『あなたの獣』���井上荒野

あなたの獣
井上 荒野
角川グループパブリッシング  2008-11-29

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 櫻田哲生という男の生涯を描いた、10編の短編。

 構成が『ニシノユキヒコの恋と冒険』に似ている、と気づくほど読み進める前に、雰囲気が川上弘美に似ているな、と思って読み進めたら、途中、村上春樹か、と思わず突っ込みそうになった章があった。それはまあ、学生時代の話でカラダが奔放で仲間が死ぬから、というようなところの安易な連想かもしれないけど、このエピソードで登場する璃子が最終章まで引っ張られてるので、小さくない意義があるのだと思う。

 「あなたは、いつでも、どこにもいなかった。」というのは、男がよく女の人に言われる台詞のひとつだ。じゃあ、女の人は、どうであれば、一緒にいてると思うのだろう���このことを考えると、男の僕は息が詰まりそうになる。完全に言ったもん勝ちのロジックだからだ。その代わりに男という性の持っているアドバンテージはなんなのだろうか���そこを突き詰めていくと、こんなにしょうもない櫻田哲生が、これだけの女性の間を揺らぎながら生きてきた理由にちょっとだけ触れられるような気持ちになる。著者は女性だから、櫻田哲生に女の人が惹かれるところの描写は全部本当じゃないとしても、全部的外れではないだろう。

 金や地位といったもので好かれた女性は、金や地位が無くなったり、金や地位に飽きたりしたら、その男から離れていく。じゃあ、精神的なもので好かれた女性は、その精神に飽きたりしたら、その男から離れていく、ということだろうか���

������「二人で寝るには少し狭いセミダブルベッド」
���������「あなたは、いつも、どこにもいなかった。」
������������「少女は僕の隣に立って、まるで握手でも求めるみたいに、航のほうへ手を伸ばした。」


『チョコレート・アンダーグラウンド』���アレックス・シアラー

チョコレート・アンダーグラウンド
Alex Shearer 金原 瑞人
求龍堂  2004-05

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 選挙に勝利した「健全健康党」は、「りんごさくさく気分をどうぞ」を合言葉に、チョコレート禁止令を出した���町から甘いものがどんどん駆逐されていく。勇気ある少年、ハントリーとスマッジャーは、「健全健康党」に挑戦すべく、チョコレートの密造を始める���

 完全無欠の少年少女冒険活劇。なので、そこに込められている含意とか、解説を待たず読んだ人だれもがピンときて、納得できると思う。これだけ理想的な冒険ストーリーなのに、「水戸黄門」のような偉大なマンネリズムを観る安心感で読み進めるというのではなく、盛り上がりながら面白く読めるのは、健全健康党に立ち向かう手立てのディティールのリアルさと、それぞれの立場の人々の真理のリアルさだと思う。健全健康党に取り入りたいフランキー・クローリーのいやらしさとか、フランキーがそうしようとした理由、それにその理由を知っても用心してしまうスマッジャーの揺れとか、そんなスマッジャーなのにチョコバーを開催できて以降は有頂天になって油断してしまうところとか。どのタイミングでも、どちらか一方に簡単に事が流れない。ここが楽しめるポイントだと思う。

 『ノーと私』を読んだときにも思ったんだけど、イギリスやフランスの児童文学というのは、こんなに社会派なんだろうか���『ノーと私』は若いホームレスがテーマだったし、『チョコレート・アンダーグラウンド』ではアパシーなんかも取り上げられてて、「アパシー」という言葉までちゃんと出てくる。僕が小学生の頃読んだ児童文学で、社会問題を取り上げてたものってあっただろうか���現実の問題を取り上げたものというと、大抵が戦争ものだったように思う。「もう戦争はしてはいけません。こんなに悲惨なことになるのです」という。それ自体はとても意味のあることだと思うけど、それ以外は「夢と希望」みたいな感じだった気がする。もちろん人間にとって最も大切なのは「こころ」だけど、こころの外で何が起きているのかを見つめられないなら、それはただの根性論と同じじゃないか���引きこもりの問題はけして日本だけじゃないから、これと引きこもりを結びつける気はないけれど、こころの外を見つめられる根気というのが、今の空気全体に欠けているような気がした。

 この小説はスマッジャーがヒーローっぽいんだけど、読んでてずっと共感してたのはハントリー。主人公ってどっちかって言うとハントリーじゃないか���と思ってたら、人物紹介はハントリーが1番だった。スマッジャーとハントリーの親はどちらも果敢な親で、スマッジャーとハントリーに協力してくれるんだけど、こういうのを読むと「自分の親とは違うなあ」と一瞬思い、そのあと、いや待てよ、僕の両親も、僕のすることを止めたことなんて一度もなかったな、と、感謝の念がおきる。それだけで、ちょっと自分も成長できたかな、と思える。

���������「「どっちの党も同じようなもんだ。どうしようもない」父さんは言った。���だが、おそらく、同じではなかったのだ。」
���������「悪が栄えるためには、善人がなにもしないでいてくれればそれだけでいい」
���������「出すぎた善行なんてものはよけいなお世話だ。自分の考えを人に押し付けるってことだからな」
���������「多くの人たちはただ法律を守ろうとする市民で、求められるとおりに行動し、トラブルを好まないだけだ」
���������「あの党に「投票してはいなかった」」
������������「時間がたたないとわからないことだ。本屋でも、密売屋でも同じだ���先のことは、決してわからない。その瞬間を生きるしかない。」
������������「今では、おばさんをたしなめたことを悪いと思っていた。」
������������「今の状況でそんなことを言うのは子どもっぽくて恥ずかしい気がした。」
������������「人間らしさがいくらかえも無傷のまま残っている者、同情や哀れみが少しでも残っているものだけが、疑いをもち、あいまいなことに悩む。」
������������「その人の立場になったら自分がどうするかなんて、わからないだろう���」
������������「むりだと思う。そのことは考慮した上で、計画から除外した」
������������「頼みごとをするには最悪のタイミングしか残っていないことがよくある。そのときは、そのチャンスに賭けるしかないのだ。」
������������「若い人たちには、先に立つ者が必要かも知れない。」


ハントリー・リチャード・ハンター
スマッジャー���スティーヴィン���・ムーア
バビおばさん���ドリーン・バビ���
ジョン・ブレイズ
チャールズ・モファット
チョコレート捜査官
フランキー・クローリー
マートル・バーキンズ
キャロル・ハンター
カイリー・ムーア
ロン・ムーア
トリーシャ・ムーア
デイヴ・チェン
トバイアス・マロー


ヤクザマネ

ヤクザマネー
NHK「ヤクザマネー」取材班
講談社  2008-07-01

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���������「ヤクザマネー膨張の背景にあるのは、新興市場を推進した国の規制緩和政策である。」
���������「暴力団が資金を出し、運用はプロのトレーダーに任せる。」
���������「平成18年11月、日本証券業協会は警察庁などの関係機関とともに、証券保安連絡会を設立。」
���������「暴力団組織の男は、実際に、代表者をすげ替えたこともあると話した。それは、大証ヘラクレス市場への上場を目指していたある������企業だという。」
���������「よく顔の知られた現役の国会議員が、そこにいた。」
���������「何事も基礎固めが重要なのだ。」
���������「お互いの力量を計り合ったところで、本題を切り出した。」
���������「アパートの男性の背後に隠れていた裏の男。違和感の正体はこれだった。」
���������「この手の業界では知らぬ者はいない、大物の金融ブローカーである。���高木に取材した時点では、別の経済事件で東京地検特捜部から指名手配され逃亡を続けていた。手配の容疑は証券取引法���いまの金融商品取引法���違反の「風説の流布」。」
������������「ゼクーの元監査役、山本国貞氏」
������������「小川が逮捕された������平成������年秋」
������������「あの会社なんて全部暴力団のカネですよ。そこの会社を取材すればいいじゃないですか」
������������「我々がファンドで扱っているカネのすべてが暴力団のカネだっていうのなら話は別ですよ」
������������「田岡三代目組長は資本金���������万円で神戸芸能社を立ち上げ、戦後の庶民のわずかな楽しみのひとつだった歌謡界、芸能界をみずからの資金源にしようと動き出す。」
������������「やはり、流動性のある東証一部とか基本的に流動性の高い株に投資するのがまともなファンドであって、新興市場の国際的に名も知られていないような会社の株に投資する海外ファンドというのはどう見てもおかしい」


『THE BIG ISSUE JAPAN 117』

 「毎日が音楽」という、浅井博章のCDレビューコラムを毎号楽しみにしてるんだけど、���������号は上松秀美と加藤ミリヤが取り上げられてた。「心の闇と希望。閉塞感漂う今の時代のメッセージソング」というタイトル。上松秀美は、それこそ浅井博章もDJをつとめる802で耳にして「なんだこれは������」とびっくりしたくらい、メッセージ色の強い、それでいて唄いが今っぽくない、異色のインパクトの曲だった。
 浅井は、彼ら世代を、「物心のついた頃からすでにバブルが崩壊していた人たち」で、「この国に何の希望も、何の誇りも、見出せないでいるのかもしれない」と、理解の目を向ける。そして自分たちは、「一度でも景気のよかった時代を経験している」から、「目標がもてるだけまだましだ」とする。
 その上で、こう結ぶ。「最近の曲を聴いていると、少なくとも自分がそういう年代だった頃の曲にはあまりなかったような、諦念まじりのメッセージが感じられて、空しくなることがある」。

 「浅井っていくつだっけ���」と、コラムの紹介欄を見て驚いた。同い年なのだ。

 僕は、僕らの世代というのは、ずっと諦めが混じった世代だと思っていた。若くして覚めてしまったというか、そういう世代だと思っていた。ところが浅井の話を聞く限り、そうでもないらしい。これは個人的なものだったのだろうか���今の20歳前後の人たちと同じ諦念とは言わないけど、僕らの世代というのも、十分、この先にそれほど楽しいことがあるとは思えない、と思わされて社会に出さされた世代だと思ってたのだ。

 このあたりは即物的だけどバブルとどうしても紐づくのは否めない。目標ももてないような時代に生まれた世代の子たちが、何に憧れを抱くのかはちょっとわからないけれど、それでもやっぱりお金に目が眩むのだろうか���

『35歳から仕事で大切にしたいこと」���村井勉

35歳から仕事で大切にしたいこと―これからさき、成長していくために
村井 勉
あさ出版  2005-03

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������「最近の本はあまりに親切すぎて」
������「ミドルクラスというのは、己の頑張りだけではどうにもならぬ、と悟ることなのだ」
���������「ミドルクラスになるとどうしても”事なかれ主義”になりやすい」
���������「彼のアイデアが素晴らしいのは自動車学校に目をつけたことだ」
���������「同じ人物をいい面から見てみると必ず別の能力が発見できると思う」
���������「社員のやる気を失わせる要因として「甘え」「見栄」「ずるさ」「臆病」「寄りかかり根性」「知恵なし」…「会社に甘えた上司」「見栄をはる上司」…」
���������「会社の数字はトータルでは黒字だが実際の本業では赤字なんだ」
���������「アメリカは経営者と労働者は契約で結ばれていて、それを安易にかき回すと、組織の統制がとれなくなってぐちゃぐちゃになってしまうから」
������������「ミスの処理がうまい人というのは、オールラウンドな能力をもった人」
������������「「それは絶対に売れるのか���」「感覚だけでものを言ってもだめだ」「それが売れるという根拠は���」「データを示せ」「類似商品の前例はないのか���」これらのセリフはある意味禁句  
������������「ゆとりとけじめが必要」
������������「しかし限度には自分で責任を持つというのが無執」
������������「プロデュース能力というのは表に名前がなかなか出るものではないが、これからの時代ミドルクラスにもっとも必要な能力」
������������「それは値下げを納入業者にお願いすること」
������������「アメリカでは信用機関の仕組みが非常に発達」
������������「「自分が望んだものを手に入れられないことは不幸だ」と決め付けている」
������������「踊り場で学んだことは次のステージに活用しなければ意味がない」

『光』���三浦しをん


三浦 しをん
集英社  2008-11-26

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 津波で全滅した美浜島で生き残った信之・実花・輔の三人の少年少女。その天災の最中の秘密が、二十年後再会した彼らを動かしていく。

 家庭を持つ信之が、家を捨てる覚悟で行動を起こした後の展開の消化不良がいちばん印象に残る。津波という避けようのない災難、父親の暴力という逃れようのない災難、そういったものを纏いながら生きてきた信之と輔が行き着いた後の描写としては物足りない。二週間も家を空けて、捜索願も出して、周囲にも気づかれて、そこまでの騒ぎの後、信之の妻の南海子が帰ってきた信之を受け入れた過程は、この本のテーマとは違うから簡略でよいのかもしれないけれど物足りない。夫の不在時の南海子の動揺は詳細に描かれているのに、不在が解消された後の心の動きが省略されているのは妙だと思う。

 この本の大きなテーマは「理不尽」だと思う。人生にはたくさんの理不尽な出来事があって、それをどう解釈すれば生きていけるのか、というテーマだと思う。津波で島と愛する実花を失った信之が、「究極的には、自分を空腹に追いやったものを探して殺して食って飢えを満たすか、空腹を受け入れて死を待つか、どちらかしかないはずだ。」と語り、行き着くところまで言ってしまう。人は誰でも、極論すればこの信之の言葉の通りだけれどこういうふうに極論してはいけない、ということだけはわかっている。なぜこういうふうに極論してはいけないのか、こういうふうに極論せずに、どういうふうな考えを持つべきなのか、そこを考えるのが重要なのだろうが、『光』ではそこには余り触れられない。行き着くところまでいった信之が、その行き着くところまでいこうと思った「理由」に、うっすらわかってはいたけれど裏切られ、根底を否定されて、家に帰る。そこで何をどう考えたかは触れられない。だから、最初に書いたように、物足りなく感じるのだと思う。

 それと、嫌になるくらいいろんなところで登場して、嫌になるくらいその度書き留めるんだけど、南海子の「夫は本当に、私がなにを求めているのかわからなかったんだ。愛し、頼りにする相手と、ただ話しあいたい。」という台詞に代表されるような女性の感情。こういう感情を女性が持つもんだというのは否定しないけれど、男性は男性で、「だからどうするのか���」という具体性を大事にする生き物だ。「共感」の重要性だけを押し付けるような人は、違う立場の考えを慮れないという意味で、人間的に成長はないと思う。

���������「だけど知らんぷりをする以外に、どんな方法があるだろう。」
���������「何度も言ってるんですけど、なかなか難しいらしくて」
���������「言葉の通じないものが現れると、不安と憤りで息が詰まった。」
������������「会社にいても出世できるわけではない。」
������������「夫は本当に、私がなにを求めているのかわからなかったんだ。愛し、頼りにする相手と、ただ話しあいたい。」
������������「九段下 グランドパレス ������������号室」
������������「複雑で奥深くなかなか正体を現さない心と体を持つ女を抱くのがこわかった。」
������������「おまえの浮気相手だとよ。」
������������「殺して生きる。だれもがやっていることだ。」
������������「究極的には、自分を空腹に追いやったものを探して殺して食って飢えを満たすか、空腹を受け入れて死を待つか、どちらかしかないはずだ。」
������������「かわいげのない子。大人の顔色を卑屈にうかがってばかりいる。」


WEDGE 2009年4月号

官僚たたきはもうやめよう 公務員改革が国を滅ぼす

「官僚」と「公務員」を同列の言葉として使うのがどうも感覚的にあわないんだけど、なんにせよここで言われているのは「政治家を変えるほうが先だ」という話。確かにそうかも知れないが、公務員自身が自己改革できない組織だし、無駄を自ら削減することのできない組織というのは事実なので、政治家のせいにすればいいというほうがよほどおかしい。

『別れのあと』���小手鞠るい

別れのあと
小手鞠 るい
新潮社  2009-01

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 「別れ」がテーマとなった短編集。長編だと思って買ったら、『別れのあと』『静かな湖畔の森の影』『婚約指輪』『この河の向こう岸』『はなむけの言葉』の5編の短編集だった。

 『別れのあと』の浜田修司の男っぽい嫉妬深さというのもよく理解できるけれど、この本で最も体に���頭というよりも体に���取り込まれていったのは『婚約指輪』と『この河の向こう岸』だった。『静かな湖畔の森の影』にもその要素はあるのだけれど、途中から方向が微妙に変わってるので、それほど印象に残ってない。それに対して『婚約指輪』と『この河の向こう岸』は、はっきりと印象に残る。誰かに遠慮してはいけないしする必要もないのだということ、わかってもらえないのは自分が悪い訳ではないのだということ、そして何よりも、僕は先を急いだほうがいいのだということを、不意に悟らされるような内容だった。そういう方法があるのだ、と。別れのあとには何も残らないのか���何も残らないのが別れということなのか���そういうことを結論に性急にならず前に進んでいかないといけない。

 小手鞠るいの作品は、登場人物が外国を行き来する話が比較的多い。この短編集もそうだが、これもまた僕に先を急がせる奇妙なセレンディピティだったように思う。わかってもらえなければ、それでいいのだ。

���������「あの頃、私たちの太陽は、いったいどのあたりに在ったのだろう」
���������「アメリカはわたしを解放してくれた。自由にしてくれた。」
������������「わたしはもう二度と、あなたを失うことがない、ということ。」
������������「俺らも同じものを頼むのが礼儀というものやないか。」
������������「そこから先には、不可能な行為というのは、ない。」


『ROCKIN'ON JAPAN 2009年 04月号』

ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 04月号 [雑誌]
ロッキング・オン  2009-03-19

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 吉井和哉の『VOLT』全曲解説と細美武士ソロ第一声が読みたくて買ったんだけど、フィッシュマンズの『空中キャンプ』のレビューが素晴らしすぎた。あまりに素晴らしいので、ほんとに申し訳ないと思うしまずいことだとも思うんですが、全文引用したい。

●伝説ではなく事実のバンド
 佐藤伸治が亡くなって以降のフィッシュマンズの世の中での扱われ方になんとなくずっと違和感がある。どうもそこには、積極的にフィッシュマンズという伝説の灯を絶やさないようにする、フィッシュマンズ愛好家たちの連帯感のようなものが存在しているような気がしてならない。でもかつて僕が彼らの音楽から受け取っていたメッセージは、どうしてもそういうムードと馴染まないのである。
 僕の中で、フィッシュマンズは最も世の中の理屈を誰よりも毅然と、しかも非戦闘的に拒否したバンド。正確には、96年のアルバム『空中キャンプ』において、時計やカレンダーに区切られた時の流れから完全に「離脱」してそうなった。その前のアルバム『ORANGE』に満ちていた日差しをにらみ返すような刺々しさが消え、「君」の体温だけが感じられる永遠の夜を選び取ったのが『空中キャンプ』以降の彼らだった。今のフィッシュマンズの扱われ方に欠けていると思うのは、その「拒否」の姿勢。この音の中は優しくて暖かい。しかし、そこは集う場所ではなく、この世から消えるまで「君」とだけいる場所なのである。

 このレビューは心底感動した。僕は、そんなにフィッシュマンズに入れ込んだクチではない。どちらかというと遠ざけていたところがある。なぜ遠ざけていたかというと、このレビューで見事に言葉にされている、「拒否」の姿勢にある。僕は、自分の思っている感情を、その感情に一般的に似つかわしい表し方でしか表せない、そうしないと気持ち悪くなるタイプの人間だ。だから、フィッシュマンズのような「拒否」の仕方は、やりたくてもできないし、「ずるい」とさえ感じてしまう。けれど、そのやり方を「否定」しようと思ったことは一度もない。その点で、僕もフィッシュマンズのやり方と共通のものを抱いているに違いないと思う。
 そして、このレビューが、フィッシュマンズを正しく言い表しているかどうかはわからない。けれど、「集う卯場所ではなく、この世から消えるまで「君」とだけいる場所なのである」というこの「君」の概念。この「君」の概念が語られた文章を久し振りに目にして、目頭が熱くなったのだ。  

『CHICAライフ』���島本理生

CHICAライフ
島本 理生
講談社  2008-06-27

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 島本理生が2003-2006年の間、『ViVi』に連載したエッセイを集約し加筆・訂正されたもの。

 この本については、失礼を承知で本音を書きたくてしょうがないので、書いてみる。島本理生は『ナラタージュ』でハマッて以来大好きな作家で、 結構読んでる。作家のエッセイにはあんまり興味のないほうというか、手を出さないようにしてたほうなんだけど、島本理生はエッセイも読んでみたいと思ったくらい、好きな作家なのです。それを前提で書くと、僕の中では島本理生って、若くして『ナラタージュ』のような、重層的な恋愛小説を書ける力量を持った凄い作家と認識してて、そういう作家というのは、天才というか、とんでもない文学的才能を持ち合わせて生まれてきて、とんでもなくアタマも良くて、高学歴で仕方がないんだろうなあというイメージがあった。僕は自分のことそんなにめちゃめちゃアタマが悪いとまでは思わないんだけど記憶力は悪いし論理的思考にも欠けるので���ってことはやっぱり悪いのか…���、なんだかんだ言ってやっぱりレベルの高い大学にいってる人の能力というのは高くて叶わないもんだ、と思ってる。そして、島本理生もそうだと信じて疑ってなかった。そんななかでも文学を志す人というのは、とても高尚に色気も纏まっていて早熟な恋愛に身を染めているか、文学オタクではないけれど、あんまり実恋愛と縁のない生活なのかどちらか、と思ってた。

 ところが、だ。『CHICAライフ』を読んで、ひっくり返った。ムチャクチャなのだ。母親が名を成している舞踏家・鍼灸師ということで、一般庶民と違う親交や情報の入り方の素地というのが子ども時代からあったと思われるけれど、それでも僕の中の「文学を志す人」の特殊なイメージとはかけ離れた一般人加減。高校時代の思い出の記述は、30代後半の僕の目線で、自分の高校生時代のことを思い出しながら読めば、君はヤンキーか���と思わずにはおれないむちゃくちゃ加減だし、なんとすれば一体どれだけのサイクルでつきあってるんだ���と疑問に思うくらいつきあってるし、すぐ同棲してるし、もう少し遡って中学生の頃は活字耳年間だったなんていってるし、おまけに大学に関して言えば、もちろんレベルの高い大学ではあるけれどもどちらかというと一般的な範疇に入る大学で、その上中退してる���更に言うと、もう結婚もしてた���

 とにかく、今まで、物事を決めつけで見てはいけない、と常々心がけながら生きてきたつもりだけど、こういう角度の「偏見」というのも存在するものなんだ、と気づかせてくれた一冊に違いない。島本理生は文学エリートではなくて、現代の無頼派だった。どんなやり方であれ、経験値はやっぱり多いに越したことはないのだ。その教訓を生かそうとしても、僕の年ではもう、あまりに無茶なことをやってはただの非常識になってしまうので、無茶なことのやり方も考えなくてはいけないけれど、なるだけやってみようと思う。

���������「突然ふられて現実を受け止められないときって本当にこんな感じだなあ���������としんみりしてしまう」
���������「オルセー美術館はルノワールやゴッホなど、日本人にはなじみの深い画家の絵が多くてオススメである」
���������「もう地球がまわってるのに、なんで私まで回転しなくちゃならないのよ」
���������「その後も仕事を優先したために、四年で卒業できる見込みがなくなったので、大学は中退した」
���������「それを考えると、まだ自分で選ぶよりは占いに選んでもらったほうが」
������������「その後、頂いた一本が、モエ・エ・シャンドンだった」
������������「仕事以外で赤の他人とコミュニケーションを取ることを極端に嫌う」
������������「相手の気持ちが知りたいけど怖いから、などと言い続ける彼女に私が業を煮やして」
������������「電池一本でも惜しい」
������������「ややこしい自意識が発動してしまう」