思います。わかりやすくないとダメなんだなって。

 何か大事なものかそうじゃないか、それもよくわからんのだけど、本当は中間に何かあるのに、原因と結果をすぐに結びつけるって今の考え方は自分も含めて本当じゃないなって思います。

 何かを抜かして原因と結果をすぐに結び付けて、それで解決だって思おうとしてるけど、それは違うんじゃないかって。

これは、「絆が大事」とか「日本人のこころ」とか「おもてなし」とか「ものづくりバンザイ」とか、そういう心性と結び付いたもんじゃないってことがいちばん大事だと思う。これはまず、すごく科学的な思考方法のところから出てきているもので、決して情緒的とか道徳的とかそういうことじゃない。
そのうえで、僕は最近、「時間のかかること」を大事にしようと考えている。どうしてもこれだけの時間がかかってしまう、というようなこと。コーヒーを淹れはじめたのもその一つ。ロングライドなんてその最たるもの。「どうしたってこれだけの時間がかかる」ということに、これからの未来の価値観の切れ端を見出せる気がするから。
思考もそう。すっと耳に入ってくるわかりやすい論旨にそうだそうだと言っているときに、だいたい群衆というのは間違うもので。
そういう意味では、1年くらい前か、セレブの間で会ってる間はスマホをテーブルに出して使わない、みたいなのが流行ってるというの、やっぱり成功する人は何が問題かに気づき、それに対処する実行力と意志力を持ってるんだなあと感嘆したなあ。

上の世代のつぶれそうな反乱軍に行くまでも気持ちもなく、そうかといって、下の世代のように「時代は変わった」と言うわけにもいかない。

『弱いつながり』/東浩紀

ぜひ、電子書籍で読むことをお勧めします!(気分的に)

「弱いつながり」というのは、私は「偶然」という言葉と重ねあわせながら読みました。本著は、「人は、自分を変えることはできない」と宣言しますが、それは「自分で自分を変えることはできず、自分で変えることができるのは自分が身を置く環境。人間は環境に規定されるので、環境を変えることで自分を変えることしかできない」というふうに私は読みました。

ネットは見知らぬ何かを知ることのできるツールではもはやなくなっていて、知っているものをより知ることしか、すでにつながっているものとのつながりを強化することしかできないツールになっている。検索があると言っても、検索ワードは自分がすでに知っていることだから、結局、自分が知っていることをより知るだけ、すでにつながっているものとより強くつながるだけ。だからネットは「強いつながり」。しかし自分を変えるためには未知が必要。例えばいつも仕事で会話するよく知った関係者ではなく、自分のことをあまり知らない、パーティで知り合った人のような。その「未知」に出会うためには新しい検索ワードを手に入れる必要があり、新しい検索ワードを手に入れるためには環境を変える必要があり、その具体的な手段は「旅」だと。

ものすごく納得させられました。「自分を変えることはできない」と言われると反発したくなるのが自然な反応だと思いますが、環境に規定されるというのは一旦は認めなければいけない事実だと思います。そして、意図的に変えることができるのは環境なのだから、自分を変えるために、環境を変えようという方策は非常に力強いと思います。そして、リアルに対して「弱いつながり」という、一見するだけではネガティブに映る言葉を当てたところが良いなと思います。

私はamazonを長く愛用してますが、レコメンドが始まった頃から、「なんであれ、今までの自分の行動をベースにしたレコメンドなんてつまらないし興味ない」と無視して来ました。その天邪鬼の奥底にあるのは本著のこういうスタンスではないかなと思います。どうやって「偶然」を手にするか。どれだけビッグデータが進展してもデータがリアルに勝てないのは、「偶然」はリアルにしか存在しないと言えるからじゃないでしょうか。

もうひとつ、私にとって大きい箇所はここでした:

 そこらあたりから、人生のリソースには限りがあって、ずっと最先端の情報を取り続けるのは無理なんだな、と思うようになりました。単に体力勝負ではない、別の方法での記号の広げかたはないのかと考えるようになりました。

 年齢的には早いですが、それは「老い」について考え始めたということでもあります。広大なネットをまえにしていても、年齢を重ねると、情報のフィルターが目詰まりを起こし、新たな検索ワードを思いつかなくなる、ときどきフィルターの掃除をやらねばなりません。

 そこでぼくは、本を読んだりアニメを見たりするかわりに、休暇では外国に行くようにライフスタイルを変えました。

 全く同じことを数年前から考えていて、それについてどうするのかというのを試行錯誤し、うまく行かず苛立ちながらここまで来たというのが実感ですが、同じ問題意識を読むことが出来たのは幸運でした。そして、「老い」に対する対処として、「自分は変えられない。環境を変えるしかない」という認識から「旅」が導かれたのを読めたことも。私がロングライドに惹かれたのは、この「旅」と同じなのかも知れません。外国ほど大きな環境変化を齎せませんが、日常ととてつもない切断を生み出す多大な身体経験があります。そして実際に移動を伴います。現代において本来なら掛ける必要のない時間を敢えてかけて身体経験を伴って移動するロングライドは、本著が言う「旅」の意味の何割かは共有していると思います。

何を電子書籍で買い、何を紙の書籍で買うか

hontoもamazonもクーポンが来たりカードのポイントが使えたりで、本を買うとき電子書籍にするか紙の書籍にするか、そして紙の書籍ならそれはどこで買うか、ネットで買うのか実書店で買うのか、というので結構悩みます。

私は(なんだかんだ言っても)紙の書籍は好きなので、紙の書籍でも電子書籍でも買える本があった場合、どちらで買うかとても迷います。決め手でいちばん多いのは、「それをいつ読むか」という視点で、通勤中とか、仕事の合間とかに読むタイプのものであれば、スマートフォンでもタブレットでも読めるhontoの電子書籍購入にすることが多いです。それで、『弱いつながり』は電子書籍で買いました。

書評などで知って「これが読みたい」と目星をつけた本で、電子書籍がない場合、その日実書店に寄れれば実書店で、機会がなければネットで注文。ただ、実書店に立ち寄った際に、そこで見つけて「お、これ面白そう」と思った本は、実書店で買うようにしてます。言ってみればこの「偶然」の楽しみと有効性のために実書店に行ってます。amazonのリコメンドもhontoのリコメンドも、「これ読んだ人はこんなのも読んでます」って、そんな似たような本勧められなくても判ってるんですよ。

ただ、本好きとしてはお金と時間の許す限り本を書い漁り読み漁りたい訳で、時間も大変ですがお金も負けず劣らず大変で、そうすると最近「何を電子書籍で書い、何を紙の書籍で買うのか」の基準で出てきたのが:

  • コレクションする類の本ではなく、かつ売れそうな本は、紙の書籍で買う

amazonマーケットプレイスを使えば結構高い確率で本は売れるので、「話題の図書」の類、図書館で借りようにも予約がいっぱいでいつ回ってくるか判らず、タイムリーに読まないとあまり意味が無いという手の本は、紙の書籍で買って読んで出品して売って何%か回収する、という選択肢。先ごろの『ヤバい日本経済』『ITビジネスの原理』はこの通り、amazonマーケットプレイスで売却して2/3くらい回収しました。

電子書籍はそこが盲点でした。転売できない。amazonは米国でそれに近い仕組を構築したとかするとかいうニュースを1,2年前に見たような気がしますが、今のところ日本では電子書籍を転売する方法はありません。紙の書籍だと読み終えたら売ることができる。買い手がつくかどうかというリスクと、マーケット価格が1円だったりしないかというリスクはあるものの、話題の本なら中古ゲーム市場と同じで、早く終えて早く出せば結構な率を回収できます。

最近思った電子書籍の欠点はあと2つ。

  • 複数冊開くことができない。見比べられない。
  • 「本棚」の整理ができない。リストで纏められない。まだ20冊前後だからいいけど、この後の管理性に不安。

とは言え、何冊買ってもスマートフォンかタブレットがあれば全部読める電子書籍の利便性の高さもメリットなので、試行錯誤しながら本を読み続けます。

街の本屋で本を買う - 2014/08/05 啓林堂書店生駒店 『ITビジネスの原理』/尾原和啓

啓林堂書店生駒店の出来はともかく、『ITビジネスの原理』は古臭いタイプの本でした。読む必要ないと思います。

私はビジネス書類を、著者が有名かどうかや有名企業の関係者かなどで購入することがほとんどないんですが、『ITビジネスの原理』というタイトルと、マッキンゼー・ドコモ・Googleそして楽天に転職したという著者の経歴をカバーで見て、偶にはそういった先駆者からの情報を取り入れるのもよいのではないかと思い購入してみたのですが、残念ながら、IT業界に身をおいている人間にとってはハズレと言っていいと思います。本としてのフォーマットが古臭いのです。まず業界のトレンドと歴史を多少の「トリビア」的な事柄を織り交ぜながら要領よく(でもこれだけで全体の三分の二くらい使う)説明し、整っているが故にある程度の説得力があると読者に思わせられた頃合いで自分がこの著作で世に広めたかった言説(イコール今後の自分の仕事がやりやすくなるよう世間に浸透させるための言説)を開陳し、最後に「そしてITは人を幸福にする道具へ」というような、「歴史の最終形態が、私のこのアイデアで実現する」的な希望を撒いて終わる。この手のフォーマットの書物が「自分にとって」大して訳に立たないのは自明なのです。そこにあるのは「著者が流布したい言説」なのだから。

具体的に言うと、

  • 著者は「ハイコンテクストがやりたくて」楽天入りした訳だが、楽天が出資している事実に特に触れず、pinterestを「ハイコンテクストなコミュニケーション」としてさらっと紹介している
  • 「ハイコンテクストが最終形」であるかのような誘導がある。実際には、ハイコンテクストとローコンテクストは揺り戻しを繰り返しながら進むものだ。なぜならローコンテクストを必要とする社会や経済や欲望は確かにあるからだ。

結局、本著は「楽天」のイメージアップを意図した内容でしかないと(少なくともITバックグラウンドの人間にとっては)思います。『ITビジネスの原理』と言うほど大仰な内容ではありません。もう少し収益構造などに踏み込んだ内容かと思いましたが残念です。啓林堂の書棚で本著と並んでいた『まいにち見るのに意外と知らない IT企業が儲かる仕組み』と悩んで本著にしたんですが、あちらにすればよかったと後悔です。

ところで啓林堂書店生駒店ですが、駅前図書室も出来、生駒駅界隈の書籍環境が劇的に向上していく中、心配なのはジャパブです。真弓のジャパブも閉店したそうですし。とりあえずジャパブは置いておいて本書店ですが、もちろん悪くはないのですが:

  • あのサイズだと、意外と欲しい書籍がない確率が低くないと思う。一定の面積を占めているので、賃料を考えると売れ筋本を多く置かなければいけないのだと思うけど、そうすると、若干旬を過ぎている本とか、無名ではないけれど本屋が取り上げるような本かなーというような欲しい本があるのかどうか、探すのが結構たいへん。あのサイズの店にこそ、検索機が必要な気がする。
  • レジが高い!あれじゃあおカネのやりとりしにくい人がけっこういる気がする。
  • 自分の好みだけで言えば、特集棚の本はあんまり惹かれなかった。

ちょっとカラーを出しあぐねているところがあるような気がします。近鉄生駒の客層って結構わかりやすいと思うので、思い切ってターゲットを絞った展開にして特徴を出したほうがいいように思いました。

『ヤバい日本経済』/山口正洋・山崎元・吉崎達彦

およそ経済人というのはこういうスタンスなんだよなあ、というのがよく分かる一冊でした。

経済人というのは、「目の前に起きている出来事をきちんと受け入れる」人たちだと思います。とともに、起きる出来事や予想される環境の変化に無批判な人たちでもあると思います。例えば本著の中で、

日本の国債を5億円分買った外国人には日本の国籍をあげる、といったら世界中から金持ちが集まってきますよ

という記述があります。これは、「日本全体が景気回復を実感するためには、都心だけでなく近郊の地価も回復し、住宅資産の資産価値が回復する必要がある」という主張の流れで、土地購入の需要を増やすためには外国人の土地取得規制を緩和が有効という話になり、その延長線上で登場するのですが、外国からおカネを呼び込まなければ日本の経済が好転しないというのは事実だと思うし、そのために日本国籍をエサに使うというのも日本国籍は訴求力があるので事実だと思うんですが、一般庶民の感覚で言って、いくら5億円払える人に変な人はいないと言っても、カネで国籍を売るのは国家としてどうなんだろう?と単純に疑問に思う訳です。そうやって世界の金持ちばっかり集めて維持されていく国を、果たして我々は求めるんだろうか?というと、「じゃあ座して死を待つのか?」と切り返される予想がすぐに立ち、この辺が「2030年、老人も自治体も”尊厳死”しかない」とか、「日本経済"撤退戦"論」とかに繋がるのだと思います。最近、私がよく目にするのはこの「だってカネいるでしょ、カネ?」という経済人のスタンスと、「如何に滅亡に向かってソフトランディングすべきか」という、二極のオピニオンです。

本著の他の例を挙げると、「日本のギャンブル市場は世界有数」とあって、パチンコで既に20兆円規模の市場なのだから、年間売上1兆円強を見込めるカジノを解禁して外国人富裕層を呼び込むべき、というのもあって、確かにカジノは有力な産業に違いないけれど、それが「日本」という国のアイデンティティにフィットするのか、という感覚はない訳です。大阪の夢島にカジノを作れば、周辺には奈良や京都という世界遺産もあり、富裕層向けに格好だというのですが、少なくとも奈良県人としては、奈良の文化をカジノのついでにされたくはないし、一時はそれで潤うかもしれませんが、1,300年保たれてきたイメージー本著の論に沿って言い換えるなら観光資源ーの消耗スピードを上げ、その結果あっという間に消費されつくすような真似はしたくない訳です。

そういう、倫理観とか「価値観」とか、そんなものに拘泥しているからお前らいつまで経っても貧乏人なんだよ、と言われるのが本著ということになりそうですが、二極化の観点でもう少し考えると、多くのカネを稼ごうとするスタンスが、いったい「何のためにその多くのカネがいるのか?」という、どういう目的意識と結びついているのかで、変わってくるんじゃないかと思います。自分個人の資産を守り、裕福に暮らしたいというレベルであれば、やっぱり「だってカネいるでしょ、カネ?」というスタンスで終わってしまい、単に今日本や世界で起きている事象を単なる「現実」とだけで受け止め、環境変化を単なる「環境変化」とだけで受け止め、カネを稼げることにだけその認識を有効活用することになるんだと思います。

4492396047 ヤバい日本経済
山口 正洋 山崎 元 吉崎 達彦
東洋経済新報社 2014-08-01

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『悟浄出立』/万城目学

「俺はもう、誰かの脇役ではないのだ」!!

運命の出会いを果たした『悟浄出立』ですが、それはそれはもう面白かったです。『文芸ブルータス』で読んで感動した表題作『悟浄出立』をはじめとする短編5編が収められています。帯に「古典への愛とリスペクトが爆発」とある通り、中国古典をベースにした芥川ばりの換骨奪胎で、漢字四文字で収められたそれぞれの作品のタイトルには「俺がこの作品で新しい四字熟語を産んでやる」と言わんばかりの気概を感じます。

『悟浄出立』を読んだ時にも思ったのですが、小説というのは、ほんとは誰もがそうなんだよ、と頷きたいテーマを、ありえないような虚構の世界とそれを描き出す言葉の力を持って、頷きたいテーマに真摯に頷かせるのが真髄だと思っていて、この『悟浄出立』に収められている5編は、「誰もが頷きたいと思っているテーマ」と、それを直截に見せるのではなくするための世界の描き方、もっと言うと難しい漢語を駆使した中国古典の世界観の配合の割合が絶妙で、どんな人でも読めば作品が取り上げようとしているテーマを掴み損ねることはないと思われるにも関わらず、それを正面から受け止めるのにこっ恥ずかしさがありません。

取り上げているテーマはどれも現代的で重々しいのですが、例えば『法家狐憤』:

「陛下に危険が迫ったときは、臣の判断で衛兵を招くことができるようにな。どうだ、滑稽な話と思うか?陛下の命が失われたら、我々の国はおしまいだ。我々が作り上げた法は、あっという間にただの竹屑になる。それなのに、我々は法に従って、誰も衛兵を呼びに行かなかった。あるじが命を落とす瀬戸際にもかかわらず。おぬしはどう思う?我々は馬鹿の集まりか?」
(中略)
「確かに、滑稽だ。だが、それが法治というものなのだ」

初出が2014年2月なので、これが集団的自衛権を念頭に置いていないと考えるのは妥当ではないと思います。「臣の判断で」というあたりが、曲げて捉えて「解釈改憲の是認」という向きもありそうですが、ここはやはり「それが法治というものなのだ」、つまり「どんなにそうすることが当然というような場面であっても、それが法に定められたやり方でなければ為してはならず、それを為すためには法を改めるのが手順。法が国や人民に優先する」という、誰もが「そうなんだよ」と頷きたいテーマを訴えていると読むのが妥当だと思います。その「法を守る覚悟」を、二人の「ケイカ」ー京科と荊軻の命運のコントラストで読み手に強く印象づけます。

「なぜか「主役」になれない人へ」とも帯にあるのですが、本作を読むと、自分が主役か脇役かということよりも、人生で出会うひとりひとりの人々をみな「主役」として受け止めることが大事なんだと気付かされる一冊です。今現在、今年のイチオシです。

4103360119 悟浄出立
万城目 学
新潮社 2014-07-22

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