- 上々の成果を叩き出した。
- そんなに言うなと言われるなら、まあ言わないでおいてもいいかと思う。
- その他別記。
ちょっと前の話だけど昨年度の会計年度が〆られた。
自分が到達しようとしてきた地点と、会社からの期待との、双方を十二分に満たしたリザルトだった。
恐らく、自分が想定した通りのスケジュールで、このまま行けば今年の下期には狙ったポジションを手に入れられるだろう。
世間一般の会社でいうところの事業部長賞的な賞と副賞も勝ち得たし(これは限りなく不正な匂いがするものではなく、会社としてきちんと認められているもの)、昇給がある可能性もある(基本、うちの会社ではリーマンショック以来凍結されているんだけど)。
もちろんこれが仕事の本質でも醍醐味でもないことは判っている。
けれど、口だけでウダウダ言ってて結局何も出来ていないよりはずいぶんマシだと思うし、そういう輩を見つけたら、このオレのリザルトを見せつけてやりたいという衝動も実はなくはない。
もちろん、タイトルは微妙に『真昼のストレンジランド』にかけている訳です!(微妙すぎ)
『「自分の仕事」を考える3日間」で知り合った前田さんが、ひょんなことからロードバイクやってるということを知り、「じゃあ一度一緒に走りに行ってくださいよ!」とお願いして、そうそうに実現!上の写真、手前が前田さんのロードバイクです。かっちょいい!
僕が奈良、前田さんが京都ってことで、手っ取りばやく京都八幡木津自転車道で嵐山を目指しましょう、ということに。ながれ橋に10時で待ち合わせ。
おもしろいなあと思ったのが、前田さんはロードバイク本体も、ウェアスタイルも、会社の自転車部に入っていらっしゃるだけあって本格的で、僕はあくまで趣味的なので、ロードバイクもクロモリホリゾンタル、ウェアもかなりラフでカジュアル、好対照なのに、やっぱり走ると楽しいんですよね。前田さんのような本格的なツールグループで走ることはできないと思うけど、こういう楽しみ方もあるんだなと。
ながれ橋から嵐山は20km強で、たしかながれ橋をスタートしたのが10:30頃、嵐山に着いたのが12:00前?だから13km/h前後のペース。話しながらなのでめっちゃゆるゆる。とうぜん奈良3、アフター奈良3の話で盛り上がる。で、嵐山で前田さんの元同僚の方が稼業を継いで店長してるというお蕎麦屋さん「なかむら」へ。
この後、13:30ぐらいに西京極近辺で前田さんとわかれ、ひとり生駒に帰り始めた訳ですが、ここからが辛かった…。ここで蕎麦「だけ」を食べたことを後悔することになるとは露程も思ってませんでした。
この直後から、向かい風がとんでもなくきつくて、横から殴られたりすることもあってそんときはハンドルが完全に持ってかれるくらいの強風。木津自転車道は一度走ったことがあって、雰囲気わかっててどれくらい時間がかかるかもわかってるつもりで、完全に油断してた。最近寒さにも慣れて来てたのでパンツの下に防寒具もつけてなくて、50km未満ならそれでも平気だけど、50km越えたあたりから急速に寒さからリカバリーできなくなるってわかってなかった。膝は冷え切る。足も冷え切る。そして向かい風。見る見る疲労困憊に。
そして、蕎麦しか食べてないので体力は落ちる一方!補給食買ってなかったとこもほんとダメでした。
自転車道はその沿線には当たり前だけどコンビニもなんもない。とにかく、最後まで走り切ってしまわないと事態を打開できない。もう必死で泉大橋まで漕ぎぬけて確か15:30くらいだったと思う。ここから163で生駒へ…何度も起伏がある163を、無停止で走り抜けるだけの体力はもう残ってませんでした。とりあえずコンビニでバナナバウムとコーヒーを飲んで、残りの15kmくらいを1時間かけて帰ったんじゃないかな。
教訓:防寒を侮るな!補給食は要らなくても持て!バックツーザベーシック。
そこで新兵器購入!いわゆるホームトレーナーです!ミノウラの、M70-R タイヤドライブ式リモコン付トレーナー 。
ローラー台は高いし、そこまで本格的にやるとも思えないので、負荷装置で負荷をかけるタイプ。組み立ててみたらロードバイクをセットするのもとても簡単で、いい感じ。これで毎朝練習できる!
ウェブで調べてみたら、直近のサイクルイベントは、「第1回六甲山ヒルクライム・チャレンジ in 芦有」という、芦有ドライブウェイを通行止めにして行われるヒルクライム。ヒルクライムはタイム計るんで、一定レベルに達してないとエントリーしづらいし、これで練習しながら出れるかどうか見極めようかな~。
1次会:19:00~21:30@ぐるなび - 創菜ダイニング 卯乃家 梅田 E-MA店
2次会:21:30~23:00@OPEN DOOR B2(大阪駅前第一ビル)
ご参加の皆様お疲れ様でした!スペシャルゲストに図書情報館の乾さんもお招きして、第一回の「アフター2001奈良3」をこんなにも早く、しかも大盛り上がりで実施することができました!!楽しかったです&エネルギー充填です!
鍋料理だった都合上、席の移動がやり辛くてできなかったりとか反省点はありますが、何よりこんなに早く、交流の場が持てたってのが、やっぱりあのフォーラムの求心力の現れなんだろうな~とつくづく凄いな、と思います。僕はこのつながりはほんとに大事にしたいなーと思います。
一次会ではあらぬ角度から結婚観の話になりなぜかレヴィ=ストロースを薦める波乱の展開になったり(笑)、二次会では一介のビジネスマンとしてビジネスのルールに対する想いをこんこんと語る予想外の展開になったり(笑)、これは個人的ですけどみんなそれぞれ意外な展開があったりして充実してたんじゃないかなーと。スペシャルゲスト乾さんの「カルシファー談義」にトドメを刺す、みたいな(笑)。
ただ、幹事(もどき)としては、「あれでよかったんかな」という反省というか内省というか、そういうのはある。西村さんが言った「マジあたたかい場」というのを僕は結構真に受けていて、もちろん底流に同じ思いを持つ仲間との楽しい飲み会というのがあるだけで人生も仕事も変わるけれど、それだけじゃない場もあっていいしあったほうがいいしそんな場になれる可能性を秘めてる場な訳で、テーマとか何かを準備して、もっとうまい、いい方法があったんじゃないかなと。そういうのを期待してた人もいたんじゃないかなと思ったり。せっかくハートに火がついたなら、その火を行先をしっかり見続けていくような。
2回目もやりたいなー。2回目だけじゃなく、続けていきたいなー。
![]() |
もしもし下北沢 よしもと ばなな 毎日新聞社 2010-09-25 by G-Tools |
ほんと「さすが」としか言いようがありません。ここしばらく女性作家の恋愛ものを大量に浴びるように読みたいというテンションが続いてて、先週あたりにジュンク堂ヒルトンプラザ店行って目についたものを買い込んだんですが、その時、「最後に『もしもし下北沢』を読む。たぶん、これ一冊読んだらそれで済んじゃうけど、それもなんなので、いろんなのを読んで、それからこれを読む。」と、そういう方針だった。で、実際そうだった。あまりにメジャーであまりに当たり前に良い作品だけ読むことになっちゃって凝り固まるのはいけないんだろうなあと思っていたんだけど、これだけでいいんだからしょうがないじゃないか、読み終えてそう思った。やっぱりよしもとばななの小説はしっくり来る。なのになんで本作を今まで読んでなかったのか?というと、地名の印象で引っ張るっていうのがあんまり好きじゃないから(笑)。「そんな、下北沢なんかに住めりゃそりゃいいじゃん!そんなんで差異をつくんのって、ずるい!」と思う訳です(笑)。でも、いたずらに下北沢という地名のイメージで押してくるような内容では全然なかった。そこも「さすが」でした。
何が違うって、頭に残る映像が違う。映像というかイメージというか。たいていの作品は、「目に見える」景色がイメージとして描写されていたり、目に見えないものを何かの雰囲気や形を借りて描写したりしている訳だけど、読んでるときは作者が表そうとしてるものが喚起できても、読後にそのイメージはほとんど残ってなくて、粗筋だけが残る。でも、自分が好きだと思う作家の小説は決まって「作者が作品の中で言おうとしたこと」が、(それを僕が正しく読み取れたかどうかは別問題として)イメージとして頭の中に胸の中に心の中に残るのだ。よしもとばななは正にそう。どんな粗筋だったかももちろん残るけど、小説の中に宿っているよしもとばななの人生におけるフィロソフィーとか想いとかそういうのが「イメージ」としてくっきり残るんです。それは言葉にはできないけれど、自分の胸の中では「ああ、あれはこういうイメージの小説だったなあ」というのが、引出の中に大切にストックされる。そういうイメージとともにストックされた作品がたくさんあって、今の自分が、今の自分の考え方や哲学や日々生きるための知恵や工夫やスタンスや強さみたいなのが出来てるんだと思う。
最初に書いておくと、ラストの山崎さんとの下りは、中年男性の僕にとっては、ありきたりの展開過ぎて、つまらなかったというか、なんか予想外の展開で驚かせてほしかったというか、そういう不満はあります。「”品行方正”という意味で正しいということが何か、大人として何かはちゃんとわかっております、判っているということを事前にお伝えしておいて、それでもそれを破ってでも僕はこうしたいんです」式の口説き方に、とりわけ若い女性が弱いということは悔しいくらいわかる訳で、(もちろん山崎さんとよっちゃんの間柄はそんなちゃちいもんではないけれど)その筋に乗っかっちゃったのが少々残念なとこではあります。でもそれを差し引いても、この小説が持つ「切迫感」みたいなのは痛切で痛烈で、切迫感を息切れさせないまま、きちんとある方向に誘ってくれる。そこが「さすが」と賛辞したくなる所以。
「お父さんが知らない女性と心中してしまった」という帯の粗筋だけでは、それがどういうことなのかは半分も書けてないけど、とにかくとんでもなく重たい辛い悲しい出来事があって、残された妻・娘がどんなふうに生きていくかが、基本的に娘・よっちゃんの視点で書かれてる。よっちゃんはひどく丁寧に物事を考え、考え抜いて、行ったり戻ったりを繰り返す。そして、何度も何度も「今はそのときではない」というスタンスが出てくる。「今はそのときではない」。このスタンスは、よしもとばななの小説では結構見かける気がするし、よしもとばななの小説以外ではあんまり見かけないような気がする。「今はそのときではない」。この考え方、哲学、はものすごい重要だと思ってる。今までの自分は常に獣のような、「やれるんなら今やろう」的な生き方をしてきたように錯覚してたけど、「今はそのときではない」こう考えて自重できる哲学をとても大事にして生きてきてたんだなと思う。焦らない、焦らない。いずれ時が来る。そのときはそのときちゃんとわかる。それまでちゃんと待つんだ。自分の周りの環境がそれを待ってくれなかったらそれはそれまでのことなんだ。『もしもし下北沢』が改めて僕に提示してくれたのはそういうことだった。とんでもなく重たい辛い悲しい出来事があったとき、よっちゃんのように行きつ戻りつ、かかるだけの時間をかけて立ち戻っていくのが自然なんだよと。
その人の言葉の、どこに真実があって、どこかに嘘があるのか?誰の言ってる親切が、優しさが、本当の気持ちなのか?欲の裏返しではないのか?自分の弱さが、その裏返しに絡め取られてすり減らしてしまっていないか?間違えたりはしない。
不朽の名作、『赤い河』。
"止まらない いつまでも このくやし涙
理解りあえない 人たちから遠ざかりたい"
(『赤い河』/B'z)
![]() |
THE 7th BLUES Kohshi Inaba B’z BMGルームス 1994-03-02by G-Tools |
”救えない 引き裂かれた心を誰にも
逢ってみたい このボクを求める人に”
(『赤い河』/B'z)
(『赤い河』/B'z)
最近、大学の友人と続けて11年目を迎えたサイトを纏めようと、過去のエントリを読み直してて、ついでにいろんなところに書いてる日記やエントリを振り返り読んでたら、なぜ自分は読書をするのか?という、こんなエントリが出てきた。
- けして理解できないものの存在を認めるため。
- まだ知らない物や事や感情がたくさんあるということを知るため。
- 自分がいかに「知らない」かを確かめるため。
- 僕じゃないのに僕の感情を理解することのできる、つまり、ある人の立場になってその人の感情を書き表すことのできる、そういう能力があることに恐れ戦くため。
もちろん今でもこういう想いをもって読書をするのは変わらない。だけど、これだけじゃない何かが知らない間に生まれてきていたなあ、と少ししみじみしたり。「未知」を求める姿勢は今でも変わらないけれど、何を「未知」と思えるかという視点や角度が、やっぱり圧倒的に増えてるなと自分でも思う。同じ「未知」でも、真裏からとか下からとか見ることもできるし、知ってることでも未知のように扱えたり。でもそれはそんなに大事なことじゃないなと思う。自分が「知っている」と傲慢にもならず卑屈にもならず、ただ淡々と「知っている」と認めることができるようになったことや、それ以外にも「読書について」大事なことが生まれているなと、それこそ淡々と認識できた。
今、少しずつ行先も歩み方も枠を形作りつつあるなか、そのために自分に足りているところ足りていないところを考えてみた:
足りてないこと:
足りてること:
揚げ足は、どんな鉄壁の正論からでも取ることができるもの。そうそう、そもそもおつきあいしてはいけないものだった。
教訓:徒歩でも運転免許証は携行しよう。
いつから山焼きはこんなに日程が自由なカンジになったんだ~?っていうのももう古いか。もともとは成人の日の15日だったと思うんだけど、成人の日が第2月曜になってからというもの、もうしっちゃかめっちゃかに(笑)。山焼きの謂れって定説がいくつもあって定かじゃないものの、それなりの伝統行事のはずなのに、3連休を外したほうが観光客が来てくれる日が増えるからずらしちゃおうとか(かどうかは知らないけど)、どうにもこのフリーダムでいい加減なカンジがわれらが奈良。それもこれも徹底して「いい加減じゃない」ものがあるから安心してできることなんだけど。
そういう訳で、若草山焼きを見に行こう!とCRRを駆り出す。
せっかく奈良まで足を伸ばすので、 ついでに近くのどっかに…と思い、新薬師寺に行こうと。東京出張したとき新薬師寺が「うましうるわし奈良」のCMで使われてたし。HOLGA持って、写真撮りにいって、若草山のふもとまで行って、花火見て山焼き見て帰ってくる、こんなプランだったのでした。
ちなみにHOLGAにつけたNinja Strapは、CRRに乗る分にはぜんぜん役に立ちませんでした!!
- 滑る。ロードバイクのランディングフォームでサイクルウェアであのストラップでは滑る滑る。
- HOLGA自体どえらい軽いので、これも滑る要因。走って3秒で背中から滑り落ちて前に来る。
という訳で走って1分でHOLGAフロントバッグ入り(笑)。
で、新薬師寺→若草山プランは、早々におじゃんになることに。
久し振りの走りにも拘らず結構快調に飛ばせて、今日はなるべくスピード重視で走ってみようとしていたのでした。308号を快走し、中でも大好きな快走ポイント:三条大路に掛かり、思い切って飛ばしていた訳です。
ふと、前の車がスピードを緩めました。「ん?そこのホームセンターに入るのか?」でもウィンカーは出ません。なんだなんだ??路肩に止めたいのか??三条大路は路肩が広いので停車する車が割とあって、それがときどき走りにくい。「路肩停車はするなよな~」と思いつつ脇を走り抜けようとスピードを挙げだしたところで左ウィンカー!!
「まずい!!」
あーオレこのままこの車に巻き込まれんのかー今更左に逃げてもそのまんま倒れてしまうよなーどうする?いちかばちか走り抜けるか?接触した時点でいくらなんでも気づくからちょっとはスピード落とすやろう…
こんなことを考えながら、僕の右手はその車のドアミラーに接触。右足はボディに接触。が、奇跡的?に通り抜けることには成功、通り抜けてそのまま倒れることもなく停止。CRRは軽く見まわしてみたところはフロントホイールが明後日の方向を向いちゃってるだけで、これはステムを緩めればもとに戻せるハズ。
と、いう訳で危うく大怪我するところでしたがちょっとした掠り傷で済みました。相手の人も悪い人じゃなく、きちんと対応しましたし、警察を呼んで事故対応を済ませました。事故対応のとき、「なにか身分証明書はお持ちではないですか?」と言われ、基本ロードバイクに乗るときは財布も持たないので(定期入れに札を数枚と小銭入れだけ)、何も持ってないことに気づきました。徒歩でも身分証明になるものは持ち歩くべきだなと、健康保険証は持ち歩くべきだなと、得難い教訓を得ました。
教訓:
- 常に免許証と健康保険証は持ち歩こう。
- 自転車保険に加入しよう。
そう言えば、308号で尼辻を越えたあたりで、「もし前から車が突っ込んで来たら、CRRを離れてフロントボンネットに飛び乗れるかなー体重が重いから、今はできないだろうなー。やっぱり軽いということはいろんな意味で有利になるよなー。痩せよう」とか思ってたところでした。予兆。そして、常に大怪我には至らないような試練をちょっと振り掛けれる我が人生。軽い火傷で「勉強しろよ」と言ってくれる我が人生。
事故調査に思いのほか時間を取られ、冷え切って冷え切って奈良について新薬師寺はキャンセル。JR奈良駅前のサンマルクでブレンドで暖。奈良にいったときはどうもあそこが一服ポイントになる予感。
若草山焼きは東大寺北西の池のとこから見ました。花火、思っていたのより随分と盛大で、長くて、美しかった。睦月の花火、静寂の花火。冷え切った空気の中に上がる花火を、静寂とともに観る。それは割と乙なものでした。あれは毎年観てもいいかも知れない。
今年は10日がお休みだったので、10日の本戎に。僕は堀川戎派です!
”「自分の仕事」を考える3日間”の最終日で、クロージングセッションが終わった後も、参加者がたくさん残っててめいめいお話してて、そこに関わりたかったんだけど、十日戎にお参りするためお暇。
こういうの、世間から見ると奈良県人っぽいと見えるのかどうか判んないけど、僕は結構年中行事を大事にします。初詣だって十日戎だって、言ってしまえば気の持ちようだってもちろん思いますよ。だけど、こういうのが全然無くなった世の中って、なんか侘しいよね。バレンタインだってクリスマスだって構わないから、ほんのちょっとの謂れの知識と、誰かを思いやる気持ちとがそこにあれば、ただはしゃぐだけでも年中行事ってあっていいなって思うんだ。