『マッキンゼー 世界の経済・政治・軍事を動かす巨大コンサルティング・ファームの秘密』/ダフ・マクドナルド

この種の本を読むといつも思わされるのは、「アメリカは昔からカネ最優先の国だった訳ではない」ということ。

マッキンゼーというコンサルティング・ファームがどのようにしてその品質を維持し続けているのか、という漠然とした誰でも持っている疑問に迫れる内容と知って手にとってみましたが、マッキンゼーに関する著述そのものももちろん非常に興味深いのですが、アメリカ社会の変遷に関する記述がまた非常に面白いです。1970年前後生まれの世代は大抵、アメリカというと本質的に成果主義でカネが重要視される社会だと思い込んでいる節がありますが、高度成長期を経た日本と同様に、アメリカにも「会社人間」時代があって、その反動で「株主資本主義社会」に進んでいったことが本著を読むとわかります。

1970年代は単なるアメリカ経済の転換点でなく、アメリカの自己イメージの転換点でもあった。会社人間はようやく鏡をのぞき込み、他人がずっと見ていた顔を見た。画一的で何かが犠牲になり、戦後の繁栄が残したのは脂肪と怠惰だった。管理主義の時代は終わりつつあり、より攻撃的でもっと下品な、いわゆる株主資本主義の時代が取って代わろうとしていた(p122)

「若い専門職業人に大金が本当に必要なのか?もし社員の意欲の源が金になってしまうのを許したら、拝金主義が私たちの価値観を踏みつぶしてしまう。専門的サービスを提供する偉大な事務所は、拝金主義が根をおろすのを許してはいけない」(p244)


目に見えるモノを作ってカネを得ていた時代から、カネからカネを生もうとする時代に進展していった本質的な理由は「強欲」にあるといって差し支えないと思う。その点で、資本主義というのはそこそこで止めておくということを許さないシステムだということができると思う。その進展を滞りなく進めるためにコンサルタントが登場し、コンサルタントの強欲と共に経済システムも強欲になっていく。

「すぐれたビジネスリーダーはコンサルタントを雇わない。コンサルタントは、自分の組織を心配している不安定な権力亡者を食い物にしている。アメックスのCEOケン・シュノールトは、コンサルタントに電話しないとクソもできない。彼らはそこに深く入り込んでいて、電話帳に自分たちの番号を載せるんだ」(p243)


そして私がいつも不可解に思っている、「実際にやれたかどうかではなく、”どういうことをやると言うか”で評価やカネ(資金、資本、クラウドファウンディング)が膨らむシステムに対する疑義がエンロン事件を引き合いに出して語られる。

エンロンを批判する者があらわれて、会計手法に疑問を呈するようになると、マッキンゼーはいままで以上に熱烈な支持を表明した。「『取引』に関する技術は、ビジネスの規模や範囲よりも重要に、さらに戦略に関する洞察は、企業が全体に占める地位よりも重要になった。」この生命は不可解だー実際にしていることではなく、したいと思っていることが重要だと言っているのだ。エンロンでは最後に概念が現実するという、まさにマッキンゼーのコンサルタントが夢見ていた結果になった」(p286)


「職業」と「商売」が対立概念として記述されていることにはっとした。そして、先の引用にもあった、「社員の意欲の源が金になってしまったら」というところ、まさに「社員の意欲の源が金」でしかない(外資系の)会社に勤務している自分としては、周囲に流されないようにするというだけでは不十分だという辛い結論を受け入れなければならなかった。

組織は生き延びたが、ずっと大切にしてきた価値観はその途中でうち捨てられた。ラジャット・グプタのマッキンゼーは職業ではなく商売だった。それはもちろん、驚くほど成功した商売だったが」(p318)

「…会社を10年も率いてきた人物がマーヴィンが築き上げた価値観を見失ってしまったことで、私は二つの点に気付かされた。一つは、アメリカ社会全体がいかに金がすべてという方向に偏ってしまったかということ。もう一つは、現実の企業が現実の仕事をする手助けをするというみずからの存在理由を、金融界がすっかり見失ってしまったということだ…」(p370)


日本の政治は常にアメリカを手本として、成果主義や金融改革など言いますが、それが唯一の道ではないと思うし、世界の至るところでアメリカ的株主資本主義に抗う運動があることも理解できるようになりました。少なくとも、アメリカに先例があるなら、そこで起きている問題点は見えるはずだしそこを考慮してよりよい道を立案するべきだと思うのです。しかし現実は長らくそうだし現政権もそうですが「そんなこと言っても食えなきゃ意味がないだろ」と言わんばかりの進め方をします。そこには理想も何もないかのようです。
4478023514 マッキンゼー―――世界の経済・政治・軍事を動かす巨大コンサルティング・ファームの秘密
ダフ・マクドナルド 日暮 雅通
ダイヤモンド社 2013-09-21

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街の本屋で本を買う - 2014/06/07 ジュンク堂書店難波店 『Google Maps Hacks 第2版』

中身を見てからでないと絶対買えない本、そのひとつは参考書。

地図情報の活用方法を少し勉強したいなと思い、ウェブで見れる情報を少しずつ読んでいたのですが、そろそろまとまった知識として学びたいと思い、参考書籍を購入することに。重いし高いし、amazonで書評頼りに購入しようかと思ったのですが、この手の参考書籍は情報量とその見せ方の合う/合わないが個人差の大きいものなので、やっぱり中身を見てからにしようとジュンク堂へ。

amazonのなか見!検索は、物語とか雑誌とかはいいんですけど、参考書はなんというか使うときの「サイズ感」も大事なので、なか見!検索でディスプレイで見ても使い勝手がわからないんですよね。

という訳でジュンク堂でコンピュータの棚をうろうろしたんですが、意外と地図アプリに的を絞った開発書というのはないんですね。欲しい内容とは異なるんだけど『mapion・日本一の地図システムの作り方』が非常に興味をそそられる、参考になりそうな本だったんですがなんとか思いとどまり、GPS情報の詳細かGoogle Mapsの詳細かに的を絞って選んだのが『Google Maps Hacks』。既に開発スキルを持つ人向けの書籍ではありますが、調べたおしてみようかと。そういう決断も、なか見!検索ではできませんしね。

Google Maps Hacks 第2版 ―地図検索サービスをもっと活用するテクニック
Google Maps Hacks 2 Rich Gibson Schuyler Erle 武舎 広幸

オライリー・ジャパン 2007-10-26
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「30秒立ち読み」のススメ

本屋好きの私は客先から客先への移動中とか、少しスキマ時間があって通りがかりに本屋があると5分でも立ち寄ってしまうんですが、そんなとき「30秒立ち読み」というのをやっていて、ふと「これって実はオススメできるかも」と思ったので書いてみます。

「30秒立ち読み」というのは、今、巷に唸るくらい毎日毎日発刊されるビジネス系新刊、いわゆる「ノウハウ本」「ハウツー本」(”なんとかコンサルティングが1年目から叩き込むロジカルシンキング作法”とかそういうの)の、適当に開いたその節だけを読む、という立ち読みです。ただそれだけのことです。

今、ほんとに目も眩むくらいの数のビジネス書が「どこが出版不況なんだ!?」というくらいに発売されますし、そのタイトルは非常に扇情的で読んでみたくなりますが時間も足りないしお金も足りないし読んだところで行動しなければ意味がないとなんとなく薄々わかってる。でも、あの手のビジネス書に書いてあるのは、だいたい「頑張りましょう、さすれば報われます」くらいのことなんです、どんなにタイトルが扇情的でも。だとしたら、自分に行動を変えるためのきっかけになるような読み方をするのが、これらの本を読む上でいちばん重要なことであろうと思います。

そこで、どの一節でもいいですから、適当に開いたページを含む節だけを読みます。だいたいあの手の本はそういう意味ではうまく出来ていて、読ませやすいように節がすごく短くまとめてあります。だから逆にひとまとまりの節なら30秒くらいで読めてしまうのです。

そしてそれ以上は読まないことで、結構頭の中には鮮烈にその印象が残ります。自分でよく考えて、その知識を自分の血にまで持っていくかほどほどにしておくかは自分次第。でも、単に漫然と一冊最初から最後まで読む読書とはかなり変わってくると思います。

立ち読みを推奨するようなこと書いてもいいのか?というと、それに文句言ってくるのは著作権協会だけな気がしますが、自信を持って言えるのは、熱心に立ち読みする人のほうが本を買うということです。著作権協会は「すべての本を袋とじにして売りだしたらい」と去年くらいに言ってましたが、そんなことしたらそれこそ誰も買わなくなって出版不況だと思います。中身の確認ができない→表紙で扇情しようとする→そのうち、表紙が言ってることなんていい加減だという共通認識が生まれる→本が売れなくなる。絶対このスパイラルと思う。ちなみに私は昨年だけで多分5万は下ってないと思います、本屋で本買った金額。

街の本屋で本を買う - 2014/04/07 ジュンク堂書店梅田ヒルトンプラザ店『日経ビジネス3/24号』→三省堂書店京都駅店『WEDGE 2014/4号』

先日、中之島図書館に返却ついでにいつものように10分程度雑誌を読んでいて、ユニクロの経営方針転換を報じた『日経ビジネス3/24号』が(「食卓ルネサンス」という記事も含めて)非常に面白くて通しで読んでしまいました。その非正規社員の正社員転換策を読んでいると、こないだウェブで読んだドワンゴの川上会長が就活を批判している記事を思い出しました。そしてそれが『WEDGE』に掲載されているのを広告で見て、何故JR肝煎りのWEDGEがリクルートを名指しで喧嘩売ってるんだろう?原発大賛成というプロパガンダを掲載するようなレガシーエスタブリッシュよりの雑誌が?と疑問を抱いてしまうと、この就業に関する記事に立て続けに出くわした状況を無視できません。『日経ビジネス3/24号』と『WEDGE2014/4号』を買ってじっくり並べて読みたい!しかしながら『日経ビジネス』は定期購読誌。普通の書店では買えないしと思いとりあえず『WEDGE』を探すけどこれもJRの駅に絡む本屋じゃないとなかなかない。いっそ両方電子書籍で買うか、と思いながらジュンク梅田店でWEDGE探してたらなんと単体売りされている日経ビジネスを発見!ジュンク難波ては見つけられなかったのに。喜んでバックナンバー棚を漁るけどお目当ての号はない…。ジュンク難波でも端末で探してみたんだけど、『日経ビジネス』という、いろんな書籍に被せられる名前のついた雑誌を検索するのは難しく、単体売りが確認できているジュンク難波でも端末で『日経ビジネス』を見つけることはできませんでした。

出張で新幹線に乗る予定があったので、Wedgeは駅で買うことに、日経ビジネスは電子書籍で買って、新幹線で読み比べようと考えましたが、例によって出版社独自の電子書籍のひどいこと。日経ビジネスはNIKKEI BP STOREという電子書籍フレームなのですが、まずもってひどいのはオンラインじゃないと読めない!

オンラインじゃないと読めないということは、どのくらいでタイムアウトになる設定なのかまだ調べてないですけど、あるページじっくり読んでてさあ次のページ、とめくると「ログアウトされました」みたいなメッセージが現れて再ログインさせられる訳です。読んでられるかこんな本!

コンテンツ盗用を防ぎたい意図は重々承知しているんですが、「読めない本」を売るというのはどうにも理解できません。ましてSurfaceの画面サイズに合わせた見開き表示すると本文記事の文字は全然読めません。なので頻繁にピンチしてスライド、を繰り返すことになって煩わしい。それを解消するためなのか、「テキスト」というウィンドウがあって、文字通り記事が標準のテキストファイルのイメージで表示されるウィンドウを表示させることもできますが、そうなると電子書籍である必要ゼロ。記事の内容を組み替えてメールで配信するメルマガモデルに戻ってくれたほうがまだまし。

出版社毎に工夫を凝らして、こんな売れるか売れないかわからないようなプラットフォーム独自開発してお金無駄にして電子書籍化も遅らせるようなら、素直にamazonのプラットフォームに一斉に載ったほうが全然賢いと思います。そうまでして守りたいものはいったい何なんでしょう。TVでさえ視聴者をネットに奪われると言っているのに、このままじゃあ本なんてほんとに見捨てられると思います。

『鶴見俊輔集 6 限界芸術論』/鶴見俊輔

長い間興味を持ち続けているテーマが、ひとつは「過ぎたるは尚及ばざるが如し」で、もう一つが「美」。過ぎたるは尚及ばざるが如しというのは、人間の活動はビジネスにしてもスポーツにしても高みを目指して努力を続けるものだけれど、特にビジネスに関しては青天井という訳にはいかないし、利潤追求の結果いつかはたいてい破綻してしまうので、サスティナビリティと言った概念が登場したりする、でも本当に持続性を実現しようとするのであれば、どうやって「やり過ぎない」で住むような仕組みを構築するかを考えなければならない、その心得としての「過ぎたるは尚及ばざるが如し」。これを「確かに経済的にも、過ぎたるは尚及ばざるが如しだね」と納得できるだけの言葉を持ちたい。もう一つの「美」は、ニーチェが終盤たどり着いたのが「美」だと読んだことがあって、金銭とか数値とか理屈とかではない、というよりもそういうもので表しきられることのないモチベーションは「美」なのだろうと思っていて、「美」を何か差別的な特権的なポジションではなくて、人がよりよく生きるためのモチベーションというポジションに位置づけるような言葉を持ちたい。この2つの「言葉を持ちたい」という願望を長い間持っています。

そこに現れたのがこの『限界芸術論』でした。

今日の用語法で「芸術」とよばれている作品を、「純粋芸術」とよびかえることとし、この純粋芸術とくらべると俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品を「大衆芸術」と呼ぶこととし、両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品を「限界芸術」と呼ぶことにしてみよう。

この三元論は衝撃でした。数直線状だった僕の「美」に対する意識を否定されました。芸術の尺度を単純に「美」だけで言ってはいけないとは思いますが、少なくともその「尺度」が三種類あることを肯定した文章に初めて会いました。

生活の中に芸術を置く試みというのは、僕個人の感覚としては相当難しいことです。その理由は3つあって、1つは、生活の中の芸術だとしてもある一定のレベルに達していなければ芸術として成り立たないということ。だから大抵は、学生時代の部活で馴染んだジャンルを生活の中でやるか、相当程度時間に余裕のある社会人が時間をかけて習得するかのどちらかになる。2つは、その結果、勢い社会全体が「生活の中に芸術を置く」という価値観を共有できないので、「生活の中に芸術を置く」という行為が「とあるムーブメント」以上にならないので、それは「社会」にならないということ。3つはやはり「限界芸術」は「職業」ではないので、それで生活を成り立たせず、その結果、いつでも脇に置かれてしまう性格にならざるを得ない、ということです。

本著でも柳宗理の「民芸」について取り上げられていますが、「限界芸術」が規定する、「生活との境界線にある」という点は、「美を極め(られ)ない中途半端な取り組み」の「言い訳」として機能してしまわざるを得ない、という決定的な弱点を持ちます。その弱点を自覚した上で「限界芸術」として取り組むのか、それともその「言い訳」を巧妙に駆使して、「天井」を回避するような楽なやり方に逃げこむのか。

すでに見てきた柳田国男の小祭の復興という理念は、ここに見事に生かされているのではないか。柳田・柳両氏に見られる復古主義的心情は、宮沢においては、遠い未来のほうをむく新しい革新的意思によっておきかえられている。

これを具現せんと活動していたのが宮沢賢治であるとし、彼の著作から「限界芸術」の理念を言語化していくところは圧巻です。賢治を読む人は誰しもが感じる無垢のループ。それが「限界芸術」のキーであるという説には厚みがあります。ただし、柳田國男を引いている点については、この後読んだ『現代日本の民俗学 ポスト柳田の50年』によって感想が大きく歪むことになりました。

4480085254 限界芸術論 (ちくま学芸文庫)
鶴見 俊輔
筑摩書房 1999-11

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街の本屋で本を買う - 2014/02/17 スタンダードブックストア@心斎橋→天牛堺書店ekimoなんば店 『週刊 東洋経済 2014年 2/15号』/東洋経済新聞社

さすがに東洋経済はなかったですが、日経ビジネスやCOURRIER JAPONは置いていて少しびっくりしました。

昼休み、中之島図書館に返却と貸出に行った際、目に入った東洋経済。表紙に「70歳まで働く 45歳から考える「次の仕事」」。これは買ってよもう、電子書籍版がいいかと思ったけれど読みにくいことは判っていたので、これは紙の書籍で買うことに。

で、売ってる訳ないと思いつつ、ルート上行きやすかったスタンダードブックストアへ。かなり久し振り。スタンダードブックストアにビジネス書買いに来ることなんてなかったので気付かなかったけれど、意外にも「Business」というラベルが貼られた書棚が結構多いです。ビジネス系の雑誌なんて見たことなかったと思ってたのですが、冒頭書いた通り幾つかはありました。Businessの棚はやはりIT絡みのものが多かったです。気になっていた『Yコンビネーター』を見つけたのでしばし立ち読み。有限責任が理解できてなかったドイツ人学生とか、意外と普通にいるんだな~となぜか少し安心。そう言えば、いかにもスタンダードブックストアに来そうな雰囲気の女の子二人組がホリエモンの新刊を手にしてたのをみて結構な衝撃を受けました。サブカルチャーなのかカルチャーなのか、そういう意味でポップになり浸透していくというのはあまり良いことではない気がしました。これは少しきちんと考えたいなと。

店を出てここから最寄りのビジネス誌売ってそうな本屋どこだ?と思い浮かべてみたらこないだ行った天牛堺書店ekimoなんば店が。なんばは四ツ橋筋がジュンクとBook 1stが並んでて便利だと思ってたんですが、やっぱり御堂筋側にあるのは強いですね~。今後はこちらのほうが利用頻度が高そうな気がします。

B00I48R27E 週刊 東洋経済 2014年 2/15号 [雑誌]
東洋経済新報社 2014-02-10

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情報の価値は紙でも電子でも同じでしょう? なぜ「書籍」がつくと話ややこしくなるの?

季刊誌『マグナカルタ』が、見つけたところなのにそのvol.5でほぼ休刊決定みたいなことが書かれていて、「なんで電子書籍でやらなかったんだろう?そっちのほうが損益分岐点低くできただろうに」と思ってすぐ「いやごめんなさいそれはないです」と思い直しました。ほんの最近、「なんじゃこの電子書籍!?」と頭に来てたことを忘れてたのです。

その電子書籍とは、hontoの電子書籍。

hontoの電子書籍を利用しようと思ったきっかけは、Surface Pro 2の購入でした。Kindleも持ってるんですが第3世代で、なおかつかたくなに日本のアカウントと統合してないので、日本のamazonで買う電子書籍はそのkindleにはダウンロードできないし、日本ではWindows用のKindleアプリもない。なので今までは仕方なくxperia Aの4.6インチの画面で読んでるんですが、電車とかでは便利ですが、「読む」という行為にはもちろんちょっと厳しい。そこへhontoがWindowsでもandroidでも対応したリーダーを準備して電子書籍販売に本格参入。これは利用できるかも、と思ってたところに電子書籍ストア購入でポイント最大30倍とか言われて、雑誌を電子書籍で買うとどこでも読めるし捨てなくて済むし便利かなと思って買い始めました。

が、しかし。とりあえずよく読む『WIRED』『週刊ダイヤモンド』『Newsweek』あたりを買ってみたのですが。

これらのリーダーは「ImageViewer」なんですが、解像度が低い。低すぎる。

読めなくはないけど。Surface Pro 2が10インチだから悪いのかも知れないけど。でももうちょっとくっきり作れるでしょう。Surface Pro 2はフルHDなんだぞ。他のデバイスの都合にあわせてこうなのか。

まあでも解像度はともかくいちばん気に入らないのは、そんなに読みにくいのに、ズームボタンもないことと、ページを送るとズームが解除されて標準サイズに戻ること!ページめくるたびにいちいちピンチさせるな。鬱陶しい。

更には会社の人に勧められた『テトラポッドに札束を』を買ってみたのですが、

なんじゃこりゃ。ビューアーハXMDFというののが起動するんですが、なんじゃこのガタガタのフォント。設定で変えられることが分かってメイリオとかMeiryo UIとか変えてみたけど大差なし。読ませる気ないんか。

正直、電子書籍ならKindleだと私は思います。圧倒的に読みやすいです。PaperWhitte、買おうかなと思いますがさすがに鞄にデバイス3つは要りません。

ここまでして電子書籍をメジャーにしたくないのかなあとちょっと嘆息してしまいました。日本は電子書籍だからと言ってさほど安くない。『テトラポッドに花束を』で言えば、書籍1,000円に対して電子書籍900円。本の値付けの仕組みって再販制度が云々で何度読んでも頭に入らないんだけど、どんなカラクリがあったにせよ、紙の書籍を作るのに比べて電子書籍のほうがコストは低く済むはず。ということは、あんな質の低い電子書籍なのに、発行者の利益率は当然高まるでしょう。そこまでして紙の書籍を守りたいのか。

誤解を恐れず書くと、書かれている情報の価値はそれが紙の上でも電子書籍でも関係ない。メディアが何であるかは価値の大小に関係しないし、「価値」という抽象的な基準ではなくて単純に金銭的な意味でも関係ない。価値があるのは情報そのものなのだ。書籍の未来についてはそこを出発点にするのが絶対だと思います。その上で、確かに愛着を覚えずにはいられない紙の「本」というものの存在意義・存在価値を考えないといけない。そこに書かれている情報以外に、「本」の居場所はちゃんとあるはずだ。

街の本屋で本を買う - 2014/01/31 天牛堺書店ekimoなんば店 『COURRIER JAPON Vol.112』/講談社

なんだかんだ言って新しい本屋、結構できてると思うんだけど。狭い商圏に。コンビニ戦争みたい?

難波でちょっと時間があったのでジュンクとBook 1stをハシゴするという時間の浪費をしつつ、「こないだ『現代思想』も買ったとこだし、買いはしないぞ」と思ってたけど、もうちょっとぶらっとしたら御堂筋の北側改札近辺で天牛堺書店に遭遇。びっくりして思わず吸い込まれる。だいたいekimoが出来てたのも知らなかった。ekimoって天王寺の地下鉄駅ソトのちょっとした施設のことだと思ってました。なんばにも出来て、梅田にも作ってるって初めて知りました。

天牛堺書店は大江橋で初めて見たんだけど、古本屋さんって記憶してたんですがこのekimoなんば店は古本屋さんの雰囲気は全然ありませんでした。入ってみて印象に残ったのはバックナンバー。

こういうバックナンバーの陳列するところ、別に珍しくもなんともないんですけど、ここは妙に目に飛び込んできた。バックナンバー並んでても気づかなかったり探そうという気にならないことがほとんどなんだけど、ここは何故かバックナンバーから目に飛び込んでくる感じ。高さかな?よくわかんないけど。

せっかく入ったので、先日買わなかった『COURRIER JAPON』を買って帰りました。”「言葉」こそがあなたの武器である”に惹かれて買ったけど、思っていたよりもハウツー的というか、「成功を勝ち取る」ための方法論みたいな内容だったのでちょっと期待してたのと違いましたけど。

B00HS3GFGK COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2014年 03月号 [雑誌]
講談社 2014-01-25

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「話せばわかる」「問答無用」2014年版

 選挙権を持ってからこの方国政選挙では、僕はなるべく「日本の将来にとってどういう政策が、よりよい政策か」ということを、割と真面目に考えて投票していました。もちろん、僕の知識と知能では考えられる内容には限界がありますし、その時々の選択が正解だったのかどうかはまだわからないほうが多いです。これは感覚ですが、僕が属する団塊ジュニア世代で投票する人の多くは、割とナイーブに真面目に、「日本の将来」にとっての是非を考えて投票する人が多いと思います。

 これは、「自分の立場だけではなく、いろんな立場を理解しようとする」スタンスを強いられます。「日本の将来」を考えるのであればそれはそうです。自分より10歳も20歳もそれ以上も若い方々が生きる時代のことも自分が考えられる範囲で考え、答えを出さないといけないからです。

 だから、「痛みを伴う」と言われてもそれが必要なら、というスタンスを取ったり、「消費税増税が必要」という意見にも耳を傾けたりしてきたのです。

 でも、今の安倍首相の動きは、「相手の意見なんて聞くだけ無駄だ。自分たちの主張を声高に叫ぶのが一人前の国家だ」と言っているようです。特定秘密保護法案しかり、靖国神社参拝しかり。靖国参拝に関して、歴史認識の誤謬の可能性を持って靖国参拝を正当化するような言い方をしている人もいるようですが、誤謬の可能性を認めるなら、「歴史」に真実はない、「歴史」というのはあくまでそれぞれの現在の立場から見たストーリーなのだから、それを踏まえた上で自分たちの振る舞いが相手にどう捉えられるのか、という視点がなければ、自分たちの主張を通すことはできない、とわかるはずなのに。

 安倍首相の言動は、相互理解など無駄と言わんばかりに感じます。確かに僕たちもこの20年間、自分たちにとっての損得だけではなく、国全体の損得と将来を考えてきても国の借金は一向に減りませんし、もうこれ以上、違う立場のことを考えても仕方がないと思うようなところまできた感があります。どうせ国が改善する気がないのなら、消費税をこれ以上上げてもらうのは困る。法人税を引き下げてもらうのも困る、法人税を下げたところで給料が上がるかどうかも分からないしその財源に消費税アップをあてこまれても困るので反対、高齢者の医療費負担は即刻現役世代と同じに、年金のマクロ経済スライドも即時発行。結局、それぞれの立場が自分の立場が得をすることをそれぞれわーわー騒ぎあうのが最もよい結論に進める方法なのだよと、安倍首相は態度で示しているのだと思います。

 問答無用。そう、5・15事件の「問答無用」。「話せばわかる」と言った首相は「問答無用」と殺され、その後の展開で、岸信介は満州国の中枢部に君臨。安倍首相は岸の外孫。その安倍首相が国民に態度で示しているスタンスが「相手の意見なんて聞くだけ無駄」。

(東洋経済12/28-1/4号「アジアで対立する3人の指導者の因縁」)

もし、国民に範を示すのは首相ではなく天皇の役割というのなら、昭和天皇(およびその後の今上天皇も)はA級戦犯(岸信介はA級戦犯被疑で逮捕・不起訴、公職追放)が合祀された1978年以降、一度も靖国神社を参拝していない。

悪気無くても罪は生まれますか? ー 『ペテロの葬列』/宮部みゆき

J-WESTカードの利用で溜まったポイントをICOCAにチャージしたので何か一冊買おうとJR京都駅の三省堂書店に立ち寄り思案して買ったのが『ペテロの葬列』。

ちなみに近くに『永遠の0』が並んでいて、僕は基本的にどんな本でもまず自分で読むまではいいとか悪いとか判断しないと努めているのですが、この本は読むまでもない。国のために純真から命を掛けた方々に対する敬意はもちろんあるが、それを賞賛することで何が起きるのかを考えることは別の話であり分けて考えなければならないこと。それをそんなに賞賛したいなら、自分が国のために命を捧げればいい。今なら国のために命を捧げられることがあるでしょう。福島第一原発の作業とか。実際に差し出すのか、自分の命を?9条もただのお唱えごとで、行動を伴わないお唱えごとに力はないというのなら、国のために命を捧げる派の方々にはぜひ福島第一原発の作業に率先して従事してもらいたい。行動で示してもらいたい。

だから僕は熱心なB'zファンだけど『永遠の翼』を創ったのだけは(『俺は、君のためにこそ死ににいく』の主題歌という仕事を引き受けたのだけは)どうしても評価できないでいる。本当になんで『永遠の0』みたいな本がそれほど評判を呼ぶのか理解できない。

これが、数年前には「とにかく生きろ。何があってもまず自分が生きることを考えて行動するんだ。」という強いメッセージを発信した『20世紀少年』に大熱狂した同じ国民とは思えない。

取り上げるのであれば『風立ちぬ』のように、「その個人の純粋な探求が、本意ならず戦争に加担してしまう」という状況をこそ取り上げるべきだと思う。本意ならずその状況に追い込まれてしまい、逃げようがないが故に耐えるしかなかったことを、賞賛したところで世界は何も進歩しない。その方の名誉は保たれるが、それが何を引き起こすかを考えずに伝承する人間は、戦争に加担しているのと同じことをしている。だからこそ、『風立ちぬ』のように、「その個人の純粋な探求が、本意ならず戦争に加担してしまう」という状況をこそ取り上げるべきなのだ。

…というようなことを考えていると必ず頭に流れるのが『Q&A』。

悪気無くても罪は生まれますか?
(『Q&A』/B'z


で、なんで『ペテロの葬列』について書いているのにこんなことを長々と書いているかというと、『ペテロの葬列』のモチーフで僕にとって最重要だったのがここだから:

p388「詐欺まがいのことをやる会社に勤めてて、知ってて加担してるなら、そこの社員だって詐欺師みたいなものです」

p545「自分たちも加害者になってたんだって自覚しない人たちが残ってしまう。それじゃ何も変わらないのよ」

この二文は痛烈だと思う。己が所属する会社という集合体が何か不正を働いていて、知ってて加担していたら、その社員も同罪なのか。敢えて明記するとすれば東京電力の社員の方々はどうなるのか。そして、知っているとして、だからといってそう簡単に会社を辞められる訳ではないということも、勤め人であれば誰でも理解できると思う。それなのに、自分は今たまたまその境遇ではなくて、そういう境遇の会社を見て、一方的に責め立てることができるのか。逆に、だからといって責め立てないというのは正しいのか。

更に難問なのは後者で、ここで言っているのはネズミ講の話なのだけれど、それを離れたとしても、自分たちも加害者だと気づいていない人というのは自分も含めて現代社会には蔓延していると思う。そういう状況をどうにかして白日の元に晒して変えたいと切羽詰まったという事件が本著のメインストーリー。自分たちは正義を通そうとしていると信じきっていて、実は「加害者」になっているという自覚のない、もう少し言うと自分に対するそういう批判の目線を持たない人びとが増えつつある。正に、「悪気無くても罪は生まれますか」。最初に書いた、特攻礼賛の人びとのように。そういう人たちが増えていった結果どういう社会になっていくのか、を考えさせられる小説。このモチーフは現代において超重要だと思います。
ペテロの葬列
宮部 みゆき

集英社 2013-12-20
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