『ほかならぬ人へ』白石一文

ほかならぬ人へ
祥伝社  2009-10-27

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 白石一文で祥伝社。今まであったのかなかったのか調べてないけどそれだけで興味が沸く。

 帯に「愛するべき真の相手は、どこにいるのだろう���」とある通り、愛する気持ち、恋愛行為というものの本質が具に描かれた小説だけど、僕には読んでて「愛」よりも「死」が眼前に迫ってくるようだった。自分にとっての「死」がリアルに感じられるというんじゃなくて、どこにも普遍的にあるはずなのに、普段は忘れているような「死」という存在が、身近に感じられるというような。徒に恐れることなく、日常に存在しているものなんだから忘れずにいようよ、と言われているような感覚だった。

 明生は、親同士が決めた結婚相手だった幼馴染の渚に、「だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。言ってみれば宝探しとおんなじなんだ」と語る。それは、人に救いをもたらす言葉だけれど、もうそのベストを見つけたことがある、と思い当たる人にとっては、ひょっとしたら人生の残りの時間はただ…とより深い絶望に突き落とすような言葉でもある。明生にこう言われて「ほんの少しだけどすっきりした」と言った渚は、翌日事故で亡くなってしまう。渚は死の前日、この明生の言葉に触れて、「成功」だったと思っていいのだろうか���もしベストを見つけられたとしても、見つけられただけで、その人生は「成功」なんだろうか���渚は確かにベストを「見つけては」いた。

 やはり、生きていてこそ愛が輝くのだと思う。どんな形であれ、愛を輝かせるために生き抜いてみせるという力強さは、どんな時代にも必要なものだと思う。

『静人日記』���天童荒太

静人日記
文藝春秋  2009-11-26

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 第���������回直木賞受賞作『悼む人』を執筆するために、著者が主人公の静人となって三年間つけ続けた日記を元にした小説。

 『悼む人』は読んでないんだけど、なぜかこちらが先に気になって購入。『悼む人』を超える感動���と帯には書いてあるけど、読んでないので超えてるかどうかはわからない。わからないけど、日記形式というのが効果的でかなりずっしりと読ませられる小説だった。

 人は何のために生きるのか���とか、何が幸せなのか���とか、根源的な問いが頭を過ぎる。遣り切れない死を迎えた人の無念さは、残されたものが受け止めないといけない。近しい人は言うまでもなく受け止めさせらるし、受け止められないくらい受け止めさせられるので押しつぶされてしまうくらいだ。だから、その他の人が何を為すべきか���というのがこの世では大事になってくる。この世では、その他の人たちは、遣り切れない死を迎えた人の、生前の幸せな日々を自分の記憶の中に留めていつまでも生かしておくことが、その人の無念に対してできることではないか、そのように思い日々過ごすべきではないか、というのが静人が訴えかけてくることだと思う。そして、それには僕は全面的に賛成。

 その一方で、それは、「遣り切れない死」を迎えた人に対してだけなのか���という疑問が浮かぶ。本書の中では遣り切れない死に接することが多く、どちらかと言うと普通のことと思える老衰や病死があったかどうか、すぐに思い出せないのだけど、そういった多くの「普通」の亡くなり方に際しても、同じ姿勢であるべきではないのか。戦争で亡くなる方と、老衰で亡くなる方の間に、違いがあるのだろうか���あっていいのだろうか���この問題意識は、本書の中でも、ユーゴスラビアの大統領の話が引用されたりして深く掘り下げられ、静人は最後にひとつの結論に至る。

 「何をどう考えようと、人は自分の主観というものから逃れられないでしょう。であれば、自分なりの悼みを徹するように心がけたいと思いました。その代わり、自分以外の何ものかの欠落と結びついているかもしれないなどと、あやふやなことは申しません。自分のための悼みです。」

 自分のための悼み。この言葉を言い切るために費やされた時間。宣言すればそれが事実になる、というのではない言葉は、有限実行が褒め称えられるこの現代にも確かにあって、この言葉はその最たるものだと思う。ただひとつ静人の行動で同感できなかったのは遙香とのこと。『悼み』は自分のためであっても、まったくの個人に帰属させてしまっては、その悼みは悠久の時の流れの僅かな単発の出来事で終わってしまう。もっと時空を超える思想を描いてほしかった。そこまで拡張していくともはや宗教なのかも知れないけれど。

BlackBerry Media SyncがiTunesプレイリストを反映しない

通勤中にメインで手に持っているのはBlackBerry。
iPod touchはwifiしかないので当然そうなる。
そうすると、通勤中に聴いているニュース系PodCastはBlackBerryに入れておきたくなる。

で、Media Syncをインストール。
起動してみたら、プレイリスト単位でしか同期できないことがわかったので、
iTunesで目的のPodCastだけ集まるスマートプレイリストを作ってMedia Sync再起動…
したら、作ったプレイリストが反映されない������

いったい何が悪いのか���
Media Syncを再インストールしても変わらない。
ということは、Media Syncが参照しているプレイリストの情報がおかしい。
でも、iTunes上では、作成したプレイリストはちゃんと表示されている…。

iTunsのプレイリストが保存されている、マイドキュメント\マイミュージック\iTunesフォルダを確認。
iT.tmpとiT���.tmpというファイルが大量に存在。
これが問題か���とバックアップを取って削除。
iTunesに影響はないけど、Media Syncも変わらない。

それなら、と、iTunes Library.itlとiTunes Music Library.xmlを削除して起動。
すると当然、プレイリストはなくなる。
ここで、バックアップしておいたiTunes Music Library.xmlをインポートすると…
元に戻らない������Media Syncで表示される、新しいプレイリスト作成前の状態になる���

ということは、何かがiTunes Music Library.xmlをロックしているから、
iTunes Music Library.xmlにアクセスできず、結果、iTunes Music Library.xmlが更新されてないということだ���
と、削除したiT���.tmpから比較的新しいものをリストア・リネームしてインポートしてみる。
すると…復元������

じゃあいったい、何がiTunes Music Library.xmlをロックしていたのか���
と思い、Unlockerを使って調べてみると…

ZumoDrive������

それは盲点だった…なるほど…

ZumoDriveのプレイリスト同期をはずして無事解決。
���ZumoDriveをiTunesライブラリ用には使ってないので���

いやー突き詰めてみるもんだ。

������グランプリ������������

東京ダイナマイトが���位から滑り落ちた時点で、僕にとっての������は安堵とともに終わっていたワケです。

「あんなコンビに最終決戦まで残られてたまるか���」

テレビの仕事なんかしなくても、単独ライブと���������だけで、
自分たちが面白いと思うことを実現すればそれで食っていける、と、
嘯いてテレビに唾はいたヤツが、何をのこのことと苦々しく思ってたのですよ。

いや、別にテレビの肩を持つ訳じゃないし、
テレビのお笑いがもっともクオリティが高いなんて思ってる訳じゃないですよ。
ただ、そこにもシノギを削ってる人がいるにも関わらず、
一方的に「くだらん世界だ」と言い切ったのに舞い戻ってくるのが許せん訳ですよ。

どんな世界にも、ワビの入れ方ってもんがあると思うんです。
それを何が「忘れ物」だ���と、
笑いにうるさい関西に住んでると、ことさらに立腹しちゃうのですよ。
挙句にあのネタ���しょうもない。
登場のときだけは、掴みで持っていくかと思ったけど、その勢いを使えてはいなかった。

どうせ金が持たなくなったんだろ、と陰口のひとつも叩きたくなるくらい、
その潔くないスタンスが嫌い。
「変化の激しい時代、あれは間違いだ、今日はこれがいい、と思ったら、すぐに方針変更すればいい」
というのは確かにそうだと思うけど、それにしたってワビは入れなきゃならんのだ。

もっとおもろくなってから出直してこい���

12/15 the pillows OOPARTS TOUR@Zepp Osaka

どシンプルでどソリッドなライブ���
ちょっとだけ、20周年に行われたツアーやライブで遣り尽し感が出ちゃわないかな、
と心配してたけど、まったく杞憂。
やっぱり最高のライブバンド������

『OOPARTS』は全曲演ったと思う。
『FOXES』がかっこよかったなー。あのイントロ。
静かな轟音って感じがライブで聴くと好み。
『ジョニー・ストロボ』、こんな短い曲だっけ������ってほどあっという間。
やっぱ感動するわー。ストローボのーよーにー。

出だし、ちょっと声でないのかな���と思ったりしたんだけど、
すぐに熱が上がってきて、会場のテンションも急速に上がって、
後半の������がとても熱くて。

「君たちのことを好きでいたいんだ���信じたいんだ���だから、オレの心は今、全開だ���」

ここだけ掻い摘むと「なんだこれ���」ってカンジだけど、
会場にいて聴いた人はみんな心打たれたと思う。
実際、この日も、さわおが1000人とか2000人いたらひとりくらいはおかしなヤツがいて、
と言った「おかしなヤツ」がいたんだけど、そんなの吹き飛ばすくらい。
ほんとに、そういう性根が律儀なとこが好きです。

THIS IS FOR YOU

THIS IS FOR YOU~THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM
モーガン・フィッシャー
BMG JAPAN Inc.  2009-12-09

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とりあえず買ってみたってカンジ。

『メカラウロコ』は高すぎて手が出ず、

『COMPLETE SICKS』はもちろん最大級の期待をしてるんだけど、
これはね���������。
そんなに期待してない。

なんか、ちょっとずつ、カバーしてほしいアーティストがズレてるカンジ。
「いやーBURNはこっちだろ」とか「SPARKはあっちだろ」とか。

そんな中、トライセラのJAMが楽しみ。
さー聴くか。

復活BlackBerry

散々な顛末の末、ようやくBlackBerry復活。安定稼動。
初期不良というのに遭遇するとどんなに腹立たしい思いをするか、身を持って感じました。
この経験は今後の仕事にも生かさないとなと思います。

でもって鋭意使い倒してて思ったこと。

①ものすごい勢いでパケットを食う
12月始まって7日経過時点で、Bizホーダイダブルの上限にほぼ到達���
確かにWifiが入らないところでブラウジングしたりしてたので、
まあしょうがないかと思ったりもするものの、ちょっと腑に落ちない。

先月購入した直後も、なぜか一晩で3000円分くらいパケット食ったし。
いったい、何がそんなに食ってるのか調べようと思ったら、
Web明細サービスに申し込んでないので、当月の日別パケット量が確認できない���
行けるときに申し込みに行って調べよう。

②データ移行が難儀
今まで使ってたのがSO902i。
BlackBerry購入したときに、「データ移行はお客様自身で」と、USBケーブル接続PC経由で
データ移行する方法を案内されてはいたけど、
ドコモのBlackBerryサイトに「データ移行ツール」というmicroSD経由で移行するツールがあったのと、
「どうせお金払うなら、移行にしか使わないUSBケーブル買うより、microSD買うほうが」と思って
microSD経由を選択したんだけど、PCからファイルをコピーしても、BlackBerry上のツールでは認識されない���
散々調べた挙句、microSDは携帯でフォーマットしないとダメだと判明。
元ケータイのSO902iがメモリースティックだからこの時点でアウト。

しょうがない、明日USBケーブル買ってくるか、これだけのために・・・。

BlackBerryダウン

11/22に購入して以来、すっごい気に入って使いこなせ始めてたBlackBerry。

なのに、今日、突然Power Onしなくなった・・・。

LEDが赤色で10秒くらいの長いサイクルでの点滅を繰り返すのみ。
電源ケーブルを繋いでも何にも変わらず。
充電池をはずして付け直してみても変わらず。

あーあ。明日はdocomoショップ行きだなーこりゃ。

スラッシュ feat. 稲葉浩志

SAHARA~feat.稲葉浩志
スラッシュ
ユニバーサルインターナショナル  2009-11-11

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『イチブトゼンブ』のときにも書いたんだけど、こういうのって、アンチB'zな人はどう思ってるのかね���
あるいは、妙に洋楽偏向の人とか。
何かの基準で序列を作ったら、いつかはその序列が並んだり覆ったりしちゃうっていうのに。
そう言えば、さわおもかつて渋谷系が席巻した頃、業界では全く相手にされず、
大阪のラジオ局だけが取り上げてくれたので「俺たちは心斎橋系です」と名乗ったとか言ってたな。

贔屓目を抜きにしても、楽曲的には十分なクオリティを持ってる。
好き嫌いだけの問題。もちろん僕は好きです。 

日本経済新聞2009/11/17 文化・日本スタイルで親近感 「洋もの」不振打開へ新手

「07年以降の洋楽市場は毎年100億円以上縮んでいる」

「SMJIの鈴木将人制作2部部長は「かつては音楽雑誌やレコードの解説など情報源が限られていた分、若者は洋楽へのあこがれや関心を募らせた。ネットですぐ情報を得られる今の若者は、その興味を失っている」」

「海外の文化に過度なあこがれを抱かず、信奉もしない。「洋もの」コンプレックスを持たない若者の志向は「よく解釈すれば足るを知る。・・・」と44年生まれの写真家、藤原信也氏は語る。」
「「日本を発展させたのは身の丈を知らない欲求だったのも事実。外に目を向けない保守化した世代の登場は、将来に希望が持てない閉塞した社会の表れでもあり、この先わくわくするような文化が生まれるかはわからない」」

僕は、僕らの世代に少なくない邦楽志向だけど、僕らの世代の邦楽志向と、ここで触れられている「若者」世代の邦楽志向は少し質が異なるようだ。

東宝の中川敬専務は、…「未知のものを見て、発見したいという欲求が若者の間で薄れているのを感じる」
対照的に、ドラマや人気漫画を原作にした邦画が当たるのは、物語や俳優の顔ぶれをよく知っているからだという。

しかし、かつての時代の、いわゆる1960年代���70年代の成長期の若者は、それ以前の若者は、本当にまったく先の見えない「未知」に対峙していたのだろうか���諸外国に追いつけばよいという、「先」があったから、安心して「未知」を追いかけられただけなのでは���経済は右肩上がりを信じて疑わずにすんだから、そこには予定調和があったから、安心して「未知」を追いかけられただけなのでは���