ナカノシマ大学2011年2月講座「大阪から考える『移行期的混乱』」に行ってきました

2/18、大阪市中央公会堂で開催された、ナカノシマ大学2月講座に行ってきました。リナックスカフェ代表の、平川克美氏と、平松大阪市長の公演・対談。
全体を通した一番の感想は、

  • 平松市長は最後まで「大阪の失敗は(国とか)他の誰かのせい」という言い方を崩さなかったのに対し、平川氏は人口減にしても家族の崩壊にしても「でもそれは自分達が望んでやってきたことなんだ」というスタンスを崩さなかった。この違いは大きい。

ということ。大阪は結局、なんかうまい話をどっかから持ってきたらええんや、という発想が染みついている。それは結局「じぶんごと」ではないし、「じぶんでなにかやった」という感触につながってない。「うまいこといかへんかったらなげてもたらええ」というくらいならまだマシで、しょせん身銭を切ってないので対して痛くもかゆくもないから「たにんごと」みたいな浮遊感覚でずっとやってきてると思う。それに対して平川氏は、平松市長が引き合いに出した、地域コミュニティ(町内会)の崩壊にしても、「そういうベタベタした付き合いが嫌で、好き好んで壊してきた」「自分達が望んでやってきたことだ」と認識する。つまり「じぶんごと」だ。どのような結果であれ、その責任(の一旦)は自分たちにある-この発言が出来るかどうかで、その人が何を成しうるかが、わかるような気がする。

その他細々と:

  • 「人口減では経済成長する訳がない」というが、じゃあ日本の人口が1900年レベルまで減ったら、GDPもそこまで減るのか。減る訳ない。なぜか。生産性が上がっているからだ。ということはつまり、経済成長しているということじゃないのか。と思っていたら最後の方で「一人当たりGDP」という概念が出てきた。つまり、「人口減時代の経済戦略」は、「一人当たりGDPの成長を目指す」といういい方ならOKだったということか?
  •  人口が減るのに需要が増える訳がない
  • 週休二日に関して、他国から「働き過ぎだ」という揶揄と論法でそれを取り上げられそうになったとき、心身を壊したり家族を顧みないという側面での端緒を改善しないといけないのはともかく、「熱心に働いて何が悪いのか」と言い返せなかった当時の現役世代たちが、元凶じゃないのか?「そうです僕たち働き過ぎです」と言っちゃったヤツらが元凶じゃないのか?
  • そして、真に受けた国民が働かなくなって割を食い、その分を密かに働き続けたヤツが吸い上げる、という構図が出来てしまったのではないか。
  • 中央公会堂に関して、「こういうものは壊してしまったら二度とできない」って、「二度とできない」なんて言ってるうちはまだ「歴史」の認識が甘いと思う。奈良なんて、そういうのが「在って迷惑」というレベルまで経験してる。
  • 家族の崩壊に関して、「自分達が望んで壊しちゃったけど、でもやっぱりああいうものがいる」と、あなたたちが言うのは許されないと思う。少なくとも僕たちはそれを壊したことによる恩恵をあまり受けてない。これは先進国と途上国の問題にも似てて、納得させられるようなことをあの世代が言えるかどうかだ。

リザルト

ちょっと前の話だけど昨年度の会計年度が〆られた。
自分が到達しようとしてきた地点と、会社からの期待との、双方を十二分に満たしたリザルトだった。

恐らく、自分が想定した通りのスケジュールで、このまま行けば今年の下期には狙ったポジションを手に入れられるだろう。
世間一般の会社でいうところの事業部長賞的な賞と副賞も勝ち得たし(これは限りなく不正な匂いがするものではなく、会社としてきちんと認められているもの)、昇給がある可能性もある(基本、うちの会社ではリーマンショック以来凍結されているんだけど)。

もちろんこれが仕事の本質でも醍醐味でもないことは判っている。
けれど、口だけでウダウダ言ってて結局何も出来ていないよりはずいぶんマシだと思うし、そういう輩を見つけたら、このオレのリザルトを見せつけてやりたいという衝動も実はなくはない。 

アフター「アフター2011奈良3」 #jbnsgt3

1次会:19:00~21:30@ぐるなび - 創菜ダイニング 卯乃家 梅田 E-MA店 
2次会:21:30~23:00@OPEN DOOR B2(大阪駅前第一ビル)

ご参加の皆様お疲れ様でした!スペシャルゲストに図書情報館の乾さんもお招きして、第一回の「アフター2001奈良3」をこんなにも早く、しかも大盛り上がりで実施することができました!!楽しかったです&エネルギー充填です!

鍋料理だった都合上、席の移動がやり辛くてできなかったりとか反省点はありますが、何よりこんなに早く、交流の場が持てたってのが、やっぱりあのフォーラムの求心力の現れなんだろうな~とつくづく凄いな、と思います。僕はこのつながりはほんとに大事にしたいなーと思います。

一次会ではあらぬ角度から結婚観の話になりなぜかレヴィ=ストロースを薦める波乱の展開になったり(笑)、二次会では一介のビジネスマンとしてビジネスのルールに対する想いをこんこんと語る予想外の展開になったり(笑)、これは個人的ですけどみんなそれぞれ意外な展開があったりして充実してたんじゃないかなーと。スペシャルゲスト乾さんの「カルシファー談義」にトドメを刺す、みたいな(笑)。

ただ、幹事(もどき)としては、「あれでよかったんかな」という反省というか内省というか、そういうのはある。西村さんが言った「マジあたたかい場」というのを僕は結構真に受けていて、もちろん底流に同じ思いを持つ仲間との楽しい飲み会というのがあるだけで人生も仕事も変わるけれど、それだけじゃない場もあっていいしあったほうがいいしそんな場になれる可能性を秘めてる場な訳で、テーマとか何かを準備して、もっとうまい、いい方法があったんじゃないかなと。そういうのを期待してた人もいたんじゃないかなと思ったり。せっかくハートに火がついたなら、その火を行先をしっかり見続けていくような。

2回目もやりたいなー。2回目だけじゃなく、続けていきたいなー。

理解りあえない 人たちから遠ざかりたい

不朽の名作、『赤い河』。

"止まらない いつまでも このくやし涙
理解りあえない 人たちから遠ざかりたい"
(『赤い河』/B'z) 

B00005F5AY THE 7th BLUES
Kohshi Inaba B’z
BMGルームス 1994-03-02

by G-Tools

”救えない 引き裂かれた心を誰にも
逢ってみたい このボクを求める人に”
 (『赤い河』/B'z) 

この曲ほど、「わかりあえない人たちから遠ざかりたい」なんて言葉を、積極的な響きに聴かせてくれるものはないし、今後も出てこないと思う、僕に取っては。普通、「わかりあえない人たちから遠ざかりたい」なんて言い草は、許されるものではない。でもこの曲が言っている「遠ざかりたい」というのは、ほんとうにほんとうにほんとうに言葉を尽くし切ってもうこれ以上ないというところまでやったというある種の諦観、そして、やっぱり「遠ざかりたい」とは思ってなくて、なんとかしてわかりあって「このボクを求める人に」「逢ってみたい」という切実な想い。

僕は、何があってもこの思いが理解できない人とは本当の意味で友達にはなれないな、とずっと思ってきた。
そして、一度は判りあえたようでも、本当には判りあえてなかったんだなという辛さも知っていた。

この曲が、「遠ざかりたい」なんて言っているのにそれを積極的な響きに変えるのは、一にも二にもサビの世界観だ。

”FIND ME NOW 宇宙の果ての惑星で 悩むボクを
笑えよ 途絶えることのない命を震わせ
小さなヒトの苦しみもまた塵のよう
帰るよ 限られた自由を叫びまくろう 赤い河よ”
 (『赤い河』/B'z) 

泣けてくる。僕はできる側にいたい。できるヤツになりたい。誰かに縋って生きていくような輩にはならないし、そんな輩と近しくなりたくない。

 

 

読書について

最近、大学の友人と続けて11年目を迎えたサイトを纏めようと、過去のエントリを読み直してて、ついでにいろんなところに書いてる日記やエントリを振り返り読んでたら、なぜ自分は読書をするのか?という、こんなエントリが出てきた。

  • けして理解できないものの存在を認めるため。 
  • まだ知らない物や事や感情がたくさんあるということを知るため。 
  • 自分がいかに「知らない」かを確かめるため。 
  • 僕じゃないのに僕の感情を理解することのできる、つまり、ある人の立場になってその人の感情を書き表すことのできる、そういう能力があることに恐れ戦くため。 

もちろん今でもこういう想いをもって読書をするのは変わらない。だけど、これだけじゃない何かが知らない間に生まれてきていたなあ、と少ししみじみしたり。「未知」を求める姿勢は今でも変わらないけれど、何を「未知」と思えるかという視点や角度が、やっぱり圧倒的に増えてるなと自分でも思う。同じ「未知」でも、真裏からとか下からとか見ることもできるし、知ってることでも未知のように扱えたり。でもそれはそんなに大事なことじゃないなと思う。自分が「知っている」と傲慢にもならず卑屈にもならず、ただ淡々と「知っている」と認めることができるようになったことや、それ以外にも「読書について」大事なことが生まれているなと、それこそ淡々と認識できた。

今、少しずつ行先も歩み方も枠を形作りつつあるなか、そのために自分に足りているところ足りていないところを考えてみた:

足りてないこと:

  • 度胸
  • 正確性、微細性、厳密性
  • 失敗の数

足りてること:

  • 包容力
  • 想像力
  • 求心力
揚げ足は、どんな鉄壁の正論からでも取ることができるもの。そうそう、そもそもおつきあいしてはいけないものだった。

ホンエビス十日戎

今更ですが十日戎の話。

今年は10日がお休みだったので、10日の本戎に。僕は堀川戎派です!
”「自分の仕事」を考える3日間”の最終日で、クロージングセッションが終わった後も、参加者がたくさん残っててめいめいお話してて、そこに関わりたかったんだけど、十日戎にお参りするためお暇。

こういうの、世間から見ると奈良県人っぽいと見えるのかどうか判んないけど、僕は結構年中行事を大事にします。初詣だって十日戎だって、言ってしまえば気の持ちようだってもちろん思いますよ。だけど、こういうのが全然無くなった世の中って、なんか侘しいよね。バレンタインだってクリスマスだって構わないから、ほんのちょっとの謂れの知識と、誰かを思いやる気持ちとがそこにあれば、ただはしゃぐだけでも年中行事ってあっていいなって思うんだ。

今年の御神籤は大吉でした!春日大社の「2枚の中吉」(まったく同じ内容の御神籤を2枚引いた)も悪いこと書いてなかったし、なかなか好調な出だしですな。笹はいつものようにフル装備で熊手だけ別。そんなけったいなオーダーするヤツは僕だけなのだ。 

図書情報館乾さんとお話させて頂きました #jbnsgt3

なんでも「それを思いついた人」の想いというのを聞いてみたいのが性分で、勢いで乾さんに「話きかせてください」とメールしてみたところ、快く引き受けてくださったので、お時間取って頂きました。

いちばん印象に残っているのは、「例えばタツミさんのほうから、図書情報館にこういう協力をしてほしいとか、グループ研修室をつかって何かやってみるとか、どんどん使ってもらったらいい」と仰られたこと。自分が何か行動するということはほとんど頭になくて、そうかそういうふうに考えればいいのかとはっとさせられた一言でした。もちろん何かをするためにはいろんなハードルはあるのでそれは判っていますが、だからといって頭からその選択肢を消していた自分はよくないな、と。

  • 3回とも雰囲気が違ってて、特に第2回と第3回は雰囲気がずいぶん違っていたと仰っていた。第3回は第2回に較べておとなしかったそう。第2回のときはそれこそ毎晩あちこちで夜通し飲んでるようなグループがたくさんあったそうだ。
  • このフォーラムに触発されて、参加した個々人が何かにつなげていけばそれでよい。小さいコミュニティが生まれるならそれもまたよし。第2回の参加者で、そういう活動を続けてる人達もいるとのこと。
  • 乾さんご自身は、こういうフォーラムがあっても参加するかどうかは微妙と仰ってて、それはなんか、こういう企画を立ててやり通した方としてよくわかる気がした。その他のことに関する御発言も含めて、徹頭徹尾リアリズムだと思う。
  • 山本ふみこさんのセッションに関する感想が深かった。
  • 企画・集客を考えられるスタンスの現実的な視点。例えばこの3年間は地元観光に貢献していたり、歴史もの企画であれば集客は読めたり。母数の多さは無視できないということであったり。
  • カルシファーの話。
  • やっぱり過去2回との違いというのが印象深かった。自分が出た回だからひいき目があるのかも知れないけど、僕は第3回はかなりよい意味でシリアスだったと思う。あまり重いことがよいのか悪いのかという議論はあると思うけれど。

うーん、まったくメモを取らなかったのであんまりうまく纏まりません(笑)。

鈴木昭男さんに最初質問しようと思っていたこと #jbnsgt3

もう1週間経ったんだなあ。初日から。
初日、車を駆って阪奈を下って大和郡山方面の案内に沿って308号に逸れたとき、その先に見える奈良市一体のすぐ上空万遍なくうす雲のような霞がかかっていたのを思い出す。「たなびく」っていうの?神秘的で胸が騒いだ。

「自分は何をするのか」と考える熱源。
ときどき、3日間で思ったことを、思い出すように書いてみようと思う。

2日目の鈴木昭男さんのセッション、離婚に関する質問を思い切ってしてみたんだけれど、最初の30分のお話を聞いている最中は、全然違うことを考えてた。なぜか、質問しようということだけは最初から思っていて(質問しないという想定はゼロだった)、自分のなかで質問を醸成しながら聞いてた。

当初、頭の中で湧いてきた質問は、「僕は貴方のことが嫌いです」というものだった。

今、世の中には、「自分の仕事にやりがいとか楽しさを感じない」という人がたくさんいる。そういう人たちの中には、自分のやっている仕事に「感謝」を貰えない人達が少なくないと思う。例えば日々送電の保守をやっている人がいたとして、その人の作業がなければ電気を使った便利な暮らしは成り立たないのに、目立った感謝の言葉を貰うことは少ないと思うし、その仕事の話をしても「ありがとう」と言われる局面は少ないと思う。その上、家族にもほとんど日々の働きの感謝を伝えてもらえない人が少なくないように思う。かたや、鈴木さんは、いわば好きなように、好きなことを追究して生きて、こうやって一席ぶって、それで、さっきまで見ず知らずだった鈴木さんに「ありがとうございました」と本気で感謝する人達がたくさんいる。なんで、僕たちは身近な人の頑張りに感謝できないんでしょう?

こういうことを、ぐるんぐるんと考えていた。そしてそのうち、自分は、自分の働きと、生活というものが切り離せないことに気づき、お話を伺った後の3人でのディスカッションで、たまたまお相手が女性2名だったので、

「正直、鈴木さんみたいな男性って、旦那としてはどう思う?」

と聞いてみた。そこから急速に、先に書いた僕の質問はバカみたいになっていって、自分の中での「働く」ことに関する根本的なところにどんどん踏み込んでいって、初めて鈴木さんが語ってくださったことの根本の部分がわかったし、追加で質問して聞いてみないと判らないことも明確になった。

そこでもって、ディスカッションしてくれた女性2名が「質問しなきゃ!」と背中を押してくれたので、いの一番に手を挙げ質問することが出来た。

今思い返してもあれは稀有な体験。原点に立ち戻れたし、「考える」スタート地点に立たせてくれた。

「自分の仕事」を考える3日間 1/10

”言った後で急に 僕は何故だかわからず泣いた”
(『FRIENDS』/B'z) 

B00005F5BX FRIENDS
B’z 
BMGルームス 1992-12-09

by G-Tools

自分の出不精を差っ引いても不思議なもんで、
初日当日の朝、「参加者同士が話し合うように進行する」などといった、前年の記録を思い出しながら、「あーめんどうなもんに申し込んでしまったなーそれも3連休3日とも使ってー」と思っていたのが、昨日のセッションが終わる頃には既に「祭りの後」「宴の後」を思ってメランコリック。

しかしこのイベントは参加した場で刺激を受けたり楽しい時間を過ごしたりするのが狙いのイベントじゃない。だからこのイベントが終わってしまうことを残念がるのは少し筋違い。なにより寂しさに感けて今日のセッションを台無しにしたら意味がない。 

最後のまとめで西村さんが仰っていた、「こういうものは区切りをつけてなければならない」という言葉の意味は痛いほどよくわかる。痛い程、というのは心中お察ししますという意味じゃなくて残念で仕方がないけれどそうでなければならないという意味で「痛い程」。何かを感じ意欲が湧いたら、「やってる人じゃないと」とか「思いだけじゃないくて実際にやりだしやり続ける工夫」とか、大事なヒントはいっぱいもらってる。

  • 皆川明さん
    • 僕に取っては、昨日の中村さんのお話以上に、最高にリアルなビジネスの深いところが聞けた。
    • リレーするとき、「最高のスピードで」というところが印象に残ると(西村さん始め)たくさんの方が仰っていたが、僕は「苦しくてもノリノリで繋ぐ」と仰った言葉のほうがより鮮明で感動した。
    • 価値の下がらないもの、ゴールはない、100年続くブランド→100年でいいのか→創業15年経った今も「ここから最低100年は」
    • ミナペルホネンのオマージュは意味がない。
    • ロングスパンでみた大量生産。質量。
    • ガンジーセーター
    • 皆川さんは計算に強いと言っておられた。中村さんは計算が苦手と言っておられた。

ほんとうになんだかよくわかんないんですけどこのタイミングで僕はなぜか涙ぐんだんですよ。

  • 伊藤ガビンさん
    • 訳わからん。と人には言わざるを得ないほど、自分がどう解釈したかを伝えるのが誰にとっても難しいセッションだったと思う。
    • 西村さんはガビンさんをラストに持ってくることを最初から意図してたような気がする。最後にありきたりの結論にならないよう、引っ掻き回したんだろうか?
    • 口ロロは知ってたけどいけすかん感じで聴いてなかった。聴こう。
    • 歴史にマッピング vs 答えの出ていないものが好き
    • それぞれの人がどこに意識を分散するか もしくは集中するか

関心空間のたかはしさんと話が出来たり、得難い体験を得難い質量でぎゅうぎゅうにインプットした3日間。最初にも書いたけどこれが今日だけのことで終わってしまっては意味がないし、単に楽しいというだけでこのイベントはもちろん関係性をつなげていくだけでは何にもならない。僕が仕事上で悩んでいることは分かりやすくはないけれど表に出しているので、仕事に関する行動や考えの記録をオープンにしていこうと思う。

今日の自分に向かって手を振ろう。

"問題は依然、解決しない 
うまい話も基本的にない
明日怖い?怖いのは自分 
そんな毎日を生きるのも自分
今日の自分に向かって思い切って

手を振ろう さぁいま 手を振ろう"
(『手を振ろう』/稲葉浩志) 

B003UIUBT4 Hadou
Koshi Inaba 稲葉浩志
バーミリオンレコード 2010-08-18

by G-Tools

「自分の仕事」を考える3日間 1/9

いやこのすばらしいイベントがあと1日で終わりなんて。
そして全3回の第3回が終わるということで、もう今後参加できることはないなんて。
参加するだけでは意義はないことは判っていても、なくなるってことは寂しいもんだよね。

元来、早め早めに目的地に移動してしまう性で、
今日は昨日の実績を活かしていくらか遅く家を出たのにそれでも8:20くらいに到着してしまって、駐車場開門の列に並ぶ(8:45開門だった)。休日朝の阪奈道が空き過ぎてんだよ!(笑)

昨日の行きはラジオが流したのがミスチルの『未来』でなんか暗喩的で格好いいのでそれをリンクに貼ってみたけど、今日は帰りのラジオが流したのが槇原敬之の『もう恋なんてしない』でなんかなあ。なのでそれはリンクせず、会場の朝カフェとランチでお世話になってる「庭禾」さんのリンクで。撤収前でディスカウントになったピタサンドを買って帰りました~。

瀬戸暮らし日記

via niwakalife.exblog.jp

昨日の御三方は「社会活動」「公人」的な色合いが濃淡はあれ共通したところだったけど、今日の御三方はそういう面は少なく(中村さんは「社会問題的な面はあんまり」と仰っていたし)、そういう意味で昨日のように「大上段」に構えたことを考えずに済む分、自分の問題に引き付けやすかった。しかしながら、引き付けやすい分現実的で出口のない話になりがちで難しい面もあった。

  • 鈴木昭男さん
    • たどたどしく、離婚に関する剛速球質問をさせて頂いたが、少し困られた表情をされていらっしゃったけれど、鈴木さんは僕の目を一度も外さずにお答えしてくださった。お答え頂いた内容もさることながら、あの姿勢は心から誠実な人の姿勢だと思うし、一朝一夕に身につくものじゃないと思う。
    • でもやっぱり不躾な質問には違いないと思い、後からお礼とお詫びにいきました。そこで言葉を交わさせて頂いた空気感が極上。あれだけで僕の中では鳴ってます。
    • 「鈴木さんのような男性と結婚するのはどう思うか?」という素朴な問いが、まさか次の山本ふみこさんのセッションにつながるとはこの時点では夢にも思っていない。
    • でもANALAPOSはセックスかも知れないってことは僕は一目見たときから判っていましたよ。
  • 山本ふみこさん
    • 僕の中での「主婦=仕事か」議論にひとつの終止符。
    • いかに自分のアクティビティーにかかるストレスを減らすか。これは『グーグル時代の情報整理術』と同じことを言ってて面白かった。
    • 「成り行き」のこころは僕は完璧に理解できていると思う。
    • 3人組になった方の、図書館勤務の話はかなり重いテーマだった。
    • 山本さんはかならず質問者の正面まで移動されてた。
  • 中村好文さん
    • エンケルハウスのことも秋篠の森のことも、奈良県民なのに知りませんでした。情けない。
    • 中村さんの話を聞きたくて参加したという人を何人も聞きました。
    • 仕事に関するスタンスとしては、実際にそれを選択するかどうかは別として(背伸びもしないし卑屈にもならない、とか)、自分が一通り考えてきたことと最も合致する方だった。
    • 相性。相手が本来持っている能力を引き出せなかった。
    • 事務能力がなかったことが「有利に働いた」・・・ある種の戦略性
    • 計画性がないこと
    • クライアントに設計会社があるが、そう言えば中村さんのような物腰の方がほとんどのように思う。なぜだろう?

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