外資系に勤めているということ #jbnsgt3k

僕はいわゆる外資系というところに勤めていて、「日本の国力が凋落傾向」とか「日本経済を復活させるためには」とかいう言説を見るたび、何とも言えず難しいことを言われている気持ちになります。今やもう20年も前のバブルの頃を知る僕たちの世代には、外資系というと給料が高くて(であるが故に女性にもモテて、だから)憧れ、みたいなイメージがあるけれど、外資系が人気がある国というのはつまり、その国自体は程度低いってことだよ判ってる?と外資系に盲目的な人全員に聞いて回りたい気になったりする。そういうこという人が、片や「TPP反対!」みたいなこと声高に叫んだりして絶句する。

価格は誰が決めるのか。円高傾向が続いているのに輸入品の価格が一向に下がらなくて、それでその会社の日本法人を非難したりしてるのを時々目にするけれど、何言ってんの?って思う。商品をいくらで売るのかは、売り手が勝手に決めるのだ。そうでなきゃ、自由経済なんて成り立たないでしょう。「円高だから、その分価格下げろ」なんて平気な顔して言う人の気が知れない。もちろん、公共サービス的なものは(特に日本では)別だと思う。電力料金なんかは下げるべきだ。統制価格なんだから。けれど、民営企業の価格をどうするのかは、その会社の裁量だ。円高だから価格下げろなんて平気な顔して言う人は、じゃあ自分とこの製品の原料価格が下がったとか、交渉の結果下請け会社への支払いを削減できたとか、資材調達のコストが減少したりとかしたら、即刻製品価格に反映してるの?しないでしょう。「粗利率改善」とか、そういう方向に動くでしょう。なんでここ最近、誰もが自分の中にある「売り手」と「買い手」を分離させ、そんでもって平気な顔してモノ言うんでしょう。これが僕にはほんとに分からない。

僕が携わる日本のIT業界は、その黎明期から国策との関わりが深く、今でも国産企業と外資系の苛烈な戦いがあり、(僕らの目から見て)国産企業のその「体力」はどこから来るのか、と理解できないことも儘あります。どこかの部門の利益でもって、ほとんど利益の上がらないような業務や事業を支えたりして、そういうことの積み重ねによって、僕たち外資系の入り込めないような諸条件を予め造り出している。でもこれは、企業としては戦略として正当なことだと思うから、同じことができない自社の仕組みを恨めしくは思うけれど、悪しざまに非難したりはしない。ただ、僕たち「外資系」が、国産企業を打ち負かしていけばいくほど、日本の「国力」というのは、落ちていっているんだろうなあと思う。僕たち「外資系」が好業績を上げるためには、日本経済は反映してもらってないと困る。というのと同じ理屈で、やっぱり日本企業は、諸外国で稼ぐ道をもっと考えないといけないのではないか、とも思う。

『日本人はどのように仕事をしてきたか』/海老原嗣生・荻野進介 #jbnsgt3k

1月の3連休に、”「自分の仕事」を考える3日間”に参加して以来、「仕事」「働く」ということが常に頭の中にあった1年。その1年の締めくくりに、”日本における「仕事」の歴史”を学んでおこうと思い、本著を手に取りました。

僕はこと仕事に関する話に限らず、「今、アメリカで起きているのは…」「今、ヨーロッパで主流なのは…」という言説がとても嫌いで、また、「これは日本人特有の…」「これが日本独特の…」という言説も常に疑ってかかる。前者は、もちろん同時代で先進的な国の同行は常に学ばなければならないものの、この言葉が述べられるときのスタンスが多くが盲目的で安易であることと、先行者を追いかけるというやり方はいつまで経っても自らが先行者にはなれないことを認めてしまってるから。後者は、本当に日本独自のことなのかどうなのかという客観的な見極めがないのもあるし、「なぜ、それは日本では成り立つのに、諸外国では成り立たないのか?」ということを考えもしないから。

本著は戦中~戦後から2000年までの約70年の、日本人の仕事の仕方を、雇用・労働・企業人事の観点で整理しています。構成は、「働き方」「企業のマネジメント」に大きな影響を与えた13冊を紹介し、その著者との往復書簡形式になっています。2010年の今、その著作の内容を振り返っている書簡もあり、単なる「言いっぱなし」ではないおもしろさがあります。例えば『新しい労働社会』の濱口桂一郎氏と、「ワーキング・プア問題」における非正規社員の捉え方と解決策について、2009年に著した内容を照らしながら意見交換されています。

自分の理解のために大雑把にKWを整理すると:

■戦中…差別的・大格差の社内階級が存在(この時点で、「家族的経営」が日本の風土から来るものという通説が覆る) 
■戦後動乱期…労使協調→「終身雇用・年功序列」
■高度経済成長期…職務給への対抗→能力主義の誕生・職能制度
■第一次オイルショック後(80年代)…職能の熟練・人本主義
・ブルーカラー中心の産業構造=猛烈な経営効率化・生産拡大が国際競争力に繋がる時代
p97「日本の人件費は先進国の中では圧倒的に安い部類」「もっと人件費の安い途上国といえば、こちらはまだ教育水準・技術力が低いため競争相手にはならず、さらに、社会主義国は冷戦最中で、こちらも国際競争には参加してこられない。」「日本が、まだまだ国際的に優位に立てて当たり前」
■プラザ合意後(85年~)…無策だった時期
■1990年代前半…p152「95年には、50代前半の会社員の年収が20代前半の若年社員の2・88倍」また弥縫策しか手を打たない時代
・終身雇用・年功賃金は高度経済成長期に最適なシステムであっただけ
・集団的・暗黙的な技術・知識より、個人単位の創造的能力
■1990年代後半…下方硬直では経営ができない時代/職能←→コンピテンシー
・就職氷河期
・1971年ハーバード大学マクレランド教授「コンピテンシー」
■2000年以降…「人で給与が決まる」をより透明で客観的に/非対人折衝業務の極端な現象(製造・建設・農業・自営業) 定年破壊、雇用改革

本筋から離れたところで、興味を掻き立てられたポイントが2つ:

p110「世の中の声を聞き、現場の生の資料を集め、公的データと見比べているときに、もう「話の筋」が見えてくるものなのだ」

この後、「筋が見えない人は、高等数学を使って「答え」をなんとか作り出す」と続く。この、「筋」と「高等(数学)」の部分、来年いよいよメインストリームに現れるだろう「ビッグデータ」への懸念に近い。今のところは、解析したい「筋」を持つ人によって、ビッグデータ処理が使われているものの、明確な「筋」を持たずに「なんとなく凄い」ということでビッグデータ処理を手にする人たちが増えだしたとき、かつてのDWHのときのような大混乱が起きるのではないか。そして本当に問題なのは、売る側としては「なんとなくすごい」もののほうが、売れてしまうことである。

p191「西洋人は「情報処理機構としての組織」という組織間を信じて疑わないそうですから。組織で行われるのはもっぱら情報処理にとどまり、知識の創造という考え方がないのです。その伝でいけば、個人はいつでも取り換えの利く、機械の部品に過ぎない」

革新的で創造的なITは、多くが西洋から今のところやってくる。それは位相の違う問題だととりあえず納得しておいて、ソーシャルメディアの流行に併せて日本世間に増えつつある、情報を交換を増やすことで、某かの成果があがるような、コラボレーションやソーシャルやコワークと言われるものがどの程度のものであるのか、よく考えてみたい。そもそも、特にアメリカでソーシャルメディアが勃興したのには社会的な理由がある。「ネットワーク」という考え方も、心の満足度ということを考えたとき、今のままでいいのか。編集の思想、エクリチュール、そういうこともひっくるめてよく考えてみる必要がある。

412150402X 日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)
海老原 嗣生/荻野 進介 
中央公論新社  2011-11-09

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B'z LIVE-GYM 2011 "C'mon" 2011/12/18 京セラドーム大阪

スタンドでしたが、スタンドだったからこそ、冷静に観れるものがあった、大阪最終日。
ネタバレありますのでご注意ください。 

  • 火炎とか花火とか動くステージとか、お馴染みの特効はあるものの、冷静に振り返ってみると、過去のLIVE-GYMの特効よりもだいぶ控えめで地味。これは東日本大震災と、いろんな理由で無関係ではないと思う。
  • それに思い至って、途中の手拍子コーナーも井戸で遊ぼうのコーナーも納得できた。
  • MCで稲葉さんは、「東日本大震災で津波の被害に遭った人への支援のチャリティへの楽曲提供や、TV番組に出演するという”チャンスをもらって”」と、”チャンスをもらった”と言っていた。この姿勢。
  • 「恥ずかしながら」は同じ。
  • 『Brotherhood』の"You know what I mean"の"mean"とか、高音キーを変えて歌ってるように思ったものの、その『Brotherhood』の最後のシャウトや、『いつかのメリークリスマス』のサビも高音で歌っていて、前回より調子がよかったのかな?
  • 完全無欠のライブショウというカンジではなかった気がするが、それに否定的になる要素は何もない気がする。
  • 東日本大震災の被災者の方への支援は、まだまだこれから。これからが大事。

    『レインツリーの国』/有川浩

    この物語は、もちろん、聴覚障害者の苦しみと、若い頃の父親の喪失という苦しみについて、読み取る物語ではない。その苦しみの「理解できなさ」を読み取る物語でもない。人にはそれぞれ苦しみがあって、その苦しみは聴覚障害や父親の喪失のような特別・特殊なものでなくともその人にとっては苦しみであり、人には理解されることがないのが苦しみなのだ、と読み解くべき物語。教科書的には。それはわかるんだけど、僕は敢えて「聴覚障害者」の部分を、一般化せずにそのまま読みを深めようと思わされた。
    聾と中途失聴の違いは、第一言語が手話か日本語かという違いになる。そして、中途失聴者は、第一言語は日本語で、自分からの伝達は第一言語で行えるのに、自分が受け取る伝達が第一言語だと困難を伴う。この「言語」の分離は、手話のみとなる聾者よりも困難と言える側面があると思う。
    自分と相手は同じ言語を使っているはずなのに、相手の考えていることが完全には理解できない。これは、中途失聴者だけの苦しみではないかもしれない。もし、「相手の考えていることが完全には理解できない」という状況があったとすれば、それは、中途失聴者の状況と同じ状況に置かれていることになる。「同じ言語を使っているのに、相手の考えていることが完全には理解できない」という状況は、中途失聴者のケースを持ちだすことによって理解しやすくなるが、これは、僕たち誰にでも起こりうること、起こっていることだと思う。そして、その苦しみを誰にもわかってもらえないとぼやきがちになるが、それが中途失聴者に限らない以上、主客を入れ替えれば、僕が第一言語である日本語を使って行っている伝達行為が、相手にとってみれば、僕の考えていることが完全には理解できない、という状況に陥っている可能性だってもちろんある。つまり、「誰にもわかってもらえない」苦しみなんかじゃないのだ。この物語は、同じ言語を用いているのに違う発話になる、つまり、ラングとパロールの物語だったのだ。

    4101276315 レインツリーの国 (新潮文庫)
    有川 浩
    新潮社  2009-06-27

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    『どうでも良くないどうでもいいこと』/フラン・レボウィッツ

    4794959788 どうでも良くないどうでもいいこと
    フラン・レボウィッツ 小沢 瑞穂
    晶文社  1983-03

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    例えて言うならマツコ・デラックスとかそういうこと?著者は皮肉多目のユーモアで人気を博したそうです。それにこのタイトルに期待大で読み始めてみたのですが、ちょっと日本人の我々が感じる「どうでも良くないどうでもいいこと」というのとずれてはいます。英語の原文で読めたら「ほほう」とニヤッとできるところが、もっと多いんだろうなあ~と思うのですが、残念ながら’10年代の日本に暮らしている僕は、’80年代のアメリカの、若干アイロニカルなノリは半分以下しかわかってないと思います。

    そんな中で胸に飛び込んでくる文章というのは、物凄い破壊力です。壮絶な破壊力だったポイントが3点あります。この3点に抉られた人には間違いなく「買い」の本です。

    1. p112「愛読書は「ザ・ホール・アース・カタログ」とかいうもので、着るものはこれを見て注文する」
    2. p183「近代社会の特徴として、一般市民は便利なシステムに頼りたがり、地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値を忘れる傾向がある」
    3. p200「貧乏人に税金を課すのだ。それも重税を。金持ちのテーブルからのおこぼれを与える考え方が間違っている」

    1.は「世界市民」とか「地球人(アースマン)」とかを自称する胡散臭さに唾棄してる章の一節で、この文章の前は、「地球人(アースマン)は友情のしるしと称する青い葉のある野菜を食することで知られる。熱心に食べるのみで食物連鎖についてあまり考えず、再生説を信じる。」とある。僕は何にせよ、「センスがある」と自他共に認められているそうな人達の、自他共に認められていることのためのシンボル、アイコン、免罪符、あるいはバイブルとしての存在が何かにつけて嫌いで、『ザ・ホール・アース・カタログ』はよくは知らないものの、初めて耳にしたときから嫌いの最右翼だった。それを口にする人たちの、その盲目的な感じが何につけ怖いのだ。なぜ、みんな怖くないのかが分からなくて、怖いのだ。

    2.は、’80年代のアメリカで、こういうことが書かれていたことにちょっと感動。「地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値」って何だ?この30年間、「それってなんだかんだ言って結局カネで表さないと意味ないだろう?」というところで諦めて手を打って突き進んできたんだと思う。確かに、生活するに不足のないカネを得られなければ、その地道で苦しい労力を続けることはできないし、単に「喜びや価値」で食っていけはしない。その最低限の循環をどうやって作るか?を考え始めているところ。蛇足だけれど、こういうことを言っている著者も、結局のところは「企業初期にひたすら低コストで蓄財し、損益分岐点を越えるところで大きく越えることで一気に安定軌道に乗せる」という、古典的な資本主義の作法に則って成功したところが食い足りない。

    3.は超難問。基本的に僕は、この字面通りの意味には賛成だ。消費税を増税して、低所得者層には還付するとか、根本的に間違っていると思う。還付するためのコストを考えてみたら、還付しなくてもいい程度の税率にするほうがよっぽどマシだ。
    それに、ここからがもしかしたら著者が言おうとしていることと重なるかも知れないけれど、これはあくまで「相対性」の問題だと思う。お金が足りないのは、結局、低所得者も高所得者も同じ。高所得者が、「税金で50%も持って行かれると思うと、やる気をなくす」と言ってるのは、そのまま低所得者にも当てはまるのではないか。なんかこの辺にヒントがあるような気がする。

    B'z LIVE-GYM 2011 "C'mon" 2011/12/09 京セラドーム大阪

    ”C'mon"一曲ですべて良し!なライブでした。以下、若干ネタばれすると思いますのでご注意ください。

    今回は"ACTION"に続いてファンクラブ優先が悉くついてなくて、ホールツアー全滅。e+とかなんとか全滅。もはや渋々というカンジで京セラドーム大阪を抑えたのでした。アルバムとしては、『C'mon』と『さよなら傷だらけの日々よ』が飛び抜けてて、中盤の『ピルグリム』『ザ・マイスター』『デッドエンド』の三連発にシビれる、と聴きどころはあるものの、トータルの印象は『ACTION』『MAGIC』のほうが好み。そんなテンションで、仕事帰りにドームへ。

    恒例の開演前ACTは、外国人ノリのTVショウの間のCMが秀逸!お馴染みのマツコデラックスの「バカモン!」が流れたと思ったら、普通に「秀月」のCMが流れだし、途中の「御宅の”家紋を”・・・」のところをリピートして「カモンを」「カモンを」「カモンを」とか、絶妙によく似た曲を流しながら子どもが塾で勉強してるふうの映像が流れて最後に「カモンイクモン!」とか。一頻り笑えました。マイケル富岡のツアーグッズTVショッピングは余計。

    10分押しくらいで開演。以下、恒例の箇条書き:

    • 本編は予想通り、『さよなら傷だらけの日々よ』で始まり『C'mon』で締める、という構成。ほんとにこの二曲で満腹になるくらいパワーのある曲。
    • アルバム曲を3曲もやらなかった。"Brotherhood"のときと同じ印象。特に”デッドエンド”をやらなかったのは結構落胆…。ホールツアーではやったんだろうか?
    • 『さよなら傷だらけの日々よ』と『C'mon』、そしてアンコールで『いつかのメリークリスマス』があったから充実感残るけど、セットリスト的には振り返ってみると結構スカスカな印象がある。"MAGIC"のときは、前半これでもかってくらいのバラード押しで、「あー稲葉さんもさすがに全編通して押しまくる構成はキツくなってきたんかなー」と思ったものだけど、今回は更にそれが進んだ印象。でも、仕方のないことだと思う。
    • そういう意味では、会場、とくにS席中心になる(=ファンクラブ優先、高い)アリーナの年齢層がどう考えても高いのにも、もう慣れました。
    • 途中の手拍子アクションと「井戸」パフォーマンス、楽しいしおもしろいけど、いまいち繋がりがわからなかった。すごく浮いてる印象。
    • ツアーテーマも、やっぱり震災を受けてのものだと思うんだけど、その割には『Splash』とか『Liar!Liar!』とか、ん?と思うし、『裸足の女神』も、「なんでこの季節に?」と思ったり。『Brotherhood』の位置もヘン。
    • というのをひっくるめて稲葉さんのMCを振り返ると、やっぱり、重くしっかりと受け止めないといけないことだなと思った。「恥ずかしながら・・・」という言葉を使っていたのがとても印象的。このアルバムのメッセージの主軸として、これまでは鼓舞するような、何かをやるためのエネルギーとなるようなメッセージだったところから、『C'mon』の「止まらない それだけで生まれるチャンス」とか『デッドエンド』の「夢を描けないのなら ひたむきに待てばいい」とか、無理矢理ではないスタンスが強く押し出されてる。そういう「日々いろいろ、ほんとうにいろいろある」というイメージを、構成に反映させていたのかなと思う。

     

    B0055PDQN8 C'mon(通常盤)
    B'z
    VERMILLION RECORDS 2011-07-27

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    乾さんといっしょ #03@新大宮 #jbnsgt3k

    乾さんとサシで飲ませてもらうのは2度め・・・?12/7の水曜日に、新大宮で相手して頂きました。

    自分より年配の方で、サシで相手してもらえる方というは大変貴重です。特別にありがたい話とか深い話とか難しい話を求める訳ではなくて、ただ純粋に貴重です。それに、乾さんは、僕にとってはあのフォーラムの後の、不躾なメール送信でアポを取り付けるという、およそ自分らしくない積極的な行動を取ったシンボルみたいな方なので(笑)、ほんとに大切な方なのです。

    では恒例の箇条書きで:

    • 一軒目連れてって頂いたのは、駅から歩いてすぐの「俵」。カウンタにガラスケースのある、庶民派居酒屋な店構え。話に夢中でがっつりは食べませんでしたが一品どれもおいしかったです。乾さんは「たらこちょっと炙って」とかシブかった(笑)。味もそうですがお店の方がよく気が付くので安心でしたがそれは乾さんが「顔」だからかも。
    • せっかくお会い頂けるのでなにか乾さんのご興味ありそうなものをと、『来たるべき蜂起』を持参したのですが、案の定というか当たり前というか、ご購入されてました。精進します。
    • 「辰己くんに会ったらぜひ聞こうと思っていたことがあって、」と改めて前置きされた上で、『災害がほんとうに襲ったとき』のなかの「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」の一文は、どういう人間関係で成り立つものだろうか?という問いを投げかけておきながら、僕が十数秒考え込んでる間に一杯飲みほしたと思ったら食べ物の好みかなんか聞かれて話は立ち消えに。茫然(笑)。
    • 乾さんは30分くらい経った頃から、突然グラスに入ってるものが水みたいにドライブかかる。
    • この日はもちろんちょっと真面目な話ももちろんあったのですが、とにかく書けない話が多過ぎる(笑)。話の具体的な内容はされおいてエッセンスだけ書くと、「人として礼儀というのは決定的に重要。表面だけで人を好いたり支持したり憧れたりしてはいけない。もちろん、嫌忌したりする必要もないけれど。」と言うのと、「いい”はたらき”するための距離感って?」と言うのと。
    • わたしのはたらき』にまつわる乾さんのエピソードがちょっとビターでかつおかしみもあって逸品なので書きたいけど書きません(笑)。
    • 二軒目は内緒。
    • 僕はどうしてもやらないといけない仕事があって中座したのですが、宣言した時間が迫った頃「さっさと帰ってや」と言われたとき、「遂にオレ、お友達や!」と勝手に感激。
    • お忙しい方のお時間を頂戴するからには、何か少しでも役に立てることを、と考えてしまうものだけど、そのあたりも柔軟に考えていいし、だいじょうぶだなと自分のことを思えた。
    • それにしても、乾さんの事前リサーチにびっくり。まさかあのサイトまで見られたとは…(笑)。

    the pillows "Energiia tour" 2011/12/09 Namba Hatch

    O.K.,busters, This is my first "TRIAL" to report about the show in English, so I'd please like you to be patient with my bad engrish.

    I went to the "Energiia" tour at Namba Hatch, Osaka on 9th Dec. I live in KANSAI area including Osaka prefecture, and Namba Hatch is in Osaka. Namba Hatch is a very particular hall because the accident called "さわお怒りのダイブ事件" like "ライドン事件" (Ride on shooting star accident in America tour) happened there. So we KANSAI busters are always nervous at Namba Hatch.

    After "さわお怒りのダイブ事件" which happend on OOPARTS tour, Sawao-san don't talk so much during thier performance. On this day he also don't talk so much but thier performance was very awesome. They concentrated all thier "Energiia".

    Here is the Set-List. I couldn't remember all of those so I needed the help of other busters.

    01.RAIN BRAIN
    02.ビスケットハンマー(Biscuit Hammer)
    03.NO SELF CONTROL
    04.New Animal
    05.バビロン 天使の詩(Babylon)  
    06.Kim deal
    07.エネルギヤ (Energiia)
    08.BLOCKHEAD (in April)  
    09.Ritalin 202
    10.Skeleton Liar  
    11.THAT HOUSE  
    12.ハイキング  (Hiking)
    13.FLAG STAR  
    14.日々のうた  (Hibi-no-uta)
    15.RUSH
    16.MY FOOT
    17.Midnight Down
    18.GOOD DREAMS
    19.その未来は今 (Sono Mirai wa Ima)

     <encore #1>
    01.YOUR ORDER
    02.Sleepy Head

     <encore #2>
    01.エネルギヤ  (Energiia)
    02.RUNNERS HIGH 

    Do you wonder why they performed エネルギヤ twice? At the first time of Energiia, Sawao-san said "Hey busters 男子(boys), let's sing together" before playing that tune. But after playing that, Sawao-san confessed that he forgot and mistook the lilyc and said "We have to play this song one more time". So they re-performed that at encore :D

    As sawao-san said, they performed "THAT HOUSE" at first today. Sawao-san said he was not good at singing this song but I was moved. Maybe many of the audience were also moved.

    7th Dec was Sawao-san's birthday so some of the audience said "Happy Birthday, Sawao-san!". After that, Sawao-san sang an alternative of  Another Morning like this - "A- Nanoka(7th) wa- Atarashii - Boku no Tanjyoubi Datta." :P 

    FLAG STAR become the standard number of decenmber's show. I like this song very much. I wanna go KARAOKE and sing it.

    They announced the next tour "TRIAL TOUR" by flyer. I've already booked 6/8 Zepp Namba. I can't wait! I'm also going to report the show, Thank you for reading all of my report, busters!!

    ダブルブッキング-ライブとボランティアでライブを優先させること #jbnsgt3k

    楽しみにしていたピロウズ@なんばhatchの日に、社内東日本大震災ボランティアツアーが開催されるというお知らせが来た。

    ボランティアツアーの内容は、PCのセッティングと簡単な操作説明を行うというもので、土日の二日間。移動のため金曜から出発で、金曜に関しては社内のボランティア休暇制度を使える。東京出発で、東京からの交通費は会社が手配するけれど、東京までは自費負担。

    こういう業界にいてるので、PCセッティングと操作説明でボランティアできるなんて願ってもないチャンスだし、東京への往復交通費は自分で負担しても全然構わない。いつも「ボランティア」というと、片づけとか炊き出しとかそういうのが浮かんで、行ければ行きたい、というような気持ちだったんだけど、普通の人よりは自分はうまくその作業を提供できる、という、行ってみれば「役に立てる」という内容なら、それがこんなに力強い気持ちに発展するんだということを初めて知った。

    けれど、ピロウズのライブと日が重なっている。

    これはかなり考えた。かなりかなりかなり考えて、ピロウズのライブに行くことにした。

    ボランティァは自分の生活を犠牲にするようなものであってはならないとか、被災者ではない自分は自分の日常を生きることが復興を支援することになるとか、消費を行うことこそ経済を動かし復興に繋がることだとか、今まで聞いたことのあるロジックは全部頭の中に駆け巡ったけれど、そのどれも、実際に自分にダブルブッキングが起きたときに全然助けにならなかった。

    決めたのは、ピロウズが好きで、ピロウズのライブを楽しみにしているから。これが嘘ではないから。単純にそういうことだった。

    このブログのポストはfacebookにオープンしてるし、読んでもらうのが恥ずかしかったり気恥ずかしかったりすることは極力控えてるんですけど、この悩みのいきさつは書いても悪くないかなと思いました。

    B005RY38EE エネルギヤ(DVD付)
    the pillows
    avex trax 2011-12-07

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