不朽の名作、『赤い河』。
"止まらない いつまでも このくやし涙
理解りあえない 人たちから遠ざかりたい"
(『赤い河』/B'z)
![]() |
THE 7th BLUES Kohshi Inaba B’z BMGルームス 1994-03-02by G-Tools |
”救えない 引き裂かれた心を誰にも
逢ってみたい このボクを求める人に”
(『赤い河』/B'z)
(『赤い河』/B'z)
不朽の名作、『赤い河』。
"止まらない いつまでも このくやし涙
理解りあえない 人たちから遠ざかりたい"
(『赤い河』/B'z)
![]() |
THE 7th BLUES Kohshi Inaba B’z BMGルームス 1994-03-02by G-Tools |
”救えない 引き裂かれた心を誰にも
逢ってみたい このボクを求める人に”
(『赤い河』/B'z)
最近、大学の友人と続けて11年目を迎えたサイトを纏めようと、過去のエントリを読み直してて、ついでにいろんなところに書いてる日記やエントリを振り返り読んでたら、なぜ自分は読書をするのか?という、こんなエントリが出てきた。
もちろん今でもこういう想いをもって読書をするのは変わらない。だけど、これだけじゃない何かが知らない間に生まれてきていたなあ、と少ししみじみしたり。「未知」を求める姿勢は今でも変わらないけれど、何を「未知」と思えるかという視点や角度が、やっぱり圧倒的に増えてるなと自分でも思う。同じ「未知」でも、真裏からとか下からとか見ることもできるし、知ってることでも未知のように扱えたり。でもそれはそんなに大事なことじゃないなと思う。自分が「知っている」と傲慢にもならず卑屈にもならず、ただ淡々と「知っている」と認めることができるようになったことや、それ以外にも「読書について」大事なことが生まれているなと、それこそ淡々と認識できた。
今、少しずつ行先も歩み方も枠を形作りつつあるなか、そのために自分に足りているところ足りていないところを考えてみた:
足りてないこと:
足りてること:
揚げ足は、どんな鉄壁の正論からでも取ることができるもの。そうそう、そもそもおつきあいしてはいけないものだった。
教訓:徒歩でも運転免許証は携行しよう。
いつから山焼きはこんなに日程が自由なカンジになったんだ~?っていうのももう古いか。もともとは成人の日の15日だったと思うんだけど、成人の日が第2月曜になってからというもの、もうしっちゃかめっちゃかに(笑)。山焼きの謂れって定説がいくつもあって定かじゃないものの、それなりの伝統行事のはずなのに、3連休を外したほうが観光客が来てくれる日が増えるからずらしちゃおうとか(かどうかは知らないけど)、どうにもこのフリーダムでいい加減なカンジがわれらが奈良。それもこれも徹底して「いい加減じゃない」ものがあるから安心してできることなんだけど。
そういう訳で、若草山焼きを見に行こう!とCRRを駆り出す。
せっかく奈良まで足を伸ばすので、 ついでに近くのどっかに…と思い、新薬師寺に行こうと。東京出張したとき新薬師寺が「うましうるわし奈良」のCMで使われてたし。HOLGA持って、写真撮りにいって、若草山のふもとまで行って、花火見て山焼き見て帰ってくる、こんなプランだったのでした。
ちなみにHOLGAにつけたNinja Strapは、CRRに乗る分にはぜんぜん役に立ちませんでした!!
という訳で走って1分でHOLGAフロントバッグ入り(笑)。
で、新薬師寺→若草山プランは、早々におじゃんになることに。
久し振りの走りにも拘らず結構快調に飛ばせて、今日はなるべくスピード重視で走ってみようとしていたのでした。308号を快走し、中でも大好きな快走ポイント:三条大路に掛かり、思い切って飛ばしていた訳です。
ふと、前の車がスピードを緩めました。「ん?そこのホームセンターに入るのか?」でもウィンカーは出ません。なんだなんだ??路肩に止めたいのか??三条大路は路肩が広いので停車する車が割とあって、それがときどき走りにくい。「路肩停車はするなよな~」と思いつつ脇を走り抜けようとスピードを挙げだしたところで左ウィンカー!!
「まずい!!」
あーオレこのままこの車に巻き込まれんのかー今更左に逃げてもそのまんま倒れてしまうよなーどうする?いちかばちか走り抜けるか?接触した時点でいくらなんでも気づくからちょっとはスピード落とすやろう…
こんなことを考えながら、僕の右手はその車のドアミラーに接触。右足はボディに接触。が、奇跡的?に通り抜けることには成功、通り抜けてそのまま倒れることもなく停止。CRRは軽く見まわしてみたところはフロントホイールが明後日の方向を向いちゃってるだけで、これはステムを緩めればもとに戻せるハズ。
と、いう訳で危うく大怪我するところでしたがちょっとした掠り傷で済みました。相手の人も悪い人じゃなく、きちんと対応しましたし、警察を呼んで事故対応を済ませました。事故対応のとき、「なにか身分証明書はお持ちではないですか?」と言われ、基本ロードバイクに乗るときは財布も持たないので(定期入れに札を数枚と小銭入れだけ)、何も持ってないことに気づきました。徒歩でも身分証明になるものは持ち歩くべきだなと、健康保険証は持ち歩くべきだなと、得難い教訓を得ました。
教訓:
そう言えば、308号で尼辻を越えたあたりで、「もし前から車が突っ込んで来たら、CRRを離れてフロントボンネットに飛び乗れるかなー体重が重いから、今はできないだろうなー。やっぱり軽いということはいろんな意味で有利になるよなー。痩せよう」とか思ってたところでした。予兆。そして、常に大怪我には至らないような試練をちょっと振り掛けれる我が人生。軽い火傷で「勉強しろよ」と言ってくれる我が人生。
事故調査に思いのほか時間を取られ、冷え切って冷え切って奈良について新薬師寺はキャンセル。JR奈良駅前のサンマルクでブレンドで暖。奈良にいったときはどうもあそこが一服ポイントになる予感。
若草山焼きは東大寺北西の池のとこから見ました。花火、思っていたのより随分と盛大で、長くて、美しかった。睦月の花火、静寂の花火。冷え切った空気の中に上がる花火を、静寂とともに観る。それは割と乙なものでした。あれは毎年観てもいいかも知れない。
今年は10日がお休みだったので、10日の本戎に。僕は堀川戎派です!
”「自分の仕事」を考える3日間”の最終日で、クロージングセッションが終わった後も、参加者がたくさん残っててめいめいお話してて、そこに関わりたかったんだけど、十日戎にお参りするためお暇。
こういうの、世間から見ると奈良県人っぽいと見えるのかどうか判んないけど、僕は結構年中行事を大事にします。初詣だって十日戎だって、言ってしまえば気の持ちようだってもちろん思いますよ。だけど、こういうのが全然無くなった世の中って、なんか侘しいよね。バレンタインだってクリスマスだって構わないから、ほんのちょっとの謂れの知識と、誰かを思いやる気持ちとがそこにあれば、ただはしゃぐだけでも年中行事ってあっていいなって思うんだ。
なんでも「それを思いついた人」の想いというのを聞いてみたいのが性分で、勢いで乾さんに「話きかせてください」とメールしてみたところ、快く引き受けてくださったので、お時間取って頂きました。
いちばん印象に残っているのは、「例えばタツミさんのほうから、図書情報館にこういう協力をしてほしいとか、グループ研修室をつかって何かやってみるとか、どんどん使ってもらったらいい」と仰られたこと。自分が何か行動するということはほとんど頭になくて、そうかそういうふうに考えればいいのかとはっとさせられた一言でした。もちろん何かをするためにはいろんなハードルはあるのでそれは判っていますが、だからといって頭からその選択肢を消していた自分はよくないな、と。
うーん、まったくメモを取らなかったのであんまりうまく纏まりません(笑)。
もう1週間経ったんだなあ。初日から。
初日、車を駆って阪奈を下って大和郡山方面の案内に沿って308号に逸れたとき、その先に見える奈良市一体のすぐ上空万遍なくうす雲のような霞がかかっていたのを思い出す。「たなびく」っていうの?神秘的で胸が騒いだ。
「自分は何をするのか」と考える熱源。
ときどき、3日間で思ったことを、思い出すように書いてみようと思う。
2日目の鈴木昭男さんのセッション、離婚に関する質問を思い切ってしてみたんだけれど、最初の30分のお話を聞いている最中は、全然違うことを考えてた。なぜか、質問しようということだけは最初から思っていて(質問しないという想定はゼロだった)、自分のなかで質問を醸成しながら聞いてた。
当初、頭の中で湧いてきた質問は、「僕は貴方のことが嫌いです」というものだった。
今、世の中には、「自分の仕事にやりがいとか楽しさを感じない」という人がたくさんいる。そういう人たちの中には、自分のやっている仕事に「感謝」を貰えない人達が少なくないと思う。例えば日々送電の保守をやっている人がいたとして、その人の作業がなければ電気を使った便利な暮らしは成り立たないのに、目立った感謝の言葉を貰うことは少ないと思うし、その仕事の話をしても「ありがとう」と言われる局面は少ないと思う。その上、家族にもほとんど日々の働きの感謝を伝えてもらえない人が少なくないように思う。かたや、鈴木さんは、いわば好きなように、好きなことを追究して生きて、こうやって一席ぶって、それで、さっきまで見ず知らずだった鈴木さんに「ありがとうございました」と本気で感謝する人達がたくさんいる。なんで、僕たちは身近な人の頑張りに感謝できないんでしょう?
こういうことを、ぐるんぐるんと考えていた。そしてそのうち、自分は、自分の働きと、生活というものが切り離せないことに気づき、お話を伺った後の3人でのディスカッションで、たまたまお相手が女性2名だったので、
「正直、鈴木さんみたいな男性って、旦那としてはどう思う?」
と聞いてみた。そこから急速に、先に書いた僕の質問はバカみたいになっていって、自分の中での「働く」ことに関する根本的なところにどんどん踏み込んでいって、初めて鈴木さんが語ってくださったことの根本の部分がわかったし、追加で質問して聞いてみないと判らないことも明確になった。
そこでもって、ディスカッションしてくれた女性2名が「質問しなきゃ!」と背中を押してくれたので、いの一番に手を挙げ質問することが出来た。
今思い返してもあれは稀有な体験。原点に立ち戻れたし、「考える」スタート地点に立たせてくれた。
仕事始めの1/4に買ったTHE BIG ISSUE、読んでなかったの思い出して読んでみた。
ドーチカのあのおっさん、そろそろオレの顔覚えてくれてもええような気ぃすんねんけどなー。
全然、覚えてるような雰囲気あらへん。今度買うときはちょっとゆってみよ。「覚えてるかー?」とか。
本誌には、べてるで暮らしている「当事者」の方4名のインタビューが掲載されてる。「当事者研究」の精神が、より具体的にリアルに読めるのでお勧めです。
”言った後で急に 僕は何故だかわからず泣いた”
(『FRIENDS』/B'z)
![]() |
FRIENDS B’z BMGルームス 1992-12-09by G-Tools |
自分の出不精を差っ引いても不思議なもんで、
初日当日の朝、「参加者同士が話し合うように進行する」などといった、前年の記録を思い出しながら、「あーめんどうなもんに申し込んでしまったなーそれも3連休3日とも使ってー」と思っていたのが、昨日のセッションが終わる頃には既に「祭りの後」「宴の後」を思ってメランコリック。
しかしこのイベントは参加した場で刺激を受けたり楽しい時間を過ごしたりするのが狙いのイベントじゃない。だからこのイベントが終わってしまうことを残念がるのは少し筋違い。なにより寂しさに感けて今日のセッションを台無しにしたら意味がない。
最後のまとめで西村さんが仰っていた、「こういうものは区切りをつけてなければならない」という言葉の意味は痛いほどよくわかる。痛い程、というのは心中お察ししますという意味じゃなくて残念で仕方がないけれどそうでなければならないという意味で「痛い程」。何かを感じ意欲が湧いたら、「やってる人じゃないと」とか「思いだけじゃないくて実際にやりだしやり続ける工夫」とか、大事なヒントはいっぱいもらってる。
ほんとうになんだかよくわかんないんですけどこのタイミングで僕はなぜか涙ぐんだんですよ。
関心空間のたかはしさんと話が出来たり、得難い体験を得難い質量でぎゅうぎゅうにインプットした3日間。最初にも書いたけどこれが今日だけのことで終わってしまっては意味がないし、単に楽しいというだけでこのイベントはもちろん関係性をつなげていくだけでは何にもならない。僕が仕事上で悩んでいることは分かりやすくはないけれど表に出しているので、仕事に関する行動や考えの記録をオープンにしていこうと思う。
今日の自分に向かって手を振ろう。
"問題は依然、解決しない
うまい話も基本的にない
明日怖い?怖いのは自分
そんな毎日を生きるのも自分
今日の自分に向かって思い切って
手を振ろう さぁいま 手を振ろう"
(『手を振ろう』/稲葉浩志)
![]() |
Hadou Koshi Inaba 稲葉浩志 バーミリオンレコード 2010-08-18by G-Tools |
いやこのすばらしいイベントがあと1日で終わりなんて。
そして全3回の第3回が終わるということで、もう今後参加できることはないなんて。
参加するだけでは意義はないことは判っていても、なくなるってことは寂しいもんだよね。
元来、早め早めに目的地に移動してしまう性で、
今日は昨日の実績を活かしていくらか遅く家を出たのにそれでも8:20くらいに到着してしまって、駐車場開門の列に並ぶ(8:45開門だった)。休日朝の阪奈道が空き過ぎてんだよ!(笑)
昨日の行きはラジオが流したのがミスチルの『未来』でなんか暗喩的で格好いいのでそれをリンクに貼ってみたけど、今日は帰りのラジオが流したのが槇原敬之の『もう恋なんてしない』でなんかなあ。なのでそれはリンクせず、会場の朝カフェとランチでお世話になってる「庭禾」さんのリンクで。撤収前でディスカウントになったピタサンドを買って帰りました~。
昨日の御三方は「社会活動」「公人」的な色合いが濃淡はあれ共通したところだったけど、今日の御三方はそういう面は少なく(中村さんは「社会問題的な面はあんまり」と仰っていたし)、そういう意味で昨日のように「大上段」に構えたことを考えずに済む分、自分の問題に引き付けやすかった。しかしながら、引き付けやすい分現実的で出口のない話になりがちで難しい面もあった。
待ちに待った”「自分の仕事」を考える3日間”。
ミクシィで「奈良県立図書情報館」コミュを運営しているくらい(と言ってもほとんどトピックも立たないけど)溺愛している奈良県立図書情報館でこんなスゴいイベントをやってたことを、第1回の2009年に知れなかったことを残念に思いつつ、念願の参加です。
車で阪奈道路に乗る前、fm802が流してきたのがMr.Childrenの『未来』で、なんか印象的な。
「生まれたての僕らの前にはただ
果てしない未来があって」
(『未来』/Mr.Children)
| 四次元 Four Dimensions | |
![]() |
Mr.Children トイズファクトリー 2005-06-29 売り上げランキング : 2829 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
全体を通じては、「自分の”働く”ということについて」引き付けて考えることが、多少はできたけどとにかく難しかった。ゲストの方の話の、ご自身の仕事の活動そのものを題材に考える面と、仕事で関わられた対象を題材にする面とがあって、何を主語にして会話すればいいのか、躊躇することがしばしばあった。