オーパーツ������

OOPARTS【初回生産限定盤】
SAWAO YAMANAKA the pillows
avex trax  2009-10-14

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めっちゃ聴いてる、『OOPARTS』。

初めて聴いたときは割とさらっと聴き終わってしまって「ん���」と思ったんだけど、���周目からもうダメ。ノックアウト。ハマるハマる。「これは聴けば聴くほど、な音だなー。さすが自分を追い込めるだけ追い込んで作り込んだ、っていうだけあるなー」って思ってたら、amazonのレビューもそういうのが多くって、やっぱみんな同じこと感じるんだなーってちょっとニヤッとしたり。

『雨上がりに見た幻』の曲順が最高���ここに持ってくるかー持ってくるよなーここだよなー。

でもって今んとこ頭ん中でいちばん回るのは『Lemon Drops』。ハロー、ハロー、ハーローーック。

イープラスの予約、悩むなー。Zepp Osaka、CD先行の結果がわかるの、イープラスの締切のあとだもんなー。

『ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ』���音楽と人

ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ
音楽と人
USEN  2009-09-15

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 一昨日の夜中、さわおがインタビューされてる番組を二本立て続けに観て、その中でかの有名な「眉毛のない増子さんが待ち伏せしてた事件」を喋ってて、「あ、そういえばオレ、ハイブリ本の感想であのエピソード触れたっけ���」と思ったので改めて。

��������� 山中さわお「で増子さんが言うんだ。『行ったほうがいい。絶対チャンスだし、ちゃんと東京でお前は成功するべきだよ』『俺だったら、メンバーに土下座しても絶対行くね』って」「でもね、後からわかるんだけど、増子さんはすごく察しのいい人でね。俺の言われたいことを言ってくれたんだよ。だからほんとは全然嘘で、増子さんは、もしひとりだけ誘われても絶対行かないタイプだよ。そこだけ嘘をついたの。僕のためにたぶん嘘をついたんだ。」
��������� 増子直純「あの時、もうそっちに気持ちが傾いちゃってる自分を責めてたんだ、あいつは。「それは裏切りなんかじゃないし、自分を責めることじゃないぞ」「まあ、俺だったら絶対行くね」って言ったよ。本当は絶対行かないけどね。」「俺、そんなに音楽的な才能とか素養があるとは思ってないから。」

 増子直純は確かにいい男だ。でも僕はこういう男に憧れないし憧れちゃいけない。増子直純の気持ちに気づいた、さわおに憧れるしこういうふうになりたいなと思う。控えめに言っても僕は増子直純のようなスタンスは常に取れていると思うし「察し」はいいほうだ。けれど、増子直純が嘘をついたのは、詰まるところ自分が「土下座しても絶対行く」ようなタマじゃなかったからだ。そんなのに憧れてちゃいけない。そこそこんところで満足することに憧れるようではいかんともしがたいのだ。やっぱり僕はさわおのスタンスが好きだし、人の気持ちに気づける冒険者になりたいなと思う。

『集中講義���日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』���仲正昌樹

集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)
日本放送出版協会  2006-11

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 放っておけば偏ってしまうから意図的に近寄ることを堪えているもの、ひとつが近代文学でもうひとつが思想・哲学系。なんも考えなかったら延々この二つのジャンルばかり読んでしまう。なのでなるべく避けてたんだけど、最近、どうしても抑えが利かなくなってて数冊読んでおり、今回手に取ったのがこれ。構造主義、ポスト構造主義をちゃんと整理したくなったのと、日本の現代思想について、現代に至る少し手前、安保あたりから整理したくなったのがきっかけ。

 大枠で印象に残ったのは3点。ひとつは「無限」をどう扱うか、という手法の問題。ひとつは「過去の自分をどう否定あるいは清算するべきなのか���」という問題。もうひとつは、やはり現代は「歴史」を求めてるのではないか���という問題。

 最初の”「無限」をどう扱うか���”は、構造主義の「メタ構造」、つまり「ポスト構造主義」の発端についての理解。ポスト構造主義に触れたときの印象はいつも「バラバラになっていく」という感覚で、「私はあなたと違う」式のモノの言い方をする人に対して「ああそうですか。で���」と言ってしまう心情を強化する感覚。なぜ差異が欲しくなるのか、差異があるからなんだっていうのか、別に思想や哲学に触れていなくても、自分の本性に誠実であろうとすれば見えてくるものがある。そこに誠実であろうとしない人に対して、ポスト構造主義の考え方を当てはめてみたくなってしまう。

 次の「過去の自分をどう否定あるいは清算するべきなのか���」は、文字通り転向や転回の問題。日本は特に、戦後の転向を簡単に許した歴史に始まり、あっけなく昨日までの思想・信条を捨ててしまうことに否定的でない。立場が変われば、もっと言えば気が変われば、簡単に思想・信条を変えて構わない。その時々の状況の責任にすることができる。逆に言えば、その時々の自分は「何も考えていなかった」と言える、ということ。ここでも、「わたしはあなたとは違う」式のものを言う人に何か一言言いたくなる。「自分のことを自分のこととしてだけ、表現することはできないのですか���」と。自分のことを表すために誰かを引き合いにだして誰かを貶めて、挙句に後になって「あれは本位じゃない」では引き合いに出されたほうはたまったもんじゃない。僕のものの考え方はこの「胡散臭さ」を突き止め、自分はそれを乗り越えるところが出発点だ。 

 本著を読んで、改めて読みたいと思った書籍���


パサージュ論 (岩波現代文庫)

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表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)
Roland Barthes

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『山椒大夫・高瀬舟』���森鷗外

山椒大夫・高瀬舟    新潮文庫
新潮社  1968-05

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 自分で自分のことを割と近代文学好きだと思ってるんだけど、森鷗外はあまり読んでいなくて、その理由はやっぱり教科書で読んだ『舞姫』だと思う。ちっとも面白くなかったのだ。今読めばたぶん面白いと思うんだけど、教科書で読む『舞姫』というのは、ここに踏み込まないと面白くない���というところに踏み込まないので当然面白くない。『蛍』が受験問題集で読んでどっぷりはまったのとは雲泥の差。

 『プレジデント』で森鷗外の紹介があって、伝記を読むといいと書かれてたんだけど、買いに出かけたジュンク堂では見つからず、代わりにこの『山椒大夫・高瀬舟』を購入。

 『高瀬舟』は安楽死がテーマだ。何よりも驚いたのは、『高瀬舟』が安楽死がテーマの小説だったことであり、この時代から安楽死の問題意識があったことだ。あるいは、もっと昔から当然のようにあったものかも知れない。逆に、苦しんでいる者がいれば安楽死させることが当然であって問題にならない頃もあったのかも知れない。
 喜助は不治の病に苦しむ弟が自害するのを手助けした。字面で書けばそういうことになる。弟は自分の手で剃刀を喉に突き刺したが死にきれず、喜助がその刺さった剃刀を抜いてやることで果てたのだ。喜助は抜かずに医者にかけてやればよかったのか���一命を取り留めたところで不治の病に苦しむ日々が待ち構えているだけだ。喜助に負担をかけているという気の病みとともに。そう思った喜助は、どう振舞うのが正しかったというのだろうか���そしてこれを書いているのが医師でもある鷗外というところに妙があり、縁起まで記されているところが奥深い。
 安楽死を求めるような苦しみが身体に及ぶ苦しみだけなのか、精神的な苦しみは値しないのか���精神的な苦しみによる自害の場合、どちらかと言えば「自害」という行為に至るまで周囲がその苦しみの大きさを測れなかったところに悲しみがあることが多いように思う。安楽死の問題は、それを他人が介助することによる、介助する側の悲しみも問題にあがる。最初に思ったのは、安楽死というのは現代特有のテーマでは全然なかったのだということで、他のたくさんの社会問題と同じく、現代特有だとしたり顔になればなるほど解決から遠ざかってしまっているような遣る瀬無い気持ちである。

『Talking Rock ! 2009年 11月号』

Talking Rock ! (トーキング・ロック) 2009年 11月号 [雑誌]
トーキングロック  2009-10-05

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読みたかったのはザ・クロマニヨンズ…ではなくて、ザ・ピロウズの���������武道館レポ���

レポートもさすがトーキング・ロック���というか吉川氏というか、愛情たっぷりのレポートで、������がかなり正確に再現されてたと思う。ああいうの、ライターの人とかはレコーダー持込できるもんなんかな���もうちょっとページ数があってもいいのになーと思うけどそりゃ贅沢ってもんか。916の前後にピロウズ本とかthe pillows castとか、分量たっぷりの本を読み漁ってるので、916のレポートもどーんと長いのを読んで楽しみたいな���思い出に浸りたいな���という気持ちがあるんだろうな。

写真がよくって、特に、確か「Please Mr.Lostman」のときのだと思うんだけど、スクリーンのあの木がめっちゃ綺麗で���あの写真は見るだけですべてを思い出してうるっときます。


『LIVE ROCKS! Vol.02』

LIVE ROCKS! Vol.02 (シンコー・ミュージック・ムック) (シンコー・ミュージックMOOK)
シンコーミュージック・エンタテイメント  2009-08-27

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 吉井和哉���大阪城ホールとthe pillows���zepp Osakaが載ってる���ということで本屋に行ってみたんだけど、パラパラっと捲ってみて、「これ買うか…���」と躊躇。コレクターなら当然購入、だけど、僕はもういい歳だから、それほどコレクションする熱もないし、ビジュアルものを集めて眺めるようなんじゃないし、レポートは見開き���ページで終わっちゃうないようで写真メインだし、「これは立ち読みでいいだろう」ということでさっと目を通して終えました。写真がほしい人にはいいと思います。 

『完全保存版京阪神アートブック』���京阪神エルマガジン社

L magazine art-京阪神アートブック 完全保存版―関西の美術館・アートスペース最新完全ガイド (えるまがMOOK)
京阪神Lマガジン  2009-04

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���������「京都国立近代美術館 学芸課長 河本信治」
���������
「美術館独自の文脈を作って、それに則ってのロックコンサートであると。」
「なぜ美術館のコンテンツにファッションを取り上げるのか。ファッションを通じて何を読んで何を伝えようとするか。そのプロセスがとても大事だと思います。これをはずしちゃうと、単なる展示施設になってしまう」

ひさしぶりに「文脈の大切さ」に自信を持たせてくれる文章に出会った。コンテクストの大切さ。即席のコンテクストは簡単に見破られ、二度と信用されることはない。どんな些細な決め事でも、そこまでにたどり着くコンテクストを準備しようとしたかどうかは重要だし、その準備の姿勢も問われる。通り一遍の儀礼的な会議で出てきたコンテクストに同意する人間はほとんどいない。コンテクストをコンセプトに変えても同じ。要は、「なぜ私はそう考えるか」を語ることに同じだから。自分の職場では、これを徹底できない。時間をかけて考えるくらいなら付け焼刃で十分、みたいなところがある。

もうひとつ、この文章に惹かれたのは、「これをはずしちゃうと」の一文があるところ。自分の問題としても、「はずしちゃうと」どうなるのかまで答えられないといけない。  

日本経済新聞2009/09/28 @関西「旅の途中」���多川俊英

「じっくり聴く側にまわったらタイヘンだ。饒舌にたたみかける方がダンゼン威勢がいいから、どうしても守勢に立たされる」
「私たちはここら辺りで一度立ちどまり、言葉の有効性や限界、その言葉を介する対話がすべてを解決しないことを、冷静に見定めるべきなのではあるまいか。」

 話すことが得意ではない僕は、いつも口数の多い人に追い込まれて苦労している。「どうしても守勢に立たされる」という辛さが嫌というほどわかる。そして、口数の多い人は必ず「対話が大事」だと唱える。けれど、その「対話」は、「対面して話す」意味しか含まれず、「聞く」時間がほとんど抜け落ちている。「聞く」時間が抜け落ちているのに、それは対話の相手の「話す」努力が足りないからだ、もっとガンガン話して前に出ないといけない、という。この辺りですでに、「対話」を振り翳す人が、実は相手を理解することを重視していない事実を炙り出している。相互に理解するのが対話ではなくて、相互に理解させようとするのが対話になっているのだ。

 なんとなく、話かけられると打ち解けたような気分になることも少なくない。「口を利かない」状態から「利く」状態になると、それだけで一歩関係が進んだようになるし、口を利く相手に面と向かって反対を唱えるのも体力がいるので、そうこうしているうちに「対話」主義者のオシに負けてしまう。聞き手に回ってしまう人間は、絶対的に受身なので対策が難しいが、言えない自分を言えないということだけで引っ込める理由はないということ、言われたら理解しないといけないなどと思わないこと、それを静かに保つことができれば、魂を大切にできる力になると思う。

『ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ』���音楽と人

ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ
音楽と人
USEN  2009-09-15

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 ピロウズの���人の他、岩田こうじ・増子直純・吉村秀樹・吉村由香・yoko・JIRO・ホリエアツシ・細見武士・上田健司・湊雅史・鈴木淳・RYOTA・大木温之・クハラカズユキのインタビューで構成されたヒストリー本。ピロウズの���人については、『音楽と人』2007年6月号掲載分を加筆訂正とあるので、厳密には20周年の今の声ではないけど、真鍋君、シンちゃんの過去に対する思いと現在の思いを読めるのは貴重。ピロウズの歴史をつぶさに知ろうと思えば、デビュー当初からほぼ毎年のインタビューが掲載されている「the pillows cast」のほうが圧倒的な情報量でオススメ、逆に比較的コンパクトに知りたいとか、ピロウズ3人の声を聞きたい���「the pillows cast」はほとんどがさわお単独のインタビュー���という場合は本書が向いていると思います。

 興味深かったのはデビュー以前の活動での繋がりかなあ。すごい有名どころのバンドのメンバーとかざくざく出てきて、やっぱりすごいところにすごい人が集まるのだなあと納得。よいものを作るためには、広い交流とレベルの高い人との付き合いが必要なんだなあ。 

 ������「バカをわからせるためには、ラジカセの前で弾き語りしてもダメだ。」

 何かを成し遂げるためには、その段取りを考える力が絶対必要。自分の独りよがりな努力ではなく、認められる努力。さわおの行動力には敬服。

『the pillows cast [1989-2009]20th Anniversary Special Edtion』

 半年に一度発売されるミュージシャンインタビュー誌『cast』が20年the pillowsを追いかけた軌跡をまとめた一冊。

 さすがに相当な分量で、読むのに相当時間がかかりました。916までに読み終えたかったんだけど間に合わなくて、今日ようやく終了。デビュー当初からほぼ毎年欠かさずインタビューをしている信頼感で、とても密度の濃い内容。20年の歴史をほんとにつぶさに感じることができます。ずっと一貫して変わらないスタンスでいるようで、少し年齢のことを出してみたり、当たり前なんだけどそういう変化みたいなものが、年齢が近い分しみじみわかるもんで、読んでてやっぱり励まされます。さわおは、「君の歌になってくれればいい」と、曲に関してそう言うんだけど、the pillowsの軌跡自体も、僕にとっては大事な羅針盤です。

 言葉になってるのを見て「そりゃそうだよなあ」と納得したんだけど、「もう、次はこれ以上いいものは書けないんじゃないか���」という不安は毎回感じる、とさわおは語っていて、どれだけ自信があっても、その恐怖心というのは乗り越えるべきものとして存在するんだなあとちょっと安心した。それから、2003年のツアーで、ライブ中にぼんやりしている瞬間があったという話、これも「あ、そうなんだ」と。自分にそういうことが起きたことがあるとか、短絡的に言うわけじゃなくて、長い活動の中でアップダウンを繰り返してるのは一緒なんだなーって、そういうのを感じるだけで自分も少し強くなれるもんだなとちょっと驚き。
 
 『the pillows cast』と『Talking Rock!』を読み終えて、じっと思い返して印象に湧き上がってくるのは『Thank you, my twilight』についてです。「折り返し地点を曲がったと思っているけれど、それに悲しんでる訳じゃなくて、サンキューと言える」ってくだり。『Thank you, my twilight』は2002年なので、今から7年前、さわおは33歳���今振り返ってみたら、確かに僕もそのくらいの年に、折り返し地点を曲がったと思ったな、と思う。でも僕はサンキューなんてとても言えなかった。言えないままここまで来ちゃったので、もっと無我夢中になろうと決意しました。