灯人サポーター

「灯人サポーター」というのは、燈花会のボランティアのことです!

『燈花会』についてはこちら http://www.toukae.jp/index.html

毎年、参加してみようかな~と思いながら踏ん切りがつかなかったんだけど、
19:30からの参加という枠もあるし、今年は思い切って申し込みました!
一日からでも参加可能なので、とても参加しやすいです。 

第2回大阪遠征

いよいよ真剣にロングライドにエントリーしたくなってきて
(すでに近隣のホテルは取れないという情報を目にしたが気にしない)、
遠距離走るのがどれくらい体に堪えるのか試そうと、第2回大阪遠征。

暗峠越えはしばらくカンベン、という気分なので
他のルートで大阪側に出れるところないかな~と調べてみたところ、
登りは阪奈道路の北側から住宅地内で登れることが分かり、
下りは阪奈道路を下ればいいことが分かったのでこのルートで。

結果…平地なら全然まだまだ走れそう。
登りが約6,7km・5%くらいでこれは僕にとってはめちゃくちゃツラいですが
それを終えた後の平地は全然辛くなかった。といっても25kmくらいだけど。
やっぱり大阪に住んでたら絶対自転車使うね~。
逆に、大阪に住んでたら電動アシストクロスバイクなんて絶対買わなかっただろうな。
今回も結局全然アシスト使わなかったし。

奈良→大阪の登りは緩やかだけど、大阪→奈良の登りはほんとにキツい。
ちょっと北か南かに遠回りするほうが僕には賢明。

いよいよ、ロードバイクが欲しくなってきました。 

『ミーツへの道』/江弘毅

4860112059 ミーツへの道 「街的雑誌」の時代
江 弘毅
本の雑誌社  2010-06-02

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『ミーツ』が神戸新聞社生まれということも知りませんでした。僕は1995年に大阪に出てきたんですが、『ミーツ』が市民権を得だしたのは1990年代からと判って、意外と最近のことなんだなあと思いました。自分が大阪に来た時既にあったものは、大阪の人なら誰でも知っているものだという思いこみがあったので、『ミーツ』に関しては、「大阪のちょっと感度の高い人なら誰でも知ってる雑誌」と思ってたのが、実はまさに浸透現在進行形の時代に自分もいたんだなあと思った。歴史は正しく知らなければほんとにわからない。
その『ミーツ』と神戸新聞社との確執が赤裸々に語られて興味がぐいぐいそっちに引っ張られるけれど、敢えて言えば、子会社である以上当たり前のことのような気もする。とは言え、あの『ミーツ』の編集長としての感性を残したまま、財務諸表や費用対効果やキャッシュフローやと行った会議に出られるというのはかなりのキャパシティだと僕でもわかるし、そういう懐を持った仕事のできる男になりたいと思う。

『ミーツ』を知ってる人なら誰が読んでも絶対に面白いと思う。読んで損はないし、自分の仕事のスタンスに少なからず影響を与える。『ミーツ』を知らない人にも読んでほしいなと思うし、「あの『ミーツ』の」という関西人特有の権威付けから自由に読める人がどんな感想を持つのかにも興味があるのでぜひ関西人ではない人の感想を読んでみたいです。

『そしてカバたちはタンクで茹で死に』/ジャック・ケルアック&ウィリアム・バロウズ

4309205399 そしてカバたちはタンクで茹で死に
ジャック・ケルアック ウィリアム・バロウズ 山形 浩生
河出書房新社  2010-05-15

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ジャック・ケルアックは『オン・ザ・ロード』を、ウィリアム・バロウズは『裸のランチ』を、それぞれ1冊読んだことがあるだけで、二人がビートジェネレーションであり熱狂的に支持された作家という程度の知識しか持ってないまま読んでみた。『オン・ザ・ロード』も『裸のランチ』も面白かったのは面白かったんだけど、僕は「破滅的な何かを漂わせる魅力ってそんなに魅力か?」と文句をつけたがる性分になっていたので、掘り下げて何冊か読んでみようとはしなかった。ドラッグにせよ精神異常性にせよセックスにせよ、生まれたときから多少なりとも命に関わる病気持って生まれた生い立ちの人間に言わせてもらうと「バカバカしい」ということになっちゃう(もっとも、両親がうまくやってくれたおかげで早くに治り本人は病気で不自由した記憶はないけれど)。精神異常性も自分で好き好んで破滅的な生活に追い込んで陥る分はとくに「バカバカしい」と思ってた。1972年生まれでバブルを越えて青春を1990年代前半に過ごした僕は、問答無用の無茶苦茶さならもっと酷いものを見てきたし、そういう無茶苦茶さに与してもほんとにバカバカしいだけで何にもならんというのも実感的に判ってて、ビートジェネレーションも「今更何なん?」と思っていた。
本著の後書を読んで、ビートジェネレーションが狭い人間関係の中にあって、その引き金となった事件がカー・カマラー事件ということを学んだ。ルシアン・カーが、デビット・イームス・カマラーを殺害した事件で、本著はその事件をベースにして、知人であるケルアックとバロウズが章ごとに書き繋いだ作品だ。カマラーはゲイで、25歳のときに知り合った11歳のルシアンに入れあげる。そして8年間の末、ルシアンに殺される。性的関係はなかったとされる。僕はゲイではないのでその点だけはわからないけれど、カマラーのことを「煩わしいが利用したい部分もあり頼らざるを得ない部分もある」と見なさざるを得ないルシアンの困惑はちょっと判らないでもない。そこにゲイという要素が絡めば一層ややこしくなるのは自明だろう。でも、これって、言ってみれば普通、自分の親に対して誰しもが抱く感情だと思う。その依存の対象が自分の親ではなく、性的に倒錯した男性だったところに、ルシアンの中でも無理が溜まっていったんだと思う。そして、ビート・ジェネレーションの一味は、バイセクシャルが珍しいことではない-というより、「それがどうしたの?こんなの普通のことだよ」と言いたがってるように見える。
1972年に生まれて現代を生きている僕にしたら、「そんなに壊れたいんならさっさと壊れてしまえばいいじゃん」と唾を吐きかけたくなる。その倒錯した破滅的な魅力というのはもちろん判らなくはないんだけど、壊れたがってるくせにうじうじ生きているようなヤツが僕はいちばんしょうもないと思うのだ。何かを壊したいと思ってるならまだいいけど。後書にも書かれていたけれど、この本の一番の無理は、「ストーリーの起点がカー・カマラー事件」であることだ。始まりを終わりに持って来ざるを得ないプロット。それって何のための始まりなの?とプロットにさえ突っ込みたくなる。
僕は既に、雰囲気だけで耽美できるような時代も頃合も年齢も通り過ぎて今を生きているので、このビートジェネレーションの時代の魅力を今更学んで耽ることはできないと思う。自分が実際に生きてきた時代の懐古なら出来ると思うけど、その魅力の根本が全く自分の性に合わない時代の魅力にはもはや理解を示せない。『そしてカバたちはタンクで茹で死に』というタイトルの元になった場面が作中に出てくるけれど、「カバたちってのはつまりビートジェネレーションの仲間全体だろう?」と邪推しても、「ただのラジオ放送からおもしろいと思って引っ張っただけ」と言い返すくらいだろうし。

パイル地ジャケット調達

スーツのパンツのヒップの部分が裂けるという大惨事に見舞われ、
急遽、夏用のビジネスウェアを買い足すことに。

今から夏のスーツを買うのは金額的に躊躇われるし、
かと言ってあんまりビジネスカジュアルっぽいのも好きじゃないし、
とあれこれ考えつつ、先週末に一通りお気に入りのお店を下見。

だいたいは「とにかくパンツを買おう。グレーのパンツはあるからブラックのパンツを買って、クールビズ用にしよう」
と思ってたんだけど、意外にブラックのパンツがない。
今はネイビージャケット+グレーパンツという超オーソドックスなジャケパン組み合わせなので、
グレージャケット+ブラックパンツというちょっと渋い目にしたいと頭の中で描いてたんだけど、
意外にこれというブラックのパンツがない。

で、仕事帰りに近所のNOOLEY'S good manに立ち寄ってみた。
店員さんに「濃い色目のパンツないですか?」と聞いてみたら、ネイビーを提案してくれた。
店にあるブラック系のは秋物にかかってきてるということで、
今からしばらく着れるものが欲しいというと、ネイビー含めて何着か。

その中からいちばんディティールがビジネス向きっぽいのを選んで試着。
店員さんは、そのパンツは綿100%と違いポリエステルが入ってるんでストレッチが効くけど膝が抜けやすいとか、
いくつか注意点を教えてくれたので、これでいいかと決定。

ついでにちょっと目に入ったジャケットを着てみたのが写真。
パンツが目的だったのに、パンツは仕上がり1週間後で先にジャケット入手。

・生地が今治製パイル地
・しかも袖に裏地をつけていない
・なので例えば半袖シャツとかポロシャツで着ても気持ち悪くない
・本切羽で袖を折り返せる
・着丈が若干短めで、カジュアルな雰囲気を出せる。ジーンズにも合わせられる
・パッチポケットなのも、かっちりした印象を外させてる
・でも、ビジネス的に着る最低限の部分は持ってる

ということでお気に召して購入。
ちょうどセールだったのでよいカンジで上下購入できました。

しかし、ここしばらく、着るものを買う意欲全然なかったのに、
一旦買いだすとあれもこれも買いたくなるから不思議だな~。 

20km/hの壁

今日の午前中はかろうじて曇りという天気予報だったので、懸けてました。
朝7時に起きてみたら降ってなかったので、ささっと身支度してreal streamに。
雨に降られてもいいように、財布も小銭入れのみ。

今日もまた目的地なし、ひたすら心臓に負荷をかけるのと、速度を上げるのを目的に。
いつもは往路を終えたら休憩するけど、今回は基本的にすぐ引き返して、なるべく連続して走ることを主眼に。
2時間連続して走ることを主目的にしました。

しかし…家についてGoogle Tracksを確認すると、Avarage Moving Timeは18km/h前後。
これまで同様、どうしても20km/hを超えられない。
巷のブログなんか見てみると、巡航速度25km/h越えなんて当たり前らしい。
確かに計算上、それくらいの速度出せないと、ロングライドイベントで完走できない。

確かに、平地で25km/hは出せなくはない。
でも、恐いんだよね。どこから何が飛び出してくるか判らない道が多いし。
信号も多いし。細い国道なのに通行量が多くてなおかつ路肩が狭い。
その辺のところを自覚したので、次回からはそれを頭に入れて飛ばしてみよう。

それにしてもペースを乱されるのは信号と、ご老人のお散歩。
それから、アップは重要だとようやく思い知った。
走り始めがいきなり登りで、毎回結構つらくて、もうここで止めようと思うんだけど、しばらく走ると安定してくる。
アップを入念に行うっていうのは大事。

Total Time: 01:32:47
Movin Time: 01:23:39
Distance: 25.09km
Avarage Speed:16.31km/h
Avarage Moving Speed:18.14km/h
Max Speed:36.0km/h 

『これからの「正義」の話をしよう-いまを生き延びるための哲学』/マイケル・サンデル

4152091312 これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍
早川書房  2010-05-22

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断片的に語りすぎる。それは世界中どこでも共通の言論の癖なのかも知れないけど、この日本では間違いなくそれが当てはまっていると思う。例えば、本著のp231、「実力主義の社会につきものの独善的な前提、すまり成功は美徳がもたらす栄誉であり、金持ちが金持ちなのは貧乏人よりもそれに値するからだという前提を くつがえす」「職やチャンスを得るのは、それに値する人だけだという信念・・・は社会の 連帯を妨げる・・・成功を自分の手柄と考えるようになると、遅れを取った人びとに責任を感じなくなるからだ」あたりを日本の保守支持層や高齢層あたりが読めば、「だから過去の日本に存在していた、過度の成果主義を抑えた社会に回帰すべきだ」と言い募るに違いない。けれど、本著がここで語っているのはそういう文脈ではない。「道徳的功績」を巡る考察があって初めて理解できる文脈だ。過去に非成果主義的な社会があり、そこに成果主義を持ち込んだ現状で、単に非成果主義的社会の長所と見える側面だけを求めて回帰するだけでは、そこにもまた嫌気がさして逆戻りするだけだ。

本著で語られているように、日本では「正義」という概念は、避けて通ってきていたと思われる。もしくは、「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚か、または「天皇が判断するもの」「将軍様が判断するもの」という、ある種の特権が、一般人に下ろしてくる判断という、トップダウンの思想だ。「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚は、もしかすると本著で述べられている正義に対する第3の考え方に似ているのかも知れない。ただ違うのは、アメリカでは正義と政治は切り離せないものとして考えられていることだ。日本では仮に正義が第3の考え方的なものだったとしても、それを政治に繋げる発想には縁遠いような気がしてならない。そして、正義や道徳から切り離して、まったくもって「リベラル」な環境下で、”競争していればいいものが生まれる”というあまりに純粋無垢な幼稚な考え方でここまでやってきたのかというのがよくわかる。”それで何の文句がある?”という言説に明快にカウンターを打てないというだけでずるずるここまで来てしまった罪は、いたるところで引き受けられなければいけないと思う。

毎週乗車継続中

夕方、30分時間を見つけたのでちょっと走ってみた。
『ヒルクライマー宣言』によると、1回2時間くらいの低速走行を続けて減量するらしいし、
自転車に乗るために最も必要なのは心肺機能だ、というのも実感してきてるので、
短い時間でも乗って負荷をかけるようにしようと心がけてます。

でも、平均20km/hで走るのと、最高速30km/h以上出すのって、結構大変…。

今日は上り坂の少ないルートを選んで北に向かってみたので、
ルートログを見ながら、「もしかして163で大阪に出れるのか?」と思い調べてみた。
そしたらなんと163はおろか、阪奈で大阪側に出てる人もいた!!

これは次回の行き先は決定したな!

Total Time: 00:29:53
Moving Time: 00:20:57
Distance:5.88km
Avarage Moving Speed: 16.85km/h
Max Moving Speed:27.9km/h 

『Okay』/稲葉浩志

B003JBGALK Okay
稲葉浩志
バーミリオンレコード 2010-06-23

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稲葉の歌詞はB'zでもソロでも根っこのところは徹底的に「暗い」けれど(何かの音楽雑誌のレビューで、「誤解を恐れずに言えば、稲葉は「自殺する感性の持ち主だ」と書かれてて、大きく大きく頷いた)、「死」を直接的にモチーフにした歌詞はそんなになかったような気がする。死生観ですぐ思いつくのは『赤い河』とか『パルス』とかだけどこれらは「死」をどう捉えるかに主眼は置かれてない。『MAGIC』の『TINY DROPS』を聴いたとき、「とうとうB'zもこういう歌詞を歌うのか」と少し衝撃とショックを受けた。『TINY DROPS』は明確に「死」を前にした歌詞になっていた。でもそれは、「死」に遭遇したときの感情の折り合いの付け方にフォーカスが当たっていて、”今の時点で「死」を想像したとき、どんなふうに受け止めればいいのだろう?”という意味での「死生観」じゃなかった。「死」に遭遇した時の「感傷」を、とても詩的に歌い上げたものだった。

『Okay』は違う。『Okay』は"今この今日、未来にある「死」を想像"して歌われてる。それも、誰かの"死"だけじゃない。自分の"死"も。

"Okay いつかくる ボクのいない世界"
"Okay いつかくる アナタのいない世界" 
(『Okay』/稲葉浩志)

自分が死んだ後の世界を思うことは、とんでもない恐怖と寂寥感に襲われることもある。「こともある」というのは、毎回、そんなにうまく想像することができないからだ。でも、想像できたときの恐怖感というのはほんとうにとんでもない。このボクも、いつか死んでしまう。そのことを、「いつかくる ボクのいない世界」と言い表すことで、「自分が死ぬ」という事実と、「自分が死んでもその後も世界は続く」という事実、この二つの事実を思うことでやってくる途方もない恐怖と寂寥感を打ち込んでくる。

更に稲葉の歌詞が凄まじいのは、この「ボク」、つまり「一人称」の体験を、「アナタ」側でも歌っていることだ。しかも、「ボク」にとって「アナタ」の死がとてつもなく悲しいことだと歌いつつ、どうじに「アナタ」にとっての「自分のいない世界」を思う経験について歌い、そして、やさしい言葉を掛けるのだ。

"Okay いつかくる アナタのいない世界
埋められない穴をかかえさまよう
Okay 泣かないで 恐がらなくていいよ
終わりがあるから 誰もが切なく輝ける” 
(『Okay』/稲葉浩志)

もちろん、この「アナタ」は聴き手である僕たちに向けられたものでもあると思う。”恐がらなくていいよ”と、歌いかけてくれているのだと思う。単に、死に際してどんな心持ちで日々生きていけばいいかというだけなら、歌詞もここまでで終わりだろうし、それだと『TINY DROPS』とそれほど差はない。でも、B'zではなくソロとしての稲葉なので、過去のソロ作品と同様、歌詞も自分の好きなところまで突き詰めたのだと思う。『Okay』は、まさに死生観にまで踏み込んだ答えをひとつ歌ってくれている。普通は、自分の死を思い、恐怖して終わるか、その恐怖をやわらげるようなやさしい言葉を求めて終わるか、どちらかくらいしかやれることがない、けれど、『Okay』は、”いつかくる ボクのいない世界”を真正面から見据えた上で、それでもどうあるのがいいのか、という「結論」までひとつちゃんと歌っているのだ。

"Okay いつかくる ボクのいない世界
真っ暗で静かな無限の空
Okay それならば もう少しだけアナタを
長く強く抱きしめてもいいよね そうだよね”
(『Okay』稲葉浩志)

とりわけここ数年、年を取る自分の日々の思いとシンクロするような作品がリリースされて、同じ時代を同じ世代で生きてきたアーティストの作品に20年以上にも渡って触れられるありがたさを痛感してたけど、『Okay』は、僕が昔から抱えていた「死生観」をどう考えていけばいいのか、という新しい切り口をひとつ見せてもらえた感動的な作品だった。ほんとにもっともっと多くの人に聴いてほしい。

『DISCHARGE』/山中さわお

B003EW4KJS ディスチャージ
山中さわお
DELICIOUS LABEL 2010-06-23

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the pillows山中さわおのソロアルバム。

"DISCHARGE"という威勢のいい単語がアルバムタイトルなので、アグレッシブなロックスタイルの音で来ると勝手に思い込んでいたら、聴いてみてびっくり。まるでヒーリング効果を満載した環境音楽アルバムのように、聴いてて落ち着けるリラックスできる音でした。

これもまた、こういう種類の「オルタナティブ」があるってことは知識が少ないながらも聴いてて判るんだけど、the pillowsの楽曲のように、ちゃんとフックの効いたメロディラインは健在でありながら、ゆったり聴けるところがいい。